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緩慢な動きで服を着てしまうと、無名子はスマホの着信通知を確認して眉根を寄せた。そして掛け直す事もせずに伏せて置き直したのを見て伏黒がたずねた。
「いい連絡じゃなさそうだな」
告げない事は嘘になるのだろうか、と、無名子はしばし逡巡してから口を開く。
「…許嫁」
「は?」
「許嫁がいるの。その人から連絡があったみたい。きっと大した用事じゃないし」
一瞬目を見開いた伏黒が「マジか」と呟いた後に吹き出した。こんなところにも、旧弊的なあの胸糞悪い場所を彷彿とさせるような家があったとは。
「良いとこのお嬢さんなんだな。いいのかよ、ロクでもねぇ男とこんなことしてて」
「いいの、相手も同じことしてるんだから」
その言葉に、家に囚われて育った女の従順が無我という無関心であったとしても、その奥には見えない何かが隠されているのだと知る。
「あー…」
伏黒は片腕を額に押し当てて天井を仰いだ。では自分の母親はどうだったのだろう。あの地獄のような家で、跡目になれなかった父親と呪力を持たない自分。無関心は憎しみの形だったのかもしれない。
「…俺は当て馬ってやつか」
無名子は驚いた顔を向けた。
「違う!私は…」
刹那強引に腕を引いて、その口が余計な言葉を紡ぐより先に唇で塞いだ。柔らかなそれを喰むように繰り返し重ねてから鼻が触れそうな距離で視線を合わせると唇の端を吊り上げる。
「…俺に本気になるなよ。面倒事は嫌いなんでね」
そう言うと彼女は泣きそうな顔をした。そこは割り切れよ、と思いながら「許嫁に悪いだろ」と宥めるように滑らかな頬を撫でた。
許嫁に不満はない。多分。相手も自分に不満はないと思う。それは互いに相手に対して不満を感じるほどの興味がないからだ。
週末毎に訪れるようになった伏黒のアパートの最寄り駅の前には商店街があった。
その日無名子は、飲食店の多い商店街の中のどこで食材を揃えようかと改札口を出たところで足を止めた。伏黒は手作りの料理を喜んでくれる。
「あっれー、奇っ遇ー」
不意に聞こえた声が自分に向けられたものだとは思わず、商店街に向かって足を踏み出そうとした無名子の進路を黒い影が遮った。顔を上げると目前に立つ長身の男が、今まで無名子に見せたことのない爽やかな笑顔で居た。サァっと体温が下がる心地がする。
「さ、悟…さん?」
「こんなとこに何の用事?知り合いでもいんの?」
「………」
ゴクリと喉が鳴った。言い訳を考えようと焦れば焦るほど頭が回らなくなる。五条は笑顔を貼り付けたまま首を傾けてサングラス越しに無名子を見据えた。
「俺も会ってみたいな。無名子の交友関係知っておきたいしさ」
無名子はやっとの思いで首を振った。
「た、たまたま…」
「たまたま?」
「降りる駅を間違えて…」
「えー、それで改札出ちゃうんだー」
「…せっかくだから、駅の周辺を散策してみようと思ったの」
無名子が落ち着かない様子で両手の指を擦り合わせている。このまま問い詰めたら彼女はどんな反応を見せるのだろうと、五条は一瞬自身の頭を過った加虐的な欲求を飲み込んだ。
「外出してるってことは、何処かに用事があるわけ?」
用事なら、ある。約束をしているわけではないが、週末にしか会えない人がいる。しかし、そんな事を言えるはずがなかった。
「別に…」
「気分転換?」
「…うん、そう…」
「じゃ、せっかくだし遊びに行こうぜ」
「い、今から?」
「そ、別に用事ないんだろ」
「でも、悟さん忙しいんじゃ…」
「いーのいーの」
今まで自分に関心などなかったくせに、と無名子は思う。いつも澄まし顔だった五条家の天才が、突然笑顔を向けてくる理由が分からなかった。
半ば強引に連れて行かれた先は屋内型複合レジャー施設だった。今まで五条と一緒に行くところはカフェと映画館と決まっていたから、想定外のことに無名子は驚いた。そして初めて足を踏み入れるそこの騒々しさにも少々面食らっていた。
