歩いて帰ろう
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心臓が止まるかと思った。
「わ…」
いきなり堂々とそんな台詞、人が居たらどーすんのよ、なんてそんな重要なようでそうでもない事が先ず頭に浮かんだ。
「わはははははは!」
思わず出たあたしの渇いた笑いが人気の消えた冷たい建物に吸い込まれて行く。
「…なんで笑うんすか…」
眉間にしわを寄せたキヨタの顔は不機嫌を装いながらも確かに気恥ずかしさを隠しているように見えた。
「あんまりっすよ」
冗談なんかじゃないとあたしに教えるその態度にごまかすつもりだったあたしの空笑いは本気にも似て、あとからあとから湧いてくるからあたしは両手で顔を覆いながらひたすら笑い転げる。
「だってノブ…」
あんまりなのはどっちよ。
どうしてそんな事言うよ。
そんな真剣な顔であたしを見ないでよ。
「ヒーおっかし…はははは!」
人の一大告白を笑い飛ばすなんて酷いことしてるのは知っているけれど、だけどどうしようもない。
お願いだから、笑ってるあたしの前でこれを冗談にして。
笑いすぎて窒息しそうな足が震えて、あたしはフラリと踏み込んだ部室のロッカーに背中を預けてそれを何とか堪えた。
「すんげー傷つくんだけど俺」
コイツに似つかわしくない態度があたしの笑い声を一層高くする。
「ギャグじゃねんだけど。俺、マジでマジなんすけどっ?」
口を尖らせなが少し遠慮がちに女バレの部室に足を踏み入れたキヨタは、息が続かなくてヒーヒー言ってるあたしに何か言おうとして絶句する。
「…ちょ、…え?」
キヨタの狼狽の理由はあたしの目から零れた大量の涙がビッタリとその頬を濡らしていたから。
「お腹痛くって…笑いすぎ…う、クルシ…」
泣き笑いなんかでこんな顔になるはずないじゃんか、と騙されてくれないキヨタが憎い。
見逃せよバカ
「なんで泣くんだよ、なんだよそれ」
泣いてる理由なんて自分にだってわからないけど、泣いていると指摘されたら本気で泣きたくなってきて、そうしたらもう止められない。
「の…っノブのバカ…っ」
状況を理解できなくて困惑するキヨタをイイ気味だとさえ思う。
「…おい」
理由も提示せずにウウッと泣いている女を持て余したのか、キヨタはあたしの後頭部に手を回して自分の胸に引き寄せた。
いつもガキなクセに時々見せる男らしいところ、嫌いじゃない。
「お、俺が泣かせた事になんのか?」
あったり前よ、他に誰がいんのよとばかりに肩に押し当てた頭を力強くひとつ下げる。
「…よくわかんねぇけど、謝んないといけねぇのかな?」
「……」
微かに頭を振るあたしに「わっかんねぇ奴」とぼやくキヨタの肩から伝わる体温はとても温かくて心地よい。
「…そんな顔見せるからさ、余計ほっとけないんだよな」
そうだった。
神くんと喧嘩した時だってコイツはやたらあたしに構ってくれて…。
あたしの後頭部に添えられていた手が離れても、あたしはキヨタから離れなかった。
それはキヨタの顔が見れなかったからかもしれないし、もしかしたらこの温もりから離れたくなかったからかもしれない。
「俺のこと、キライ…?じゃないよな?」
キヨタの肩に頭をのせたまま小刻みに頷いた。
もちろん嫌いなわけがない。
だけど恋愛の好きとも違う。
キヨタとチュウなんて考えただけで笑っちゃうもの。
「……」
それでも一緒にいたら好きになるかもしれないなんて邪な想いが脳裏を掠めた。
行き場を無くしてダラリと下げられたキヨタの手が視界に映れば、指を開いたり閉じたり落ち着かない様子が肩越しにも見て伺える。
きっとこれが彰クンだったら躊躇わずあたしの背中に腕を回すだろう。
真っすぐに突っ込んでくるくせにいざとなったら不器用なキヨタがどうしようもなく可愛くて、愛しいとさえ思う。
だけど、だからこそ曖昧な気持ちなら応えられないと思った。
「あのよ…」
あたしを肩に預けたまま、キヨタはひとつひとつ言葉を選ぶように口を開く。
「他に好きなヤツがいるからってんならアレだけどさ…」
何やら言いにくそうに口ごもりながら、それでも彼は言ったのだ。
「だけどまだ前のを引きずってるからってんなら…なんつーのかな、…えーと、俺はそれでもいい。それを忘れる道具にしてくれていいと思ってるから」
それは淋しがりに託けて卑怯なあたしに覿面の誘い文句。
不器用にもカッコつけて、あたしの心を掻き乱すような台詞を言うから、あたしの目からはまたバタバタと熱いものが零れた。
「なんで、そんな事言うの、アンタが可哀相…」
