The Ugly Duckling
頼まれていた数冊の本を抱え、ルシフェルは研究所の中庭に当たる区画へと入った。無機質で色のない景色が、門を潜った瞬間鮮やかに開ける。
花と緑に彩られたここは、研究用の植物の生育場所を兼ねている。中庭の片隅、種子から育てた苗を並べた棚の前に座り込む影を見つけ、ルシフェルは無意識に足を早めた。
そこには、頭の天辺に小鳥を遊ばせ、癖のある髪を啄まれている一人の天司がいた。彼はルシフェルの足音に気付くと、パッと笑顔を浮かべる。
「ルシフェル様! いらしてたんですね」
立ち上がろうとした足が、頭上のそれを気にしてか踏み止まった。バランスを取りながら、ゆっくりとこちらを振り向く。
「この鳥、何故か飛んで行ってくれなくて」
困ったように頭上に手をやるが、小鳥は器用にそれからすり抜けた。見ている分にはとても愛らしいが、このままというわけにもいかない。つい緩んでしまう口元もそのままに、ルシフェルは彼の頭上へと手を差し伸べる。ピヨピヨと高く小さな声を上げ、小鳥はルシフェルの指先へと飛び移った。歩く勢いに合わせて掌を返すと、そこへと腰を落ち着ける。
「嘴がまだ黄色い。きっと巣立ちが近い雛なのだろう」
彼の目の前にそっと寄せ、観察するよう促すと、赤い瞳が興味津々にそれを見つめる。
この中庭は星晶獣については厳重に管理されているが、野生の生物は自由に出入り出来るようになっている。花は虫の助けなくして実を結ばず、また、彼らを食べに鳥が集まるのだ。
どこからか雛とは違う鳴き声が聞こえ、ルシフェルは場所に当たりをつけると雛を土の上へと下ろしてやった。
すぐにサンダルフォンの手を引きそこから距離を取ると、茂みに身を隠して唇に指を当てる。すると、雛を置いた近くの木から親らしき鳥が降りて来た。
「飛び方を覚えたばかりの雛に餌の捕り方を教えていたのだろう。もう心配はいらないよサンダルフォン」
戯れる親子をじっと見ていたその肩に手を置き、暫し同じ景色を眺めた。掌からじわりと熱が伝わる頃、ハッとサンダルフォンが顔を上げる。
「そうだ! この前植えてらした種から芽が出ていました!」
少し興奮気味に報告したと思うと、今度はサンダルフォンがルシフェルの腕を引く。連れて行かれたのは先程彼が覗き込んでいた場所で、指差した小さな素焼きの鉢の中央から、白い産毛に包まれた芽が土を押し上げていた。
「ひと月前に植えたのになかなか芽が出ないから、毎日様子を見に来ていたんです」
「種子が開くには生育に適した条件が揃わなければならない。これは水源の豊かな土地で採取したから、水を十分に吸わせなければいけなかったのだろう。私がいない間、君が世話をしてくれているから助かっている。ありがとう」
ルシフェルは頭を撫でるべく開いた手を、少しの逡巡の後握り込み、胸元へと戻した。その一連の動きを彼は不思議そうに見上げていたが、ふと小脇に抱えてた物に目を留める。
「持って来て下さったんですね!」
ホッと息を逃しながら、ルシフェルは数冊の書をサンダルフォンへと差し出した。
それは、空の世界で描かれた物語を集めた本である。研究所から出られず過ごす彼を気遣い時折こうして持ち込んでいたが、すっかりそれを気に入ったらしい。早速パラパラと中身を確認すると、美しく羽を広げる白鳥の挿絵に感嘆の声を上げた。
「ありがとうございます、ルシフェル様!」
大事そうに胸に抱え、興奮に頬を赤くする。その顔が見たくてここへと来たのだと、ルシフェルは胸が疼くのを感じた。
「書は空の民の進化の軌跡と集約だ。記した者にしか見えない世界を知ることが出来る」
「はい! たくさん読んで空の世界を知り、いつかルシフェル様のお役に立ってみせます」
「……そうか」
ルシフェルは曖昧に微笑むと、先程はやめてしまったそれにまた手を伸ばす。撫でた髪はやわらかく、掬い上げた一房を指で弄べば、絡むことなくするりと滑り落ちる。
「ルシフェル様……?」
「ああ、すまない。今日はもう行かなくては」
