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【腐】ゆいいつのもの

互いの刃が交わる。

膝丸は相手の刃を弾き、透かさず、一打、二打と打ち込むが軽く躱されてしまう。
ならばと膝丸は屈み込み、足払いを繰り出す。
剣術では敵わずとも体術では互角、相手の体勢を崩せれば、勝機がある筈だった。
だが、膝丸の戦略は相手にはお見通しだった様だ。
膝丸の蹴りが繰り出される寸前、相手は跳躍し、ひらりと一撃を避ける。
躱されたか、膝丸は舌打ちした。
すると相手の唇がある言葉を紡いだ。
あまい。
発せられた言葉を完全に理解する猶予は膝丸に与えられなかった。
次の瞬間、肩に重い一撃が打ち込まれる。
「ぐっ!」
膝丸は呻き声を漏らし、握っていた木刀を床に落した。
負けだ。
これがもし真剣での戦いならば、袈裟懸けに斬られていただろう。

やはり、まだ、勝てぬか。

口惜しげに膝丸は呟く。
己の未熟さを痛感しながら、膝丸は打たれた肩を押さえつつ、その場に座り込む。
一方、膝丸の手合せ相手であった髭切は膝丸の横に腰を下ろした。
「お腹がすいたねえ」
髭切の口から飛び出したのは何とも暢気な一言だった。
「一刻近く打ち合っていたのだ。腹も減るだろう」
「ありゃ、そんなに経っていたのかい?」
「ああ」
こくりと膝丸は頷く。
実は膝丸自身も今しがた、正確な時刻を把握したところだった。
膝丸は内番の中でも手合せを好み、特に兄との手合せを臨んだ。
髭切との手合わせは実戦とはまた違う高揚感があるからだ。
兄弟刀でありながら、二振りの戦い方は実に対照的だった。
膝丸が率先して斬り込み、髭切が仕留める。
正に静と動であった。
兄弟刀故か、全く違う戦い方とはいえ、互いの肚は手に取る様に解る。
相手に全てを知られているからこそ、策を練り、考え抜いて動く。
後はただ、互いに気の済むまま、打ち合うのみ。
長時間に及ぶ手合せの結果、容赦ない一撃を叩き込まれても全く苦ではなかった。
その痛みすらまた、愉しくて仕方ないのだ。
聞いた事はないが、恐らく髭切自身もそう感じているに違いなかった。
今はまだ、練度に差があるが、いずれ並び立てばこの遊戯は一層、愉しくなるに違いない。
早く、兄者に追い付ける様に精進せねばと、膝丸は胸の中で奮起する。
一方、髭切の関心は早くも手合せから離れてしまったらしい。
くんくんと犬の様に鼻を動かし、ある方向へと目をやった。
「…いい匂い。もう少し待てばご飯かな」
楽しみだねえと笑う髭切に膝丸ははあと肩で息を吐く。
「兄者は食べるのがお好きだな」
「食材切り君や雅君の作るご飯は美味しいからねえ。特にあのぱんけーきだっけ?あれは美味しかったなあ」
「…兄者、俺の名は覚えぬのに何故、食べ物の名はしっかりと覚えているのだ…」
恨めし気な声で言ってみるものの、あまり効果はないらしい。
「でも、あんな美味しいものが作れるなんて食材切り君たちは本当、すごいよね」
と、ころり、話を変えられてしまう。
尤もいつもの事なので膝丸も涙目になりつつもそれ以上は追及はしなかった。
「確かにあの二振りの料理の腕は一流だろうな」
兄の意見に同意しつつも、膝丸は密かに顔を昏くする。
それは先日のとある出来事を思い出したからだ。

