Lampkin
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荒れ果てた地に、少年が無造作に四肢を投げ出していた。
彼は酷くボロボロだった。
着ている服も所々擦り切れて赤く血が滲んでいる。
少年は辛うじて動く眼球を動かして辺りを見渡した。
ここがどこなのか、彼にはわからなかった。
それどころかどうやってここに辿り着いたのかすらもわかっていなかった。
少年はただひたすら全身を蝕む痛みと熱に耐えていた。
呼吸をするたびに身体に軋むような痛みが走る。
頭を割られるような痛みが、断続的に彼を襲い続けていた。
早く楽になりたい、そう願うが彼の本能は生にしがみ付き続けている。
いっそ眠ってしまえばいいのだろうが、痛みのせいで寝られない。
助からなくていいから、早くこの生き地獄を終えてほしい、そう祈り続けていた。
「グルルルル……」
どこかから獣の呻くような声が聞こえ、少年はビクッと身を震わせた。
おそるおそる振り返ると、赤いドラゴンがうなりながら彼の傍に近づいてきた。
「来ないで……ください……」
少年は絞り出すように声を出した。
しかしそれは、ドラゴンに食べられることが怖かったからではない。
いっそ食われた方が楽に終われるだろう、とすら思っていた。
「来ないで……お願いです……」
少年は震え声で懇願するが、ドラゴンはジリジリと近づいていく。
ドラゴンには知性があるのだろうか、そのグリーンの瞳にはどこか少年を心配するかのような光が宿っていた。
「来ちゃ駄目です!」
少年が叫ぶと同時に、彼の身体から橙色の光で形成された刃のようなモノが放たれた。
それは見事にドラゴンに直撃し、ドラゴンは鳴き声を上げながらどこかへと飛び去って行った。
「だから言ったのにっ……」
飛び去るのを見送りながら少年は涙を流した。
攻撃なんてしたくなかったのに、と呟く。
頭痛は更に激しさを増し、彼はいよいよ意識を保っていられなくなった。
「ああ、もう自分は駄目だ」という気持ちと、「やっと楽になれる」という気持ちがない交ぜになる。
堕ちていく闇に身を委ね、少年は瞳を閉じた。
***
「おーい!」
ポロシャツとスラックスという出で立ちの中年の男性が、ニコニコと笑みを浮かべながら少年に話しかけた。
綺麗な顔立ちの少年が彼の方に振り返る。
「なんですか先生?」
「いや~、この間の模擬戦、よかったぞ!
おまえは本当に優秀だ!
礼儀正しいし飲み込みも速い。
おまえはこの学校の誇りだよ!」
「そんなことは……でもありがとうございます」
はにかみながら頭を下げる彼に、先生は満足そうに頷いた。
少年の生まれ育った場所は、俗に言う“魔法の国”だった。
国民は皆ごく普通に魔法を使っていた。
彼らにとってはそれが常識で、他の国や世界には魔力を持たない人もいるということは知識として知っていたが、なんとなく釈然としないものだった。
それ故に学校教育にも必然的に魔術が関わってくる。
魔術に関する知識を学んだり、実技試験などもあった。
模擬戦というのは、生徒同士が魔術で闘うバトルトーナメント形式のイベントのことだった。
毎月1回行われていて、怪我人が出そうなときは先生が魔術で止める、といった甘いものだ。
ここで彼らは魔力を使った闘い方を身に付ける。
まだ子供同士で、大人が止められるほどに魔力も弱いから成せるイベントだった。
そこで彼はいつも高い成績を残していた。
咄嗟の機転が利き、応用も利く。
何よりも、魔力がほかの子供と比べて強かったのだ。
「みんな言ってるぞ、『絶対敵わない~』って。
今度魔法教えてやったらどうだ?」
「えっ、それは先生の役目ですよ?」
鋭い返しに、先生は豪快に笑う。
少年も褒められて嬉しかったのか、ニコニコと笑っていた。
優秀とはいえ、彼はごく普通の子どもだった。
褒められれば謙遜しながらも喜ぶし、自分の魔力の強さを自覚し、それなりに誇りに思っていた。
彼は平和に、平凡に生きていた。
こんな日が永遠に続くのだと何の根拠もなく思っていたし、それが当然だと思っていた。
少年はただただそこに呆然と立ち尽くしていた。
まわりのざわめき声も、まったく耳に入ってこない。
全身の震えを止めることができなかった。
「おい、お前も大丈夫か?」
「……うん」
問われた問いに機械的に答え、しかし意識はそこには無かった。
誰に問われたのかすら、実はわかっていなかった。
どうして、と自分自身に問いかけても、答えは見つからなかった。
先程の出来事を、何度も頭の中で再生する。
それは突然のことだった。
少年はいつものようにクラスメイトと闘っていた。
絶え間無く繰り出される相手の弾を避けながら、間合いを詰めていく。
約10メートル程まで接近したところで、相手から大きな魔法弾が繰り出された。
少年はいったん退いて避けようとしたが、その弾は彼を追いかけ始めた。
ホーミング機能があるとすぐに察した少年は、相殺しようと真っ正面から魔法弾を繰り出した。
二つの弾がぶつかり合う。
だがそれは一瞬のことで、橙色の弾――少年の方の弾が、いとも容易く相手の弾を突き破った。
見ていた他の生徒からわあっと歓声が上がり、拍手が沸き起こった。
しかし役目を終えた弾は消えると思いきや、弾の勢いは死なずに相手へと向かっていった。
相手の少年は呆然と立ち尽くし、動くことができない。
「危ないっ!」
少年が叫ぶと同時に、相手の前に壁ができた。
炸裂音と同時に、皆の視界が一瞬真っ白に染まる。
グラウンドは水を打ったかのように静まり返っていた。
もうもうと土埃が立ち込める中心で、クラスメイトが座り込んでわんわん泣いている。
慌てて先生が駆け寄って、彼を抱き上げた。
「反応が遅れて彼を守りきれなかった私にももちろん非はある。
しかし、君も自分の力を知っているのだから、ちゃんと出力は調整しなきゃ!」
先生はいつになく厳しい表情で彼を叱った。
「ごめんなさい」と少年は震える声で、泣きじゃくる子に謝る。
相手の子はまだ少しぐずぐずとしていたものの、悪気が無いとはわかっていたのか「大丈夫だよ」と答えた。
幸い大事には至らず、普段優秀なこともあってか「今度からは気をつけろよ!」で済んだ。
他の人も「失敗だなんて珍しいな」「大した怪我じゃなくってよかったな」と元のように話し始めた。
しかし彼はグラウンドにポツン立ちすくんだまま愕然としていた。
たかが一度の失敗、と思い込もうとして……失敗した。
彼は調整できているつもりだったのだ。
そもそも彼らの歳の魔法弾は、仮に当たってもせいぜいボールがぶつかったくらいの痛みにしかならない。
たしかに彼の魔力は、同い年の子に比べたら強かった。
しかしそれは大人にはまだ遠く及ばないくらいで、周りの大人から「将来が有望だね」と言われる程度だった。
だから目の前で起きた出来事が、彼には信じられなかった。
自分の放った弾が、大人である教諭の防御壁を破っていたことを信じられなかった。
教諭は「反応が遅れた」と言っていたが、少年は自分の弾が壁を突き破る瞬間を見ていた。
急な出来事だったから、と自分に言い聞かせながらも、心の奥では解っていた。
生徒を守るために咄嗟に張った防御壁だったら、余計に強固なものになるはずだ。
子どもが壊せるような壁をわざわざ作るはずがない。
少年は持っていたタクトを見つめる。
何の変哲もない(少なくとも彼らの常識では)それが、まるで凶器のように見えていた。
そのショックのせいだろうか。
