Grill
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「……案外、あまり変わり映えありませんね……」
橙色の髪と瞳の少年はそう呟きながら辺りを見渡した。
その瞳にはどこか哀愁が漂っている。
道沿いの木々の葉は色づき、吹く風が少し肌寒くなった頃。
すっきりと晴れた空の下、少年は故郷に足を運んでいた。
下校途中なのだろうか、10歳くらいの二人の子どもが笑いながら彼の横を駆けていく。
彼らをちらと見やり、少年は小さく笑った。
「制服は変わらないのか……」
ぽつりと呟いてそのまま歩き続ける。
アスファルトを叩く革靴の音が、やけに遠く聞こえていた。
乾燥した風が彼のローブをゆらゆらと揺らす。
もう少年はここには来ないつもりだった。
誰かに来るな行くなと言われたわけではない。
“あの日”自分からそう決めたのだ。
それは彼なりの決意表明と覚悟の形だった。
それにもかかわらずこの地にいることは、ある意味彼にとっては裏切りに近いことだった。
しかし何故か、どうしようもなくこの地に心惹かれてしまったのだ。
ある場所で少年は足を止めた。
そこは先程の子供たちが出てきたであろう学校……彼がかつて通っていた場所でもあった。
やはりもう授業は終わっているのだろう。
校庭に何人かの子どもがいて、楽しそうに駆け回っている。
彼らの瞳は、皆一様にキラキラと輝いていた。
未来への夢と希望に溢れた目だ。
しばらく少年は子どもたちを眩しそうに見つめていたが、前に視線を戻して歩き始めた。
そのまま彼は、てくてく歩いていく。
「あ……」
記憶と違うものを見つけ、思わず足を止めた。
記憶の中では店があったはずの場所が、ただの空き地になっていた。
ご丁寧に「売地」の看板まで立てられている。
雑草が好き放題にぼうぼうと生えていた。
「やはり、少しは変わっているのか」
少年は小さく溜息をついた。
続けて「当然だ」と心の中で呟く。
かなりの時間が過ぎているということは、なんとなく肌で感じていた。
彼は星々の間の時の流れ方を操ることが出来る。
しかし彼はこの星に関してはなにも触れてこなかった。
それも彼の、1つの決意の形だった。
それから少しまた歩き、昔よく遊んでいた公園に着いた。
思わず懐かしさに駆られて入ってみる。
舗装されていない土を踏む感触が、どこか懐かしかった。
遊具の塗装は塗り直したのだろうか、彼の記憶よりも幾分鮮やかになっていた気がした。
他にも新しい遊具が追加していたりして、幾分変化を実感させられる。
公園には、一人で遊んでいる少女がいた。
……いや、遊んでいるわけではなさそうだ。
黄緑色の髪の幼い少女が、楽しそうにタクトを振っていた。
その手付きに合わせて、緑色の光の粒子が輝いている。
まるで星が彼女の周りを踊っているかのようだった。
「……あの制服は、初等部の……」
彼が通っていた学校の初等部――と言っても、彼は初等部の途中で離脱したのだが、彼女が着ているのはそこの女子制服だった。
おそらく魔法の練習をしているのだろう。
特に珍しいことではない。
彼自身もこの公園で魔法の練習をしたことがあった。
そう納得した少年はそこから立ち去ろうとし、しかしもう一度彼女を見た。
さっさと立ち去っていまえばいいものを、何故かじっと見たままでいてしまう。
「……安定感はともかく、なかなかですね」
彼の目から見ても、彼女の魔法はその歳の割にはかなり巧かった。
木陰から少女を覗き観察する自分は明らかに不審者だろう、と自分を客観的に見ながら苦笑する。
しかしどうしても立ち去ろうとは思えなかった。
まさかロリコン属性に目覚めたのではあるまい。
たしかに少女は可憐だったが、生憎彼にそんな趣味は無かった。
自分でもわけがわからなく、得体のしれない力に惹きつけられているようだった。
彼女を見ていると、なぜか懐かしい気持ちになった。
制服のせいかとも思ったが、それとは違う、もっと強力な何かがある。
誰かの顔が、少女に重なっていく。
それは少年にとって最も身近な……
「……ウィズ?」
顔立ちも背丈も何もかも違うのに、少女の姿は何故か彼を連想させた。
まるで、彼の傍に居るかのような感覚に陥る。
それと同時に、もう一つ違う感覚が蘇ってきた。
彼にとっての忌まわしい記憶。
少年の泣き顔と、恐怖に歪む表情が脳裏を駆け巡っていく。
「……っ」
くらり、と視界が回る。
世界の音が遠ざかり、頭に鮮烈な痛みの感触が戻ってくる。
「マルクッ!?」
少年はハッと我に返った。
緩やかにほどけた視界の中に黄緑色を捉え、慌てて目を凝らす。
黄緑色の少女が彼を見上げていた。
彼女の目には真剣な光が宿っている。
幼い少女とは思えないその気迫に、少年は一瞬息を呑んだ。
それ以上に、少女の口から出た名前に驚きを隠せなかった。
少年はその名前を持つ者を知っている。
しかし別段珍しい名前ではない。
きっと別人だろう、と結論付けた。
「ビックリした、別人か」
少年の心を見透かしたかのように、少女は口を開く。
笑ってこそいるが、その表情は落胆に満ちていた。
「でも本当に驚いちゃったよ。
お兄ちゃんの雰囲気が知ってる人に似てたから……。
あ、ボクちんはグリル!
お兄ちゃんは?」
「あ……私はランプキンです。
ところで、貴女の知ってる人とは……?」
見知らぬ人に突然名乗るなんてこの少女の防犯意識は大丈夫なのか、と戸惑いながらランプキンも名乗る。
グリルと名乗った少女は、嬉しそうににっこりと笑った。
「あのね、ボクに魔法を教えてくれた人だよ!
