ルシサン短編まとめ

「ここが今日から貴方の部屋です」
 グランサイファーの中でも機関部に近いこの部屋は、構造上隣に部屋を作れない部分が広めに取られていたり、吹き抜けになっている。多少騒音は激しいが、他と比べると広めの造りだ。有翼であり、背丈もあるルシフェル向けだろうと特異点が用意してくれたのである。
「ベッドが二つある」
「ここでの生活に慣れるまで、暫くは俺との二人部屋だ。嫌なら元の部屋がまだ空いてるので……」
「いや」
 高い場所にある方の窓から差し込む光に照らされながら、その人は輝くような笑みを浮かべた。
「嬉しいよ、サンダルフォン」


 再びこの世界に顕現を果たしたルシフェルは、自らの役割を空へと還すと騎空士としてグランサイファーへと身を身を寄せることとなった。騎空士としての生活はサンダルフォンの方が先輩だからと、騎空艇での生活に馴染むまでその面倒を任されたのである。
 ここまでは順調に思えた。しかしルシフェルは空の進化を司るというほぼ神に近しい立ち位置で今まで過ごしていた為、突然人のように過ごすとなると上手く行かない様子であった。
 まず、どう過ごしていいのかわからないのだ。騎空士としての依頼や頼まれごとならばスムーズにこなせるが、自分のこととなるとまるで何も浮かばないらしい。それは仕事一筋に生きた人間が、引退後の明確な予定もなくそれを失った様にも似ていた。
 休暇を与えられても何をするということもなく、他の団員の様子を眺めていたり、サンダルフォンの後をついて回る。それがどうにも彼には耐えられないようだった。
「アンタのやりたいことはないのか!」
 団員に頼まれ珈琲を淹れるサンダルフォンの真後ろからその様子をただじっと見つめられ、買い出しを頼まれれば黙って横に並んで歩く。中庭にいた頃の自分を振り返ると巣で待つ雛鳥か何かであったと今ならば笑い飛ばせるが、これでは立場が逆転している。
「やりたいこと……」
 長い銀の睫毛を伏せ、儚ささえ漂わせながらルシフェルが腕を組む。
「君と珈琲を飲みたい」
「それならば毎朝に加えて午後三時の珈琲タイムも設けているだろう! アンタは昔からそうだ、もう天司長でも何でもないのだから、もっと自分の望みを出していくべきだ」
 カナンで聞いた、ささやか過ぎるほどの最期の願いには出来る限り応えようと努力している。しかしルシフェルはそれ以外のことは特に考えていなかったらしく、こうして何度か問い詰めていた。無理に考えさせたいわけではないが、少しは我を出すことを覚えてもらわなければ刷り込みされた雛のようにただ後ろをついて回る日々をこれからも過ごすことになる。
「具体的な事柄から始めよう。ここに借りて来た黒板がある。これを俺達の部屋の一番目につく場所に掲示する。ここに必ず三つはやりたいことを書き込み、出来たら消して新しく書き込む。内容はそんな大袈裟なことでなくていい。小さなことからやってみよう」
 さぁ、と手にしたチョークをルシフェルに手渡すと、彼は少しだけ考えたあと黒い板面に文字を書き入れた。
・サンダルフォンと目的もなく街を歩きたい
・サンダルフォンに何か買ってあげたい
・次の依頼はサンダルフォンと出たい
 書き上げた文字を眺め、満足そうにルシフェルが頷く。書かれた内容を吟味しながら、あるじゃないかとサンダルフォンは思った。
「上二つは街に出れば一度にこなせそうだ。幸いこの街を発つまでにまだ日がある。行くぞ」


