4章
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夜明けの霧がまだ石造りの尖塔に絡みついている頃、
アルタイル・ブラックはホグワーツ城の大扉をくぐった。
古びた石畳の上を靴音が静かに響く。
父と母がかつて歩いた道を、今、自分が踏みしめている――
そう思うだけで胸が熱くなった。
入学式の夜、組み分け帽子はほとんど迷わなかった。
「スリザリン!」
その一言に、拍手と歓声が湧き起こる。
アルタイルは深く頭を下げた。
父と母が過ごした寮。
あの人たちが見上げた同じ天井の下で、
自分もまた歴史の一部となるのだと思うと、
誇らしさで胸がいっぱいになった。
しかし、喜びは長く続かなかった。
寮の廊下を歩くたび、
囁き声が背中に突き刺さる。
「ブラック家の子だ。」
「当主の跡取りだぞ。」
誰もがそう言って、
けれど誰も、アルタイルという“人間”を見てはいなかった。
談話室でも廊下でも、
近づいてくる笑顔がどこか作りものめいて見える。
「彼らは僕と話しているのか、それとも“ブラック家の跡取り”と話しているのか……」
そんな問いが、夜のたびに胸の奥をかすめる。
父の名に泥を塗らないように。
母の瞳を曇らせないように。
アルタイルはいつしか、
その二つの願いだけで自分を律するようになっていた。
だが、ホグワーツには――
父の導きも、母の手も届かない。
初めての孤独が、静かに彼を包みはじめていた。
そんなある日の午後、
中庭で魔法書を読んでいたアルタイルに、
聞き慣れない声がかかった。
「やあ、ミスター・ブラック。ちょっと話さないかい?」
顔を上げると、
そこにはグリフィンドールのローブを纏った上級生が立っていた。
赤と金の紋章が、太陽の光を受けてきらりと輝く。
それだけで、アルタイルの肩は自然とこわばった。
「……えっと、あなたは?」
「ロン・ウィーズリーさ」
その隣から、もう一人の声が柔らかく響いた。
「そんなに緊張しないでくれよ。
別に取って食おうってわけじゃないさ。」
アルタイルは一瞬、息を呑んだ。
金色の髪の隣で笑っている少年の、
翡翠のような瞳――
その色が、あまりにも母に似ていたのだ。
ハリー・ポッター。
生き残った男の子。
闇の帝王の呪いを跳ね返した唯一の存在。
そして――父の主が、永遠に討ち果たせなかった“象徴”。
言葉が出なかった。
憎むべきはずの相手なのに、
その瞳には不思議な温かさがあった。
恐怖よりも、懐かしさの方が勝ってしまう。
なぜだろう。
「スリザリンの談話室はどう?慣れた?」
「……ええ、少しずつ。」
「いい寮だと思うよ。頭も切れる人が多い。
君みたいな子なら、きっとすぐ馴染めるさ。」
ハリーの言葉に、
アルタイルは小さく頷いた。
ただ、その胸の奥では、
何かがざわめいていた。
この人は――どうしてそんな瞳をしているのだろう。
まるで母の記憶がその奥に眠っているかのように。
石畳の上で、午後の日差しがふたりの影を重ねた。
ほんの一瞬、世界が静止したように感じた。
アルタイルは胸の内で呟く。
――もし、僕がこの先の運命の先で、
この人と敵として相まみえることになるのだとしたら。
どうかその時まで、
母のような優しい光を、その瞳に残していてほしい。
昼下がりの光が、ホグワーツの中庭の噴水をきらめかせていた。
風が梢をわずかに揺らし、遠くからフクロウの鳴く声が聞こえる。
アルタイル・ブラックは石段に腰かけて、開きっぱなしの教本に視線を落としていた。
その横顔を見た瞬間、ハリー・ポッターは思わず足を止めた。
息を呑むほどだった。
――まるでシリウスに、そっくりだった。
横顔の輪郭、眉の形、そして何よりもあの灰色がかった瞳。
生前、いや、今なお生きるシリウス・ブラックが見せる“光を宿した影”のようなその表情に、
ハリーは一瞬、時間が止まったような錯覚に陥った。
ブラック家特有の気品をまとっている、と言われればそうなのかもしれない。
だが、それ以上に。
目の前の少年には、確かに“シリウス”の魂が微かに息づいている気がした。
――なぜだろう。
この少年のことを、どうしても知りたい。
それは理屈ではなかった。
ただ心の奥底が強く引き寄せられるような感覚。
直感だった。
彼の母――アラン・ブラック。
その名を聞いた瞬間、シリウスの表情が揺れたことをハリーは覚えている。
アランという女は、きっとシリウスにとって、
