歩いて帰ろう
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選抜バスケの予選最終日、それに行きたいがために学校の授業が心配だとか言って少し早めの退院にこぎつけたあたしは、母さんに文句を言われながら試合会場へと向かった。
もちろん海南は順当に勝ち進んで決勝に駒を進めているようだったが、しかし多分そうでなくてもあたしはここへ来ただろう。
自分の気持ちを確かめたくて。
病院ではいろんな事を考える時間がいっぱいあった。
バレー
恋愛
…そういや勉強の事は考えなかったな
バレーも恋も今はあたしを憂鬱にさせるばかりで、できれば放り出してしまいたい衝動にさえ駆られる。
どちらも欲しいどちらも頑張りたいと思えた初夏のあたしにもう一度戻りたい。
会場に着くと決勝戦が始まるまでまだ時間があったので、あたしは自販機へと向かった。
「なま恵」
「大丈夫なの?」
神くんはそんな視線には馴れている様子で全く動じない。
「もうほとんど痛みはないんだけど…ってかいいの?ウロウロしてて」
「そろそろ集合時間なんだけど、なま恵の姿が見えたから」
神くんの何気ない一言が素直に嬉しい。
「頑張って神くん」
「ん」と笑った神くんの笑顔が愛しくて、ジャージの袖を引いて小さな声で耳打ちした。
「彼氏の試合を応援するのがあたしの夢だったの」
神くんは「あはっ」と吹き出すけれど、冗談じゃなく結構真面目に夢見てたんですが。
まさかそれがバスケの試合だとは思わなかったけれど。
「じゃ、イイトコ見せなくちゃ」
そう言って慌ただしく踵を返した神くんの後ろ姿を見送りながらあたしは思った。
多分この会場のどこかに彰クンもいるはずだ。
だけどあたしには神くんと別れて彰クンと付き合うなんて事は出来ない。
そんなの綺麗事だと言われて構わない。
試合はとっくに終わっていたんだ。
けれど例えば今ここで偶然彰クンに会ったとして、いつものような屈託のない笑顔を見せられたらあたしにそれを壊すことが出来るのだろうか。
そんな事を考えながら自販機のボタンを押してジュースを取り出す。
そして無駄な事とは思いつつ不器用に左手で開けようと2、3度カシカシとリングプルに指を引っ掛けた時だった。
ヒョイとそのジュースが取り上げられ「どーぞ」と言う声と共に蓋を開けられたそれが差し出される。
顔を見なくても誰だか分かった。
なんで見つけちゃうの?
ってかあたしはそんなに目立ちますか?
「おばさんに聞いたぜ。ダイジョーブ?」
「あぁ、うん、ありがと」
それを受け取りながら早速出会ってしまったその人を前にあたしの体はギクシャクと音を立てそうな程不自然に動いた。
「ここに来てるって事は仲直りしちゃったのか、残念だな」
彰クンはいつもの調子であたしに話し掛けるけれど、あたしはその顔を見る事ができない。
彰クンの笑顔が怖い。
あたしは確かに神くんが好きなのに、この目に彰クンの笑顔を映した途端、この心はグラグラと揺れてしまうんだ。
「ん?どした?」
彰クンを振り切る言葉を紡げないでいるあたしに「あぁ!こんなとこにいてはった!」と言う関西弁が聞こえた。
「もぅ!目ぇ離したらすぐおらんようになって…越野さんが探してはりますよ!」
陵南のジャージを着た小柄な男の子の言葉に「やべ」と苦笑いする彰クンがあたしに視線を移した。
「じゃ、またな」
「う、うん、またね」
そうやっていつものようにあたしは答えていた。
彰クンはニコリと笑って「お知り合いですか?」とノートとシャーペンを取り出す男の子に「行くぞ」と促す。
彼はシツコク「誰ですか」「要チェックや」と繰り返し聞きながら去って行った。
その後ろ姿を見送りながらあたしはダメっ子だと軽い自己嫌悪に陥る。
こうやって終わったはずの初恋をズルズルと断ち切れずに、そして結局は彰クンの圧しに負けてしまうんじゃないかって。
そんな自分に嫌気がさして、深い溜め息と共に壁にもたれた。
冷たいジュースを喉に流し込みながら一人物思いに耽るあたしの目の前で誰かが立ち止まる。
「やっと見つけた」
そう言われてその人に視線をやるとちょっとびっくりしちゃうような美人。
あたしは頭の引き出しを全部開いて彼女が誰だったか思い出そうとしたがどうやっても思い出せない。
ホントにあたしですか?と内心疑いつつ左右を確認するがやはり彼女はあたしに話しかけたようだ。
再び彼女に視線を移すと彼女の目があたしに物凄い敵意を持っているように映った。
「?」
あたしが首を傾げて自分を指差すと彼女は言った。
「彰を盗らないでください」
衝撃のあまり一瞬息が出来なくなった。
「え?…あ?」
「彰の好きな人って、あなたの事ですよね」
なんて答えたらいいんだろう。
人違いですと逃げ出そうか。
誰?
彰クンのファン?
それとも…
「随分探しました。見つけられない筈ですよね、他校の生徒だったなんて…」
あたしは気付いた。
あたしと彰クンがインターハイの予選会場で会った時には、確かに彰クンには彼女がいたのだ。
「え…あの…」
戸惑うあたしを前に彼女の白い顔がみるみるうちに赤くなって、何かを堪えるようにギュッと下唇を噛みながらあたしを睨みあげた。
「彼女のいる人に手を出すなんて酷いじゃないですか…!彰が何て言ったのか知らないけど、あなたにはそんなの関係ないのかもしれないけれど…あたしが…あたしが彼女なんですっ!」
彼女の大きな目がみるみるうちに潤んでいく。
「一年の時からずっと好きだったんです。何回も告白してやっと付き合ってもらったんです。それなのに好きな人が出来たから別れようって…そんな簡単に…簡単に人の彼氏を盗らないでよ…っ」
握り締めた手が震えているのはあたしに対する怒りのせいなのか。
あたしは今、自分がマネ子と同じ事をしている事に気付いた。
彼女の存在を知っていたのに、いつからか都合よくそれを排除していたのだから。
『彼女とかそういうの、関係ないと思っています』
マネ子の言葉にあれほどムカついたあたしなのに、もし仮に神くんと喧嘩別れしていたなら、あたしはきっと簡単に彰クンに靡いたに違いない。
彼女の事など思い出しもしないで。
あたしのエゴのせいで泣いている人がいる。
彰クンを振り回して、神くんに隠し事をして、あたしは一体何をしたいの?
「やだなぁ…」
あたしは彼女に笑顔を向けた。
「何か勘違いしてるようですけど、あたし、彰クンにこれっぽっちも恋愛感情なんてありませんから」
自分の言葉に胸を締め付けられながら、本人を目の前にしては到底言えないような台詞を吐いた。
「あぁちょうど良かった。彼女サンからも言っといてください。付き纏われても迷惑だって。あたしすごく好きな彼氏がいるんです。彼以外の人なんて無理ですから。」
目を見開いてポカンとあたしを見る彼女の視線にも堪えられない。
「じゃ、彰クンにもそう言っといてくださいね」
あたしはきっと酷い顔をしている。
それを見られる前にその場を去りたくてあたしは急いで観客席へと向かった。
あたしは彰クンに面と向かってサヨナラさえ言えない。
それを彼女に押し付けて逃げるなんて卑怯だ。
こんな酷い女なんだと、あたしを軽蔑してくれればいい。
それで終われるんだ。
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