Secret lover
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放課後の学校を歩いていた時だった。
すっかり人気のなくなった教室の前を足早に通り過ぎようとすると、ある3年生の教室にまだ誰か残っているのに気づいた。
「誰や、机の上に座ってる行儀悪い子は。そんなところで油売っとらんとはよ帰り。」
教室の入り口から中に向かって声をかけたところで、グラウンドを眺めているその後姿が南のものだと気づく。
窓際の机に座って外を眺めていた彼はチラリとこちらを一瞥すると再び窓の外へ目をやった。
夏の終わりの険悪なムードはいつからか緩和されていて、
それは彼の心の中で全ての事が整理できてしまったからなのかと思うと寂しい気もする。
元来未練は男の方が強いと言うが彼には当て嵌まらなかったようだ。代わりにいつまでもこの想いから抜け出せずにいるのは自分だった。
時間というものは色々と人の心に変化をもたらしてくれる。
南の事を一生懸命忘れようとした時期もあったが、今は無理にこの気持ちを払拭する必要はないのではなかと思い始めていた。
来春、自分も南もこの学校を離れる。
そうすれば二人は二度と会うこともないだろう。
会わなければやがて忘れる。新しい出会いの中で、いつまでも思い出にしがみついていられるとは思わない。
「聞いてる?」
教室の中に足を踏み入れ南の隣に立った。彼に倣ってグラウンドを見遣ると「外周から帰ってきよるわ」と南が独り言のように呟く。
再び窓の外に目をやった。
「たまには顔出せばええのに」
国体も終わると彼はパッタリとバスケ部に顔を出さなくなった。
「やりにくいやろ。新キャプテンが。」
「そんなもんなん?」
「そんなもんや」
へぇと相槌を打つとそこで話題は途切れた。
大学でバスケはやらないの?とは聞かない。先の事は聞かないことにしている。志望校のことも、大阪に残るのか否かも。
それは豊玉を離れたら何もかも忘れることを決めた時点で必須だった。
「国体が終わる前やから、ちょっと前の話になるけど」と南が沈黙を破る。
「アンタは元気にしとるんか聞かれたで。土屋に。」
「え?」
その言葉に驚いて南を見た。
元気かそうでないかなんて、月に1、2回は何かと顔を見せる土屋が知らないはずがない。それを何故、わざわざ南に聞く必要があったのだろう。
「何やねんアイツ」と呟く南に首を傾げる。
「社交辞令なんと違う?」
南が何か言いたげにこちらに顔を向けた時だった。
「あー南おった!ほんまに先に帰ってもーたんかと思たわ!」
教室に飛び込んできたのは南の彼女で「あ、センセも居てる」と、いつもの屈託のない笑顔をこちらにも向けた。
一瞬して壊れる二人の空間。
「二人で何してんの?」
「はよ帰れって言うてたの」
「ほんまや、帰えろー」と彼女は楽しそうに南の腕を取る。
例えば自分が同じ土俵に立っていたら、例えば自分が同じ高校生だったら、彼女の表情を少しでも曇らせることができたのだろうか。
この小さな空間に南と二人きりでいたことを、彼女に嫉妬させることが出来たのだろうか。くだらない事だけれど。
「ほなねーセンセ!」
南の隣で大きく手を振りながら教室を出て行く二人の後姿を見送るのは今でも少し辛くて、けれど精一杯の笑顔を作って手を振り返す。
一瞬、教室を出る南と目が合ったような気がして、秋の終わりを感じさせる空気が少し気分を物悲しくさせた。
街にキラキラとイルミネーションが光る季節に入り、華やかな雰囲気が年の瀬を演出する。
彼氏がいなくなった途端にクリスマスが週末と重なるだなんてツイてないと思う。
イブの日はちょうど終業式だった。
定時なると、いつになく早く帰り支度を始める教員達を尻目にバスケ部の練習に足を運んだ。どうせ一人で居ても虚しいイブになるだけだと考えたからだ。
案の定部員達には寂しい女だと散々からかわれたが、そんな時間の方がまだ楽しく思えた。
すっかり暗くなった帰り道はいつになく華やかで、少しワクワクしたりしなかったり。
何かとイベントは好きなほうだけれど、友人は皆彼氏持ちでこんなイブの夜に一緒に遊んでくれそうな人はいないのがまた悲しい。こうして一人でいると皆に裏切られたような気分になってしまう。
