歩いて帰ろう
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『じゃあ俺とおんなじだ』
神くんはそう言ったけど、本当はそうじゃない。
あたしは恋をするのに臆病になっているだけなんだ。
まだ、昔の恋をひきずっているだけなんだ。
歩いて帰ろう
やっぱり部活をサボるべきだったとあたしは内心舌打ちした。
アタックはネットにかけてばかりだし、サーブカットは返らない。チャンスボールでさえセッターを動かしてしまうんだから強打レシーブが上がるわけない。
先生からの罵声を一身に浴びるし、腰(お腹かもしれない)は痛いし。
帰りにバッタリ遭遇したキヨタには指を指されて「チクり女」呼ばわりされるし。
しかもあたしの不幸はここで終わらなかった。
寮に帰ると後輩に「お母さんから電話がありましたよ」と言われた。
シブいウチの親はこのご時世に携帯電話を持たせてくれないから、連絡は寮にある公衆電話で取っている。
どうせくっだらない内容なんだ、と思いながら電話をかけると開口一発『ちょっとアンタ!なんで黙ってたの?!』ときたもんだから、あたしは意味がわからなくて「は?」と返す。
『寮、いっぱいなんでしょ!?いい機会だから出るって話しといたわよ。』
あの(寮の)オバチャンめ~!
直談判したんだ!
『住むところも手配しといたから』
「ち、ちょっと待ってよ!」
焦るあたしを余所に母さんはウキウキと喋り続ける。
『あんたラッキーよ!最後の一部屋、即入居可』
「まさかそれって…」
嫌な予感が広がる。
『お隣の息子さんと同じマンションよ!』
ヤーメーテェエー!!
あたしは泣いて頼んだが母さんは聞き入れてくれなかった。
揚句に引っ越しは今週末だから荷物をまとめておきなさい、なんて無茶苦茶。
悪いことは重なる…あぁ痛い。
次の日の朝、やたら早く起きてしまったあたしは早朝の誰もいない体育館へ向かった。
昨日の夜は色々考えすぎて眠れたかったから。
頭に浮かぶアイツの顔を振り払うように取り出したボールを頭上高くほうり投げては打ち抜いてみる。
勢いよく跳ねるボールを見ながら、バレーを辞めたらあたしのストレスはかなり解消されるんじゃないかと思った。
でも引っ越したら、いつアイツに会うかと昔みたいにビクビクしながら暮らさなくちゃなんないんだから、あたしはきっとストレスから解放されない運命にあるんだ。
今度こそ部活を辞めようと思うのに、この手にすっかり馴染んだこのボールを手放せないのは何故だろう。
ボールをしばらく床に打ち付けた後、再び頭上高く放り投げ叩き落とす。ボールは大袈裟な音を立てて床にぶつかると、フワーっと弧を描いて飛んでいった。
ボールが手のひらにミートした感覚。始めた頃はそれさえも上手く出来なかったのに。
「バカっ」
再びボールを打ち「みんな馬鹿だ~!」と喚いてみる。
床にぶつかるボールの音に続いて不意にクックッと笑う声が聞こえたから、あたしは驚いて振り返った。
「じ…くん…」
入口で肩を震わせているのは神くんだった。
「ごめん、ボールの音が聞こえたから。朝練…じゃないよね?」
あたしは顔が熱くなるのを感じた。
「面白いストレス解消法。見習おうとは思わないけど。」
言い返す言葉が見つからないあたしに神くんは続けた。
「だけどその格好でピョンピョン跳びはねるのは止めたほうがいいかもな。パンツ丸見えだったから。」
「!!」
「朝からごちそうさま」
ガバリとスカートの裾を押さえるあたしの様子を彼は面白そうに眺めている。
「スケベ」
「見るつもりなかったんだから仕方ないじゃん。これで昨日のはチャラにしてあげる。」
昨日のって、屋上の…あれ?
「あたしのパンツの価値って、そんなもん?」
「そ、ほとんど価値なし」
ハハハっと笑う神くんにボールを投げ付けてやったけれど、それは上手い具合に彼の手の平に吸い込まれていった。
大きな手。
それを見て、また少しドキリとした。
「好きなんだね」
「え?」
「バレー、好きなんだね。」
言われて驚いた。
練習やレギュラー争いに疲れたあたしは、いつからかバレーを好きだなんて気持ちを忘れていたから。
だけど、
「…別に」
辞めたいと思うようになった今、もう昔のような情熱は取り戻せない気がする。
「好きじゃない」
「そうなの?」
神くんは驚いた様子だった。
「辞めようかと思って、部活」
あたし、なんでこんなことを神くんに話してるんだろ?まだ誰にも言ってないのに。
「どうして?」
神くんがボールを指先で器用に回しながら何気なく聞いてきたから、何となく心に燻っていたものが零れてしまった。
「…あたし、普通の人から見たらデカいけどバレーボーラーとしては恵まれた体格じゃないし、ジャンプ力も技術も人並みだし…いくら努力しても足踏みばかりでさ。それに今年入った子は上手い子が多くって…正直もういっぱいいっぱいなんだよね。」
もしこれがアイツだったら、ニッコリ笑って「もう少し頑張れ」って言うに違いない。
もう一度、死ぬつもりで練習してみなよって。
そしたら不安とかがどんどん出てきた。
「だってバレーで進学できるとは思わないし、実業団に入れるとも思わないし。だったら部活に費やす時間を塾とかに行く時間に使った方が将来的にはいいのかなって、」
あたしはハハっと冗談ぽく笑ってみせる。
「…じゃ、辞めちゃえば?」
「え?」
神くんの答えは、あたしが思っていたものではなかった。
「そんな風に思うんだったら辞めちゃいなよ。もう伸びないから。」
なんだかムッとした。
もう伸びないって何よ。
だってアイツなら…
その時あたしは、神くんがちょっと笑顔のステキなバスケットマンだからって、いつの間にかアイツと重ねていることに気付いた。
神くんからアイツが言ってくれるような優しい言葉が出るのを期待していたんだ。
「じ、神くんには分かんないわよ」
「うん、悪いけど分かんない」
神くんはそう言ってあたしにボールを投げて寄越した。
なんかこの人、融通が効かないっていうか、そんなの適当に流してくれればいいんじゃないの?
「いい、分かってもらおうと思ってないから」
神くんはもう笑ってなかった。
「そうだね」
彼の言葉は人通りの多くなった外の賑やかな音に揉み消されることなく、あたしの胸に突き刺さった。