忘れがたい痛みと愛の両方を刻んだ存在なのだと。
そして今、そのアランの息子が自分の目の前にいる。
彼の中に、どんな血が流れているのかを確かめたい。
ハリーはゆっくりと声をかけた。
「やあ、アルタイル・ブラックだね?」
驚いたように少年が顔を上げる。
近くで見ると、その瞳の色はシリウスとは少し違って、
もう少し柔らかく、そして深かった。
灰銀の光の中に、どこか母の翡翠を思わせる色が混じっていた。
「……はい。あなたは、ハリー・ポッターさん、ですよね?」
「そう。君に一度、話してみたいと思ってたんだ。」
ハリーは少し笑ってから、真剣な眼差しを向けた。
「僕は、君のお母さんに命を救われたようなものなんだ。」
アルタイルの瞳が大きく見開かれる。
その反応に、ハリーは胸の奥で小さく確信した。
――やはり、何も聞かされていないのだ。
レギュラス・ブラックという男が、
妻がかつて闇の帝王を裏切り、
その情報が騎士団を救った――
などということを語るはずがない。
「……母が?」
「そう。十数年前、僕たちはヴォルデモートの襲撃を受けた。
けれど、君の母さんが事前に知らせてくれたおかげで、
僕も父さんも、無事に助かった。」
ハリーの声には、静かな敬意が滲んでいた。
その想いは、ただの礼ではなく、
自分が背負ってきた“生き残った意味”への答えの一つのようにも感じられた。
アルタイルはしばらく黙っていたが、やがて微笑んだ。
「……母は、すごく優しい人なんです。」
その表情を見た瞬間、ハリーの胸が熱くなった。
――そうだ、あの人もきっとそういう笑顔を見せるのだろう。
彼の言葉の一つひとつに、
アラン・ブラックという女性がどれほど深く息づいているのかが感じられた。
“スリザリンの子”と聞いて、
ほんの少しだけ警戒していた自分を恥じた。
この少年には、闇も、傲慢もない。
あるのはただ、真っ直ぐな心だけだった。
「そうなんだろうね。」
ハリーは優しく微笑んだ。
「君の母さんが書いた論文を、図書室で見つけたよ。
言葉の選び方や筆跡がとても綺麗なんだ。
もう少し学んだら、きっと君にも理解できるようになると思う。」
アルタイルは照れくさそうに笑い、
ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。」
その笑顔を見て、ハリーは確信した。
――この子となら、きっと友人になれる。
寮が違っても、立場が違っても。
風が中庭の花弁を運び、
ふたりの間にやさしく舞い落ちた。
どこか遠い過去で、
シリウスとアランが交わしたはずの約束の続きを、
今、自分と彼が紡いでいるような気がした。
ハリー・ポッターの言葉は、アルタイル・ブラックの胸を深く震わせた。
――「僕は、君のお母さんに命を救われたようなものなんだ。」
にわかには信じがたい。
母が、闇の帝王を打倒した“生き残った男の子”を救った?
そんな話、父の口から聞いたことは一度もなかった。
けれど、あの時のハリーの瞳には、嘘や作りごとなど一片もなかった。
その真摯な眼差しが、アルタイルの心をまっすぐに打った。
言葉を失ったまま立ち尽くすアルタイルに、
ハリーはただ静かに微笑んでいた。
それはどこまでも自然で、まるで長い間会えなかった友に再会したような柔らかい笑みだった。
それからの日々、アルタイルは何度も中庭や廊下でハリーたちと顔を合わせた。
ロン・ウィーズリーは人懐っこく、少し大げさで、いつも場を明るくしてくれる。
ハーマイオニー・グレンジャーは、スリザリンの生徒であるアルタイルにも
分け隔てなく丁寧に話しかけてくれる。
気づけば、ハリーとロンに誘われるまま、
夜の城を探検したり、校則すれすれの悪戯を試したりするようになっていた。
スリザリンの談話室の冷たい空気とは正反対の、
息を呑むほどあたたかい時間。
魔法界の英雄と呼ばれる少年が見せてくれる“世界の広さ”に、
アルタイルの胸は初めて自由に弾んだ。
塔の階段を駆け上がる風。
古い甲冑の影で笑いを噛み殺す瞬間。
ハリーの無鉄砲な提案に、ロンが声を荒げ、
結局三人で肩を並べて走り抜ける――
そんな些細な夜の冒険が、アルタイルにはどんな授業よりも輝いて見えた。
だが、夜が明けて部屋に戻ると、
ふと胸に小さな罪悪感が差し込む。
父の厳しい言葉が、心の奥でよみがえる。
“スリザリンの名を汚すな。”
“誇りを忘れるな。”
それでも、ハリーのことを思うと、
なぜかその声が遠のいていくような気がした。
