ルシサン短編まとめ

 中庭に置かれたテーブルセットから眺める景色が、近頃のルシフェルの気に入りだった。昔はそうでもなかったが、今はそこに彼がいる。それだけでこんなにも印象が違うのだと、珈琲を片手にしみじみ思う。
 その視線の先に立つのは、一月ほど前から雇い始めた使用人だ。男兄弟の二人暮しでは何かと不便だったので、彼には屋敷の清掃を主に頼んでいる。今も高圧洗浄機を片手に石造りの外壁を睨んでいた。
「頑固な汚れの終焉だ!」
 勢い良く噴出した水流が、壁の凹凸にこびりついた黒い汚れを洗い落としていく。その様が爽快であるらしく、彼、サンダルフォンは高笑いを響かせていた。
「今日も楽しそうで何よりだ」
 微笑ましく思いながら珈琲を一口飲もうとカップを傾けると、高笑いがいつの間にか切羽詰まった悲鳴へと変わる。
「どうしたサンダル……」
「水の勢いが強すぎて……っ! せ、制御出来ません!!」
 蛇のように踊る噴射口を止めようとするが上手く行かないのか、あちらこちらに水飛沫が飛ぶ。やがてそれはルシフェルの方へと向いた。
「ルシフェル様危ない!」
 咄嗟に上へと向けた為か直撃こそ免れたものの、辺りには虹がかかる程の水量が撒き散らされた。それはサンダルフォンだけではなく、日除けのないテーブルセットに腰掛けていたルシフェルの上にも降り注ぐ。
「大事ないだろうか」
 高圧洗浄機のスイッチを止めた手でずぶ濡れの前髪を掻き上げながら、ルシフェルは同じく濡れ鼠と化したサンダルフォンの顔を覗き込んだ。
「ヒエッ! ……お、俺は平気です。しかしルシフェル様が……その」
 ほのかに頬を朱に染めながら、サンダルフォンは視線をゆるゆるとそらしていく。
 ルシフェルの彫刻のように整った肉体の線が、シャツが張り付くことによってあらわになっていたのだ。
「それを言うならば、君も」
 言ってルシフェルもつい吸い寄せられていた視線を斜め上方に逃した。サンダルフォンが着ていた白いシャツが濡れ、その下の肌や薄桃色を透かしてしまっていたのである。
「俺は男なので問題ありません!!」
「それはお互い様というやつだね」
 思わず笑い合っていると、ふと顔を上げたサンダルフォンは慌ててタオルを取りに走って行ってしまった。
 彼を雇ってからというもの、こんな風にちょっとしたハプニングばかりの日々を送っている。それはルシフェルの変化のない日常を、楽しい日々へと変えてくれた。
 例えば廊下の拭き掃除をしている所に出会せばこちらに気づかないまま突進して股間にダイブされた挙げ句大股開きで転がり、高い棚の上の埃を叩いている後ろを通れば尻から落ちて来て何故か顔の上へと着地する。
 その思っていたよりも柔らかな感触を思い出してしまい、ルシフェルは胸に込み上げる何かを振り払うようにサンダルフォンの後を追った。


 着替えを終えたルシフェルが廊下に出ると、中庭を見下ろすように窓辺に兄のルシファーが佇んでいた。
「丁度良かった。兄よ、サンダルフォンの給与のことで相談が」
「あのメイド、全く何の役にも立っていないのではないか? 多めの金を握らせて辞めさせてしまえ」
「彼はメイドではない。現にメイド服を着ていない。ごく普通のエプロンだ」
「基準はそこか。中庭でああしてお前と乳繰り合うぐらいしか出来ないんだ、大した違いはないだろう。いっそメイド服でも着せて愛玩用として雇えばどうだ。そうすれば少なくとも無害だ」
「サンダルフォンが……メイド服……」
 顎に手を当て、絵になる仕草でルシフェルは思いを馳せた。今のシンプルな服装にエプロンも初々しくてとても愛らしいと思っていた。だがメイド服を着ても彼の愛らしさは損なわれるどころか増してしまうのではないか? いやしかし機能性はどうだろうか。
「冗談だ、真剣に悩むのをやめろ」
 二人の耳に、どこからかドゥルンドゥルンとエンジン音が響く。素早く音の発生源へと顔を向けたルシフェルは、窓から中庭を覗き込んだ。
 夏を過ぎて生えっぱなしであった植木を前に、サンダルフォンが大きなチェーンソーを斜めに構え、どう切ってやろうかとばかりに睨んでいる。この屋敷に専属の庭師はおらず、気になったら外注していた。ゆえに彼は以前から植木の剪定ぐらいなら自分がすると言っていたのである。
「何故あんなものがここに」
「ああ、あれは俺の脱インドア計画の第一歩として冬に向けた暖炉用の薪割りをだな……」
「それならば普通にナタで割った方が筋力もつくのでは」
 二人はそのまま談笑を継続しようとしたが、チェーンソーを持っていた人物に不安を覚え揃って階段へと疾走する。
「サンダルフォン!」
 チュインチュインと甲高い音を立て、チェーンソーを危なっかしくも楽しそうに振り回す彼を止めるべくルシフェルは声を上げた。それに驚いたのかビクリと肩が揺れ、その弾みで手元が滑るのが見えた。
「くっ……! 意外と扱いづらい!」
 唸る機械に振り回されるように、ふらふらと植え込みの中へと倒れ込む。地面に放り出されたチェーンソーをルシファーが止め、ルシフェルは植え込みを掻き分け彼を抱き上げる。
「大事ないだろうか」
「は、はい……多分」
 見事に胸の上を一文字に服だけを切り裂き、ズボンに至っては生地が薄かった為か股間に布一切れを残した状態で、枝葉が千切れたそれらを引き剥いでしまっていた。ほぼ丸出しの下半身を庇うように手を置き、サンダルフォンはまたドジをしてしまったとばかりに項垂れる。
「一体このメイドはどうなっているんだ。何をどうすればこんなことになる」
 その肩に脱いだ上着を掛けてやっていると、ルシファーが心底不思議そうに腕を組んだ。
「彼の技術自体に問題はない。私達が不在の時は普通に仕事をしてくれている。そして彼はメイドではない」
「他人が関わるとこうなるというわけか。コイツを中心に因果が収束して運命力が……」
 ルシファーの探究心を刺激してしまったらしく、何やらブツブツとやり始めた。
「お部屋の消臭力なら中身がなくなっていたので替えました」
「流石サンダルフォン、よく気が利くね」
 よしよしと撫でてやりながら、ルシフェルは彼がより安全に仕事が出来るようこの前テレビショッピングで見た高枝切りチェーンソーの導入を考えるのであった。
 ルシフェルは知らない。サンダルフォンが巻き起こす騒動の起因は、ほぼ己にあるということを……。


おわり
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