3章
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魔法省の大広間に、乾いた足音だけが続いていた。
関所問題の協議が行われた直後の空気は、奇妙な静けさに満ちている。
騎士団側の席は、誰もが言葉少なだった。負けを認めると口にはしていない。けれど――実質的な敗北だということは、全員が理解していた。
関所の権限は、正式に法務部へと移譲された。
書類の上で交わされたのは、たった数枚のサインと印章だけだ。
けれど、それは今後の魔法界とマグル界の関係を決定づける、あまりにも重い一線だった。
ジェームズは、しばらくその場に残っていた。
会議を終えてぞろぞろと退出していく役人たちの背中を視界の端に収めながら、指先に残る羊皮紙のざらつきをぼんやりと感じている。
――負けた。
はっきりと言葉にすると、胸の奥に沈んだ塊が、さらに重くなった。
騎士団は理想を掲げた。対話を、共存を、マグルとの無用な対立を避ける道を模索し続けた。
だが現実は、デモの完全な鎮圧すら叶わず、最終的に「法務部への権限移譲」という形で幕を引かれた。
レギュラス・ブラックの冷徹な筆跡が乗った承認書類が、全てを物語っている。
騎士団の努力も、抗いも、今はただ、文書の一行として処理されただけだ。
それでも――
ジェームズは手元の別の資料を見下ろした。
そこには、関所問題とは別に、緊急案件として扱われている報告書が綴じられている。
秘密の部屋。
ホグワーツ城の奥深くで見つかった、トム・リドルの日記。
ハリーが自らの手で破壊したという、その黒く薄い本。
紙面には、解読班と闇の魔術専門家たちによる報告が、細かい字で並んでいた。
――魂の断片を器に封じ込め、不死性を高める禁術。
名前は、ホークラックス。
ジェームズは、その単語の横に朱で引かれた線を指でなぞる。
魔力測定記録。日記から溢れ出た魔力の残滓。
復元された闇の魔術式。
どれもが、ひとつの結論を指し示していた。
あれは、ただの呪われた日記ではなかった。
ヴォルデモートの魂そのものが封じられた「器」――その一つだったという事実。
「……他にも、ある」
ぽつりと漏れた自分の声が、やけに広く感じる部屋の中で反響する。
日記がホークラックスであるならば、彼は同じ手段を何度も使っているに違いない。
魂を幾つにも引き裂き、あらゆる場所に隠し、守らせている。
一つ壊しただけでは、ヴォルデモートは死なない。
核に迫ったのは確かだが――まだ、届いていない。
ジェームズは報告書の次のページをめくる。
そこには、もう一つの名前が記されていた。
アラン・ブラック。
旧姓、アラン・セシール。
セシール家。
かつてマグルの手によって一夜にして滅ぼされた名家。
封印の魔術に特化した一族。
その最後の生き残りとして、ヴォルデモートに捕らえられ、地下に幽閉されていた女。
「封印……役割」
報告書の中に、かつての尋問記録や、闇の帝王の側近が残していた断片的なメモが記載されている。
“あの娘の血は、封印に適している”
“永遠に解けない蓋として利用する”
“あの一族の力は、死をも閉じ込める”
ジェームズは、こめかみを押さえる。
ぼんやりとした仮説が、徐々に形を持ちはじめる感覚があった。
もし――
もし、ヴォルデモートが自らのホークラックスのうちひとつを、セシール家の「封印」としてアランに担わせていたとしたら。
あの女の血筋が生きている限り、その封印は解けない。
壊すことも、暴くことも、触れることすら難しい。
ヴォルデモートの魂は、その封印ごと保存されてしまっていることになる。
ジェームズはゆっくりと椅子にもたれかかり、天井を仰いだ。
「……冗談だろ」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
冗談のような話だ。だが、資料を組み合わせれば組み合わせるほど、論理は一つの結論へと収束していく。
ヴォルデモートは、アラン・セシールという器を得ることで、自分の魂の一部を“永遠に封じられたまま守る”ことができる。
その封印を壊そうとすれば、アラン自身の血と命を否応なく巻き込む。
セシール家の血筋が生きている限り――ホークラックスは完全には破壊されない。
つまり。
ヴォルデモートの「核」に迫るためには。
最悪の選択肢として、アラン・ブラックという存在そのものを、断たなければならない可能性がある。
「……ここまで救いようのない話って、あるかよ」
ジェームズは、指の関節が白くなるほど拳を握りしめた。
関所の権限など、些末事に思えるくらいだ。
法務部に敗れたかどうかなどという議論が、あまりに小さく思えてしまう。
騎士団が、この件で手に入れたものは――ただの「情報」ではない。
ヴォルデモートを本当に殺せるかどうか、その可能性を左右する「鍵」だ。
その鍵が、あの女の血に絡め取られている。
アラン・ブラック。
レギュラス・ブラックの妻。
魔法界が「悲劇の女」として持ち上げる存在。
地下牢の過去から救い上げられた、純血名家に嫁いだセシール家の娘。
そして――
シリウス・ブラックの心を、中途半端に掴んで離さない女。
ジェームズは、奥歯を強く噛みしめる。
脳裏に浮かぶのは、親友の顔だ。
普段は豪快に笑っているくせに、彼女を話題にするときだけ、妙に視線を逸らす。
「何もねぇよ」と口では言いながら、声の端に滲む痛み。
そんな男の心を縫い止めたまま、何も知らないふりで、穏やかに微笑む女。
子をもうけ、ブラック家の妻として堂々と立っている女。
夫の罪を知りながら、それを共に背負い、彼の隣を選び続けた女。
――夫の罪を庇う物語は、美しいのかもしれない。
世間はそう言うだろう。
ウィッチウィークリーは、きっと美辞麗句を並べ立てる。
悲劇の過去を持ちながらも、冷酷な法務長官の心を温める妻。
闇の帝王に囚われた少女が、今や魔法界の顔となる――そんな筋書きは、人々の心をくすぐるだろう。
だが、それは詭弁だ。
レギュラスの決定の数々を見てきた。
治験の件も、関所の件も、マグルへの締め付けも。
それらに、黙って寄り添い続けるということは――選ばないという選択肢を捨てたということだ。
“共に背負う”と決めた瞬間から、その罪は半分ずつだ。
笑って隣に立つならば、その笑みは、罪の重さの上に成り立っている。
アラン・ブラックは、ただの“被害者”ではない。
もうとっくに、彼女自身の意志で、こちら側に足を踏み入れている。
「同罪だよ……」
ジェームズはぽつりと呟いた。
アラン自身の罪も、もはやレギュラスと変わりないほどに巨大だ。
そして今や、彼女の存在そのものが、ヴォルデモートをこの世界に繋ぎ止める鎖になっている。
殺さなかった代償。
あの地下牢で、「救う」という選択がなされてしまったことの、途方もないツケ。
そこまで考えて、ジェームズは静かに目を閉じた。
――やはり、早いところ殺しておくべきだったのかもしれない。
その考えが頭をかすめた瞬間、強烈な自己嫌悪が胸に湧き上がる。
リリーの顔が浮かぶ。
ハリーの笑顔が浮かぶ。
彼らがこの話を聞いたら、どんな顔をするだろうか。
それでも、現実は残酷にここにある。
封印は、生きている。
封印の器は、レギュラス・ブラックの腕の中で眠り、笑い、子供たちを抱いている。
騎士団の目的は、もう法務部と小競り合いをしている場合ではない。
「……変えないといけないな」
ジェームズは椅子から立ち上がった。
窓の外には、暮れかけた空が広がっている。
