オモダカさんと秘書
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──数年前の話。
連日慣れない量の激務に追われ、ロッカスは寝不足の日々が続いていた。明日も無事に業務を果たせるかという懸念と、早く寝なければ明日に響くという恐れと、そして自分の不出来を振り返る自省とで、決して潤沢ではない睡眠時間をさらに削るという、悪循環に陥っていた。半年前、自分を秘書に抜擢してくれた、パルデアの俊秀たるオモダカに、思うように貢献できた日はそう多くない。これがあと数年もしたら、多少は上手くこなせるのだろうかと、ロッカスは天井を相手に嘆息する毎夜だった。
ロッカスは熱っぽい額を掌で抑えた。朝に測った時は平熱だったが、もしや微熱でも出ているのだろうか。本人の希望に反して、体という物は儘ならない。思考の縺れる頭を懸命に動かして、デスクトップを睨み合ううちに、ますます頭痛まで催してきた。
「体調不良ですか?」
水面下に苦悶するロッカスの側で、仕上がった書類を読んでいたオモダカが、静かにいった。頭の鬱熱に苛まされていたロッカスは、はじめ、それが自分宛の声掛けには聞こえず、うまく返答が出来なかった。
「……あ! いえ、だ、大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
「……。ロッカス、今日はもう家に帰りなさい」
判然と言い切るオモダカに、ロッカスが驚いた。時刻はまだ午前である。今日やるべき仕事の三割も終わっていなかった。
ロッカスを見るオモダカは、特に心配気でもなく、むしろ平生の業務指示の時と変わらなかった。ロッカスは、オモダカが自分に失望しているのではないかという不安に駆られた。
「そ……大丈夫です、心配ありません。業務も……」
慌てて弁解しようとしたロッカスに、オモダカが、手中の書類をデスクで整える音で、トンッと言葉を遮った。ロッカスは圧力のあるその音に、びくりと肩を揺らした。オモダカはロッカスに冷涼な一瞥を投げかけた。
「今取るべき正しい判断はわかりますね?」
「……!」
やってしまった、とロッカスが失態に気づいた時には遅かった。ロッカスは口を真一文字に小さく結ぶと、一つ頷いて立ち上がった。
「あの、……お先に、失礼します」
「ええ。ゆっくり静養してください」
「はい」
ロッカスは落ち込む心を出来るだけ取り繕って、──とはいえ、眉は下がり切っていたが──、退室した。体調不良を誤魔化そうとしたロッカスに、オモダカは呆れたに違いない。業務上のどんな失敗をした日も、ロッカスの下らない我意をオモダカに諭された今が、一番恥ずかしかった。なんだか熱っぽい分、余計に羞恥が全身を刺すようで、涙が滲む。ロッカスはひっそりと帰り支度を済ませると、一直線に自宅に帰った。
×××
明らかに意気消沈して出ていくロッカスを、オモダカは静かに見送った。すると隣室で控えていたチリが、眼鏡を外しながら、部屋に顔をのぞかせ、閉じた扉を眺めた。
「あれ、いいんですか。言い方キツいんちゃいます?」とチリがファイルをオモダカに差し出しながら尋ねた。
「かまいません。並の薬よりよっぽど効くはずです」とオモダカは明瞭に言い切った。
「努力と無茶は、似て非なるもの。過去を想い、未来を築くためには、現在 を疎かにしてはいけません。彼女もまた、パルデアの未来を築くひとつのかがやき……ですが、誰か一人でも無茶な苦労で動かす社会と、そうして作り上げた未来は、かがやかないでしょう。
ですから休んでもらうのです。無理をしなくても回る社会こそ、正しい姿です。そうなるようにしなくてはいけませんからね」
オモダカはそう言い終えると点検した書類に記名を終え、ファイルを開いた。チリがなんだか物言いたげな顔をしていたが、しかし、誰よりも先ほどのロッカスとのやり取りを気にしているのはオモダカに相違なかった。
「──ということで、アオキ、貴方には申し訳ないですが新しい業務です」
隣室にいるだろう男の気配を悟っていたオモダカが明朗な声をかけると、鈍い足取りでアオキが姿を見せた。彼は何時になく億劫だと顔に判然と記して、しかし反論は口にすることなく、「そんなことだろうと思ってました」といった。
「ここに無理寸前の苦労人がひとり」とチリが突っ込みを入れる。
「まさか。アオキは出せる力の八割も出していないでしょう」
「あっはっは! アオキさんバレとるやん」
「ハア……」と瞼を落として溜息をつくアオキに「営業の一環ですよ」とオモダカは端然と微笑んだ。
×××
その夜のことであった。部屋で温かくして横になっていると、自宅のインターホンが来訪を告げた。宅配を頼んでいただろうかと、毛布に包まりながら、鈍重な足取りでモニターを見にいくと、予想だにしない人物が立っていた。ロッカスは驚いて、声を掛ける前に、エントランスの扉を開いた。すると、オモダカが、質の悪い液晶越しでも分かる美しい微笑みを浮かべると、開いた自動ドアの方へと歩いていく。ロッカスは唖然としてその姿が見切れるのを見ると、布団をベッドに押し込んで、鏡台の前で自分の姿を見返した。
