明日晴れたら
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
もっと高く飛べたのなら、見える景色も変わるはずだと、そう思っていた。
地鳴りのようなボールの音、靴が床を擦る音、甲高い笛の音、暑苦しい掛け声。
それらが作り上げる放課後の体育館が人生のすべてだった。
明日晴れたら
中学3年生の夏にバスケ人生が終わった。
現実を受け止められないうちに、推薦の話もなくなった。
スポーツ推薦は入ってからが大変だから、これでよかったのかもしれないよなんて慰めが、更に自分を惨めにさせた。
推薦で進学するつもりでバスケばかりしていた学力で目指せる高校は限られていて、それでもそこでも挫折するのは許せなかったから、家庭教師をつけてもらってまで追い込んだ。
今にして思えば、推薦がなくなってから高校が決まるまでの間の両親は、これまで記憶にないほど我侭を許してくれたような気がする。
「ちょっと!いつまでやってんの?」
「………」
毎朝洗面台を占領しているミキに、毎朝母親の小言が飛ぶ。
中学時代には朝練に使っていた時間も、今は髪の毛と顔の手入れに費やしていた。
デオドラントの代わりに香水を使い始めた。
短くしていた髪を伸ばし、伸ばせなかった爪も長くした。
「いい加減にしなさいよ!学校に行くのになにをやってるの!」
「うるさいな」
洗面所までやってきた母親の脇をすり抜けて、逃げるように玄関扉を出てゆく。
通うことになった高校はスポーツにも力を入れている付属の高校だった。
中でも男子バスケが有名だったが、幸いなことに女子バスケの成績はそれほどでもなかった。
.昼休みの喧騒も貴重な高校生活のひとコマであることに変わりない。
しかし、高校生という特別な時間がたった3年しかないということにこの時点で気づくのは難い。
「よくあんな顔で告ってこれたよねぇ」
「マジうける。キモいんだけどー」
教室の隅に集まった女子は全てがこのクラスの生徒というわけではなくて、しかしその中にミキの姿もあった。
他人を嘲るような話題に花を咲かせながら各々が長い髪を弄んだり手鏡で顔をチェックしたりしている。
彼女らはこうやって屯っているけれど、お互いの事にたいして興味があるわけではなかった。
高校入学という転機はミキにとってけして良い効果をもたらさなかった。
中学時代の友人は部活仲間が中心だったが、高校に入ってからつるむようになった仲間はけして褒められた類の友人ではなかった。
特定のトイレを占領し、隠れて喫煙は当たり前。煙草の臭いを隠すために香水の匂いはキツクなるばかりだ。
部活もしていないのに帰りが遅いのを親に咎められて、家を飛び出したこともある。
しかしそれもこれも、バスケを出来なくなったことが悪いのだと彼女は自分を正当化した。
他にやりたいことなど見つけられるはずがなかったし見つけたいとも思わなかった。
それに費やしていた情熱と時間をただ持て余していたのだ。
その日、放課後ショッピングモールをウロウロした後に学校近くのコーヒーショップで暇つぶしをした。
いよいよすることもなくなったので、友人と別れての帰り道、学校の前を通りかかったときだった。
まだ灯りの点いた体育館を見上げ、何気なく足を止めた。
ここからでも、バスケットボールの音が聞こえる気がした。
『選手としては無理だけど、お遊び程度なら問題ないよ』と言った医者の顔が脳裏を過る。
お遊び程度って何だよ、と憤ったあの時の感情は今でも忘れられない。
「へー、結構遅くまでやってるんだな~」
その場所を使っているのが何部なのかは知らなかったけれど、放課後のあの独特な体育館の雰囲気を感じてみたくなって足を踏み出した。
近づいてみると中から聞こえるのは重量感のあるボールの音で、そこを使っているのがバスケ部である事が知れた。
ボールの音を聞く限りでは、全体練習は終わっているようだった。
少しためらった後、体育館の引き戸を少しひいて中をのぞいてみる。
―――男バスか…
