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【腐】さびしんぼ

遅かったかと胸中で呟きながら、鶴丸は背後に立つ相手に話し掛ける。
膝丸である。
いつの間に此処まで接近していたのやら、さすがの隠蔽力だ。
見下ろす瞳は相変わらず斬れそう程、鋭い。
そんな目で見ずとも何もないと言うのに。
尤もそれを主張したところで素直に聞き入れて貰えるか微妙なところだろうが。

「…兄者は体調が芳しくないのか?」

眉間の皺を深くしながら膝丸は訊ねて来る。
一応、鶴丸に訊ねてはいるものの、視線は髭切にのみ注がれている。
あんな熱視線を注がれていると言うのに髭切は一向に起きる気配がない。
寧ろ、弟の視線に慣れてしまっているからこその安眠なのかもしれなかった。
「いや、さっきまで元気に話していたぜ。寝ているだけだ」
「そうか…」
膝丸はほっと息を吐く。
この様子だと膝丸は遠征の間中、ずっと、髭切の事を考えていたのだろう。
これは一刻も早く退散した方が賢明だな。
そう判断した鶴丸は早速、行動に出た。
鶴丸は膝の上で寝ている髭切の肩をやや強めにぐらぐらと揺らす。
その行動にぎょっとし、膝丸がおいと焦った様な声を上げたが構わず、続けた。
「おーい。起きろ、髭切」
「んー…まだ、眠いんだけど…」
「君の弟が帰って来たぞ」
そう言ってやると髭切の肩がぴくりと動く。
止めに膝丸がずいっと前へと進み出て「兄者」と甘ったるい声で呼んだ。
すると、髭切はむくりと起き上がる。
そして、眼前に膝丸の姿を見つけると、目を円くする。
「あれ、弟?」
「今、戻った」
「…そっか。戻って来たんだ」
そう呟くと、髭切はすっと手を伸ばして膝丸の頭を撫でた。
わしゃわしゃとまるで犬を撫でる様な強さで撫でられて、膝丸は嬉しいやら戸惑うやらで微妙な顔つきになる。
「あ、兄者…」
「おかえり、弟」
ふんわり、柔らかく髭切は笑う。
目の前で微笑まれて膝丸はくしゃりと顔を歪ませた。
だが、それも一瞬の事で、次には腕を伸ばし、髭切の体をぎゅっと抱き締めた。
「ただいま」
耳許でぼそりと響いた言葉に髭切は安堵した様に瞳を細めた。
そんな兄弟刀を見て、鶴丸は肩で息を吐く。
退散の時が訪れた様だ。
「…髭切、俺はもう行くからな」
「おや、もう行ってしまうのかい?」
弟に抱き締められたままの髭切が名残惜しげに言えば、腰に回された腕がぎゅっときつく締まるのを鶴丸は目撃する。
相当、力を込めて締めたらしい。
「弟丸、痛いよ?」
どうしたのと不思議そうに弟を見やる髭切に鶴丸は苦笑した。
膝丸にしてはみれば早く二人きりになりたいだろうに、髭切と来たら、鶴丸を引き留めるのである。
そりゃあ、こっちを気にしてくれと訴えたくもなるだろう。
どうやら、髭切は鈍い様だ。
膝丸は気苦労が多そうだなと鶴丸は胸中、密かに同情する。
しかし、それに関しては初めから解っていた事だろうし、何より膝丸にとってはその苦労すらきっと、楽しいに違いない。
現に膝丸は髭切の肩越しから鶴丸を剣呑な目で見つめていた。
早く、行けと睨む瞳に急かされて、鶴丸は肩を竦める。
「悪いがこれ以上、蛇に祟られるのは御免なんでな、もう行くぜ」
「蛇?」
きょとんとした顔で髭切は繰り返し、膝丸はぎくりと肩を揺らした。

