ルシサン短編まとめ

 眼の前には小さな鉢植えがあった。以前最古の珈琲農園から分けて貰った「始源の珈琲」、その種子を少しだけ使わず手元に残し植えたものだ。
 騎空艇内で宛てがわれた私室の窓辺にそれを置き、芽生えるその日を待っていた。いつかそれが実を結んだら、またあの日のように。
 そんなささやかな願いを裏切るように、珈琲の種子は発芽する兆しを見せない。植え付けた時と同じく、平らに均した土がただそこにあるだけだった。どうにも現実は上手く行かないものらしい。
 そろそろ未練たらしく水をやるのをやめるべきかと、サンダルフォンは小さくため息を吐いた。


「サンダルフォンさん!」
 食堂へと向かっていたその腕を、息を弾ませながら駆けて来たルリアが引いた。
「ちょっと来て下さい!」
 有無を言わさず甲板へと連れ出され、強大な気配に遥か上空を見上げる。そこには六翼に包まれた影があった。大きな羽音を立て広がるそれから現れた姿に、ひと時呼吸を忘れる。
「サンダルフォンさんがグランサイファーに来てすぐくらいに、グランに良い召喚石が入ったってシェロさんから連絡があったんです。それが昨日やっと手に入って、一番に見せなきゃって」
 艇の上を見下ろす、慈愛に満ちた眼差し。それは幾夜焦がれたあの人の姿そのものだった。
「これはきっと運命だって、グランが」
「悪いが蒼の少女」
 遮るように言うと、ビクリと細い肩が揺れた。
「アレはあの御方の力を一時的に映し出した物に過ぎない。それは死者の想いであろうとも石の中に閉じ込める……そのことは君も覚えがあるだろう」
 その言葉についロミオとジュリエットの従兄弟たちを思い浮かべ、ルリアはギュッと胸元の石を握り込む。
 話をする間もサンダルフォンはそこから目を逸らせずにいた。まるでこちらを見下ろしているように見えるが、ただルリアからの指示を待っているのだろう。暫し空を漂っていたが、やがて光の粒となって消えてしまった。
「ごめんなさい……私、サンダルフォンさんにただ喜んで欲しくて」
「いや、嬉しかったよ、ありがとう」
 俯くことで見えたつむじにポンと手を置き、サンダルフォンは当初の目的だった食堂へと足を向ける。
「おいおいアイツ、折角のルリアの気持ちをよぉ」
 物陰から心配そうに見守っていたらしいビィがそろりと顔を出した。彼が歩いて行った方向を、ルリアは閉じ忘れたかのようにポカンと口を開けたまま見ている。
「でもサンダルフォンさん、ありがとうって言ってました」
「確かに、アイツにしちゃ素直な態度だったな」
 小さく笑い合っていると、艇内から二人を呼ぶ声と美味しそうな匂いが漂う。昼時だったことを思い出し、今日のメニューを口々に予想し合いながらルリアたちも後を追った。


 連日の戦いに身を投じ、サンダルフォンは足元をフラつかせながら自室へと戻った。ベッドへと倒れ込み、ふと見た窓際の鉢植えは、相変わらず何の兆しも見せない。諦めるべきだと何度も思うのに、いまだ水をやり続けている。
 コンコンと扉を叩く音が聞こえ、どうぞと声を掛ければ隙間からルリアが顔を見せた。
「あの、少しいいでしょうか」
 遠慮がちに入って来た少女は、身を起こそうとするサンダルフォンを制すと両の拳を握り締める。
「サンダルフォンさんはどうしてあんな戦い方をするんですか! もっと自分を大切にして下さい。でないと……」
 先の戦いの光景を思い出したのだろう、己の肩を抱き、身を震わせる。
 己の肉を斬らせ、その報復とばかりに相手の骨を断ち、瀕死になっても引き下がることなく幽鬼のように立ち続ける。サンダルフォンの戦い方はいつも血に塗れていた。
「君が思っているよりも、この体は頑丈に出来ている。心配には及ばない」
「でも、そうだとしても、無理し続けていたらきっと体だけじゃない、心も疲れちゃうんです。だから」
 ベッドの側で膝を突いたルリアは、何かをサンダルフォンの手に握らせた。
「ルシフェルさんの石をサンダルフォンさんに預けます。この石にはルシフェルさんの加護が宿っているんですよ。きっと怪我の治りも良くなります!」
「な、これは君達にこそ必要なものだろう」
「必要な時は取りに来ますね!」
 逃げるように出て行ってしまったので、仕方なく手の中に残された淡く輝く石を見る。こうして触れているだけでも彼の力を感じ安心感を覚え、その日は握り締めたまま眠ってしまった。

 ふと目を覚ますと、部屋の中が妙に明るい。もう朝かと窓を見れば、まだ夜明け前らしく薄明るい空が見えた。ではこの光源は何かと部屋を見回せば、天井付近、窮屈そうに広がる六翼に目を疑う。ただでさえ狭い船室ゆえに大した距離もなく、フワリとそれは目の前へと降りて来た。
「ル、ルシフェル、さま」
 それは先日見せられた召喚石へと封じられた彼の人の力の残滓と確かに同じだ。しかし喚び出したわけでもないのにこうして顕現している。
 間近に迫ったルシフェルの顔に戸惑っていると、額に何かが押し当てられた。
『君に祝福を』
 右の頬に、左の頬に、小さく音を立て順にそれが触れていく。
『君の行く道に光があらんことを』
 その言葉と共に触れた場所を最後に、彼の姿は掻き消えてしまった。
 暫し呆然と彼がいた場所を見つめた後、やわらかな感触が確かに残るそこへと指で触れる。何が起こったのかを飲み込もうとするも、頭の中は真っ白になっていた。
「あ」
 ふと目をやった窓辺の鉢植から、緑の双葉が土を押し上げ芽を出しているのが見える。
 これが芽を出し、花をつけ、実を結ぶ頃には彼とまた。その願いを密やかに込めて世話をしていたのが、知られてしまったような気がした。

おわり
4/9ページ
スキ