「そうですか……でも、お話出来て良かったです」
俯く仕草に赤い瞳が隠れてしまう。
別れ際のサンダルフォンは、いつも決まってそう言うのだった。
次にルシフェルがそこを訪れた時、彼は中庭にあるテーブルで熱心に本を読んでいた。
「サンダルフォン」
声を掛けるが、今日は少し反応が違った。常ならば子犬のように駆けて来るのに、浮かない顔でこちらを一瞥するとまた本へと目を落とす。
「ルシフェル様、どうして俺の羽はこんな色をしているのですか」
手元を覗き込めば、以前渡した白鳥の挿絵が美しい本を読んでいる。
「空の民の本に、天司の羽は皆一様に美しいと書いてありました。確かに、ルシフェル様の六枚羽は勿論、遠目にしか見たことのない天司たちも、光輝くように色鮮やかで、とても綺麗だなと」
バサと広げたサンダルフォンの羽は、猛禽のそれを思わせる鳶色をしている。
「どうして俺だけ、こんな色をしているのですか?」
目を合わせることなく呟かれた声は震えていて、彼なりに思いつめていただろうことが窺えた。
彼が読んでいたのは、白い鳥の中に一羽だけ色の違う雛が生まれたという物語だ。物語の中ではやがて美しい白鳥になるが、サンダルフォンは雛鳥ではない。
「おいで、サンダルフォン」
黙り込む彼へと腕を広げると、意図を計りかねるのか小首を傾げた。
「今日は君に少しだけ、空の世界を見せよう」
「でもどうやって?」
「研究所のセキュリティは確かに星晶獣を通さない。だが、私は役割上自由にすり抜けることが出来る」
戸惑いながらもこちらへやって来たサンダルフォンを引き寄せる。しっかりと体を密着させるように抱き上げ、四枚の羽でその身を覆った。
「わ! な、何を……!?」
胸に押し付けられた顔を無理に上げ、サンダルフォンが声を上げる。
「私ならば通れる。つまり、こういうことだ」
残る二枚で舞い上がると、見えない障壁の直前で全ての羽を閉ざす。ルシフェルを認識したそれは避けるように口を開け、二人は無事研究所の上空へと抜け出した。
「ルシフェル……様っ!」
随分高く飛んでからやっと、六枚の羽を広げる。ふと腕の中を見れば、つい息を止めてしまっていたのか、サンダルフォンは胸を荒げていた。それから下方に広がる景色に息を呑み、脚をバタつかせる。どうやら、自分で制御していない飛行に不安を感じているらしい。
「あれを見てご覧」
指し示す先で、蒼い色に赤い色が滲み、溶け出している。夕日が沈もうとしているのだ。
「空の世界の色には意味がある。空はただ蒼いわけではないんだ」
二人が浮かぶ少し下を、大型の鳥が渡っていく。今度はそちらを見るように促す。
「鳥の羽にもその色には理由がある。美しい羽は、主に繁殖の為にある。美しい羽で雌を惹きつけるのだ。だが、天司である我々の色はどうだろうか。繁殖の為にあるわけではなく、ただ星の民の美的感覚によりそう作られた」
夕日の色に似た彼の瞳が、ゆっくりと瞬く。
「私は君を作る時、空の世界の鳥を想った。力強く美しく、そして気高く羽撃くその羽に似せた」
円を描くように飛ぶ鳥は、サンダルフォンのそれに似ていた。嘘偽りなく告げたつもりだが、果たして自分の意図は伝わっただろうか。
落ちないようにと引き寄せた体は、恐れからか鼓動を早めている。
「ここは冷える、帰ろう」
「はい」
再度羽で包み込み、腕の中へと仕舞い込む。今度は抵抗らしい抵抗もなく、彼からも身を寄せるような仕草をする。もう少しこうしていたいと思う心から目を逸らし、ルシフェルは中庭へと降下した。
「次はいついらっしゃいますか」
テーブルに置かれたままだった本を抱え、サンダルフォンがこちらを見上げる。去り際に見せる、いつものどこか寂しげな目だ。
「すぐにとは言えないが、近くまた寄らせて貰う」
「そうですか。今日もお話出来て良かったです」
いつもの言葉を言い終える前に、サンダルフォンは背を向け駆け出してしまった。その姿が見えなくなるまで立ち尽くしていたルシフェルは、我に返ると研究所を後にした。