その日から彼は自分の魔力をまったくコントロールできなくなってしまった。
魔法が使えないなら、まだよかったかもしれない。
しかし彼の場合は、魔力が強すぎてしまったのだ。
教員にも制御しきれないほどの魔力が、彼の中で生まれていた。
力加減ができない。
方向が定まらない。
自分でもどうなるのかわからない――彼は魔法を使うことが怖くなっていた。
先の事件のようにまた誰かに危害を加えてしまうのではと思うたびに、身体が震えた。
それでも彼らは魔法を使うことが普通で、魔法無しに生活などできない。
仕方なく魔法を使うものの、強すぎる魔力は自分、時に自分の身の周りの人間にまで被害を与えてしまっていた。
そんな生活を送っていくうちに、彼は少しずつ、周囲の人が自分を疎ましく思い始めていることを感じていた。
「あの子はきっといつか人を殺すよ」という言葉に憤りながらも、否定しきれない自分に反吐が出た。
それでもここは自分の世界、自分はここにいる権利がある、必死に自分にそう言い聞かせていた。
精神的な苦痛は、徐々に肉体にも現れ始める。
少年は頭痛に悩まされるようになった。
ガンガンと頭の中で鐘が鳴り響くような頭痛が、延々と続くのだ。
他にも酷い倦怠感、めまい、吐き気などが彼を襲った。
病院に行ったが身体は健康そのものでどこにも異常はなく、原因は一切わからなかった。
きっと魔法が上手く使えなくて悩んでいるんだ。
しばらく安静にしていたら治るだろう……誰もがそう思っていたが、病状は一向に良くならない。
治癒魔法を施してもあまり良くはならなかった。
むしろ日を追うごとに、痛みは増していった。
幾度となく病院を変えて検査しても、医師は首を横に振るばかり。
それどころか、頭痛が彼の周りの人にも起き始めた。
流行り病か、と皆は軽く考えていた。
しかし彼だけは違った。
自分が原因だ、と直感的に悟ってしまった。
ある日彼は荷物をまとめ、故郷を飛び出した。
もうここにはいられない。
自分がいなくなれば、皆はきっと元気になる――そう認めるしかなかった。
幼い少年が見知らぬ土地で一人で暮らすのは酷く難しい。
家から持って来た僅かな貯蓄はすぐに潰えた。
自分で稼ぐしかない……と思っても、幼い少年を雇ってくれる場所はそう無い。
雇ってもらえても魔法が上手く使えないから、すぐに解雇される。
「役立たず」の言葉を何回聞いたことだろう。
当然、安定した生活なんてできない。
幾度となく盗みを働き、なんとか飢えを凌いできた。
良心が彼を責めても、生き延びるためにはこうするしかなかった。
心を麻痺させるしかなかった。
時々は彼を憐れんで優しく接してくれる大人もいた。
元々器量は良かったからか「行くところがないなら養子にならないか」という誘いすらもあった。
彼を拾ったのは、片田舎に住む子どものいない夫婦だった。
養子になれば安定した生活を送れる――彼は二つ返事でその誘いを了承した。
この人たちがどうなろうと自分には関係ない、利用できるだけ利用してやろう、と心の中で嗤った。
夫婦は彼に優しくした。
子どもを授かれない身らしい彼らは、少年のことをまるで本当の子どものように慈しみ、大切にした。
おかげで相変わらず頭痛は続くものの、彼は快適な生活を送ることができていた。
そんな日常が続いたある日、案の定夫婦にも頭痛が訪れた。
少年は胸の痛みに気付かないふりをしながら、今まで通りの日常を送ろうとし続けた。
しかしある日、夫婦の身を案じた隣人が「きっとあの子は疫病神だ」と主人に言っているのを聞いてしまった。
隣人に絆された彼が自分を追い出されなければいいが――と思いながら成り行きを見守っていた。
「何言っているんだ、あの子のせいなはずがない!」
激昂して叫ぶ主人に、少年は目を見開いた。
胸を抉られるような心地で、主人を見つめる。
その晩、彼は家を飛び出した。
「今までありがとうございました」とだけ書いた手紙を残して。
もう彼は限界だった。
彼を散々悩ませていた頭痛よりもタチが悪い胸の痛みに、気付かないふりをし続けられなかった。
これ以上、自分に良くしてくれた人が苦しむ姿を見ていられなかった。
「元々利用してやろうと思っていたのに」と非情になりきれない自分を嗤いながら夜の町をひたすら走った。
定住できない――そう悟った彼は、様々な土地を転々と渡り歩くようになった。
そこでも彼に救いの手を差し伸べようとした人はいた。
縋りたい気持ちを抑え、彼はその手を払いのけるしかなかった。
自分のせいで苦しむ人を見たくなかった。
しかしそれ以上に、魔法が彼の意思に関係なく勝手に発動してしまうことがあったのだ。
激しい頭痛が起こると同時に、周囲の人々に無差別に攻撃をしてしまう。
そのせいで彼は人の傍に居ることすらできなかった。
「もう僕は誰ともいちゃ駄目なんだね」
川を覗き込みながら、水面に映る自分自身に話しかける。
酷く痩せこけみすぼらしくなってしまった自分を嗤おうとしたが、掠れた声しか出なかった。
もう空腹感すら感じない。
自分に居場所は、どこにもない。
もう死ぬしかないのだろう、と頭の隅で考えていた。
だったらどこでもいいから、誰にも迷惑をかけない場所で死にたい――それが少年の、最期の願いだった。
***
ザリッと土を踏む音が聞こえて、少年はうっすらと目を開けた。
自分がまだ生きていると悟り、未だ生にしがみ付く自身を嘲笑いながら目を凝らすと、おぼろげな視界の焦点が微かにあってきた。
彼の数メートル先に、人がいた。
少し青みがかった黒髪の、まだ若いであろう青年だ。
黒い燕尾服に赤いマント、右目には金縁のモノクルと、個性的で奇抜な恰好をしていた。
男性は彼の方に向かって、ゆっくりと歩き始めた。
少年は彼から逃げようとしたが、身体は酷く重たく、もう自由に動かすことができなかった。
「来ないでください……」
蚊の鳴くような、かすれた声で懇願する。
誰か自分のそばにいると、また傷つけてしまう。
怪我をさせてしまった人の顔や頭痛に悩む人々の顔が脳裏をかすめ、少年は皹割れた唇を噛み締めた。
彼の声が聞こえたのか青年は足を止めた。
そのまま立ち去ってくれ、と少年は心の中で祈る。
しかし彼の祈りは届かず、青年はまたゆっくりと歩き始めた。
「本当に危ないんです、来ないで、ください」
「大丈夫デスよ」
少しずつ、確実に、少年に近づいていく。
これ以上そばに来られると――少年がそう思ったとき、あの忌まわしい頭痛の波が襲ってきた。
「……来るなッ!」
表情を歪め、少年は叫んだ。
先程のように再び光の刃が放たれる。
それは真っ直ぐに青年の元へ向かっていった。
避けてくれ――そう少年が心の中で叫んだとき、青年はパチッと指を鳴らした。
刃はピタリと止まり、端から崩れ始める。
まるで星屑のようにキラキラと輝きながら消えていくそれを、少年は呆然と見つめていた。
「ね、大丈夫って言ったデショウ?」
青年はへらっと笑った。
そのまま少年のもとまでふわりと来て、痛みやら驚きやらいろいろな意味で動けない彼を抱き上げた。
何が起きているのか頭が追いつかず、少年は抵抗するのも忘れてされるがままでいた。
「……っ」
青年の身体は、まるで生きていないかのように冷たかった。
むしろ、生きていることが不自然なほどだった。
それでも久しぶり人の身体に触れらせいか、安心感を得た少年の瞳はたちまち潤んでいく。
何度も瞬きを繰り返して、なんとか涙を食い止めようとしていた。
「……辛かったデスね、ずっと苦しかったデショウ?
