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「水野、髪切ってくれんかの。」
息を切らして人の家のドアを勝手に開けた仁王は、その左手に何故か裁縫用のハサミだけを持ち込んで家に上がり込んできた。降りしきる雨の中、彼は傘も差さずにここまで走ってきたというのか。今から切られようとしているその銀色の髪の毛はいつかの輝きを失い、雨でぐっしょりと濡れていた。
仁王には可愛い可愛い彼女がいる。それも私の大親友で、ふわふわの栗色の髪の毛に桜色の唇、小柄な体に白い肌、すれ違えば誰もが振り返ってしまうような女の子だった。彼女が仁王のことを好きだと知った時には胸がちくりと痛んだし、仁王が彼女のことを好きだと知った時には心臓をこれでもかと握り潰された。つまり私は二人の架け橋役、それ以外の何にでもなかったのに。ただただ仁王にも彼女にも嫌われたくなくて、どちらを失う事も私には怖かった。ずっとずっと、頼りにされていたかっただけだった。二人の前ではニコニコ笑って、結ばれた時は嬉しいとさえ思った。
「水野…はよしんしゃい。」
リビングのソファに深々と座る仁王は、後ろも振り返らずに俯いて目を瞑る。左手でその裁ちバサミを私に差し出して、口を真一文字に結んで微動だにしない。いつもと変わり果てた仁王の後ろ姿に体が強張り機能しなくなってしまった。濡れた髪の毛から雫が絶え間なく滴り落ち、ただただぼんやりと座り込む仁王には既に生気が無くなっていた。私を急かす仁王の声に我に返って、震えた手でハサミを受け取った。
「良いの?自慢…ではなかったけど、伸ばし続けてきた髪だったのに……」
「全然よか。バッサリしたいんじゃ、今すぐ。水野に切って貰ったらスッキリする気がするぜよ。」
ほら、前水野が失恋したとか言って髪の毛バッサリ切ってきた時あったじゃろ?俺もその気分味わってみようと思ったじゃき、それで……
いったい何が、徐々に小さくなる彼の声、震え出す声に耐えきれずに思わずそう聞こうとして口を噤んだ。整いすぎた白い顔を映す鏡の中の彼は、未だに目を瞑り続けていたのだから。そこまでして現実から逃げ出したい理由を、そこまでして何かを変えようとする理由を、きっと今の彼は言うことが出来ないんだと思う。私が数年前、二人が付き合いだしたのを聞いて伸ばし続けた髪を潔く切った時と同じように。
濡れた髪に震えた手でそっと触れれば、仁王の体は一瞬だけビクついた。ああ、駄目だ。もうこれ以上見ていられない、こんな魂の抜けたただの器ような彼が痛々しすぎて、私は触れることすら拒んでしまった。仁王の艶やかな長めの銀色の髪の毛が、私は大好きだったのに。心変わりをしてくれはしないかとあれこれ模索したけど、その全ては彼の強い意志によって無駄に終わった。少しで良い、彼の心を楽にしてあげたかった。だから私は、小さく笑ったのだ。
「じゃあさ、柳生くんみたいな髪型にしてみる?」
「ククク…それもええかもしれんのう。一発で、バッサリ、と。」
少しだけ斜めにつり上がった薄い唇に、私はそっと胸を撫で下ろす。ああ、私の好きないつもの仁王だ。いつの間にか手の震えは止まっていた。未だ水滴を垂らし続ける湿った銀色の髪の毛を一つに纏めて、それを挟んだ大きなハサミに強い力を加えた。彼の注文通り、一発で、バッサリ、と。その瞬間まで仁王の一部だったそれが床に落ちるのを、私は永遠のように感じていた。
「似合ってるよ、意外と。」
寂しかった、目の前に知らない人がいるようで。悔しかった、彼が打ち萎れる理由を聞けなくて。だからそれだけの言葉を言うのに時間が掛かってしまった。おまんがおって良かった…そう鏡越しの私に呟く彼を、心から愛しいと思った、狂おしいと思った。だけど私の力じゃ、あなたを楽にすることはきっと出来ない。
「水野…ちょっとだけ独りにしてくれんか?」
「…ったく、ここ誰の家だと思ってんのよ。」
フッと鼻で苦笑すれば、彼も鏡越しに小さく笑った。私は彼に背を向けて、別室に続くドアをそっと開く。一度躊躇って後ろを振り向けば、仁王の頭はがっくりと落ちていた。静かに啜り泣く声に心臓が苦しくなった。私を見てくれはしない彼を残してそっと消えよう。
空気のように
(それが今の彼の為に出来る唯一の事だった)
*****
First draft: 20090211
Second draft: 20200205
