主≠監。
shivering butterflies
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名無しがフロイドのことをそうだと認識していたのは推して知るべきだ。
もっとも、容姿ひとつで彼が誰なのか……「そう」なのだという理解にも容易に繋がるだろう。
何より色々聞かされてもいたと思う。
彼女もまた、其処で鉢合わせた相手が機嫌のよいフロイドでまだよかったと一度はホッとしていた。
けれど、トレイ同様に困惑を極めることになったのも必至だった。
「ッ……――」
何せ名無しなり、”もう会わない”というひとつのことを決断したばかりだったのだから。
フロイドの後方、出先より遅れてもう一人……そのもう会うつもりのなかった相手が現れれば、彼女の心は掻き乱されるに決まっていた。
「おっと……もうこんばんは、のお時間ですかね。トレイさんとこんなところでお会いするのは珍しいですよね……それに」
「…ああ……そうだな、ジェイド……」
二人の前に姿を見せたのは、言わずもがなジェイドだ。
その瞬間名無しとトレイは、何も知らないフロイドにすべてを知られるときが来てしまったのだと悟った。
が、そのときジェイドがさらりと口にしたのは、それとは違う意味で二人を……特に名無しを惑わせる、実に不可思議に満ちた言葉だった。
「はじめまして。突然驚かせてすみません……」
「?!……あ…、え…っと……」
張り付いた空気、その場の雰囲気の何とも言えない寒い感じを、どうにかして暖色に戻したかった。
まあ、それが簡単に出来たとあらば、名無しとトレイの表情も強張ってはいなかっただろう……。
二人は本当に、フロイドに関係がばれる覚悟のもと立ち尽くしていた。
「っ……」
フロイドより遅れて姿を見せたジェイドは、いつも見せる得意の笑みを以って、まずはトレイに挨拶を交わした。
そして彼が当然のように視線をずらせば、トレイのすぐ傍に居た名無しにも眼差しを向け、同じく挨拶の為に口を開ける。
二人が目を見開いたのは、自分たちの歪みきった関係が露わとなったからではなく、ジェイドが名無しに対して、初対面を装ったからだった。
「トレイさんと過ごす、折角の大切な二人きりの時間……今は別れ際とお見受けします。偶然通りかかってしまったとはいえ、邪魔をしてしまい申し訳ございません……ふふ」
「ッ……、?!――…いえ……」
「……先程彼がトレイさんに話したように、僕もこのことは口外致しませんので……ご安心くださいね?では、気を付けてお帰りください」
「っ……あ…」
トレイが額に滲ませ、こめかみに垂らしていた小さな汗の雫が、彼自身の手で拭われてゆく。
動揺を見せれば格好がつかない……けれど頭上に浮かぶ疑問符を簡単に打ち消す方法も、今はまだ見つけあぐねていた。
ジェイドは名無しに初めまして、と挨拶を交わすと、トレイと居た時間に、フロイドと共に割って入ってしまったことを素直に詫びてみせた。
本当は、なんて茶番だと痛烈に言い返したかったところだ。
が、そんな場面もジェイドによって救われていたのだから、二人には正直、言葉もなかった。
「ッ……」
名無しは目が合ったジェイドの鋭い瞳、その奥に何かが見えた気がしていたのだけれど、結局のところはなんの思惑も掴めないまま表情をかためていた。
多分、この場を救ったからといって恩着せがましく何かを要求したりはしないだろう。
それはジェイドの性格上ありえないし、そう思えてしまうのもまた悔しいことだ。
そしてそれをトレイにも相談できないでいる……言えばまたトレイはジェイドと自分を比べるだろうし、余計な心配もさせたくなかったのが、彼女の強い本音でもあった。
「名無し」
「!ッ……トレイ……」
僅かな邂逅だった……と呼ぶには洒落がききすぎているだろうか。
やがてジェイドは言いたいことを好きに話したあと、フロイドの機嫌や態度の変わらないうち、彼を連れてそそくさとその場から退いていた。
去り際、トレイの隣をすれ違う瞬間にもぴりぴりとした雰囲気は立ち込めていたけれど、それはあくまで一瞬の出来事だ。
それに長身ゆえ、歩幅もまた大きかったゆえか、二人の存在はすぐにトレイたちの視界からも消えていた。
「名無し……」