オッドアイで紫の髪の男の子!」
彼の脳裏に、ボロボロの少年の姿が過った。
いつか出会った、悲劇の少年である。
彼の名も、マルクといった。
そして彼の瞳も鮮やかな赤と青のオッドアイだった。
「ボクちん、魔法が下手くそだったんだ。
クラスメイトに馬鹿にされてすっごく悔しかったんだぁ……。
でもマルクが教えてくれて、上手くなったんだよ!」
楽しそうに話すグリルを見ながら、ランプキンは心の底から安堵していた。
どうやら彼は元気にやっているらしい。
一人で生活することの大変さは身をもって知っているからこそ、ずっと彼のことが気がかりだった。
「その人は、どこへ……?」
「新しい世界に行くって行っちゃった……」
彼女の顔が泣きだしそうに歪む。
しかしすぐにそれはパアッと輝いた。
「でもね、ボクちんが強い魔女になったらきっとまた会えるって!
だから魔法の練習頑張ってるんだぁ。
そうだ、見てよボクちんの魔法!
お兄ちゃんも魔法使いでしょ?」
ランプキンの答えを聞く前に、グリルが勇ましくタクトを振り上げる。
するとその先から緑色の光が溢れた。
その瞬間、公園にあるいくつもの石が宙に浮かび上がった。
彼は思わず感嘆の声を上げた。
「その歳でこれは大したものですね……」
彼女の年でこの範囲に魔法をかけられるのは、かなり力があるということである。
しかしグリルは「待ってました」と言わんばかりに更にニッコリと笑った。
「え?もちろんこれだけじゃないよ!」
グリルは更にタクトを振り上げる。
すると石はフッと消えてしまった。
思わず呆気にとられるランプキン。
「いっけえ!」
彼女は勢いよくタクトを振りおろした。
その瞬間、空から緑色の光を纏った石が降ってきた。
「え、ちょ、ええええええ!?」
ランプキンは慌てて自分とグリルの周りに防御壁を張った。
二人を避けて石が降り注ぎ、公園の地面にはいくつものクレーターができていく。
その光景は、さながら流星群のようだった。
もし少しでも彼の反応が遅れていたら、穴が開いていたのは地面ではなく彼らの身体の方だったろう。
ランプキンは防御壁を解除し、厳しい表情を浮かべた。
「コラ!流星群を人に向けてはいけません!」
「ご、ごめん!ついはしゃいじゃったよ……でも、こんなに強くするはずじゃなかったんだけどな……」
グリルは泣きそうな顔をしながらペコペコと謝った。
ランプキンも「まぁ、悪気があったわけではありませんしね……」と小さく笑う。
「ですが、本当に大したものですね。
正直驚きました……」
「へへー!これでご先祖様に顔向けができるね!」
「……ご先祖様?」
「ボクちんはね、なんかすごい魔法使いの血をひいてるんだって!」
グリルは誇らしそうに胸をピンと張った。
一方、ランプキンの目が驚きに見開かれる。
「むかーしむかしに滅ぼされちゃった魔法使いの生き残りが、ボクちんのご先祖様!」
滅ぼされた、魔法使い、生き残り……三つのワードが彼の脳内を猛スピードで駆け巡る。
彼の知っている話と、酷く酷似していた。
そして、初対面の彼女に何故か感じた懐かしさ。
そこから導き出される解答はただ一つ。
「……一つ、聞いてもいいですか……」
「ん?なーに?」
「……その魔法使いの名前とか……わかりますか?」
声が震えそうになった。
予想が当たっててほしいのか、当たっててほしくないのか……彼自身にもわからなかった。
そんな彼の心境に構わず、グリルはニッコリと笑って答えた。
「ハルカンドラだよ、知ってる?」
***
「……今日、私の故郷に行ってきました」
あれからグリルと別れたランプキンは、自宅――というか、ウィズの元へ帰っていた。
ウィズは退屈そうにソファに寝そべり、よくわからない言語で書かれた本を読んでいる。
「そこで、ある少女に出会いました。
グリルという子です」
「ほー」
「私の故郷ですから、彼女も魔女です。
まだひどく幼い子どもですが」
「あー」
「グリルはマルク……以前覚醒した少年のことですが、彼と接触したようです」
「へー」
「そこで彼に魔術を教わったらしいのですが……」
「ふんふん」
「……ウィズ?
さっきから私の話、聞いてますか?」
「うんうん聞いてマスよー夕飯はグリルチキンがいいデスねー」
「グリルって単語しか聞いてないじゃないですか……」
全くと言っていいほど話を聞いていないウィズに、ランプキンは溜め息をついた。
しかしウィズは悪びれもせずへらへらと笑っている。
まともに話を聞いていたとは思えない態度だ。
「人の話はきちんと聞けと教えたでしょう?」
「アイムソーリー髭ソーリー。
それで?夕飯がどうかしたのですか?」
「ネタが古い上にどうして夕飯がメインの話みたいになっているのですか?
そんなにお腹空いたのですか?
