歩いて帰ろう
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その瞳に飲み込まれそうになった。
助けて神くん。
いますぐあたしを追い掛けて来て。
けれど携帯すら静寂を守ったままで。
いけない。
あたしは渾身の力で彰クンの肩を押し返した。
「あたしが彰クンに嫌いだなんて言えるはずないじゃん!」
神くんに会うまでずっと、ずっと好きだったのに。
「彰クンと友達でいたいって、それじゃダメなの!?」
それは彰クンに対して言ったのではなくて、自分自身に言い聞かせたのだ。
あたしは彰クンの顔も見ないまま勢いよく走り出そうとした。
けれどその体は再び彰クンの腕によって阻まれる。
「今日は逃がさねぇ」
後ろからギュウと抱きしめられたら、込められた力の分だけあたしの心臓も苦しくなる。
「友達だなんてあまっちょろいこと言うなよ。今更戻れねーだろ。恋愛だって勝つか負けるかなんだぜ」
胸が苦しくて、あぁこのまま彰クンの腕に飛び込めたなら、あたしは幸せなんだろうか。
けれど目を閉じれば追い出せない神くんの影がちらつく。
初めての恋人。
平凡なあたしの高校生活に華を添えてくれた人。
紛れもなく、今あたしが好きなのは神くんなんだ。
それなのにはっきり断れないのは何故だろう。
マネ子のせい?
神くんのせい?
今彰クンがあたしをさらってくれたら…。
「まって…」
しっかりとあたしの前で組まれた逞しい腕。背中から伝う彰クンの体温。
思わず体を預けたくなるのだけれど。
「まって彰クン」
「答えに躊躇するって事は、俺は自惚れていいのかな」
あたしはそれを払拭したかった。
神くんへの罪悪感はあたしの心に彰クンが居る証拠。
「こんな時に狡い!そんな彰クン彰クンじゃない!嫌!知らない!」
あたしは彰クンの腕の中でがむしゃらに体をよじった。
「嫌い嫌い嫌い!嫌いって言ったよ!離して!」
喚く頭の中はごちゃごちゃで、だけど思うんだ。
あのマネージャーに嫉妬するのも神くんの行動に一喜一憂するのも好きだからでしょう?
彰クンが他の女の子と居ても胸が痛くなくなったのは終わったからなんでしょう?
「狡いのはお互いさまだろ。…だけど」
彰クンは腕を解いてあたしを解放した。
「試合終了の笛はまだ鳴ってないと見た」
「え?」
彰クンはトンとあたしの背中を押してヒラヒラと手を振る。
「負けてる試合をひっくり返すのが楽しーんだ」
歩いて帰ろう
次の日、あたしと神くんが言葉を交わすことはなく、だけど廊下でその姿を見れば不自然なほど目が合った。
近づけない気まずさ。
こうして溝は深くなっていくのだろうか。
このまま、あたし達は終わってしまうのだろうか。
話したいことがあるなら言ってくれればいいのにという苛立ちはあたし自身にも言える事で、好きとか言う気持ち以前に3ヶ月間神くんと築きあげてきた関係を壊すのが怖いと思う気持ちも確かにあったのだ。
神くんはあたしに色んなものをくれた。
彼はモテるしどうしてあたしなの?と思う時だっていっぱいある。
だからあたしは神くんの前では誰よりいい子でいたかった。
過去の彼女には負けたくないし、もし別れたりしても「あの子が1番いい子だった」と言わせたい。
あたしは多少なりとも神くんの前でいい子を演じているのだと思う。
神くんにたいする甘えと彰クンに対するそれの種類が違うのは当然だけれども、あたしは神くんに何処まで汚い自分を見せる事が出来るのだろう?
もしかしたらあたしの事を一番理解してくれているのは彰クンなんじゃないだろうか。
けれどいつだってあたしの気持ちを汲んでくれる彰クンに対して、あたしには彰クンの気持ちを汲み取ることができない。
こんなに長く彰クンのことを知っているのに。
あたしにはそれが少し悔しい。
フラフラと気持ちが座らないあたしに天罰が下った。
その日の部活での事。
慢性的に痛む膝をかばう姿勢でプレーを続けていたせいなのか、空中で少し乱れた体制をうまく立て直せずに着地に失敗したあたしはそこから立ち上がることさえできなくなってしまった。
靱帯損傷。
真っ白な病室のベットの上でグルグル巻きにされた足首の包帯を見たあたしは、自分の足とは思えないほど腫れ上がったそれを思い出しながら捻挫のひどいヤツだと言い聞かせようとしていた。
医者と密談を終えた監督がベットの脇で黙り込んで座っている様子もあたしの気分を滅入らせた。
「監督、そろそろ練習に戻らないと…あたしなら大丈夫ですから」
監督は重い腰をあげあたしの左肩を軽く叩く。
「親御さんがいらしたら連絡しなさい。詳しい説明はその時に」
そして「大丈夫」と呟く監督にあたしはしっかりと頷いた。
「…はい」
そうは答えたものの部屋を出ていく監督の後ろ姿を見送りながら、あたしは泣きそうな程不安になった。
明日親が来てからと言う事で詳しい説明はなかったものの逆にそれが怖い。
損傷の程度はどれくらいだったのだろうか。
完治にどれくらいかかるのだろう?