中では一人の男子生徒が黙々とシュート練習をしていた。
ワンハンドで放ったボールがするりとリングに吸い込まれてゆく。
「ほぁ…」
ミキは思わず感嘆の声を漏らした。
癖のない、正にお手本のようなフォームだった。
「すごいな…」
これが海南か、と素直に感心したその時だった。
不意に振り向いたその男子が、扉の隙間から見える人影にあからさまに驚いてビクリと身体を揺らした。
しかし逃げ出すのも違うような気がして、じっと相手を見据える。
背の高い、綺麗な顔立ちをした人だった。
「……え、なに?」
困惑したように眉尻を下げて彼は言った。
「別に。誰か居るなーと思ったから」
「……見てても面白くないよ」
「だよね」
ミキは素直に頷いた。
見てるだけじゃ面白くない。プレイヤーだから面白いんだ。
他の選手のテクニックやフィジカル、メンタルを身に付けたいと思いながら見るのとそうでないのは全然違う。
いくら憧れてみたところでそこには追いつけない。努力することさえ出来ないのなら。
「上手いね、バスケは中学から?」
「そうだよ」
「ウチのクラスにも居るのバスケ部。スッゴい煩い奴なんだ。ロン毛の…名前なんていったっけ…、猿みたいな奴、知らない?」
「さぁ?」と男子は首を傾げて手にしたボールを指先で回した。
「新入部員は急いで覚える必要ないから。殆ど辞めちゃうし」
そこで彼女はようやく何かに気づき小さく声をあげて口元を押さえた。
「え…一年……です、よね?」
「二年だけど」
「ひゃっ」
再び小さく悲鳴をあげて「すみません」と頭を下げる。
運動部で培われた上下関係に対するシビアな感覚は、そう簡単に消せない。
「こんな時間まで自主練してるから、てっきり一年かと…」
「今年の一年は生意気なんだなぁって思ったよ」
そのバスケ部員はそう言って笑った。
ミキは居たたまれなくなって「帰ります」と小さく呟いた。
「レギュラー取り頑張って下さい」
非礼の埋め合わせをすべくそう激励して扉を閉める。
彼女の姿が消えた扉を見つめたまま、バスケ部員は眉尻を下げた。
「一応レギュラーなんだけどな」
地鳴りのようなボールの音、靴が床を擦る音、甲高い笛の音、暑苦しい掛け声。
それらが作り上げる放課後の体育館が人生のすべてだった。
明日晴れたら
中学3年生の夏にバスケ人生が終わった。
現実を受け止められないうちに、推薦の話もなくなった。
スポーツ推薦は入ってからが大変だから、これでよかったのかもしれないよなんて慰めが、更に自分を惨めにさせた。
推薦で進学するつもりでバスケばかりしていた学力で目指せる高校は限られていて、それでもそこでも挫折するのは許せなかったから、家庭教師をつけてもらってまで追い込んだ。
今にして思えば、推薦がなくなってから高校が決まるまでの間の両親は、これまで記憶にないほど我侭を許してくれたような気がする。
「ちょっと!いつまでやってんの?」
「………」
毎朝洗面台を占領しているミキに、毎朝母親の小言が飛ぶ。
中学時代には朝練に使っていた時間も、今は髪の毛と顔の手入れに費やしていた。
デオドラントの代わりに香水を使い始めた。
短くしていた髪を伸ばし、伸ばせなかった爪も長くした。
「いい加減にしなさいよ!学校に行くのになにをやってるの!」
「うるさいな」
洗面所までやってきた母親の脇をすり抜けて、逃げるように玄関扉を出てゆく。
通うことになった高校はスポーツにも力を入れている付属の高校だった。
中でも男子バスケが有名だったが、幸いなことに女子バスケの成績はそれほどでもなかった。
.昼休みの喧騒も貴重な高校生活のひとコマであることに変わりない。
しかし、高校生という特別な時間がたった3年しかないということにこの時点で気づくのは難い。
「よくあんな顔で告ってこれたよねぇ」
「マジうける。キモいんだけどー」
教室の隅に集まった女子は全てがこのクラスの生徒というわけではなくて、しかしその中にミキの姿もあった。
