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私を好きだと言ってくれた人は、ミントの香りがする人だった。今日は世間的には華の金曜日。只今の時刻、深夜0時。住宅街の中心に位置する公園に私達はいつも通りに集った。もう社会人生活も何年目かになるというのに、ブランコに腰を下ろしてユラユラとその波に身を任せているいい歳したアラサーの私達は、きっとハタから見れば不審人物にでも見られるんだろう。
「まあ、今回も答えは解ってるけどよ。ただ言いたくなっちまっただけだし。」
「自分から防衛線張って、傷付くことから逃げたね?」
「毎回お前を困らせちまうのも悪いだろ。だから今回は自己完結型アプローチ。」
「別に今までだって悪気はないでしょ?」
「だって困ってる間は俺のこと考えてくれてるってことじゃねえか。嬉しくねえ訳ねえじゃん。」
眉を潜めて隣で笑う宍戸とはもう幼稚舎からの幼馴染だ。お互いのことはほぼ何でも知っている気でいた。でもそれはただの私の勘違いだった。最初に彼の想いに気付いてからどれ程の月日が経っただろうか。何度も何度も胸が押し潰されるような告白を受けて来たけれども、私はいつだって彼の気持ちには応える事が出来ないでいた。それなのにこの歳になっても連絡が入っては今日みたいに近場で落ち合う。それが「ただの幼馴染」の関係だった頃からの当たり前の習慣だったから。その辺り私は彼にとっては狡い女なんだろう。
「華金に何してるんだろうなー俺たち。酒も飲まずに。」
「宍戸くん。深夜に呼び出しておいてそれは無いよ。こちとら風呂上がりのすっぴんだよ。告白された身分のくせに色気の欠片も無いよ。」
「すっぴんを抵抗無く見せられる相手なんて貴重じゃね?」
「うーん、それは確かにそう。」
スーツを着た宍戸の指が堅苦しいネクタイを捉えてゆるゆると緩める。前に話を聞いた限りじゃ今日の宍戸は会社の同僚との飲み会の予定だった筈。ただただ私に気持ちを伝えたいが為に大切な予定を断ったのだろうか。…飲み会自体が無くなった可能性もあるけれど。宍戸は清々しい表情でもう片方の手に持っていた珈琲の缶を飲み干し、はあっと白い息を吐いた。瞼を閉じればすぐに浮かんでくる、大切な彼の右薬指にはまっていた指輪と、私の左薬指に今もはまっている指輪を、その意味をその重みをやはり比べてしまうのだ。
「勿論まだ、引きずってるよな。」
「うん…ごめん。」
「慈雨が謝る事じゃねえよ。お前にとっての大切な思い出、忘れる必要もねえし。そういう一途な所にも惚れたっつーか。」
「宍戸さ、告白してきてからこの近年グイグイ来るようになったよね。」
「だってもう好きだって気持ち隠す必要ねえし。」
ははっと、宍戸はまた隣で笑うのだ。二十歳の誕生日に景吾に貰ったこの薬指の指輪を、私はまだ外す事が出来ないでいる。外してしまえばあの人生で一番幸せだった数年間の出来事が、色褪せたただの記憶になってしまうと思うから。私が景吾に笑いかければ、彼は唇を吊り上げて上から目線でフッと笑う。そんな他愛もない一連の動作が堪らなく好きだった。私は彼との過去に執着して、この重い足、たった一歩を踏み出す事がもう何年も出来ずにいる。
擦れ違い始めたのは社会人になってからで、お互い多忙な毎日に追われるようになった私達は、二人の時間を取る事が出来ずに、気が付いた時にはもう遠すぎて修復が不可能になっていた。将来多くの人々の人生を背負うことになる彼のパートナーが、果たして私なんかで良いのかと、尻込みしてしまったことも大きな要因だった。「あの跡部が選んだ女なんだから自信持てよ」とあの時の宍戸は言ってくれたけど、私を取り巻く環境は目まぐるしく変わっていき、「大人」の仲間入りをしてからは学生同士の平和で楽しい交際関係のままではいられなくなってしまった。表面上煌びやかな社交界を自分一人の力で練り歩く彼は、ただの一般OLの私にとってはもう既に遥か遠い存在になってしまった。
宍戸が気持ちを打ち明けてくれたのは、私が景吾と別れた直後だった。私が景吾と付き合い始めてから自分の気持ちに気づいたらしい。幼馴染に恋をするだなんて漫画やドラマのようなお話、更に弱っている女に甘い言葉をかけるなんて心底狡いと思う。……狡いのはお互い様だけど。宍戸の気持ちを解っていながらもうまくかわし続け、新しい恋をしようと過去を知らない男性と知り合っても、いっこうに深い関係まで発展しない辺り、やはり心の何処かで景吾と比べているのだろう。
「ま、俺はいつまでも待ち続けるからよ。何があっても。」
「いつまでもメソメソしてる私なんて諦めて、そろそろ他に結婚考えられる女の子探したら?」
「何人か付き合ったけど、改めて慈雨以外考えられねえんだよな。」
