Drown
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「……眠れないな」
時間にして丑三つ時か。
寝床に入って相当の時間が経ったはずだが、なかなか寝付けない。
それどころか寝ようとすればするほど目が冴えていく気さえしてくる。
こういう日はどうしたって眠れないということは、長年の経験からわかっている。
無理に寝ようとしても仕方あるまい、ベッドから降りると寝ている二人を起こさないよう、忍び足で台所に向かった。
眠れない夜は酒に限る。
本当は横になって身体を休めるべきだが。
酒に強い自覚はあるから、「少しくらい飲んでも明日に影響はないだろう」と僅かに芽生えた罪悪感を心の奥に押し込む。
たしか今宵は……とカーテンを引くと、夜空に見事な満月が浮かんでいた。
月明かりのおかげで照明は要らない。
窓を開けると、涼しい夜風が部屋に入ってきた。
今は少し肌寒いくらいだが、酒で火照った身体には気持ち良く感じるだろう。
戸棚から気に入っている徳利と盃、そして酒瓶を取り出した。
流石にこの時間に何かを食べるのは憚られたから、天満月を肴に酒を飲む。
隊員に見られたら驚かれるような甘い酒だが、たまにはこういうのもいいだろう。
「……随分、月が綺麗だ」
思った通り、風が心地よく肌を撫ぜる。
風の音に耳を傾けていると、微かな物音と共に寝室の扉が開いた。
振り向くと寝間着姿のブレイドが、幾分呆けた顔をして立っていた。
月光に頼り電気もつけずにいたから、驚かせてしまったのだろう。
「ブレイドか、どうした?
また何か嫌な夢でも……」
「いいえ、今日は喉が渇いて……卿こそ、こんな真夜中に何を?」
「少し、眠れなくてな」
「何か物思いでも……?」
心配そうに眉を顰める彼女は、本当に優しい子だ。
「そういう訳では無い、単に眠れないだけだ」と言えば安堵したようにふわりと微笑んだ。
髪を降ろしているからか、普段よりも雰囲気が大人びて見えるような気がする。
そうか、彼女はもう大人。
どうせなら、と酒瓶に目を向ける。
「たまには、どうだ?
酒で喉は潤わないだろうが」
そなたは明日非番だから問題ないだろう?と誘う。
一瞬迷ったようだったが「折角なのでいただきます」と笑い隣に腰掛けた。
戸棚からもう一つ盃を持ち出し、彼女に注いでやる。
「……そういえば、そなたとこうして酒を飲んだことはなかったな」
ちびちび飲むブレイドを横目で見ながらそう言うと、彼女も小さく頷いた。
もう長年共に過ごしているが、二人で飲むのは意外にもこれが初めてのことだ。
といっても、実は彼女が酒が飲めるようになったのがここ最近だから当然といえば当然だが。
一応王国騎士だ、未成年が飲酒などは許されない。
それにしても……出会った時はあんなに小さかった彼女とこうして酒を飲み交わすなんて、なんとなく不思議な心地だ。
あれから何年経ったのか……。
「ソードとなら何回か飲んだことはあるが……。
ちなみに肴はいつもブレイドの惚気だ」
「はぁっ!?」
「『ブレイドが可愛すぎて毛根が爆ぜるー』とか。
『尊い』とか。
仲が良くて何よりだがな」
「ソードの野郎……まったく恥ずかしい……卿に醜態を晒して……」
ぶっきらぼうに吐き捨てるものの、口元に隠しきれない笑みが浮かんでいた。
本心では嬉しいがそれを出すのが恥ずかしいのだろう。
実はツンデレと村でもっぱらの噂である彼女らしい。
照れを隠すように、勢いよく盃をグイッと煽った。
「……良い飲みっぷりだな。
そなた、そんなに飲めたのか」
忘年会やパーティでも、最初の乾杯以外を彼女が飲んでいる姿を見かけたことがなかった。
そう指摘すると、ブレイドは小さく苦笑した。
「私、酒癖悪いらしいんですよね」
「そうなのか?