慌てて身繕いをするうちに、玄関のベルがその時を報せた。ロッカスは心臓が跳ねたように全身を強張らせると、小走りに廊下を走った。
開いた扉の前にはオモダカが凛と立っていた。
「トップ、どうして……」
動揺するロッカスに、オモダカが「お見舞いに来ましたの」といった。
「す、すみませんわざわざ。あの、どうぞ上がってください。散らかっていますが……」
「フフフ。いいえ。それはまたの機会に致しましょう。あがるともてなされてしまいそうですから」
そういうと、オモダカは手に提げていた紙袋を、「これを」といってロッカスに差し出した。すぐさまロッカスは袋のロゴマークから、有名な青果店のものだと気がついた。それも、到底普段のロッカスの財政状況で買える価格帯の店ではない。けれども、ロッカスは日頃、オモダカのパートナーと、オモダカ自身に用意する昼食は、ここの物を頼まれていたから、彼女にとってこれがなんでもない見舞品なのだとは承知していた。紙の優しい匂いと、果物の新鮮な匂いがする。ロッカスは「ありがとうございます」というと、それを丁寧に受け取った。
それをみて、オモダカがようやく表情を少し崩した。ロッカスは日頃見ないオモダカの安らいだ顔つきに、少し驚いた。
「くれぐれも、今度からは無茶をしないでくださいねロッカス……。貴方は私の大事な宝です」
「は、はい」
「心配になると、私も仕事がうまくいきませんから」
「……はい」
先程まで曇っていた心が、みるみると霧払いされ、ロッカスはオモダカに照らされたように胸の中が明るくなった。
「あの、明日からまた立て直しますので」とロッカスが口約束すると、オモダカが「明日?」と顔を正した。
「明日もお休みです。明後日から出勤してください」
半日で体調を立て直せるとでも?と暗に説き伏せられ、またまたやらかしてしまったと、萎縮しながらロッカスは手厚い支援に感謝を伝えた。
「では帰ります。あたたかくして、大事にして、元気な顔をみせてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
「ええ。それではまた」
颯爽と立ち去るオモダカの背を見送り、ロッカスは彼女がエレベーターに乗り込んで見えなくなると、玄関の扉を閉ざして、安堵の息を漏らした。そうしてふと紙袋を開くと、前にロッカスが好きだといった果物と一緒に、小さなメッセージカードが入っていた。
達筆に、労りの言葉が記されたそれに、頬がほんのりと和らぐ。ロッカスは「ありがとうございます」と、また小さく呟くと、部屋の中に戻った。明後日からは、もう少し上手く働けるような気がした。
連日慣れない量の激務に追われ、ロッカスは寝不足の日々が続いていた。明日も無事に業務を果たせるかという懸念と、早く寝なければ明日に響くという恐れと、そして自分の不出来を振り返る自省とで、決して潤沢ではない睡眠時間をさらに削るという、悪循環に陥っていた。半年前、自分を秘書に抜擢してくれた、パルデアの俊秀たるオモダカに、思うように貢献できた日はそう多くない。これがあと数年もしたら、多少は上手くこなせるのだろうかと、ロッカスは天井を相手に嘆息する毎夜だった。
ロッカスは熱っぽい額を掌で抑えた。朝に測った時は平熱だったが、もしや微熱でも出ているのだろうか。本人の希望に反して、体という物は儘ならない。思考の縺れる頭を懸命に動かして、デスクトップを睨み合ううちに、ますます頭痛まで催してきた。
「体調不良ですか?」
水面下に苦悶するロッカスの側で、仕上がった書類を読んでいたオモダカが、静かにいった。頭の鬱熱に苛まされていたロッカスは、はじめ、それが自分宛の声掛けには聞こえず、うまく返答が出来なかった。
「……あ! いえ、だ、大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
「……。ロッカス、今日はもう家に帰りなさい」
判然と言い切るオモダカに、ロッカスが驚いた。時刻はまだ午前である。今日やるべき仕事の三割も終わっていなかった。
ロッカスを見るオモダカは、特に心配気でもなく、むしろ平生の業務指示の時と変わらなかった。ロッカスは、オモダカが自分に失望しているのではないかという不安に駆られた。
「そ……大丈夫です、心配ありません。業務も……」
慌てて弁解しようとしたロッカスに、オモダカが、手中の書類をデスクで整える音で、トンッと言葉を遮った。ロッカスは圧力のあるその音に、びくりと肩を揺らした。オモダカはロッカスに冷涼な一瞥を投げかけた。
「今取るべき正しい判断はわかりますね?」
「……!」
やってしまった、とロッカスが失態に気づいた時には遅かった。ロッカスは口を真一文字に小さく結ぶと、一つ頷いて立ち上がった。
「あの、……お先に、失礼します」
「ええ。ゆっくり静養してください」
「はい」