彼は窮屈そうに首を傾けながら「んー」と思案するような声を出す。
「だけど恋愛って楽しいだけじゃねーし、始まり方なんてそんな重要じゃねーと思うし。
…何より俺がアンタを好きだって事が重要なんだ!今はな!」
途中から自分に言い聞かせるように力強く彼は言った。
「ははっ」
このまま飛び込んでしまいたい。
本人が良いって言うんだからいいじゃない。
交錯する色んな思いの末に浮かんだのは、煮え切らない態度の末に傷つけた大切な幼なじみの顔。
捨てきれない好意があったからこそ振り切れなかった、そのくせ甘えるだけ甘えて結局なにひとつ応えられなかったのだから偽善者にさえなりきれなかったのだあたしは。
あたしはやっと顔をあげてキヨタを見た。
彼が照れ臭そうに頭を掻きながら視線を逸らすから、あたしも恥ずかしくなって唇を噛む。
「…相変わらずびっくりするくらい不細工な泣き顔だな」
キヨタなりの憎たらしいテレ隠しにありがたく便乗したあたしは、不細工面に拍車をかけて大袈裟に顔をしかめてみせた。
「そのジャージ汗臭くて鼻が曲がりそうだよ」
「ウルセー部活の後なんだから仕方ねーだろ」
言いながら自分の肩の辺りに手を当てたキヨタが「うわっなんかスゲー濡れてる!」と喚く。
「タップリと拭かせてもらいました。いーじゃんどうせヨゴレなんだから」
「な…っ!」
いつものように調子づいてきたこの会話が嬉しくて、だけどあたしが何を言ってもこれが明日も明後日も続くのだろうかと一抹の不安が過ぎる。
でも最初に金網を乗り越えて来たのはキヨタなのだから、彼だってあたしと同じリスクを覚悟はしているはずなのだ。
「ついでに鼻もふいちゃえ!」
「バカ!自分ので拭け!」
あたしがジャージを引っ張ろうとしたら、慌ててそれを阻止したキヨタの指とあたしのそれが触れた。
お互いドキリとしたはずなのに何気ない顔をするのは何故だろう。
「…あのさ、ノブだから正直に言うからね」
「…お、おう」
キヨタの緊張が手に取るように分かると、逆に何故かあたしの緊張は解けていく。
「気持ちはスッゴい嬉しい、だけどそれ以上にノブは大切な友達だから、」
あぁフラれるとキヨタは覚悟したのだろうと思う。
「付き合ったらノブの事を好きになるかもしれない…だけどそれはただの可能性で、そんな曖昧な気持ちで付き合ったらきっとノブを傷つけると思う」
「だから…」
「もしもあたしに」
何か言いかけたキヨタを遮って、あたしは向き合えなかった自分の後ろめたい気持ちにやっと正面から向き合った。
「好きな人がいないのならきっとノブの好意に甘える。
けど、だけどあたしはまだ神くんが好き」
そう、終わった恋だったとしても、今、自らの口に乗せた瞬間に再びあたしの中で始まったんだ。
「好きな人がいるのに他の人とは付き合えないよ」
落胆したような深いため息と共にキヨタは肩を落とし、そして大きく天井を仰いでからあたしに視線を戻す。
「…それって今作った逃げ文句とかじゃねーよな?」
面食らってしまった。
「だってそれって目茶苦茶矛盾してね?自分からフっといてまだ好きってさ、おかしくね?」
キヨタが物凄い勢いでまくし立てるから、あたしは息が止まっちゃうんじゃないかと思った。
「オカシーよなっ?」
「……」
気圧されてるあたしに不服そうに唇を尖らせるキヨタ。
そこでようやく気を取り直して、あたしも噛み付くように言ってやった。
「理論通りにいかないのが恋愛なの!矛盾だらけで何が悪いの、だって好きなんだもん!」
するとキヨタの拳が触れる程度の軽さであたしの額をパンチした。
「それ、俺じゃなくて神さんに言えばー?」
続けて言いかけた何かを飲み込み「そんで俺みたいにフラれちまえ!」と言ってカカッと笑った。
多分穏やかじゃない胸中を隠して、あたしなんかのために笑ってくれる強さを持っているのだコイツは。
「性格ワルいよアンタ」
「知るかよってんだ。言うだけタダだし」
部室のドア枠に手をかけて顔だけ振り返ったキヨタは「試合頑張れよ」と走りだす。
「ノブ!」
部室を飛び出したあたしはあっという間に遠ざかっていたその背中に聞いた。
「明日からも友達でいてくれるよね!?何も変わらないよね!?」
キュッと足を止めて振り返ったキヨタがニカッと笑う。
「ったりめーだろ!何言ってんだ馬鹿か!」
だからあたしも笑った。
神くんがいなければうっかり惚れてたかも…なんて思うのはきっとそれだけ嬉しかったから。
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