魔法省の塔の向こう側で、遠くに関所の結界が淡く光っているのが見えた気がした。
関所の権限は、法務部のものになった。
騎士団は、表舞台では敗北した。
だが、その裏で――
彼らだけが知る「真実」がひとつ、手の内に転がり込んでいる。
ヴォルデモートの核に迫る鍵。
そして、その鍵に絡みつく、アラン・ブラックという存在。
もう、レギュラスとの泥仕合に時間を費やしている場合ではない。
騎士団は、もっと先を見据えなければならない。
ジェームズは、深く息を吸い込むと、会議室を後にした。
廊下に出ると、冷たい空気が頬を撫でる。
その冷たさの中で、決意だけが、静かに熱を帯びていく。
――あの女を、どうするか。
それが、これからの戦いの行方を大きく左右する。
法務部との対立とは桁違いの、もっと残酷で、もっと醜い選択が、眼前に立ちはだかっているのだと、彼はようやく自覚したのだった。
その夜、レギュラスはいつになく静かな足取りで屋敷の玄関をくぐった。
重厚な扉が背後で閉まる音が、やけに遠くに聞こえる。肩にのしかかる疲労は、もはやローブの重さなのか、自分の体重なのかも判別できないほどだった。
魔法省を出るときから、こめかみの奥では、あの名がしつこくうずいていた。
――シリウス・ブラック。
アランが訪ねた男。彼女を抱きしめ、彼女に口づけを落とした過去を持つ男。
考えまいとすればするほど、思考はそこに滑っていく。
けれど今は、怒りを燃やすだけの体力すら残っていない。
関所問題、警務部と法務部の連携、マグル側との小競り合い、騎士団の動き。
あまりにも多くのものに囲まれて、心のどこかで、ふっと何かが折れた気がした。
廊下を進むと、寝室の方から淡い明かりが漏れている。
扉を開けると、アランがソファに座り、膝の上にひざ掛けを置き、静かに本を開いていた。
彼女は音もなく顔を上げる。翡翠色の瞳が、灯りの柔らかさを受けてこちらを見つめた。
――責めようと思えば、いくらでも言葉は並べられる。
「どこへ行ったのか」「なぜ黙っていたのか」「なぜシリウスを選んだのか」。
けれど、扉の前で準備していたはずの言葉は、彼女の視線に触れた瞬間、すべてどこかへ散っていった。
「……ただいま、アラン」
自分でも驚くほど、声は掠れていた。
アランは本をそっと閉じ、杖を手に取る。
膝の上で、細い指先と杖先がゆっくりと動き、空中に淡い光の文字が浮かんだ。
『おかえりなさい』
いつもと変わらない言葉。
いつもと変わらない笑顔。
それなのに、どこかぎこちない。こちらの機嫌をうかがうような、遠慮の色が、微かに滲んでいる。
レギュラスは胸の奥がちくりと痛んだ。
――そうだ。彼女は、怯えている。
自分が問い詰めるのではないか、責め立てるのではないかと。
シリウスの名を口にすることを強要されるのではないかと。
「遅かったですね、レギュラス」
今度は机の上の羊皮紙に文字が綴られる。
レギュラスはネクタイを緩めながら、短く息を吐いた。
「……ええ。少し、ややこしい一日でした」
そう答えると同時に、心の奥では別の声が囁く。
“彼女もまた、ややこしい一日を過ごしてきたのだろう”*と。
問いただすことは簡単だ。
ただ一言、「シリウスに会いに行く意味があったのですか」と言えばいい。
だが、その言葉を口にした先に待っているものは、きっと今以上の亀裂だ。
机の上に鞄を置き、上着を脱ぎ、無造作に肘掛け椅子の背にかける。
アランは椅子から立ち上がりかけた。きっとジャケットを受け取ろうとしたのだろう。
が、レギュラスはその手を制するように軽く首を振った。
「いいんです。今日は、自分でやります」
そう言いながら、自分でも訳のわからない感情が胸の底で渦を巻いているのを感じた。
怒りとも違う、悔しさとも違う、どうしようもない疲労と、しがみつきたいような切なさの混じった、名の付けようのない感情。
アランは少し戸惑ったように瞬きをしてから、そっと歩み寄る。
そして、ためらいがちにレギュラスの袖を摘んだ。
『お茶、淹れましょうか?』
細い指先が、問いかけるように揺れる。
レギュラスは、その手ごと自分の手で包んだ。
「……いえ、今夜は、あなたの傍に座らせてください」
アランの瞳が驚きに大きくなり、すぐに、ゆるやかな陰りを帯びる。
それは、安堵と、どこか罪悪感にも似た表情だった。
ソファに腰を下ろすと、アランは少し距離を取るようにして座った。
その距離が、今の二人の関係そのもののように思えて、煩わしかった。
レギュラスは静かに片腕を伸ばし、アランの肩を引き寄せる。
彼女の身体は、ひどく軽かった。
ふわりとショール越しに伝わる温度が、じわじわと胸に染みてくる。
「もっと、近くに」
囁くように言うと、アランは小さく頷き、レギュラスの胸に身体を預けた。
耳元に、彼女の呼吸の音がかすかに触れる。
心臓の鼓動が、互いの肋骨越しに気配だけを伝え合う。
しばらく、二人の間を沈黙が満たした。
暖炉の火がぱちりと小さくはぜる音だけが、静かな部屋に落ちる。
本当は、今この沈黙を破るのにふさわしい言葉はいくつもある。
「騎士団が」「関所が」「マグルが」。
仕事の話をするふりをして、遠回しにシリウスへと辿り着く問いを投げつけることだってできる。
けれど――レギュラスは、そっと目を閉じた。
疲れきった思考の底で、ひとつだけ、はっきりした真実が浮かび上がっている。
今、自分が欲しているのは、彼女を責め立てる材料ではない。
ただ、この暖かさだ。
「アラン」
胸に寄りかかる髪を、指先でそっとすくう。
柔らかな黒髪が、かすかに指の間を滑っていく感触が、妙に心地よかった。
アランが顔を上げる。
翡翠の瞳が、不安げに、まっすぐレギュラスを見つめている。
――この瞳が、一瞬でもシリウスの方を向いたのかもしれない。
そう思うだけで喉が焼けるようだった。
だが、今夜だけは、その思考を無理やり押し流した。
「……少し、こうしていてもいいですか」
自分でも驚くほど、弱い言い方だった。
頼みごとをするような、すがるような声。
アランは、その言葉の重さを敏感に感じ取ったのだろう。
静かに頷き、杖を取る。
レギュラスの胸元に、そっと文字が浮かんだ。
『はい。いくらでも』
その瞬間、胸の奥の何かが、音もなく崩れ落ちた気がした。
責めるべき理由は山ほどある。
信じ切れない瞬間も、嫉妬に焼かれる瞬間も、これからまだ何度も訪れるだろう。
それでも――
この腕の中で微笑み、「いくらでも」と告げる女を、今この瞬間、自分から突き放すことだけは出来なかった。
レギュラスは片腕でアランの背を抱き寄せ、もう片方の手で彼女の指を取る。
その手のひらに、自分の指でゆっくりと文字を書いた。
――ありがとう。
アランは一瞬目を丸くし、それから堪えるように瞼を伏せた。
震えるまつ毛が、柔らかな影を頬に落とす。
小さく、彼の胸元に額を寄せ、同じように指で彼の手のひらに文字を書く。
『こちらこそ、そばにいさせてくれて、ありがとうございます』
胸に、熱いものがこみ上げた。
すぐそこまで込み上げた言葉がある。
――シリウスのところへ行かないでほしい。
――彼の名前を、この屋敷の外だけでなく、あなたの心の中からも消してほしい。
けれどそのどれもが、自分の弱さの告白でしかないことも分かっている。
言ってしまえば、きっと一時の安堵は得られる。
だが同時に、彼女の自由を奪い、彼女の罪悪感によりかかることになる。
それは、違う。
レギュラスはそっとアランの頭を撫でた。
何度も、何度も。
地下牢の石畳で、声も出せずに震えていた少女を宥めたときと同じように。