ロッカスは落ち込む心を出来るだけ取り繕って、──とはいえ、眉は下がり切っていたが──、退室した。体調不良を誤魔化そうとしたロッカスに、オモダカは呆れたに違いない。業務上のどんな失敗をした日も、ロッカスの下らない我意をオモダカに諭された今が、一番恥ずかしかった。なんだか熱っぽい分、余計に羞恥が全身を刺すようで、涙が滲む。ロッカスはひっそりと帰り支度を済ませると、一直線に自宅に帰った。
×××
明らかに意気消沈して出ていくロッカスを、オモダカは静かに見送った。すると隣室で控えていたチリが、眼鏡を外しながら、部屋に顔をのぞかせ、閉じた扉を眺めた。
「あれ、いいんですか。言い方キツいんちゃいます?」とチリがファイルをオモダカに差し出しながら尋ねた。
「かまいません。並の薬よりよっぽど効くはずです」とオモダカは明瞭に言い切った。
「努力と無茶は、似て非なるもの。過去を想い、未来を築くためには、
ですから休んでもらうのです。無理をしなくても回る社会こそ、正しい姿です。そうなるようにしなくてはいけませんからね」
オモダカはそう言い終えると点検した書類に記名を終え、ファイルを開いた。チリがなんだか物言いたげな顔をしていたが、しかし、誰よりも先ほどのロッカスとのやり取りを気にしているのはオモダカに相違なかった。
「──ということで、アオキ、貴方には申し訳ないですが新しい業務です」
隣室にいるだろう男の気配を悟っていたオモダカが明朗な声をかけると、鈍い足取りでアオキが姿を見せた。彼は何時になく億劫だと顔に判然と記して、しかし反論は口にすることなく、「そんなことだろうと思ってました」といった。
「ここに無理寸前の苦労人がひとり」とチリが突っ込みを入れる。
「まさか。アオキは出せる力の八割も出していないでしょう」
「あっはっは! アオキさんバレとるやん」
「ハア……」と瞼を落として溜息をつくアオキに「営業の一環ですよ」とオモダカは端然と微笑んだ。
×××
その夜のことであった。部屋で温かくして横になっていると、自宅のインターホンが来訪を告げた。宅配を頼んでいただろうかと、毛布に包まりながら、鈍重な足取りでモニターを見にいくと、予想だにしない人物が立っていた。ロッカスは驚いて、声を掛ける前に、エントランスの扉を開いた。すると、オモダカが、質の悪い液晶越しでも分かる美しい微笑みを浮かべると、開いた自動ドアの方へと歩いていく。ロッカスは唖然としてその姿が見切れるのを見ると、布団をベッドに押し込んで、鏡台の前で自分の姿を見返した。
慌てて身繕いをするうちに、玄関のベルがその時を報せた。ロッカスは心臓が跳ねたように全身を強張らせると、小走りに廊下を走った。
開いた扉の前にはオモダカが凛と立っていた。
「トップ、どうして……」
動揺するロッカスに、オモダカが「お見舞いに来ましたの」といった。
「す、すみませんわざわざ。あの、どうぞ上がってください。散らかっていますが……」
「フフフ。いいえ。それはまたの機会に致しましょう。あがるともてなされてしまいそうですから」
そういうと、オモダカは手に提げていた紙袋を、「これを」といってロッカスに差し出した。すぐさまロッカスは袋のロゴマークから、有名な青果店のものだと気がついた。それも、到底普段のロッカスの財政状況で買える価格帯の店ではない。けれども、ロッカスは日頃、オモダカのパートナーと、オモダカ自身に用意する昼食は、ここの物を頼まれていたから、彼女にとってこれがなんでもない見舞品なのだとは承知していた。紙の優しい匂いと、果物の新鮮な匂いがする。ロッカスは「ありがとうございます」というと、それを丁寧に受け取った。
それをみて、オモダカがようやく表情を少し崩した。ロッカスは日頃見ないオモダカの安らいだ顔つきに、少し驚いた。
「くれぐれも、今度からは無茶をしないでくださいねロッカス……。貴方は私の大事な宝です」
「は、はい」
「心配になると、私も仕事がうまくいきませんから」
「……はい」
先程まで曇っていた心が、みるみると霧払いされ、ロッカスはオモダカに照らされたように胸の中が明るくなった。
「あの、明日からまた立て直しますので」とロッカスが口約束すると、オモダカが「明日?」と顔を正した。
「明日もお休みです。明後日から出勤してください」
半日で体調を立て直せるとでも?と暗に説き伏せられ、またまたやらかしてしまったと、萎縮しながらロッカスは手厚い支援に感謝を伝えた。
「では帰ります。あたたかくして、大事にして、元気な顔をみせてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
「ええ。それではまた」
颯爽と立ち去るオモダカの背を見送り、ロッカスは彼女がエレベーターに乗り込んで見えなくなると、玄関の扉を閉ざして、安堵の息を漏らした。そうしてふと紙袋を開くと、前にロッカスが好きだといった果物と一緒に、小さなメッセージカードが入っていた。
達筆に、労りの言葉が記されたそれに、頬がほんのりと和らぐ。ロッカスは「ありがとうございます」と、また小さく呟くと、部屋の中に戻った。明後日からは、もう少し上手く働けるような気がした。