まあそれはともかく……彼女、多分ハルカンドラですよ」
ぴく、とウィズの身体が反応した。
にやけた笑いがスッと消え、表情に真剣みが帯びていく。
ハルカンドラの話を出せば、この男は必ず食いついてくる――長年の経験でわかっているランプキンは、内心でほくそ笑んだ。
ウィズは本を閉じて膝の上に置くと、起き上がって居住まいを正した。
「……その根拠は?」
「彼女がハルカンドラの血を引いていると言ってます」
「それだけじゃ証拠にはなりマセンよ。
血は引いてても魔力もそれとは言えマセン」
「もちろん言葉だけではありません。
私は彼女の魔法を見ていて……誰かに似ていると思いました」
「へぇ……いったい誰にデスか?」
ウィズは挑発的な笑みを浮かべた。
一瞬間を置いてから、ランプキンはウィズを真っ直ぐに指差した。
「……ウィズ、貴方です」
ウィズの黄色の目がスッと細められる。
その表情はどこか獣じみていて、ランプキンは小さく息を呑んだ。
「なるほど、ハルカンドラの力がユーを引き寄せたのデショウかねぇ……」
「すごい収穫デス!」とウィズは先ほどまでの表情が嘘だったかのように明るくに笑った。
が、ランプキンの表情は硬いままだ。
指していた指を、ゆっくりと降ろす。
「……ですが、もう一人似た人がいました」
「……Who?」
「魔力が育ち過ぎた、過去の自分自身です」
そう答える彼の声は酷く沈んでいた。
忌まわしい記憶が、忘れたい自分自身が、頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
吐き気すら覚えてくるその光景を、必死に頭から追い出そうとする。
「先ほども言いましたが、彼女はマルクの魔法の指導を受けていました。
たしか彼も生まれつきの魔法使い……しかも、あんなに高い魔力を持ちながら、あの歳で自力で覚醒しきった人物。
そんな彼に教わったのなら、自然と力の開放もうまくなるはずです。
ですが……」
彼は公園での出来事を話した。
彼女の魔法の威力と、彼女の態度から読み取ったある予測を。
「彼女はあの時、制御しきれなかったのかもしれません。
そうだとしたら……あの時の私と同じです。
今はまだ予兆に過ぎませんが、下手をしたら私より早く限界が訪れるかもしれません」
「ではそのロリが“破裂”しないうちに回収して、保護すればいいってことデスね」
どこか楽しそうな口調で語られるウィズの言葉に、ランプキンは口を噤んだ。
躊躇うように少し目を泳がせ、おもむろに口を開く。
「それについてなのですが……私は、彼女に親元に離れてほしくないのです。
まだあの子はあまりにも幼い。
私が貴方と出会ったころよりも……。
親の愛情や同年代の友人と関わる必要もまだあると思うのです」
ランプキンの言葉に、ウィズは黙り込んでしまう。
少し間が空き、彼は小さく呟いた。
「うーん、ミーにはわからない感覚デスね」
「……そうですか」
彼は心中で溜め息をついた。
理解してもらえるとは思わなかった。
「ミーは親の顔を知りマセンし、それどころかミーに親が存在していたのかすらわかりマセンしね」
親がいるから子は産まれる。
それが当然で、親無くしての誕生はあり得ないこと。
だが彼はその“前提条件”を覆す発言をしている。
遠い遠い昔に聞いた話、ウィズは普通のヒトではないということ。
ある日突然、ハルカンドラの地にその意識だけがあったということ。
例えるならば彼は、肉体を持たない幽霊のような存在だった。
だから所詮、その身体は魔法で造られた紛い物に過ぎない。
「ミーにはベビーの頃とかチャイルドの頃の記憶とか全くありマセンから、何も言えマセンね。
でもランがそう言うなら、きっとそうなんデショウ」
まるで世間話をするように、軽い口調で続ける。
不自然なほどに笑んでいるものの、黄色い瞳は僅かに揺れていた。
その表情は優しいのに、酷く儚げで。
ランプキンと出会ったばかりの――孤独に疲れた表情を思い出させた。
彼の孤独の本質は、きっと……
「ラン、すみませんデシタ?」
「はい……?」
急に謝られて、ランプキンは面食らった。
ウィズは彼の視線から逃れるようにそっと目を伏せた。
黒い睫毛が、黄色い瞳に影を落とす。
「ミーはユーを親やフレンズから引き離し、普通の生活を過ごさせなかった。
ミーが無知だったから、ユーを……」
パン、と派手な炸裂音が鳴った。
目を見開いたウィズは、惚けた顔でヒリヒリと痛む頬に触れた。
そこにはうっすらと赤い跡ができている。
ランプキンは熱を持った掌をギュッと握りしめた。
「馬鹿にしてる?」
絞り出すような声でそう言うと、ウィズの襟首をグイと掴みあげた。
膝から落ちた本が音を立てて床に落ちる。
「僕は自分で選んだ。
貴方について行くって、あの日決めた。
それをあたかも貴方が無理矢理決めたかのような言い方……僕の生き方は僕が決めた。
それを否定するのは、たとえ貴方でも許さない」
彼の表情自体はそこまで変化がない。
しかしその瞳には、怒りや深い悲しみが宿っていた。
二人が出会ったあの日。
彼は、元の世界に帰ることもできた。
しかし彼はそうしなかった。
目の前の存在を、放っておくことができなかった。
自ら全てを捨てて彼に着いていった。
それを真っ向から否定され、まるで裏切られたような心地だった。
理不尽だとわかってながらも、沸き起こる怒りを抑えることができなかった。
こんなに怒りを感じたのは、彼自身初めてのことだった。
キリキリとした胸の痛みを抑えつけながら、真っ直ぐに黄色い瞳を睨む。
普段の彼からは想像のつかない激怒を目の当たりにし、ウィズは驚きに目を見開いていた。
「す、すみま、せん……」
震えた声でそう呟くと同時に、黄色い瞳から透明な雫が溢れた。
少し赤みを帯びた頬を滑ったそれは、小さな音を立てて床に落ちる。
ランプキンはハッと我に返り、慌てて彼から手を離した。
支えを失ったウィズは、糸の切れた人形のようにソファに座り込んだ。
「そ、そんなに痛かったですか!?
すみません!い、今保冷剤をっ!」
「ちっ、違うんデス!
違うんだ、ごめん、ほんとタンマ……」
彼も止めようとはしているらしいが、涙が押し出されてしまっているらしい。
幼子のように泣く彼を目の前に、ランプキンは困惑するばかりだった。
とりあえずハンカチを差し出す辺りは、まだ少年とはいえ紳士といったところか。
こんな風に涙を流すウィズを、彼はこれまでに見たことがなかった。
ウィズが本気で怒ったランプキンを見たのが初めてだったように、彼が本気で泣いているのを見るのは初めてだった。
「ミー、こうやって本気で怒られたことなかったし、ユーがそんな風に思ってくれてたとは思わなくて……嬉しくて……」
無理に笑いながらそう言うウィズの姿に、ランプキンは胸を衝かれた。
もちろん彼には両親に怒られる経験があった。
おそらく皆多かれ少なかれ、幼き頃に怒られたことがあるだろう。
しかし幼少期の記憶がないのならば、その記憶がないのも当然だ。
怒られることだって人とのつながりの一つ。
その記憶がないほどに、彼は孤独だった――そう思うと、ランプキンの心はひどく締め付けられた。
「ウィズ……」
涙を隠すようにうつむいて、服の袖で目元をゴシゴシと擦るウィズ。
自分よりもかなり年上で、親代わりにさえなってくれていたはずなのに。
今はまるで子供のように小さく見えていた。
おずおずと手を伸ばし、幼子をあやすかのように漆黒に似た髪を撫でる。
非情に照れ臭かったが、遠い昔にこうしてもらうと安心したことを思い出して撫で続けた。
流石に抱き締めてやるまでの度胸は無かったらしい。
しばらくするとようやくウィズは泣き止んだ。
まだ鼻をすすっているが、この分ならあと少しで落ち着くだろう。
「ラ、ン……」
「どうしましたか?」
「お願いがあるのデス……」
「なんですか?」
優しい笑みを浮かべながら、ウィズの傍に顔を寄せる。
ウィズはゆっくりと顔を上げて、赤く充血した目でじっとランプキンの目を見つめた。
その瞳はさながら、親に縋る子のように見える。
彼はウィズの目を真っ直ぐに見返す。
これまでいろいろと受け取ってきた分、これからは返していこう、自分にできる限りのことをしようと心に誓っていた。
「………ってくだサイ……」
その声はまるで蚊の鳴くような声で、上手く聞き取ることができなかった。
そんなに頼みづらいようなことなのだろうか。
いや、それでもできるだけ力になろう――そう思いながらランプキンは彼の口元に、そっと耳を寄せる。
「すみません、もう少し大きな声でお願いできますか?」
「……もっと……ミーを、ぶってくだサイ」
「……はい?」
一瞬、何と言われているのか理解することができなかった。
否、理解したくなかったと言った方が正しいのかもしれない。
ウィズがゆらりと立ち上がると、ランプキンは本能的な危険を感じたのかほぼ反射的に飛びのいた。
「ユーのスパンキングは!素晴らしいのデス!
