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「───ッオイ!」
乱暴に肩を掴まれて我に返り、橋の欄干から上半身を乗り出している自分に気づいた。
「…は」
何が起きているのか分からないまま振り返った名無子を、険しい顔をした少年が見つめている。よく回らない頭が"イケメン"とだけ認識した。
「ゆっくり、こっちへ」
自分の腕を取って誘うその声に従って名無子が欄干から足を下ろすと、その足元では見えないはずの犬が見えないはずの"何か"をバクバクと喰らっている最中だった。
「…ッ」
身体を強張らせた名無子を見て、少しクセのある黒髪を揺らした少年が「見えるのか?」と問った。名無子が顔を上げると、彼女と同じくらいの歳の少年が見えないはずの犬を視線で指し示す。質問の意味を解した名無子の目に、涙が浮かんだ。
まだ暑さの残る公園のベンチに腰掛ける名無子に、自販機から戻ってきた伏黒がペットボトルを差し出した。
「…ありがとう」
呪いに引き摺り込まれるところだったのだと聞いたばかりの名無子は、かなり落ち込んだ様子でそれを受け取った。伏黒が、人1人座れるくらいのスペースを開けてその隣に腰掛ける。
「…夏休みくらいから……幽霊?怨霊?なんか怖いものが、急に見えるようになって…」
手に持ったペットボトルを握りしめて名無子が話し始めた。
「見えることがバレたら連れていかれるって聞いたことがあるから、ずっと見えないフリをしてたんだけど……そしたらそのうち夢まで見るようになって」
「夢?」
「そう。水に沈められる夢。いつも苦しくて目が醒めて…」
そこまで言うと名無子は伏黒に向き直った。
「でももう大丈夫なんだよね?さっき、悪い霊を祓ってくれたんでしょ?」
乞うような必死の形相を見せる名無子に伏黒は戸惑い、答えに窮する。
彼女にまとわりつく残穢のような気配は、先程祓った低級の呪いのもののようだが、残穢が残ること自体あり得ないのにそれが未だ彼女から離れないことに違和感を覚えていたのだ。
「大丈夫だって…言ってよ…」
伏黒の表情を見て何かを悟った名無子は、身体を折ってうめくように呟いた。
「祓ったつもりなんすけど、なんか違和感があって」
「直感は大事にしよう。終わってないよ、それ」
両腕を組んだ五条は、伏黒に向かってそう言い放った。
「で、その子と連絡先交換したの?」
「一応」
「グッジョブ。可愛い子だったんだね」
「そういう下心ないんで。先生と一緒にしないでくれます?」
「可愛いのは否定しないんだー」
わざとらしく肩をすくめながら口元に手を当ててみせる五条が鬱陶しくて、伏黒は小さく舌打ちした。
その日いつもより早起きをした名無子は、念入りに身支度を整えて早めに家を出たつもりだったが、待ち合わせ場所には既に伏黒の姿があった。
彼の姿を見ただけで変にテンションが上がってしまいそうになる自分を落ち着かせるために、名無子はゆっくりと深呼吸をする。
「恵くん!」
その声に反応してこちらに顔を向けた伏黒に名無子は笑顔で駆け寄った。
「ごめん、待った?」
「いや、俺が早く着きすぎたから」
その言葉に素直に嬉しくなって、名無子はだらしなく緩んでいるであろう自分の頬に手を押し当てて表情を引き締めようと努めた。
あれから伏黒とは定期的に連絡を取っていた。変わった事はないかとか、夢の内容に変化があったかとか、結局その手の話題に終始するのだがそれでも名無子は嬉しかった。自分を心配してくれる人の存在に、不謹慎ながらワクワクもしていた。
「どこに行くの?」
「溺れそうなところ」
そう言って伏黒に連れられてきたのは、やたらと磯臭い船揚場だった。所々に釣り糸を垂れている人がいるその周辺をあてもなくぶらぶらするだけでも、隣に居るのが伏黒というだけで楽しかった。
やがて足を止めた名無子は、大きな排水溝から水が海へ流れ込むのをしばらく眺めてから「私たちも釣り竿持ってくればよかったね」と言った。
