Drawcia
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「Ding Dong! The Witch Is Dead?
The Wicked Witch!」
男の無駄に高らかな歌声が、極彩色の世界に反響する。
不穏な歌詞と楽しそうな旋律を、どこかで聴いたことがあると思案しながら、マルクはその後についていく。
「She's gone where the goblins go,Below, below, below. Yo-ho……」
「えーと、楽しそうなところ邪魔してすみませんが」
ランプキンがこめかみを押さえながら問いかると、ウィズは彼の方に振り返った。
歌を妨害されたことについては何とも思っていないらしい。
「ウィズ、ここはどこですか?
そしてこの気配は……?」
問われた彼はピョンピョンと飛び跳ねながら身体全体を彼の方に向けた。
仕草だけなら無邪気な子どものようだが、仮にも成人男性の見た目をしている彼がするとむしろ不気味にも見える。
そのままの調子で後ろ向きに歩きだした。
この世界のどの赤よりも鮮やかなマントが、彼の動きに合わせて踊る。
「さぁ?どこデショウ?」
「わからないから聞いているのですが」
ランプキンの声には微かな怒気が込もっていた。
いきなり説明もなく連れてこられたのだ、その怒りも尤もだろう。
マルクは無言のまま心の中で彼に同意した。
実際、彼らはここがどこなのかがわからなかった。
簡単に言えば赤や青、黄色などの絵具を滅茶苦茶にぶちまけたような世界だ。
何も触れることができないし、この空間がどこまで続いているのかもわからない。
現実感はともかく、やけに立体感が無く不気味な世界だった。
「怒らないでくだサイな。
簡単に言えば2次元と3次元……リアルとピクチャのワールドが交じり合った状態デス。
さしずめ2.5次元とでもいいマショウか……」
「……なんだか一部の人にはすごく羨ましがられそうな世界だね」
苦笑を漏らすグリルに、マルクが頷いて同意した。
「でも何故そんな世界に?」
「臭うんデスよねぇ……」
「臭う?」
マルクが鼻をひくつかせながら辺りを見渡す。
どこかで嗅いだような臭いがして、彼は顔をしかめた。
少しツンとした臭いと、油のような臭い……どこか懐かしさを感じさせるものだ。
「これ……絵の具の臭い?」
グリルの言葉に、マルクは「ああ」と声を漏らした。
昔、学校に通っていたころに嗅いだ臭いだったのだ。
通りで懐かしいはずだ……と封印したはずの昔のことを思い出しそうになって、慌てて首を振る。
「グリルは鼻がいいデスね!
このネームを知っていマスか?
プププランドを絵に変えたウィッチ、『ドロシア・ソーサレス』!」
マルクが息を呑む。
どうせ知っていると踏んでいたのだろう。
ウィズはマルクの反応を楽しむかのようにニヤニヤと笑っていた。
「ドロシアはカービィが倒したって聞いたけど」
「らしいデスね……星の戦士だけあって彼女は手強いデス。
以前闘った時、死なないはずのミーが死ぬかと思いマシたもん」
ウィズは大げさに肩をすくめた。
一度彼女と闘ったことのあるマルクもうんうんと頷く。
「わざわざ貴方が出向くということは……彼女が例の魔力を持つということですか?
しかし彼女は絵なのでは……」
「でもドロシアは実体化して動いてたのサ!
……それも魔法なのサ?」
「誰かが魔法をかけたの?それともドロシア自身が意思を持ったの?」
三人の質問攻めに、ウィズはまたも大げさに肩をすくめた。
その様子は全く困ったようには見えない。
「ミーもシステムはわかりませんが、多分意思を持ったのだと思いマス。
……考えられるとしたら、ハルカンドラの魔力を持つアーティストに描かれたか、絵筆がハルカンドラ製かそれとも……絵具にハルカンドラ人のブラッドが使われてるとか、ね」
そのブラッドはどんなカラーなんデスかね?とクスクスと笑う。
純粋な好奇心と、ほんの少しの悪意が入り混じった表情だ。
ゾクリ、と彼らの背筋に寒気が走った。
ウィズはふと立ち止まると、大袈裟に手を広げた。
「はてさて、悪いウィッチは星の戦士に倒されマシた。
めでたしめでたし!
……デスが、ウィッチは舞台に取り残されてしまったようデスね?」
舞台で歌い上げるかのように高らかに問いかける。
三人は観客の如く一瞬だけ沈黙した。
「要は迎えに行く、ということですか」
「That's right!
さっすがデスね!」
へらっと笑ったウィズが拍手をする。
そのまま数歩進んでから周りを見渡し、クルリと回りながらパチンと指を鳴らす。
彼の背後に赤い魔方陣が現れ、血を固めて作ったかのような真紅の扉が現れた。
ウィズが紳士のように深く礼をすると、扉がギィィ……と音を立てて開いていく。
絵具の強い臭いがむあっと立ち込めて、思わずマルクは顔をしかめた。
「さあ、彼女の奥深くに入ってみマショウ?
……いったい彼女のソウルは、どんなカラーをしているのでショウかねぇ……?」
ウィズは笑う。
楽しくて仕方がないかのように。
その笑みはどこか不吉で、嫌な予感がした。
***
扉の向こうは、先程までと比べると意外にも落ち着いた色合いをした空間だった。
……いや、色褪せたと言った方が正しいかもしれない。
色からは明らかに彩度が失われていた。
ウィズを先頭にしばらく進んでいくと、絵画を思わせる大きな額縁があった。
くすんだ空間の中で鮮やかな色彩に飾られたそれは、文字通り異色を放っている。
キャンバスに当たる部分は、まるで海面のようにゆらゆらと波打っていた。
鮮やかな色も褪せた色も寒色も暖色も無秩序に入り乱れている。
その中心はうず潮のようにグルグルと黒い渦が巻いていた。
「う、あ……っ!」
「グリルッ!?」
グリルが唐突に頭を抱え膝を付いた。
何かに怯えるかのように顔色は真っ青で、身体がピクピクと痙攣している。
咄嗟にランプキンが治癒魔法を施した。
「グリル、大丈夫なのサ?」
「ごめんね……なんか、この絵?を見たら頭が割れそうに痛くなって……」
力無く笑いながら立ち上がる彼女を、マルクは支えた。
まだ少し震える彼女の頭をあやすように撫でてやる。
ランプキンも軽くこめかみの辺りを押さえていた。
「……なんなんですかね、これ……とても懐かしくて……忌まわしい」
「多分暴走した魔力による影響デスかね。
強い魔力は周囲の人にも影響を与えマスから……ね?」
ウィズは意味ありげな笑みを浮かべながらランプキンを見つめる。
彼はその視線から逃れるように目を逸らした。
彼にしては珍しいその反応に、マルクは不思議そうな表情を浮かべた。
「マルクは大丈夫ですか?
どこか痛みはありませんか?」
「んー…凄い力だって言うのはわかるけど、痛いとかは全然ないのサ」
それを聞いたウィズは、にわかに目をキラキラと輝かせた。
「Oh、だったらユーはミーと来てクダサイな」
「え?どこに行くのサ?」
「この中デスよ」
そう言いながら真っ直ぐに絵画を指さす。
マルクの頬がヒクッとひきつった。
「え、やだ」
「2人はここから支援をお願いしマスね。
入ったらランはまだしもグリルはヤバそうデスし」
「ちょっとウィズ、人の話聞いてるのサ?」
「これ以上世界が崩れないようにお願いしマス。
適当に弄れば大丈夫デスよ」
「簡単に言いますけどねぇ……大変なんですよ?
私の守備範囲は縦ですし、横軸はあちらさんのお仕事ですから」
「……まったく聞いてないみたいだね」
最早マルクが行くことは決定事項らしい。
拒否したとしても、強制的に連れて行かれることだろう。
項垂れる彼の背中を、励ますようにグリルがポンと叩いた。
***
「二次元に入った気分はどうデスか?」
「……変な感じなのサ」
結局マルクは半ば強引に絵画の中に連れて行かれた。
この場所は、重力というものを全く感じられない。
しかし周りの空気はどこか色づいているようで、色水の中を泳いでいるような気分だった。
といっても呼吸は問題なくできるし、冷たさも感じない。
強いて難点を挙げるならば絵具の臭いがきつい点くらいだった。
「……マルク、聞こえますか?」
マルクの頭の中に、ランプキンの声が直接響いてきた。
さりげなくウィズの方を見てみるが、彼にはどうやら送っていないらしい。
珍しい、と純粋に思った。
何かあったのならばウィズの方に先に連絡をしそうなものなのに。
「どうしたのサ?」
「ひとつ、貴方にお願いがありまして」
「なに?」
ランプキンは言葉を選ぶように詰まらせた。
時間にしてはわずか数秒に過ぎないだろうが、飄々としている彼にしては珍しいことだ。
何だか今日のランプキンはおかしい、とマルクは眉をひそめた。
「ウィズに、彼女を“喰わせる”のだけは止めてください」
「喰う?性的な意味で?」
「おおよそ物理的な意味でですね」
ふざけた問いに真面目に返されて、今度はマルクが一瞬言葉に詰まった。
「どういうことなのサ?
まさかカニバ的な?」
「……簡単に言えば、魔力の吸収です。
彼女を糧にする、ということですね」
ランプキンの言葉で、マルクの記憶が蘇った。
思い出したくない記憶の片隅に、彼の言葉が微かに残っている。
『まったく、面倒デスね……力さえ得られればいいから喰い殺してしまいまショウか?』
黄色い瞳に宿った陰惨な光。
肉食獣か猛禽類を思わせるそれは、明らかに獲物に狙いを定めたものだった。
忘れていた彼の恐ろしい一面が心臓を縮こませる。
「私は……彼が傷つく姿を見たくありません」
「傷つく……?」
ランプキンの声色はひどく暗かった。
魔力を吸収するのならばむしろ回復するんじゃ?と問おうとしたが、彼の雰囲気がそれを許さない。
それほど大切なことなのだろう。
興味はあるものの深く聞かないことが得策だろう、とマルクは判断した。
「わかったのサ」
「ありがとうございます。
……こちらはグリルのおかげでなんとかなりそうなので、貴方たちも頑張ってください」
そこで声は途切れた。
彼がふうと一息付いたところで、数歩先を進んでいたウィズがくるりと振り返った。
「トーキングは終わりマシタかー?」
ぎくり、とマルクの心臓が跳ね上がった。
一気に鼓動が激しくなる。
「安心してクダサイ、内容まではわかりマセンから!」
へらっと笑いながらそう言っているが正直あまり信用ならない。
彼は鋭い牙を持っている。
それを忘れさせるほどの、年季入りの演技を見抜くのは困難を極める。
実際彼の考えていることは、ランプキンくらいしかわからないだろう。
「ていうか、本当にユーはここにいても大丈夫なんデスね」
「……多分、ボクは同じような経験をしたことがあるからだと思う。
前ボクも暴走したじゃん。
確証はないんだけど、なんとなくそんな感じがするのサ」
「へぇ?