さあミーをもっとぶつのデス!」
ウィズはハアハア言いながらジリジリとランプキンににじり寄っていく。
心なしか鼻息も荒い。
ランプキンは背中に変な汗がタラリと流れていくのを感じた。
「は?え?い、嫌です!
私にはそんな趣味ありません!
どちらかというと嫌がる人を打ちたいです!」
半ば叫びながら脱兎のごとく逃げ出した。
その後ろを追いかけ、ウィズも駆け出す。
「さあもっと!手首のスナップを効かせて!」
「やめてくださいこの変態!」
「アアッ言葉責めも良いデスね!」
「嫌です!止めてください!」
二人しかいない部屋の中、ランプキンの叫び声が悲しく響く。
この経験が、後々ウィズの性癖に多大な影響力をもたらすことになったのだった……。
***
「……と、言うわけで、ミーはユーのパワーをセーヴしマス」
その次の日の夕方、二人はグリルのもとに訪れていた。
ランプキンは心なしかぐったりしているが、ウィズは生き生きとしている。
あの後二人に何があったかは、想像にお任せしよう。
彼女は昨日と同じ場所で、魔法の練習をしていた。
……というよりも、二人が来るのを待っているようにも見えた。
ウィズがグリルの魔法を見たところ、やはりハルカンドラの魔力に間違いないらしい。
そして予測通り、彼女の身体に対して魔力が育ちすぎていることもわかった。
このまま放っておくのは危険だ――しかし、昨日のランプキンの話もある。
考えた結果、時々彼らの元で魔力の制御の仕方を学ばせようということになったのであった。
要するに『通い』ということだ。
ハルカンドラの魔力は強力故、扱いが難しい。
特に子どもの内はきちんとした制御の仕方を学ばないと、暴走しやすくなってしまうという。
そう説明されたグリルは、どこか楽しそうに聞いていた。
「そうすれば、パワーは制御できマスから。
その代わり、時々ミーたちのホームに来ていただきマスよ。
ご両親にはなんとか言い訳してくだサイね」
「へえ、それだけでいいの?
てっきり連れていかれるかと思ったのに。
それくらいなら大丈夫だよ、もうママたちには許可取ってあるから」
グリルはにっこりと笑って答えた。
流石に二人とも驚きを隠すことができなかった。
「昨日帰った後、ランプキンのこと話したんだ。
ボクちんがハルカンドラの魔法使いに会って認められたって、みんな喜んでたよ。
みんな血を引いてる自覚があるからね。
さすがに連れて行かれそうなら相談しろって言われたけど……」
ランプキンは何も言っていないのに、まるでこうなることがわかっていたかのようだ。
グリルはしたり顔で二人の顔を見つめていた。
「それに、自分でも最近制御できていない気もしていたから助かるよ」
更に自覚もあったらしい。
この少女は将来大物になりそうだ、と二人は心の中で呟いた。
「で、ですがどうして……?」
「ランプキンがハルカンドラって知ってたかでしょ?」
言おうとしていた言葉を継いだグリルに、ランプキンは息を呑んだ。
この少女には心を読む能力でもあるのかと、勘ぐってしまう。
「……ボクちんはね、ちょっとだけ未来のことがわかるんだよ」
「ユーの能力は“分析”デスね?」
「多分、そうなるのかな?
それ以上にマルクが言ってたんだ。
きっとボクちんはハルカンドラって事と、ハルカンドラには『ラン』って人がいるって。
それ、ランプキンのことでしょ?
しかも昨日、ボクちんがハルカンドラの子孫だって言ったら、すごい顔してたもん。
すぐわかっちゃったよ」
「……ラン、意外と顔に出マスからねぇ」
「殴りますよ」
「大歓迎デス」
「もう嫌だこの人」
キラキラと目を輝かせるウィズとこめかみを押さえて項垂れるランプキン。
対称的な二人を見ながらグリルは楽しそうにケラケラと笑っていた。
が、急に笑うのを止めると真剣な表情になった。
「マルクは『いつかキミのところにも迎えが来る』って言ってた。
そのときは逃たほうがいいかもって言ってたけど……でもボクちんは、あえて君たちについていくよ。
ハルカンドラ王国の復活はボクちんのご先祖様からの悲願だから。
滅びたお話も女王様のお話も小さいころから聞かされてきた。
だから、ボクちん自身の使命のように感じてるんだ。
それに……」
そこまで言ってから、グリルは言葉を切って少しだけ頬を赤らめた。
「君たちといたら、またマルクに会える気がするんだ」
照れ臭そうに微笑む彼女。
少女の少しませた表情に、二人から笑みが漏れる。
ウィズはクスリと笑いながら、彼女にスッと右手を差し伸べた。
「ユーの気持ち、しかと受け取りマシタ」
「うん!これからよろしくね!