 買い物を最初の目的とすると「目的もなく」歩くことにはならないので、まずは何も定めることなく街へと向かう。よろず屋からの依頼で荷の運搬先として訪れたこの島は、商業都市としてそれなりに発展していた。様々な島から流通する商品を扱う市が軒を並べていて、まるで毎日がお祭り騒ぎだ。
「市場通りをとりあえず端まで歩くか」
 人通りが多い辺りに差し掛かる前に、そうして軽く確認を取る。すると、ルシフェルが片手を差し出して来た。
「はぐれてはいけない、手を」
 目立つ容姿を覆い隠すためのゆったりした布の下から、掌がクイクイと誘う。確かに、比較的背の高いルシフェルと言えど、ドラフたちよりは頭一つ分ほど下がるので遠目に見つけやすいとは言えない。物珍しさでフラフラとどこかへ行ってしまう可能性もあると、無事彼の目的を果たさせる使命感に強くその手を取った。
「私は以前ここへと来たことがある。人が集まり活気はあるが、それ故治安はあまり良くない」
 君が心配だから、そう呟いてしっかりと握り直される。何故か、自分が彼を庇護しているつもりでいたのだと、その大きさの違いを実感しながら思わず俯いてしまった。
 そうだ、彼は世界を見守っていた。自由を知ってまだ五年にも満たない自分よりこの空の世界については詳しい筈なのだ。
「しかしこうして空の民に紛れるのはここでは初めてだ。お互い気をつけよう」
 まるでこちらの心を察したように、ルシフェルは立つ位置を真横へと変える。人混みを抜けながら、手から伝わるその温もりに、確かに彼がここにいるのだと感じた。


 ゆっくりと店の軒先を覗きながら市場通りを歩き、やがて終点へと差し掛かり二人は足を止める。振り返ったルシフェルは市場通りの中程を指差した。
「途中にあった菓子店へと入りたい。いいだろうか」
 歩きながら気になる店を見つけたのだろう、サンダルフォンの手を引きそこへと導く。連れて行かれたのは露店ではなく、その奥にあった古そうな佇まいの小さな店であった。焼き菓子を売りにしているらしく、甘い香りが漏れ出ている。鈴の音と共に店内へと入れば、戸棚には贈答用に飾り付けられた色とりどりの菓子籠が並んでいた。
「最初は身に着けるものは重いので、失せ物が良いと聞いた」
 そんなことを言いながら試食用に置かれた木の実入りのクッキーを摘み取り、頬張る。
 二つ目の目的に差し掛かっているだろう予感に、身に着けているものなど生まれた時から全てルシフェルに与えられた物だから今更ではないかと首を捻った。
「うん」
 何やら頷きながらもう一つ手に取り、こちらの口元へと運んだ。素直に口にすると、甘いクッキー生地が口の中でホロリと崩れ、木の実の香ばしさと歯ごたえが良いアクセントになっている。
「どうだろうか」
「美味しいです」
「珈琲にも合いそうだね」
 赤いリボンの巻かれた可愛らしい籠を一つ取り、ルシフェルはカウンターへと乗せた。
 人混みを抜けてもルシフェルは繋いだ手を離すことはなく、グランサイファーが見えて来た辺りでやっと解いた。
「さぁ、どうぞ」
 もう片方の手に提げていたそれを両手で捧げ持ち、恭しい手付きでこちらへ渡す。思わず周囲を確認してから、サンダルフォンは体が熱を上げるのを感じながらそれを受け取った。


 それからは少しずつではあるが順調に、ルシフェルはそのささやかな望みを一つ一つ叶えていった。
 艇での生活に足りないもの、昼食に食べたい物、今知りたいこと、そんな願いが黒板に書かれては一つ二つと消えて行き、また書き足される。やがてサンダルフォンがせっつかずともそれは日々行われ、自分を伴わずとも行動に移すようになった。
 一人部屋へと戻りながらサンダルフォンは小さく、長く息を吐く。彼の為にと始めたが、これを通じて様々な事を知る事が出来た。
 彼は肉より魚を好むことや、団員たちの冒険譚を聞きたがること、近頃は人と人との親密な関係に興味があること。今日は何が書かれているだろうかと、それが自分の密かな楽しみとなりつつあること。
 扉を開き、壁際の黒板を見上げる。そこには、今は一つだけ何かが書かれていた。

・サンダルフォンといつまでも共にありたい

 どういうことだと考えるより先に、肩から腕が回り己を包んだ。振り返ろうとするも抱き込まれ、ぴったりと身を寄せられる。
「見てくれただろうか。その願いは君にしか叶えられない」
 耳元に落とされた聞いたことのない声音に、彼の望みの強さを知った。


おわり
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