ん……らしい?」
「はい、ソード曰くそうらしいです。
だから『俺が居る時以外は飲むな!』ってうるさくて」
ほう、と私は思わず嘆息した。
基本的にブレイドに甘甘なあの男にしては珍しいことだ。
「ソードがそれだけ言うほど悪いのか?」
「……意識も記憶も飛んでしまうので、私には何があったとかわからないんですよね」
ソードも教えてくれないし、と唇を尖らせる。
なるほど、ある意味典型的なタイプだ。
だからこそ危険でもある。
女性を泥酔させて、男が持ち帰るというパターンはよく耳にするものだ。
……個人的には卑劣極まりない男をスライスしてやりたくなるがな。
いくら普段は強いブレイドとはいえ、意識を失ってしまえば何をされても抵抗ができない。
それを考えれば賢明な判断だろう。
「ほう……」
それなのに今こうして私と酒を飲んでいるということは、よっぽど私のことを信じてくれているのか、それとも全く欠片も男として見られていないのか――おそらく両方だ。
何故か、心がチクリとした。
それと同時に、私を信用しきっているそんな彼女をからかってやりたい加虐心が芽生える。
ブレイドの方に手を伸ばして、サラサラの緋色の髪をさり気なく退かす。
突然の行為に固まる彼女に構わず、耳元に口を寄せた。
「ならば……溺れるくらいに飲ませてしまえば、私が何をしても大丈夫ということか?」
どうせ明日忘れてしまうのならば、と低く囁く。
わざと息が耳にかかるようにすれば、身体がピクンと跳ねあがる。
普段見ることのできない可愛らしい反応に思わず笑みが漏れた。
ソードがあんなに可愛い可愛いとうるさいのも頷ける。
「……ぅ…卿っ、酔いすぎですよ」
「酒以外のものにも酔いそうだ」
反射的に避けようとする彼女を捕まえ、引き寄せ、更に囁く。
勢い余って少しだけ唇が耳に触れて、彼女の身体は更に跳ねた。
耳が弱いのだろうか。
むくむくと膨らむ加虐心。
それを余すこと無くぶつけてしまいたい、破壊にも似た衝動に駆られる。
今度はわざと口付けると、耐え忍ぶような吐息を漏らした。
「……お戯れを」
彼女の手が私の身体を遠慮がちに押し退けた。
懇願するような緋色の瞳を見て、ハッと我に返る。
「ふふ、そうだな……ソードに怒られてしまう」
何事も無かったかのようにパッと離れて、盃に口付ける。
心なしか先程までよりも喉に沁みる気がする。
空になった盃を置くと、彼女が酒を注いでくれた。
「ああ、すまないな」
そう礼を言えば、「いえ」とにっこり笑う。
もう先程のことは気にしていないらしい。
酔った悪ふざけとでも解釈したのだろう。
そのことに何故か妙な苛立ちを覚えて、彼女が注いでくれた酒の水面に視線を落とした。
水面が風にゆらゆらと揺れている。
身内の贔屓目抜きに、ブレイドは昔から本当に気が利くいい子だ。
ソードもそうだが、細かい所にまで気を遣える。
そんな彼女に私は何をしていた?
大事な娘とも呼べる存在に、こんなふうに言い寄るなんて。
今までではとても考えられないことだった。
やはり彼女の言う通り、酔いすぎているのだろうか。
第一彼女が私を男として見ていないなんて、至極当然のことだ。
私を師として敬い慕うことこそあれ、そういった邪な感情を抱くはずがない。
そんなことはまず彼女自身が許さないだろう。
なにより彼女にはソードという存在がいる。
それは当然のことで、今までも当たり前のことだった。
それなのに何故私は……?
