Secret lover
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広島から帰ってきた次の日は、休み明けから産休に入る先生の手伝いも兼ねて出勤していた。
学校の敷地内に立つと静かな体育館が昨日の事を夢の中の出来事のように思わせた。練習を覗きにいかなければ、新学期まで彼らに会うことはないかもしれない。
その先生には世話になっていたし、荷物整理や備品の片付けなんてたかが知れているのだけれど、彼女は気にして夕食をご馳走してくれた。
話題がバスケに及んでも「昨日は久しぶりに泣きましたよ」と笑う事ができた。所詮自分は見ていただけの人間なのだ。
もうすっかり大きくなった彼女のお腹はいつ子供が生まれてもおかしくないように思えた。旦那は大学の時の先輩だという。
教員はどうしても同じ職業の人や、大学時代の人とゴールインするのが多いよねと彼女は笑う。
「先生、彼氏は?」
「おらんのですよー、アタシも大学の時の彼氏と結婚するつもりやったんですけどフラれてしまったんですー。」
「えー、彼氏おらんようには見えへんわ。」
その台詞がお世辞であっても嬉しい。
「いい人おったら紹介してくださいよ。」
「どんな人が好きなん?」
「そうですねー…」
どんな人が好きだったんだろう、よく思い出せない。
「背の高い人が好きです。」
「あー、あたしの周りにはおれへんなぁ。ウチの学校にはぎょうさん転がってんのにな。生徒やけど。」
無駄に転がってるわ、と二人で声を上げて笑った。
「せやけどパピ子先生、人気あるから気をつけや。」
「な、何がですか?」
口の周りを手で拭いながら問う。
「うち私立やし、そういうのに厳しいねん。噂だけでクビになった人もおんねんで。」
「えっ、噂…」
「生徒とデキてるて噂や。先生、こないだも災難な目に会うてたやん。」
忘れもしない。
他校の高校生と付き合っていると言う噂が立った時は、それはそれはコッテリ絞られたのだ。そんな噂が立つのは普段から浮ついている証拠だとまで言われた。
「わ…クビにならんで良かった…」
「先生の時は具体的に相手の名前が挙がったわけやないし、勤務したこともない学校の生徒やったんやろ?流石にあれでクビにはならんやろうけど…」と彼女は笑って少し眉尻を下げた。
「最近、結構あるらしいやん。噂やなくてホンマに。教師が生徒と付き合うてるて。」
「え?在校生とですか?」
「せやでー。有り得へんと思わん?隠れなあかん事をするのはやっぱり良くないと思うねん。」
別に後ろめたい事があるわけではないけれど、チクリとくる。
「別に好きになるなとは言わへん。けど、それをすぐ形にせんでも卒業するまで大切に仕舞っとけばええのにて思う。若い子がそれを抑えられへんのは仕方ない、問題があるとしたら自分を抑えられへんかった教師側にあると思うねん。」
そう言って苦笑いする彼女に賛同した気持ちは嘘ではない。けれど自分の事になると周りが見えなくなるのは良くあることだ。
8時をまわると流石に蒸し暑さも控えめになってきていて、最寄の駅からのんびりと歩いて帰っていた。
やがてアパートが見えてきたところで、その人影に気づく。
ブロック塀に凭れ掛かり、長い足を面倒くさそうに放り出して立つ、その姿には見覚えがあったが、まさか。
心臓の音が加速するにつれて歩く速度も早まる。
こちらに気づいた様子でその人が顔を上げた。
「……南、くん?」
どうしたの?と喉まででかかった言葉が言えなくて口を閉ざす。
彼はゆっくりと身体を起こし、そして視線を落とした。
こんな時、何と言ったらいいのだろう。突然の事に言葉を探せず立ち竦む。
「…なんとなく、会いたなってん。」
一瞬にして胸が詰まる。握りつぶされそうになった心臓が息苦しくて返事が出来ない。
らしくない彼にそんな事を言われて追い返せるほど冷たい人間にはなれなかった。
しかしその実、心のどこかで彼が自分を選んで会いに来てくれたのだと自惚れ嬉しく思う自分がいたのだ。
「……お茶くらいしか…出せへんで。」
そう言って部屋に招き入れる。
外には夜の帳が降りようとしていた。