……それ、どんな感じデスか?」
「うーん……自分が自分じゃなくなるというか……。
自分が何をしているのか、何をしたいのかもわからなくて、とりあえず目の前の物全部壊したかった。
説明しづらいんだけど、強いて言うなら少しずつ精神……いや、魂が削られていく感じ……?
実際魂があるかなんてわかんないけどサ」
同じような経験……それは、彼がカービィと闘った時のことだ。
ノヴァの力を吸収した彼は、その魔力に耐えきれず暴走してしまった。
カービィに倒されたことで解放されたが、そのときの感覚は今でも鮮明に思い出せる。
「ソウルが、ねぇ……やっぱりミーの知っている暴走とは違いマスね。
ミーが見てきたのは、ボディ側がパワーに耐え切れなくなってブロークンするものデスから」
「なにそれこわい。
……ウィズ、そんなもの見てきたんだ」
「エエ、嫌になるほどね。
崩れていく身体を目の前で見るのは、しんどいものがありマス」
笑ってはいるものの、少し眉は下がっていて。
マルクは不思議だった。
目の前で人体が壊れるなんて、見ていて気持ちのいいもののはずはない。
現に目の前の男は辛そうな顔をしている。
そんな思いをしてまで、どうしてハルカンドラに固執をするのか不思議で仕方が無かった。
その疑問をそのまま問えば「それがミーの存在理由だからデスよ」と返ってくる。
「存在、理由……」
小さく呟くマルクに、ウィズは頷く。
「ハルカンドラ王国は銀河戦争のときに、ナイトメアに滅ぼされたというストーリーはもうお話ししましたよね?
ミーはその意志を継ぐ存在。
その意志を遂げるために……すなわちハルカンドラ復活のために、いるのデスよ。
だからどんなに嫌でも辛くても使命は全うしなければならない……どんな手を使ってでも。
そうでなければ、ミーがここに居る理由がなくなってしまう」
マルクは何も答えられなかった。
言いたいことはたくさんあるのに、言葉が喉につっかえて出てこない。
ウィズは少し帽子を下げて、いつものようにへらりと笑った。
「でも不思議なものデスね。
誰よりも本来覚えていそうなユーにそう問われるなんて」
「は?ボク?
それってどういう……」
「だってユーは、ハルカンドラ最後の女王の……」
ウィズの言葉が終わる前に、不意に視界が切り替わった。
まるで勢いよく水中に飛び込んだかのようだ。
世界の色が濃くなって、ぐるぐるとマーブル模様を描く。
その光景は禍々しくもどこか美しい。
マルクは思わずその光景に見惚れていた。
「ようやく最深部デスね。
あれが……ドロシアデスよ」
ウィズが指示したそれは、崩れかけた球形の姿をしていた。
黄色い目玉のようなモノが、ギョロギョロと絶え間なく動いている。
勝手にヒト形をしたものを想像していたマルクは、ヒッと小さく声を漏らした。
「ミス・ドロシア。
ミーの声が聞こえマスかー?」
場違いな程に明るい声で、しかもブンブンと手を振りながらウィズは声をかけた。
返事はなく、女のすすり泣くような声がするだけだ。
まあ当然だろう、これで明るく「はーい!」なんて返って来るなんて、それこそアニメやファンタジーの世界だろうとマルクは心の中で毒づく。
「レスポンス無し、か。
ああそうだ、いっそのこと……」
「ッ、だめ!」
「Why?」
「な、なんでって……」
理由を説明するわけにはいかないが、こういう時に限って得意の口から出任せが出ない。
口を噤むマルクに、ウィズは寂しそうに笑いかけた。
「やっぱり、ね。
どうせランに何か言われたのデショウ?
……本当に心配性なんだから。
まあ、何が起こっているのかよくわからない魔力を喰うほど、今のミーは飢えていマセンよ」
その声色は意外なほどに優しく、寂しそうだった。
「今の」という言葉に含みを感じずにはいられないが、とりあえずは目の前のことに集中するべくだろう、とマルクはドロシアに向き直った。
ドロシアからは無言の拒絶の意を感じられた。
近づこうと歩みを進めてみたが、なかなか距離が縮まらない。
「このワールドのルールが彼女デスからね」
「……ねぇ。
ドロシアは、死にたがってるのかもしれないのサ。
ボクもあのとき、もうどうにでもなれって自暴自棄にもなっていたと思う。
ボクらに、アイツを止める権利はあるのサ?」
マルクはそう問わずにはいられなかった。
彼女はあのまま消えることを望んでいるのかもしれない。
だったら放っておいた方がいいんじゃないか――彼の歩みは自然と止まっていた。
自分たちがやろうとしていることが本当に正しいのか、わからなかった。
「ミーには何かにしがみ付いているように見えマスけどね……」
え、とマルクは顔を上げる。
ウィズは普段からは想像できないほどの真剣な顔で、彼女の方を見つめていた。
「全てを諦めているようで、実は望んでいる。
……本当に救いを求めていないならとっくに消えてるし、ミーたちもこんなにここまでスムーズに入れなかったはずデス」
ミーたちを完全に拒絶することだってできたはずデス、と彼は続けた。
たしかに一理あった。
誰にも邪魔をされずに消えることだけが願いなら、いくら彼らでももう少し侵入に苦労したはずだった。
そもそもカービィに倒された時点で完全に消滅してしまってもよかったはずだ。
特にドロシアの場合はあくまでも生命体ではない。
本能で生にしがみついているというわけではないだろう。
「消えたい気持ちもたしかにあって、でもギリギリのところでまだ諦めきれてない……まだ何か、希望がある。
ミーにはそう見えマス。
ユーは違いましたか?」
「ボク、は……」
マルクの瞳が揺れる。
ドロシアは何を望んでいるのか。
それがわかれば現状を打開できるのかもしれない。
しかし会ったばかり、それどころか会っているのかどうかすらも謎なこの状況で、彼女の望みなど到底わかるはずがない。
彼女の望みは、彼女に聞くのが一番早い。
マルクは拳をぎゅっと握りしめた。
一度大きく深呼吸をし、半ば睨み付けるようにドロシアに向き直る。
「……ドロシア!
話を聞いてほしいのサ!」
マルクの声が響く。
しかし彼女は何も答えない。
聞こえているのか、聞こえていないのか、それすらもわからない。
ただひたすらにすすり泣いているだけだ。
「聞こえてないのサ!?」
何度も彼女に問いかける。
その様子をウィズは驚いたような目で見ていた。
実はマルク自身も、何故そんなに必死になっているのかわからなかった。
「おいちょっとくらい聞け!」
もはや半分怒声のようになっている。
それでも叫ばずにはいられなかった。
どうしようもなく彼女に惹き付けられた。
彼にしては珍しいほどに「どうにかしてやらなくては」という気持ちが強かった。
「…………………………………………………わたくしの存在理由は何?」
初めて彼女が発した、ようやく返ってきたその言葉。
しかしそれはマルクの心に鋭く爪を立てた。
ズキズキと痛み始める胸を無意識に抑え付ける。
「誰もわたくしを見てくれない!みんなわたくしを捨てた!あの汚い、埃塗れのところに置き去りにして!」
感情のタガが外れたかのように、今までのだんまりが嘘だったかのように、恨み言を切々と訴えてくる。
胸から手を離し耳を塞いでもなお、その金切声は頭の中に響いてきた。
悲痛な叫びと過激な言葉。
身体をずたずたに引き裂かれ、抉られ、壊されていくような心地だった。
鋭い刃は封じ込めた記憶の蓋を容赦なく破壊していく。
捨てた、汚い、埃塗れ――黴の臭いが充満した牢獄を思い出し、嘔吐しそうになる。
「助けてって言ったのに!わたくしはずっとそこにいたのに!誰も答えてくれない!必要とされていないッ!」
彼女の言葉が、心を抉る。
『親にも友達にも捨てられちまったんだ。
もうお前死ねよ』
思い出したくない記憶が、封じていたはずの記憶が、抉られた心から血のように吹き出してくる。
全身の血が引き、呼吸が苦しくなって膝から崩れ落ちる。
震えが止まらない己の体を、きつく抱きしめた。
「だったらもう消えてなくなればいい!見てもらえない絵画に、いったい何の価値があるの!?」
自分の存在価値への問い。
彼自身でも出せていない答え。
考えないようにしていた命題を突きつけられる。
そんなものに延々と悩まされるならば。
いっそのこと消えた方が楽なのではないか。
全てを壊して終わらせてしまえば楽になれるのではないか――光が消えたマルクの瞳から、自然と涙が零れた。
彼の翼の先端が、美しい黄金色から毒々しい赤紫色に変わっていく。
「……確かにそこにいるのに、認識すらされないって辛いデスよね……」
ずっと黙っていたウィズが、ポツリと漏らした。
伏せられた黄色い瞳には深い悲しみが浮かんでいる。
翼の全てが変色する寸でのところでマルクはハッと我に返り、彼を凝視する。
「あんたになにがわかるのっ!
