短編なのだ

「ありがとうございましたのだ」
 ガラス製のどあを開けて、外に出たのだ。古い雑居びるの廊下は冷えてるんだか暖かいんだか微妙な温度でこの季節、雪が降ったって情報を思い出してはーとため息。
 5階、えれべーたーのところまで行ってボタンを押すと、かいだん、上の階にあるからおけでヒトたちが歌う声がぼんやりと聞こえてきたのだ。
 からおけ。夜。過去。寒い冬。息苦しすぎてどうしたらいいのかわからなくなって一人部屋を飛び出して、遠くのからおけぼっくすに行ったこと。
 楽しい楽しいと言い聞かせていたけどそれは本当に楽しかったのか、いつからかふっつりと行かなくなってしまったのだ。おかねもかかるし。
 複数匹でのからおけにはあまりいい思い出がないのだ。恥、苦しみ、虚栄心に罪悪感。特に親しくもない、アライさんのことを馬鹿にしているフレンズなんかとあそびにいってもたのしいはずがなかったのに、昔は気付いてなかったのだ。
 縛って縛って縛られて、複数匹での対ヒト関係はぐちゃぐちゃになった糸のようなのだ。
 そんなこと思い出したくなんかなかったのに、今このえれべーたーを待つ間の上の階でうたっているヒトたちの間の息苦しい間とか、てびょうしとか、気遣いとか、そういうものを想像してしまって、なんだか急に寒くなったような気がして、階段から目を逸らしたのだ。
 えれべーたーはすぐに来たのだ。
 やっきょくに行って、待って、色々なヒトたちがやくざいしさんに不安を語ったり叫んだりするのをきいて、ぐるぐる。端末を見て気をそらしても、聞こえてくるものは防げないのだ。
 ばす。ヒトだらけ。露出している肌が、目が、耳が、きもちわるくてまた端末を見て、ぐるぐるぐるぐる、三半規管が弱いアライさんはすぐに酔って本当にきもちがわるくなり、顔を上げるとまたヒトだらけ。
 ヒトはきらいで、こわいのだ。肌も、目も、やわらかくてよわくて嫌に湿っていて。
 やわらかくてよわいものはすぐに壊れてしまうのだ。やわらかくてよわい、全てのヒトを見ていると、昔見たえいがのヒトが死ぬシーンを思い出してしまうのだ。
 ■■■。
 こわくてたまらないのだ。だけどどうしようもないのだ。これはアライさんの問題で、ふつーのヒトはそんなことを考えて怖くなったりはしないってわかってるのだ。
 ふつー。
 その概念も微妙なのだ。
 苦労して回りに合わせようとしても永遠に合うことはない。苦しいくせに成就しない努力なんて、しない方がましなのです、とはかせは言ったのだ。
 ふつーにする、という戦略を取れないけもの。そういうけものは、「できることをしてできないことはしない」って戦略を取るのがいちばんなのだ。
 今のアライさんはヒトを見ることが苦しいのだ。だけど今、ばすの中、ヒトを見ずに過ごすことはできないのだ。
 ヒトの顔。ヒトの鼻。ヒトの手。全てがぬらぬらと光っていてきもちがわるくて、視界に入れたくないのに入ってきてしまうのだ。
 ヒトを見るのが苦しいとき、アライさんはどうすれば救われるのか。 そんな方法は思いつかなかったからきもちわるさに耐えて窓のそとを見て。
 外はこわくて、中もこわくて、どこにいたってこわいのだ。どこまで行っても逃れられるすべはなく。
 刻一刻と近付いてくるしごとの日、遠方への外出もこわくてこわくて、ヒトがいっぱいいる場所だからヒトの目、皮膚、顔、耳、髪、いっぱい見なきゃいけなくなって、こわくて。
 きっと過敏になっているのだ。今のこの状態は■■■なのです、■■■なのですって、どこかのはかせが言っていたのだ。
 やっぱりヒトはこわいのだ。
 ばすが目的地について、降りて、夜。
 耳はイヤホンで遮蔽されているのに通行人の気持ちが聞こえてくるのだ。いや違う、「読み取って」るのか「妄想して」るのか、どっちなのかはわからないけど、アライさんの方を見た一瞬の表情で気持ちがわかってしまうのだ。
 負。
 アライさんはこわくなって早足になって、おんがくの音量を上げて、地面だけを見て、歩いて、歩いて、家について。
 わんわん鳴り続けるてれびに息を詰まらせ、ただいまと言ったのだ。
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    拍手なのだ