歩いて帰ろう
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彼氏の試合の応援って、スポーツをするあたしが思い描いていた青春のヒトコマ。
本来なら友達を連れて、最前列で、喉が枯れるほど叫んで、ちぎれる程手を叩いて…。
だけど今のあたしは自分が思い描いていものとは少し違っていた。
一人だし、一人だから声出すのも恥ずかしいし、人目が気になるから手を叩くのも控えたいし…それになんだかブルーだし。
あたしがコートに目をやると神くんはすぐ見つかった。
せっかく来たんだから応援しなくっちゃと試合に集中する。
歓声を浴びながらプレーする神くんは目茶苦茶カッコよくて、あたしは彼女としてとても誇らしく、そして同じスポーツマンとして少し嫉妬した。
試合の結果、冬の選抜への切符を手にしたのは夏に引き続き我が海南大付属高校だった。
夕方、バスケ部の練習が終わる頃を見計らって学校の体育館へ向かった。
どうしても神くんに会いたくて。
無性に抱きしめて欲しくて。
人気のなくなった体育館には微かなバスケットボールの音。
フロアを覗くと神くんが黙々とシュート練習をしている。
一人で努力している神くんを見るのが好きだった。
あたしも彼のようになりたいと思った。
純粋に彼に憧れたあの時の気持ちを思い出したい。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
深く息を吐きながら額の汗を拭った神くんがボールを集め始めたのであたしはようやく神くんに声をかけた。
「ホントに来たんだ」と神くんは驚いた様子だったけど「どうしても会いたかったんだ」と言うあたしの言葉に柔らかい笑顔を見せる。
「選抜出場おめでと」
「ありがと。それを言いに来てくれたの?」
あたしは小さく頷いたけどホントはそれだけじゃないんだ。
あたしは後悔しないって確信が欲しかった。
「神くん」
あたしの声に彼は片付ける手を止めてあたしを見た。
「ギュッてして」
「ぇえ?」と彼は吹き出しそうな笑いを含んだ声を出す。
「いーじゃん、ずっとしてもらってないもん」
「しょうがないなぁ」と神くんは眉尻を下げながら長い腕であたしの体を包み込んだ。
「もっと、もっとギュッてして」
すると神くんは、あたしの肩を気遣うように今度は腰周りに手を添えてギュッと抱きしめる。
「これでいい?」
「ん」
神くんの体温と神くんの香りであたしをいっぱいにして、彰クンのそれを追い出してしまいたかった。
やがて神くんの腕の力が緩むと、あたしは肩に預けていた顔を上げて半ば衝動的に神くんの頬に唇を押し付けた。
大胆な自分にドキドキしてしまう。
神くんは驚いて「どうしたの今日は」って聞くから「だって今日目茶苦茶カッコ良かったんだもん」と返した。
それは嘘ではないけれどそれだけの理由でもないんだ。
神くんに対するあたしの気持ちが揺るぎないものだと思わせてほしい。
物欲しげな視線で神くんを見つめると彼は少し笑ってキスをくれる。
あたしの気持ちが通じた事がとても嬉しいくて「さ、早く片付けて帰ろ」と促す神くんをやっぱり好きになってよかったと思った。
この時、あたしにはまだ余裕があったのだ。
バレーの事を忘れて、神くんと二人で居られる時間を幸せだと思えたのだから。
久しぶりの学校が楽しいと感じたのは最初の何日かで、たちまちあたしはストレスを感じるようになった。
正確には学校は楽しい。
しかしその後、つまり放課後とか週末とかが苦痛なのだ。
部活の間中あたしは隅っこで柔軟をしながらボーっと皆の練習を見ているだけ。
それを2時間も3時間も続けるのは苦痛でしかなくて、辞めたいとさえ思った事のあるバレーだけれど、やりたくてもやれないっていう状況に置かれる事がこれほど辛いとは思わなかった。
練習見学は強制ではないし、一ヶ月くらいはゆっくり休んでからまたボチボチ基礎体力作りから始めればいいじゃないかと監督も言うけれど、あたしが苛々しながら結局最後まで居残る理由は神くんをおいて他にない。
神くんと一緒に帰る為にあたしは部活に参加した。
毎週土曜日の家デートは、今あたしの部屋に母親が居座っているからしばらくお預けだし、朝も昼も自主練している神くんと少しでも時間を共有したければ他に方法がない。
それでも病院へ行く日は無理だし、流石に休日に一日中見学する気にもなれないしとなればあたしが神くんと居る事の出来る時間は激減した。
その日の夕方、病院から帰ったあたしは部屋でゴロゴロしていた。