手紙を書く夜、机の上の羊皮紙に羽ペンを走らせながら、
アルタイルは迷った。
――父と母に、何を伝えようか。
「学校生活は順調です。」
「授業も、寮も、問題ありません。」
そう書きながらも、
ハリーのことを一行たりとも書くことができなかった。
胸の奥で何かが囁いた。
“書いてはいけない。”
理由は分からない。
ただ、書いてしまえば壊れてしまうような何かが、
確かにそこにあった。
日曜日の午後、湖畔の芝生に寝転がる。
青空の下、ハリーが笑いながら魔法石を投げると、
ロンが慌てて追いかけ、波紋が幾重にも広がった。
「ほら、アルタイル! もっと肩の力を抜けって!」
「……僕はスリザリンですから。」
「関係ないさ。笑え、アルタイル!」
ハリーの声に、アルタイルはとうとう笑ってしまった。
胸の奥にあった黒い重りが、少しだけ軽くなった気がした。
城の尖塔に光が落ちていく。
その眩しさの中で、アルタイルは思った。
――母が救った少年と、今、自分がこうして笑い合っている。
それだけで、何かが繋がっている気がする。
父も母も決して知らない、
自分だけの“世界”が、ここで確かに息づいている。
胸の中で静かに誓う。
この友情を、誰にも汚させはしない。
アルタイルがスリザリン寮へ入寮したという知らせが届いた日、
レギュラス・ブラックは久しく感じていなかった満足感に満たされていた。
あの子は本当に聡明で従順な子だ――
父としての誇りと安堵が、静かに胸の奥を温めていた。
七年間、何事もなく卒業してくれればそれでいい。
余計な波風を立てず、立派に家の名を守り抜いてくれればそれで。
その朝、屋敷は珍しく賑やかだった。
今日は、かねてより依頼を受けていた魔法雑誌の取材日。
レギュラスは黒のローブを纏い、
鏡越しにネクタイの結び目を直す。
隣では、アランが贈ったばかりの淡い青灰色のドレスを身にまとっていた。
柔らかい生地が光を受けて波打つたび、
レギュラスは息を呑んだ。
「本当に綺麗です。きっと、いい写真を撮ってもらえるでしょうね。」
「……恥ずかしいわ。」
アランはわずかに目を伏せた。
控えめな笑みが、そのまま絵画のように美しい。
この姿を世に出せることを、レギュラスは誇らしくさえ思った。
やがて玄関に足音が響く。
迎え入れられたのは、二人の女性記者。
柔らかな口調で挨拶を交わす彼女たちを見て、
アランの表情が少しずつ和らいでいく。
――女性でよかった。
レギュラスは心の中で安堵した。
男の記者であれば、アランが過剰に緊張してしまっただろう。
取材は順調に進んだ。
想定していた質問がいくつも飛ぶ。
屋敷のこと、家族のこと、そして夫婦の出会いのこと。
そのほとんどに答えたのはレギュラスだった。
アランに考え込む時間を与え、
その繊細な表情を記者たちの好奇の目に晒すことを避けたかった。
彼女はただそこに“いる”だけで美しいのだから、
余計な言葉など必要なかった。
途中で屋敷しもべが紅茶を運んできた。
記者たち二人が贈ってくれたものだそうだ。
白磁のカップから立ちのぼる湯気に、
柑橘の香りがほのかに混じっている。
「香り高いですね。ダージリンですか?」
「違うわ、アールグレイよ。」
アランは困ったように微笑んで、
まるで子どもをたしなめる母のように柔らかく言った。
レギュラスは一瞬、吹き出しそうになる。
「すみません。紅茶の銘柄には疎くて。」
彼は笑いながら頭を掻いた。
ヴァルブルガ――母が好んでいたのが確かダージリンだった。
その味に似ている気がしたから、何気なく口にしただけだったのだ。
まさかの違い。
完璧に装った姿のまま、小さな間違いを犯した自分が少し可笑しかった。
記者たちは笑いながらメモを取る。
「仲の良いご夫妻ですね。」
「ええ、彼は……少し不器用ですけれど。」
アランの言葉に、レギュラスは思わず目を細めた。
その一瞬のやり取りが、
記事のどんな華やかな言葉よりも真実を映していた。
取材が終わり、扉が閉じると屋敷に静けさが戻った。
レギュラスはソファに腰を下ろし、
まだ温かい紅茶を手に取りながら、
アランを見上げる。
「……悪くなかったですね。」
「ええ。あなた、途中で笑いをこらえてたでしょう。」
「ばれましたか。」
二人の間に流れる穏やかな空気。
陽光が窓辺から差し込み、
アランの髪を金糸のように照らしている。
完璧な取材でもなく、完璧な答えでもない。
けれど――この小さな幸福こそが、