酒のせいか、上手く思考がまとまらない。
そうだ、この気持ちもきっと酒のせいだ。
やけに甘い酒だから、胃もたれでも起きているのだろう。
……そう自分に納得させて、揺れる水面を飲み干した。
事案から約一時間ほど経った頃だろうか。
「それで~ソードったら~……」
ブレイドは盃を弄びながら饒舌に語っていた……主にソードの惚気話を。
「ブレイド……おまえもか」と心の中で溜め息をついた。
彼女が楽しそうで何よりだ。
酔うと笑い上戸になるのだろうか、意外な一面だ。
これは確かに彼女のイメージを崩さない為にも、表沙汰にすべきではないな。
しかし明らかに飲みすぎだ。
いくら飲みやすいとはいえ、これのアルコール度数は結構高い。
私でさえもかなり酔いを感じているくらいだ。
つられて私も飲んでしまったが明日大丈夫だろうか、最悪無敵キャンディ使えばいいかハッハッハ、という現実逃避はさておき。
酒に弱いというブレイドなら尚更で、彼女の顔は既に真っ赤に染まっている。
……流石にもう止めよう。
いくら非番とはいえ、二日酔いになってしまったら大変だ。
そう悟り、なお酒瓶に伸ばされた彼女の手をやんわりと諌めた。
「ブレイド、そろそろ止めておいた方が……」
そう言い終わる前に視界が暗転した。
酒に酔った故のそれではなく、物理的なものだ。
咄嗟のことで受け身も取れず、背中が痛む。
気が付けば彼女の顔が間近にあった。
酒の臭気と、わずかに彼女自身の仄かな香りがする。
……なるほど、どうやら私は彼女に押し倒されたらしい。
「……へへー、卿ったら赤くなってて……いつもよりもっと可愛い……」
へにゃ、と笑うブレイド。
「そなたはいつも思っていたのか」とツッコみを入れたいが今はそれどころではない。
彼女は私が童顔を気にしていることを熟知している。
普段なら彼女はこんなことは絶対に言わないだろう。
たしかに「酒癖が悪い」とは聞いていた……聞いてはいたが悪すぎだろう!?
「ブ、ブレイド、いい子だから手を離そう、な?」
私も混乱しているのかキャラに合わない台詞を吐いてしまう。
掴まれた腕を振りほどこうとしたが、彼女の訓練の賜物かうまく振りほどけない。
流石ブレイド、良く鍛えられている。
本当に自慢の部下だ。
……いやそうではなくて!褒めてる場合ではなくて!
女性、しかも自分の弟子に組み敷かれるなんてあまりにも屈辱的だ!
「やめなさっ……ブレイッ……!あっ……!」
彼女の唇が首筋に触れた。
ただでさえ酒で火照った身体が、更に熱くなる。
「卿……」
スッと彼女が顔を寄せる。
吐息すら感じる距離でこうして見ると、顔の造りはやはり良いのだなと改めて実感させられた。
酒の影響か幾分艶っぽい。
いつもよりも赤みをさしたその唇も、蜜を孕んだ甘い声も、紅潮した頬も、潤んだ緋色の瞳も、彼女の持つ何もかもが酷く官能的で、私の理性を根底から揺るがす。
風の音が止み、くらりと視界が回った。
濃い緋色の渦に呑み込まれそうになる。
「いっそこのまま身を委ねてしまえ!」
そう囁く声が遠く響く。
今手を伸ばせばきっと手に入るだろう。
このまま彼女と“間違い”を犯してしまおうか。
まるで悪魔に誘われるような、そんな心地に陥る。
『……卿』
私を呼ぶ声が頭に響いた。
堕ちかけた緋色の世界に、ポツリと翠の雫が垂れる。
爽やかで誠実な色と共に、涼やかな風が吹く。
その瞬間、「駄目だ!」と僅かに残った理性が叫び声をあげた。
その声が私を現実世界に引き戻す。
「ソードッ……!」
その色を持つ彼の名を叫ぶ。
おそらく今の彼女を止められる、唯一の存在を。
「ソード!助けてくれ!」
力の限りそう叫んでいると、物凄い足音が近付いてきた。
ドアが盛大な音を立てながら開かれ、何故か武器を持ったソードが部屋に飛び込んできた。
「何事ですか!?
