Secret lover
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
幸せな夢を見た。
誰かの腕の中で眠るなんて随分久しぶりな気がする。
背の高い、長い腕。
「…う…ん」
その背中に腕を回して広い胸に額を押し当てた。…はて?
ふと過ぎった疑問は朝のまどろみの中に掻き消されそうになる。
ああ、そうか。戻ってきてくれたのか。好きな人が出来たなんて言ってたけれど。
「朝から何を盛っとんねや。」
都合のいい妄想は思いもしない声に断ち切られた。
低血圧もなんのその。弾かれたように飛び起きる。
「あんた誰?!」
思わずそう口にしていた。合コンで拾って来てしまったのかとさえ思ったほどだ。こんな失態は今までなかったのに。
「3-C、南烈ですー。もう二ヶ月になんで。覚えたってや。」
ベットの上に寝そべったまま頬杖をつき、気だるそうに彼は言った。
「知っとるわ!」
問題はそこではない。
何故彼がここにいるのかということだ。
確か昨日はビールを2本空けて、そうしたら睡魔が襲ってきて、南がまだ起きないからどうしようかと悩んだ挙句に『ご飯を食べたら帰りなさい』とかメモをテーブルに置いてベットに潜り込んで…。
テーブルを見遣れば皿は綺麗に片付いている。きちんと躾られているとみた…なんて事はどうでもいい。
「あああああんた…じゃなかった君、南君。あたしの置き書きを見んかったん?」
「帰んの面倒くさなってん。あのソファー寝にくいし、しゃあないわ。」
「…………!」
スースー言って寝てたくせに。
プルプルと肩を震わせながらハッと恐ろしいことに気づいた。慌てて体中をまさぐる。
「まさか…」
「なんや。ほんまにヤってよかったんかいな。」
脱力感のあまり床に座り込んでしまった。
そんなこちらの様子を気にするそぶりも見せず、彼は再び布団を被って寝る態勢に入ろうとする。
「君、家の人に連絡は?きちんとしたんやろな?心配してはるで。」
気を取り直して立ち上がり、布団をめくりあげると南は迷惑そうに眉を潜めた。
「今日はパピ子センセの家に泊まるわ、て?」
「そらアカン…。」
とてもマズイと思う。遠くに目をやった瞬間手に持った布団を南に奪い返された。それの所有者は彼ではない。間違いなく。
「8時過ぎとるで。帰らんでええのんか?今日部活は?」
小さな舌打ちのあと、ようやく南が起き上がった。
「シャワー借りんで。」
「はぁ?」
最近の若者は厚かましいというか非常にマイペースだ。
一体自分と南という生徒の間に何があったと、若しくはあるというのだろうか。勝手に泊り込んだ揚句にシャワーを貸せだと?
それが年代の差ではなく文化の違いと言うのならば、かなり奥が深い土地だと思う。大阪というのは。
「アカン。昨日着替え使ってもーたんやったわ。」
スポーツバックを開いた南が頭をかいた。
「ほんまに世話のやける子やなぁ。」
そしてやたらお節介になったのは、自分がこの土地に馴染んでしまったからなのだろうか。
箪笥の奥から引っ張り出した男物のTシャツとジャージを南に向かってほうり投げる。
別れた彼が泊まる時に使っていた。なんとなく始末できず仕舞いこんだままになっていたのだが。
「なんや、彼氏おるんかいな。」
「それ返さんでええで。もう要らんし。」
その言葉で質問の答えを理解したのだろう。南はチラリと一瞥し僅かに唇の端を吊り上げる。
「フーン。」
『お気の毒さま』
目がそう言っていた。
南がシャワーを浴びている間、仕方がないので二人分の朝食を用意する。自分以外の人の朝食を作るのは三ヶ月振りくらいになるのではないだろうか。
「あたし、何やっとん…。」
その時再び姿を現した南に一瞬ドキリとした。
背格好がよく似ている。あの人の使っていた服を着れば尚更。
視線に気付いた南が顔を上げて目を細める。
「何?」
けれど違う。
癖のない直毛も涼やかな目元も。
南の持つそれとは全然違う。
思わず自嘲した。
「…ご飯出来てるから食べていき。」
生徒と比べるだなんてどうかしている。
「こないだは茶も出て来へんかったのにエライ差やな。」
「しゃあないやん。泊まってもうたんやもん。」
泊まればええんか、と呟く南を思わず睨んだ。
「こんな事、人に知られたら大事になんで。」
南は煩そうに肩をまわした。
「お互い困るやろ?あたしは職失うし、南君かて県予選近いんやし。他の部員の迷惑になんねんで。」
「なんや脅すんか。」
南が上目遣いの視線を寄越す。
時折目つきが著しく悪くなるのだ、この生徒は。
「人聞きの悪いことを言わんといて。事実や。」
「…ほな人に知られへんかったらええんやろ。」
「その前に人に知られたら悪いようなことをせん方がええんと違う?」
「理屈っぽい女は嫌われんで。」
「ご忠告感謝やでー。」
その後は二人ただ黙々と朝食を食べた。
たまに話しかければ「ああ、」とか「別に、」で済まされてしまう。今朝に限ってはこれ以上ぶつかっていくガッツはない。久しぶりにその服を見ただけで、昔の恋人の事を思い出しただけで、随分と気持ちが落ち込んでいることに気づく。
「タオル、貸してんか。」
食事を終えた南に突然そう言われた。
「このまま部活に行くわ。」
ああ、と厚手のタオルを2枚ほど手渡す。
南はそれを仕舞いこんだ鞄を肩にかけて玄関に向かった。
そして靴を履いたところで振り返る。
「ほな、おおきに。」
もう来ないでよ、と言えなかったのは。
「はい、頑張って。」
今朝に限ってあの日の事を無性に思い出すのは。
扉を開けて出て行こうとするその背中を、あの時、追いかけていたなら。
物分りのいい女を演じなければ。
まだ隣に居られたのだろうか、と。
咄嗟に伸びた手が、シャツの裾を掴んでいた。
驚いて振り返る南と目が合う。
「あ……。」
馬鹿なことをした。一瞬にして汗が噴出す。
「…なんでもない。」
直ぐに俯いたために南の表情は見えなかったが、多分芳しいものではないだろう。当たり前だ。
「…………。」
暫く押し黙っていたかと思えば、彼はそのまま何も言わずに出ていく。
いっそ「きしょい」と馬鹿にでもしてくれたらいいのに。
重い扉の閉まる音で、部屋にはあの日の後悔と共に何とも言えぬ気まずさが置き去りにされた。