「アラン」
低く名前を呼ぶと、彼女は顔を上げる。
その瞳の奥に、怯えと安堵と、言葉にならない問いが揺れていた。
「……あなたが、ここにいてくれてよかったです」
あまりにも不器用な言い方だった。
謝罪でもなければ、許しでもない。
ただ、疲れ果てた男の本音が、ぽろりと溢れただけの言葉。
それでも、アランの表情は柔らかく崩れた。
その言葉ひとつで救われたと言わんばかりに、にこりと微笑む。
そして、彼の胸元に顔を埋めるように寄り添ってきた。
――責めるのは、やめよう。
今夜だけは。
彼女がどこに行き、誰に会ったのか。どんな言葉を交わしたのか。
それら全てに蓋をし、ただこの温度だけを信じよう。
レギュラスは目を閉じ、その額をアランの髪に預けた。
彼女の体温と、髪から香る微かな花の香りが、張り詰めていた神経を少しずつ解いていく。
シリウス・ブラックの存在が、頭から完全に消えることはない。
きっとこれからも、ふとした拍子に思い出しては心をざらつかせるだろう。
だがそれでも――この女の隣に立ち続けると決めたのは、自分だ。
だから今は、彼女を責めるより先に。
彼女に縋ることを、自分に赦してやりたかった。
「……少し、眠ってもいいですか」
囁くと、アランは静かに頷き、彼の胸に手を添える。
その手は、細くて、儚くて、それでいて確かな温度を持っていた。
『おやすみなさい、レギュラス』
杖先で綴られた文字が、光となって消える。
レギュラスはその光の残像を瞼の裏に感じながら、ゆっくりと意識を手放した。
責め言葉も、問いただす言葉も、今夜はすべて飲み込んで。
ただ、自分が選んだ女のぬくもりだけを頼りに、深い眠りへ落ちていった。
騎士団本部の作戦室には、いつになく重い空気が張り詰めていた。
窓は夜の闇に閉ざされ、壁一面に広げられた魔法界とマグル界の地図には、いくつもの印と線が描き込まれている。
中央の長机には、数枚の資料と、アズカバンから取り寄せた記録書が整然と並べられていた。
ジェームズ・ポッターは、その書類の一枚を指先で押さえたまま、しばし黙り込んでいた。
いつもなら軽口のひとつも飛び出すはずの口元は強く結ばれ、その眼差しには迷いと決意がせめぎ合っている。
「……つまり、こうだ」
長い沈黙のあと、ジェームズはゆっくり顔を上げた。
向かい側にはリーマス・ルーピン、その隣には騎士団の数名の幹部が座っている。
シリウスの姿だけは、ここにはなかった。
「メイラ・ウォルブリッジの父親――『エドワード・ウォルブリッジ』。
アズカバンで獄中死したマグルの記録だ。本来なら、他の囚人と同じく無名の塚に葬られる。
だが、ここを見てくれ」
ジェームズが書類を向けると、リーマスは眉をひそめ、視線を落とした。
記録の片隅、小さな文字で書かれた追記――
《遺体処理:骨の一部、魔法省保管庫に移送/理由:特例案件》
「……本当は、そんな特例は存在しないはずだろう?」と、ジェームズ。
「アズカバンの囚人に、そんな扱いが与えられることはない。
だが、“そういう特例があった”という記録を、いくらでも作ることは出来る」
淡々とした口調が、かえって冷たく響いた。
リーマスは短く息を吐き、椅子の背にもたれた。
机の上に置かれた自分の両手を見つめる。細く、骨ばった指が、わずかに震えていた。
「ジェームズ……。
それはつまり、メイラに“父親の骨が保管されている”と信じ込ませる、ということかい」
「ああ」
ジェームズは即答した。
ためらいはあった。だが、すでにこの案を口にした瞬間から、自分の中では後戻りができないと感じていた。
「魔法省の保管庫に、彼女の父親の骨がある。
“受け取りに来るなら、正式な手続きを踏め”――そう通達する。
通達を受けるのはメイラ本人、あるいはアラン・ブラックだ。
どちらにしても、あの屋敷の耳には確実に届く」
ジェームズは指先で机をとん、と軽く叩いた。
「アラン・ブラックはメイラを手放せなかった。
マグルの娘に、あそこまで肩入れしていることを、俺たちは散々見てきた。
その根っこには、レギュラスが押し付けた“罪”がある。
――無実の罪を被らされた男。その娘に、この世界での居場所を与えることが、アランの中の償いなんだろう」
リーマスは唇を噛んだ。
言いたい言葉はいくつもあった。
だが、ジェームズの言うことが的外れだとも思えなかった。
「……その償いを揺さぶるわけだね」
「そうだ」
ジェームズの声が、低く落ちる。
「“あなたの父親の骨は、無残に処理されたりしていない。
ちゃんと魔法省の保管庫にある。……取りに来るなら来い”
そう知らせてやれば、アランは必ず綻びを見せる」
そこまで言って、ジェームズは視線を伏せた。
その瞳の奥には、冷たさと同じだけの痛みが揺れている。
「夫が罪を着せた男への、せめてもの償い。
無垢な少女の父親を奪ってしまったことへの、せめてもの救い。
アラン・ブラックは、その“せめてもの”を無視できる女じゃないはずだ」
リーマスは目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、静かに微笑むアランの姿。
自分のことなど省みず、他者に手を伸ばそうとしてしまう、あの危うい優しさ。
「……それで、アランを誘き寄せる」
「そうだ」
ジェームズは顔を上げ、その瞳に今度こそ決意を宿らせた。
「俺たちが狙うのは、アラン・ブラックだ。
彼女が封じている“何か”――ホークラックスの核に繋がる封印を揺るがせるために、
あの女を、ここから動かさなきゃならない」
机の上、トム・リドルの日記の写しが静かに横たわっている。
破壊された日記、その魔力痕から導き出された“ホークラックス”という禁術。
そして、アランがセシール家の封印の力を使って“何か”を永遠に閉じ込めているという、ほの暗い推論。
「だが、シリウスには決して言わない」
ジェームズの声が少しだけ低くなった。
「……当然だ」とリーマスが応じる。「あいつに知られたら、この作戦は一瞬で瓦解する」
「それだけじゃない」
ジェームズは、目を伏せた。
苦いものを噛み潰したような表情が、わずかに歪む。
「シリウスには、アランを利用するこの作戦を、背負わせたくない」
ふっと、室内の温度が下がったような気がした。
騎士団の幹部たちは、互いに目配せをするものの、誰も口を挟まない。
「俺たちはもう、“正義”だけでは動けない場所まで来てしまった。
ヴォルデモートの核に手を伸ばすってことは、そういうことだろう?」
ジェームズは、あえて冷淡な言葉を選んだ。
「シリウスは、あいつのことになると判断を誤る。
あの優しさは戦場では足枷になる。
だったら、最初から関わらせない方がいい」
その言葉の裏に、深い友愛があることを、リーマスは痛いほど理解していた。
だからこそ、それが残酷に聞こえる。
「ジェームズ」
静かに名を呼ぶ。
ジェームズは視線だけで応じた。
「この作戦は……メイラを利用する。
彼女の“父への想い”を、嘘で釣り上げる。
アランの償いも、彼女の祈りも、全部、罠に変えるんだ」
「分かってる」
ジェームズの声に、一瞬ひびが入った。
それでも、姿勢だけは崩さない。
「他に道があるなら教えてくれ。
ホークラックスを壊し、ヴォルデモートの核を削ぐために。
アラン・ブラックを、その封印から引きずり下ろす別の手段があるって言うなら。
俺だって、こんなやり方はしたくない」
リーマスは言葉を失った。
彼の頭の中で、いくつもの選択肢が浮かび、そしてひとつずつ潰れていく。
――レギュラスに直接交渉する?