って、ブレイド!?おまっ、お前何やってんだ!」
ソードは武器を投げ捨て駆け寄ってくると、私からブレイドを引きはがした。
彼女は意外なほどあっさりと私から離れ、彼を見上げてにっこりと笑った。
「んぁ~?ソード?なにしてんの?」
そのまま甘えるように擦り寄る。
……これまた貴重なシーンである。
私がいる手前頬が緩むのを堪えているのか、彼の顔は随分と愉快なものになっていた。
「ブ、ブレイド……?って、酒臭ッ……!
さては……お前酒飲んだだろ!
しかもかなり!」
状況を把握したのか、ソードはげんなりと溜め息をついた。
しかしその表情は少し安堵したようにも見える。
少しは彼女のことを疑ってみたりしたのだろうか。
私に覆い被さる彼女を見て、彼はどんな気持ちだったのだろう。
「すまないな、私が飲もうと誘ったんだ」
「それは仕方がないとして……卿に限って有り得ないとは思いますが、念の為聞きます。
……未遂ですよね?」
「ああ、もちろん。
現にそなたを呼んだだろう?
……むしろ私が身の危険を感じた」
首筋のことは――黙っておこう。
痕を付けられた感覚は無いし、黙っておけば誰にもわからない。
ソードは私の答えに安心したように苦笑すると、彼女の身体を抱き上げた。
「お二人共無事で何よりです。
卿、これに懲りたらブレイドには金・輪・際!酒を飲ませないでくださいね!」
「……わかった、すまなかった」
「では、お先に失礼致します。
卿もどうか早めにお休みください」
そのままふにゃふにゃ言っている彼女を運んでいく。
残された私は独り、盛大な溜め息をついた。
ソードが彼女に酒を飲むなという理由がよく理解った。
あんな風に迫られて、冷静でいられるはずがない。
最初にその気がなかったとしても、あの姿を見たらよっぽど身持ちの堅い男ではない限り流されてしまうだろう。
実際私も――平静ではいられなかった。
あの時私は、悪魔の声に従って堕ちかけていた。
胸の鼓動は、実は未だに収まっていない。
顔だって赤かっただろう。
幸いソードは気づかなかったようだが。
彼女が女性であることは、出会った時からわかっていた。
とはいえ、それがどうだとは考えたことはなかった。
生理現象以外では特別女性扱いをしようとは思わなかったし、彼女もそれを望んでいたことを知っていたから。
女性だと公にしてからも、やむを得ないこと以外では、常にソードと同じ扱いをしてきたつもりだ。
だから彼女があんな女の顔を持っているとは思わなかった。
情欲を煽り立てるような顔ができるとは思っていなかった。
蠱惑的な瞳も、首筋への柔らかな唇の感触も、焼き付いて離れない。
胸がジリジリと焦げ付きそうになる。
……明日から、少し彼女への見方が変わってしまいそうだ。
今回はギリギリのところで持ち堪えたが、次同じようなことが起きたら耐えられる自信がない。
本能に従い、彼女を貪ってしまうかもしれない。
寝室から、声が微かに聞こえてくる。
今頃彼女は彼の前であの顔をしているのか。
それとももっと……考えていると、不可解などす黒い感情が沸き起こってくる。
……きっと私はソードに嫉妬しているのだろう。
ブレイドの女の部分を見られるのは彼の特権だから。
そして私は、彼女の女の部分を欲してしまっているのだろう。
チラリと垣間見えたそれを、もっと欲しいと望んでいる。
とんでもない裏切り……それも、身を滅ぼしかねない、甘美な禁忌。
もし私がこの衝動のままに行動をしたら、そのときには今まで築き上げてきたものが何もかも壊れてしまう。
だから気付かないフリをして、目を背けて。
彼女が望む“師”を演じていくしかない。
そう自分に言い聞かせれば、なんとかやっていける気がした。
ざわめく心を落ち着かせながら、徳利に残ったぬるい酒を一気に飲み干す。
月は、まだ明るい。
