Secret lover
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「…うわ」
扉を開けた途端土屋が口にした第一声がそれだった。
洗いざらしの髪は空気を含んで広がりっぱなし、もう化粧をするのも面倒だったスッピンの顔は、昨日のせいで誰の目から見ても明らかなほどむくんでいる。
土屋は一旦扉の外に出て部屋ナンバーを確認する素振りを見せたが、目的地に間違いがないことを確認するともう一度マジマジとその顔を眺めた。
「パピ子さん?」
「いらっしゃーい」
「何?その顔。百年の恋も覚めてまうで。」
その言葉に自嘲するような笑みが浮かぶ。
「もう覚められたからええねん。」
「え?」
「わーホンマに堂島ロールや、ありがとう。」
ひょいとケーキの箱を受け取ると土屋を促して部屋に入った。本来ならばもっと喜んだのだろうが、とてもそんな気分にはなれなかった。明るく振舞うだけでもせいいっぱいなのだ。
「それは…失恋したってこと?」
「そ」
そう問われれば隠す必要もないしと素直に答えた。聞いて欲しいと言う気持ちがなかったわけではない。
「こないだは彼氏おらんて言うてたやん。始まりも終わりもあっちゅう間やねんな。」
「彼氏やないねん」
「ん?」
「待たれへんのやてー」
土屋が首を傾げた。
「何を?」
「ヒミツー」
「なんやねんそれ」と呟いた声は届かず、お湯を沸かす準備を始めた後姿を見て土屋は小さく口を尖らせた。
そしてそのまま何気なく部屋を見渡した彼の目に薬の空き瓶が飛び込んでくる。それはベットの脇のサイドテーブルに他の小物と一緒に乱雑に置かれていて、印字された二日酔いとか飲み過ぎにと言う文字と今日の彼女の様子から、ある程度のことが想像できた。
「フラれてやけ酒って訳や?」
キッチンに立つ後ろ姿に声をかける。
「ちゃうで。友達と飲んでる時はそんなんやなかったの。」
「隠さんでええのに」
「これはホンマ。楽しくないお酒は飲みません。」
どうだか、と思いながら適当に相槌をうつ。
何気なくベットに近づくと見覚えのある薬局の紙袋に気づいた。気のせいだろうか、視線を落とした鞄にかかっているタオルにも見覚えがあるような気がしたのは。
「………。」
そのタオルを手に取ると、淵に小さく書かれたイニシャルが見えた。
そしてふと思い出した。
夏合宿の夜、確かに南が彼女を追いかけてきたのだった。それ自体はキャプテンと顧問という間柄を考えれば別に不思議ではない。あの後打ち合わせがあったのかもしれないのだし。
再びサイドテーブルに視線を戻す。そして先ほどは気づかなかった一枚のメモにそうっと手を伸ばした。
「…鍵」
どう見たって男の文字と分かるそれ。
そういえばあの時、彼女を追いかけてきた南はどんな様子だったか。
そんな小さな世界で物事が回っているのだろうか。けれど思い出したひとつひとつの出来事と、そして今しがた彼女が話していた言葉がパズルのピースとなって組み立てられていく気がした。出来すぎている。
「なぁパピ子さん」
「んー?」
「この部屋に生徒を呼んだりすることあるん?」
少しの間があった。邪推してしまう。
「…呼ばんやろ」
そう答えたあと急に声のトーンを上げて「さぁさぁ紅茶が入ったで」と笑う顔が腫れぼったいのは、やはり酒のせいというよりは泣きはらしたからだと思う。
「食べれるん?体調悪いんと違う?」
「食べる、食べれる。若いから二日酔い知らずやねん。いただきますー。」
胃に負担をかけないようにと紅茶に入れたミルクをかきまわす、目前のその細い指を土屋は何気なく眺めた。
「南龍生堂贔屓にしてるん?」
その問いにキョトンとして顔をあげた視線と自分のそれとが重なる。
「いや、袋があったから。あれ南ん家やろ、薬局屋さん。」
その顔が少し曇ったのを土屋は見逃さなかった。
「へー、土屋くん、よぅ知ってんねやなぁ」と視線を伏せた長い睫毛の奥をじいっと見つめる。
「バスケ以外の付き合いはないけど、それくらいの事は知ってるで。お互い中学の時から強化選手やったし、タメやとどうしても口利く回数増えるやん?」
「へぇ」と興味なさそうにしながらもそのテンションが目に見て分かるほど低くなってゆくのを見て、あながち外れではないかもしれないと思った。
「…コレ美味しいなぁ。ありがとう。甘いもの食べたかってん。」
「喜んでもらえて嬉しいわ」
そう言って土屋は渾身の笑みを見せた。
「次に好きになるんは僕みたいなのにしいや。」
「あははは、せやなー、ケーキ買ってくれるし。」
「そうそう。そうやで。」
冗談めかして言いながらテーブルに両肘をついて顎を乗せる。
「話、聞こか?」
うん、と歯切れの悪い返事の後に「縁がなかったんやろうな」という言葉が返ってきた。
「あぁ、待たれへんってやつ?」
切れ長の目の下から相手の様子を窺う。
「…うん」
「せやけど男が待たれへん理由ってなん?それって普通は女の人の台詞やんな。」
「まぁ色々と」と伏せられた目から視線を逸らせて土屋は「そうやなぁ」と考えるそぶりを見せた。
「パピ子さんは学校の先生してはるから、例えば先生と生徒の禁断の恋、とかやったら考えられへん事もないかな。男からしたら卒業するまでなんてなかなか待たれへんし。」
「あははオモロい」と言った顔は少しも面白そうではない。
「せやけど僕がその立場やったら、」と土屋は目を細めた。
「半年でも一年でも待つけど。パピ子さんが望むなら指一本触れずに。」
ポカンと自分を見あげる顔に微笑み返すと、その視線はすぐに逸らされてしまった。
「例えば、やで?」
「ああ、そうか。そうやね。びっくりした。」
安心したようにはにかむその顔からは、先ほど一瞬垣間見せた警戒するような表情は消えていた。
「でも実際は土屋くんが考えてるより難しいと思うわ。」
「そう?」
「そう。それに女の先生の大多数は高校生と恋愛なんてしたないと思うで。」
「なんで?」
「そんなリスク、侵したないもん。せやから高校生は、高校生同士で恋愛するのが、1番ええねん。」
何かを思い出すように、自身に言い聞かせるようにそう言うと、下唇を噛んで視線を天井へ向ける。涙を堪えるかのようなその仕種を土屋はボンヤリと眺めた。
邪推が邪推ではなくなる。
「土屋くんはどうなん?好きな人はおれへんの?」
やがて降ってきた質問に、彼は何事にも気付かなかったかのように答えた。
「んー、気になる人はおるかな。相手にされてへんけど。」
「へぇ土屋くんに靡かん子おんねんなぁ」
大人はずるい。逃げる術を知っている。
「そ、手ごわいねん。今はまだ時期尚早かな。僕が思うには。」
けれどその程度で諦めるほどヤワではない。バスケでも恋愛でも、一本をじっくり確実に決めるそのスタイルは嫌いじゃない。
「わ、落とす気満々やん。」
「もちろん」
そう言って土屋は目を細めた。
そう言えば今年のIHでも優勝候補の大本命相手にまさかの黒星をあげた神奈川の無名校がいた。
「何がどう転ぶやなんて、誰にもわかれへんやんな。」
簡単に手に入らないものほど欲しくなるものだ。