Secret lover
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引越しを決めたのは心機一転とかそういう意図があったわけではない。
ただ新しい赴任先が週2回の午前中勤務となれば実入りが寂しくなるし、そのくせ前年課税とか言ってお金の出ていく要素だけはタップリある。
最近上の階のに引っ越してきた人が夜中まで友達と騒いでいるのも気に入らなかったので、ちょうどいい機会だからとワンルームの少し安い物件に切り替えることにした、ただそれだけのこと。
いつの間にか荷物は増えるもので、そして近場への引越しだからと友人に任せて適当な荷物作りをしたのが仇となり、いざ電話を繋ごうとしたら電話機が何処にあるのかわからない。
電話の為に全部の荷物をひっくり返すのも面倒で、2、3日くらいなら電話を繋がなくても支障はないだろうと考えた。
そして放置すること一週間。
休みを翌日に控えた夜に重い腰をあげて荷物を開く。
程なく出てきた電話機の線を繋いだことに満足して、少しも進まない片付けを終了させようとした時に電話が鳴った。
そして夜だというのに電話の相手…土屋はまだ荷物も片付かない部屋へ慌ててやってきた。
確かに引越しの事は何も話していなかったけれど、友達と呼ぶにはちょっと抵抗がある彼にわざわざ報告する必要もなかったと思う。
というより、彼が高校を卒業してしまったら何となく縁が切れてしまうような気がしていた。
豊玉の生徒達がそうであるように、土屋もそうであると漠然と考えていたのだ。
「ここ、すぐに分かった?」
玄関を開けて背の高い土屋を見上げると、彼はその姿を確認してから脱力したようにドア枠に凭れかかった。
その様子がかわいらしく可笑しく思えたが、本人には言えないので含み笑いで隠す。
「急にどないしたん?ま、とりあえず上がり。散らかってるけど。」
土屋に背中を向けて一歩踏み出した刹那、急に体の自由が利かなくなって息が止まるかと思った。
「もーほんま、焦った…。電話つながらんし、部屋はもぬけの空やし…。」
土屋の長い腕に背後から抱きしめられていると気付けば更に驚いて声も出せない。
背の高い土屋の声を息遣いを頭の直ぐ上に感じた。
背が高いから華奢に見える体も実はそうでないと彼の肩が、腕が、胸板が教えている。
ドキリとした。
否それはない。
少なくとも南と同じ年齢の子供に、ドキリとだなんて一瞬でもさせられたくない。
そう思ったのは変なプライドであったとしても、それが自分を素面に戻してくれた。
「コラ、どさくさに紛れて何してんの。」
「イタタタ…」
抓りあげた土屋の手はすぐに解けた。
「痴漢予備軍は生活指導室行きやで。」
「痴…酷…しかも生活指導室て、こないだ高校卒業したんやけど。」
「3月31日までは大栄学園の生徒やろ?」
「また先生みたいなことを…」
「だって先生やしねぇ」と土屋の顔を見て笑える。
ほんの数ヶ月前にもこんな風に上手に立ち回ることが出来れば、自分も南も浅い傷で済んだはず。
そして少しも南の面影など持っていない土屋にさえ、それを思い出してしまう自分が嫌だった。
「あ、せや土屋くん背が高いからちょうどよかったわ。そこの箱、棚の上に置いてくれるー?」
そう言って背中を向けた後ろで僅かに眉根を寄せた土屋がガリガリと頭を掻いた。
「ほーんまマイペース。あんまり僕を苛めんといて。」
「虐めるやなんて人聞きの悪い。そんな重たい荷物やないで。」
彼は諦めたようにため息混じりの笑顔を作った。
「僕かていつまでもいい子やないで」と呟いた声は小さくて届かない。
「え?なに?なんか言った?」
「えーっと、どの箱?これでええの?」
「あ、うん」
お邪魔しまーすと部屋に足を踏み入れた土屋は言われた通りに箱を棚の上へと移動させる。
「折角やから他にもありますかー?手伝いますよー。」
「もうそんなにないけど…」
「これは?」と口の開いた段ボールを覗き込んだ土屋が「あ」と小さな声をあげて中からクマの縫いぐるみを引っ張り出した。
クリスマスに自分が贈ったそれを持ち上げ「お前、まだ出してもらえてなかったんー?可哀相ー」と嘆いてみせるからバツが悪い。
「あ、ゴメン。それ今、出そうと思てたトコ。」
苦しい言い訳ついでに笑うと土屋は疑わしげな視線を向けた。
「嘘やないでホンマ。それは特等席に置くつもりやったんや。せやからよく見えるように…えーと、その飾り棚のとこに置いといてくれる?」
コーヒー入れるね、とキッチンに向き合う後ろで、飾り棚にクマを置いた土屋はそこにあった小さなジュエリーボックスに目を留めた。
何気なく開けてみたくなった。
それはただの好奇心だったのだろうか。
小箱の中から現れたのはリストバンド。
濃い水色に白の文字で『4』と刺繍されたそれには嫌というほど見覚えがある。
「何、どうかしたん?」
飾り棚の前から動かない土屋に気付いて声をかけると、彼は振り返って曖昧な笑顔を見せた。
「南」
「は?」
「南のやろ」
直ぐに何の事か気付いた。
疚しいことなどないのに胸の奥が鈍く脈打つ。
「…あぁ、あれは元キャプテンが卒業する時に…」
「見た事あんねん僕。」
視線を落としたまま土屋が呟く。
あれは国体の地区予選の時。
南を見ていた彼女の目は確かに…。
「##NAME1##さんは高校生なんて恋愛対象になれへんて言うてたけど…」
「…けど?」
土屋の言葉に奇妙な胸騒ぎを覚えて続きを促すと、彼は「いや…」と口を閉ざした。
「え?何?気になるやん。」
「気になる?」
顔を上げた土屋は涼やかな目を細めて笑顔を作る。
「うん、気になる。」
「##NAME1##さんみたいな先生やったら、その逆はアリやなぁと。」
「何ソレ」
緊張の糸が一気に解けた。
思わず安堵の笑いが零れる。
考えてみれば自分が南をどう思っていたかなんて誰も知り得ないことだ。
「豊玉で人気あったやろ?」
「冗談。高校生なんて絶対イヤやね!対象外!」
フンと顔を背けた視界には「嘘つき」と声なく動いた土屋の唇は映らなかった。
つづく