ある日、おやつに燭台切特製パンケーキが出た事があった。

因みに髭切がパンケーキを口にするのはこれが初めての事だった。
初めは警戒し、皿を回したり、あらゆる角度から観察するなどしていたが暫くすると髭切は呆気なくパンケーキを口に入れた。
瞬間、髭切の背後にぶわっと誉桜が舞い散った。
『…おいしい!』
きらきらと瞳を輝かせて、髭切は感嘆の声を上げる。
そんな兄の様子を目にするのは初めてであった。
更に膝丸を驚かせたのはその後の髭切の行動で。
髭切はあっという間にパンケーキを平らげると、いそいそと厨へと向かった。
もしや、おかわりを要求する気ではと心配になった膝丸はその後を付いて行った。
厨には全員分のおやつを作り終えて一息ついていた燭台切の姿があった。
当番でもないのに厨に姿を現した二振りに『どうかしたかい?』と声を掛けて来る。
髭切は問い掛けには答えず、燭台切の元へと歩み寄ると、ぎゅっと手を取りこう言った。
『ぱんけーき、とっても美味しかったよ。作ってくれてありがとう』
目映いばかりの笑みを浮かべながらお礼を言われた燭台切は初め、面喰った様子であった。
それはそうだ。
おいしかったと礼を言うのは大抵、幼い短刀達である。
他の刀種の仲間達はそうそう、礼など口にしない。
同じ刀種の男士に面と向かって美味しかったとお礼を言われたのは初めての事だった。
それだけに髭切の言葉は燭台切に深い感銘を与えた様だった。
燭台切は照れ臭そうに笑いながらそんなに喜んで貰えるならまた、作るねと言った。
その言葉を喜んだ髭切は次はいつかなと毎日、楽しみにしている。
成程、思い出してみれば、兄と同胞との微笑ましい遣り取りである。
だが、膝丸にとってその遣り取りは複雑極まりない光景であった。
兄が喜んでいるのを見るのは単純に嬉しい。
嬉しいのだが、その視線の先に居るのが自分でない事が苦しくて堪らない。
燭台切は何も悪くない事は十分、承知している。
ただ、あの遣り取りを思い出す度にもやっとしてしまうのである。
このもやもやが何なのかを膝丸は解っている。
嫉妬だ。
まさか、自分がそんな仄暗い感情に悩まされる日が来るとは夢にも思わなかった。
ともかくこの負の感情を兄にだけは悟られぬ様にしなければならない。

「どうかした、弟丸?」

急に何の反応もしなくなった弟を不思議に思ったらしく、髭切は首を傾げつつ、膝丸の顔を覗き込んで来る。
両目に映り込んだ兄の姿に膝丸はぎくりとする。
「な、何でもない。それより、兄者、俺がパンケーキを作ったら、食べて貰えるだろうか」
「えっ、お前が作ってくれるの?」
「ああ」
実は膝丸、密かに燭台切にお菓子作りを教わっていたのだ。
練習の成果の甲斐もあり、今では見栄えも味もそれなりのものが作れる様にまでなっている。
満足行くものが出来た暁には髭切に差し出すつもりでいたのだ。
「それもいいけど、今度はお前も食べるんだよ?」
「えっ?」
「お前、あの時、自分のぱんけーきを僕に譲って結局、口にしなかっただろう。
お前の分は僕が作るから、今度こそ一緒に食べよう」
その言葉に膝丸は目を瞠った。

兄者と二人でパンケーキを作り、食べる?

それは何と幸せな時間なのだろうと膝丸は内心で歓喜する。
「では、今度、二人で燭台切に指南して貰おうか」
「うんうん。お互いに非番の日はいつだっけ?」
「確か、一週間後だった筈だが…」
膝丸は立ち上がり、壁に掛けてあったカレンダーを確認する。
うん、間違いないと膝丸は頷き、振り返る、と。
「しかし、暑いねえ」
そうぼやきながら髭切はハイネックのセーターの襟を引っ張ると、ぱたぱた扇ぐ。
いつもであれば、はしたないと小言の一つでも発していたところだろう。
ところがこの時の膝丸は言葉を失っていた。
引っ張られた襟元から覗く喉元に釘付けになっていたからだった。
白い喉―。
その白さに膝丸は思わず息を呑んだ。
「…兄者」
やや嗄れた声で膝丸は髭切を呼ぶ。
呼ばれた髭切は襟を離して顔を上げる。
すぐ目の前で色素の薄い髪が頬にさらりと零れ落ちる。
あの肌に、あの髪に、触れたい。
今の膝丸はそんな強い衝動に駆られていた。
身を乗り出して髭切の肩を掴み、ゆっくりと顔を近づける。
唐突に距離を詰めて来た膝丸に髭切は言った。