「宍戸はさ、私の何処がいいわけ?」
「全部じゃね?」
「まーた曖昧な事言う。」
「俺に幸せを運ぶ青い鳥はずっと近くにいるんだよ。」
「その鳥が私にとっても青く見えるかはわからないですけどねー。」
「お前の目も青く染めてやろーか?」
「切原くんに怒られるよそれ」
はははと笑い合いながら、珈琲を私もちびちびと啜る。今日落ち合った時に宍戸に貰った熱い熱いそれは、既にすっかり冷え切っていた。極度の猫舌のあたしに、景吾が自分の吐息でホットチョコレートを冷ましてくれた事を思い出した。そのせいで目頭が熱くなってきた私をよそに、宍戸は「魅力的な所がありすぎて全部言い切れねえや」と愛しそうに笑う。
そんな顔して笑わないで。
そんな目で私を見ないで。
胸が、胸が窮屈で狂おしくなる。
いつまで経っても私は宍戸の気持ちに応える事が出来ないのに。それでも彼をそうさせる要因を私なんかが本当に持っているのだろうか。「私なんか。」また景吾に指摘された悪い癖が出た。頭ではわかっている。お互いにとっての一番の理解者である宍戸と一緒になれば、私達はきっと幸せに毎日を暮らしていける。彼はただただ、傷付いた私の心をいつだって気遣って、私を救おうとしてくれている。そんなことは充分に理解しているし、感謝もしている。恋に焦がされて左薬指にはまり込んで離れないこの指輪を、いつか彼はその愛情をもって優しく外してくれるのだろうか。
二人して空き缶を公園に備え付けのゴミ箱に放り投げた。それはテニスボール一つ分届かずに弾き出され、その瞬間冷たい風が吹く。残った珈琲がちょろりと空き缶から零れ出したままそれらがカラカラと吹き飛ばされて。宍戸の事、この後二人分のそれを拾い上げに行くのだろう。そのいつまでも変わらない、周囲をスカッとさせるミントの香りを何処までも振りまいて。
「…………宍戸といると、安心する。」
「ん?今何か言ったか?」
「んーん。何でもなーい。」
やっと気が付いた。今日は私と景吾の記念日だった。そんな大事な、大事なことすら宍戸の優しさで上書きをされていた。心の整理がつくまで、私の大切な香りが薔薇からミントに変わるまで、あとどれ位の年月を要するかはまだまだわからない。それまで私達の一定の距離を保ったこの関係は、これからもきっと続いていく。
さよならが言えないのは貴方のせい
(瞼の裏に焼き付いた貴方と)
(優しく惑わし続ける貴方と)
*****
First Draft: 20090125
Second Draft: 20200428
「まあ、今回も答えは解ってるけどよ。ただ言いたくなっちまっただけだし。」
「自分から防衛線張って、傷付くことから逃げたね?」
「毎回お前を困らせちまうのも悪いだろ。だから今回は自己完結型アプローチ。」
「別に今までだって悪気はないでしょ?」
「だって困ってる間は俺のこと考えてくれてるってことじゃねえか。嬉しくねえ訳ねえじゃん。」
眉を潜めて隣で笑う宍戸とはもう幼稚舎からの幼馴染だ。お互いのことはほぼ何でも知っている気でいた。でもそれはただの私の勘違いだった。最初に彼の想いに気付いてからどれ程の月日が経っただろうか。何度も何度も胸が押し潰されるような告白を受けて来たけれども、私はいつだって彼の気持ちには応える事が出来ないでいた。それなのにこの歳になっても連絡が入っては今日みたいに近場で落ち合う。それが「ただの幼馴染」の関係だった頃からの当たり前の習慣だったから。その辺り私は彼にとっては狡い女なんだろう。
「華金に何してるんだろうなー俺たち。酒も飲まずに。」
「宍戸くん。深夜に呼び出しておいてそれは無いよ。こちとら風呂上がりのすっぴんだよ。告白された身分のくせに色気の欠片も無いよ。」
「すっぴんを抵抗無く見せられる相手なんて貴重じゃね?」
「うーん、それは確かにそう。」
スーツを着た宍戸の指が堅苦しいネクタイを捉えてゆるゆると緩める。前に話を聞いた限りじゃ今日の宍戸は会社の同僚との飲み会の予定だった筈。ただただ私に気持ちを伝えたいが為に大切な予定を断ったのだろうか。…飲み会自体が無くなった可能性もあるけれど。宍戸は清々しい表情でもう片方の手に持っていた珈琲の缶を飲み干し、はあっと白い息を吐いた。瞼を閉じればすぐに浮かんでくる、大切な彼の右薬指にはまっていた指輪と、私の左薬指に今もはまっている指輪を、その意味をその重みをやはり比べてしまうのだ。
「勿論まだ、引きずってるよな。」
「うん…ごめん。」
「慈雨が謝る事じゃねえよ。お前にとっての大切な思い出、忘れる必要もねえし。そういう一途な所にも惚れたっつーか。」
「宍戸さ、告白してきてからこの近年グイグイ来るようになったよね。」
「だってもう好きだって気持ち隠す必要ねえし。」