あり得ない。あの男は封印を手放さない。
―― アランに真実を告げ、協力を求める?
それは、彼女の世界そのものを崩壊させる。彼女を壊すことになる。
結局、どの道を選んでも、誰かの犠牲は避けられない。
「……最低だよ、ジェームズ」
ようやく絞り出した言葉は、吐息と一緒に零れた。
ジェームズは、視線を逸らさなかった。
「分かってる。だからこそ、騎士団としてやるんだ。
個人の感情じゃない、“騎士団の判断”として」
リーマスは両手で顔を覆い、深く息を吸い込んだ。
胸の中で、正しさと、情と、恐怖とがぐちゃぐちゃに絡み合っている。
アラン・ブラックは悪か。
いいや、違う。
メイラ・ウォルブリッジは利用していい駒か。
それも違う。
――だが、ヴォルデモートが生きている限り、もっと多くのものが犠牲になる。
「……シリウスには、本当に黙っておくのか」
「ああ」
ジェームズは、迷いなく頷いた。
「これは、“シリウス抜きの騎士団”として動く。
あいつが知らないところで始めて、あいつが知らないうちに終わらせる。
そうしないと、あいつは―― アランのために、きっと俺たちの敵になる」
その言葉はあまりに現実的で、あまりに悲しかった。
リーマスはゆっくりと手を下ろし、ジェームズをまっすぐ見つめた。
「……分かった」
その一言に、血を流すような痛みが乗る。
「僕は反対だ。
メイラの心も、アランの心も、ずたずたに引き裂く作戦だ。
でも、それでも、やらなきゃならないと“騎士団の長”が判断したなら……
僕は、騎士団員として同意する」
ジェームズは、わずかに目を伏せた。
その横顔には、勝利とは程遠い表情が浮かんでいる。
「すまない、リーマス」
「謝るなら、最初からこんな作戦考えないでくれよ」
皮肉めいた言葉を返しながら、声はどこか掠れていた。
リーマスはゆっくりと立ち上がる。
「通達文は、俺が草案を作る。
“アズカバン特例案件として、エドワード・ウォルブリッジの遺骨は魔法省保管庫に保管されている”
“遺族の立ち会いのもと、返還手続きを行う”
……そういう筋書きでいいね」
「ああ」
ジェームズも立ち上がる。
長机を挟んで向かい合う二人の間には、騎士団として過ごしてきた年月と同じだけの、重みのある沈黙が流れた。
「アラン・ブラックは必ず来るよ」と、ジェームズは静かに言った。
「メイラ・ウォルブリッジを、あれほどまでに守ってきた女だ。
父親が無惨に扱われたまま放置されていると知れば、見過ごせない。
レギュラスに知られればまずいと分かっていても、彼女は動く。
――あの女は、いつだって、自分より他人を優先してしまう」
「だからこそ、お前は彼女を――」
リーマスはそこで言葉を呑んだ。
ジェームズの瞳には、わずかな陰りと、ほんの少しの憐れみが宿っている。
「封印を壊さなきゃならない。
彼女が守り続けているものを、引き剥がさなきゃならない。
それが、どんなに残酷でも」
ジェームズは、机の上の地図を見下ろした。
アランが住むブラック家の屋敷、魔法省、アズカバン、保管庫。
いくつもの点が線で結ばれ、その交点に赤い印がつけられている。
「メイラ・ウォルブリッジへの通達は、一週間後だ。
まずは魔法省経由で“父親の件に関する知らせ”として封書を出す。
その中に、“骨は保管されている”という一文と、“立ち会い日時”の候補を記す。
返事をするのは、アランかもしれないし、メイラ本人かもしれない。
どちらにせよ、屋敷の誰かが動いた瞬間――俺たちは、その動きを追う」
リーマスは静かに頷いた。
胸の中に、重い石のようなものが沈んでいく。
「……シリウスに、勘づかれないようにしないとね」
「ああ。それが一番難しいかもしれない」
ジェームズは、かすかに笑った。
それは冗談にもならない、乾いた笑いだった。
「あいつがアランのために暴れだしたら、騎士団の方が先に割れる。
だから、シリウスには“関所の件の後処理”や、“マグルのデモの余波”の仕事を多めに振る。
彼を“忙しく”しておくんだ。
アランの名前が、作戦書のどこにも載らないように」
「……分かった。僕が書類の方は調整する」
リーマスの声は、静かだった。
諦念と覚悟が、均等に混ざり合った声音。
作戦室を出る前、二人は一度だけ視線を合わせた。
そこにあるのは、勝利への高揚ではない。
正しさだけを信じていた若い頃から、とうに戻れない場所にいるという自覚だった。
「これで、本当にヴォルデモートの核に近づけるのかもしれない」とジェームズ。
「そのために、一人の女と、一人の娘の心を踏みにじることになっても?」
リーマスの問いに、ジェームズは目をそらさなかった。
「……ああ。俺は、その罪も含めて、“騎士団の長”として引き受ける」
その言葉は、宣誓にも、呪いにも似ていた。
扉が開き、冷たい廊下の空気が流れ込んでくる。
ジェームズ・ポッターとリーマス・ルーピンは、騎士団の名のもとに、アラン・ブラックを誘き寄せるための、あまりにも巧妙で、あまりにも残酷な罠の第一歩を踏み出した。
――その計画を、シリウスがまだ何も知らないまま。
関所問題の協議が行われた直後の空気は、奇妙な静けさに満ちている。
騎士団側の席は、誰もが言葉少なだった。負けを認めると口にはしていない。けれど――実質的な敗北だということは、全員が理解していた。
関所の権限は、正式に法務部へと移譲された。
書類の上で交わされたのは、たった数枚のサインと印章だけだ。
けれど、それは今後の魔法界とマグル界の関係を決定づける、あまりにも重い一線だった。
ジェームズは、しばらくその場に残っていた。
会議を終えてぞろぞろと退出していく役人たちの背中を視界の端に収めながら、指先に残る羊皮紙のざらつきをぼんやりと感じている。
――負けた。
はっきりと言葉にすると、胸の奥に沈んだ塊が、さらに重くなった。
騎士団は理想を掲げた。対話を、共存を、マグルとの無用な対立を避ける道を模索し続けた。
だが現実は、デモの完全な鎮圧すら叶わず、最終的に「法務部への権限移譲」という形で幕を引かれた。
レギュラス・ブラックの冷徹な筆跡が乗った承認書類が、全てを物語っている。
騎士団の努力も、抗いも、今はただ、文書の一行として処理されただけだ。
それでも――
ジェームズは手元の別の資料を見下ろした。
そこには、関所問題とは別に、緊急案件として扱われている報告書が綴じられている。
秘密の部屋。
ホグワーツ城の奥深くで見つかった、トム・リドルの日記。
ハリーが自らの手で破壊したという、その黒く薄い本。
紙面には、解読班と闇の魔術専門家たちによる報告が、細かい字で並んでいた。
――魂の断片を器に封じ込め、不死性を高める禁術。
名前は、ホークラックス。
ジェームズは、その単語の横に朱で引かれた線を指でなぞる。
魔力測定記録。日記から溢れ出た魔力の残滓。
復元された闇の魔術式。
どれもが、ひとつの結論を指し示していた。