一人ぼっちで寂しかったデスね。
もう大丈夫、もう大丈夫だから、安心してくだサイ。
ミーがいマスからね」
優しい声で語りかけながら、少年を抱き締める。
まるで幼子をあやすように、少年の背中をポンポンと叩いた。
「……ぅ……く……」
少年は我慢しきれず泣き始めてしまった。
故郷から飛び出した日からため込んでいた涙をすべて吐き出すように、盛大に泣いた。
青年はしがみつく少年の背中を優しくポンポン叩き、大丈夫、大丈夫と何度も繰り返していた。
しばらく経って、少年はようやく泣き止んだ。
泣いた後特有の頭痛はあったものの、元々の頭や身体の痛みが多少和らいだようだった。
青年の服のちょうど肩のあたりは、彼の涙でびっしょり濡れていた。
見知らぬ人の前で大泣きしたことを改めて自覚し、少年は気まずそうに目を逸らした。
「ご、ごめんなさい……」
「なんで謝るのデスか?
もっと甘えてもいいのデスよ?」
優しく頭を撫でられて、少年の頬に羞恥の紅がさす。
「大丈夫ですから、降ろしてください」と足をばたつかせると、青年は「ちえー」と残念そうに少年を地面に下ろした。
そのまま彼の隣に腰を下ろす。
……こうでもしないと、身長差のせいで話がしづらいのだろう。
「さて、自己紹介でもしまショウか。
ミーは……」
青年はそこまで言うと、何故かそこで言葉を切った。
不自然な間が空いてから、ニッコリと笑う。
「……ウィズ・ハルカンドラ。
ウィズって呼んでくだサイね!
……ユーのネームは?」
「ラン…プキン……」
「Ok、ランですね!よろしくデス!」
ウィズはランプキンの手を握るとブンブンと振った。
ランプキンはハイテンション過ぎる彼に戸惑いながらもされるがままでいる。
ウィズの黄色い瞳が楽しそうに輝いていた。
大人なはずなのに、その様子はどこか子供じみている。
が、どこかランプキンはその黄色い瞳に引っ掛かりを覚えた。
どこかで見たことがあった気がしたのだ。
会ったことの無い初対面の人のはずなのに。
「さてさて、少し説明しなければなりマセンね!
率直に言うと、ミーたちは由緒正しきハルカンドラ族の末裔なのデス!」
「はるかんどら……?」
先程、彼も名乗っていたものだ。
変わった苗字だなとは思ったくらいで、由緒やら何やら突然語られても全く分からない。
しかも「ミーたち」ということは、強制的に少年も含められている。
少年は早速会話についていけなくなっていた。
「ハルカンドラと言うのは、むかーしむかーしにあった魔法の王国のことデス。
その王国は滅ぼされてしまったのデスが、ミーたちは彼らの末裔なのデス!
……あ、末裔の意味わかりマスか?」
「そ、それくらいわかります!」
「Ok!ミーたちはそのDNAを受け継ぎ、更にハルカンドラのパワーを目覚めさせた存在!選ばれし者なのデス!」
ハイテンションに語るウィズを、ランプキンは少し引いた目で見ていた。
いきなりそんなことを言われても「ああ、そうですか」と納得できるはずがない。
新手の宗教勧誘か?という疑いすら持ってしまう。
「そしてこの子たちはランディア。
どうやらハルカンドラの守り神のようデス」
バサッと翼の音とともに、そっくりな4匹のドラゴンが地面に降り立った。
その中に、ランプキンが図らずとも攻撃してしまったドラゴンがいた。
傷跡が少し残っていたのだ。
「あ……さっきは、ごめんなさい……」
ランプキンが詫びると、ランディアは「気にするな」とでも言いたいかのように小さく吠えた。
そうして彼に近寄ると、じゃれつき始めた。
「わっ……」
「いい子たちデショ?
ランディアがユーのことをミーに知らせてくれたのデス」
逃げた後に、ウィズに知らせに行ったのだろう。
突然攻撃されたにもかかわらず、だ。
ランディアの優しさに、彼の涙腺がまた緩んでしまいそうになった。
おそるおそる手を伸ばし、ランディアの頭部を撫でる。
「ありがとうございます、ランディア」
ランディアは気持ちよさそうに彼に擦り寄った。
他の三匹も彼に近寄り、あわやランプキンは彼らに埋もれかけてしまう。
ウィズはそんな彼らを微笑ましそうに見つめ――少しだけ真剣な顔をした。
「……あのデスね、ミーの知る限り、ハルカンドラの力が完全に目覚めるのはユーよりもうちょっと大きくなってからなはずなのデス。
覚醒時に命を落とすケースはたくさん見てきましたが……このケースは初めてデス。
それにランは、覚醒するにはいくらなんでもまだ若すぎる」
ウィズは何かを考えるように難しい顔をしていたが、一方ランプキンの頭の中にはクエスチョンマークでいっぱいだった。
急展開過ぎて脳内の処理がうまくいかないのだ。
神妙な顔をしているランプキンを見て、ウィズは軽く噴き出した。
「な、なんですか?」
「いや、なんでもありマセン!
話を戻して……もしかしてユーは生まれつき魔力を持っていましたか?」
ウィズに問われ、ランプキンは頷く。
ランディアが空気を読んだかのように、彼から離れていった。
「僕だけじゃありませんよ、みんな持っていました」
「……なるほど。
では、普段から魔法を使っていマシタか?」
「はい……」
ランプキンはこれまでのことを彼に語った。
魔力が制御できなくなってしまったこと、それ以来頭痛が延々と続くこと、そして周囲の人にも頭痛を与えてしまったこと。
それを聞いたウィズは、「うーん……」と考え込んでしまった。
「なるほど……おそらく、日常生活の中で鍛えられたユーの魔力が、ユーのボディの許容範囲以上になってしまったのデスね」
「身体の許容範囲……?」
いまいちピンとこないランプキンに、ウィズは人差し指をピッと立てて説明し始めた。
「Example!バルーンにエアーを入れすぎるとどうなりマスか?」
「割れる……」
「Yes!今のユーはその風船と同じ。
魔力がオーバーして、破裂しそうになってるのデス。
頭痛はきっとその予兆デスネ」
ウィズはこともなさそうに話しているが、内容はとんでもないことだ。
ランプキンは自分の身体が風船のように破裂するのを想像し、ブルっと身を震わせた。
「そんなに怯えなくてもノープロブレム!
ミーがいマスよ!
ミーがユーの魔力をセーヴしてあげマス!」
頭を撫でながらウィズがからりと笑う。
明るく力強い笑顔に、ランプキンは少しだけ安心感を覚えた。
「ところでラン、好きなアクセサリーはありマスか?」
「え……?」
先程からあまりにも話の脈略が無さすぎる。
唐突に唐突を重ねたその問いに、ランプキンは戸惑いを隠すことができなかった。
「どうして……ですか?」
「魔力をセーヴする装置は、アクセサリーとして身に付けてもらうとちょうどいいのデスよ。
ミーもこれが初めてのチャレンジデスから……媒介があったほうが安心すると思いマス」
ウィズ曰く、媒介として形を伴ったものがあった方が確実らしい。
特に両者の距離ができる場合は。
「なるほど」と納得したはいいが、唐突に問われ答えられるほど彼は装飾品に対して関心を抱いてはいない。
指輪、ネックレス、腕輪、首輪、手錠……思い付く限り頭のなかで並べてみたが、どれもあまりピンとこなかった。
「そ、そんな急に言われても……」
「デスヨネー。
あ、ちなみにミーのこれもそうデスよ!