フッと気配がなくなると、名無しとトレイは、再び自分たちだけがそこに居る状態に戻ったことを理解する。
穏やかな空気が戻ったこともそれぞれに感じ取っていた。
そうして周囲を警戒しつつ、トレイが名無しを抱き締めたのも、直後のことだった。
「大丈夫…。びっくりしたけど、平気……トレ……ッ――!!」
「ん……」
「っ…んん……ッ…、トレイ……まだ二人が見てるかも……んっ」
「チュ……ん、もう居ないさ。名無し……」
「!ん……ッ…」
ぎゅっとぎゅっと強く抱き締めて、頭を撫でて髪に触れる。
トクトクとまるでうなっていた心音が落ち着いたのを機に、トレイは名無しの存在を確かめるかの如く、理性に従順になって首を傾げた。
部屋を出るときに散々交わしたキスは、今こうならない為でもあった……が、もはや抑えはきかなくなっていた。
唇を重ねて取り戻した安堵感に不安も掻き消えて、名無し本人の口からも安らげる言葉を聞けて、するとトレイは麗らかに微笑んだ。
「――……フフ。ほら、もっと……名無し」
「ッ……ん、ン!……ハぁ……っ…トレイ……」
外で名無しを抱き寄せること、顔を近付けること……男女の関係であることそのものを露見させるリスクの高さくらい、嫌というほど分かっている。
それでも止められなかったのは、トレイの中に潜む、ジェイドに対するマイナスな感情が暴れていたからだ。
こういうときこそ冷静になるべきだろう……そこまで分かっていても、名無しに口付けて感触を確かめずにはいられないほど、彼には衝動が襲い掛かっていた。
「はぁ……。…まあ、確かに驚いたな……けどそれだけだ。……もう気にするなよ?」
「トレイ……」
笑ってみせたのは、自分に渦巻く汚らしい想いを悟られたくない為。
それに一頻り唇から熱を感じれば、鎮まれるとも思った。
トレイは思惑通り負の感情を掻き消すことに成功しており、その後は持ち直し、先刻よりは純粋に名無しに微笑んでいた。
次に成すべきは、名無しのケアということも分かっていたゆえに……。
「フロイドの方はまあ…大丈夫だろう……ご機嫌だったようだしな。知られれば面倒なことになるのが、ジェイドも分かってるんだよ……あいつらしいよな」
「ん……、トレイも……気にしないでね?」
「俺か?俺は平気だよ……別にあいつとの関係も悪いわけじゃないしな……じゃなきゃ周りが不自然がる」
「あ……、ん…」
「それに、こうやって心配してくれる女が……彼女が目の前に居るんだ……俺はやっぱり幸せ者だよ。つくづく感じる」
「ッ……」
今の今まで口付けていた名無しの唇を親指でなぞりながら、トレイは柔和に目元を綻ばせた。
いつまでも驚きにとらわれていても仕方ないというのも理由のひとつだ。
本当は、潔く離れられそうだったところをあの二人に邪魔をされ、水を差されたことで離れるのが今更名残惜しくなった。
だからといっていちいち駄々を捏ねたくなかった。
笑んでごまかすしかないともとれるまた別の企みに、ひょっとしたら名無しは気付いているかもしれない……けれどトレイは構わず、名無しの瞳をじっと見つめ続けた。
ここでの場面が切り替われば、来週末までまた会えない。
その日を楽しみにするべく、別れ際、最後にお互いが欲しいと思っていた言葉を先に紡いだのは、意外にも名無しの方だった。
「……それじゃあ……今度こそ一旦お別れだな…気を付けて帰……」
「――…帰ったら…!連絡するね……すぐに。今日はありがと、トレイ……、…すき……――」
「!ああ……じゃあな、名無し――」
離れた途端に声を聞きたくなる。
いつだって愛を囁いて欲しい。
本気で好いてしまったゆえに、芽生えた感情と欲もまたお互いさまなのだろう……。
トレイは自分も話すつもりだったことを名無しにそのまま先んじて言われ、自分と彼女は同じ気持ちなのだと痛感し、今度こそ真に他意なく笑ってみせた。
手を振って遠くなってゆく、見送る背中にも嫌な色は窺えない。
改めて安堵して自然と漏れた息遣いはため息そのものではあるけれど、決して後ろ向きな呼吸ではなかった。
また早く会いたい。
抱きたい。
目いっぱい幸せで満たしてやりたい。
尽くしたい想いで溢れたトレイの胸中は、今は窮屈なそれでなく、名無しのことを考えるのに夢中だった。
そしてのちのち鳴り響くであろうスマホを見つめながら、彼は自室へと戻った――。