歩いて帰ろう
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借りた教科書は早々に返せ。
昼休みも僅かになった頃、あたしは今日サチコに貸した教科書が戻って来てない事に気付いた。
「え~勘弁して」
次の授業で必要なそれを大急ぎで取り返しに行かねばなるまい。
時計を確認したのは神くんが体育館から戻って来る時間か否かがちょっと気になっただけ。
際どい時間だけど行かなきゃいけないだろうなぁと、あたしは急いでサチコのクラスに向かった。
ソロリと教室の中を覗くと窓際で友人とお喋りに耽るサチコは直ぐに見つかった。
余計なものを見つけたくなかったので視界を広げないようにしながらサチコを呼ぶ。
彼女はあたしの姿を認めると教室の入口に立つあたしのところまでやってきて「どうしたの?珍しい」などとぬかした。
「教科書!」と両手を出して催促したら「あ、忘れてた」と目を見開いた彼女はえヘっと可愛く(本人基準)笑ってみせる。
「ゴメンゴメン、ちょっと待ってて」
別段慌てる様子もないサチコが自分の机に向かうのをそこに立ってジッと見ているあたしに背後から声がかけられた。
「ごめん、ちょっと通してくれる?」
あたしは自分が教室の入口を封鎖していた事に気付いて「あ、ハイ」と慌てて体を壁際に寄せながら、その男の子の顔をチラリと横目で見た。
見なきゃよかった。
そしてその時彼もあたしの顔を見たから、そう、随分久しぶりにあたしは神くんと目が合ったのだ。
ここは笑うべき?
ここで笑うべき?
戸惑うあたしがどんな顔をしていたのかは分からないけれど、彼は何事もなかったようにあたしの側を通り抜けようとしたからあたしは酷く胸が痛んだ。
「あ、神くん」
すっ飛んで来たサチコに声をかけられた神くんが足を止める。
「もー神くんからも何か言ってやって。このコったら昨日の練習で監督に目茶苦茶怒られてからずーっと機嫌悪くってさぁ」
監督に怒られた記憶なんてないあたしはびっくりしてサチコを見た。
「昨日の帰りもムスっとしてたでしょ?」
その一言でサチコがあたしをフォローしてくれようとしていることに気付く。
察するに今もやはり芳しい表情を作れていなかったようだ。
「あぁそうなんだ」と神くんがあたしに視線を移した。
「そーゆートコあるよね、みょう寺って」
名前の呼び方に距離を感じて一瞬息が詰まりそうになったが、サチコのすんごい視線に気付き無理矢理口角を吊り上げる。
「はは…そぉかな~」
そう言って頭に手をあてると神くんが続けた。
「もしかして俺が嫌われてるのかと思った」
ドキッとした。
「そんなんじゃないよ、ねー!」とサチコがあたしに渾身の笑顔を向けるからあたしもコクコクと頷く。
「ぜ、全然!そんなんじゃないよ!」
そんなふうに思われてしまったら、ますます離れるだけだった距離をここで留める事ができると思ったら、意外にもスルリと言葉は出た。
「もしかして…嫌な思いさせちゃったならごめん、ね」
言いながら胸の奥の固いものが解けていくような気がした。
「ううん、ならいいんだ」
神くんがそう言ってあたしに笑いかけてくれるから、あたしは物凄く申し訳ない気持ちになって、いつまで経っても人の気持ちを省みることの出来ない自分にホトホト嫌気がさしつつも笑顔を返せたと思う。
そのままサチコに視線を向けたら彼女が「あたしに感謝しろ」といいたげな笑みを寄越した、その時。
「ナーイスタイミング!神さーん!」と喧しい声が聞こえて思わず首を竦める。
全っ然ナイスタイミングじゃねーと声の主を振り返れば廊下をドタドタと走ってくるキヨタの姿が映った。
あたしに気付いたキヨタが表情を変えて、何でそんな顔すんのよ、馬鹿なあたしは勘繰っちゃうじゃないと慌ててサチコから教科書を引ったくり「じゃ」と半ば小走りになりながら自分の教室に向かった。
「待てっ!」
明らかに神くんに用事があるはずだったキヨタはそこで足を止めずに「じ…、ちょっとスイマセン」とそのままあたしを追い掛けてきたもんだから、追われたら逃げたくなる本能が働いて「ギャー」とあたしも真剣に走りだす。
今先生に見つかったら仲良く二人並んで正座は間違いない。
しかしキヨタの足は並々ならぬほど速くてすぐに腕を掴まれてしまう。
「何で逃げんだよ!」
「だってアンタが追い掛けてくるから…」と目を逸らしたまましどろもどろに答えたら「用事があるから追い掛けてんだろーが!」と怒られ、これじゃどっちが年上か分からない。
あたしがチラリと走ってきた方向を見ると、神くんとサチコが何か話しながらこちらを見ているから、これはいつもの痴話喧嘩の延長だと彼等に示したくてムンっとキヨタに向き直った。
「何よ?」
すると一瞬怯んだキヨタがフイと目を逸らして…こんな行動のひとつひとつがらしくないように感じるのは考え過ぎなのだろうか…ポリと頭を掻く。
「アンタ最近ちっとも学食に来ねぇけど、俺、避けられてるとかねーよな?」
ギクー
「な、何言ってんの?学食に飽きただけよ悪い?大体何であたしがアンタを避けなきゃなんないのアンタ馬鹿なんじゃない?ってかあたしが学食に行こうが行くまいがアンタには関係ないでしょっ?」
弁明をしようと思ったら息つく間もないくらいの悪態になったあたしをキヨタがムッとした顔で見るから、今度はこっちが怯んだ。
「アンタふた言目には俺にカンケーねーって言うよな」
「だってカンケーないもんはカンケーない…」
何だこれは。
あぁなんかドキドキする。どうしよう。
ドキドキしながらも神くんの視線が気になる。
「…じゃあさ」
キヨタの表情に内心のドギマギを必死で隠すあたしを前にして、彼は至極真面目な顔で続けた。
「今日部活がお…」
何か言いかけたキヨタの声は予鈴の音に遮られた。
ガクーっとうなだれる彼は気の毒なほどタイミングの悪い男だが、今はそれに感謝してしまう。
キヨタが再び口を開く前に急いであたしはまくし立てた。
「ほら、予鈴が鳴ったよ急いで帰らないと間に合わないよ」
「いやだから部…」
「その前に神くんへの用事はよかったの?」
あの顔は多分怒ってるよと付け加えたのは口から出まかせだけど、キヨタはギョッと神くんを振り返り「あ、神さんスイマセン!」とそちらへ走り出す。
何となく助かった、と思った。
神くんを見ると目が合って、ドキリとしたのもつかの間、神くんの視線は彼の前で何やら大きく手を広げて喚くキヨタに移る。
教科書を握り直した自分の指先が少し震えているのに気付いたあたしは、急いで踵を返し自分の教室へと走った。
あたしは今、何にこれほど緊張して何にこれほどドキドキしてるんだろう。
神くん?
それとも…キヨタ…?
あたしは慌ててそれを打ち消した。
追い掛けてきたキヨタの顔が怖かったんだ、きっとそのせいだ、と。
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