レギュラス・ブラックにとって最も“正しい姿”のように思えた。
カップの中の琥珀色が揺れる。
その香りに包まれながら、
彼はふと呟いた。
「……アールグレイ、覚えておきますよ。」
アランは小さく笑った。
その笑みは、
遠い過去の闇を少しだけ溶かしていくように見えた。
屋敷を出てすぐ、
ジェームズとリーマスは魔法で距離を取りながら、
静かに耳飾り型の盗聴具を通して二人の気配を追っていた。
冬の空気が白く霞み、遠くの樹々の間から漏れる陽光が
ブラック家の屋根の黒い瓦を淡く照らしている。
玄関の扉が閉まる音。
その直後、やわらかなアランの声が響いた。
「神秘部に向かうのでは?」
「今日はもう家にいます。」
短い会話。
しかしその一言で、二人の計画がすべて崩れ去った。
ジェームズとリーマスは目を見合わせ、
同時に深く肩を落とした。
「……はぁ。」
ため息が、冬の空に溶けて消える。
続いて、ぽん、と小さな音が響く。
何かの栓が抜かれた――酒瓶だ。
ジェームズの眉がぴくりと動く。
「ちょっと、まだお昼だわ。」
「紅茶。これで割ると美味しいですよ。」
くぐもった笑い声が混じる。
アランの困ったような声が追いかける。
「そうやって割りものでしか飲まないから、まともに分からなくなるんだわ。」
「じゃあ、少しだけ付き合ってください。」
ふたりの間に流れる空気は穏やかで、どこまでも家庭的だった。
酒の栓が抜ける音、グラスが卓に触れる小さな音、
そして微かに笑い声が重なり合う。
ジェームズは無言のまま、
耳飾りを通して聞こえてくる温かなやりとりに
複雑な感情を抱いていた。
――これが、あの“冷血な男”と恐れられたレギュラス・ブラックの姿か。
「……これ盗聴してる意味、あるのかな?」
リーマスの声が低く漏れる。
彼はもう、耳に当てていた装置を外していた。
ジェームズもまた、
指先で小さな魔具を弄びながら苦い顔をする。
「最悪だな。あの男、今日は神秘部で監査委員会がある予定だった。
絶対に出席すると踏んでたんだが……」
「向こうのほうが上手だったってことだな。」
リーマスが呟く。
雪解けの地面を踏む足音が、静寂の中に微かに響く。
ジェームズは、レギュラスがアランの手を取り、
笑いながらワインを注いでいる光景を想像してしまう。
それが胸の奥をざらつかせた。
――あんな男に、あの人が笑いかけている。
風が冷たく頬を打つ。
ジェームズは拳を握りしめた。
「……次の手を考えよう。」
「焦るなよ、ジェームズ。敵はブラック家だ。どこに罠があるかわからない。」
「わかってる。」
そう言いながらも、ジェームズの声には怒りとも焦りともつかぬ熱が混じっていた。
空の色がゆっくりと淡く変わり、
屋敷の煙突から薄い煙が立ち上る。
その煙の向こうで、
きっと二人は寄り添ってワインを分け合っているのだろう。
「……本当に、あの男は闇の中心にいるのか?」
ジェームズの問いに、リーマスは答えなかった。
ただ、視線を遠くへやり、
吹き抜ける風の音にかき消されるように、静かに息を吐いた。
魔法界を揺るがす闇の調査のはずが――
この日の午後だけは、まるで他人の幸せを盗み見た罪悪感だけが残った。
黄昏色の光がステンドグラスを透かして差し込む、
ホグワーツの古い回廊。
三人の足音が石畳を叩くたび、
その反響が静かな城の奥へと溶けていく。
「ほら、見せてあげるよ。」
ハリーが懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
それは何の変哲もない紙のように見えたが、
その表情にはどこか誇らしさが宿っている。
「これは、父さんとシリウスからもらったんだ。」
そう言って、彼は杖を構えた。
「我、いたずらを企む者なり――《我ら、いたずら仕掛け人(Mischief Managed)》。」
羊皮紙の上に、無数の線が浮かび上がった。
古い地図のように見えるが、それはまさしく“生きている地図”だった。
ホグワーツ全体をくまなく描き出し、
その廊下や部屋の中には人の名前が小さく動いている。
「……すごい。」
アルタイルは息を呑んだ。
「ね、すごいだろ? 父さんたちの最高傑作さ。」とハリー。
アルタイルは、目を輝かせたまま地図を見つめた。
「どうやって開くんですか?」
「簡単さ。こう唱えるんだ――《我、いたずらを企む者なり》。ほら、やってみて。」
アルタイルはゆっくりと杖を掲げた。