花と緑に彩られたここは、研究用の植物の生育場所を兼ねている。中庭の片隅、種子から育てた苗を並べた棚の前に座り込む影を見つけ、ルシフェルは無意識に足を早めた。
そこには、頭の天辺に小鳥を遊ばせ、癖のある髪を啄まれている一人の天司がいた。彼はルシフェルの足音に気付くと、パッと笑顔を浮かべる。
「ルシフェル様! いらしてたんですね」
立ち上がろうとした足が、頭上のそれを気にしてか踏み止まった。バランスを取りながら、ゆっくりとこちらを振り向く。
「この鳥、何故か飛んで行ってくれなくて」
困ったように頭上に手をやるが、小鳥は器用にそれからすり抜けた。見ている分にはとても愛らしいが、このままというわけにもいかない。つい緩んでしまう口元もそのままに、ルシフェルは彼の頭上へと手を差し伸べる。ピヨピヨと高く小さな声を上げ、小鳥はルシフェルの指先へと飛び移った。歩く勢いに合わせて掌を返すと、そこへと腰を落ち着ける。
「嘴がまだ黄色い。きっと巣立ちが近い雛なのだろう」
彼の目の前にそっと寄せ、観察するよう促すと、赤い瞳が興味津々にそれを見つめる。
この中庭は星晶獣については厳重に管理されているが、野生の生物は自由に出入り出来るようになっている。花は虫の助けなくして実を結ばず、また、彼らを食べに鳥が集まるのだ。
どこからか雛とは違う鳴き声が聞こえ、ルシフェルは場所に当たりをつけると雛を土の上へと下ろしてやった。
すぐにサンダルフォンの手を引きそこから距離を取ると、茂みに身を隠して唇に指を当てる。すると、雛を置いた近くの木から親らしき鳥が降りて来た。
「飛び方を覚えたばかりの雛に餌の捕り方を教えていたのだろう。もう心配はいらないよサンダルフォン」
戯れる親子をじっと見ていたその肩に手を置き、暫し同じ景色を眺めた。掌からじわりと熱が伝わる頃、ハッとサンダルフォンが顔を上げる。
「そうだ! この前植えてらした種から芽が出ていました!」
少し興奮気味に報告したと思うと、今度はサンダルフォンがルシフェルの腕を引く。連れて行かれたのは先程彼が覗き込んでいた場所で、指差した小さな素焼きの鉢の中央から、白い産毛に包まれた芽が土を押し上げていた。
「ひと月前に植えたのになかなか芽が出ないから、毎日様子を見に来ていたんです」
「種子が開くには生育に適した条件が揃わなければならない。これは水源の豊かな土地で採取したから、水を十分に吸わせなければいけなかったのだろう。私がいない間、君が世話をしてくれているから助かっている。ありがとう」
ルシフェルは頭を撫でるべく開いた手を、少しの逡巡の後握り込み、胸元へと戻した。その一連の動きを彼は不思議そうに見上げていたが、ふと小脇に抱えてた物に目を留める。
「持って来て下さったんですね!」
ホッと息を逃しながら、ルシフェルは数冊の書をサンダルフォンへと差し出した。
それは、空の世界で描かれた物語を集めた本である。研究所から出られず過ごす彼を気遣い時折こうして持ち込んでいたが、すっかりそれを気に入ったらしい。早速パラパラと中身を確認すると、美しく羽を広げる白鳥の挿絵に感嘆の声を上げた。
「ありがとうございます、ルシフェル様!」
大事そうに胸に抱え、興奮に頬を赤くする。その顔が見たくてここへと来たのだと、ルシフェルは胸が疼くのを感じた。
「書は空の民の進化の軌跡と集約だ。記した者にしか見えない世界を知ることが出来る」
「はい! たくさん読んで空の世界を知り、いつかルシフェル様のお役に立ってみせます」
「……そうか」
ルシフェルは曖昧に微笑むと、先程はやめてしまったそれにまた手を伸ばす。撫でた髪はやわらかく、掬い上げた一房を指で弄べば、絡むことなくするりと滑り落ちる。
「ルシフェル様……?」
「ああ、すまない。今日はもう行かなくては」
「そうですか……でも、お話出来て良かったです」
俯く仕草に赤い瞳が隠れてしまう。
別れ際のサンダルフォンは、いつも決まってそう言うのだった。