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(溺れたのは……)
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→あとがき
時間にして丑三つ時か。
寝床に入って相当の時間が経ったはずだが、なかなか寝付けない。
それどころか寝ようとすればするほど目が冴えていく気さえしてくる。
こういう日はどうしたって眠れないということは、長年の経験からわかっている。
無理に寝ようとしても仕方あるまい、ベッドから降りると寝ている二人を起こさないよう、忍び足で台所に向かった。
眠れない夜は酒に限る。
本当は横になって身体を休めるべきだが。
酒に強い自覚はあるから、「少しくらい飲んでも明日に影響はないだろう」と僅かに芽生えた罪悪感を心の奥に押し込む。
たしか今宵は……とカーテンを引くと、夜空に見事な満月が浮かんでいた。
月明かりのおかげで照明は要らない。
窓を開けると、涼しい夜風が部屋に入ってきた。
今は少し肌寒いくらいだが、酒で火照った身体には気持ち良く感じるだろう。
戸棚から気に入っている徳利と盃、そして酒瓶を取り出した。
流石にこの時間に何かを食べるのは憚られたから、天満月を肴に酒を飲む。
隊員に見られたら驚かれるような甘い酒だが、たまにはこういうのもいいだろう。
「……随分、月が綺麗だ」
思った通り、風が心地よく肌を撫ぜる。
風の音に耳を傾けていると、微かな物音と共に寝室の扉が開いた。
振り向くと寝間着姿のブレイドが、幾分呆けた顔をして立っていた。
月光に頼り電気もつけずにいたから、驚かせてしまったのだろう。
「ブレイドか、どうした?
また何か嫌な夢でも……」
「いいえ、今日は喉が渇いて……卿こそ、こんな真夜中に何を?」
「少し、眠れなくてな」
「何か物思いでも……?」
心配そうに眉を顰める彼女は、本当に優しい子だ。
「そういう訳では無い、単に眠れないだけだ」と言えば安堵したようにふわりと微笑んだ。
髪を降ろしているからか、普段よりも雰囲気が大人びて見えるような気がする。
そうか、彼女はもう大人。
どうせなら、と酒瓶に目を向ける。
「たまには、どうだ?
酒で喉は潤わないだろうが」
そなたは明日非番だから問題ないだろう?と誘う。
一瞬迷ったようだったが「折角なのでいただきます」と笑い隣に腰掛けた。
戸棚からもう一つ盃を持ち出し、彼女に注いでやる。
「……そういえば、そなたとこうして酒を飲んだことはなかったな」
ちびちび飲むブレイドを横目で見ながらそう言うと、彼女も小さく頷いた。
もう長年共に過ごしているが、二人で飲むのは意外にもこれが初めてのことだ。
といっても、実は彼女が酒が飲めるようになったのがここ最近だから当然といえば当然だが。
一応王国騎士だ、未成年が飲酒などは許されない。
それにしても……出会った時はあんなに小さかった彼女とこうして酒を飲み交わすなんて、なんとなく不思議な心地だ。
あれから何年経ったのか……。
「ソードとなら何回か飲んだことはあるが……。
ちなみに肴はいつもブレイドの惚気だ」
「はぁっ!?」
「『ブレイドが可愛すぎて毛根が爆ぜるー』とか。
『尊い』とか。
仲が良くて何よりだがな」
「ソードの野郎……まったく恥ずかしい……卿に醜態を晒して……」
ぶっきらぼうに吐き捨てるものの、口元に隠しきれない笑みが浮かんでいた。
本心では嬉しいがそれを出すのが恥ずかしいのだろう。
実はツンデレと村でもっぱらの噂である彼女らしい。
照れを隠すように、勢いよく盃をグイッと煽った。
「……良い飲みっぷりだな。
そなた、そんなに飲めたのか」
忘年会やパーティでも、最初の乾杯以外を彼女が飲んでいる姿を見かけたことがなかった。
そう指摘すると、ブレイドは小さく苦笑した。
「私、酒癖悪いらしいんですよね」
「そうなのか?