杖の先が、わずかに震える。
その動きに戸惑いながらも、
彼は教えられたとおりに呪文を唱えた。
「我、いたずらを企む者なり――」
瞬間。
――ぱん、と空気が弾ける音がした。
杖の先端が光を放ったのだ。
まるで炎と光が絡み合うように、
金と銀が混ざり合った閃光が一筋走り、
アルタイルの手の中で杖が脈打った。
「どうしちゃったんだい、君の杖……光ってるけど!」とロン。
「わかりません……どうしてなんでしょう……」
アルタイルは狼狽しながらも杖を見つめた。
その光は熱を帯びていながら、痛みではなく、
懐かしい温もりを宿していた。
「何かに反応してるのかもしれないわ。」とハーマイオニーが眉を寄せた。
「たとえば……この地図を作った人たちの魔力に。」
アルタイルは黙った。
杖を見つめる視線が、ゆっくりと震えた。
光はまるで生き物のように揺らぎながら、
一瞬だけ、紋のような模様を浮かび上がらせる。
見覚えのない、それでいて――どこか懐かしい文様。
ハリーが近づき、地図の上に杖をかざした。
同じように杖先が淡く光る。
二つの光が呼応するように共鳴し、
わずかに空気が震えた。
「……この光、見覚えがある気がする。」
ハリーの声が低く響いた。
「父さんが昔話してくれたよ。
シリウスの杖には、特別な魔法樹脂が使われてるって。杖と持ち主が強く結ばれるほど、
共鳴反応を起こすことがあるんだ。」
アルタイルの瞳が揺れる。
自分の杖と、シリウス・ブラックの杖――
その素材も、構造も、同じだという事実。
「つまり……あなたの杖は、シリウス・ブラックと同じ反応を示したってこと?」とハーマイオニー。
「そ、そんなこと……あるんでしょうか。」
誰もすぐには答えられなかった。
けれどハリーは、地図を見つめながら静かに呟いた。
「もしかしたら……この地図は、君を待ってたのかもしれない。」
その言葉に、アルタイルははっと顔を上げた。
廊下に差し込む光が、二人の杖の先を照らす。
金と銀が交じり合い、
まるで時を越えた血の記憶がそこに宿るかのようだった。
地図の端で、かすかに浮かび上がる名前があった。
――Sirius Black。
その名の隣に、一瞬だけ、薄く、もう一つの名が滲んだ。
――Altair Black。
アルタイルは息を詰めた。
手の中の杖が、まるで何かを肯定するように、
やさしく、ひとつ脈打った。
グリフィンドールの談話室。
夜も更け、火の残り香が暖炉の奥でかすかに揺れていた。
赤いカーテンが外気を遮り、空間には古い羊皮紙と焙煎豆の匂いが混じっている。
ハリーは机の上に広げたノートの上で、ペンを止めた。
頭の片隅から、どうしてもあの光景が離れない。
――アルタイルの杖が光を放った瞬間。
あれはただの偶然ではない。
彼の杖は、まるで“呼応”しているように見えた。
まるで、同じ血を流す者同士が再会を果たしたかのように。
ハリーはゆっくり息を吐いた。
「……こんな偶然って、あるのか?」
隣でお菓子を頬張っていたロンが、口いっぱいに詰め込みながら言った。
「何が?」
「アルタイルの杖だよ。あれ、シリウスの杖と同じ性質を持ってるんだ。」
ロンが不思議そうに首をかしげる。
「同じ性質? って、素材とか?」
「素材も構造も、魔力の共鳴の仕方まで同じなんだ。杖って、そんなに簡単に同じものは出来ないはずだろ?」
ハリーの声はどこか落ち着かず、指先で机を軽く叩いていた。
あの光――ただの反応ではない。
まるで杖が“懐かしさ”を覚えたかのように、柔らかく震えていたのだ。
ハリーはその時のアルタイルの顔を思い出す。
杖を見つめて驚くその表情。
そこには、どこか“記憶”のような影が宿っていた気がした。
ふと、胸の奥に小さな疑念が芽生える。
まさか――そんなこと、ありえるのだろうか。
「ねえ、もしもなんだけど……」
ハリーは声を潜めた。
「アルタイルが、シリウスの子だったりしたら……」
「……ンなわけあるかよ!」
ロンが叫ぶ。
談話室にいた下級生たちが一斉に振り返る。
「静かにしてくれ!」とハリーは慌てて口に指を当てた。
「いやだってさ、あの人、独身じゃないか? しかも今までそんな話一度も出たことねぇぞ。」
「そうだけど……」
ハリーは視線を落とした。
「でも、あんなに似てるんだ。顔も、目の色も、笑い方まで。
杖の反応だって……まるで父と息子みたいだった。」
ロンは肩をすくめた。
「ブラック家の連中なんて、みんなだいたいあの顔してんだろ?