「あの…」
「ボーリングしようぜ、やったことある?」
開きかけた口を噤んで、無名子は首を振った。
行き先もする事も、いつも五条が決める。それに異論は、ない。ただ、伏黒の事が気がかりだった。彼は自分の来訪を待ってくれているのだろうか、世間知らずな自分に何かあったのではと心配してくれていたら嬉しい。そんなことより、彼に会いたくて堪らない。スウェットに染みついた香りを胸いっぱい吸い込んで安心したい。
「ボーっとしてんなよ」と言う声で顔をあげると、指先で押し上げたサングラスの下から青く透き通るような瞳が此方を捉えている。
「…ごめんなさい」
この瞳ではない。鋭くて冷たくて何処か寂しそうな黒い瞳の前でなければ、自分を感じる事ができないと思った。
ボーリングもバッティングセンターもゲーセンも、無名子にとって全てが初めての経験だった。これだけ経験すれば、学友との遊びに困ることはないだろうと思ったが、お嬢様学校に通う彼女たちはそもそも遊興先にこんなところは選ばないだろうとも思う。そう考えると、高専に入って五条は少し変わったのかもしれない。今まで経験した事のない事を片っ端から試して吸収してきたのではないかと無名子は思った。
「喉乾いたでしょ、何か買ってくるね」
「荷物置いてけば。見といてやるよ」
「ありがとう」
素直に鞄を預け、財布だけを持って側を離れた無名子を見送ると、五条は彼女の鞄からスマホを取り出した。そして当たり前のようにロックを解除して中を確認し始めたが怪しい連絡先や遣り取りは見つけられない。
納得いかない様子でもう一度鞄を押し広げ、今度は小さな巾着袋を見つけた。袋の上から触って小さく硬い何かが入っている事を確認し、その口を開いてみる。
「…マジかよ」
安価な量産品であるその錠は、どう見ても無名子の家のものではない。同棲でも始めるつもりかよ、と五条は忌々しげに鍵を握りしめた。
「お待たせ」
「サンキュー」
戻ってきた無名子から手渡されたペットボトルを、五条は貼り付けたような笑顔で受け取った。
「俺が甘いのが好きだって、覚えててくれたんだな」
無名子は驚いた顔で五条を見上げる。そして近づいた唇を遮るように、咄嗟に手のひらを五条の顔に押し付けた。
「こんなところで何を…」
今までそんな素振りを見せたことなどないのにと動揺を隠せずにいると、互いを遮るそれに手を添えて自分の唇に押し当てながら「ここじゃなければいいってこと?」と五条が問うた。柔らかい唇が手のひらを滑る感触にゾクリと身体を震わせて手を引こうとすると、逃すまいと手首を掴まれる。
「ねぇ」
「…こういうことは、結婚してから」
五条は冷笑する。
「婚前交渉なんて平安時代にだってあったぜ。じゃあオマエの親に許可を取ろうか?結婚するんだからヤってもいいですかって?」
「何を言ってるの?」
下世話な会話だ。ここが騒がしいところで良かったと無名子は思った。
五条はハァと溜息を吐いて、掴んでいた手首を離す。
「一カ月前、映画館にいたの気づいてたんだろ」
「………」
「スルーだよな。俺が誰と何をしようが興味ない?それとも嫉妬した?」
あの感情は嫉妬なのだろうか、と、無名子考えた。感情的にならないようにと繰り返し唱えて消化したそれの正体は、もう思い出せない。
「…失望しました」
「俺も」
何を言われたのか分からず顔を上げた拍子に唇が重なった。五条は無名子の肩を抱き寄せ耳元で警告する。
「オマエが浮気したら失望するし、許さない」
彼女のそれが自分に対しての腹いせだというのなら、自分も他所で愉しんだ手前、知らぬふりで一度だけ目をつぶってやろうと思う。けれど、本気なら許さない。
当たり前に自分のモノだと思っていた女が他に目移りすることが、こんなに腹立たしいとは、五条自身思いもしなかった。
いつになく長い一週間だった。
それは先週末、五条が門限きっちりの時間に実家まで送り届けてくれたせいだと思う。
許さない?許さないって?
