短編なのだ

 息苦しくて、窓を開けたのだ。
 大きくてぐにゃぐにゃの重さが心にずっと残っているのだ。
 ぐにゃぐにゃに心がぎゅうと押されて苦しくて、正体を見ようとするのにぼんやりで、目を離したら重くて、消えてくれないのだ。
 大好きな気持ち、とか、大事な気持ち、とか、そういうものならよかったのだ、なんて思うことさえ馬鹿みたいで、でもそんな風に思わないと潰れてしまいそうで、紛らわせないと苦しくて、アライさんはぐるぐると、ぐるぐると、ぐるぐると、回しても回しても空回るだけで、いくら回したって心は軽くなってくれないのだ。
 アライさんの心がアライさんの言うことを聞いてくれたことは一度もなくて、アライさんは心のことが大嫌いなのだ。
 嬉しければ嬉しすぎて疲れ、楽しければ楽しすぎて疲れ、つらければ憂鬱、苦しければ虚無、何があっても心はいつも大げさで、アライさんは疲れて疲れて疲れるのだ。
 回しても回しても、心そのもののことを言ってみても、言ってるのに、心は重いままなのだ。ヒトであれば自分のことを言われれば何か反応してもおかしくはないのに、心の方は自分勝手、何を言われようが好きにじくじく痛んでいるのだ。
 ヒトではないのだ。仲良くなんてできないのだ。これが自分だなんてアライさんは信じたくないし、できれば絶交したいのだ。
 厄介なのだ。何もかもが厄介なのだ。空を見ても疲れる、くるまを見ても疲れる、ヒトを見ても疲れる、建物を見ても疲れる、木を見ても疲れる、目に映ること何もかもに心はいちいち反応するのだ。だからアライさんは地面を見るのだ。複雑なタイル模様や砂利道が来ないことだけを祈ってずっと下を向いているのだ。
 そんな風にしていても、ぐにゃぐにゃはやってくるのだ。アライさんの平穏、日常、何もかもを重く押し潰して灰色に染めるのだ。
 心が悪いのか、ぐにゃぐにゃが悪いのか、でもきっと、本当は何もかもが悪いのだ。
 何もかもが悪いから、アライさんはこんなので、それならいったいどうすればいいのか、今夜もきっとわからないのだ。
 雪が降って、雪が降って、アライさんの心もぐにゃぐにゃも、正しい重さで押し潰して消し去ってくれればいいのだ、って、思ってもそんなこと起こるわけがなくて、
 そうして窓を閉めたのだ。
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    拍手なのだ