目が鋭くて、顎がシャープで、笑うとちょっと怖ぇやつ。」
それも一理ある。
だが、ハリーの胸のざわつきは消えなかった。
――もし、あれがただの血筋の似通いではなく、
本当に“親子”だったら。
ハリーは黙って炎を見つめた。
火がぱちぱちと音を立て、オレンジの光が瞳に揺れる。
彼の脳裏には、あの日の光景が蘇っていた。
シリウスが、アラン・ブラックの記事を食い入るように見つめていた夜。
指先で紙をなぞり、何も言わずに煙草に火をつけた姿。
あのとき、確かに胸の奥で何かが燃えていた。
「……シリウスが、彼女を見てた時の目を覚えてるんだ。」
「彼女?」とロン。
「アラン・ブラック。アルタイルの母親だよ。」
火がはぜる音だけが響く。
ハリーの声は、微かに震えていた。
「もし、二人の間に……一度でも、そういう関係があったとしたら。
アルタイルは……」
言葉が喉で止まった。
“本当の父親がシリウスなら、二人を繋ぎ合わせたい”という思いと、
“彼が真実を知ったら壊れてしまうのではないか”という恐れが、
胸の奥でせめぎ合う。
「おいハリー。」
ロンが静かに言った。
「考えすぎるな。お前がそのことを気にしても、どうにもならねぇよ。」
「……そうだな。」
そう言いながらも、ハリーの視線は炎の奥に釘付けになっていた。
炎の揺らぎの向こうに、
銀灰色の瞳が浮かんでいる気がした。
シリウスの瞳――
そしてアルタイルの瞳。
その二つが、奇妙に重なって見えた。
まるで血が、記憶を辿って再び巡り始めたかのように。
夜の帳がゆっくりと降りていく。
任務を終えたシリウスは、灰色にくすんだ外套を肩にかけ、ロンドンの裏通りを歩いていた。
遠くで馬車の音が響き、魔法省の塔の上で明滅する光が、冷たい霧の中にぼんやりと滲んでいる。
通りの新聞売りが声を上げた。
「“ブラック家の新たな後継者、アルタイル・ブラック氏”――!」
その言葉に、思わず足が止まった。
視線を向けると、店先の魔法雑誌の表紙に、見覚えのある女性の姿があった。
アラン。
彼女は深い青のドレスに包まれ、微笑をたたえていた。
その隣には、腕を軽く取るようにして立つレギュラス・ブラック――弟の姿。
整った顔に浮かぶ自信と誇りの表情が、シリウスの胸に鋭く突き刺さる。
記事を買い、最寄りの酒場に入り、薄暗い席に腰を下ろす。
ランプの灯がページを照らすと、アランの瞳の色が琥珀に輝いた。
――こんなにも遠いのに、まだ、触れられそうなほどに鮮明だった。
「……綺麗だ。」
誰にも聞こえない声で呟く。
何度も読み返した記事の中で、彼女は完璧な妻として描かれていた。
“純血の名家に新たな繁栄をもたらす聡明な夫人”
その一文が、彼の胸を締めつける。
――あの笑顔は、自分の知らない誰かの前で、作られたものだ。
ページをそっと破り、アランの写真だけを切り抜く。
雑誌の余白に指を走らせて折りたたむ。
何をしているんだ、俺は。
そう呟きながらも、その指先が震えて止まらない。
彼女の笑顔を見るたび、あの日の記憶が甦る。
夕暮れの湖畔、風の中で笑っていた横顔。
誰にも見せたことのない弱さを、彼女だけには見せられたあの時間。
――あれが、確かに“愛”だった。
シリウスは深く息を吐き、雑誌を懐にしまった。
本部に戻ると、空気は緊張に満ちていた。
任務報告を終える際、彼はふと口にした。
「戦闘の途中で、杖が……少し、反応を起こした。」
報告書をめくっていた騎士団の一人が顔を上げる。
「反応、ですか?」
「……ああ。共鳴みたいな。音も光もほとんどなかったが、確かに感じたんだ。
誰かの呪文に触れたような、懐かしい……いや、説明が難しい感覚だった。」
「それは“兄弟杖”による共鳴かもしれませんね。」
シリウスは眉をひそめた。
「兄弟杖?」
「ええ。杖が作られるとき、同じ核を共有する個体が稀に存在します。
同じ魔法生物の素材から削り出された杖同士は、互いに呼び合うような性質を持つんです。」
シリウスは思わず笑いを漏らす。
「冗談じゃねえ。そんなもの、俺の弟の杖ですら違うんだぞ。」
「ええ。だからこそ珍しい。
どこかであなたの“兄弟杖”が、あなたの呪文に触れた可能性があります。」
沈黙が落ちる。
シリウスは腕を組み、目を閉じた。
――兄弟杖。
もしそれが本当なら、誰が使っている?
任務中のあの一瞬、杖が温かく脈打った。
まるで“呼んでいる”ようだった。
胸の奥に、不思議なざわめきが広がる。
同じ木から削り出された杖。
同じ魔力の系譜。
それが、もし――“血”を分けた者に渡っているとしたら?