まあ、これは制御よりも出力調整デスが」
そう言いながらウィズは自分のモノクルを指さしていた。
金縁のモノクルのチェーンの先に、星と赤い宝石のチャームが付いている。
彼の黒髪の傍でキラキラと輝くそれは、ちょうど夜空の星のようだ。
普通の生活ではあまりお目にかからないそれは、少年の瞳にはひどく魅力的なものとして映った。
「じゃ、じゃあ……それがいいです」
ランプキンはおずおずと、少しはにかみながらモノクルを指さした。
ウィズは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて彼の頭をわしゃわしゃ撫でた。
髪をぐしゃぐしゃにされた彼は逃れようとしたが、子供が成人男性に勝てるはずがない。
されるがままに頭を撫でられていた。
「やっ……やめてください!」
「ヘヘー、ユーはセンスがいいデスね!
最高のものを作ってあげマス!」
ウィズはどこからかステッキを取り出すと、立ち上ってスッと目を閉じた。
淡い赤の光が彼を包み込む。
神々しさすら感じ、ランプキンは真剣に彼の姿を見つめていた。
カッ!と赤色の光が爆ぜたと同時に、ランプキンの左目にウィズの物とよく似た金縁のモノクルが作られていた。
ランプキンから見たら見えないが、封印のものらしくレンズにはクロスの紋様が浮かんでいる。
チェーンの先にはオレンジ色の石が付いていた。
モノクルといっても、浮いていて嵌っているわけではないから違和感もないし、視界も変化はない。
「とっても似合ってマスよ!
ミーとお揃いデスね!」
ウィズは機嫌よくステッキをヒュンヒュンと回す。
ランプキンは呆然と頭を押さえた。
「あれ……頭、痛くなくなった……?」
「Oh、それは良かった!
きっと魔力を抑えたからデスね!」
頭痛は制御のできない魔力が引き起こしていたものだから、外から抑えることで解消されたのだろう。
頭痛とともに彼を蝕んでいた身体の痛みも熱も、すっかり消え去っていた。
ずっと神経が張りつめていたからか、身体から力が抜けてぺたんと座り込んでしまう。
「だっ、大丈夫デスか!?」
「ち、違うんです!
楽すぎて身体がびっくりしちゃったんです!
すみません……」
ランプキンが慌てて答えると、強張っていたウィズの表情がふにゃりとほどけた。
「なんだ……ビックリしちゃいマシタ」
よかったよかったと、まるで自分のことのように喜ぶウィズ。
ランプキンはスクッと立ち上がると、お尻についた土を払って深くお辞儀をした。
目の前の大人が何者かは未だによくわからないが、自分を助けてくれたということには違いないのだ。
これで彼は元の場所に変えることができるし、今まで通りの生活を送れるだろう。
ランプキンから見れば、ウィズは立派な命の恩人である。
感謝してもしきれないくらいだ――精一杯の誠意を込めて、彼は頭を下げる。
「ありがとうございます……ウィズさん」
「さんは要りマセンよ、ウィズで十分デス。
敬語も要りマセン!」
「ミーが言えたことではありマセンがね」と言いながらランプキンを見つめる彼の瞳には、優しさが滲んでいた。
「じゃあ……ありがとう、ウィズ。
僕、ずっと苦しかったから……本当に助かりました」
ニッコリ笑いながらお礼を言われて、ウィズは一瞬だけ顔を顰めた。
え、とランプキンが違和感を覚える。
しかしその正体に気付く前に、ウィズはすぐにそれを打ち消し明るい笑みを浮かべた。
「イエイエ!」と答えるその声にマイナスの感情は見当たらない。
気のせいか、と彼は自分自身を納得させた。
ランプキンはこれからどうしようかと考えていた。
故郷に帰るにも帰り方がわからない。
どうやってここに辿り着いたのかすらわからないのだから。
ウィズなら知っているだろうか――そう思い至り口を開こうとしたが、先にウィズが口を開いてしまった。
「ね……ラン、ミーと一緒に来マセンか?」
ウィズの表情は真剣なそれに変わっていた。
言葉の意味を図りかねたランプキンは目をパチクリとさせた。
小さく小首を傾げ、怪訝そうな顔をする。
「……一緒に?」
「ハイ、一緒にハルカンドラを復興させマセンか?」
彼の瞳はどこまでも真剣だった。
また変な宗教を……と思いかけていたランプキンも、つられて黄の瞳をじっと見てしまう。
しばらく無言で見つめ合っていたが……ウィズはハッとした表情を浮かべ、またへらっと笑った。
「あ、でもやっぱり戻りたいデスよね!
ユーには帰るところがありマス!」
ソーリーソーリーと謝りながらブンブンと手を振る。
彼は笑顔だった。
誰が見ても疑いようのないほどに笑顔だった。
しかし、やはりランプキンは彼の瞳に引っ掛かりを感じずにはいられなかった。
彼をどこかで見たことがある。
いや、彼自身ではなく彼に似た存在をどこかで。
いったいどこで――記憶を手繰り寄せ、唐突に彼は思い出した。
ゆらゆら揺れる水面。
街のショーウィンドウ。
夜の窓。
いずれも自分自身を写すもの。
そして、そこに映っていたのは。
「……いきます」
どうしようもない孤独と絶望に打ちひしがれた少年の姿だった。
行く当てもない旅を続け、生きながらにして死んでいたような自分自身と同じ――否、彼の黄色い瞳の奥にはそれ以上の、深淵にも似た、底知れない孤独があった。
「……僕は、ウィズについていきます」
自分に何ができるかなんて、まったくわからない。
足手まといになることの方が多いかもしれない。
それでも漠然と彼の傍に居たいと思った。
命を助けてくれた彼を自分も助けたいと思った。
彼の孤独を癒してあげたいと思った。
ただ、それだけのことだった。
彼の出した答えに、ウィズは目を見開いた。
眉根を寄せ、泣くのを堪えるように唇を噛み締める。
そこでランプキンは気付いた。
先の一瞬の違和感、あの時も彼はこんな顔をしていなかっただろうか。
お礼を言われただけなのにそんな顔をするほど彼は――そこまで考えて、ランプキンは顔を曇らせた。
「ま、待って?ユーは……帰りたいんじゃ……」
「……そんなこと」
そんなことないと言ったら嘘になる。
帰りたい気持ちももちろんある。
しかし目の前の人を捨て置いて、自分だけ温かい世界に戻るなんて――彼にはできなかった。
彼自身も孤独を知っていたから。
それがどれだけ辛くて、苦しいことかを身をもって知っていたから。
「僕は決めたんです」
ランプキンはそう断言した。
揺るぎのない橙の瞳で、黄の瞳をじっと見つめる。
ウィズはその視線を真っ直ぐに受け止め、一瞬無表情になり、泣きそうな顔をして――今までで一番嬉しそうな、満面の笑みを浮かべた。
「よし、じゃあ行きマショウ!」
明るくそういうと、先程のようにひょいっとランプキンを抱き上げた。
顔を赤く染めてジタバタともがく彼を、離さないようにギュッと抱きしめてしまう。
「ちょっ……下ろしてください!」
「だってついて来てくれるって」
「それとこれとは別の話です!