知ったような口を利かないで!」
「知っているから、言ってるんデス」
「黙れっ!」
彼女から絵具を固めた弾丸のような物がウィズに向かって放たれた。
彼は微動だにせず、そこに立ち尽くしている。
あぶない!とマルクが反射的に手を伸ばしかけるが、距離的にどう考えても間に合わない。
今から防御壁を張っても間に合わないだろう。
これから起こりうる凄惨な光景を想像してしまい、マルクは思わずギュッと目を瞑った。
べちゃ、と肉が潰れる濡れた音がした。
やはり駄目だったか、とマルクは唇を噛み締めた。
しかし聞こえてきた悲鳴は女性のものだった。
彼はおそるおそる目蓋を上げ――すぐに目を見開いた。
「……え?」
マルクは息を呑んだ。
ウィズの右肘から先が、“綺麗に”無くなっていた。
血は出ていなく、彼の周りは普通ならばあるはずの血飛沫も何もない。
切断されたというよりは、まるで最初から存在していないかのようだ。
「ねぇ……ミーなんて、本当はボディすらないのデスよ?」
おもむろに顔を上げたウィズは、ニッコリと笑っていた。
そこには一片の狂気もない。
あまりにも無垢で、無邪気で、純粋で……だからこそ気味が悪かった。
マルクの背中にぞくりと悪寒が走る。
「生まれたときから他人に見てもらえるボディがあるなんて……」
唇の端が更に吊り上がり、黄色い瞳から光が消えた。
カクン、と不自然なほどに首を傾けた彼の口からは、クスクスと笑い声が零れている。
マルクは全身が粟立っているのを感じていた。
先程とうって変わって明らかに狂気じみている。
人として何かがおかしい……いや、人かどうかすらもわからなくなるような目の前の男が、彼の知っているウィズと同一人物だということを認めたくなかった。
「たとえ他に主張できなくてもサァ……自分がどういうものかくらいは認識できるデショ……?
自分の姿がわからない……なんてことはなかったデショ……?
自分が何か、それくらいはわかっていたデショウ?
そうデスよね、絵画デスもんね!
ユーは絵画というカテゴリに所属する存在ということは、最初からわかっていたデショ?
ああ、それがミーには羨ましくて仕方がない。
…………妬マシイ」
ピシ、と音を立てて彼のモノクルに罅が入る。
爆発的な魔力を感じ、本能的にマルクは後ずさりした。
ウィズの左の掌から赤い電撃がピシピシと鳴った。
狂気、憎しみ、嫉妬、そして悲しみ……圧倒的すぎる負の感情が、マルクの心に流れ込んでくる。
胃が引き攣り本日二度目の吐き気を催し、彼は口元に手をやった。
ドロシアの言葉を聞いたときとは、また違った種類の衝撃と痛みが彼の身を襲った。
逃げろ、と本能が叫ぶが脚が震えて何もできない。
まるで脚が地面に縫い付けられたかのように、一歩もそこを動くことができなかった。
「うあっ……!」
目が眩むくらいの強い光がウィズを包んだ。
マルクは咄嗟に自分の目を覆った。
とても強い魔力だ。
これをドロシアに向ければ、間違いなく彼女は消滅するだろう。
破壊を司る彼だからこそわかる。
咄嗟にマルクは「逃げろ!」と叫びそうになり、しかし違和感を覚えて言葉を詰まらせた。
「違う、これ、ウィズからじゃなくて……?」
魔力の波長は人によって異なり、ウィズの魔力は相当に強いものだ。
しかし今感じるものは、それよりも数段強力なものだった。
その瞬間、強い“青色”の光が爆ぜた。
その後光はふつりと途切れ、ウィズは糸の切れた操り人形のようにペタンと座り込んだ。
生気の感じられないその顔は、死人のように真っ白になっていた。
「ウィズ!?」
我に返ったマルクは彼のもとへ飛んで行った。
呆然とする彼を揺さぶり、必死に呼びかける。
「ウィズ!どうしたのサ!?」
「嫉妬は……何も生まない……」
掠れた声で、うわ言のように呟く。
一切の表情を失った彼は、よく作られた人形のようだった。
何も映さない空っぽの黄色い瞳は、さしずめガラス球とでも言おうか。
何度か目の呼びかけで、ようやく彼はマルクの方を向いた。
「……ああ、本当にこれは……ソウルを削られる感じなんデスね……ユーの言う通りだ」
空っぽの瞳で笑い、ゆっくりと手をあげるとマルクの頭をわしゃわしゃと撫でる。
その手は冷たいが、優しかった。
訳が分からなくされるがままでいる彼に、ウィズは小さく笑う。
「マルク……ユーなら、ユーならできマスよね?
痛みを知っているユーなら、ね?」
空っぽの瞳が縋るそれに変わる。
マルクは真っ直ぐにそれを見返し、小さく頷いた。
「……試してみる」
自分が“何をすべきか”、は正直わからない。
しかし彼には“やりたいこと”はあった。
スッと立ち上がると、ドロシアに向かって跳躍した。
「……来ないでっ!」
彼女はハッと我に返ったかのように弾丸を繰り出した。
色鮮やかな弾丸が、次々に彼に向かって飛んでくる。
マルクはそれを素早くかわしながら、懸命にひたすらに脚と金色の翼を動かした。
「うあっ……!」
かわしそびれた一つの弾が、肩に直撃する。
幸い血は出ていないようだが、鈍い痛みが走った。
しかし決して立ち止まらず、彼は飛び続ける。
止まるわけにはいかなかった。
彼と彼女は、写し鏡だった。
感じた痛みはひどく似ていた。
だからこそ言えることがあったから。
どうしても伝えたいことがあったから。
痛みに耐え懸命に身体を動かしながら、彼は叫ぶ。
「ドロシア!!
キミ、本当は消えたくなんかないんだろ!?」
「違う!!」
「じゃあなんでいつまでもこんなところにいるんだよ!?」
ドロシアは言葉を詰まらせた。
しかしすぐに口を開き絶叫する。
「だって!生きててどうなるっていうの!?
じゃあわたくしの存在価値、理由を教えてよ!」
「そんなのボクだってわかんないんだよ!」
思いもよらなかったのか、再び彼女は言葉に詰まった。
「ボクだって絶賛捜索中なんだよ!
ボクが聞きたいくらいサ!
悩んでんのはな、キミだけじゃないんだよッ!
自分だけが悩んでると思うな!」
溢れ出そうになる自身の過去の記憶を押さえ付けながら、自身の気持ちを吐露していく。
もう彼自身、何が言いたいのかよくわかっていなかった。
ドロシアは何も言わなかった。
いや、言葉が見つからなかった。
「そんなもん自分で探せって言いたいくらいだ!
でもな、こんなところで死ぬくらいなら……」
叫びながら、無我夢中に彼女との距離を縮めていく。
そのまま彼女に向かって真っ直ぐに掌を差し伸べた。
「こんなとこで消えるくらいならボク達の仲間になれッ!
それを一つ目の理由にでもしやがれ!
他の理由なんて知らないから、それは自分で探せッ!
死ぬなら本当に絶望しきって最終的に死ね!
ああもうめんどくさいとりあえずこっちに来いよ!」
それはあまりにも無責任で強引で無茶苦茶な暴論で。
「で、でも……」
「少しでも未練あるならこっち来い!」
二度死にそびれた彼の、正直な気持ちだった。
マルクは腕がちぎれそうになるほど、強く腕を伸ばした。
叫び続けた声帯はすでに限界を迎え始めている。
こんなこっぱずかしいこと、本当は口にしたくなかった。
らしくないこともキャラじゃないこともわかっている。
それでも、叫ばずにはいられない。
どこか自分と似ていることがわかっていたから。
彼女の気持ちを十分すぎるほどにわかってしまっていたから。
彼女自身も理解していないだろう想いを、気付かせたいその一心で。
「消えるなら本当に絶望してから、全部諦めてから消えろ!
そうじゃないなら足掻けよッ!
いざとなったらボクがお前を消してやるのサ!
ボクの力なめんな!」
少し躊躇うような間が空く。
しかしドロシアの身体から、粘着質な音を立てて白い掌が突き出した。
「消えたく……ない……まだ……わたくし……っ!」
蚊の鳴くような声で、そう呟く。
その手はフラフラと彷徨っていた。
マルクはそれを強引に掴み、そのまま強く引っ張った。
「うッ……!」
肩に強烈な痛みが走る。
しかしここで離すわけにはいかなかった。
痛みに耐えてもう一度強く引っ張ろうとしたとき、彼の後ろからもう二本の腕が伸びた。
彼女の腕をしっかりと掴む。
「ついでにもう一つ、存在理由をくれてやりマスよ」
驚いた彼が振り向くと、ウィズがへらりと笑っていた。
先程までの表情は綺麗サッパリ消えている。
「ドロシア、ミーたちとハルカンドラ王国を復活させるのデス!」
ウィズが言葉を言い終わったと同時に、二人は確かな手ごたえを感じた。
崩れかけた彼女の身体から“人の肉体”がずるりと引き抜かれる。
刹那、白い光が爆ぜて――極彩色の世界が瓦解した。
崩れていく鮮やかな世界に、一人の女性が立っていた。
ウェーブのかかった薄紫の髪が、豊かに揺れている。
優しく細められた瞳は、つい先ほど見た青色をしていた。
「キミは……」
マルクは思わず手を伸ばした。
ボクはこの人を知っている、でも誰だか思い出せない。
懐かしさが胸を締めつけ、自然と手が伸ばされる。
思考はまとまらず、離散し、浮き上がり……
ブツン、と途切れた。
***
少しの浮遊感の後、マルクは何か硬くて柔らかいものの上に背中から落ちた。
しかしあまり衝撃は感じず、怪我もしていないらしい。
無事に帰って来たのかと安堵した瞬間、腹部に強い衝撃を感じて咳き込んだ。
「ご、ごめんなさい……!」
女性が彼の上から慌てて飛びのいた。
どうやら女性――ドロシアはマルクの上に着地したらしい。
痛みで微妙に視界がぶれていたが、マルクは改めて彼女の姿を見た。
水色の髪がサラサラと零れる、美しい婦人だった。
きっとこれが本来の彼女の姿なのだろう。
「だ、大丈夫なのサ……気にしないで……怪我はないのサ……?」
「え、ええ、ありがとう。
わたくしは大丈夫よ……あと、貴方もなるべく早く退いてあげた方がいいと思うの……」
遠慮がちにドロシアにそう言われ、マルクは「え?」と間抜けな声を出した。
一方グリルとランプキンは今にも吹き出してしまいそうなほどに笑いを堪えている。
マルクがゆっくりと視線を下にずらすと、赤いマントが見えた。
「あ、ウィズだ」
「反応それだけデスか!?」
どうやらウィズを下敷きにしていたらしい。
道理で衝撃が少なかったはずだ、と申し訳なさの欠片も抱かずにマルクはそこを退いた。
ウィズはむくっと起き上がると(多少ふらついてはいたが)いつものようにへらっと笑った。
「たっだいま~!疲れマシタ!」
「ウィズ、その右腕はどうしたのですか?」
気楽なウィズと対照的なランプキンの厳しい声に皆が一瞬氷のように固まった。
マルクも彼の右腕を見て息を呑んだ。
ウィズの右腕の輪郭は、不自然にぼやけていた。
「ど、どうしたのサ?」
問うマルクを見ながら、ランプキンは眉をひそめていた。
まるで、共に居た彼が事情を知らないことを咎めるかのように。
そんな目をされても知らないものは仕方がない――とまで考えて、マルクはふと違和感を覚えた。
何か、とても大切なことを忘れている気がした。
しかしそれが何かは思い出せない。
少し間が空いてから、ウィズはドジっ子よろしくペロッと舌を出した。
「……転んじゃったのデス☆」
「嘘だ!