ふと、懐の中の雑誌の紙片を思い出す。
青いドレスのアラン。
その隣で微笑む少年――アルタイル・ブラック。
灰色の瞳。
形の良い唇。
そして、杖を構えるその仕草。
――まるで、昔の自分を見ているようだった。
「……兄弟杖、ね。」
シリウスは低く呟いた。
その言葉の中に、
かすかな希望と、深い恐れが混ざっていた。
手の中の杖が、再び脈を打った気がした。
アルタイル・ブラックはホグワーツ城の大扉をくぐった。
古びた石畳の上を靴音が静かに響く。
父と母がかつて歩いた道を、今、自分が踏みしめている――
そう思うだけで胸が熱くなった。
入学式の夜、組み分け帽子はほとんど迷わなかった。
「スリザリン!」
その一言に、拍手と歓声が湧き起こる。
アルタイルは深く頭を下げた。
父と母が過ごした寮。
あの人たちが見上げた同じ天井の下で、
自分もまた歴史の一部となるのだと思うと、
誇らしさで胸がいっぱいになった。
しかし、喜びは長く続かなかった。
寮の廊下を歩くたび、
囁き声が背中に突き刺さる。
「ブラック家の子だ。」
「当主の跡取りだぞ。」
誰もがそう言って、
けれど誰も、アルタイルという“人間”を見てはいなかった。
談話室でも廊下でも、
近づいてくる笑顔がどこか作りものめいて見える。
「彼らは僕と話しているのか、それとも“ブラック家の跡取り”と話しているのか……」
そんな問いが、夜のたびに胸の奥をかすめる。
父の名に泥を塗らないように。
母の瞳を曇らせないように。
アルタイルはいつしか、
その二つの願いだけで自分を律するようになっていた。
だが、ホグワーツには――
父の導きも、母の手も届かない。
初めての孤独が、静かに彼を包みはじめていた。
そんなある日の午後、
中庭で魔法書を読んでいたアルタイルに、
聞き慣れない声がかかった。
「やあ、ミスター・ブラック。ちょっと話さないかい?」
顔を上げると、
そこにはグリフィンドールのローブを纏った上級生が立っていた。
赤と金の紋章が、太陽の光を受けてきらりと輝く。
それだけで、アルタイルの肩は自然とこわばった。
「……えっと、あなたは?」
「ロン・ウィーズリーさ」
その隣から、もう一人の声が柔らかく響いた。
「そんなに緊張しないでくれよ。
別に取って食おうってわけじゃないさ。」
アルタイルは一瞬、息を呑んだ。
金色の髪の隣で笑っている少年の、
翡翠のような瞳――
その色が、あまりにも母に似ていたのだ。
ハリー・ポッター。
生き残った男の子。
闇の帝王の呪いを跳ね返した唯一の存在。
そして――父の主が、永遠に討ち果たせなかった“象徴”。
言葉が出なかった。
憎むべきはずの相手なのに、
その瞳には不思議な温かさがあった。
恐怖よりも、懐かしさの方が勝ってしまう。
なぜだろう。
「スリザリンの談話室はどう?慣れた?」
「……ええ、少しずつ。」
「いい寮だと思うよ。頭も切れる人が多い。
君みたいな子なら、きっとすぐ馴染めるさ。」
ハリーの言葉に、
アルタイルは小さく頷いた。
ただ、その胸の奥では、
何かがざわめいていた。
この人は――どうしてそんな瞳をしているのだろう。
まるで母の記憶がその奥に眠っているかのように。
石畳の上で、午後の日差しがふたりの影を重ねた。
ほんの一瞬、世界が静止したように感じた。
アルタイルは胸の内で呟く。
――もし、僕がこの先の運命の先で、
この人と敵として相まみえることになるのだとしたら。
どうかその時まで、
母のような優しい光を、その瞳に残していてほしい。
昼下がりの光が、ホグワーツの中庭の噴水をきらめかせていた。
風が梢をわずかに揺らし、遠くからフクロウの鳴く声が聞こえる。
アルタイル・ブラックは石段に腰かけて、開きっぱなしの教本に視線を落としていた。
その横顔を見た瞬間、ハリー・ポッターは思わず足を止めた。
息を呑むほどだった。
――まるでシリウスに、そっくりだった。
横顔の輪郭、眉の形、そして何よりもあの灰色がかった瞳。
生前、いや、今なお生きるシリウス・ブラックが見せる“光を宿した影”のようなその表情に、
ハリーは一瞬、時間が止まったような錯覚に陥った。
ブラック家特有の気品をまとっている、と言われればそうなのかもしれない。
だが、それ以上に。
目の前の少年には、確かに“シリウス”の魂が微かに息づいている気がした。
――なぜだろう。
この少年のことを、どうしても知りたい。
それは理屈ではなかった。
ただ心の奥底が強く引き寄せられるような感覚。
直感だった。
彼の母――アラン・ブラック。
その名を聞いた瞬間、シリウスの表情が揺れたことをハリーは覚えている。
アランという女は、きっとシリウスにとって、
忘れがたい痛みと愛の両方を刻んだ存在なのだと。
そして今、そのアランの息子が自分の目の前にいる。
彼の中に、どんな血が流れているのかを確かめたい。
ハリーはゆっくりと声をかけた。
「やあ、アルタイル・ブラックだね?」
驚いたように少年が顔を上げる。
近くで見ると、その瞳の色はシリウスとは少し違って、
もう少し柔らかく、そして深かった。
灰銀の光の中に、どこか母の翡翠を思わせる色が混じっていた。
「……はい。あなたは、ハリー・ポッターさん、ですよね?」
「そう。君に一度、話してみたいと思ってたんだ。」
ハリーは少し笑ってから、真剣な眼差しを向けた。