周りがカップルだらけで肩身がせまいけれど、イブにもかかわらずいつもと何等変わらない時間を過ごすのも癪だったので、自分へのご褒美としてちょっと奮発した買い物をしたりした。
しかしそれでも埋められない心の隙間をどこかで感じる。
乗り込んだ電車に揺られながらフと思い立って、いつも降りる駅の手前で降車した。
そしてウロウロと歩き回り普段は訪れることのないその薬局を見つけると躊躇せずに足を踏み入れる。イブのこんな時間にいるはずないけれど、居ないことを確かめたかったのだ。
カウンターに人の気配はなく、自分一人しか居ない店内に来客を告げるベルが鳴る。
「…ほーらね」
店内をぐるりと一周している間に人が出てくる気配がした。サプリメントを適当に放り込んだカゴを片手にカウンターへと向き直る、刹那如何ともしがたい感情が溢れだした。
「今日はシラフやん。」
「な、なんで…」
「せやから家やがな。」
聞きたいのはそんな事ではない。
慣れた手つきでレジを打つ南を呆然と見つめた。
「今日イブやで?彼女と一緒におらんでええの?」
「心配せんでも夕方まで一緒やったわ。」
「えー夕方て…」
「せやかて今日はこれせなあかんし。…2190円。」
慌てて財布を漁る。
「ほんま、よく手伝いしててエライな。」
「タダでやったるかいな。週末はどっかの誰かさんみたいな酔っ払いが来るせいで駆り出されてんねん。」
彼が言うには週末の夜は面倒くさい客が多いので、しばしば店番を押し付けられるのだとか。
2時間程度の短い時間だし時給分小遣いに上乗せしてもらえるから、ついその魅力に負けてしまうらしい。
「彼女からしたら、まだ一緒に居たかったん違う?」
「何やチョロっと言うてたけど結局折れてくれて。結構ええ奴やねん、アイツ。」
南の口から彼女の話が出ただけで胸の奥がズシリと重くなるのに、そんな風に彼女を褒める南に自分の心は底のない沼に落下していくようだ。いっそもっと決定的な言葉で粉々に砕いてくれたらいいのにと思う。
「うん、せやな。あの子イイ子やわ。」
「ええ奴やから困ってんねん。」
「なんでやねん。それ惚気ー?」
「アホ。真面目にや。」
南の言葉尻のひとつひとつに引っかかる自分が居て、飲んでもいないのに頭の中がフワフワして無駄に笑いが出てしまう。
「付き合ってたら色々悩みごとなんて出てくるし、逆に羨ましいわ。エエ子やと思うなら大切にしたりや。」
「………。」
せやな、と南が小さく呟いた。
チリ、と喉の奥が焼け付く。
「ほなねー。センターまで一ヶ月きったんやし、デートも程ほどにして勉強頑張りや、受験生」
南の顔を見ることが出来ないまま店を出た。
外にはチラチラと霙混じりの雪が舞い始めていて、こんなイブならいっそ雨になってくれていいのにと思った。
いつまでも無心で歩いていたかったけれど、気づけば自分のアパートの前で、鞄から鍵を取り出しながらドアの前まで歩み寄りふと足を止めた。
違和感に気づいて視線を落とすとドアの前に置かれた小さなクマのぬいぐるみが目に飛び込んでくる。
「えー?なにー?」
ぬいぐるみを持ち上げるとその腕から擦り抜けたクリスマスカードがヒラリと床に舞う。
再び腰を屈めて拾ったカードを少しドキドキしながら開いてみた。
しかしそこにはプリントされたメッセージだけしか記されておらず、ぬいぐるみを隅々まで見てみても送り主を示すものは何もない。
「名前書いとけ、アホンダラ。間違いプレゼントやったら泣くでホンマ。」
どうしたものかとクマの顔を眺めてみたが「でもカワイイから貰っとこ。返せ言われても返したらん。」と、それに顔を埋めるようにしてギュウと抱きしめた。微かな残り香にハッとする。
もう一度鼻をこすりつけるようにしてみたけれど、それはやはり土屋がしていた香水の香りに似ていた。
「…え、ほんまに?」
そしてその時、彼の電話番号すら知らないことに気づいたのだ。
「………。」
こんな日に誰かが自分を思い出してくれて、そしてこうして自分のためにプレゼントを用意してくれた。たったそれだけの事で胸の芯がギュウと熱くなって、何かが溶けだすように涙が滲んだ。