ウィズ、ランプキン!」
小さな魔女が彼の手を強く握り返す。
これが魔法使いと幼い魔女の出会いの話。
その未来、彼女の予想はしっかりと当たることになる。
再会を果たした二人がどうなっていくかは、また別のお話……。
NEXT
→あとがき
橙色の髪と瞳の少年はそう呟きながら辺りを見渡した。
その瞳にはどこか哀愁が漂っている。
道沿いの木々の葉は色づき、吹く風が少し肌寒くなった頃。
すっきりと晴れた空の下、少年は故郷に足を運んでいた。
下校途中なのだろうか、10歳くらいの二人の子どもが笑いながら彼の横を駆けていく。
彼らをちらと見やり、少年は小さく笑った。
「制服は変わらないのか……」
ぽつりと呟いてそのまま歩き続ける。
アスファルトを叩く革靴の音が、やけに遠く聞こえていた。
乾燥した風が彼のローブをゆらゆらと揺らす。
もう少年はここには来ないつもりだった。
誰かに来るな行くなと言われたわけではない。
“あの日”自分からそう決めたのだ。
それは彼なりの決意表明と覚悟の形だった。
それにもかかわらずこの地にいることは、ある意味彼にとっては裏切りに近いことだった。
しかし何故か、どうしようもなくこの地に心惹かれてしまったのだ。
ある場所で少年は足を止めた。
そこは先程の子供たちが出てきたであろう学校……彼がかつて通っていた場所でもあった。
やはりもう授業は終わっているのだろう。
校庭に何人かの子どもがいて、楽しそうに駆け回っている。
彼らの瞳は、皆一様にキラキラと輝いていた。
未来への夢と希望に溢れた目だ。
しばらく少年は子どもたちを眩しそうに見つめていたが、前に視線を戻して歩き始めた。
そのまま彼は、てくてく歩いていく。
「あ……」
記憶と違うものを見つけ、思わず足を止めた。
記憶の中では店があったはずの場所が、ただの空き地になっていた。
ご丁寧に「売地」の看板まで立てられている。
雑草が好き放題にぼうぼうと生えていた。
「やはり、少しは変わっているのか」
少年は小さく溜息をついた。
続けて「当然だ」と心の中で呟く。
かなりの時間が過ぎているということは、なんとなく肌で感じていた。
彼は星々の間の時の流れ方を操ることが出来る。
しかし彼はこの星に関してはなにも触れてこなかった。
それも彼の、1つの決意の形だった。
それから少しまた歩き、昔よく遊んでいた公園に着いた。
思わず懐かしさに駆られて入ってみる。
舗装されていない土を踏む感触が、どこか懐かしかった。
遊具の塗装は塗り直したのだろうか、彼の記憶よりも幾分鮮やかになっていた気がした。
他にも新しい遊具が追加していたりして、幾分変化を実感させられる。
公園には、一人で遊んでいる少女がいた。
……いや、遊んでいるわけではなさそうだ。
黄緑色の髪の幼い少女が、楽しそうにタクトを振っていた。
その手付きに合わせて、緑色の光の粒子が輝いている。
まるで星が彼女の周りを踊っているかのようだった。
「……あの制服は、初等部の……」
彼が通っていた学校の初等部――と言っても、彼は初等部の途中で離脱したのだが、彼女が着ているのはそこの女子制服だった。
おそらく魔法の練習をしているのだろう。
特に珍しいことではない。
彼自身もこの公園で魔法の練習をしたことがあった。
そう納得した少年はそこから立ち去ろうとし、しかしもう一度彼女を見た。
さっさと立ち去っていまえばいいものを、何故かじっと見たままでいてしまう。
「……安定感はともかく、なかなかですね」
彼の目から見ても、彼女の魔法はその歳の割にはかなり巧かった。
木陰から少女を覗き観察する自分は明らかに不審者だろう、と自分を客観的に見ながら苦笑する。
しかしどうしても立ち去ろうとは思えなかった。
まさかロリコン属性に目覚めたのではあるまい。
たしかに少女は可憐だったが、生憎彼にそんな趣味は無かった。
自分でもわけがわからなく、得体のしれない力に惹きつけられているようだった。
彼女を見ていると、なぜか懐かしい気持ちになった。
制服のせいかとも思ったが、それとは違う、もっと強力な何かがある。
誰かの顔が、少女に重なっていく。
それは少年にとって最も身近な……
「……ウィズ?」
顔立ちも背丈も何もかも違うのに、少女の姿は何故か彼を連想させた。
まるで、彼の傍に居るかのような感覚に陥る。
それと同時に、もう一つ違う感覚が蘇ってきた。
彼にとっての忌まわしい記憶。
少年の泣き顔と、恐怖に歪む表情が脳裏を駆け巡っていく。
「……っ」
くらり、と視界が回る。
世界の音が遠ざかり、頭に鮮烈な痛みの感触が戻ってくる。
「マルクッ!?」
少年はハッと我に返った。
緩やかにほどけた視界の中に黄緑色を捉え、慌てて目を凝らす。
黄緑色の少女が彼を見上げていた。
彼女の目には真剣な光が宿っている。
幼い少女とは思えないその気迫に、少年は一瞬息を呑んだ。
それ以上に、少女の口から出た名前に驚きを隠せなかった。
少年はその名前を持つ者を知っている。
しかし別段珍しい名前ではない。
きっと別人だろう、と結論付けた。
「ビックリした、別人か」
少年の心を見透かしたかのように、少女は口を開く。
笑ってこそいるが、その表情は落胆に満ちていた。
「でも本当に驚いちゃったよ。
お兄ちゃんの雰囲気が知ってる人に似てたから……。
あ、ボクちんはグリル!
お兄ちゃんは?」
「あ……私はランプキンです。
ところで、貴女の知ってる人とは……?」
見知らぬ人に突然名乗るなんてこの少女の防犯意識は大丈夫なのか、と戸惑いながらランプキンも名乗る。
グリルと名乗った少女は、嬉しそうににっこりと笑った。
「あのね、ボクに魔法を教えてくれた人だよ!
オッドアイで紫の髪の男の子!」
彼の脳裏に、ボロボロの少年の姿が過った。
いつか出会った、悲劇の少年である。
彼の名も、マルクといった。
そして彼の瞳も鮮やかな赤と青のオッドアイだった。
「ボクちん、魔法が下手くそだったんだ。
クラスメイトに馬鹿にされてすっごく悔しかったんだぁ……。
でもマルクが教えてくれて、上手くなったんだよ!」
楽しそうに話すグリルを見ながら、ランプキンは心の底から安堵していた。
どうやら彼は元気にやっているらしい。
一人で生活することの大変さは身をもって知っているからこそ、ずっと彼のことが気がかりだった。
「その人は、どこへ……?」
「新しい世界に行くって行っちゃった……」
彼女の顔が泣きだしそうに歪む。
しかしすぐにそれはパアッと輝いた。
「でもね、ボクちんが強い魔女になったらきっとまた会えるって!