「もみ饅やなくてこれ買ってみてん。アレよりモチモチしてて美味しいんやけど…焼き餅咲きちゃんてネーミング、可愛らしいようで怖ない?ヤキモチなんて大々的に咲かせたらアカン思うわ。」
探せない言葉の代わりに自分でも呆れるくらいしょうもない話題ばかりが飛び出す。
「あ、お茶出てないわ。ちょっと待ってよ。」
えっと、他には…」
遂に立っている理由はなくなってしまったけれど、流れる沈黙に何となく立ったまま南を見た。
大阪一位は当たり前と言われて来た豊玉で、自分の代に限ってそれを成し遂げられなかったばかりかIHで初戦敗退を記した彼の心中を思えば、頑張ったからいいじゃないかなんて軽々しい台詞を言ってはいけないような気がした。
「何突っ立ってんねん。」
言われて我に返ると南と目が合った。思わず苦笑いする。
「正直言うと、」
そう言いながら南から距離を取るように、彼の座る三人掛けソファーの端に浅く腰掛けた。
「何て言葉をかけたらええんか分からんで困ってんねん。」
「妙な気使われたら気持ち悪いわ。」
「気持ちわるいて…」
毒舌は健在だと口を尖らせながらも、それに少し安堵して頬が緩む。
「ウチの生徒が1番頑張ってるて思てたけど、他の学校もこの大会に賭けて頑張ってたんやなぁ。」
「当たり前や。」
静かな部屋に単調な時計の音が響く。
少し顔を横に向ければ端正な南の横顔。昨日頭に巻かれていた包帯はもうない。
触れたい、と、フとその時思ったのだ。彼に触れたいと。
「怪我は大丈夫なん?」
南の視線がこちらに向けられたのは一瞬のことで、直ぐに戻されてしまった。
「大丈夫やなかったらあの後試合に出てへん。」
「そらそうやけど…」
怪我を気遣う素振りでその頭に触れようと、腕をめいいっぱい延ばしたが届かない。姿勢を変えて彼へと向き直り、距離を詰めてもう一度手を延ばす。
触れそうになったところで、急に上半身を捻ってそれを避けた南が手首を捕えた。
戻した視線が絡まって、
「…なにすんねん。」
「…怪我見たろ思たんや。」
そして時間が止まる。
掴まれた手首が脈打ち、鼓動が全身へと広がってゆく。
その目に吸い込まれてしまいたいと本気で思った。
やがて唇を寄せたのはどちらだったか。
ゆっくり重なったそれに、頭の芯が痺れた。
学校の敷地内に立つと静かな体育館が昨日の事を夢の中の出来事のように思わせた。練習を覗きにいかなければ、新学期まで彼らに会うことはないかもしれない。
その先生には世話になっていたし、荷物整理や備品の片付けなんてたかが知れているのだけれど、彼女は気にして夕食をご馳走してくれた。
話題がバスケに及んでも「昨日は久しぶりに泣きましたよ」と笑う事ができた。所詮自分は見ていただけの人間なのだ。
もうすっかり大きくなった彼女のお腹はいつ子供が生まれてもおかしくないように思えた。旦那は大学の時の先輩だという。
教員はどうしても同じ職業の人や、大学時代の人とゴールインするのが多いよねと彼女は笑う。
「先生、彼氏は?」
「おらんのですよー、アタシも大学の時の彼氏と結婚するつもりやったんですけどフラれてしまったんですー。」
「えー、彼氏おらんようには見えへんわ。」
その台詞がお世辞であっても嬉しい。
「いい人おったら紹介してくださいよ。」
「どんな人が好きなん?」
「そうですねー…」
どんな人が好きだったんだろう、よく思い出せない。
「背の高い人が好きです。」
「あー、あたしの周りにはおれへんなぁ。ウチの学校にはぎょうさん転がってんのにな。生徒やけど。」
無駄に転がってるわ、と二人で声を上げて笑った。
「せやけどパピ子先生、人気あるから気をつけや。」
「な、何がですか?」
口の周りを手で拭いながら問う。
「うち私立やし、そういうのに厳しいねん。噂だけでクビになった人もおんねんで。」
「えっ、噂…」
「生徒とデキてるて噂や。先生、こないだも災難な目に会うてたやん。」
忘れもしない。
他校の高校生と付き合っていると言う噂が立った時は、それはそれはコッテリ絞られたのだ。そんな噂が立つのは普段から浮ついている証拠だとまで言われた。
「わ…クビにならんで良かった…」
