短編なのだ

 穴の縁に立っているのだ。
 覗き込むと落ちるので落ちないように見ないようにして、ぎりぎりのところで立っているのだ。
 穴からは逃げられないのでぎりぎりのところで生きているのだ。
 ぎりぎりのところで。

 空が飛べたら逃げられたのかもしれないが、この鉛色の空の下にある大穴は体を重くしてしまうので、だめなのだ。

 どこまでも穴が続いているのだ。逃げられないのだ。いっそ穴に落ちて消えてしまえたらいいのだと思ったりもしたのだが、透明な壁に阻まれて、落ちることはできないのだ。
 けれども落ちそうになるときはあるのだ。絶対に落ちないとわかっているのに落ちそうになるのだ。穴はアライさんのことを手招きしているのだ。落ちられるものなら落ちてみろと手招きしているのだ。

 誰もいないのだ。ただただ穴は広がっているのだ。
 穴の向こう側には楽しい世界があると信じているのだ。信じたって何もならないが。
 けれども穴は深淵で、悲しいことやつらいことしか詰まっていないのだ、深淵は深淵なのだ。
 だから今日も穴を見ないようにして、ただそこに座っているのだ。
 おわりなのだ。
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    拍手なのだ