すごく恥ずかしいです!」
「ノープロブレムノープロブレム!」
「僕が恥ずかしいんです!大問題ですーっ!」
叫び声と笑い声が、空っぽの星に響いていく。
その光景を、四匹のドラゴンは優しい瞳で見ていた。
これが彼らの出会い。
長い付き合いの、始まりの物語。
NEXT
→あとがき
彼は酷くボロボロだった。
着ている服も所々擦り切れて赤く血が滲んでいる。
少年は辛うじて動く眼球を動かして辺りを見渡した。
ここがどこなのか、彼にはわからなかった。
それどころかどうやってここに辿り着いたのかすらもわかっていなかった。
少年はただひたすら全身を蝕む痛みと熱に耐えていた。
呼吸をするたびに身体に軋むような痛みが走る。
頭を割られるような痛みが、断続的に彼を襲い続けていた。
早く楽になりたい、そう願うが彼の本能は生にしがみ付き続けている。
いっそ眠ってしまえばいいのだろうが、痛みのせいで寝られない。
助からなくていいから、早くこの生き地獄を終えてほしい、そう祈り続けていた。
「グルルルル……」
どこかから獣の呻くような声が聞こえ、少年はビクッと身を震わせた。
おそるおそる振り返ると、赤いドラゴンがうなりながら彼の傍に近づいてきた。
「来ないで……ください……」
少年は絞り出すように声を出した。
しかしそれは、ドラゴンに食べられることが怖かったからではない。
いっそ食われた方が楽に終われるだろう、とすら思っていた。
「来ないで……お願いです……」
少年は震え声で懇願するが、ドラゴンはジリジリと近づいていく。
ドラゴンには知性があるのだろうか、そのグリーンの瞳にはどこか少年を心配するかのような光が宿っていた。
「来ちゃ駄目です!」
少年が叫ぶと同時に、彼の身体から橙色の光で形成された刃のようなモノが放たれた。
それは見事にドラゴンに直撃し、ドラゴンは鳴き声を上げながらどこかへと飛び去って行った。
「だから言ったのにっ……」
飛び去るのを見送りながら少年は涙を流した。
攻撃なんてしたくなかったのに、と呟く。
頭痛は更に激しさを増し、彼はいよいよ意識を保っていられなくなった。
「ああ、もう自分は駄目だ」という気持ちと、「やっと楽になれる」という気持ちがない交ぜになる。
堕ちていく闇に身を委ね、少年は瞳を閉じた。
***
「おーい!」
ポロシャツとスラックスという出で立ちの中年の男性が、ニコニコと笑みを浮かべながら少年に話しかけた。
綺麗な顔立ちの少年が彼の方に振り返る。
「なんですか先生?」
「いや~、この間の模擬戦、よかったぞ!
おまえは本当に優秀だ!
礼儀正しいし飲み込みも速い。
おまえはこの学校の誇りだよ!」
「そんなことは……でもありがとうございます」
はにかみながら頭を下げる彼に、先生は満足そうに頷いた。
少年の生まれ育った場所は、俗に言う“魔法の国”だった。
国民は皆ごく普通に魔法を使っていた。
彼らにとってはそれが常識で、他の国や世界には魔力を持たない人もいるということは知識として知っていたが、なんとなく釈然としないものだった。
それ故に学校教育にも必然的に魔術が関わってくる。
魔術に関する知識を学んだり、実技試験などもあった。
模擬戦というのは、生徒同士が魔術で闘うバトルトーナメント形式のイベントのことだった。
毎月1回行われていて、怪我人が出そうなときは先生が魔術で止める、といった甘いものだ。
ここで彼らは魔力を使った闘い方を身に付ける。
まだ子供同士で、大人が止められるほどに魔力も弱いから成せるイベントだった。
そこで彼はいつも高い成績を残していた。
咄嗟の機転が利き、応用も利く。
何よりも、魔力がほかの子供と比べて強かったのだ。
「みんな言ってるぞ、『絶対敵わない~』って。
今度魔法教えてやったらどうだ?」
「えっ、それは先生の役目ですよ?」
鋭い返しに、先生は豪快に笑う。
少年も褒められて嬉しかったのか、ニコニコと笑っていた。
優秀とはいえ、彼はごく普通の子どもだった。
褒められれば謙遜しながらも喜ぶし、自分の魔力の強さを自覚し、それなりに誇りに思っていた。
彼は平和に、平凡に生きていた。
こんな日が永遠に続くのだと何の根拠もなく思っていたし、それが当然だと思っていた。
少年はただただそこに呆然と立ち尽くしていた。
まわりのざわめき声も、まったく耳に入ってこない。
全身の震えを止めることができなかった。
「おい、お前も大丈夫か?」
「……うん」
問われた問いに機械的に答え、しかし意識はそこには無かった。
誰に問われたのかすら、実はわかっていなかった。
どうして、と自分自身に問いかけても、答えは見つからなかった。
先程の出来事を、何度も頭の中で再生する。
それは突然のことだった。
少年はいつものようにクラスメイトと闘っていた。
絶え間無く繰り出される相手の弾を避けながら、間合いを詰めていく。
約10メートル程まで接近したところで、相手から大きな魔法弾が繰り出された。
少年はいったん退いて避けようとしたが、その弾は彼を追いかけ始めた。
ホーミング機能があるとすぐに察した少年は、相殺しようと真っ正面から魔法弾を繰り出した。
二つの弾がぶつかり合う。
だがそれは一瞬のことで、橙色の弾――少年の方の弾が、いとも容易く相手の弾を突き破った。
見ていた他の生徒からわあっと歓声が上がり、拍手が沸き起こった。
しかし役目を終えた弾は消えると思いきや、弾の勢いは死なずに相手へと向かっていった。
相手の少年は呆然と立ち尽くし、動くことができない。
「危ないっ!」
少年が叫ぶと同時に、相手の前に壁ができた。
炸裂音と同時に、皆の視界が一瞬真っ白に染まる。
グラウンドは水を打ったかのように静まり返っていた。
もうもうと土埃が立ち込める中心で、クラスメイトが座り込んでわんわん泣いている。
慌てて先生が駆け寄って、彼を抱き上げた。
「反応が遅れて彼を守りきれなかった私にももちろん非はある。
しかし、君も自分の力を知っているのだから、ちゃんと出力は調整しなきゃ!」
先生はいつになく厳しい表情で彼を叱った。
「ごめんなさい」と少年は震える声で、泣きじゃくる子に謝る。
相手の子はまだ少しぐずぐずとしていたものの、悪気が無いとはわかっていたのか「大丈夫だよ」と答えた。
幸い大事には至らず、普段優秀なこともあってか「今度からは気をつけろよ!」で済んだ。
他の人も「失敗だなんて珍しいな」「大した怪我じゃなくってよかったな」と元のように話し始めた。
しかし彼はグラウンドにポツン立ちすくんだまま愕然としていた。
たかが一度の失敗、と思い込もうとして……失敗した。
彼は調整できているつもりだったのだ。
そもそも彼らの歳の魔法弾は、仮に当たってもせいぜいボールがぶつかったくらいの痛みにしかならない。
たしかに彼の魔力は、同い年の子に比べたら強かった。
しかしそれは大人にはまだ遠く及ばないくらいで、周りの大人から「将来が有望だね」と言われる程度だった。
だから目の前で起きた出来事が、彼には信じられなかった。
自分の放った弾が、大人である教諭の防御壁を破っていたことを信じられなかった。
教諭は「反応が遅れた」と言っていたが、少年は自分の弾が壁を突き破る瞬間を見ていた。
急な出来事だったから、と自分に言い聞かせながらも、心の奥では解っていた。
生徒を守るために咄嗟に張った防御壁だったら、余計に強固なものになるはずだ。
子どもが壊せるような壁をわざわざ作るはずがない。
少年は持っていたタクトを見つめる。
何の変哲もない(少なくとも彼らの常識では)それが、まるで凶器のように見えていた。