あと☆が凄くウザいです!」
「じゃあさっきのマルクのせいデス!」
「はあぁ!?」
「マルク……貴方はなんてことを……。
……話は変わりますが貴方は鞭と蝋燭はどちらがお好みですか?」
ランプキンは真顔のままどこからか鞭と蝋燭を取り出す。
マルクはさーっと全身の血の気が引いていくのを感じた。
マゾヒズム的な趣味を持ち合わせていない彼にとっては拷問に他ならない。
「濡れ衣だから!濡れ衣だから!
しかも何その絶望的な二択!?
ボクはそんな趣味ないよ!」
「おおお落ち着いてランプキン!
多分嘘だよ!マルクはそんなことしない!」
珍しく感情的なランプキンをグリルが必死に止めようとし、マルクは彼女の影に隠れてなんとかなり過ごそうとしている。
一方、当事者のはずのウィズはケラケラと笑っていた。
どうしたらいいのかわからないドロシアはおろおろすることしかできない。
何ともカオスな絵面である。
「違うんデスよー、実はドロシアとドンパチしちゃいマシてねっ!」
「え、ええ、そうなの……ごめんなさい」
マルクは首を捻った。
ドロシアも不思議そうな顔をしている。
何かが不自然な気がした。
致命的な齟齬をきたしている気がした。
ドロシアの世界に入ったことは覚えている。
暴走した自分の体験談を話したことも覚えている。
ドロシアに言った言葉はだいたい覚えている。
しかし、細かいことを思い出そうとするとどうしても頭に靄がかかってしまう。
思考が上手く纏まらず、そのストレスが頭痛となって表面化する……思い出すということが、苦行にしかならない。
「イエイエ!みーんなこうして無事に帰ってこれたのでいいのデスよ!
腕ももう少しで治りマス!」
ウィズはニッコリと笑う。
そうだ、何があったのかがわからなくとも、ドロシアを無事に救うことができたのだ。
ウィズの腕のことは気になるが、彼を見ている限りあまり大したことではないらしい。
全てが上手くいったのだから、細かいことは気にしなくていいじゃないか――そうマルクは自分を納得させた。
「イヤイヤー、ミーもついつい熱くなっちゃいマシた!
とってもエキサイティングで映画化したらそりゃ儲かりそうなほど」
「……あまり心配させないでくださいね」
けらけらと笑うウィズに対し、ランプキンは悲しそうな表情を浮かべていた。
ウィズの笑顔が固まり、一瞬だけ眉根をギュッと寄せる。
それはまるで泣くのを堪えているかのようで。
見たことの無い彼の表情に、マルクとグリルは息を呑んだ。
「……ごめんなさい」
そう言いながらウィズは頭を下げる。
いつものふざけたそれとは違う、本気の謝罪だった。
ランプキンは一瞬だけ目を見開き――プイ、とそっぽを向いた。
「……何急にしおらしくなってるんですか気持ち悪い」
「ハッ!?酷くないデスか!?
せっかく人が謝ってるのに!?」
バッと顔を上げたウィズも負けじと言い返す。
どうやら互いに照れているらしい。
そのまましばらく言い争いを続けていたが……言い負かされたウィズは、ランプキンから逃げるかのようにドロシアの方に向き直った。
「さ、さて、話は変わりマスが……ドロシアにいったい何が起きたのデスか?
できれば説明していただけるとありがたいのデスが」
「えっと……どこから話せばいいのかしら。
微妙に記憶があったりなかったりするのよね」
「わかる限りで構いマセンよ」
「ええと、わたくしは……昔、魔法使いに描かれたわ。
描かれたそのときから、わたくしは意識を持っていた。
同じ様に絵の仲間もいたわ……。
昔はわたくしを見てくれる人もたくさんいて、嬉しかった。
でも……いつからか、見てくれる人がいなくなった」
そこでドロシアは目を悲しそうに伏せた。
長い睫毛が、黄色い瞳に影を落とす。
「……更に長い時が経つにつれて、段々絵としてのわたくしの身体が、風化して崩れていったの。
それは仲間もそうで……少しずつ声がしなくなったわ。
段々と薄れていく意識の中で、消えたくないってずっと思ってた。
そうしたらこれが……」
ドロシアが取り出したのは、かつてカービィを導いた魔法の絵筆だった。
淡い虹色に輝くそれは、絵筆自体が芸術品といっても過言ではないほどに美しい。
ウィズは感嘆の声を上げ、慎重にそれに触れた。
「この絵筆はおそらく女王が創ったものデス。
ポップスターのスターロッドとあの怪盗の持つトリプルスターに並ぶレアモノデスね」
「わたくしはこの絵筆で生み出されたの。
そしてこれのおかげで……わたくしは実体を得たわ」
「……絵筆が貴女の願いを叶えた、ということですか」
ランプキンの問いに、ドロシアは小さく頷いた。
「この世界に出て……わたくしは驚いたわ。
こんなにも綺麗な世界……“本物”を見せつけられて、創られた“偽物”のわたくしは惨めだった。
いつの間にか、わたくしは世界……ポップスターを欲していた。
どうしてとか、自分でもよくわからないの……理屈じゃなくて、絵のわたくしが言うのもアレだけど、本能的に……って感じで……」
「それで魔力に呑まれた、と」
「……だいたいボクと同じなのサ」
彼も過去に、自分でも制御できないほどの征服欲に駆られたことがあった。
あの黄色い惑星に心惹かれ、狂おしいほどに渇望した記憶は、まだ鮮明に残っている。
「なるほど……征服欲や魔力に呑まれる原因も……少しずつわかってきマシタ」
「どういうことなの?」
「“今は”語れマセン。
参考資料が少ないので確証が……そうデスね、あと一人くらい同じ現象が起きたら説明しマショウね」
悪戯っ子のように笑う彼。
何を企んでいるのか、その目は生き生きと輝いていた。
マルクには嫌な予感しかしなかった。
そしてその予感は、後々当たることとなる。
「それより気になるのは……何故これはドロシアを裏切ったのデショウ?
ポップスターの危機だったとは言え、一応ハルカンドラの者に従事するのが最優先だと思うのデスが」
たしかに、とマルクは思った。
絵筆はカービィを導き、所有者であるドロシアを倒す時でさえカービィの味方をした。
ハルカンドラの魔力で造られたものは、同じ力を持つ彼らの子孫――絵画にさえ忠実だ。
だからこそ消滅から逃れたいドロシアの強い願いを叶え、実体化させたのだ。
ランプキンもマルクも、首をかしげる。
答えを見いだせず、沈黙してしまった。
「あ、あのね、裏切ったんじゃないと思うんだ」
その沈黙を破ったのはグリルだった。
皆の注目が一斉に彼女に集まる。
「どういうこと?」
「誰かが魔力に呑み込まれかけたドロシアを助けたかったんだと思うんだ。
それをできるのは、きっとカービィだって思ったからカービィに力を貸したんだと思う。
それがドロシアを描いた人なのか、絵筆を創った女王様、もしかしたら絵筆自身なのかはわからないけど……。
誰も見てないなんてことなくって、誰かがあなたを見ていて、助けたいと思ったんだよ」
ドロシアの目が大きく見開かれた。
ランプキンが成る程、と呟く。
「その発想はありませんでしたね……。
絵筆も意志をもっていますし、あり得ない話ではありませんね。
むしろ最有力説といっても過言ではなかと」
「ボクちんはそう信じてるよ。
それに、ドロシアは自分を“偽物”というけれど、ボクちんにとってはキミが“本物”なんだよ!」
懸命に選びながら、しかし本心から言葉を紡ぐ彼女を、ドロシアは食い入るように見つめている。
その瞳には薄い透明な膜ができていた。
今にも壊れそうにゆらゆらと揺れている。
「もうキミは一人じゃない、ボクちんたちがいるよ!
だから……一緒に行こう?ね?」
手を差し伸べながら満面の笑みを浮かべるグリル。
ドロシアがおずおずと手を伸ばすと、グリルはギュッとその手を握った。
「……あったかい」
そう呟いたドロシアの瞳から涙が溢れる。
その透明な宝石は、どんな芸術品よりも美しく輝いていた。
その光景を見ていたマルクは、いつかカービィに言われたことを思い出していた。
『マルクと、もう一度会って、仲直りして、遊びたかったの……』
『だから、いっしょにかえろう?』
たったそれだけの言葉に彼がどれだけ救われたことか。
もうどうにでもなれと思っていた彼が、また生きたいと思えた。
あのとき何故そんな風に思えたのか、彼は今更ながら理解した。
全てを失った孤独な彼が求めていたものは、共に笑い合える友人だった。
唯一無地の友人だった“彼”のように、自分の存在を認めてくれる人だった。
たとえ明確な理由がわからずとも、仲間の存在も自分の存在理由になる。
誰かが自分を求めてくれる、受け入れられる、ただそれだけの単純ことでも「生きたい」という力になる。
例えそれが綺麗事でも、救いになるのならば。
それでいいのだろう、とマルクは心の中で呟いた。
「わたくしを……わたくしを、貴方達の仲間にしてください」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、ドロシアは笑顔でそう言った。
彼女の言葉に、4人の魔法使いたちは大きく頷いた。
NEXT
→あとがき
The Wicked Witch!」
男の無駄に高らかな歌声が、極彩色の世界に反響する。
不穏な歌詞と楽しそうな旋律を、どこかで聴いたことがあると思案しながら、マルクはその後についていく。
「She's gone where the goblins go,Below, below, below. Yo-ho……」
「えーと、楽しそうなところ邪魔してすみませんが」
ランプキンがこめかみを押さえながら問いかると、ウィズは彼の方に振り返った。
歌を妨害されたことについては何とも思っていないらしい。
「ウィズ、ここはどこですか?