あれは、ただの呪われた日記ではなかった。
ヴォルデモートの魂そのものが封じられた「器」――その一つだったという事実。
「……他にも、ある」
ぽつりと漏れた自分の声が、やけに広く感じる部屋の中で反響する。
日記がホークラックスであるならば、彼は同じ手段を何度も使っているに違いない。
魂を幾つにも引き裂き、あらゆる場所に隠し、守らせている。
一つ壊しただけでは、ヴォルデモートは死なない。
核に迫ったのは確かだが――まだ、届いていない。
ジェームズは報告書の次のページをめくる。
そこには、もう一つの名前が記されていた。
アラン・ブラック。
旧姓、アラン・セシール。
セシール家。
かつてマグルの手によって一夜にして滅ぼされた名家。
封印の魔術に特化した一族。
その最後の生き残りとして、ヴォルデモートに捕らえられ、地下に幽閉されていた女。
「封印……役割」
報告書の中に、かつての尋問記録や、闇の帝王の側近が残していた断片的なメモが記載されている。
“あの娘の血は、封印に適している”
“永遠に解けない蓋として利用する”
“あの一族の力は、死をも閉じ込める”
ジェームズは、こめかみを押さえる。
ぼんやりとした仮説が、徐々に形を持ちはじめる感覚があった。
もし――
もし、ヴォルデモートが自らのホークラックスのうちひとつを、セシール家の「封印」としてアランに担わせていたとしたら。
あの女の血筋が生きている限り、その封印は解けない。
壊すことも、暴くことも、触れることすら難しい。
ヴォルデモートの魂は、その封印ごと保存されてしまっていることになる。
ジェームズはゆっくりと椅子にもたれかかり、天井を仰いだ。
「……冗談だろ」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
冗談のような話だ。だが、資料を組み合わせれば組み合わせるほど、論理は一つの結論へと収束していく。
ヴォルデモートは、アラン・セシールという器を得ることで、自分の魂の一部を“永遠に封じられたまま守る”ことができる。
その封印を壊そうとすれば、アラン自身の血と命を否応なく巻き込む。
セシール家の血筋が生きている限り――ホークラックスは完全には破壊されない。
つまり。
ヴォルデモートの「核」に迫るためには。
最悪の選択肢として、アラン・ブラックという存在そのものを、断たなければならない可能性がある。
「……ここまで救いようのない話って、あるかよ」
ジェームズは、指の関節が白くなるほど拳を握りしめた。
関所の権限など、些末事に思えるくらいだ。
法務部に敗れたかどうかなどという議論が、あまりに小さく思えてしまう。
騎士団が、この件で手に入れたものは――ただの「情報」ではない。
ヴォルデモートを本当に殺せるかどうか、その可能性を左右する「鍵」だ。
その鍵が、あの女の血に絡め取られている。
アラン・ブラック。
レギュラス・ブラックの妻。
魔法界が「悲劇の女」として持ち上げる存在。
地下牢の過去から救い上げられた、純血名家に嫁いだセシール家の娘。
そして――
シリウス・ブラックの心を、中途半端に掴んで離さない女。
ジェームズは、奥歯を強く噛みしめる。
脳裏に浮かぶのは、親友の顔だ。
普段は豪快に笑っているくせに、彼女を話題にするときだけ、妙に視線を逸らす。
「何もねぇよ」と口では言いながら、声の端に滲む痛み。
そんな男の心を縫い止めたまま、何も知らないふりで、穏やかに微笑む女。
子をもうけ、ブラック家の妻として堂々と立っている女。
夫の罪を知りながら、それを共に背負い、彼の隣を選び続けた女。
――夫の罪を庇う物語は、美しいのかもしれない。
世間はそう言うだろう。
ウィッチウィークリーは、きっと美辞麗句を並べ立てる。
悲劇の過去を持ちながらも、冷酷な法務長官の心を温める妻。
闇の帝王に囚われた少女が、今や魔法界の顔となる――そんな筋書きは、人々の心をくすぐるだろう。
だが、それは詭弁だ。
レギュラスの決定の数々を見てきた。
治験の件も、関所の件も、マグルへの締め付けも。
それらに、黙って寄り添い続けるということは――選ばないという選択肢を捨てたということだ。
“共に背負う”と決めた瞬間から、その罪は半分ずつだ。
笑って隣に立つならば、その笑みは、罪の重さの上に成り立っている。
アラン・ブラックは、ただの“被害者”ではない。
もうとっくに、彼女自身の意志で、こちら側に足を踏み入れている。
「同罪だよ……」
ジェームズはぽつりと呟いた。
アラン自身の罪も、もはやレギュラスと変わりないほどに巨大だ。
そして今や、彼女の存在そのものが、ヴォルデモートをこの世界に繋ぎ止める鎖になっている。
殺さなかった代償。
あの地下牢で、「救う」という選択がなされてしまったことの、途方もないツケ。
そこまで考えて、ジェームズは静かに目を閉じた。
――やはり、早いところ殺しておくべきだったのかもしれない。
その考えが頭をかすめた瞬間、強烈な自己嫌悪が胸に湧き上がる。
リリーの顔が浮かぶ。
ハリーの笑顔が浮かぶ。
彼らがこの話を聞いたら、どんな顔をするだろうか。
それでも、現実は残酷にここにある。
封印は、生きている。
封印の器は、レギュラス・ブラックの腕の中で眠り、笑い、子供たちを抱いている。
騎士団の目的は、もう法務部と小競り合いをしている場合ではない。
「……変えないといけないな」
ジェームズは椅子から立ち上がった。
窓の外には、暮れかけた空が広がっている。
魔法省の塔の向こう側で、遠くに関所の結界が淡く光っているのが見えた気がした。
関所の権限は、法務部のものになった。
騎士団は、表舞台では敗北した。
だが、その裏で――
彼らだけが知る「真実」がひとつ、手の内に転がり込んでいる。
ヴォルデモートの核に迫る鍵。
そして、その鍵に絡みつく、アラン・ブラックという存在。
もう、レギュラスとの泥仕合に時間を費やしている場合ではない。
騎士団は、もっと先を見据えなければならない。
ジェームズは、深く息を吸い込むと、会議室を後にした。
廊下に出ると、冷たい空気が頬を撫でる。
その冷たさの中で、決意だけが、静かに熱を帯びていく。
――あの女を、どうするか。
それが、これからの戦いの行方を大きく左右する。
法務部との対立とは桁違いの、もっと残酷で、もっと醜い選択が、眼前に立ちはだかっているのだと、彼はようやく自覚したのだった。
その夜、レギュラスはいつになく静かな足取りで屋敷の玄関をくぐった。
重厚な扉が背後で閉まる音が、やけに遠くに聞こえる。肩にのしかかる疲労は、もはやローブの重さなのか、自分の体重なのかも判別できないほどだった。
魔法省を出るときから、こめかみの奥では、あの名がしつこくうずいていた。
――シリウス・ブラック。
アランが訪ねた男。彼女を抱きしめ、彼女に口づけを落とした過去を持つ男。
