短編なのだ

 春の便りを聞いたのは、薄い画面の向こうからだったのだ。
 アライさんは指を滑らせ、もう春なのだ? と言ったのだ。
 春。
 春は何もかもがぼんやりするのだ。
 頭もぼんやり、目もぼんやり、鼻もぼんやり、呼吸もぼんやり。空気もぼんやりしていてうまく息ができないのだ。
 アライさんが今こうしてる春は終わりの季節なのだ。旅立ちの季節、なんて言い方もあるのだ。
 数年前、この季節、■も旅立っていったのだ。見送ることはしなかったのだ。
 それから■とは会っていないのだ。当たり前、会いたくもないのだ。
 ぼんやり、ぼんやり、ぼんやりとアライさんは巣の壁を見ているのだ。それがぐる、ぐる、と回り始めて、いけないのだと思って目を逸らすのだ。
 春がぼんやりでも、何がぼんやりでも、鮮烈なぐるぐるはいつでもやってくるのだ。
 昨日アライさんは失言をして、フレンズを失ったのだ。
 ぼんやりしていると失言をするのだ。アライさんがフレンズを失うのはいつも言葉から、失言からだったのだ。
 アライさんが■を失ったのは、
 失ったのではない。
 まだ貼り付いているのだ。
 貼り付いて貼り付いて、逃してくれないのだ。
 記憶なんてあったって何の得にもならないのに、記憶はしつこく纏わり付くのだ。
 アライさんは目の前のまぐかっぷを見つめて、紅茶の水面がぐるぐると回り始めて、いけないのだと思って目を逸らそうとして、画面を見たら文字がぐるぐるしていて、逃げられないと悟ったのだ。
 それからはぐるぐる、ぐるぐる、襲いかかってくる世界に耐えて、小さくなって息を潜めて。
 フレンズを失ったのはアライさんのせいなのだ? ■が■になったのはアライさんのせいなのだ? ぐるぐるがぐるぐるしているのはアライさんのせいなのだ? 何が、何がアライさんのせいで、何が、アライさんのせいじゃないのだ?
 自責も罵倒も怒鳴り声も壁もほこりも紙も明かりも何もかもが一緒になってぐるぐる回って嵐の中、アライさんも一緒にぐるぐる回るのだ。回ってないのに回るのだ。回りたくないのに回るのだ。
 ぐるぐるのきっかけは疲れや精神的なショック。最近わかったことなのだ。だけどそんなの防ぎようがなくて、やっぱりぐるぐる。いつもぐるぐる。逃れたいのにぐるぐる、ぐるぐる。
 何もかもが纏わり付いて、アライさんの息を詰めるのだ。
 春はぼんやり。詰まった胸をどうにかしようとあっちを向いたりこっちを向いたり、どうにもならずに疲れてぐるぐる。
 旅立ちなんて来なくていいのだ。始まりなんて来なくていいのだ。ずっと終わらず始まらず、永遠に停滞が続けばいい。
 そう思っても、季節は進んでしまうのだ。
 そんなことを思いながら、今日も嵐に耐えたのだ。
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