エッセイ? とかそーさくについての語りなのだ

 アライさんがそーさくしょーせつの書き方を書いてから数ヶ月くらい経ったので、最新の状況に即したやつも書くのだ。
 前回のそーさくしょーせつの書き方ではジライさんの「アライさん小説群」について触れていなかったのだ。それはそうで、それを書いたときはアライさん小説群を書いていなかったからなのだ。

 ちなみにジライさんの「アライさん小説群」とは、けもふれ二次のようでそうでないような、アライさん界隈のアライさんを主人公にして孤独にぐるぐるさせる、一話完結の救いのない感じの小説群なのだ。
 実際に読んでもらったらわかると思うけど、ここ(短編なのだ)にまとまってるのだ。

 それで、そんな感じのしょーせつ群をここ数ヶ月ずっと書いてきて20作品を超えたわけなのだが、今回はこれを書いてるときどういう書き方をしてるかということを書こうと思うのだ。

 と言ってもそう特殊なことをしてるわけではなく、前回のそーさく論の「絶望型」とそう変わりはないのだ。
 書き方には今のところ2パターンあるのだ。
①アライさんの感じたぐるぐるやぐにゃぐにゃやつらみを、脳内小説変換器を通して出力しているのだ。
②何もないところにキーワードを持ってきてぱちぱちと組み合わせて立ち上げてるのだ。
 だいぶ観念的な説明になってしまったので、もうちょっと詳しく、わかるように説明していくのだ。


①アライさんの感じたぐるぐるやぐにゃぐにゃやつらみを、脳内小説変換器を通して出力している例

 アライさん小説群のほとんどがこのタイプなのだ。
 ぐるぐるやぐにゃぐにゃやつらみ、というのをわかるように説明すると、要は憂鬱とか苦しみとか絶望とか息苦しさとかそういうものなのだ。
 脳内小説変換器、というのは説明が難しいのだが、感じたことや思ってることをそのまま書くのではなく、「小説」という形にするためにフィルター通すみたいな、「虚構」という建前を通すための自己検閲というか、芝居がからせるというか、言い回しとかも小説的にするのだ。これは結構感覚頼みなので説明が難しいのだ。
 だいたいは変換成功してるのだが、失敗した例がこれ(『昼間の夢』)で、これはラスト付近がジライさんのいつものツイートみたいになってしまっており虚構みが低減しているのだ。


②何もないところにキーワードを持ってきてぱちぱちと組み合わせて立ち上げてる例

 これ(『セルリアン』)にあたるのだ。これは前に書いたしょーせつ(『アライさんがわるいのだ』)のラスト付近の「パークにはセルリアンがいたはずなのに、いつの間にか皆フレンズに見えていて」みたいな記述から着想を得て何か書くのだ! ってなって、何もないところからイメージをぱちぱちと組み合わせて書いたのだ。
 「何もない」というのは、それについてアライさんが特に何も思うところがないというか、苦しみとか絶望とかを感じていないという意味なのだ。
 ①のしょーせつタイプはだいたいが苦しみから生まれているから、そうでないしょーせつは「何もないところから生まれた」ような認識になるのだ。ジライさんの中では。

 そんな感じでしょーせつ群は割といつもぱぱっと書いてるのだ。
 ささっとまとめたので短いが、また何か思いついたら追記なり新たな記事なり書くのだ。
 読んでくれてありがとなのだ。
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