Chocolate Lily
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「五条さん」
ナビス子がどこか上の空でその声を聞き流していると「五条さん」としつこく繰り返されるので、居るなら早く返事をしなさいよと心の中で思いながら顔をあげて自分が凝視されていることに驚いた。
「はい?私ですか?」
「だって貴女も五条さんでしょ?」
「…あ、はい」
そうでした、とは言えずに苦笑いを浮かべる。
山﨑の名を隠して五条悟の遠縁という設定で呪術高専に転職したのはそれから間もなくだった。
縁故採用という事で無理やり捩じ込まれたのではないかと思っていたが、特異性もあって人手が足りないと言うのは本当らしい。
「五条さんって、あの五条悟と親戚なんでしょ?」
「そうなんですけどかなり遠縁だし、本家の悟さんとは全く接点なかったんですよね。皆さんが知ってる程度の事しか知らないです」
五条悟の親戚というだけで何かと興味を引くらしく、根掘り葉掘り五条の情報を聞きたがる者もいたが、ボロを出さないためにはとにかく知らぬ存ぜぬで通す事に決めていた。
「なーんだ、残念。じゃあこれ、こないだの経費の精算書」
「あ、はい」
術師と接点が少ないだろうと事務職として入ったが、外部の人の出入りが制限されている分、妙に雑用が多い。任務に関する手配や事後処理は補助監督がしてくれるものの、庶務雑務を含めて目に見えない雑用とは意外に多いものだ。
そして動くお金の桁がひとつふたつ違うのだから、ものすごく神経を使った。
それでも、五条が言う通り公的機関への事務的な手続きを自分で出来る事は今後の事を考えた時に色々と都合がよかった。
「あのさー、自販機のコーラ切れてるんだけど」
事務室の受付窓から、コンコンとガラスを叩く音と共に聞き慣れた声がする。
うっせ、こちとら慣れない職場でてんてこ舞いなんだよと心の中で呟きながら、呪術高専の先生で特級呪術師である五条悟に一介の事務員がぞんざいな態度を取るわけにはいかない。
「すみません五条さん。すぐに補充しておきます」
「よろしくねー」
ブラックじゃない部署にしてくれと言ったはずだが、と思いながら席を立つ。ついでに医務室のシーツも交換しておこうと思った。
呪術高専の中に一般の人は入る事を許されていないので、当然ながら本来なら事業者がやってくれる自販機への補充は高専内の人間がやらなくてはならない。仕入れた飲み物は敷地外で受け渡しをしたあと、高専内の倉庫に保管されていた。
そこら辺の女の子より少しは腕力があるつもりだったので、コーラの入った箱の上に缶コーヒーの箱を積み上げて一緒に抱えて歩きながら、暑い季節になったらしょっちゅう補充しなくてはいけないなと考えた。
そして、面倒だからと一気に二箱分持って来てしまった事を少し後悔し始めていた。
乾いた手のひらから、かなり重みのある箱が滑り落ちそうだと、足を止めて箱をヨイショと抱え直す。
再び歩き出したところで不意に声をかけられて首だけで振り返ると、明るい色の髪を七三分けにした眼鏡の男がいた。
「落としましたよ」
手にはナビス子が胸ポケットに刺していたはずのペンが握られている。
「あ、ありがとうございます」
とは言ったものの。両手が塞がっていて受け取ることができない。
「えっと、箱の上に置いてもらえますか?」
すると素直にペンを箱の上に置いて、男はナビス子から箱を受け取るようにその下に手を差し込んだ。
「自販機まで運べばいいですか」
「いや、いえ、そんな大丈夫です」
「ついでなので。そんなところに置いてもまたすぐ落としてしまいますよ」
そう言って軽々と箱を持ち上げてしまう。
外国の血が混じっているのか、全体的に色素が薄いその人は、雰囲気から、補助監督ではなく呪術師なのだろうと思った。
「高専の呪術師にまさかの紳士がいたんです」
ナビス子はソファから身を乗り出して、今し方口につけたカップをテーブルに置いた。
呪術高専には学生寮だけでなく職員寮も完備されていたが、ナビス子は当然入居しなかった。通勤時間が多少かかるようになったとしても、息を潜めて生活するよりマシだし、こうやって思い出したかのように五条が部屋にやってきても周囲の目を気にしなくて済む。
「僕のこと?」
「ギャグですか?」
「いるわけないでしょ、紳士な呪術師なんて」
隣で背もたれに長い腕を預けていた五条が、ベ、と舌を出して見せる。
「五条さんが言うと説得力あるー」
ナビス子は、彼女がいつもそうするように座面の上で自分の両膝を胸に引き寄せると、「リーマン風だからカッコよく見えたのかなぁ。言動も紳士だったんだけど」と、独り言のように呟いた。
「新入学生は2名で間違いないんですよね?」
「1人は入学時期がずれ込みそうだから、4月から入るのは1人かな」
「1人…」と呟きながら天井を仰ぐ。