そしてこの気配は……?」
問われた彼はピョンピョンと飛び跳ねながら身体全体を彼の方に向けた。
仕草だけなら無邪気な子どものようだが、仮にも成人男性の見た目をしている彼がするとむしろ不気味にも見える。
そのままの調子で後ろ向きに歩きだした。
この世界のどの赤よりも鮮やかなマントが、彼の動きに合わせて踊る。
「さぁ?どこデショウ?」
「わからないから聞いているのですが」
ランプキンの声には微かな怒気が込もっていた。
いきなり説明もなく連れてこられたのだ、その怒りも尤もだろう。
マルクは無言のまま心の中で彼に同意した。
実際、彼らはここがどこなのかがわからなかった。
簡単に言えば赤や青、黄色などの絵具を滅茶苦茶にぶちまけたような世界だ。
何も触れることができないし、この空間がどこまで続いているのかもわからない。
現実感はともかく、やけに立体感が無く不気味な世界だった。
「怒らないでくだサイな。
簡単に言えば2次元と3次元……リアルとピクチャのワールドが交じり合った状態デス。
さしずめ2.5次元とでもいいマショウか……」
「……なんだか一部の人にはすごく羨ましがられそうな世界だね」
苦笑を漏らすグリルに、マルクが頷いて同意した。
「でも何故そんな世界に?」
「臭うんデスよねぇ……」
「臭う?」
マルクが鼻をひくつかせながら辺りを見渡す。
どこかで嗅いだような臭いがして、彼は顔をしかめた。
少しツンとした臭いと、油のような臭い……どこか懐かしさを感じさせるものだ。
「これ……絵の具の臭い?」
グリルの言葉に、マルクは「ああ」と声を漏らした。
昔、学校に通っていたころに嗅いだ臭いだったのだ。
通りで懐かしいはずだ……と封印したはずの昔のことを思い出しそうになって、慌てて首を振る。
「グリルは鼻がいいデスね!
このネームを知っていマスか?
プププランドを絵に変えたウィッチ、『ドロシア・ソーサレス』!」
マルクが息を呑む。
どうせ知っていると踏んでいたのだろう。
ウィズはマルクの反応を楽しむかのようにニヤニヤと笑っていた。
「ドロシアはカービィが倒したって聞いたけど」
「らしいデスね……星の戦士だけあって彼女は手強いデス。
以前闘った時、死なないはずのミーが死ぬかと思いマシたもん」
ウィズは大げさに肩をすくめた。
一度彼女と闘ったことのあるマルクもうんうんと頷く。
「わざわざ貴方が出向くということは……彼女が例の魔力を持つということですか?
しかし彼女は絵なのでは……」
「でもドロシアは実体化して動いてたのサ!
……それも魔法なのサ?」
「誰かが魔法をかけたの?それともドロシア自身が意思を持ったの?」
三人の質問攻めに、ウィズはまたも大げさに肩をすくめた。
その様子は全く困ったようには見えない。
「ミーもシステムはわかりませんが、多分意思を持ったのだと思いマス。
……考えられるとしたら、ハルカンドラの魔力を持つアーティストに描かれたか、絵筆がハルカンドラ製かそれとも……絵具にハルカンドラ人のブラッドが使われてるとか、ね」
そのブラッドはどんなカラーなんデスかね?とクスクスと笑う。
純粋な好奇心と、ほんの少しの悪意が入り混じった表情だ。
ゾクリ、と彼らの背筋に寒気が走った。
ウィズはふと立ち止まると、大袈裟に手を広げた。
「はてさて、悪いウィッチは星の戦士に倒されマシた。
めでたしめでたし!
……デスが、ウィッチは舞台に取り残されてしまったようデスね?」
舞台で歌い上げるかのように高らかに問いかける。
三人は観客の如く一瞬だけ沈黙した。
「要は迎えに行く、ということですか」
「That's right!
さっすがデスね!」
へらっと笑ったウィズが拍手をする。
そのまま数歩進んでから周りを見渡し、クルリと回りながらパチンと指を鳴らす。
彼の背後に赤い魔方陣が現れ、血を固めて作ったかのような真紅の扉が現れた。
ウィズが紳士のように深く礼をすると、扉がギィィ……と音を立てて開いていく。
絵具の強い臭いがむあっと立ち込めて、思わずマルクは顔をしかめた。
「さあ、彼女の奥深くに入ってみマショウ?
……いったい彼女のソウルは、どんなカラーをしているのでショウかねぇ……?」
ウィズは笑う。
楽しくて仕方がないかのように。
その笑みはどこか不吉で、嫌な予感がした。
***
扉の向こうは、先程までと比べると意外にも落ち着いた色合いをした空間だった。
……いや、色褪せたと言った方が正しいかもしれない。
色からは明らかに彩度が失われていた。
ウィズを先頭にしばらく進んでいくと、絵画を思わせる大きな額縁があった。
くすんだ空間の中で鮮やかな色彩に飾られたそれは、文字通り異色を放っている。
キャンバスに当たる部分は、まるで海面のようにゆらゆらと波打っていた。
鮮やかな色も褪せた色も寒色も暖色も無秩序に入り乱れている。
その中心はうず潮のようにグルグルと黒い渦が巻いていた。
「う、あ……っ!」
「グリルッ!?」
グリルが唐突に頭を抱え膝を付いた。
何かに怯えるかのように顔色は真っ青で、身体がピクピクと痙攣している。
咄嗟にランプキンが治癒魔法を施した。
「グリル、大丈夫なのサ?」
「ごめんね……なんか、この絵?を見たら頭が割れそうに痛くなって……」
力無く笑いながら立ち上がる彼女を、マルクは支えた。
まだ少し震える彼女の頭をあやすように撫でてやる。
ランプキンも軽くこめかみの辺りを押さえていた。
「……なんなんですかね、これ……とても懐かしくて……忌まわしい」
「多分暴走した魔力による影響デスかね。
強い魔力は周囲の人にも影響を与えマスから……ね?」
ウィズは意味ありげな笑みを浮かべながらランプキンを見つめる。
彼はその視線から逃れるように目を逸らした。
彼にしては珍しいその反応に、マルクは不思議そうな表情を浮かべた。
「マルクは大丈夫ですか?
どこか痛みはありませんか?」
「んー…凄い力だって言うのはわかるけど、痛いとかは全然ないのサ」
それを聞いたウィズは、にわかに目をキラキラと輝かせた。
「Oh、だったらユーはミーと来てクダサイな」
「え?どこに行くのサ?」
「この中デスよ」
そう言いながら真っ直ぐに絵画を指さす。
マルクの頬がヒクッとひきつった。
「え、やだ」
「2人はここから支援をお願いしマスね。
入ったらランはまだしもグリルはヤバそうデスし」
「ちょっとウィズ、人の話聞いてるのサ?」
「これ以上世界が崩れないようにお願いしマス。
適当に弄れば大丈夫デスよ」
「簡単に言いますけどねぇ……大変なんですよ?
私の守備範囲は縦ですし、横軸はあちらさんのお仕事ですから」
「……まったく聞いてないみたいだね」
最早マルクが行くことは決定事項らしい。
拒否したとしても、強制的に連れて行かれることだろう。
項垂れる彼の背中を、励ますようにグリルがポンと叩いた。
***
「二次元に入った気分はどうデスか?」
「……変な感じなのサ」
結局マルクは半ば強引に絵画の中に連れて行かれた。
この場所は、重力というものを全く感じられない。
しかし周りの空気はどこか色づいているようで、色水の中を泳いでいるような気分だった。
といっても呼吸は問題なくできるし、冷たさも感じない。
強いて難点を挙げるならば絵具の臭いがきつい点くらいだった。
「……マルク、聞こえますか?」
マルクの頭の中に、ランプキンの声が直接響いてきた。
さりげなくウィズの方を見てみるが、彼にはどうやら送っていないらしい。
珍しい、と純粋に思った。
何かあったのならばウィズの方に先に連絡をしそうなものなのに。
「どうしたのサ?」
「ひとつ、貴方にお願いがありまして」
「なに?」
ランプキンは言葉を選ぶように詰まらせた。
時間にしてはわずか数秒に過ぎないだろうが、飄々としている彼にしては珍しいことだ。
何だか今日のランプキンはおかしい、とマルクは眉をひそめた。
「ウィズに、彼女を“喰わせる”のだけは止めてください」
「喰う?性的な意味で?」
「おおよそ物理的な意味でですね」
ふざけた問いに真面目に返されて、今度はマルクが一瞬言葉に詰まった。
「どういうことなのサ?
まさかカニバ的な?」
「……簡単に言えば、魔力の吸収です。
彼女を糧にする、ということですね」
ランプキンの言葉で、マルクの記憶が蘇った。
思い出したくない記憶の片隅に、彼の言葉が微かに残っている。
『まったく、面倒デスね……力さえ得られればいいから喰い殺してしまいまショウか?』
黄色い瞳に宿った陰惨な光。
肉食獣か猛禽類を思わせるそれは、明らかに獲物に狙いを定めたものだった。
忘れていた彼の恐ろしい一面が心臓を縮こませる。
「私は……彼が傷つく姿を見たくありません」
「傷つく……?」
ランプキンの声色はひどく暗かった。
魔力を吸収するのならばむしろ回復するんじゃ?と問おうとしたが、彼の雰囲気がそれを許さない。
それほど大切なことなのだろう。
興味はあるものの深く聞かないことが得策だろう、とマルクは判断した。
「わかったのサ」
「ありがとうございます。
……こちらはグリルのおかげでなんとかなりそうなので、貴方たちも頑張ってください」
そこで声は途切れた。
彼がふうと一息付いたところで、数歩先を進んでいたウィズがくるりと振り返った。
「トーキングは終わりマシタかー?」
ぎくり、とマルクの心臓が跳ね上がった。
一気に鼓動が激しくなる。
「安心してクダサイ、内容まではわかりマセンから!」
へらっと笑いながらそう言っているが正直あまり信用ならない。
彼は鋭い牙を持っている。
それを忘れさせるほどの、年季入りの演技を見抜くのは困難を極める。
実際彼の考えていることは、ランプキンくらいしかわからないだろう。
「ていうか、本当にユーはここにいても大丈夫なんデスね」
「……多分、ボクは同じような経験をしたことがあるからだと思う。
前ボクも暴走したじゃん。
確証はないんだけど、なんとなくそんな感じがするのサ」
「へぇ?