ん……らしい?」
「はい、ソード曰くそうらしいです。
だから『俺が居る時以外は飲むな!』ってうるさくて」
ほう、と私は思わず嘆息した。
基本的にブレイドに甘甘なあの男にしては珍しいことだ。
「ソードがそれだけ言うほど悪いのか?」
「……意識も記憶も飛んでしまうので、私には何があったとかわからないんですよね」
ソードも教えてくれないし、と唇を尖らせる。
なるほど、ある意味典型的なタイプだ。
だからこそ危険でもある。
女性を泥酔させて、男が持ち帰るというパターンはよく耳にするものだ。
……個人的には卑劣極まりない男をスライスしてやりたくなるがな。
いくら普段は強いブレイドとはいえ、意識を失ってしまえば何をされても抵抗ができない。
それを考えれば賢明な判断だろう。
「ほう……」
それなのに今こうして私と酒を飲んでいるということは、よっぽど私のことを信じてくれているのか、それとも全く欠片も男として見られていないのか――おそらく両方だ。
何故か、心がチクリとした。
それと同時に、私を信用しきっているそんな彼女をからかってやりたい加虐心が芽生える。
ブレイドの方に手を伸ばして、サラサラの緋色の髪をさり気なく退かす。
突然の行為に固まる彼女に構わず、耳元に口を寄せた。
「ならば……溺れるくらいに飲ませてしまえば、私が何をしても大丈夫ということか?」
どうせ明日忘れてしまうのならば、と低く囁く。
わざと息が耳にかかるようにすれば、身体がピクンと跳ねあがる。
普段見ることのできない可愛らしい反応に思わず笑みが漏れた。
ソードがあんなに可愛い可愛いとうるさいのも頷ける。
「……ぅ…卿っ、酔いすぎですよ」
「酒以外のものにも酔いそうだ」
反射的に避けようとする彼女を捕まえ、引き寄せ、更に囁く。
勢い余って少しだけ唇が耳に触れて、彼女の身体は更に跳ねた。
耳が弱いのだろうか。
むくむくと膨らむ加虐心。
それを余すこと無くぶつけてしまいたい、破壊にも似た衝動に駆られる。
今度はわざと口付けると、耐え忍ぶような吐息を漏らした。
「……お戯れを」
彼女の手が私の身体を遠慮がちに押し退けた。
懇願するような緋色の瞳を見て、ハッと我に返る。
「ふふ、そうだな……ソードに怒られてしまう」
何事も無かったかのようにパッと離れて、盃に口付ける。
心なしか先程までよりも喉に沁みる気がする。
空になった盃を置くと、彼女が酒を注いでくれた。
「ああ、すまないな」
そう礼を言えば、「いえ」とにっこり笑う。
もう先程のことは気にしていないらしい。
酔った悪ふざけとでも解釈したのだろう。
そのことに何故か妙な苛立ちを覚えて、彼女が注いでくれた酒の水面に視線を落とした。
水面が風にゆらゆらと揺れている。
身内の贔屓目抜きに、ブレイドは昔から本当に気が利くいい子だ。
ソードもそうだが、細かい所にまで気を遣える。
そんな彼女に私は何をしていた?
大事な娘とも呼べる存在に、こんなふうに言い寄るなんて。
今までではとても考えられないことだった。
やはり彼女の言う通り、酔いすぎているのだろうか。
第一彼女が私を男として見ていないなんて、至極当然のことだ。
私を師として敬い慕うことこそあれ、そういった邪な感情を抱くはずがない。
そんなことはまず彼女自身が許さないだろう。
なにより彼女にはソードという存在がいる。
それは当然のことで、今までも当たり前のことだった。
それなのに何故私は……?
