主≠監。
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――――。
――。
「ん……つめた…」
件の建物に着いてから名無しが最初におこなったのは、鞄の中からハンカチを取り出し、濡れた髪や服の水分を拭き取ることだった。
まあそれも当然だろう。
ずぶ濡れのまま敷地に入ろうものなら、間違いなく大顰蹙を買うに決まっていた。
思った以上に冷えた身体に寒気も覚えたけれど、それでも此処に来てよかったと思えたのは、やはり気分がマシになったからだ。
「……なんか懐かしいな…」
つい最近のことだった。
偶然トレイに声をかけられて、あのときはまだ、ただ肌を重ね、互いに気持ちよくなることだけを考えて、余計な感情も全く持ち合わせていなかった。
半ば圧し負けに近かったかもしれない。
トレイの熱意に触れ、確かな愛情を感じて、その想いにこたえたいと自らの意思に気付いた時には、彼への恋慕も確立されていた。
それを恋と呼ぶには都合がよすぎただろうし、簡単に甘えて、事がすべて上手くいくわけもないという不安は勿論あった。
出会ったきっかけも、なにより自分とトレイを引き合わせた……ジェイドにどう接していけば、最後には彼と疎遠になれるだろうかとさえ、ずっと考えた。
「………」
会わない自信はもうある。
その為にスマホの電源だって進行形で落としている。
時折抱いてきたジェイドへのそれは、恋に似た情ではあった……けれど、すべてはベッドの中で感じた想いだった。
快楽に溺れながら肌を重ねているときは、そうやって気もふれるものだ――。
そう言い聞かせれば、ただの勘違い、絆されも気のせいなのだと目が覚めた。
「……、………」
名無しは見た目の身嗜みを整えると、漸く本屋内の敷地へと移り、目当てのフロアへと向かった。
目指す本棚はトレイと会った場所へ……そこで見上げた教材に、届かないと分かって手を伸ばす。
あのときと同じ、言語学の本の背表紙を見つめ、名無しは脳裏にトレイの笑顔を浮かべた。
そろそろ隣に並ぶ未所持の参考書にも手を出して、彼と過ごす時間が増えればなおいいなと……そう思った。
待たなければいけない、けれどあと一週間なんて待てない……――今すぐ会いたいという気持ちが、彼女の胸をきゅっと熱くさせる――。
「――……ッ…、……どうして…」
「疑われて当然かもしれませんが……今日も偶然ですよ。先程、駅で貴方を見つけて……この本ですか?」
「ジェ……イ…」
「会えましたね……僕の部屋ではありませんでしたが。……今日が何の日だったか、貴方もご存じですよね?名無し」
「ッ………」
忘れたい感触。
忘れたい匂い。
忘れたい声色。
本棚を見上げた先で重なった手が、ささやかな思い出が一瞬で塗り替えられる。
大切にしていきたいと感じていたそれさえ、こんな些細な場所での出来事すら奪われる。
「ああ……まだ……髪が少し濡れていますよ…。ほら……」
「…ジェイド……ッ」
身体に染み込んだ経験が、振り向いただけで、名無しの拒みたいという願望に足枷をつけてゆく。
そこに居たジェイドに、彼の名を呼ぶ以外に何も話せない。
思考停止した名無しがまともに口を開いたのは数十秒あとのことで、脳裏にあったトレイの笑顔を掻き消されたのも、同じ機のことだった。