『雪の下』シリーズ

 レクイエムがレクイエムにならず、もう一つのスライドを刺激したのだ。
 アライさんは焦って止めようとしたけど、寒さで端末の画面が反応しなくてレクイエムは流れ続けるのだ。
 スライドはどんどん色付いていって、ついに過去が立ち現れてしまったのだ。
 ■■と言えば■■と返ってくることは■■、ぐるぐる、ぐるぐる、アライさんはそのアーティストが好きで、嫌いで、好きで、嫌いで、吐き気がして、記憶の奔流は濁流で、
 嫌いで、嫌いで、嫌いで、嫌いで、
 ぐるぐる。
 洗濯機なのだ。洗濯機が回っているのだ。洗濯機が、■■、■■、そんな冬、夏、夜、一人、一人、一人。
 一人でなければ。
 アライさんはきっと、この記憶にはまだ耐えられなかった。だけど解凍してしまったからには耐えねばならぬのだ。
 ■■と言えば■■と。返ってくるのは確かに■■だが、その記憶、そのものはもはや呪い、呪詛、イバラ。
 「アライさん」はイバラに囚われ死んだまま。二度と蘇ることはない。
 返さなくてよかったのだ。存在が、消えてしまったらよかったのだ。現実はそうはいかずにぐるぐるぐるぐる、アライさんだけが一人苦しんで、馬鹿みたいなのだ。
 どうして? どうして■■だけが楽しく過ごしてアライさんは苦しまなければならないのだ? ■■■ものは二度と■■のに?
 憎、憎、憎、憎。
 洗濯機でも洗えない負のものがそこにはあるのだ。
 スライドで蘇った記憶は心に深い深い傷をつけて、
 幸せな記憶なんてなかったのだ。
 幸せだった? 本当にそうなら、幸せだった記憶すら澱みになってしまうならこの世はいったい何なのだ? 幸せ? 違和感を押さえつけていても幸せは感じられるのだ。切断処理なのだ。その幸せはいったい幸せと呼べたのだ? そうやって全て否定してしまうことは果たして正なのだ?
 ぐるぐる、ぐるぐる。
 洗濯機は回り続ける。
 楽しかったのかもしれない。
 幸せだったのかもしれない。
 苦しかったのかもしれない。
 不幸だったのかもしれない。
 だがしかし、そのときその一瞬ばかりの幸せを、アライさんは決して許してはいけないのだ。許せば隙ができる。隙ができると溢れたぐにゃぐにゃに呑まれてしまうのだ。
 許すわけにはいかないのだ。決して許すわけには。全て、憎、憎、憎、憎。
 いつかいつの日か許すとしても、その日はまだ今日じゃない。雪融けさえまだ来てない冬にしていいことではないのだ。
 断じて今ではない。
 そう思って、記憶を上から押さえつけて、
 やはり、まだ早かったのかもしれない。
 そう思いながら、流れ続けるレクイエムの中、解凍処理は一部失敗。ざりざりとした感情が残っているのだ。
 困ったのだ、前途多難なのだ、こんなのが続くとざりざりが溜まって今後の作業に支障が出るのだ。
 よくわからないけどとりあえず今日は別のレクイエムを流して終わりにするのだ。
 憎しみを心の支えにして。
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拍手なのだ