考えまいとすればするほど、思考はそこに滑っていく。
けれど今は、怒りを燃やすだけの体力すら残っていない。
関所問題、警務部と法務部の連携、マグル側との小競り合い、騎士団の動き。
あまりにも多くのものに囲まれて、心のどこかで、ふっと何かが折れた気がした。
廊下を進むと、寝室の方から淡い明かりが漏れている。
扉を開けると、アランがソファに座り、膝の上にひざ掛けを置き、静かに本を開いていた。
彼女は音もなく顔を上げる。翡翠色の瞳が、灯りの柔らかさを受けてこちらを見つめた。
――責めようと思えば、いくらでも言葉は並べられる。
「どこへ行ったのか」「なぜ黙っていたのか」「なぜシリウスを選んだのか」。
けれど、扉の前で準備していたはずの言葉は、彼女の視線に触れた瞬間、すべてどこかへ散っていった。
「……ただいま、アラン」
自分でも驚くほど、声は掠れていた。
アランは本をそっと閉じ、杖を手に取る。
膝の上で、細い指先と杖先がゆっくりと動き、空中に淡い光の文字が浮かんだ。
『おかえりなさい』
いつもと変わらない言葉。
いつもと変わらない笑顔。
それなのに、どこかぎこちない。こちらの機嫌をうかがうような、遠慮の色が、微かに滲んでいる。
レギュラスは胸の奥がちくりと痛んだ。
――そうだ。彼女は、怯えている。
自分が問い詰めるのではないか、責め立てるのではないかと。
シリウスの名を口にすることを強要されるのではないかと。
「遅かったですね、レギュラス」
今度は机の上の羊皮紙に文字が綴られる。
レギュラスはネクタイを緩めながら、短く息を吐いた。
「……ええ。少し、ややこしい一日でした」
そう答えると同時に、心の奥では別の声が囁く。
“彼女もまた、ややこしい一日を過ごしてきたのだろう”*と。
問いただすことは簡単だ。
ただ一言、「シリウスに会いに行く意味があったのですか」と言えばいい。
だが、その言葉を口にした先に待っているものは、きっと今以上の亀裂だ。
机の上に鞄を置き、上着を脱ぎ、無造作に肘掛け椅子の背にかける。
アランは椅子から立ち上がりかけた。きっとジャケットを受け取ろうとしたのだろう。
が、レギュラスはその手を制するように軽く首を振った。
「いいんです。今日は、自分でやります」
そう言いながら、自分でも訳のわからない感情が胸の底で渦を巻いているのを感じた。
怒りとも違う、悔しさとも違う、どうしようもない疲労と、しがみつきたいような切なさの混じった、名の付けようのない感情。
アランは少し戸惑ったように瞬きをしてから、そっと歩み寄る。
そして、ためらいがちにレギュラスの袖を摘んだ。
『お茶、淹れましょうか?』
細い指先が、問いかけるように揺れる。
レギュラスは、その手ごと自分の手で包んだ。
「……いえ、今夜は、あなたの傍に座らせてください」
アランの瞳が驚きに大きくなり、すぐに、ゆるやかな陰りを帯びる。
それは、安堵と、どこか罪悪感にも似た表情だった。
ソファに腰を下ろすと、アランは少し距離を取るようにして座った。
その距離が、今の二人の関係そのもののように思えて、煩わしかった。
レギュラスは静かに片腕を伸ばし、アランの肩を引き寄せる。
彼女の身体は、ひどく軽かった。
ふわりとショール越しに伝わる温度が、じわじわと胸に染みてくる。
「もっと、近くに」
囁くように言うと、アランは小さく頷き、レギュラスの胸に身体を預けた。
耳元に、彼女の呼吸の音がかすかに触れる。
心臓の鼓動が、互いの肋骨越しに気配だけを伝え合う。
しばらく、二人の間を沈黙が満たした。
暖炉の火がぱちりと小さくはぜる音だけが、静かな部屋に落ちる。
本当は、今この沈黙を破るのにふさわしい言葉はいくつもある。
「騎士団が」「関所が」「マグルが」。
仕事の話をするふりをして、遠回しにシリウスへと辿り着く問いを投げつけることだってできる。
けれど――レギュラスは、そっと目を閉じた。
疲れきった思考の底で、ひとつだけ、はっきりした真実が浮かび上がっている。
今、自分が欲しているのは、彼女を責め立てる材料ではない。
ただ、この暖かさだ。
「アラン」
胸に寄りかかる髪を、指先でそっとすくう。
柔らかな黒髪が、かすかに指の間を滑っていく感触が、妙に心地よかった。
アランが顔を上げる。
翡翠の瞳が、不安げに、まっすぐレギュラスを見つめている。
――この瞳が、一瞬でもシリウスの方を向いたのかもしれない。
そう思うだけで喉が焼けるようだった。
だが、今夜だけは、その思考を無理やり押し流した。
「……少し、こうしていてもいいですか」
自分でも驚くほど、弱い言い方だった。
頼みごとをするような、すがるような声。
アランは、その言葉の重さを敏感に感じ取ったのだろう。
静かに頷き、杖を取る。
レギュラスの胸元に、そっと文字が浮かんだ。
『はい。いくらでも』
その瞬間、胸の奥の何かが、音もなく崩れ落ちた気がした。
責めるべき理由は山ほどある。
信じ切れない瞬間も、嫉妬に焼かれる瞬間も、これからまだ何度も訪れるだろう。
それでも――
この腕の中で微笑み、「いくらでも」と告げる女を、今この瞬間、自分から突き放すことだけは出来なかった。
レギュラスは片腕でアランの背を抱き寄せ、もう片方の手で彼女の指を取る。
その手のひらに、自分の指でゆっくりと文字を書いた。
――ありがとう。
アランは一瞬目を丸くし、それから堪えるように瞼を伏せた。
震えるまつ毛が、柔らかな影を頬に落とす。
小さく、彼の胸元に額を寄せ、同じように指で彼の手のひらに文字を書く。
『こちらこそ、そばにいさせてくれて、ありがとうございます』
胸に、熱いものがこみ上げた。
すぐそこまで込み上げた言葉がある。
――シリウスのところへ行かないでほしい。
――彼の名前を、この屋敷の外だけでなく、あなたの心の中からも消してほしい。
けれどそのどれもが、自分の弱さの告白でしかないことも分かっている。
言ってしまえば、きっと一時の安堵は得られる。
だが同時に、彼女の自由を奪い、彼女の罪悪感によりかかることになる。
それは、違う。
レギュラスはそっとアランの頭を撫でた。
何度も、何度も。
地下牢の石畳で、声も出せずに震えていた少女を宥めたときと同じように。
「アラン」
低く名前を呼ぶと、彼女は顔を上げる。
その瞳の奥に、怯えと安堵と、言葉にならない問いが揺れていた。
「……あなたが、ここにいてくれてよかったです」
あまりにも不器用な言い方だった。
謝罪でもなければ、許しでもない。
ただ、疲れ果てた男の本音が、ぽろりと溢れただけの言葉。
それでも、アランの表情は柔らかく崩れた。
その言葉ひとつで救われたと言わんばかりに、にこりと微笑む。
そして、彼の胸元に顔を埋めるように寄り添ってきた。
――責めるのは、やめよう。
今夜だけは。
彼女がどこに行き、誰に会ったのか。どんな言葉を交わしたのか。