他人を嘲るような話題に花を咲かせながら各々が長い髪を弄んだり手鏡で顔をチェックしたりしている。
彼女らはこうやって屯っているけれど、お互いの事にたいして興味があるわけではなかった。
高校入学という転機はミキにとってけして良い効果をもたらさなかった。
中学時代の友人は部活仲間が中心だったが、高校に入ってからつるむようになった仲間はけして褒められた類の友人ではなかった。
特定のトイレを占領し、隠れて喫煙は当たり前。煙草の臭いを隠すために香水の匂いはキツクなるばかりだ。
部活もしていないのに帰りが遅いのを親に咎められて、家を飛び出したこともある。
しかしそれもこれも、バスケを出来なくなったことが悪いのだと彼女は自分を正当化した。
他にやりたいことなど見つけられるはずがなかったし見つけたいとも思わなかった。
それに費やしていた情熱と時間をただ持て余していたのだ。
その日、放課後ショッピングモールをウロウロした後に学校近くのコーヒーショップで暇つぶしをした。
いよいよすることもなくなったので、友人と別れての帰り道、学校の前を通りかかったときだった。
まだ灯りの点いた体育館を見上げ、何気なく足を止めた。
ここからでも、バスケットボールの音が聞こえる気がした。
『選手としては無理だけど、お遊び程度なら問題ないよ』と言った医者の顔が脳裏を過る。
お遊び程度って何だよ、と憤ったあの時の感情は今でも忘れられない。
「へー、結構遅くまでやってるんだな~」
その場所を使っているのが何部なのかは知らなかったけれど、放課後のあの独特な体育館の雰囲気を感じてみたくなって足を踏み出した。
近づいてみると中から聞こえるのは重量感のあるボールの音で、そこを使っているのがバスケ部である事が知れた。
ボールの音を聞く限りでは、全体練習は終わっているようだった。
少しためらった後、体育館の引き戸を少しひいて中をのぞいてみる。
―――男バスか…
中では一人の男子生徒が黙々とシュート練習をしていた。
ワンハンドで放ったボールがするりとリングに吸い込まれてゆく。
「ほぁ…」
ミキは思わず感嘆の声を漏らした。
癖のない、正にお手本のようなフォームだった。
「すごいな…」
これが海南か、と素直に感心したその時だった。
不意に振り向いたその男子が、扉の隙間から見える人影にあからさまに驚いてビクリと身体を揺らした。
しかし逃げ出すのも違うような気がして、じっと相手を見据える。
背の高い、綺麗な顔立ちをした人だった。
「……え、なに?」
困惑したように眉尻を下げて彼は言った。
「別に。誰か居るなーと思ったから」
「……見てても面白くないよ」
「だよね」
ミキは素直に頷いた。
見てるだけじゃ面白くない。プレイヤーだから面白いんだ。
他の選手のテクニックやフィジカル、メンタルを身に付けたいと思いながら見るのとそうでないのは全然違う。
いくら憧れてみたところでそこには追いつけない。努力することさえ出来ないのなら。
「上手いね、バスケは中学から?」
「そうだよ」
「ウチのクラスにも居るのバスケ部。スッゴい煩い奴なんだ。ロン毛の…名前なんていったっけ…、猿みたいな奴、知らない?」
「さぁ?」と男子は首を傾げて手にしたボールを指先で回した。
「新入部員は急いで覚える必要ないから。殆ど辞めちゃうし」
そこで彼女はようやく何かに気づき小さく声をあげて口元を押さえた。
「え…一年……です、よね?」
「二年だけど」
「ひゃっ」
再び小さく悲鳴をあげて「すみません」と頭を下げる。
運動部で培われた上下関係に対するシビアな感覚は、そう簡単に消せない。
「こんな時間まで自主練してるから、てっきり一年かと…」
「今年の一年は生意気なんだなぁって思ったよ」
そのバスケ部員はそう言って笑った。
ミキは居たたまれなくなって「帰ります」と小さく呟いた。
「レギュラー取り頑張って下さい」
非礼の埋め合わせをすべくそう激励して扉を閉める。
彼女の姿が消えた扉を見つめたまま、バスケ部員は眉尻を下げた。
「一応レギュラーなんだけどな」
1/5ページ