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次の日の午後は夜蛾が不在のため急遽自主鍛錬の時間になった。まだ一年ということもあってこのような時間は多くなかったが、すると決まって他の3人がどこかへ消えてしまうのをかの子は不思議に思っていた。
暫くして彼らがサボっている事に気づいたのだけれども、揃いも揃ってシラを切るのでどうしようもない。五条曰く「真面目が服を着ている」らしいかの子は、その時間一人で木剣の素振り稽古をしたり、他学年の様子を覗きに行ったりした。
だから突然五条に呼び止められて「俺が相手をしてやるよ」と言われても、俄かには意味が分からずポカンとしてしまった。
「暇だからオマエの練習に付き合ってやるっつってんの」
五条が自分の頭を乱暴に掻きむしりながら付け加えたので漸く意味を理解してかの子は頬を引き攣らせた。率直に怖い。何が起こる前触れだろうか、手榴弾が降ってくるかもしれない、と思ってしまう。それでもかの子に、それを断る勇気はなかったのだ。
空中を一回転して、否一回転させられて、かの子の身体が床に落ちた。咄嗟に受け身を取ったとしても身体への衝撃がなくなるわけではなくて、それ以上に簡単に技を返されてしまった事がショックで、かの子は半身を起こして頭を抱えた。
「もしかして…やってた?」
「ぜーんぜん。オマエの見様見真似」
小学生の頃から道場に通い、中学で黒帯にまでなったのにこのザマだ。これが呪術界に身を置くという現実かとかの子は肩を落とす。
「これじゃ五条の練習になんないよね。ごめん」
「いんじゃね、息抜き」
「………」
辛辣な言葉か深いため息が返ってくると思っていたかの子は驚いて五条を見上げた。
「何だよ、その顔は」
「なんか今日、優しくない?」
「いつもと変わんねぇだろ」
そう言って両手を腰に当てた五条が、座ったままのかの子を覗き込むような仕草を見せたので、かの子は反射的に身を引き身体を強張らせた。
「な、何…?」
「オマエ、俺が怖いの?」
「…………夏油に何か言われた?」
今日の五条の態度に理由をつけるとするならば、思い当たるのはそれしかない。かの子が視線を合わせないように恐る恐る尋ね返すと「別に」と五条が姿勢を正した。
詰められていた距離が離れた事にひとまず安堵し、そっと五条を見上げる。顎を上げて何処かに視線をやっている五条は下から見上げるとフェイスラインの美しさが際立って、どの角度から見ても完璧な造形だと思う。そして美人は冷たそうに見えるとか見えないとかそんな話を思い出した。
「…怖い、のかな。だって五条、私に当たりキツくない?」
五条がかの子に視線を戻す。
「…そんなつもりねぇけど」
「そうかなぁ」
「気にしすぎなんじゃね?」
「だったらいいんだけど。私、五条に嫌われてるのかと思って正直結構落ち込んでた」
「バカなんじゃねーの」と五条は言った。
「俺のこれは直らねーし、直すつもりもねーからオマエが慣れろよ」
なるほどいつもの五条だ、と納得してかの子は立ち上がった。それでも背の高い五条の顔はかの子の遥か上にある。
「別に嫌いとかじゃねぇけど、正直時々苛々する」
「…え?」
ポツリ、と五条が溢したそれは、嫌いと何が違うのだろうかと、その真意が知りたくて五条のマジマジと見つめた。それに気づいた彼は、少し怯んだように顔を逸らせる。
「オマエさ、体術での接近戦にそこそこ自信があるんだろうけど、遮二無二突っ込んでくなよ。呪霊相手にそれやられるとマジでイラつくんだけど」
「あ、…はい」
そんなに突っ込んで行ってただろうかと思い返そうとしていると続け様に五条が言った。
「そもそも式神使いは術師が標的になりやすいって知ってんだろ」
かの子は素直に頷いた。
「だったら簡単に間合いに入ってくんじゃねーよ。見ててハラハラするわ」
「心配させてゴメン」
「は?オマエ本当にめでたい奴だな。心配してねぇし!」
五条の口調が強くなった。もしかしてムキになっているのだろうかと思うと今まで怖かったそれが少しおかしく思える。
「うん、分かった」
笑顔でそう返すと、五条は不貞腐れたようにかの子に背を向けた。