春高に間に合うのだろうか?
あたしは携帯を取り出して開いては閉じ開いては閉じを繰り返した。
インターハイはムリだったけど選抜は…そう言って神くんと約束してたんだけどな。
神君との関係が上手くいかなくなると、こんな約束さえも解れてくるのだろうか。
一足早いバスケの選抜県予選は既に始まっていて、夏に全国2位という好成績を残したメンバーに変更のない海南はかなり有利だと思う。
守れないかも。
選抜出場する約束も、せめて高校卒業するまでは一緒にいようねって約束も。
こういう時の一人の時間って人を馬鹿にネガティブにさせるんだ。
けれどその後、部活を終えた友人が病室を覗きに来てくれたから、その時ばかりはあたしの気分も少し軽くなった。
人を気遣うというより馬鹿なことを言って元気付けるというスタイルのお見舞いを見送ると病室は再びシン…と静まり返る。
また憂鬱になりそうになるのを払拭しようと彼女らが持ってきてくれた雑誌がどんなものか片手であさっていたその時、再び扉をノックする音が聞こえたので時計に目をやった。
親が到着するにはまだ早いような気がする…と扉に視線を移せばそこに立っていた人に心臓が縮む程驚く。
これって怪我の功名かな。
「サッチーに聞いて…びっくりして…」
彼は少し肩で息をしていて、あぁ急いで来てくれたんだ、いやその前にあたしの為に来てくれたんだというそれにあたしの胸の奥から熱い何かがこみ上げてきて零れそうになったからあたしはニッと歯を見せた。
あんな気まずい喧嘩の後でいきなり泣きつく勇気もないあたしは「今日体育館で最も話題になった女」とブイサインをつくる。
まともに喋るのはすごく久しぶりな気がした。
だけど神くんはニコリともせずに少し唇を噛んでから「医者は何て?」と聞いた。
「えっと…」
怪我の事を聞かれるとあたしは無意識に笑顔になる。
例えそれが神くんでなくても、家族以外の人の前で落ち込んだ顔を見せるのが嫌だったのだ。
「親が到着するのが今日遅くなるから詳しいことは明日聞くの。たいしたことないと思うんだけどなぁ」
眉間に皺を寄せる神くんの目が「たいしたことないならいつまでも病院にいないだろ」と言っていた。
それを見たらなんだか不安とか弱音とかが零れそうになったけれど、予選と大喧嘩の真っ最中にも関わらずせっかく時間を裂いて来てくれた神くんを前にあたしはそれを飲み込んだ。
「ってか神くんこそ今選抜の県予選の真っ最中なのに大丈夫?ごめんね貴重な時間を取らせちゃって」
「こんな時に俺の事なんか…」
そう言って神くんは視線を反らせるとため息をついて頭を掻いた。
「俺はさ、なま恵の前では思った事は正直に口に出してきたつもりなんだけど、でもなま恵は違うんだね」
あたしは神くんの言いたいことが分からなくて困惑した。
「今だってそう」
神くんは少し寂しそうに笑うけれど、あたしにはその理由も分からない。
「この時期に怪我なんかしたら俺なら悔しくて堪らないと思うけど。それはなま恵も同じだと思うけど。だったら俺の前でくらいそう言えばいいのに」
貼付けていた仮面を剥がされたような気がした。
「マネージャーの事も、あんな風にならなかったらずっと胸の中にしまっておくつもりだったんだ?」
湧きだす何かを堪えようとしたら無意識に唇を噛んでいた。
「ほら黙った」
ムゥと唇を尖らせて神くんを見上げる。
「あの子の事は、悪かったって思ってる。部室での事も…。あの時はスゴイ腹がたってて…馬鹿な事したなぁて後悔したんだけど」
ポツリポツリと言葉を選ぶように喋る神くんを見ていたら、あたしに彼を責める事なんて出来るはずがない。
あたしは神くんよりもっと酷いことをしていると、少なくともそういう自覚はある。
「なま恵の事になるとダメなんだ。だけどもう少し寛大になれるように努力する。だから…」
神くんにそんな事言われたらあたしの目には涙が滲んで…。
それは神くんに対して申し訳ないという気持ちがあるから。
「俺の前では何でも言って欲しいんだけどな」
そう言った神くんに笑って返事が返せればよかったのだけれど、一瞬頭を掠めた彰クンの顔がそれを躊躇させた。
今、現れたのが神くんでなく彰クンだったら、あたしは「悔しい」と「不安で仕方がない」と、子供みたいにワンワン泣けたのだろうか。
ポロリと零れた涙を拭うように神くんの手があたしのに頬をなぞった。
「…なま恵?」
冷たい指先。
あたしの顔色を窺うように覗き込む神くんにあたしはやっぱり笑顔しか返せなかったのだ。
「…好き。神くんが」
そう言った言葉は嘘ではないのだけれど。
「あたし頑張るから」と言うあたしに神くんは「うん」と答え、そして小さく「ごめんね」と呟いた。
「あたしもごめんね」
神くんはようやく笑顔を見せてあたしの髪を撫でてくれたけれど、だけど彼はあたしの謝罪の本当の意味を知らないんだ。
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