息を切らして人の家のドアを勝手に開けた仁王は、その左手に何故か裁縫用のハサミだけを持ち込んで家に上がり込んできた。降りしきる雨の中、彼は傘も差さずにここまで走ってきたというのか。今から切られようとしているその銀色の髪の毛はいつかの輝きを失い、雨でぐっしょりと濡れていた。
仁王には可愛い可愛い彼女がいる。それも私の大親友で、ふわふわの栗色の髪の毛に桜色の唇、小柄な体に白い肌、すれ違えば誰もが振り返ってしまうような女の子だった。彼女が仁王のことを好きだと知った時には胸がちくりと痛んだし、仁王が彼女のことを好きだと知った時には心臓をこれでもかと握り潰された。つまり私は二人の架け橋役、それ以外の何にでもなかったのに。ただただ仁王にも彼女にも嫌われたくなくて、どちらを失う事も私には怖かった。ずっとずっと、頼りにされていたかっただけだった。二人の前ではニコニコ笑って、結ばれた時は嬉しいとさえ思った。
「水野…はよしんしゃい。」
リビングのソファに深々と座る仁王は、後ろも振り返らずに俯いて目を瞑る。左手でその裁ちバサミを私に差し出して、口を真一文字に結んで微動だにしない。いつもと変わり果てた仁王の後ろ姿に体が強張り機能しなくなってしまった。濡れた髪の毛から雫が絶え間なく滴り落ち、ただただぼんやりと座り込む仁王には既に生気が無くなっていた。私を急かす仁王の声に我に返って、震えた手でハサミを受け取った。
「良いの?自慢…ではなかったけど、伸ばし続けてきた髪だったのに……」
「全然よか。バッサリしたいんじゃ、今すぐ。水野に切って貰ったらスッキリする気がするぜよ。」
ほら、前水野が失恋したとか言って髪の毛バッサリ切ってきた時あったじゃろ?俺もその気分味わってみようと思ったじゃき、それで……
いったい何が、徐々に小さくなる彼の声、震え出す声に耐えきれずに思わずそう聞こうとして口を噤んだ。整いすぎた白い顔を映す鏡の中の彼は、未だに目を瞑り続けていたのだから。そこまでして現実から逃げ出したい理由を、そこまでして何かを変えようとする理由を、きっと今の彼は言うことが出来ないんだと思う。私が数年前、二人が付き合いだしたのを聞いて伸ばし続けた髪を潔く切った時と同じように。
濡れた髪に震えた手でそっと触れれば、仁王の体は一瞬だけビクついた。ああ、駄目だ。もうこれ以上見ていられない、こんな魂の抜けたただの器ような彼が痛々しすぎて、私は触れることすら拒んでしまった。仁王の艶やかな長めの銀色の髪の毛が、私は大好きだったのに。心変わりをしてくれはしないかとあれこれ模索したけど、その全ては彼の強い意志によって無駄に終わった。少しで良い、彼の心を楽にしてあげたかった。だから私は、小さく笑ったのだ。
「じゃあさ、柳生くんみたいな髪型にしてみる?」
「ククク…それもええかもしれんのう。一発で、バッサリ、と。」
少しだけ斜めにつり上がった薄い唇に、私はそっと胸を撫で下ろす。ああ、私の好きないつもの仁王だ。いつの間にか手の震えは止まっていた。未だ水滴を垂らし続ける湿った銀色の髪の毛を一つに纏めて、それを挟んだ大きなハサミに強い力を加えた。彼の注文通り、一発で、バッサリ、と。その瞬間まで仁王の一部だったそれが床に落ちるのを、私は永遠のように感じていた。
「似合ってるよ、意外と。」
寂しかった、目の前に知らない人がいるようで。悔しかった、彼が打ち萎れる理由を聞けなくて。だからそれだけの言葉を言うのに時間が掛かってしまった。おまんがおって良かった…そう鏡越しの私に呟く彼を、心から愛しいと思った、狂おしいと思った。だけど私の力じゃ、あなたを楽にすることはきっと出来ない。
「水野…ちょっとだけ独りにしてくれんか?」
「…ったく、ここ誰の家だと思ってんのよ。」
フッと鼻で苦笑すれば、彼も鏡越しに小さく笑った。私は彼に背を向けて、別室に続くドアをそっと開く。一度躊躇って後ろを振り向けば、仁王の頭はがっくりと落ちていた。静かに啜り泣く声に心臓が苦しくなった。私を見てくれはしない彼を残してそっと消えよう。
空気のように
(それが今の彼の為に出来る唯一の事だった)
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First draft: 20090211
Second draft: 20200205
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