「先生の時は具体的に相手の名前が挙がったわけやないし、勤務したこともない学校の生徒やったんやろ?流石にあれでクビにはならんやろうけど…」と彼女は笑って少し眉尻を下げた。
「最近、結構あるらしいやん。噂やなくてホンマに。教師が生徒と付き合うてるて。」
「え?在校生とですか?」
「せやでー。有り得へんと思わん?隠れなあかん事をするのはやっぱり良くないと思うねん。」
別に後ろめたい事があるわけではないけれど、チクリとくる。
「別に好きになるなとは言わへん。けど、それをすぐ形にせんでも卒業するまで大切に仕舞っとけばええのにて思う。若い子がそれを抑えられへんのは仕方ない、問題があるとしたら自分を抑えられへんかった教師側にあると思うねん。」
そう言って苦笑いする彼女に賛同した気持ちは嘘ではない。けれど自分の事になると周りが見えなくなるのは良くあることだ。
8時をまわると流石に蒸し暑さも控えめになってきていて、最寄の駅からのんびりと歩いて帰っていた。
やがてアパートが見えてきたところで、その人影に気づく。
ブロック塀に凭れ掛かり、長い足を面倒くさそうに放り出して立つ、その姿には見覚えがあったが、まさか。
心臓の音が加速するにつれて歩く速度も早まる。
こちらに気づいた様子でその人が顔を上げた。
「……南、くん?」
どうしたの?と喉まででかかった言葉が言えなくて口を閉ざす。
彼はゆっくりと身体を起こし、そして視線を落とした。
こんな時、何と言ったらいいのだろう。突然の事に言葉を探せず立ち竦む。
「…なんとなく、会いたなってん。」
一瞬にして胸が詰まる。握りつぶされそうになった心臓が息苦しくて返事が出来ない。
らしくない彼にそんな事を言われて追い返せるほど冷たい人間にはなれなかった。
しかしその実、心のどこかで彼が自分を選んで会いに来てくれたのだと自惚れ嬉しく思う自分がいたのだ。
「……お茶くらいしか…出せへんで。」
そう言って部屋に招き入れる。
外には夜の帳が降りようとしていた。
「もみ饅やなくてこれ買ってみてん。アレよりモチモチしてて美味しいんやけど…焼き餅咲きちゃんてネーミング、可愛らしいようで怖ない?ヤキモチなんて大々的に咲かせたらアカン思うわ。」
探せない言葉の代わりに自分でも呆れるくらいしょうもない話題ばかりが飛び出す。
「あ、お茶出てないわ。ちょっと待ってよ。」
えっと、他には…」
遂に立っている理由はなくなってしまったけれど、流れる沈黙に何となく立ったまま南を見た。
大阪一位は当たり前と言われて来た豊玉で、自分の代に限ってそれを成し遂げられなかったばかりかIHで初戦敗退を記した彼の心中を思えば、頑張ったからいいじゃないかなんて軽々しい台詞を言ってはいけないような気がした。
「何突っ立ってんねん。」
言われて我に返ると南と目が合った。思わず苦笑いする。
「正直言うと、」
そう言いながら南から距離を取るように、彼の座る三人掛けソファーの端に浅く腰掛けた。
「何て言葉をかけたらええんか分からんで困ってんねん。」
「妙な気使われたら気持ち悪いわ。」
「気持ちわるいて…」
毒舌は健在だと口を尖らせながらも、それに少し安堵して頬が緩む。
「ウチの生徒が1番頑張ってるて思てたけど、他の学校もこの大会に賭けて頑張ってたんやなぁ。」
「当たり前や。」
静かな部屋に単調な時計の音が響く。
少し顔を横に向ければ端正な南の横顔。昨日頭に巻かれていた包帯はもうない。
触れたい、と、フとその時思ったのだ。彼に触れたいと。
「怪我は大丈夫なん?」
南の視線がこちらに向けられたのは一瞬のことで、直ぐに戻されてしまった。
「大丈夫やなかったらあの後試合に出てへん。」
「そらそうやけど…」
怪我を気遣う素振りでその頭に触れようと、腕をめいいっぱい延ばしたが届かない。姿勢を変えて彼へと向き直り、距離を詰めてもう一度手を延ばす。
触れそうになったところで、急に上半身を捻ってそれを避けた南が手首を捕えた。
戻した視線が絡まって、
「…なにすんねん。」
「…怪我見たろ思たんや。」
そして時間が止まる。
掴まれた手首が脈打ち、鼓動が全身へと広がってゆく。
その目に吸い込まれてしまいたいと本気で思った。
やがて唇を寄せたのはどちらだったか。
ゆっくり重なったそれに、頭の芯が痺れた。