それら全てに蓋をし、ただこの温度だけを信じよう。
レギュラスは目を閉じ、その額をアランの髪に預けた。
彼女の体温と、髪から香る微かな花の香りが、張り詰めていた神経を少しずつ解いていく。
シリウス・ブラックの存在が、頭から完全に消えることはない。
きっとこれからも、ふとした拍子に思い出しては心をざらつかせるだろう。
だがそれでも――この女の隣に立ち続けると決めたのは、自分だ。
だから今は、彼女を責めるより先に。
彼女に縋ることを、自分に赦してやりたかった。
「……少し、眠ってもいいですか」
囁くと、アランは静かに頷き、彼の胸に手を添える。
その手は、細くて、儚くて、それでいて確かな温度を持っていた。
『おやすみなさい、レギュラス』
杖先で綴られた文字が、光となって消える。
レギュラスはその光の残像を瞼の裏に感じながら、ゆっくりと意識を手放した。
責め言葉も、問いただす言葉も、今夜はすべて飲み込んで。
ただ、自分が選んだ女のぬくもりだけを頼りに、深い眠りへ落ちていった。
騎士団本部の作戦室には、いつになく重い空気が張り詰めていた。
窓は夜の闇に閉ざされ、壁一面に広げられた魔法界とマグル界の地図には、いくつもの印と線が描き込まれている。
中央の長机には、数枚の資料と、アズカバンから取り寄せた記録書が整然と並べられていた。
ジェームズ・ポッターは、その書類の一枚を指先で押さえたまま、しばし黙り込んでいた。
いつもなら軽口のひとつも飛び出すはずの口元は強く結ばれ、その眼差しには迷いと決意がせめぎ合っている。
「……つまり、こうだ」
長い沈黙のあと、ジェームズはゆっくり顔を上げた。
向かい側にはリーマス・ルーピン、その隣には騎士団の数名の幹部が座っている。
シリウスの姿だけは、ここにはなかった。
「メイラ・ウォルブリッジの父親――『エドワード・ウォルブリッジ』。
アズカバンで獄中死したマグルの記録だ。本来なら、他の囚人と同じく無名の塚に葬られる。
だが、ここを見てくれ」
ジェームズが書類を向けると、リーマスは眉をひそめ、視線を落とした。
記録の片隅、小さな文字で書かれた追記――
《遺体処理:骨の一部、魔法省保管庫に移送/理由:特例案件》
「……本当は、そんな特例は存在しないはずだろう?」と、ジェームズ。
「アズカバンの囚人に、そんな扱いが与えられることはない。
だが、“そういう特例があった”という記録を、いくらでも作ることは出来る」
淡々とした口調が、かえって冷たく響いた。
リーマスは短く息を吐き、椅子の背にもたれた。
机の上に置かれた自分の両手を見つめる。細く、骨ばった指が、わずかに震えていた。
「ジェームズ……。
それはつまり、メイラに“父親の骨が保管されている”と信じ込ませる、ということかい」
「ああ」
ジェームズは即答した。
ためらいはあった。だが、すでにこの案を口にした瞬間から、自分の中では後戻りができないと感じていた。
「魔法省の保管庫に、彼女の父親の骨がある。
“受け取りに来るなら、正式な手続きを踏め”――そう通達する。
通達を受けるのはメイラ本人、あるいはアラン・ブラックだ。
どちらにしても、あの屋敷の耳には確実に届く」
ジェームズは指先で机をとん、と軽く叩いた。
「アラン・ブラックはメイラを手放せなかった。
マグルの娘に、あそこまで肩入れしていることを、俺たちは散々見てきた。
その根っこには、レギュラスが押し付けた“罪”がある。
――無実の罪を被らされた男。その娘に、この世界での居場所を与えることが、アランの中の償いなんだろう」
リーマスは唇を噛んだ。
言いたい言葉はいくつもあった。
だが、ジェームズの言うことが的外れだとも思えなかった。
「……その償いを揺さぶるわけだね」
「そうだ」
ジェームズの声が、低く落ちる。
「“あなたの父親の骨は、無残に処理されたりしていない。
ちゃんと魔法省の保管庫にある。……取りに来るなら来い”
そう知らせてやれば、アランは必ず綻びを見せる」
そこまで言って、ジェームズは視線を伏せた。
その瞳の奥には、冷たさと同じだけの痛みが揺れている。
「夫が罪を着せた男への、せめてもの償い。
無垢な少女の父親を奪ってしまったことへの、せめてもの救い。
アラン・ブラックは、その“せめてもの”を無視できる女じゃないはずだ」
リーマスは目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、静かに微笑むアランの姿。
自分のことなど省みず、他者に手を伸ばそうとしてしまう、あの危うい優しさ。
「……それで、アランを誘き寄せる」
「そうだ」
ジェームズは顔を上げ、その瞳に今度こそ決意を宿らせた。
「俺たちが狙うのは、アラン・ブラックだ。
彼女が封じている“何か”――ホークラックスの核に繋がる封印を揺るがせるために、
あの女を、ここから動かさなきゃならない」
机の上、トム・リドルの日記の写しが静かに横たわっている。
破壊された日記、その魔力痕から導き出された“ホークラックス”という禁術。
そして、アランがセシール家の封印の力を使って“何か”を永遠に閉じ込めているという、ほの暗い推論。
「だが、シリウスには決して言わない」
ジェームズの声が少しだけ低くなった。
「……当然だ」とリーマスが応じる。「あいつに知られたら、この作戦は一瞬で瓦解する」
「それだけじゃない」
ジェームズは、目を伏せた。
苦いものを噛み潰したような表情が、わずかに歪む。
「シリウスには、アランを利用するこの作戦を、背負わせたくない」
ふっと、室内の温度が下がったような気がした。
騎士団の幹部たちは、互いに目配せをするものの、誰も口を挟まない。
「俺たちはもう、“正義”だけでは動けない場所まで来てしまった。
ヴォルデモートの核に手を伸ばすってことは、そういうことだろう?」
ジェームズは、あえて冷淡な言葉を選んだ。
「シリウスは、あいつのことになると判断を誤る。
あの優しさは戦場では足枷になる。
だったら、最初から関わらせない方がいい」
その言葉の裏に、深い友愛があることを、リーマスは痛いほど理解していた。
だからこそ、それが残酷に聞こえる。
「ジェームズ」
静かに名を呼ぶ。
ジェームズは視線だけで応じた。
「この作戦は……メイラを利用する。
彼女の“父への想い”を、嘘で釣り上げる。
アランの償いも、彼女の祈りも、全部、罠に変えるんだ」
「分かってる」
ジェームズの声に、一瞬ひびが入った。
それでも、姿勢だけは崩さない。
「他に道があるなら教えてくれ。
ホークラックスを壊し、ヴォルデモートの核を削ぐために。
アラン・ブラックを、その封印から引きずり下ろす別の手段があるって言うなら。
俺だって、こんなやり方はしたくない」
リーマスは言葉を失った。
彼の頭の中で、いくつもの選択肢が浮かび、そしてひとつずつ潰れていく。
――レギュラスに直接交渉する?