……それ、どんな感じデスか?」
「うーん……自分が自分じゃなくなるというか……。
自分が何をしているのか、何をしたいのかもわからなくて、とりあえず目の前の物全部壊したかった。
説明しづらいんだけど、強いて言うなら少しずつ精神……いや、魂が削られていく感じ……?
実際魂があるかなんてわかんないけどサ」
同じような経験……それは、彼がカービィと闘った時のことだ。
ノヴァの力を吸収した彼は、その魔力に耐えきれず暴走してしまった。
カービィに倒されたことで解放されたが、そのときの感覚は今でも鮮明に思い出せる。
「ソウルが、ねぇ……やっぱりミーの知っている暴走とは違いマスね。
ミーが見てきたのは、ボディ側がパワーに耐え切れなくなってブロークンするものデスから」
「なにそれこわい。
……ウィズ、そんなもの見てきたんだ」
「エエ、嫌になるほどね。
崩れていく身体を目の前で見るのは、しんどいものがありマス」
笑ってはいるものの、少し眉は下がっていて。
マルクは不思議だった。
目の前で人体が壊れるなんて、見ていて気持ちのいいもののはずはない。
現に目の前の男は辛そうな顔をしている。
そんな思いをしてまで、どうしてハルカンドラに固執をするのか不思議で仕方が無かった。
その疑問をそのまま問えば「それがミーの存在理由だからデスよ」と返ってくる。
「存在、理由……」
小さく呟くマルクに、ウィズは頷く。
「ハルカンドラ王国は銀河戦争のときに、ナイトメアに滅ぼされたというストーリーはもうお話ししましたよね?
ミーはその意志を継ぐ存在。
その意志を遂げるために……すなわちハルカンドラ復活のために、いるのデスよ。
だからどんなに嫌でも辛くても使命は全うしなければならない……どんな手を使ってでも。
そうでなければ、ミーがここに居る理由がなくなってしまう」
マルクは何も答えられなかった。
言いたいことはたくさんあるのに、言葉が喉につっかえて出てこない。
ウィズは少し帽子を下げて、いつものようにへらりと笑った。
「でも不思議なものデスね。
誰よりも本来覚えていそうなユーにそう問われるなんて」
「は?ボク?
それってどういう……」
「だってユーは、ハルカンドラ最後の女王の……」
ウィズの言葉が終わる前に、不意に視界が切り替わった。
まるで勢いよく水中に飛び込んだかのようだ。
世界の色が濃くなって、ぐるぐるとマーブル模様を描く。
その光景は禍々しくもどこか美しい。
マルクは思わずその光景に見惚れていた。
「ようやく最深部デスね。
あれが……ドロシアデスよ」
ウィズが指示したそれは、崩れかけた球形の姿をしていた。
黄色い目玉のようなモノが、ギョロギョロと絶え間なく動いている。
勝手にヒト形をしたものを想像していたマルクは、ヒッと小さく声を漏らした。
「ミス・ドロシア。
ミーの声が聞こえマスかー?」
場違いな程に明るい声で、しかもブンブンと手を振りながらウィズは声をかけた。
返事はなく、女のすすり泣くような声がするだけだ。
まあ当然だろう、これで明るく「はーい!」なんて返って来るなんて、それこそアニメやファンタジーの世界だろうとマルクは心の中で毒づく。
「レスポンス無し、か。
ああそうだ、いっそのこと……」
「ッ、だめ!」
「Why?」
「な、なんでって……」
理由を説明するわけにはいかないが、こういう時に限って得意の口から出任せが出ない。
口を噤むマルクに、ウィズは寂しそうに笑いかけた。
「やっぱり、ね。
どうせランに何か言われたのデショウ?
……本当に心配性なんだから。
まあ、何が起こっているのかよくわからない魔力を喰うほど、今のミーは飢えていマセンよ」
その声色は意外なほどに優しく、寂しそうだった。
「今の」という言葉に含みを感じずにはいられないが、とりあえずは目の前のことに集中するべくだろう、とマルクはドロシアに向き直った。
ドロシアからは無言の拒絶の意を感じられた。
近づこうと歩みを進めてみたが、なかなか距離が縮まらない。
「このワールドのルールが彼女デスからね」
「……ねぇ。
ドロシアは、死にたがってるのかもしれないのサ。
ボクもあのとき、もうどうにでもなれって自暴自棄にもなっていたと思う。
ボクらに、アイツを止める権利はあるのサ?」
マルクはそう問わずにはいられなかった。
彼女はあのまま消えることを望んでいるのかもしれない。
だったら放っておいた方がいいんじゃないか――彼の歩みは自然と止まっていた。
自分たちがやろうとしていることが本当に正しいのか、わからなかった。
「ミーには何かにしがみ付いているように見えマスけどね……」
え、とマルクは顔を上げる。
ウィズは普段からは想像できないほどの真剣な顔で、彼女の方を見つめていた。
「全てを諦めているようで、実は望んでいる。
……本当に救いを求めていないならとっくに消えてるし、ミーたちもこんなにここまでスムーズに入れなかったはずデス」
ミーたちを完全に拒絶することだってできたはずデス、と彼は続けた。
たしかに一理あった。
誰にも邪魔をされずに消えることだけが願いなら、いくら彼らでももう少し侵入に苦労したはずだった。
そもそもカービィに倒された時点で完全に消滅してしまってもよかったはずだ。
特にドロシアの場合はあくまでも生命体ではない。
本能で生にしがみついているというわけではないだろう。
「消えたい気持ちもたしかにあって、でもギリギリのところでまだ諦めきれてない……まだ何か、希望がある。
ミーにはそう見えマス。
ユーは違いましたか?」
「ボク、は……」
マルクの瞳が揺れる。
ドロシアは何を望んでいるのか。
それがわかれば現状を打開できるのかもしれない。
しかし会ったばかり、それどころか会っているのかどうかすらも謎なこの状況で、彼女の望みなど到底わかるはずがない。
彼女の望みは、彼女に聞くのが一番早い。
マルクは拳をぎゅっと握りしめた。
一度大きく深呼吸をし、半ば睨み付けるようにドロシアに向き直る。
「……ドロシア!
話を聞いてほしいのサ!」
マルクの声が響く。
しかし彼女は何も答えない。
聞こえているのか、聞こえていないのか、それすらもわからない。
ただひたすらにすすり泣いているだけだ。
「聞こえてないのサ!?」
何度も彼女に問いかける。
その様子をウィズは驚いたような目で見ていた。
実はマルク自身も、何故そんなに必死になっているのかわからなかった。
「おいちょっとくらい聞け!」
もはや半分怒声のようになっている。
それでも叫ばずにはいられなかった。
どうしようもなく彼女に惹き付けられた。
彼にしては珍しいほどに「どうにかしてやらなくては」という気持ちが強かった。
「…………………………………………………わたくしの存在理由は何?」
初めて彼女が発した、ようやく返ってきたその言葉。
しかしそれはマルクの心に鋭く爪を立てた。
ズキズキと痛み始める胸を無意識に抑え付ける。
「誰もわたくしを見てくれない!みんなわたくしを捨てた!あの汚い、埃塗れのところに置き去りにして!」
感情のタガが外れたかのように、今までのだんまりが嘘だったかのように、恨み言を切々と訴えてくる。
胸から手を離し耳を塞いでもなお、その金切声は頭の中に響いてきた。
悲痛な叫びと過激な言葉。
身体をずたずたに引き裂かれ、抉られ、壊されていくような心地だった。
鋭い刃は封じ込めた記憶の蓋を容赦なく破壊していく。
捨てた、汚い、埃塗れ――黴の臭いが充満した牢獄を思い出し、嘔吐しそうになる。
「助けてって言ったのに!わたくしはずっとそこにいたのに!誰も答えてくれない!必要とされていないッ!」
彼女の言葉が、心を抉る。
『親にも友達にも捨てられちまったんだ。
もうお前死ねよ』
思い出したくない記憶が、封じていたはずの記憶が、抉られた心から血のように吹き出してくる。
全身の血が引き、呼吸が苦しくなって膝から崩れ落ちる。
震えが止まらない己の体を、きつく抱きしめた。
「だったらもう消えてなくなればいい!見てもらえない絵画に、いったい何の価値があるの!?」
自分の存在価値への問い。
彼自身でも出せていない答え。
考えないようにしていた命題を突きつけられる。
そんなものに延々と悩まされるならば。
いっそのこと消えた方が楽なのではないか。
全てを壊して終わらせてしまえば楽になれるのではないか――光が消えたマルクの瞳から、自然と涙が零れた。
彼の翼の先端が、美しい黄金色から毒々しい赤紫色に変わっていく。
「……確かにそこにいるのに、認識すらされないって辛いデスよね……」
ずっと黙っていたウィズが、ポツリと漏らした。
伏せられた黄色い瞳には深い悲しみが浮かんでいる。
翼の全てが変色する寸でのところでマルクはハッと我に返り、彼を凝視する。
「あんたになにがわかるのっ!