だから魔法の練習頑張ってるんだぁ。
そうだ、見てよボクちんの魔法!
お兄ちゃんも魔法使いでしょ?」
ランプキンの答えを聞く前に、グリルが勇ましくタクトを振り上げる。
するとその先から緑色の光が溢れた。
その瞬間、公園にあるいくつもの石が宙に浮かび上がった。
彼は思わず感嘆の声を上げた。
「その歳でこれは大したものですね……」
彼女の年でこの範囲に魔法をかけられるのは、かなり力があるということである。
しかしグリルは「待ってました」と言わんばかりに更にニッコリと笑った。
「え?もちろんこれだけじゃないよ!」
グリルは更にタクトを振り上げる。
すると石はフッと消えてしまった。
思わず呆気にとられるランプキン。
「いっけえ!」
彼女は勢いよくタクトを振りおろした。
その瞬間、空から緑色の光を纏った石が降ってきた。
「え、ちょ、ええええええ!?」
ランプキンは慌てて自分とグリルの周りに防御壁を張った。
二人を避けて石が降り注ぎ、公園の地面にはいくつものクレーターができていく。
その光景は、さながら流星群のようだった。
もし少しでも彼の反応が遅れていたら、穴が開いていたのは地面ではなく彼らの身体の方だったろう。
ランプキンは防御壁を解除し、厳しい表情を浮かべた。
「コラ!流星群を人に向けてはいけません!」
「ご、ごめん!ついはしゃいじゃったよ……でも、こんなに強くするはずじゃなかったんだけどな……」
グリルは泣きそうな顔をしながらペコペコと謝った。
ランプキンも「まぁ、悪気があったわけではありませんしね……」と小さく笑う。
「ですが、本当に大したものですね。
正直驚きました……」
「へへー!これでご先祖様に顔向けができるね!」
「……ご先祖様?」
「ボクちんはね、なんかすごい魔法使いの血をひいてるんだって!」
グリルは誇らしそうに胸をピンと張った。
一方、ランプキンの目が驚きに見開かれる。
「むかーしむかしに滅ぼされちゃった魔法使いの生き残りが、ボクちんのご先祖様!」
滅ぼされた、魔法使い、生き残り……三つのワードが彼の脳内を猛スピードで駆け巡る。
彼の知っている話と、酷く酷似していた。
そして、初対面の彼女に何故か感じた懐かしさ。
そこから導き出される解答はただ一つ。
「……一つ、聞いてもいいですか……」
「ん?なーに?」
「……その魔法使いの名前とか……わかりますか?」
声が震えそうになった。
予想が当たっててほしいのか、当たっててほしくないのか……彼自身にもわからなかった。
そんな彼の心境に構わず、グリルはニッコリと笑って答えた。
「ハルカンドラだよ、知ってる?」
***
「……今日、私の故郷に行ってきました」
あれからグリルと別れたランプキンは、自宅――というか、ウィズの元へ帰っていた。
ウィズは退屈そうにソファに寝そべり、よくわからない言語で書かれた本を読んでいる。
「そこで、ある少女に出会いました。
グリルという子です」
「ほー」
「私の故郷ですから、彼女も魔女です。
まだひどく幼い子どもですが」
「あー」
「グリルはマルク……以前覚醒した少年のことですが、彼と接触したようです」
「へー」
「そこで彼に魔術を教わったらしいのですが……」
「ふんふん」
「……ウィズ?
さっきから私の話、聞いてますか?」
「うんうん聞いてマスよー夕飯はグリルチキンがいいデスねー」
「グリルって単語しか聞いてないじゃないですか……」
全くと言っていいほど話を聞いていないウィズに、ランプキンは溜め息をついた。
しかしウィズは悪びれもせずへらへらと笑っている。
まともに話を聞いていたとは思えない態度だ。
「人の話はきちんと聞けと教えたでしょう?」
「アイムソーリー髭ソーリー。
それで?夕飯がどうかしたのですか?」
「ネタが古い上にどうして夕飯がメインの話みたいになっているのですか?
そんなにお腹空いたのですか?