「なんか…可哀想だな、同級生がいないなんて。高校なんて何をやっても楽しい時期なのに」
「学年違っても生徒はいるんだから問題ないでしょ」
「そういう問題じゃなくって。高校とか青春真っ只中じゃないですか。友情とか恋愛とか、なんだろ…色々。大勢いた方が楽しいと思う」
そして「戻りたいなぁ」と抱えた膝に顎を乗せた。
「今更高校時代に戻ってどうするの」
「遮二無二恋愛する」
「くだらないね」
にべもなくそう返されて隣の男を横目で睨んだナビス子の表情は、それが横顔であっても目隠しで隠されていても、彼の造作の美しさに改めて感心して自然と緩んだ。
高専で働き始めてから、五条の事を興味本位で聞いてくる者もいれば、五条に恋人はいるのか、若しくは許嫁のような人はいるのか、とかなり目的を絞って聞きにくる者もいた。
「五条さんが高校生のときに付き合ってた人ってどんな人?美人系?可愛い系?」
「どうかな」
居るだろうとは思っていたけれど、彼の口からその存在が知らされたことで、チクリとした胸の奥からモヤモヤが広がってゆく。
彼の初めてはどんな人だったのか。
愛していたのか。その頃はまだ、愛と呪いを結びつける事はしなかったのだろうか。
「高専の人?歳上?歳下?同級?」
「そんなのどうでもいいじゃん」
「教えるだけタダじゃん」
「あのねぇ」と、五条が面倒くさそうに頭をかいた。
「それこそ中高生じゃあるまいし、そんな事知ってどうするの?」
「五条さんのタイプを知りたいだけ」
「だから知ってどうするのって言ってんの」
「そういう事を私に聞きに来る人がいるんですよ」
「相手にするなよ」
「私、入りたての新人ですからね?邪険にできないでしょ。それに五条さんのタイプを知ってたら私だってそれに寄せられるかもしれないですよ?」
「絶対ムリ。骨格変えられないでしょ」
ムッと身体を引いたナビス子は、今度こそ顔を向けて五条を睨んだ。本気で寄せられるとは思っていないが、そこは"そのままの君でいい"とか“その必要はない"と言うべきだし言って欲しかった。
「前々から思ってたけど、デリカシーないですよね」
「それ、必要?」
「…なんでこんな人がモテるんだろう」
「ははっ。よく言われる」
とにかく彼は何でも持っていて、人よりもずっと多く色々な経験をしているに違いない。だから尚更腹立たしいと思う。
ナビス子自身は五条より生きて来た年数は短いし、本来ならもっと色々な経験ができたのではないかと思う気持ちが捨てられない。
「ねぇ、いつまでこの話するつもり?」
背もたれにかかっていた手がナビス子の肩に降りてきてた。
宥めるように重ねられた唇が離れると、ナビス子は身じろぎもせずじっと五条を見つめた。
「…なに?」
「私は五条さんしか男の人を知らないんだなぁと思って」
このまま結婚してしまったら、自分は後にも先にも五条しか男を知らないままだ。
「五条さんは色んな女の人を知っているのに。なんか…不公平」
彼の体温、彼のキス、彼の愛撫。
嫌いではないけれど、他を知りたいという気持ちはある。
そして彼なら…今までの経験上…それを咎めないだろうと思った。
「ハァ?」
「なにそれ」と五条は口元を歪めた。
「その術師に目移りしたってわけ?」
思っていた反応でなかったことに思わず戸惑う。このタイミングで言うべきではなかったのかもしれない。
「そんなんじゃなくて、ちょっと言ってみただけ」
「他の男に抱かれたいの」
「いや、だって…結婚するまでお互いフリーって、言ってた!」
「いつの話してんだよ」
ナビス子の肩を押してソファの上に押し倒した五条の手が今度は彼女の方膝を掴んで足を開かせた。
「女は身体を開く、男は身体を開かせる、この差が分かる?全然違うよ」
ガツンと頭を殴られたような感覚を覚えたのは、この男は分かっていたのだ、と思ったからだ。
身体を開かされる度に自分が抱えていた葛藤を理解していて彼はこじ開けた。自分の抵抗を嘲笑うかのように手のひらで踊らされていたのだ、と。
「五条さんは分かってて、そうやって私を懐柔したんだ?」
「何言ってんの?」
自分の足を割開いている手を払い除けるとナビス子は自らの目を腕で覆い隠した。
何故こんなに悔しいのか分からないけれど、酷く悔しくて惨めな気持ちだった。
互いの間にあるのは愛ではないのだから、自分ばかり、自分だけ、悪戯に振り回されたくない。
「ほんと狡くて嫌」
五条は上身体を起こすと「面倒くさ」と呟いてソファから立ち上がる。
それにまた、酷く泣きたい気持ちになったのだ。
「帰るわ」
「もう来なくていい」
ソファに仰向けて顔を隠したまま、精一杯の怒りを表現するためにそう返すと五条は「あー、ハイハイ」と気怠そうに答えた。
五条が部屋を出て行く音を耳が拾って、彼は手に入れたいと思ってはいけない人だった、ということをボンヤリと思い出していた。