知ったような口を利かないで!」
「知っているから、言ってるんデス」
「黙れっ!」
彼女から絵具を固めた弾丸のような物がウィズに向かって放たれた。
彼は微動だにせず、そこに立ち尽くしている。
あぶない!とマルクが反射的に手を伸ばしかけるが、距離的にどう考えても間に合わない。
今から防御壁を張っても間に合わないだろう。
これから起こりうる凄惨な光景を想像してしまい、マルクは思わずギュッと目を瞑った。
べちゃ、と肉が潰れる濡れた音がした。
やはり駄目だったか、とマルクは唇を噛み締めた。
しかし聞こえてきた悲鳴は女性のものだった。
彼はおそるおそる目蓋を上げ――すぐに目を見開いた。
「……え?」
マルクは息を呑んだ。
ウィズの右肘から先が、“綺麗に”無くなっていた。
血は出ていなく、彼の周りは普通ならばあるはずの血飛沫も何もない。
切断されたというよりは、まるで最初から存在していないかのようだ。
「ねぇ……ミーなんて、本当はボディすらないのデスよ?」
おもむろに顔を上げたウィズは、ニッコリと笑っていた。
そこには一片の狂気もない。
あまりにも無垢で、無邪気で、純粋で……だからこそ気味が悪かった。
マルクの背中にぞくりと悪寒が走る。
「生まれたときから他人に見てもらえるボディがあるなんて……」
唇の端が更に吊り上がり、黄色い瞳から光が消えた。
カクン、と不自然なほどに首を傾けた彼の口からは、クスクスと笑い声が零れている。
マルクは全身が粟立っているのを感じていた。
先程とうって変わって明らかに狂気じみている。
人として何かがおかしい……いや、人かどうかすらもわからなくなるような目の前の男が、彼の知っているウィズと同一人物だということを認めたくなかった。
「たとえ他に主張できなくてもサァ……自分がどういうものかくらいは認識できるデショ……?
自分の姿がわからない……なんてことはなかったデショ……?
自分が何か、それくらいはわかっていたデショウ?
そうデスよね、絵画デスもんね!
ユーは絵画というカテゴリに所属する存在ということは、最初からわかっていたデショ?
ああ、それがミーには羨ましくて仕方がない。
…………妬マシイ」
ピシ、と音を立てて彼のモノクルに罅が入る。
爆発的な魔力を感じ、本能的にマルクは後ずさりした。
ウィズの左の掌から赤い電撃がピシピシと鳴った。
狂気、憎しみ、嫉妬、そして悲しみ……圧倒的すぎる負の感情が、マルクの心に流れ込んでくる。
胃が引き攣り本日二度目の吐き気を催し、彼は口元に手をやった。
ドロシアの言葉を聞いたときとは、また違った種類の衝撃と痛みが彼の身を襲った。
逃げろ、と本能が叫ぶが脚が震えて何もできない。
まるで脚が地面に縫い付けられたかのように、一歩もそこを動くことができなかった。
「うあっ……!」
目が眩むくらいの強い光がウィズを包んだ。
マルクは咄嗟に自分の目を覆った。
とても強い魔力だ。
これをドロシアに向ければ、間違いなく彼女は消滅するだろう。
破壊を司る彼だからこそわかる。
咄嗟にマルクは「逃げろ!」と叫びそうになり、しかし違和感を覚えて言葉を詰まらせた。
「違う、これ、ウィズからじゃなくて……?」
魔力の波長は人によって異なり、ウィズの魔力は相当に強いものだ。
しかし今感じるものは、それよりも数段強力なものだった。
その瞬間、強い“青色”の光が爆ぜた。
その後光はふつりと途切れ、ウィズは糸の切れた操り人形のようにペタンと座り込んだ。
生気の感じられないその顔は、死人のように真っ白になっていた。
「ウィズ!?」
我に返ったマルクは彼のもとへ飛んで行った。
呆然とする彼を揺さぶり、必死に呼びかける。
「ウィズ!どうしたのサ!?」
「嫉妬は……何も生まない……」
掠れた声で、うわ言のように呟く。
一切の表情を失った彼は、よく作られた人形のようだった。
何も映さない空っぽの黄色い瞳は、さしずめガラス球とでも言おうか。
何度か目の呼びかけで、ようやく彼はマルクの方を向いた。
「……ああ、本当にこれは……ソウルを削られる感じなんデスね……ユーの言う通りだ」
空っぽの瞳で笑い、ゆっくりと手をあげるとマルクの頭をわしゃわしゃと撫でる。
その手は冷たいが、優しかった。
訳が分からなくされるがままでいる彼に、ウィズは小さく笑う。
「マルク……ユーなら、ユーならできマスよね?
痛みを知っているユーなら、ね?」
空っぽの瞳が縋るそれに変わる。
マルクは真っ直ぐにそれを見返し、小さく頷いた。
「……試してみる」
自分が“何をすべきか”、は正直わからない。
しかし彼には“やりたいこと”はあった。
スッと立ち上がると、ドロシアに向かって跳躍した。
「……来ないでっ!」
彼女はハッと我に返ったかのように弾丸を繰り出した。
色鮮やかな弾丸が、次々に彼に向かって飛んでくる。
マルクはそれを素早くかわしながら、懸命にひたすらに脚と金色の翼を動かした。
「うあっ……!」
かわしそびれた一つの弾が、肩に直撃する。
幸い血は出ていないようだが、鈍い痛みが走った。
しかし決して立ち止まらず、彼は飛び続ける。
止まるわけにはいかなかった。
彼と彼女は、写し鏡だった。
感じた痛みはひどく似ていた。
だからこそ言えることがあったから。
どうしても伝えたいことがあったから。
痛みに耐え懸命に身体を動かしながら、彼は叫ぶ。
「ドロシア!!
キミ、本当は消えたくなんかないんだろ!?」
「違う!!」
「じゃあなんでいつまでもこんなところにいるんだよ!?」
ドロシアは言葉を詰まらせた。
しかしすぐに口を開き絶叫する。
「だって!生きててどうなるっていうの!?
じゃあわたくしの存在価値、理由を教えてよ!」
「そんなのボクだってわかんないんだよ!」
思いもよらなかったのか、再び彼女は言葉に詰まった。
「ボクだって絶賛捜索中なんだよ!
ボクが聞きたいくらいサ!
悩んでんのはな、キミだけじゃないんだよッ!
自分だけが悩んでると思うな!」
溢れ出そうになる自身の過去の記憶を押さえ付けながら、自身の気持ちを吐露していく。
もう彼自身、何が言いたいのかよくわかっていなかった。
ドロシアは何も言わなかった。
いや、言葉が見つからなかった。
「そんなもん自分で探せって言いたいくらいだ!
でもな、こんなところで死ぬくらいなら……」
叫びながら、無我夢中に彼女との距離を縮めていく。
そのまま彼女に向かって真っ直ぐに掌を差し伸べた。
「こんなとこで消えるくらいならボク達の仲間になれッ!
それを一つ目の理由にでもしやがれ!
他の理由なんて知らないから、それは自分で探せッ!
死ぬなら本当に絶望しきって最終的に死ね!
ああもうめんどくさいとりあえずこっちに来いよ!」
それはあまりにも無責任で強引で無茶苦茶な暴論で。
「で、でも……」
「少しでも未練あるならこっち来い!」
二度死にそびれた彼の、正直な気持ちだった。
マルクは腕がちぎれそうになるほど、強く腕を伸ばした。
叫び続けた声帯はすでに限界を迎え始めている。
こんなこっぱずかしいこと、本当は口にしたくなかった。
らしくないこともキャラじゃないこともわかっている。
それでも、叫ばずにはいられない。
どこか自分と似ていることがわかっていたから。
彼女の気持ちを十分すぎるほどにわかってしまっていたから。
彼女自身も理解していないだろう想いを、気付かせたいその一心で。
「消えるなら本当に絶望してから、全部諦めてから消えろ!
そうじゃないなら足掻けよッ!
いざとなったらボクがお前を消してやるのサ!
ボクの力なめんな!」
少し躊躇うような間が空く。
しかしドロシアの身体から、粘着質な音を立てて白い掌が突き出した。
「消えたく……ない……まだ……わたくし……っ!」
蚊の鳴くような声で、そう呟く。
その手はフラフラと彷徨っていた。
マルクはそれを強引に掴み、そのまま強く引っ張った。
「うッ……!」
肩に強烈な痛みが走る。
しかしここで離すわけにはいかなかった。
痛みに耐えてもう一度強く引っ張ろうとしたとき、彼の後ろからもう二本の腕が伸びた。
彼女の腕をしっかりと掴む。
「ついでにもう一つ、存在理由をくれてやりマスよ」
驚いた彼が振り向くと、ウィズがへらりと笑っていた。
先程までの表情は綺麗サッパリ消えている。
「ドロシア、ミーたちとハルカンドラ王国を復活させるのデス!」
ウィズが言葉を言い終わったと同時に、二人は確かな手ごたえを感じた。
崩れかけた彼女の身体から“人の肉体”がずるりと引き抜かれる。
刹那、白い光が爆ぜて――極彩色の世界が瓦解した。
崩れていく鮮やかな世界に、一人の女性が立っていた。
ウェーブのかかった薄紫の髪が、豊かに揺れている。
優しく細められた瞳は、つい先ほど見た青色をしていた。
「キミは……」
マルクは思わず手を伸ばした。
ボクはこの人を知っている、でも誰だか思い出せない。
懐かしさが胸を締めつけ、自然と手が伸ばされる。
思考はまとまらず、離散し、浮き上がり……
ブツン、と途切れた。
***
少しの浮遊感の後、マルクは何か硬くて柔らかいものの上に背中から落ちた。
しかしあまり衝撃は感じず、怪我もしていないらしい。
無事に帰って来たのかと安堵した瞬間、腹部に強い衝撃を感じて咳き込んだ。
「ご、ごめんなさい……!」
女性が彼の上から慌てて飛びのいた。
どうやら女性――ドロシアはマルクの上に着地したらしい。
痛みで微妙に視界がぶれていたが、マルクは改めて彼女の姿を見た。
水色の髪がサラサラと零れる、美しい婦人だった。
きっとこれが本来の彼女の姿なのだろう。
「だ、大丈夫なのサ……気にしないで……怪我はないのサ……?」
「え、ええ、ありがとう。
わたくしは大丈夫よ……あと、貴方もなるべく早く退いてあげた方がいいと思うの……」
遠慮がちにドロシアにそう言われ、マルクは「え?」と間抜けな声を出した。
一方グリルとランプキンは今にも吹き出してしまいそうなほどに笑いを堪えている。
マルクがゆっくりと視線を下にずらすと、赤いマントが見えた。
「あ、ウィズだ」
「反応それだけデスか!?」
どうやらウィズを下敷きにしていたらしい。
道理で衝撃が少なかったはずだ、と申し訳なさの欠片も抱かずにマルクはそこを退いた。
ウィズはむくっと起き上がると(多少ふらついてはいたが)いつものようにへらっと笑った。
「たっだいま~!疲れマシタ!」
「ウィズ、その右腕はどうしたのですか?」
気楽なウィズと対照的なランプキンの厳しい声に皆が一瞬氷のように固まった。
マルクも彼の右腕を見て息を呑んだ。
ウィズの右腕の輪郭は、不自然にぼやけていた。
「ど、どうしたのサ?」
問うマルクを見ながら、ランプキンは眉をひそめていた。
まるで、共に居た彼が事情を知らないことを咎めるかのように。
そんな目をされても知らないものは仕方がない――とまで考えて、マルクはふと違和感を覚えた。
何か、とても大切なことを忘れている気がした。
しかしそれが何かは思い出せない。
少し間が空いてから、ウィズはドジっ子よろしくペロッと舌を出した。
「……転んじゃったのデス☆」
「嘘だ!