夏油が任務から帰ってきたので、3日振りに教室に4人が揃った。
「え、じゃあ反転術式って頑張れば私にも習得できるって事?」
「そうだよ」
硝子の向かいに座ってかの子が身を乗り出すと、横から「無理だろ」と五条が口を挟んだ。
「オマエ凡人中の凡人じゃん」
「高専にいる時点で凡人じゃないと思う」
「限りなく凡人だろ。弱いし」
「弱くても可能性はあると思う!」
「いーや、ないね。ゼロ。断言できる」
あれからかの子は、少し勇気を出して今までなら黙っていたような事にも反論するようになった。
「ほんっと、五条って意地悪」
「優しくする必要ある?」
ベ、と五条が舌を出してみせた。机に片肘をついて目を細めながらその様子を眺めていた夏油が口を開く。
「かの子は弱くないよ」
「分かった分かった。ただの凡庸だ」
「凡庸で優しい人間と有能で冷たい人間。どちらが良いかは人それぞれだけど少なくとも悟はもう少し…」
「えー、私はどっち?」
話が変な方に拗れそうだと察した硝子が態とらしく唇を尖らせた。つい先日も些細な事で五条と夏油が大喧嘩を始めて、離れた所に避難してそれを見物していた硝子とかの子も一緒になって怒られるというよく分からない貰い事故にあったばかりだ。夏油は彼女に向き直った。
「有能で優しい、かな」
「分かってんじゃん」
夏油と硝子は、年齢の割に落ち着いていて大人びた雰囲気があった。
2人が視線を交わして笑みを浮かべるのを見た途端に自分の胸の奥に広がってゆくモヤモヤの正体が何なのか、その時のかの子には分からなかった。
かの子が自販機の側に設置されたベンチに座ってミルクティーを飲んでいると夏油が姿を現した。
「この前も思ったけど、甘いものが好きなんだな」
「うん、甘ければ何でも好き」
「悟と食べ物の好みは合いそうだ」
「うーん、まぁ、そうかも」
ふふ、と笑って彼はかの子の隣に腰を下ろした。今までだって夏油が隣に座ることはあったし、それを特段意識したことはなかったのに、なぜか妙にくすぐったく感じる。それは先日の任務帰りに映画を見に行ったことが少なからず関係しているとかの子は思うのだ。
映画の世界に入り込む時間は確かに現実を忘れられた。それで何かが解決するわけではないし、現実の世界は何も変わらないけれど、何となく気分が晴れた。少し自分を取り戻せたような気がして、その途端に異性と2人きりで映画に来ている事を少し意識してしまった。
一緒に遊びに行く事くらいクラスメイトあるあるだろうし、そこに何があるわけでもない。五条の事にせよ自分は色々考えすぎるのかもしれないと、かの子は一度肩を竦めてから力を抜いた。
「少し元気になったようだね」
「あ、その節は色々お世話になりました」
隣に顔を向けてゆっくりと頭を下げると夏油が目を細めた。
「五条が、ちょっと話しやすくなった」
「それは良かった」
「夏油、何か言ってくれた?」
夏油の視線が宙を泳ぎ、再びかの子を捉える。
「口の悪さで損してるとは言った。思ったことをそのまま口にするのは、せめてある程度信頼関係を築いてからにしろってね。余計な事だったかな?」
「ううん、」
「でも直すつもりはなさそうだったよ」
かの子は思わず笑った。
「悪い奴じゃないんだけどね。少し正直すぎるだけで」
「うん」
「それでいて本当に大切な事は言わないし、悟は器用そうに見えて意外と不器用なんだと思うよ」
「そんなに長い付き合いじゃないのに、五条の事よく分かってるね」
「勝手な私見さ。本当のところは本人にしか分からない」
「五条自身も分かってないかもしれないよ」
「かもね。私だって自分の事を全て分かってるわけじゃない」
膝の上に両腕を置いて少し前屈みの姿勢になった夏油の横顔を見る。通った鼻筋に涼やかな目元。結えきれず頬にかかる真っ直ぐな髪に触れてみたい。いつも穏やかで心地よい彼の声をいつまでもそばで聞いていたい。
「夏油は五条の事が大好きなんだね」
夏油は驚いた表情でかの子を見た後に「はぁ」と大きくため息を吐いた。
「頼むから気持ち悪い事を言わないでくれないか」
自分は夏油の事が好きかも知れない。かの子はそう思った