さて、この言葉をどれだけ髭切が汲み取れるのやら。

いずれにしろ、これ以上、この場に留まるつもりはない鶴丸は足早にその場を後にしたのだった。


鶴丸が去って暫く、髭切はじっと弟を見つめた。

兄から注がれる視線は嬉しくもあり、また、後ろめたくもあって、膝丸は堪え切れず、瞳を逸らしてしまう。
「…お前、国永を祟ったの?」
幾ら鈍い髭切と言えども【蛇】が誰の事を指していたのかはさすがに分かったらしい。
髭切に訊かれ、膝丸はうっと喉を詰まらせる。
「祟ってなどはいない!いないが…」
膝丸は慌てて否定したものの、最後の辺りで口を噤んでしまう。
どうやら、何か隠している様だ。
その事に気付いた髭切は俯いた頬を両手で包み込む。
掌の温もりに拘束されて、膝丸はやむを得ず顔を上げる。
「けど?」
同じぐらいの高さにある瞳に続きを促され、膝丸はとうとう観念して口を開いた。
「…嫉妬はした…」
消え入りそうな声で白状した弟に髭切は目を細める。
「いつも言ってるけど、嫉妬は良くないよ?」
「解っている!解ってはいるのだが…」
言葉の途中で膝丸は勢いに兄の頬に触れる。
柔らかく温かい頬の感触に胸が熱くなるのを感じながら膝丸は兄を睨み据える。
「…俺を遠征に送り出しておいて、あなたは鶴丸と何をしておられた?」
やや恨めしげに問えば、髭切はおやと小首を傾げる。
「何ってお前の話だけど…」
「えっ?」
「僕がお前が居ないのを淋しがっていたら、国永が構ってくれたんだよ」
淋しい―。
紡がれた言葉は俄かには信じられないもので膝丸は目を見開く。
「あなたは、俺が居ない事を淋しいとそう思われたのか?」
「うん、淋しかったよ。自分で送りだした癖にね」
おかしいよね。
素直に自分の心情を吐露すると髭切は膝丸の掌に頬擦りする。
甘える様な仕草に膝丸の胸は一層、高鳴った。
「兄者…」
「お前が傍に居ないから、淋しくて堪らなかったよ」
その言葉に膝丸の胸がぐっと詰まる。
此処に帰って来るまで膝丸はずっと不安を抱いていた。
唯一無二の存在である兄を失うかもしれないという恐怖と不安を解消する間もなく、遠征へと追いやられて。
もしかしたら自分は兄に拒絶されたのかもしれないと絶望していたところに飛び込んだのが先程の光景である。
目にした瞬間、目の前が真っ白になった。
必死に平静を装い、鶴丸と話していたが、胸中は嫉妬の念が渦巻いていた。
兄に触れているあの刀を何度、斬ってしまいたいと思った事か―。
けれどもそんな醜い思いは今の言葉で全て消え失せてしまった。
「兄者…っ!」
もう一度、膝丸は髭切を抱き締める。
髭切は別段、動揺した様子もなく、膝丸の背に腕を回す。
隙間なくぴたりと重なった体と微かに香る爽やかな匂いに膝丸はくらくらと目眩に似た感覚を覚えた。
その内、抱き締めるだけでは物足りなくなって、膝丸は口づけを仕掛ける。
互いの唇を重ねる事から始まり、次第に舌を絡め合う深く濃密なものへと変わって行く。
仄かに朱色へと染まる目許と僅かに露を含んだ睫毛に膝丸は徐々に慾が高まるのを感じた。
離れた時間を埋める温もりが欲しいと、心からそう思った。

「…兄者、体に障りは本当に無いのか?」

唇が離れた刹那、膝丸はそんな事を言い出した。
「ないよ。すっかり、普段通りさ」
「…しかし、まだ、傷が残っているかもしれん。きちんと治ったかどうか、確かめさせて貰いたい」
膝丸はじっと熱を孕んだ瞳で髭切を見つめる。
それは触れたいと言う意思表示だった。
はたして、それが兄に伝わるだろうかと内心、どきどきしながら膝丸は返事を待つ。
片や髭切は瞬きの後、くすりと笑みを溢した。
普段のものとは違う慾を誘う艶やかな笑みだった。
「お前は本当、可愛いねえ…」
しみじみそう言うと、膝丸の手を掴んで、自らの胸に添える。
薄い寝衣越しに伝わる温もりと鼓動に膝丸はどきりと胸を弾ませた。
「あ、兄者…」
「お前の気が済むまで確かめるといい」
濡れた唇に赦されてしまえば、理性など無きに等しい。
けれどもさすがに縁側ではと焦れた膝丸は髭切を抱え上げる。
おおと驚きの声を上げる兄を膝丸はひたと見つめる。
「今日は酷くしてしまうと思う」
御覚悟、頂きたい。
ごく真面目な顔でそう宣言して来た弟がいとおしくて髭切はその頭を抱いた。
「お前になら、酷くされてもいいよ」
癖のある髪を撫でつつ言ってやれば、膝丸の顔が喜色に染まって行く。
その様子を愉し気に眺めていると、ぐんと顔が近づいて来て、察した髭切は目を閉じる。

―やっぱり、一緒がいい。

唇を重ねながら、髭切は胸中でしみじみとそう感じ入ったのだった。


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