そのショックのせいだろうか。
その日から彼は自分の魔力をまったくコントロールできなくなってしまった。
魔法が使えないなら、まだよかったかもしれない。
しかし彼の場合は、魔力が強すぎてしまったのだ。
教員にも制御しきれないほどの魔力が、彼の中で生まれていた。
力加減ができない。
方向が定まらない。
自分でもどうなるのかわからない――彼は魔法を使うことが怖くなっていた。
先の事件のようにまた誰かに危害を加えてしまうのではと思うたびに、身体が震えた。
それでも彼らは魔法を使うことが普通で、魔法無しに生活などできない。
仕方なく魔法を使うものの、強すぎる魔力は自分、時に自分の身の周りの人間にまで被害を与えてしまっていた。
そんな生活を送っていくうちに、彼は少しずつ、周囲の人が自分を疎ましく思い始めていることを感じていた。
「あの子はきっといつか人を殺すよ」という言葉に憤りながらも、否定しきれない自分に反吐が出た。
それでもここは自分の世界、自分はここにいる権利がある、必死に自分にそう言い聞かせていた。
精神的な苦痛は、徐々に肉体にも現れ始める。
少年は頭痛に悩まされるようになった。
ガンガンと頭の中で鐘が鳴り響くような頭痛が、延々と続くのだ。
他にも酷い倦怠感、めまい、吐き気などが彼を襲った。
病院に行ったが身体は健康そのものでどこにも異常はなく、原因は一切わからなかった。
きっと魔法が上手く使えなくて悩んでいるんだ。
しばらく安静にしていたら治るだろう……誰もがそう思っていたが、病状は一向に良くならない。
治癒魔法を施してもあまり良くはならなかった。
むしろ日を追うごとに、痛みは増していった。
幾度となく病院を変えて検査しても、医師は首を横に振るばかり。
それどころか、頭痛が彼の周りの人にも起き始めた。
流行り病か、と皆は軽く考えていた。
しかし彼だけは違った。
自分が原因だ、と直感的に悟ってしまった。
ある日彼は荷物をまとめ、故郷を飛び出した。
もうここにはいられない。
自分がいなくなれば、皆はきっと元気になる――そう認めるしかなかった。
幼い少年が見知らぬ土地で一人で暮らすのは酷く難しい。
家から持って来た僅かな貯蓄はすぐに潰えた。
自分で稼ぐしかない……と思っても、幼い少年を雇ってくれる場所はそう無い。
雇ってもらえても魔法が上手く使えないから、すぐに解雇される。
「役立たず」の言葉を何回聞いたことだろう。
当然、安定した生活なんてできない。
幾度となく盗みを働き、なんとか飢えを凌いできた。
良心が彼を責めても、生き延びるためにはこうするしかなかった。
心を麻痺させるしかなかった。
時々は彼を憐れんで優しく接してくれる大人もいた。
元々器量は良かったからか「行くところがないなら養子にならないか」という誘いすらもあった。
彼を拾ったのは、片田舎に住む子どものいない夫婦だった。
養子になれば安定した生活を送れる――彼は二つ返事でその誘いを了承した。
この人たちがどうなろうと自分には関係ない、利用できるだけ利用してやろう、と心の中で嗤った。
夫婦は彼に優しくした。
子どもを授かれない身らしい彼らは、少年のことをまるで本当の子どものように慈しみ、大切にした。
おかげで相変わらず頭痛は続くものの、彼は快適な生活を送ることができていた。
そんな日常が続いたある日、案の定夫婦にも頭痛が訪れた。
少年は胸の痛みに気付かないふりをしながら、今まで通りの日常を送ろうとし続けた。
しかしある日、夫婦の身を案じた隣人が「きっとあの子は疫病神だ」と主人に言っているのを聞いてしまった。
隣人に絆された彼が自分を追い出されなければいいが――と思いながら成り行きを見守っていた。
「何言っているんだ、あの子のせいなはずがない!」
激昂して叫ぶ主人に、少年は目を見開いた。
胸を抉られるような心地で、主人を見つめる。
その晩、彼は家を飛び出した。
「今までありがとうございました」とだけ書いた手紙を残して。
もう彼は限界だった。
彼を散々悩ませていた頭痛よりもタチが悪い胸の痛みに、気付かないふりをし続けられなかった。
これ以上、自分に良くしてくれた人が苦しむ姿を見ていられなかった。
「元々利用してやろうと思っていたのに」と非情になりきれない自分を嗤いながら夜の町をひたすら走った。
定住できない――そう悟った彼は、様々な土地を転々と渡り歩くようになった。
そこでも彼に救いの手を差し伸べようとした人はいた。
縋りたい気持ちを抑え、彼はその手を払いのけるしかなかった。
自分のせいで苦しむ人を見たくなかった。
しかしそれ以上に、魔法が彼の意思に関係なく勝手に発動してしまうことがあったのだ。
激しい頭痛が起こると同時に、周囲の人々に無差別に攻撃をしてしまう。
そのせいで彼は人の傍に居ることすらできなかった。
「もう僕は誰ともいちゃ駄目なんだね」
川を覗き込みながら、水面に映る自分自身に話しかける。
酷く痩せこけみすぼらしくなってしまった自分を嗤おうとしたが、掠れた声しか出なかった。
もう空腹感すら感じない。
自分に居場所は、どこにもない。
もう死ぬしかないのだろう、と頭の隅で考えていた。
だったらどこでもいいから、誰にも迷惑をかけない場所で死にたい――それが少年の、最期の願いだった。
***
ザリッと土を踏む音が聞こえて、少年はうっすらと目を開けた。
自分がまだ生きていると悟り、未だ生にしがみ付く自身を嘲笑いながら目を凝らすと、おぼろげな視界の焦点が微かにあってきた。
彼の数メートル先に、人がいた。
少し青みがかった黒髪の、まだ若いであろう青年だ。
黒い燕尾服に赤いマント、右目には金縁のモノクルと、個性的で奇抜な恰好をしていた。
男性は彼の方に向かって、ゆっくりと歩き始めた。
少年は彼から逃げようとしたが、身体は酷く重たく、もう自由に動かすことができなかった。
「来ないでください……」
蚊の鳴くような、かすれた声で懇願する。
誰か自分のそばにいると、また傷つけてしまう。
怪我をさせてしまった人の顔や頭痛に悩む人々の顔が脳裏をかすめ、少年は皹割れた唇を噛み締めた。
彼の声が聞こえたのか青年は足を止めた。
そのまま立ち去ってくれ、と少年は心の中で祈る。
しかし彼の祈りは届かず、青年はまたゆっくりと歩き始めた。
「本当に危ないんです、来ないで、ください」
「大丈夫デスよ」
少しずつ、確実に、少年に近づいていく。
これ以上そばに来られると――少年がそう思ったとき、あの忌まわしい頭痛の波が襲ってきた。
「……来るなッ!」
表情を歪め、少年は叫んだ。
先程のように再び光の刃が放たれる。
それは真っ直ぐに青年の元へ向かっていった。
避けてくれ――そう少年が心の中で叫んだとき、青年はパチッと指を鳴らした。
刃はピタリと止まり、端から崩れ始める。
まるで星屑のようにキラキラと輝きながら消えていくそれを、少年は呆然と見つめていた。
「ね、大丈夫って言ったデショウ?」
青年はへらっと笑った。
そのまま少年のもとまでふわりと来て、痛みやら驚きやらいろいろな意味で動けない彼を抱き上げた。
何が起きているのか頭が追いつかず、少年は抵抗するのも忘れてされるがままでいた。
「……っ」
青年の身体は、まるで生きていないかのように冷たかった。
むしろ、生きていることが不自然なほどだった。
それでも久しぶり人の身体に触れらせいか、安心感を得た少年の瞳はたちまち潤んでいく。
何度も瞬きを繰り返して、なんとか涙を食い止めようとしていた。
「……辛かったデスね、ずっと苦しかったデショウ?