あり得ない。あの男は封印を手放さない。
―― アランに真実を告げ、協力を求める?
それは、彼女の世界そのものを崩壊させる。彼女を壊すことになる。
結局、どの道を選んでも、誰かの犠牲は避けられない。
「……最低だよ、ジェームズ」
ようやく絞り出した言葉は、吐息と一緒に零れた。
ジェームズは、視線を逸らさなかった。
「分かってる。だからこそ、騎士団としてやるんだ。
個人の感情じゃない、“騎士団の判断”として」
リーマスは両手で顔を覆い、深く息を吸い込んだ。
胸の中で、正しさと、情と、恐怖とがぐちゃぐちゃに絡み合っている。
アラン・ブラックは悪か。
いいや、違う。
メイラ・ウォルブリッジは利用していい駒か。
それも違う。
――だが、ヴォルデモートが生きている限り、もっと多くのものが犠牲になる。
「……シリウスには、本当に黙っておくのか」
「ああ」
ジェームズは、迷いなく頷いた。
「これは、“シリウス抜きの騎士団”として動く。
あいつが知らないところで始めて、あいつが知らないうちに終わらせる。
そうしないと、あいつは―― アランのために、きっと俺たちの敵になる」
その言葉はあまりに現実的で、あまりに悲しかった。
リーマスはゆっくりと手を下ろし、ジェームズをまっすぐ見つめた。
「……分かった」
その一言に、血を流すような痛みが乗る。
「僕は反対だ。
メイラの心も、アランの心も、ずたずたに引き裂く作戦だ。
でも、それでも、やらなきゃならないと“騎士団の長”が判断したなら……
僕は、騎士団員として同意する」
ジェームズは、わずかに目を伏せた。
その横顔には、勝利とは程遠い表情が浮かんでいる。
「すまない、リーマス」
「謝るなら、最初からこんな作戦考えないでくれよ」
皮肉めいた言葉を返しながら、声はどこか掠れていた。
リーマスはゆっくりと立ち上がる。
「通達文は、俺が草案を作る。
“アズカバン特例案件として、エドワード・ウォルブリッジの遺骨は魔法省保管庫に保管されている”
“遺族の立ち会いのもと、返還手続きを行う”
……そういう筋書きでいいね」
「ああ」
ジェームズも立ち上がる。
長机を挟んで向かい合う二人の間には、騎士団として過ごしてきた年月と同じだけの、重みのある沈黙が流れた。
「アラン・ブラックは必ず来るよ」と、ジェームズは静かに言った。
「メイラ・ウォルブリッジを、あれほどまでに守ってきた女だ。
父親が無惨に扱われたまま放置されていると知れば、見過ごせない。
レギュラスに知られればまずいと分かっていても、彼女は動く。
――あの女は、いつだって、自分より他人を優先してしまう」
「だからこそ、お前は彼女を――」
リーマスはそこで言葉を呑んだ。
ジェームズの瞳には、わずかな陰りと、ほんの少しの憐れみが宿っている。
「封印を壊さなきゃならない。
彼女が守り続けているものを、引き剥がさなきゃならない。
それが、どんなに残酷でも」
ジェームズは、机の上の地図を見下ろした。
アランが住むブラック家の屋敷、魔法省、アズカバン、保管庫。
いくつもの点が線で結ばれ、その交点に赤い印がつけられている。
「メイラ・ウォルブリッジへの通達は、一週間後だ。
まずは魔法省経由で“父親の件に関する知らせ”として封書を出す。
その中に、“骨は保管されている”という一文と、“立ち会い日時”の候補を記す。
返事をするのは、アランかもしれないし、メイラ本人かもしれない。
どちらにせよ、屋敷の誰かが動いた瞬間――俺たちは、その動きを追う」
リーマスは静かに頷いた。
胸の中に、重い石のようなものが沈んでいく。
「……シリウスに、勘づかれないようにしないとね」
「ああ。それが一番難しいかもしれない」
ジェームズは、かすかに笑った。
それは冗談にもならない、乾いた笑いだった。
「あいつがアランのために暴れだしたら、騎士団の方が先に割れる。
だから、シリウスには“関所の件の後処理”や、“マグルのデモの余波”の仕事を多めに振る。
彼を“忙しく”しておくんだ。
アランの名前が、作戦書のどこにも載らないように」
「……分かった。僕が書類の方は調整する」
リーマスの声は、静かだった。
諦念と覚悟が、均等に混ざり合った声音。
作戦室を出る前、二人は一度だけ視線を合わせた。
そこにあるのは、勝利への高揚ではない。
正しさだけを信じていた若い頃から、とうに戻れない場所にいるという自覚だった。
「これで、本当にヴォルデモートの核に近づけるのかもしれない」とジェームズ。
「そのために、一人の女と、一人の娘の心を踏みにじることになっても?」
リーマスの問いに、ジェームズは目をそらさなかった。
「……ああ。俺は、その罪も含めて、“騎士団の長”として引き受ける」
その言葉は、宣誓にも、呪いにも似ていた。
扉が開き、冷たい廊下の空気が流れ込んでくる。
ジェームズ・ポッターとリーマス・ルーピンは、騎士団の名のもとに、アラン・ブラックを誘き寄せるための、あまりにも巧妙で、あまりにも残酷な罠の第一歩を踏み出した。
――その計画を、シリウスがまだ何も知らないまま。