母親が居るのは窮屈でもあり、楽でもある。
最近、部活や家事に費やしていた時間を持て余す事が多くなったと思う。
夕食の準備をしていた母親が何かを買い足しに出掛ける後ろ姿を見送りながら、あたしは今日何度目かのため息をついた。
しばらくして再びドアの開く気配がしたけれどあたしは特に気にも留めずに振り返りもしなかった。
しかし母さんがしきりに誰かを促しているのに気付いきようやくドアに視線を移す。
「おじゃまします」
言いながら入って来た彼を見て跳び起きた。
彼はあたしと目が合うと「捕まっちまった」と苦笑いを零す。
「いつもお世話になってるんだからこれくらいさせてもらわないと。高校生が何を遠慮してんの」
どうやら無理矢理連れて来られたらしい彰クンが、半ば諦めたような面持ちで腰を下ろした。
恐るべしオバサンの押し売り親切って事よりもあたしの頭の中は県予選で会った彼女とその時あたしが言った言葉とに支配されてどう対応したらよいのか分からず固まってしまう。
出来れば会いたくなかった。
それは多分彰クンも同じだろう。
けれど当の彰クンは何等いつもと変わりない。
母さんが居るからだろうか、でなければ彼はものすごく大人なんだと思う。
「彰クン見る度にいい男になるわね~、おばちゃんがあと20年若かったら猛烈にアタックしてるわ~」
母さんは食卓を囲みながら、ただでさえこっぱずかしいオバサンの「もしも」話を上機嫌で披露する。
頼むからヤメテくれ。今恋愛の話をするなんて地雷踏みまくりですから。
「ね、ウチの息子にならない?こんな子だけど彰クンさえよければいつでもあげるわよ」
ゴフッと噎せるあたしの前で彰クンが笑う。
「だってさ。俺は別にいいけどお前どーする?」
彰クンらしい当たり障りのない返事に俄然乗り気になる母親。
数日前のあたしの断腸の思いを無にしないでちょうだい。
その話は終わってるの。
「母さんダメだよ。彰クンの彼女めっちゃカワイイんだから」
途端に「あら」と残念そうな顔になる母さんだけど「別れたよ」と言う彰クンの言葉にすぐ復活する。
あぁやっぱり彰クンの中では終わってるんだ、だけどね、とあたしは彼女の言葉を思い出した。
彼女は今でも物凄く彰クンの事が好きなんだって事をあたしは知っている。
あたしが現れなければ二人の関係に影が差すこともなかったって事も。
あたしは人を振り回せる程いい女じゃない。
そんな魅力的な女の子じゃない。
あたしだって好きな人と思いが通じる事の奇跡だとか、その存在の大きさだとか、だから感じる不安だとか嫉妬だとかを知ってしまった。
だから尚更申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
彼女への同情?
それでも良いじゃない。
自分の気持ちに答えが出せたんだから。
一人暮らしの娘に彼氏がいるなんて聞いたら絶対いい顔されないのは分かっていたから、あたしは彼氏の存在を披露する事も出来ずに半ばヒステリックにその話題を終わらせる。
ってか彰クンも否定してよ。
あたしあんなに酷い事言ったのに。
そしてあたしの頭に過ぎるひとつの疑問。
彼女は、あたしの言葉を彼に伝えてくれたのだろうか?
あたしだったら…
言えないよなぁ。
逆恨みして喧嘩吹っかけてみたらこんな事言ってました、なんて、好きな人に披露できるはずがない。
つーか、彼女から全て聞いた上でこんな態度ならあたしはもうお手上げだ。
チラリと彰クンに視線を送れば彼は「ん?」と首を傾けた。
彼の態度からではその答えを推し量る事は出来ないからあたしの心はまたモヤモヤと霧がかかる。
やがて食事を済ませた彰クンは早々に帰る気配を見せた。
あたしは「ちょっとコンビニ行ってくる」とその後を追う。
確かめなくっちゃと思った。
バレーと恋愛、悩み事を二つも抱えられるほどあたしは強くない。
人に期待するな
人に頼るな
これはあたしの問題なんだから、最終的に決着をつけられるのはあたし自身しかないんだと、そう思ったから。
「彰クン」
玄関を出たところであたしは彰クンを呼び止めた。
「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
彰クンは少し驚いた顔をしたけれど、すぐに笑顔を見せた。
「いーよ」
あたしの喉がゴクリと鳴って、僅かに手が震える手をごまかすようにそれをにぎりしめた。
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