あと☆が凄くウザいです!」
「じゃあさっきのマルクのせいデス!」
「はあぁ!?」
「マルク……貴方はなんてことを……。
……話は変わりますが貴方は鞭と蝋燭はどちらがお好みですか?」
ランプキンは真顔のままどこからか鞭と蝋燭を取り出す。
マルクはさーっと全身の血の気が引いていくのを感じた。
マゾヒズム的な趣味を持ち合わせていない彼にとっては拷問に他ならない。
「濡れ衣だから!濡れ衣だから!
しかも何その絶望的な二択!?
ボクはそんな趣味ないよ!」
「おおお落ち着いてランプキン!
多分嘘だよ!マルクはそんなことしない!」
珍しく感情的なランプキンをグリルが必死に止めようとし、マルクは彼女の影に隠れてなんとかなり過ごそうとしている。
一方、当事者のはずのウィズはケラケラと笑っていた。
どうしたらいいのかわからないドロシアはおろおろすることしかできない。
何ともカオスな絵面である。
「違うんデスよー、実はドロシアとドンパチしちゃいマシてねっ!」
「え、ええ、そうなの……ごめんなさい」
マルクは首を捻った。
ドロシアも不思議そうな顔をしている。
何かが不自然な気がした。
致命的な齟齬をきたしている気がした。
ドロシアの世界に入ったことは覚えている。
暴走した自分の体験談を話したことも覚えている。
ドロシアに言った言葉はだいたい覚えている。
しかし、細かいことを思い出そうとするとどうしても頭に靄がかかってしまう。
思考が上手く纏まらず、そのストレスが頭痛となって表面化する……思い出すということが、苦行にしかならない。
「イエイエ!みーんなこうして無事に帰ってこれたのでいいのデスよ!
腕ももう少しで治りマス!」
ウィズはニッコリと笑う。
そうだ、何があったのかがわからなくとも、ドロシアを無事に救うことができたのだ。
ウィズの腕のことは気になるが、彼を見ている限りあまり大したことではないらしい。
全てが上手くいったのだから、細かいことは気にしなくていいじゃないか――そうマルクは自分を納得させた。
「イヤイヤー、ミーもついつい熱くなっちゃいマシた!
とってもエキサイティングで映画化したらそりゃ儲かりそうなほど」
「……あまり心配させないでくださいね」
けらけらと笑うウィズに対し、ランプキンは悲しそうな表情を浮かべていた。
ウィズの笑顔が固まり、一瞬だけ眉根をギュッと寄せる。
それはまるで泣くのを堪えているかのようで。
見たことの無い彼の表情に、マルクとグリルは息を呑んだ。
「……ごめんなさい」
そう言いながらウィズは頭を下げる。
いつものふざけたそれとは違う、本気の謝罪だった。
ランプキンは一瞬だけ目を見開き――プイ、とそっぽを向いた。
「……何急にしおらしくなってるんですか気持ち悪い」
「ハッ!?酷くないデスか!?
せっかく人が謝ってるのに!?」
バッと顔を上げたウィズも負けじと言い返す。
どうやら互いに照れているらしい。
そのまましばらく言い争いを続けていたが……言い負かされたウィズは、ランプキンから逃げるかのようにドロシアの方に向き直った。
「さ、さて、話は変わりマスが……ドロシアにいったい何が起きたのデスか?
できれば説明していただけるとありがたいのデスが」
「えっと……どこから話せばいいのかしら。
微妙に記憶があったりなかったりするのよね」
「わかる限りで構いマセンよ」
「ええと、わたくしは……昔、魔法使いに描かれたわ。
描かれたそのときから、わたくしは意識を持っていた。
同じ様に絵の仲間もいたわ……。
昔はわたくしを見てくれる人もたくさんいて、嬉しかった。
でも……いつからか、見てくれる人がいなくなった」
そこでドロシアは目を悲しそうに伏せた。
長い睫毛が、黄色い瞳に影を落とす。
「……更に長い時が経つにつれて、段々絵としてのわたくしの身体が、風化して崩れていったの。
それは仲間もそうで……少しずつ声がしなくなったわ。
段々と薄れていく意識の中で、消えたくないってずっと思ってた。
そうしたらこれが……」
ドロシアが取り出したのは、かつてカービィを導いた魔法の絵筆だった。
淡い虹色に輝くそれは、絵筆自体が芸術品といっても過言ではないほどに美しい。
ウィズは感嘆の声を上げ、慎重にそれに触れた。
「この絵筆はおそらく女王が創ったものデス。
ポップスターのスターロッドとあの怪盗の持つトリプルスターに並ぶレアモノデスね」
「わたくしはこの絵筆で生み出されたの。
そしてこれのおかげで……わたくしは実体を得たわ」
「……絵筆が貴女の願いを叶えた、ということですか」
ランプキンの問いに、ドロシアは小さく頷いた。
「この世界に出て……わたくしは驚いたわ。
こんなにも綺麗な世界……“本物”を見せつけられて、創られた“偽物”のわたくしは惨めだった。
いつの間にか、わたくしは世界……ポップスターを欲していた。
どうしてとか、自分でもよくわからないの……理屈じゃなくて、絵のわたくしが言うのもアレだけど、本能的に……って感じで……」
「それで魔力に呑まれた、と」
「……だいたいボクと同じなのサ」
彼も過去に、自分でも制御できないほどの征服欲に駆られたことがあった。
あの黄色い惑星に心惹かれ、狂おしいほどに渇望した記憶は、まだ鮮明に残っている。
「なるほど……征服欲や魔力に呑まれる原因も……少しずつわかってきマシタ」
「どういうことなの?」
「“今は”語れマセン。
参考資料が少ないので確証が……そうデスね、あと一人くらい同じ現象が起きたら説明しマショウね」
悪戯っ子のように笑う彼。
何を企んでいるのか、その目は生き生きと輝いていた。
マルクには嫌な予感しかしなかった。
そしてその予感は、後々当たることとなる。
「それより気になるのは……何故これはドロシアを裏切ったのデショウ?
ポップスターの危機だったとは言え、一応ハルカンドラの者に従事するのが最優先だと思うのデスが」
たしかに、とマルクは思った。
絵筆はカービィを導き、所有者であるドロシアを倒す時でさえカービィの味方をした。
ハルカンドラの魔力で造られたものは、同じ力を持つ彼らの子孫――絵画にさえ忠実だ。
だからこそ消滅から逃れたいドロシアの強い願いを叶え、実体化させたのだ。
ランプキンもマルクも、首をかしげる。
答えを見いだせず、沈黙してしまった。
「あ、あのね、裏切ったんじゃないと思うんだ」
その沈黙を破ったのはグリルだった。
皆の注目が一斉に彼女に集まる。
「どういうこと?」
「誰かが魔力に呑み込まれかけたドロシアを助けたかったんだと思うんだ。
それをできるのは、きっとカービィだって思ったからカービィに力を貸したんだと思う。
それがドロシアを描いた人なのか、絵筆を創った女王様、もしかしたら絵筆自身なのかはわからないけど……。
誰も見てないなんてことなくって、誰かがあなたを見ていて、助けたいと思ったんだよ」
ドロシアの目が大きく見開かれた。
ランプキンが成る程、と呟く。
「その発想はありませんでしたね……。
絵筆も意志をもっていますし、あり得ない話ではありませんね。
むしろ最有力説といっても過言ではなかと」
「ボクちんはそう信じてるよ。
それに、ドロシアは自分を“偽物”というけれど、ボクちんにとってはキミが“本物”なんだよ!」
懸命に選びながら、しかし本心から言葉を紡ぐ彼女を、ドロシアは食い入るように見つめている。
その瞳には薄い透明な膜ができていた。
今にも壊れそうにゆらゆらと揺れている。
「もうキミは一人じゃない、ボクちんたちがいるよ!
だから……一緒に行こう?ね?」
手を差し伸べながら満面の笑みを浮かべるグリル。
ドロシアがおずおずと手を伸ばすと、グリルはギュッとその手を握った。
「……あったかい」
そう呟いたドロシアの瞳から涙が溢れる。
その透明な宝石は、どんな芸術品よりも美しく輝いていた。
その光景を見ていたマルクは、いつかカービィに言われたことを思い出していた。
『マルクと、もう一度会って、仲直りして、遊びたかったの……』
『だから、いっしょにかえろう?』
たったそれだけの言葉に彼がどれだけ救われたことか。
もうどうにでもなれと思っていた彼が、また生きたいと思えた。
あのとき何故そんな風に思えたのか、彼は今更ながら理解した。
全てを失った孤独な彼が求めていたものは、共に笑い合える友人だった。
唯一無地の友人だった“彼”のように、自分の存在を認めてくれる人だった。
たとえ明確な理由がわからずとも、仲間の存在も自分の存在理由になる。
誰かが自分を求めてくれる、受け入れられる、ただそれだけの単純ことでも「生きたい」という力になる。
例えそれが綺麗事でも、救いになるのならば。
それでいいのだろう、とマルクは心の中で呟いた。
「わたくしを……わたくしを、貴方達の仲間にしてください」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、ドロシアは笑顔でそう言った。
彼女の言葉に、4人の魔法使いたちは大きく頷いた。
NEXT
→あとがき