一人ぼっちで寂しかったデスね。
もう大丈夫、もう大丈夫だから、安心してくだサイ。
ミーがいマスからね」
優しい声で語りかけながら、少年を抱き締める。
まるで幼子をあやすように、少年の背中をポンポンと叩いた。
「……ぅ……く……」
少年は我慢しきれず泣き始めてしまった。
故郷から飛び出した日からため込んでいた涙をすべて吐き出すように、盛大に泣いた。
青年はしがみつく少年の背中を優しくポンポン叩き、大丈夫、大丈夫と何度も繰り返していた。
しばらく経って、少年はようやく泣き止んだ。
泣いた後特有の頭痛はあったものの、元々の頭や身体の痛みが多少和らいだようだった。
青年の服のちょうど肩のあたりは、彼の涙でびっしょり濡れていた。
見知らぬ人の前で大泣きしたことを改めて自覚し、少年は気まずそうに目を逸らした。
「ご、ごめんなさい……」
「なんで謝るのデスか?
もっと甘えてもいいのデスよ?」
優しく頭を撫でられて、少年の頬に羞恥の紅がさす。
「大丈夫ですから、降ろしてください」と足をばたつかせると、青年は「ちえー」と残念そうに少年を地面に下ろした。
そのまま彼の隣に腰を下ろす。
……こうでもしないと、身長差のせいで話がしづらいのだろう。
「さて、自己紹介でもしまショウか。
ミーは……」
青年はそこまで言うと、何故かそこで言葉を切った。
不自然な間が空いてから、ニッコリと笑う。
「……ウィズ・ハルカンドラ。
ウィズって呼んでくだサイね!
……ユーのネームは?」
「ラン…プキン……」
「Ok、ランですね!よろしくデス!」
ウィズはランプキンの手を握るとブンブンと振った。
ランプキンはハイテンション過ぎる彼に戸惑いながらもされるがままでいる。
ウィズの黄色い瞳が楽しそうに輝いていた。
大人なはずなのに、その様子はどこか子供じみている。
が、どこかランプキンはその黄色い瞳に引っ掛かりを覚えた。
どこかで見たことがあった気がしたのだ。
会ったことの無い初対面の人のはずなのに。
「さてさて、少し説明しなければなりマセンね!
率直に言うと、ミーたちは由緒正しきハルカンドラ族の末裔なのデス!」
「はるかんどら……?」
先程、彼も名乗っていたものだ。
変わった苗字だなとは思ったくらいで、由緒やら何やら突然語られても全く分からない。
しかも「ミーたち」ということは、強制的に少年も含められている。
少年は早速会話についていけなくなっていた。
「ハルカンドラと言うのは、むかーしむかーしにあった魔法の王国のことデス。
その王国は滅ぼされてしまったのデスが、ミーたちは彼らの末裔なのデス!
……あ、末裔の意味わかりマスか?」
「そ、それくらいわかります!」
「Ok!ミーたちはそのDNAを受け継ぎ、更にハルカンドラのパワーを目覚めさせた存在!選ばれし者なのデス!」
ハイテンションに語るウィズを、ランプキンは少し引いた目で見ていた。
いきなりそんなことを言われても「ああ、そうですか」と納得できるはずがない。
新手の宗教勧誘か?という疑いすら持ってしまう。
「そしてこの子たちはランディア。
どうやらハルカンドラの守り神のようデス」
バサッと翼の音とともに、そっくりな4匹のドラゴンが地面に降り立った。
その中に、ランプキンが図らずとも攻撃してしまったドラゴンがいた。
傷跡が少し残っていたのだ。
「あ……さっきは、ごめんなさい……」
ランプキンが詫びると、ランディアは「気にするな」とでも言いたいかのように小さく吠えた。
そうして彼に近寄ると、じゃれつき始めた。
「わっ……」
「いい子たちデショ?
ランディアがユーのことをミーに知らせてくれたのデス」
逃げた後に、ウィズに知らせに行ったのだろう。
突然攻撃されたにもかかわらず、だ。
ランディアの優しさに、彼の涙腺がまた緩んでしまいそうになった。
おそるおそる手を伸ばし、ランディアの頭部を撫でる。
「ありがとうございます、ランディア」
ランディアは気持ちよさそうに彼に擦り寄った。
他の三匹も彼に近寄り、あわやランプキンは彼らに埋もれかけてしまう。
ウィズはそんな彼らを微笑ましそうに見つめ――少しだけ真剣な顔をした。
「……あのデスね、ミーの知る限り、ハルカンドラの力が完全に目覚めるのはユーよりもうちょっと大きくなってからなはずなのデス。
覚醒時に命を落とすケースはたくさん見てきましたが……このケースは初めてデス。
それにランは、覚醒するにはいくらなんでもまだ若すぎる」
ウィズは何かを考えるように難しい顔をしていたが、一方ランプキンの頭の中にはクエスチョンマークでいっぱいだった。
急展開過ぎて脳内の処理がうまくいかないのだ。
神妙な顔をしているランプキンを見て、ウィズは軽く噴き出した。
「な、なんですか?」
「いや、なんでもありマセン!
話を戻して……もしかしてユーは生まれつき魔力を持っていましたか?」
ウィズに問われ、ランプキンは頷く。
ランディアが空気を読んだかのように、彼から離れていった。
「僕だけじゃありませんよ、みんな持っていました」
「……なるほど。
では、普段から魔法を使っていマシタか?」
「はい……」
ランプキンはこれまでのことを彼に語った。
魔力が制御できなくなってしまったこと、それ以来頭痛が延々と続くこと、そして周囲の人にも頭痛を与えてしまったこと。
それを聞いたウィズは、「うーん……」と考え込んでしまった。
「なるほど……おそらく、日常生活の中で鍛えられたユーの魔力が、ユーのボディの許容範囲以上になってしまったのデスね」
「身体の許容範囲……?」
いまいちピンとこないランプキンに、ウィズは人差し指をピッと立てて説明し始めた。
「Example!バルーンにエアーを入れすぎるとどうなりマスか?」
「割れる……」
「Yes!今のユーはその風船と同じ。
魔力がオーバーして、破裂しそうになってるのデス。
頭痛はきっとその予兆デスネ」
ウィズはこともなさそうに話しているが、内容はとんでもないことだ。
ランプキンは自分の身体が風船のように破裂するのを想像し、ブルっと身を震わせた。
「そんなに怯えなくてもノープロブレム!
ミーがいマスよ!
ミーがユーの魔力をセーヴしてあげマス!」
頭を撫でながらウィズがからりと笑う。
明るく力強い笑顔に、ランプキンは少しだけ安心感を覚えた。
「ところでラン、好きなアクセサリーはありマスか?」
「え……?」
先程からあまりにも話の脈略が無さすぎる。
唐突に唐突を重ねたその問いに、ランプキンは戸惑いを隠すことができなかった。
「どうして……ですか?」
「魔力をセーヴする装置は、アクセサリーとして身に付けてもらうとちょうどいいのデスよ。
ミーもこれが初めてのチャレンジデスから……媒介があったほうが安心すると思いマス」
ウィズ曰く、媒介として形を伴ったものがあった方が確実らしい。
特に両者の距離ができる場合は。
「なるほど」と納得したはいいが、唐突に問われ答えられるほど彼は装飾品に対して関心を抱いてはいない。
指輪、ネックレス、腕輪、首輪、手錠……思い付く限り頭のなかで並べてみたが、どれもあまりピンとこなかった。
「そ、そんな急に言われても……」
「デスヨネー。
あ、ちなみにミーのこれもそうデスよ!