次にルシフェルがそこを訪れた時、彼は中庭にあるテーブルで熱心に本を読んでいた。
「サンダルフォン」
声を掛けるが、今日は少し反応が違った。常ならば子犬のように駆けて来るのに、浮かない顔でこちらを一瞥するとまた本へと目を落とす。
「ルシフェル様、どうして俺の羽はこんな色をしているのですか」
手元を覗き込めば、以前渡した白鳥の挿絵が美しい本を読んでいる。
「空の民の本に、天司の羽は皆一様に美しいと書いてありました。確かに、ルシフェル様の六枚羽は勿論、遠目にしか見たことのない天司たちも、光輝くように色鮮やかで、とても綺麗だなと」
バサと広げたサンダルフォンの羽は、猛禽のそれを思わせる鳶色をしている。
「どうして俺だけ、こんな色をしているのですか?」
目を合わせることなく呟かれた声は震えていて、彼なりに思いつめていただろうことが窺えた。
彼が読んでいたのは、白い鳥の中に一羽だけ色の違う雛が生まれたという物語だ。物語の中ではやがて美しい白鳥になるが、サンダルフォンは雛鳥ではない。
「おいで、サンダルフォン」
黙り込む彼へと腕を広げると、意図を計りかねるのか小首を傾げた。
「今日は君に少しだけ、空の世界を見せよう」
「でもどうやって?」
「研究所のセキュリティは確かに星晶獣を通さない。だが、私は役割上自由にすり抜けることが出来る」
戸惑いながらもこちらへやって来たサンダルフォンを引き寄せる。しっかりと体を密着させるように抱き上げ、四枚の羽でその身を覆った。
「わ! な、何を……!?」
胸に押し付けられた顔を無理に上げ、サンダルフォンが声を上げる。
「私ならば通れる。つまり、こういうことだ」
残る二枚で舞い上がると、見えない障壁の直前で全ての羽を閉ざす。ルシフェルを認識したそれは避けるように口を開け、二人は無事研究所の上空へと抜け出した。
「ルシフェル……様っ!」
随分高く飛んでからやっと、六枚の羽を広げる。ふと腕の中を見れば、つい息を止めてしまっていたのか、サンダルフォンは胸を荒げていた。それから下方に広がる景色に息を呑み、脚をバタつかせる。どうやら、自分で制御していない飛行に不安を感じているらしい。
「あれを見てご覧」
指し示す先で、蒼い色に赤い色が滲み、溶け出している。夕日が沈もうとしているのだ。
「空の世界の色には意味がある。空はただ蒼いわけではないんだ」
二人が浮かぶ少し下を、大型の鳥が渡っていく。今度はそちらを見るように促す。
「鳥の羽にもその色には理由がある。美しい羽は、主に繁殖の為にある。美しい羽で雌を惹きつけるのだ。だが、天司である我々の色はどうだろうか。繁殖の為にあるわけではなく、ただ星の民の美的感覚によりそう作られた」
夕日の色に似た彼の瞳が、ゆっくりと瞬く。
「私は君を作る時、空の世界の鳥を想った。力強く美しく、そして気高く羽撃くその羽に似せた」
円を描くように飛ぶ鳥は、サンダルフォンのそれに似ていた。嘘偽りなく告げたつもりだが、果たして自分の意図は伝わっただろうか。
落ちないようにと引き寄せた体は、恐れからか鼓動を早めている。
「ここは冷える、帰ろう」
「はい」
再度羽で包み込み、腕の中へと仕舞い込む。今度は抵抗らしい抵抗もなく、彼からも身を寄せるような仕草をする。もう少しこうしていたいと思う心から目を逸らし、ルシフェルは中庭へと降下した。
「次はいついらっしゃいますか」
テーブルに置かれたままだった本を抱え、サンダルフォンがこちらを見上げる。去り際に見せる、いつものどこか寂しげな目だ。
「すぐにとは言えないが、近くまた寄らせて貰う」
「そうですか。今日もお話出来て良かったです」
いつもの言葉を言い終える前に、サンダルフォンは背を向け駆け出してしまった。その姿が見えなくなるまで立ち尽くしていたルシフェルは、我に返ると研究所を後にした。
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