無名子は手のひらに親指を握り込んだ。
自分は好き勝手しておいて、なんて我儘な人なのだろうと思う。あの人への気持ちを、浮気だなんて言葉で片付けて欲しくない。
最寄りの駅に降り立ちアパートに向かう道中、五条の言葉をまた思い出し、罪悪感よりも少しの恐怖を感じた。
五条家との関係が拗れて不名の家に居場所がなくなったら、伏黒は自分を受け入れてくれるだろうか。自分の力で生計を立てる事が簡単ではないと分かっているつもりだ。
アパートに着いた無名子は、いつものように呼び鈴を押したが一向に反応がないので、巾着から鍵を取り出した。家主のいない部屋に入るのは未だに抵抗があったが、伏黒は部屋の外で待たれるよりいいと言う。
「お邪魔します…」
遠慮がちにドアを開けて思考が止まる。
「え、…なんで…?何で何で── ─!」
その向こうにあったものが、何もかもなくなっていた。
────気づいたら駅のベンチに座っていた。コンクリートの床を眺めていた無名子の視界に、黒い爪先が映り込む。
「性懲りも無くこんな所で…」
「………」
目の前に立つ五条は、反応のない無名子に少し呆れた様子だ。
「…何してんの、男にでもフられた?」
無名子は正気のない表情で顔をあげた。
「そんなわけないよな。俺、許さないって言ったし」
まさか、この男が何かしたのだろうか、否、そんなはずはない。伏黒の存在は知られていないはずだし、そもそも呪術師が呪霊に侵されていない一般の人間を手にかける事は許されていない。
「親、心配してんぞ。オマエに連絡がつかないって俺に連絡があったから一緒に居るってことにしといたけど。門限過ぎてるから大目玉だ」
「………」
五条が手を引くと、無名子は素直に立ち上がった。駅の外に待機していたタクシーに乗り込んで五条が告げた行き先は無名子の家ではなくて、彼女は隣に座る五条を訝しげに見た。
「ついでに外泊の許可貰っといたから」
「は、あ…ッ」
抱えられた両足が規則正しいリズムで揺れている。五条のマンションは、あのアパートのベッドみたいに軋むことはないし、壁の向こうに声が漏れる事もない。
膣が締まり始めたところで動きを止めてギリギリまで引き抜く。浅いオーガズムしか得られず切なげに眉根を寄せる顔を確認してから再び奥まで押し入れば、欲しくて堪らないと言わんばかりに内壁が吸い付いてくる。
「目を開けて」
素直に目を開いた彼女の顔を覗き込んで「どうして欲しい?」と問うと、無名子は足を震わせて「もうムリ」と告げた。
「どうしたいか言わなきゃ分かんねぇよ」
彼女に言えるはずがないのを承知で問い詰める。
「ねぇ、俺が初めてだよね、勿論」
ク…と唇を噛んで小さく頷くのを見て、この嘘つきめと冷笑する。
痛みではなく快楽を拾えるくらい、何処かの馬の骨に許したくせに。怒りともつかぬ熱が腹の底から湧き上がる。我慢できない。
細い腰を掴んで激しく突き上げれば甘く痺れるような快感が迫り上がってくる。
「は、あっ、ア…っ」
「イく…っ」
強く腰を押し当てて動きを止めた五条は深く息を吐き、ビクビクと身体を震わせて埋め込まれた深い快楽を甘受している無名子を見下ろした。
「無名子、オマエの初恋は、俺だろ?」
「………」
無名子は薄らと開いた目を再び閉じて、瞼の裏に黒を映す。あまりにも短い刹那の激情。
初恋は叶わないと言うのなら、きっとそう言うことなのだろう。
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