「釣り…やった事ねぇんだよな」
「…実は私も」
「なんだよそれ」
視線を合わせて笑うと、それだけで気持ちが繋がったような気分になれて嬉しかった。
それから溜池、そして河原へと場所を移す。
「悪いな。付き合わせて」
「ううん、付き合ってくれてるのは恵くんの方じゃん」
伏黒は呪いを祓う仕事をしているのだと言っていた。
呪いに苛まれるのは嫌だったが、これが片付いてしまえば伏黒が自分と会う理由はなくなってしまうと思うと、名無子は複雑な気持ちになってしまう。
そんな事を考えて歩いていたら、河原の石に足を取られてバランスを崩した。
「わっ」
咄嗟に手を伸ばした伏黒が名無子の二の腕を掴んで身体を支える。
「大丈夫か?」
グイと身体を引き寄せられて、長いまつ毛に縁取られた瞳がすぐそばにある事に気づいたら、自分でも分かるほど動悸が激しくなって名無子は思わず顔を逸らした。
「…だ、いじょうぶ」
「離すぞ」
「ん、ありがと」
身体を支えていた伏黒の手がゆっくりと離れていく。
愛想がいいわけではないけれど面倒見の良い伏黒のそれが、自分への好意の表れだったらいいのになんて思うのは都合良すぎるだろうか。妄想を掻き消すように名無子は声を張り上げた。
「河原の石って、削られて丸くなってるから滑りやすいよね!」
「鈍臭いだけなんじゃね」
「ひっど!」
あまり表情を変えない彼が自分に向かって悪戯っぽく笑うのを見ると、胸を鷲掴みにされる心地がして名無子はその場にしゃがみ込んだ。
「…石ころアートって知ってる?」
「…いや」
「アクリル絵の具とかで石に絵を描くんだよ」
そこにあった形の良い石を拾い上げて伏黒に向かって見せると、彼は興味なさそうに「へー」とだけ言った。
「私もやってみようかな。なんか綺麗な石が多いし」
河原の石を物色し始めた名無子を一瞥してから、伏黒は川に視線を移す。
この川は、名無子が引き摺り込まれそうになった川の上流にあたる。
「…水は関係ないのか…」
名無子の身体から消えない僅かな呪いの匂い。夏休み中にあった出来事を何度聞いても、彼女と水は結びつかない。
不本意ながら師である五条に教示願わねばならなくなりそうだと伏黒が眉根を寄せた刹那、不意に呪いの気配を感じた。
「……ッ」
名無子の姿を探して周囲を見渡すと、あれほどもたつきながら歩いていたはずの彼女がいつの間にそこまで辿り着いたのか、1人で川に入って行く後ろ姿が見えた。
「名無子!」
水の流れに逆らうように深みへと進んでゆく名無子に伏黒の声は届かない。
太陽に反射してキラキラと光る水面に無数の産子の顔が浮かんでいた。
テーブルの向こうに座る伏黒の隣には、真っ黒なサングラスをかけた男が座っていた。伏黒の先生だというその人は五条と名乗った。霊感云々の前に、呪いを祓うためには顔選考があるのかもしれないと名無子は思った。
「そのおばあちゃんの家に帰省した時に、地元の人たちがワークショップをやってて。綺麗だなって思って、それで買って帰ったんです」
名無子と彼らを阻むテーブルの真ん中には、丸い置物が置かれていた。伏黒が名無子を家まで送り届けた際に彼女の部屋で見つけたそれには、水玉を組み合わせた曼荼羅のような装飾が施されていて、見ただけでは石と分からない。
「石ころアート、ねぇ」
五条はその石を手に取ってサングラス越しに目前に翳した。真っ黒なサングラスをかけたままで本当に見えているのだろうかと名無子は思う。
「これ、元々は河原の石だったみたいだね。河原の石は無闇矢鱈に持って帰らない方がいいんだよ。君のおばあちゃんが住んでる所は、子がえしが多く行われていた地域だしね」
「子がえし?」
「昔貧しい農村で行われた口減らしのこと。川に沈められた子どもや沈めた親たちの負の感情が今回の呪いの発端ってわけ。河原にある石が全部そうって訳じゃないけど、今回はたまたま悪い石を掴んじゃったようだね」
五条はそこまで言って「これは僕が処分しとくから」と手にしていた石をポケットに入れた。