まあそれはともかく……彼女、多分ハルカンドラですよ」
ぴく、とウィズの身体が反応した。
にやけた笑いがスッと消え、表情に真剣みが帯びていく。
ハルカンドラの話を出せば、この男は必ず食いついてくる――長年の経験でわかっているランプキンは、内心でほくそ笑んだ。
ウィズは本を閉じて膝の上に置くと、起き上がって居住まいを正した。
「……その根拠は?」
「彼女がハルカンドラの血を引いていると言ってます」
「それだけじゃ証拠にはなりマセンよ。
血は引いてても魔力もそれとは言えマセン」
「もちろん言葉だけではありません。
私は彼女の魔法を見ていて……誰かに似ていると思いました」
「へぇ……いったい誰にデスか?」
ウィズは挑発的な笑みを浮かべた。
一瞬間を置いてから、ランプキンはウィズを真っ直ぐに指差した。
「……ウィズ、貴方です」
ウィズの黄色の目がスッと細められる。
その表情はどこか獣じみていて、ランプキンは小さく息を呑んだ。
「なるほど、ハルカンドラの力がユーを引き寄せたのデショウかねぇ……」
「すごい収穫デス!」とウィズは先ほどまでの表情が嘘だったかのように明るくに笑った。
が、ランプキンの表情は硬いままだ。
指していた指を、ゆっくりと降ろす。
「……ですが、もう一人似た人がいました」
「……Who?」
「魔力が育ち過ぎた、過去の自分自身です」
そう答える彼の声は酷く沈んでいた。
忌まわしい記憶が、忘れたい自分自身が、頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
吐き気すら覚えてくるその光景を、必死に頭から追い出そうとする。
「先ほども言いましたが、彼女はマルクの魔法の指導を受けていました。
たしか彼も生まれつきの魔法使い……しかも、あんなに高い魔力を持ちながら、あの歳で自力で覚醒しきった人物。
そんな彼に教わったのなら、自然と力の開放もうまくなるはずです。
ですが……」
彼は公園での出来事を話した。
彼女の魔法の威力と、彼女の態度から読み取ったある予測を。
「彼女はあの時、制御しきれなかったのかもしれません。
そうだとしたら……あの時の私と同じです。
今はまだ予兆に過ぎませんが、下手をしたら私より早く限界が訪れるかもしれません」
「ではそのロリが“破裂”しないうちに回収して、保護すればいいってことデスね」
どこか楽しそうな口調で語られるウィズの言葉に、ランプキンは口を噤んだ。
躊躇うように少し目を泳がせ、おもむろに口を開く。
「それについてなのですが……私は、彼女に親元に離れてほしくないのです。
まだあの子はあまりにも幼い。
私が貴方と出会ったころよりも……。
親の愛情や同年代の友人と関わる必要もまだあると思うのです」
ランプキンの言葉に、ウィズは黙り込んでしまう。
少し間が空き、彼は小さく呟いた。
「うーん、ミーにはわからない感覚デスね」
「……そうですか」
彼は心中で溜め息をついた。
理解してもらえるとは思わなかった。
「ミーは親の顔を知りマセンし、それどころかミーに親が存在していたのかすらわかりマセンしね」
親がいるから子は産まれる。
それが当然で、親無くしての誕生はあり得ないこと。
だが彼はその“前提条件”を覆す発言をしている。
遠い遠い昔に聞いた話、ウィズは普通のヒトではないということ。
ある日突然、ハルカンドラの地にその意識だけがあったということ。
例えるならば彼は、肉体を持たない幽霊のような存在だった。
だから所詮、その身体は魔法で造られた紛い物に過ぎない。
「ミーにはベビーの頃とかチャイルドの頃の記憶とか全くありマセンから、何も言えマセンね。
でもランがそう言うなら、きっとそうなんデショウ」
まるで世間話をするように、軽い口調で続ける。
不自然なほどに笑んでいるものの、黄色い瞳は僅かに揺れていた。
その表情は優しいのに、酷く儚げで。
ランプキンと出会ったばかりの――孤独に疲れた表情を思い出させた。
彼の孤独の本質は、きっと……
「ラン、すみませんデシタ?」
「はい……?」
急に謝られて、ランプキンは面食らった。
ウィズは彼の視線から逃れるようにそっと目を伏せた。
黒い睫毛が、黄色い瞳に影を落とす。
「ミーはユーを親やフレンズから引き離し、普通の生活を過ごさせなかった。
ミーが無知だったから、ユーを……」
パン、と派手な炸裂音が鳴った。
目を見開いたウィズは、惚けた顔でヒリヒリと痛む頬に触れた。
そこにはうっすらと赤い跡ができている。
ランプキンは熱を持った掌をギュッと握りしめた。
「馬鹿にしてる?」
絞り出すような声でそう言うと、ウィズの襟首をグイと掴みあげた。
膝から落ちた本が音を立てて床に落ちる。
「僕は自分で選んだ。
貴方について行くって、あの日決めた。
それをあたかも貴方が無理矢理決めたかのような言い方……僕の生き方は僕が決めた。
それを否定するのは、たとえ貴方でも許さない」
彼の表情自体はそこまで変化がない。
しかしその瞳には、怒りや深い悲しみが宿っていた。
二人が出会ったあの日。
彼は、元の世界に帰ることもできた。
しかし彼はそうしなかった。
目の前の存在を、放っておくことができなかった。
自ら全てを捨てて彼に着いていった。
それを真っ向から否定され、まるで裏切られたような心地だった。
理不尽だとわかってながらも、沸き起こる怒りを抑えることができなかった。
こんなに怒りを感じたのは、彼自身初めてのことだった。
キリキリとした胸の痛みを抑えつけながら、真っ直ぐに黄色い瞳を睨む。
普段の彼からは想像のつかない激怒を目の当たりにし、ウィズは驚きに目を見開いていた。
「す、すみま、せん……」
震えた声でそう呟くと同時に、黄色い瞳から透明な雫が溢れた。
少し赤みを帯びた頬を滑ったそれは、小さな音を立てて床に落ちる。
ランプキンはハッと我に返り、慌てて彼から手を離した。
支えを失ったウィズは、糸の切れた人形のようにソファに座り込んだ。
「そ、そんなに痛かったですか!?
すみません!い、今保冷剤をっ!」
「ちっ、違うんデス!
違うんだ、ごめん、ほんとタンマ……」
彼も止めようとはしているらしいが、涙が押し出されてしまっているらしい。
幼子のように泣く彼を目の前に、ランプキンは困惑するばかりだった。
とりあえずハンカチを差し出す辺りは、まだ少年とはいえ紳士といったところか。
こんな風に涙を流すウィズを、彼はこれまでに見たことがなかった。
ウィズが本気で怒ったランプキンを見たのが初めてだったように、彼が本気で泣いているのを見るのは初めてだった。
「ミー、こうやって本気で怒られたことなかったし、ユーがそんな風に思ってくれてたとは思わなくて……嬉しくて……」
無理に笑いながらそう言うウィズの姿に、ランプキンは胸を衝かれた。
もちろん彼には両親に怒られる経験があった。
おそらく皆多かれ少なかれ、幼き頃に怒られたことがあるだろう。
しかし幼少期の記憶がないのならば、その記憶がないのも当然だ。
怒られることだって人とのつながりの一つ。
その記憶がないほどに、彼は孤独だった――そう思うと、ランプキンの心はひどく締め付けられた。
「ウィズ……」
涙を隠すようにうつむいて、服の袖で目元をゴシゴシと擦るウィズ。
自分よりもかなり年上で、親代わりにさえなってくれていたはずなのに。
今はまるで子供のように小さく見えていた。
おずおずと手を伸ばし、幼子をあやすかのように漆黒に似た髪を撫でる。
非情に照れ臭かったが、遠い昔にこうしてもらうと安心したことを思い出して撫で続けた。
流石に抱き締めてやるまでの度胸は無かったらしい。
しばらくするとようやくウィズは泣き止んだ。
まだ鼻をすすっているが、この分ならあと少しで落ち着くだろう。
「ラ、ン……」
「どうしましたか?」
「お願いがあるのデス……」
「なんですか?」
優しい笑みを浮かべながら、ウィズの傍に顔を寄せる。
ウィズはゆっくりと顔を上げて、赤く充血した目でじっとランプキンの目を見つめた。
その瞳はさながら、親に縋る子のように見える。
彼はウィズの目を真っ直ぐに見返す。
これまでいろいろと受け取ってきた分、これからは返していこう、自分にできる限りのことをしようと心に誓っていた。
「………ってくだサイ……」
その声はまるで蚊の鳴くような声で、上手く聞き取ることができなかった。
そんなに頼みづらいようなことなのだろうか。
いや、それでもできるだけ力になろう――そう思いながらランプキンは彼の口元に、そっと耳を寄せる。
「すみません、もう少し大きな声でお願いできますか?」
「……もっと……ミーを、ぶってくだサイ」
「……はい?」
一瞬、何と言われているのか理解することができなかった。
否、理解したくなかったと言った方が正しいのかもしれない。
ウィズがゆらりと立ち上がると、ランプキンは本能的な危険を感じたのかほぼ反射的に飛びのいた。
「ユーのスパンキングは!素晴らしいのデス!