ははっと、宍戸はまた隣で笑うのだ。二十歳の誕生日に景吾に貰ったこの薬指の指輪を、私はまだ外す事が出来ないでいる。外してしまえばあの人生で一番幸せだった数年間の出来事が、色褪せたただの記憶になってしまうと思うから。私が景吾に笑いかければ、彼は唇を吊り上げて上から目線でフッと笑う。そんな他愛もない一連の動作が堪らなく好きだった。私は彼との過去に執着して、この重い足、たった一歩を踏み出す事がもう何年も出来ずにいる。
擦れ違い始めたのは社会人になってからで、お互い多忙な毎日に追われるようになった私達は、二人の時間を取る事が出来ずに、気が付いた時にはもう遠すぎて修復が不可能になっていた。将来多くの人々の人生を背負うことになる彼のパートナーが、果たして私なんかで良いのかと、尻込みしてしまったことも大きな要因だった。「あの跡部が選んだ女なんだから自信持てよ」とあの時の宍戸は言ってくれたけど、私を取り巻く環境は目まぐるしく変わっていき、「大人」の仲間入りをしてからは学生同士の平和で楽しい交際関係のままではいられなくなってしまった。表面上煌びやかな社交界を自分一人の力で練り歩く彼は、ただの一般OLの私にとってはもう既に遥か遠い存在になってしまった。
宍戸が気持ちを打ち明けてくれたのは、私が景吾と別れた直後だった。私が景吾と付き合い始めてから自分の気持ちに気づいたらしい。幼馴染に恋をするだなんて漫画やドラマのようなお話、更に弱っている女に甘い言葉をかけるなんて心底狡いと思う。……狡いのはお互い様だけど。宍戸の気持ちを解っていながらもうまくかわし続け、新しい恋をしようと過去を知らない男性と知り合っても、いっこうに深い関係まで発展しない辺り、やはり心の何処かで景吾と比べているのだろう。
「ま、俺はいつまでも待ち続けるからよ。何があっても。」
「いつまでもメソメソしてる私なんて諦めて、そろそろ他に結婚考えられる女の子探したら?」
「何人か付き合ったけど、改めて慈雨以外考えられねえんだよな。」
「宍戸はさ、私の何処がいいわけ?」
「全部じゃね?」
「まーた曖昧な事言う。」
「俺に幸せを運ぶ青い鳥はずっと近くにいるんだよ。」
「その鳥が私にとっても青く見えるかはわからないですけどねー。」
「お前の目も青く染めてやろーか?」
「切原くんに怒られるよそれ」
はははと笑い合いながら、珈琲を私もちびちびと啜る。今日落ち合った時に宍戸に貰った熱い熱いそれは、既にすっかり冷え切っていた。極度の猫舌のあたしに、景吾が自分の吐息でホットチョコレートを冷ましてくれた事を思い出した。そのせいで目頭が熱くなってきた私をよそに、宍戸は「魅力的な所がありすぎて全部言い切れねえや」と愛しそうに笑う。
そんな顔して笑わないで。
そんな目で私を見ないで。
胸が、胸が窮屈で狂おしくなる。
いつまで経っても私は宍戸の気持ちに応える事が出来ないのに。それでも彼をそうさせる要因を私なんかが本当に持っているのだろうか。「私なんか。」また景吾に指摘された悪い癖が出た。頭ではわかっている。お互いにとっての一番の理解者である宍戸と一緒になれば、私達はきっと幸せに毎日を暮らしていける。彼はただただ、傷付いた私の心をいつだって気遣って、私を救おうとしてくれている。そんなことは充分に理解しているし、感謝もしている。恋に焦がされて左薬指にはまり込んで離れないこの指輪を、いつか彼はその愛情をもって優しく外してくれるのだろうか。
二人して空き缶を公園に備え付けのゴミ箱に放り投げた。それはテニスボール一つ分届かずに弾き出され、その瞬間冷たい風が吹く。残った珈琲がちょろりと空き缶から零れ出したままそれらがカラカラと吹き飛ばされて。宍戸の事、この後二人分のそれを拾い上げに行くのだろう。そのいつまでも変わらない、周囲をスカッとさせるミントの香りを何処までも振りまいて。
「…………宍戸といると、安心する。」
「ん?今何か言ったか?」
「んーん。何でもなーい。」
やっと気が付いた。今日は私と景吾の記念日だった。そんな大事な、大事なことすら宍戸の優しさで上書きをされていた。心の整理がつくまで、私の大切な香りが薔薇からミントに変わるまで、あとどれ位の年月を要するかはまだまだわからない。それまで私達の一定の距離を保ったこの関係は、これからもきっと続いていく。
さよならが言えないのは貴方のせい
(瞼の裏に焼き付いた貴方と)
(優しく惑わし続ける貴方と)
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First Draft: 20090125
Second Draft: 20200428
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