酒のせいか、上手く思考がまとまらない。
そうだ、この気持ちもきっと酒のせいだ。
やけに甘い酒だから、胃もたれでも起きているのだろう。
……そう自分に納得させて、揺れる水面を飲み干した。
事案から約一時間ほど経った頃だろうか。
「それで~ソードったら~……」
ブレイドは盃を弄びながら饒舌に語っていた……主にソードの惚気話を。
「ブレイド……おまえもか」と心の中で溜め息をついた。
彼女が楽しそうで何よりだ。
酔うと笑い上戸になるのだろうか、意外な一面だ。
これは確かに彼女のイメージを崩さない為にも、表沙汰にすべきではないな。
しかし明らかに飲みすぎだ。
いくら飲みやすいとはいえ、これのアルコール度数は結構高い。
私でさえもかなり酔いを感じているくらいだ。
つられて私も飲んでしまったが明日大丈夫だろうか、最悪無敵キャンディ使えばいいかハッハッハ、という現実逃避はさておき。
酒に弱いというブレイドなら尚更で、彼女の顔は既に真っ赤に染まっている。
……流石にもう止めよう。
いくら非番とはいえ、二日酔いになってしまったら大変だ。
そう悟り、なお酒瓶に伸ばされた彼女の手をやんわりと諌めた。
「ブレイド、そろそろ止めておいた方が……」
そう言い終わる前に視界が暗転した。
酒に酔った故のそれではなく、物理的なものだ。
咄嗟のことで受け身も取れず、背中が痛む。
気が付けば彼女の顔が間近にあった。
酒の臭気と、わずかに彼女自身の仄かな香りがする。
……なるほど、どうやら私は彼女に押し倒されたらしい。
「……へへー、卿ったら赤くなってて……いつもよりもっと可愛い……」
へにゃ、と笑うブレイド。
「そなたはいつも思っていたのか」とツッコみを入れたいが今はそれどころではない。
彼女は私が童顔を気にしていることを熟知している。
普段なら彼女はこんなことは絶対に言わないだろう。
たしかに「酒癖が悪い」とは聞いていた……聞いてはいたが悪すぎだろう!?
「ブ、ブレイド、いい子だから手を離そう、な?」
私も混乱しているのかキャラに合わない台詞を吐いてしまう。
掴まれた腕を振りほどこうとしたが、彼女の訓練の賜物かうまく振りほどけない。
流石ブレイド、良く鍛えられている。
本当に自慢の部下だ。
……いやそうではなくて!褒めてる場合ではなくて!
女性、しかも自分の弟子に組み敷かれるなんてあまりにも屈辱的だ!
「やめなさっ……ブレイッ……!あっ……!」
彼女の唇が首筋に触れた。
ただでさえ酒で火照った身体が、更に熱くなる。
「卿……」
スッと彼女が顔を寄せる。
吐息すら感じる距離でこうして見ると、顔の造りはやはり良いのだなと改めて実感させられた。
酒の影響か幾分艶っぽい。
いつもよりも赤みをさしたその唇も、蜜を孕んだ甘い声も、紅潮した頬も、潤んだ緋色の瞳も、彼女の持つ何もかもが酷く官能的で、私の理性を根底から揺るがす。
風の音が止み、くらりと視界が回った。
濃い緋色の渦に呑み込まれそうになる。
「いっそこのまま身を委ねてしまえ!」
そう囁く声が遠く響く。
今手を伸ばせばきっと手に入るだろう。
このまま彼女と“間違い”を犯してしまおうか。
まるで悪魔に誘われるような、そんな心地に陥る。
『……卿』
私を呼ぶ声が頭に響いた。
堕ちかけた緋色の世界に、ポツリと翠の雫が垂れる。
爽やかで誠実な色と共に、涼やかな風が吹く。
その瞬間、「駄目だ!」と僅かに残った理性が叫び声をあげた。
その声が私を現実世界に引き戻す。
「ソードッ……!」
その色を持つ彼の名を叫ぶ。
おそらく今の彼女を止められる、唯一の存在を。
「ソード!助けてくれ!」
力の限りそう叫んでいると、物凄い足音が近付いてきた。
ドアが盛大な音を立てながら開かれ、何故か武器を持ったソードが部屋に飛び込んできた。
「何事ですか!?