まあ、これは制御よりも出力調整デスが」
そう言いながらウィズは自分のモノクルを指さしていた。
金縁のモノクルのチェーンの先に、星と赤い宝石のチャームが付いている。
彼の黒髪の傍でキラキラと輝くそれは、ちょうど夜空の星のようだ。
普通の生活ではあまりお目にかからないそれは、少年の瞳にはひどく魅力的なものとして映った。
「じゃ、じゃあ……それがいいです」
ランプキンはおずおずと、少しはにかみながらモノクルを指さした。
ウィズは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて彼の頭をわしゃわしゃ撫でた。
髪をぐしゃぐしゃにされた彼は逃れようとしたが、子供が成人男性に勝てるはずがない。
されるがままに頭を撫でられていた。
「やっ……やめてください!」
「ヘヘー、ユーはセンスがいいデスね!
最高のものを作ってあげマス!」
ウィズはどこからかステッキを取り出すと、立ち上ってスッと目を閉じた。
淡い赤の光が彼を包み込む。
神々しさすら感じ、ランプキンは真剣に彼の姿を見つめていた。
カッ!と赤色の光が爆ぜたと同時に、ランプキンの左目にウィズの物とよく似た金縁のモノクルが作られていた。
ランプキンから見たら見えないが、封印のものらしくレンズにはクロスの紋様が浮かんでいる。
チェーンの先にはオレンジ色の石が付いていた。
モノクルといっても、浮いていて嵌っているわけではないから違和感もないし、視界も変化はない。
「とっても似合ってマスよ!
ミーとお揃いデスね!」
ウィズは機嫌よくステッキをヒュンヒュンと回す。
ランプキンは呆然と頭を押さえた。
「あれ……頭、痛くなくなった……?」
「Oh、それは良かった!
きっと魔力を抑えたからデスね!」
頭痛は制御のできない魔力が引き起こしていたものだから、外から抑えることで解消されたのだろう。
頭痛とともに彼を蝕んでいた身体の痛みも熱も、すっかり消え去っていた。
ずっと神経が張りつめていたからか、身体から力が抜けてぺたんと座り込んでしまう。
「だっ、大丈夫デスか!?」
「ち、違うんです!
楽すぎて身体がびっくりしちゃったんです!
すみません……」
ランプキンが慌てて答えると、強張っていたウィズの表情がふにゃりとほどけた。
「なんだ……ビックリしちゃいマシタ」
よかったよかったと、まるで自分のことのように喜ぶウィズ。
ランプキンはスクッと立ち上がると、お尻についた土を払って深くお辞儀をした。
目の前の大人が何者かは未だによくわからないが、自分を助けてくれたということには違いないのだ。
これで彼は元の場所に変えることができるし、今まで通りの生活を送れるだろう。
ランプキンから見れば、ウィズは立派な命の恩人である。
感謝してもしきれないくらいだ――精一杯の誠意を込めて、彼は頭を下げる。
「ありがとうございます……ウィズさん」
「さんは要りマセンよ、ウィズで十分デス。
敬語も要りマセン!」
「ミーが言えたことではありマセンがね」と言いながらランプキンを見つめる彼の瞳には、優しさが滲んでいた。
「じゃあ……ありがとう、ウィズ。
僕、ずっと苦しかったから……本当に助かりました」
ニッコリ笑いながらお礼を言われて、ウィズは一瞬だけ顔を顰めた。
え、とランプキンが違和感を覚える。
しかしその正体に気付く前に、ウィズはすぐにそれを打ち消し明るい笑みを浮かべた。
「イエイエ!」と答えるその声にマイナスの感情は見当たらない。
気のせいか、と彼は自分自身を納得させた。
ランプキンはこれからどうしようかと考えていた。
故郷に帰るにも帰り方がわからない。
どうやってここに辿り着いたのかすらわからないのだから。
ウィズなら知っているだろうか――そう思い至り口を開こうとしたが、先にウィズが口を開いてしまった。
「ね……ラン、ミーと一緒に来マセンか?」
ウィズの表情は真剣なそれに変わっていた。
言葉の意味を図りかねたランプキンは目をパチクリとさせた。
小さく小首を傾げ、怪訝そうな顔をする。
「……一緒に?」
「ハイ、一緒にハルカンドラを復興させマセンか?」
彼の瞳はどこまでも真剣だった。
また変な宗教を……と思いかけていたランプキンも、つられて黄の瞳をじっと見てしまう。
しばらく無言で見つめ合っていたが……ウィズはハッとした表情を浮かべ、またへらっと笑った。
「あ、でもやっぱり戻りたいデスよね!
ユーには帰るところがありマス!」
ソーリーソーリーと謝りながらブンブンと手を振る。
彼は笑顔だった。
誰が見ても疑いようのないほどに笑顔だった。
しかし、やはりランプキンは彼の瞳に引っ掛かりを感じずにはいられなかった。
彼をどこかで見たことがある。
いや、彼自身ではなく彼に似た存在をどこかで。
いったいどこで――記憶を手繰り寄せ、唐突に彼は思い出した。
ゆらゆら揺れる水面。
街のショーウィンドウ。
夜の窓。
いずれも自分自身を写すもの。
そして、そこに映っていたのは。
「……いきます」
どうしようもない孤独と絶望に打ちひしがれた少年の姿だった。
行く当てもない旅を続け、生きながらにして死んでいたような自分自身と同じ――否、彼の黄色い瞳の奥にはそれ以上の、深淵にも似た、底知れない孤独があった。
「……僕は、ウィズについていきます」
自分に何ができるかなんて、まったくわからない。
足手まといになることの方が多いかもしれない。
それでも漠然と彼の傍に居たいと思った。
命を助けてくれた彼を自分も助けたいと思った。
彼の孤独を癒してあげたいと思った。
ただ、それだけのことだった。
彼の出した答えに、ウィズは目を見開いた。
眉根を寄せ、泣くのを堪えるように唇を噛み締める。
そこでランプキンは気付いた。
先の一瞬の違和感、あの時も彼はこんな顔をしていなかっただろうか。
お礼を言われただけなのにそんな顔をするほど彼は――そこまで考えて、ランプキンは顔を曇らせた。
「ま、待って?ユーは……帰りたいんじゃ……」
「……そんなこと」
そんなことないと言ったら嘘になる。
帰りたい気持ちももちろんある。
しかし目の前の人を捨て置いて、自分だけ温かい世界に戻るなんて――彼にはできなかった。
彼自身も孤独を知っていたから。
それがどれだけ辛くて、苦しいことかを身をもって知っていたから。
「僕は決めたんです」
ランプキンはそう断言した。
揺るぎのない橙の瞳で、黄の瞳をじっと見つめる。
ウィズはその視線を真っ直ぐに受け止め、一瞬無表情になり、泣きそうな顔をして――今までで一番嬉しそうな、満面の笑みを浮かべた。
「よし、じゃあ行きマショウ!」
明るくそういうと、先程のようにひょいっとランプキンを抱き上げた。
顔を赤く染めてジタバタともがく彼を、離さないようにギュッと抱きしめてしまう。
「ちょっ……下ろしてください!」
「だってついて来てくれるって」
「それとこれとは別の話です!
すごく恥ずかしいです!」
「ノープロブレムノープロブレム!」
「僕が恥ずかしいんです!大問題ですーっ!」
叫び声と笑い声が、空っぽの星に響いていく。
その光景を、四匹のドラゴンは優しい瞳で見ていた。
これが彼らの出会い。
長い付き合いの、始まりの物語。
NEXT
→あとがき