主≠監。
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――――。
――。
「――……えーっと……」
予報と違う目の前の光景にそれを疑う。
まだ食材を買う前でよかったとは思えたものの、名無しはほんの少しの贅沢を優先し、ランチを終えた自分をどう正当化すべきか、軽く理由を考えていた。
「はぁ……人身に大雨……?なんで今……?」
たった一時間ほどの出来事だ。
空腹を満たして、身も心も文字通り満足していた名無しにとって、カフェから戻ったターミナルで出くわした状況にしょんぼりと肩を落とす。
到着時よりもやけに人が多いなとは思ったけれど、屋内ばかりを通る道、駅に着いて天候が大きく変わっていたことにまずは驚いた。
それだけなら交通機関は本来止まらないが、別の駅で発生したらしい大きな人身事故の影響を、名無しの居た駅も受けていたのだ。
「……はぁー…。うーん……」
魔法という概念があるこの世界でも、それが罷り通らない時もある。
パッと移動して帰ることもできただろうに、そういう域にまで実力がまだ達していないことにも、名無しは改めて歯痒さを覚えた。
「……どうしようかな…」
カフェで食事をしていたときとの気分の差に落ち込み、例外なく憂鬱が彼女を襲う。
今はまだまったく遅い時間ではなかった。
けれどそれでも人の多さ、交通機関が暫くは動かないことへの、周囲から滲む憤りも顕著だった。
「はぁ………」
空の見える場所は淀み、暗く、厚い雲も当分はこの付近を停滞するのだろう。
晴れやかだった数時間前を思い、名無しは吐き出るため息を意図的に止め、また気持ちを切り替えようと懸命に上を向いた。
「………」
当然、傘も折り畳みのそれすら持っていない。
が、やがて一考ののち、そのとき名無しが決めていたのは、トレイとばったり会ったことのある、本屋が入る建物へと向かうことだった。
そこは辿り着くまでのすべての道に屋根はかかっていなかったけれど、なんとなく、たとえ濡れてでもいま行きたいと思ったのだ。
トレイとの思い出がある場所を通ることで、今の無駄になる時間をなんとか有効にしたかった。
続けていた言語学の勉強だって、次に会ったとき、聞きたい箇所も増やして、もっと彼に近付きたいと思った。
「……っ…」
暗い空。
時々遠くに聞こえる雷の音。
こんなとき、好きな人のことを想わなければ、明るい気持ちにだってきっとなれやしない……。
名無しは再び人ごみの流れに逆らうと、その本屋へと向かうため、ひとり駅を離れた。
大きなロータリーを通り、強くなっている雨にも構わず、小走りで定めた目的地を行く。
その急な雨に同じく傘を持たない人は多かったけれど、雨の中を屋外へと向かって走る名無しの姿は、実によく目立っていた――。
――。
――――。
「………フロイド。すみませんが、先にあなただけで寮へ戻っていて下さい。買い忘れたものをひとつ思い出したので」
「えぇ~……?!この荷物持って?!まだ運転再開してなくね?どっか入って休もうよーオレ喉渇いた」
「ですから元の姿になって、海側から学園までまわってください。……荷物が濡れても、アズールに文句は言わせませんよ。防水対策もしてあるでしょう?」
「まあそうだけどさー……アズールまじでうるさいしねぇ……自分は買い出し滅多に行かないくせにさ」
「ふふ……そうでしょう?悪いのはこの天気と、人身事故ですから……」
「むー……あ、買い忘れたものって何?オレも行ってい?ねえねえ」
「参考書ですよ。イヤでしょう?休日まで勉強のことを考えるのは」
「………りょうかーーい」
――人ごみに逆らう、雨にもまるで立ち向かう。
たとえおしゃれ着が濡れて髪が乱れても、離れていても、その離れている相手を想っているのであろう人の心に魅せられるものがあったから、自然と惹かれるのだと思う。
「……多少読んでいたとはいえ、偶然なんですけどね……。きっと、貴方はまた疑うんでしょうね……ふふふ」
運休を伝えるターミナルは、大きなLED掲示板の前。
交通機関が完全に止まっていたことで項垂れていたのは、偶然買い出しに訪れていたジェイドとフロイドも同じだった。
人の流れに反して階段を駆け下りる名無しの姿を捉える……そのひとつの視線は、言わずもがなジェイドの瞳のそれだ。
高揚が燈り、無性に欲を掻き立てられる。
名無しを見つけた瞬間、ジェイドは彼女の背を追い、なんとなく目的地も頭の中で絞り込んでいた。
そしてその場で適当な文言を付け、フロイドを欺いてみせた。
「………」
買い出しの食材、用度の入った荷物をすべて任せて、フロイドが元の姿になれる場所のある方角へと歩み出したのを見届けると、ジェイドも向きを改める。
名無しはどうせ、スマホの電源を切っているだろう。
ジェイドもまた最初からこの日、自ら切り出していた立場とはいえ、会うための連絡も、その催促も、もともと彼女にするつもりはなかった。
拒まれていることも分かっていたし、だからアズールの頼まれごとも快く引き受けた。
もちろん、その行き先が学園の敷地外ゆえ、あるいは偶然も視野に入れての計算ではあったのだけれど――。
「……ふふ。本当に面白い……こんなに偶然が続けば、あの日初めて貴方を抱いた甲斐もあったかもしれませんね……。貴方を助けたあの日……、そういえば…」
己を拒む……その中に生じた矛盾を突き、僅かにできた隙間を抉じ開けたい……そんな願望に駆られる。
それは思慕の有無以前のことかもしれない。
身体は既に、もう何度も何度も繋がっていた名無しとの消せない痕に割って入る、他の男の影の一切を失くしてやりたくなる。
名無しと彼を引き合わせたのは、他ならぬ自分だというのに……――。
ジェイドは名無しが向かった先に本能的確証を得ると、自らもまた濡れることを厭わず、その場所へと続いた。
「そういえばあの日も、こんな大雨が降っていましたね……。でなければ、僕は貴方に会うことも、助けることも……抱くこともなかった。ね?……名無し…――」
道ゆく先、名無しを追ってやがて建物の前に到着したジェイドは、手にしたスマホでアズールとフロイドの連絡先を表示させた。
今日は戻れないかもしれないこと、更には面倒且つ辛辣な返しが来ないよう、それに合わせた適当な理由を添えたメッセージも送信すると、自然と小さく微笑んだ――。