さあミーをもっとぶつのデス!」
ウィズはハアハア言いながらジリジリとランプキンににじり寄っていく。
心なしか鼻息も荒い。
ランプキンは背中に変な汗がタラリと流れていくのを感じた。
「は?え?い、嫌です!
私にはそんな趣味ありません!
どちらかというと嫌がる人を打ちたいです!」
半ば叫びながら脱兎のごとく逃げ出した。
その後ろを追いかけ、ウィズも駆け出す。
「さあもっと!手首のスナップを効かせて!」
「やめてくださいこの変態!」
「アアッ言葉責めも良いデスね!」
「嫌です!止めてください!」
二人しかいない部屋の中、ランプキンの叫び声が悲しく響く。
この経験が、後々ウィズの性癖に多大な影響力をもたらすことになったのだった……。
***
「……と、言うわけで、ミーはユーのパワーをセーヴしマス」
その次の日の夕方、二人はグリルのもとに訪れていた。
ランプキンは心なしかぐったりしているが、ウィズは生き生きとしている。
あの後二人に何があったかは、想像にお任せしよう。
彼女は昨日と同じ場所で、魔法の練習をしていた。
……というよりも、二人が来るのを待っているようにも見えた。
ウィズがグリルの魔法を見たところ、やはりハルカンドラの魔力に間違いないらしい。
そして予測通り、彼女の身体に対して魔力が育ちすぎていることもわかった。
このまま放っておくのは危険だ――しかし、昨日のランプキンの話もある。
考えた結果、時々彼らの元で魔力の制御の仕方を学ばせようということになったのであった。
要するに『通い』ということだ。
ハルカンドラの魔力は強力故、扱いが難しい。
特に子どもの内はきちんとした制御の仕方を学ばないと、暴走しやすくなってしまうという。
そう説明されたグリルは、どこか楽しそうに聞いていた。
「そうすれば、パワーは制御できマスから。
その代わり、時々ミーたちのホームに来ていただきマスよ。
ご両親にはなんとか言い訳してくだサイね」
「へえ、それだけでいいの?
てっきり連れていかれるかと思ったのに。
それくらいなら大丈夫だよ、もうママたちには許可取ってあるから」
グリルはにっこりと笑って答えた。
流石に二人とも驚きを隠すことができなかった。
「昨日帰った後、ランプキンのこと話したんだ。
ボクちんがハルカンドラの魔法使いに会って認められたって、みんな喜んでたよ。
みんな血を引いてる自覚があるからね。
さすがに連れて行かれそうなら相談しろって言われたけど……」
ランプキンは何も言っていないのに、まるでこうなることがわかっていたかのようだ。
グリルはしたり顔で二人の顔を見つめていた。
「それに、自分でも最近制御できていない気もしていたから助かるよ」
更に自覚もあったらしい。
この少女は将来大物になりそうだ、と二人は心の中で呟いた。
「で、ですがどうして……?」
「ランプキンがハルカンドラって知ってたかでしょ?」
言おうとしていた言葉を継いだグリルに、ランプキンは息を呑んだ。
この少女には心を読む能力でもあるのかと、勘ぐってしまう。
「……ボクちんはね、ちょっとだけ未来のことがわかるんだよ」
「ユーの能力は“分析”デスね?」
「多分、そうなるのかな?
それ以上にマルクが言ってたんだ。
きっとボクちんはハルカンドラって事と、ハルカンドラには『ラン』って人がいるって。
それ、ランプキンのことでしょ?
しかも昨日、ボクちんがハルカンドラの子孫だって言ったら、すごい顔してたもん。
すぐわかっちゃったよ」
「……ラン、意外と顔に出マスからねぇ」
「殴りますよ」
「大歓迎デス」
「もう嫌だこの人」
キラキラと目を輝かせるウィズとこめかみを押さえて項垂れるランプキン。
対称的な二人を見ながらグリルは楽しそうにケラケラと笑っていた。
が、急に笑うのを止めると真剣な表情になった。
「マルクは『いつかキミのところにも迎えが来る』って言ってた。
そのときは逃たほうがいいかもって言ってたけど……でもボクちんは、あえて君たちについていくよ。
ハルカンドラ王国の復活はボクちんのご先祖様からの悲願だから。
滅びたお話も女王様のお話も小さいころから聞かされてきた。
だから、ボクちん自身の使命のように感じてるんだ。
それに……」
そこまで言ってから、グリルは言葉を切って少しだけ頬を赤らめた。
「君たちといたら、またマルクに会える気がするんだ」
照れ臭そうに微笑む彼女。
少女の少しませた表情に、二人から笑みが漏れる。
ウィズはクスリと笑いながら、彼女にスッと右手を差し伸べた。
「ユーの気持ち、しかと受け取りマシタ」
「うん!これからよろしくね!
ウィズ、ランプキン!」
小さな魔女が彼の手を強く握り返す。
これが魔法使いと幼い魔女の出会いの話。
その未来、彼女の予想はしっかりと当たることになる。
再会を果たした二人がどうなっていくかは、また別のお話……。
NEXT
→あとがき