「これで万事解決だね」
軽く両手の平を打った五条に名無子は「はぁ」と気のない返事を返した。
「表情暗いね。喜ぶとこだよ?」
小さく首を傾けた五条の隣で、伏黒がテーブルに膝をついて身体を乗り出す。
「何かあるなら言っとけよ」
反射的に名無子は俯いた。
「あ、いや、ううん、大丈夫」
そんな2人の様子を五条が面白そうに眺めている。
「ま、青春には色々な葛藤があるよね」
「え…?」
「悪いな。この人、色々アレなんで気にすんな」
背筋を正した伏黒が親指で隣の五条を指し示すと、彼は「昔は可愛かったのに」とため息を吐いた。
「マジで…」
「出ようか」
抗議の声を上げようとした伏黒を遮って立ち上がった五条がテーブルの伝票を手に取るのを見て名無子が慌ててカバンから財布を出そうとすると、彼は「経費で落とすからいいよ」と言って手に持った伝票を小さく振った。
「ありがとうございます」
立ち上がってお辞儀をした名無子を見て唇の端を吊り上げた五条が、身長差を埋めるために腰を折って彼女に耳打ちをする。
「…あ、…え?」
驚きと戸惑いを隠せない瞳が五条を見上げると、「何してんすか」と伏黒が不審そうに眉根を寄せた。
「ヒミツー。恵には教えないよ」
「ぶん殴りますよ、」
いつもの調子で悪態を吐いたところで、自分をマジマジと見ている名無子に気づいた伏黒が、少し気まずそうに「行こう」と彼女を促した。
「僕は先に帰るけど、恵は彼女を家まで送ってあげなよね」
五条が2人に向かってグッと親指を立てると、振り返って五条を見た伏黒は心底嫌そうな顔をした。
並んで歩きながら、いつになく会話が少ない事にはお互い気づいていた。五条に耳打ちされた言葉が頭から離れなくて、名無子は隣を歩く伏黒の表情を横目で何度も窺い見た。
彼の仮面が剥がれてしまうかもしれないと思うと、思っている事を素直に口にする事に躊躇した。伏黒が優しい理由は、単純に仕事だからかもしれなくて、それが終わればあっという間に他人行儀になるのかもしれない。それでもチャンスがあるのだとしたら、次の約束を取り付けるのは今日、今しかない。だが、危険な橋を敢えて渡らず楽しかった思い出で終わる選択肢もある。
煮え切らない気持ちを抱えた名無子が焦燥感に駆られていると、不意に伏黒が口を開いた。
「良かったな」
「…え?」
名無子が驚いて伏黒を見ると、彼は真っ直ぐ前を見据えている。
「これでもう、呪いが見えるようなことはなくなるはずだ」
「……」
落とした名無子の視線の先に靴のつま先が映る。
「…そうしたら、恵くんが私に会う理由はなくなるね」
「……あぁ…」
「そうだな」と言った伏黒の声がいつもより冷たく聞こえて、砂に水が染み込むように会話が消えた。それを酷く寂しいと思う気持ちが逡巡する名無子の足を止める。2、3歩進んでから名無子が立ち止まっている事に気づいた伏黒が振り返った。
「どうした?」
「…あの、あのね、恵くん」
伏黒の顔が訝しげに傾く。
「理由がないと、会えないのかな?」
「は?」
「私……私は、理由がなくても恵くんに会いたい。…っていうか、これからも、呪いとか関係なく会って遊んだりできたらいいなって…」
口ごもりながらも伏黒の表情を見逃さないように正面から見据えると、一瞬驚いた表情を見せた伏黒が焦った様子で顔を背けた。
腕で自分の口元を隠した伏黒は、ややあってからそれを外し、再び名無子に視線を戻した。
「………会うのに理由なんて、…いらないだろ、別に」
「…それは、呪いとか抜きにして、また会ってくれるって事?」
「予定が合えば」
「連絡していいってこと?」
キラキラとした目で自分を見上げる名無子から目を逸らした伏黒が、不貞腐れたような顔で乱暴に自分の頭を掻いた。
「連絡、俺からもするし」
この関係に名前がつくとしたら、それはもう少し先の話。
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