「やっぱり、汗臭い?」

そう言って、自分の体をくんくんと嗅ぎ出した兄に膝丸ははっと我に返った。
今、自分は何をしようとしていた?
膝丸は己の行動に愕然とし、青ざめる。
目まぐるしく表情を変える弟に髭切は小さく首を傾げるとああと思いついた様な声を上げる。
そして何を思ったのか、よしよしと膝丸の撫で始めた。
「……兄者?」
「あれ、頭を撫でて欲しいのかと思ったからそうしたんだけど、違った?」
勿論、違う。
何でそうなるのだと内心、思ったけれども、優しい手の感触に違いなど、どうでもよくなってしまう。
それぐらい髭切の手に触れられるのは心地よかったからだ。
途中、急に手が止まる。
「あ、そうだ。主にばするーむを借りればいいや」
撫でている最中に思いついたらしく、うん、そうしようと髭切は機嫌よく頷いた。
そして、ぼうっとしていた膝丸の顔を覗き込む。
「あ、お前も一緒に入る?」
「…なっ、いきなり何を言い出すのだ、兄者!?」
膝丸は真っ赤になり、叫ぶ。
審神者の部屋にあるバスルームは審神者専用の為、普段使う湯殿とは比べようもない程、狭い。
そんな場所に二人きりで放り込まれてしまったらきっと、どうにかなってしまう。
膝丸は密かに深呼吸をすると首を横に振った。
「俺は此処を片付けねばならぬ。兄者は先に行ってくれ」
「そうかい?じゃあ、頼んだよ」
そう言うと、髭切はすくりと立ち上がり、部屋を出て行く。
ぱたん、戸が締まる音を耳にすると、膝丸はほうっと息を吐いた。
今回も何とか切り抜けられた事に安堵する。

膝丸は鋼の身であった頃から兄である髭切に懸想していた。

当初の膝丸は人の身を得てもその思いを打ち明けるつもりはなかった。
その想いが禁忌である事を十分に理解していたからだ。
そもそも、兄に受け入れる筈もない。
弟として側に居られれば充分でその先など望まぬつもりだった。

けれども、その秘めた想いは最悪の形で露見する事となった。

ある夜、酔いで理性を無くした膝丸は髭切を襲ってしまったのだ。
己のしでかした失態は到底、許される事でない。
苦悩の末に膝丸は己の処遇を髭切に委ねる事にした。
その結果、兄に折られる事となっても未練や不満は一切無かった。
寧ろ、そうして欲しいとさえこの時の膝丸は思っていた。
だが、髭切から伝えられたのは意外な言葉だった。

『僕もお前が好きだよ』

そう想いを告げられた時、膝丸は眩暈と共に幻覚を疑った。
あまりに自分に都合が良過ぎて、幻でも見ているのではないかと思ったからだ。
それぐらい信じがたい言葉だったのだ。
しかし、その後に抱き合った時に感じた温もりや、口づけの甘さは決して、夢などではなかった。
この夜をもって、源氏の重宝である兄弟刀は晴れて恋仲となったのだった。

さて、思いが通じると次に望むのは相手の心身を得る事である。

だが膝丸はあの一夜以来、髭切に全く触れられずにいた。
無論、そういう気持ちが全く無い訳ではない。
白い喉を目にしただけで我を失うぐらいには飢えている。

あの肌に触れ、思う存分、愛し合いたい。

そう思っているにも関わらず膝丸が二の足を踏んでしまうのは件の初夜が起因していた。
膝丸の兄への想いは深く、重い。
唯一無二の存在である兄を穢し、傷つけてしまったという事実は膝丸の心に昏い影を落としていた。
今度こそ、慎重に大事にしたい。
だが、一度触れてしまえば、きっと、自分はまた理性を失い、貪ってしまうだろう。
相手が千年を超え、求め続けて来た兄だからこそ、その事が余計に恐ろしかった。
触れたい、けれども触れられない。
そんな懊悩の他に膝丸を悩ませるものがもう一つあった。

性欲である。

鋼の時には無縁だったもの。
けれども、今は健康的な男の身を得てしまっている。
それがいけなかった。
初めは手淫で欲を散らしていたが最近はそれだけでは収まらなくなってしまった。
慾を持て余した膝丸はとうとう、髭切を求めた。
とは言え、膝丸が髭切に触れるのは真夜中である。
寝入る髭切の肌に手を這わせ、触れる。
やめなければと思いつつも、結局、最後には慾に負けて触れてしまう。
ここ最近は連日それが続いている。
そして今宵も膝丸は同じ過ちを繰り返すだろう。

「…兄者…」

哀切に満ちた声が道場内に響いたがその声に応えるものは今は無かった。


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