って、ブレイド!?おまっ、お前何やってんだ!」
ソードは武器を投げ捨て駆け寄ってくると、私からブレイドを引きはがした。
彼女は意外なほどあっさりと私から離れ、彼を見上げてにっこりと笑った。
「んぁ~?ソード?なにしてんの?」
そのまま甘えるように擦り寄る。
……これまた貴重なシーンである。
私がいる手前頬が緩むのを堪えているのか、彼の顔は随分と愉快なものになっていた。
「ブ、ブレイド……?って、酒臭ッ……!
さては……お前酒飲んだだろ!
しかもかなり!」
状況を把握したのか、ソードはげんなりと溜め息をついた。
しかしその表情は少し安堵したようにも見える。
少しは彼女のことを疑ってみたりしたのだろうか。
私に覆い被さる彼女を見て、彼はどんな気持ちだったのだろう。
「すまないな、私が飲もうと誘ったんだ」
「それは仕方がないとして……卿に限って有り得ないとは思いますが、念の為聞きます。
……未遂ですよね?」
「ああ、もちろん。
現にそなたを呼んだだろう?
……むしろ私が身の危険を感じた」
首筋のことは――黙っておこう。
痕を付けられた感覚は無いし、黙っておけば誰にもわからない。
ソードは私の答えに安心したように苦笑すると、彼女の身体を抱き上げた。
「お二人共無事で何よりです。
卿、これに懲りたらブレイドには金・輪・際!酒を飲ませないでくださいね!」
「……わかった、すまなかった」
「では、お先に失礼致します。
卿もどうか早めにお休みください」
そのままふにゃふにゃ言っている彼女を運んでいく。
残された私は独り、盛大な溜め息をついた。
ソードが彼女に酒を飲むなという理由がよく理解った。
あんな風に迫られて、冷静でいられるはずがない。
最初にその気がなかったとしても、あの姿を見たらよっぽど身持ちの堅い男ではない限り流されてしまうだろう。
実際私も――平静ではいられなかった。
あの時私は、悪魔の声に従って堕ちかけていた。
胸の鼓動は、実は未だに収まっていない。
顔だって赤かっただろう。
幸いソードは気づかなかったようだが。
彼女が女性であることは、出会った時からわかっていた。
とはいえ、それがどうだとは考えたことはなかった。
生理現象以外では特別女性扱いをしようとは思わなかったし、彼女もそれを望んでいたことを知っていたから。
女性だと公にしてからも、やむを得ないこと以外では、常にソードと同じ扱いをしてきたつもりだ。
だから彼女があんな女の顔を持っているとは思わなかった。
情欲を煽り立てるような顔ができるとは思っていなかった。
蠱惑的な瞳も、首筋への柔らかな唇の感触も、焼き付いて離れない。
胸がジリジリと焦げ付きそうになる。
……明日から、少し彼女への見方が変わってしまいそうだ。
今回はギリギリのところで持ち堪えたが、次同じようなことが起きたら耐えられる自信がない。
本能に従い、彼女を貪ってしまうかもしれない。
寝室から、声が微かに聞こえてくる。
今頃彼女は彼の前であの顔をしているのか。
それとももっと……考えていると、不可解などす黒い感情が沸き起こってくる。
……きっと私はソードに嫉妬しているのだろう。
ブレイドの女の部分を見られるのは彼の特権だから。
そして私は、彼女の女の部分を欲してしまっているのだろう。
チラリと垣間見えたそれを、もっと欲しいと望んでいる。
とんでもない裏切り……それも、身を滅ぼしかねない、甘美な禁忌。
もし私がこの衝動のままに行動をしたら、そのときには今まで築き上げてきたものが何もかも壊れてしまう。
だから気付かないフリをして、目を背けて。
彼女が望む“師”を演じていくしかない。
そう自分に言い聞かせれば、なんとかやっていける気がした。
ざわめく心を落ち着かせながら、徳利に残ったぬるい酒を一気に飲み干す。
月は、まだ明るい。
Drown
(溺れたのは……)
NEXT
→あとがき
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