「僕は、君のお母さんに命を救われたようなものなんだ。」
アルタイルの瞳が大きく見開かれる。
その反応に、ハリーは胸の奥で小さく確信した。
――やはり、何も聞かされていないのだ。
レギュラス・ブラックという男が、
妻がかつて闇の帝王を裏切り、
その情報が騎士団を救った――
などということを語るはずがない。
「……母が?」
「そう。十数年前、僕たちはヴォルデモートの襲撃を受けた。
けれど、君の母さんが事前に知らせてくれたおかげで、
僕も父さんも、無事に助かった。」
ハリーの声には、静かな敬意が滲んでいた。
その想いは、ただの礼ではなく、
自分が背負ってきた“生き残った意味”への答えの一つのようにも感じられた。
アルタイルはしばらく黙っていたが、やがて微笑んだ。
「……母は、すごく優しい人なんです。」
その表情を見た瞬間、ハリーの胸が熱くなった。
――そうだ、あの人もきっとそういう笑顔を見せるのだろう。
彼の言葉の一つひとつに、
アラン・ブラックという女性がどれほど深く息づいているのかが感じられた。
“スリザリンの子”と聞いて、
ほんの少しだけ警戒していた自分を恥じた。
この少年には、闇も、傲慢もない。
あるのはただ、真っ直ぐな心だけだった。
「そうなんだろうね。」
ハリーは優しく微笑んだ。
「君の母さんが書いた論文を、図書室で見つけたよ。
言葉の選び方や筆跡がとても綺麗なんだ。
もう少し学んだら、きっと君にも理解できるようになると思う。」
アルタイルは照れくさそうに笑い、
ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。」
その笑顔を見て、ハリーは確信した。
――この子となら、きっと友人になれる。
寮が違っても、立場が違っても。
風が中庭の花弁を運び、
ふたりの間にやさしく舞い落ちた。
どこか遠い過去で、
シリウスとアランが交わしたはずの約束の続きを、
今、自分と彼が紡いでいるような気がした。
ハリー・ポッターの言葉は、アルタイル・ブラックの胸を深く震わせた。
――「僕は、君のお母さんに命を救われたようなものなんだ。」
にわかには信じがたい。
母が、闇の帝王を打倒した“生き残った男の子”を救った?
そんな話、父の口から聞いたことは一度もなかった。
けれど、あの時のハリーの瞳には、嘘や作りごとなど一片もなかった。
その真摯な眼差しが、アルタイルの心をまっすぐに打った。
言葉を失ったまま立ち尽くすアルタイルに、
ハリーはただ静かに微笑んでいた。
それはどこまでも自然で、まるで長い間会えなかった友に再会したような柔らかい笑みだった。
それからの日々、アルタイルは何度も中庭や廊下でハリーたちと顔を合わせた。
ロン・ウィーズリーは人懐っこく、少し大げさで、いつも場を明るくしてくれる。
ハーマイオニー・グレンジャーは、スリザリンの生徒であるアルタイルにも
分け隔てなく丁寧に話しかけてくれる。
気づけば、ハリーとロンに誘われるまま、
夜の城を探検したり、校則すれすれの悪戯を試したりするようになっていた。
スリザリンの談話室の冷たい空気とは正反対の、
息を呑むほどあたたかい時間。
魔法界の英雄と呼ばれる少年が見せてくれる“世界の広さ”に、
アルタイルの胸は初めて自由に弾んだ。
塔の階段を駆け上がる風。
古い甲冑の影で笑いを噛み殺す瞬間。
ハリーの無鉄砲な提案に、ロンが声を荒げ、
結局三人で肩を並べて走り抜ける――
そんな些細な夜の冒険が、アルタイルにはどんな授業よりも輝いて見えた。
だが、夜が明けて部屋に戻ると、
ふと胸に小さな罪悪感が差し込む。
父の厳しい言葉が、心の奥でよみがえる。
“スリザリンの名を汚すな。”
“誇りを忘れるな。”
それでも、ハリーのことを思うと、
なぜかその声が遠のいていくような気がした。
手紙を書く夜、机の上の羊皮紙に羽ペンを走らせながら、
アルタイルは迷った。
――父と母に、何を伝えようか。
「学校生活は順調です。」
「授業も、寮も、問題ありません。」
そう書きながらも、
ハリーのことを一行たりとも書くことができなかった。
胸の奥で何かが囁いた。
“書いてはいけない。”
理由は分からない。
ただ、書いてしまえば壊れてしまうような何かが、
確かにそこにあった。
日曜日の午後、湖畔の芝生に寝転がる。
青空の下、ハリーが笑いながら魔法石を投げると、
ロンが慌てて追いかけ、波紋が幾重にも広がった。
「ほら、アルタイル! もっと肩の力を抜けって!」
「……僕はスリザリンですから。」
「関係ないさ。笑え、アルタイル!」
ハリーの声に、アルタイルはとうとう笑ってしまった。
胸の奥にあった黒い重りが、少しだけ軽くなった気がした。
城の尖塔に光が落ちていく。
その眩しさの中で、アルタイルは思った。
――母が救った少年と、今、自分がこうして笑い合っている。
それだけで、何かが繋がっている気がする。
父も母も決して知らない、
自分だけの“世界”が、ここで確かに息づいている。
胸の中で静かに誓う。
この友情を、誰にも汚させはしない。
アルタイルがスリザリン寮へ入寮したという知らせが届いた日、
レギュラス・ブラックは久しく感じていなかった満足感に満たされていた。
あの子は本当に聡明で従順な子だ――
父としての誇りと安堵が、静かに胸の奥を温めていた。
七年間、何事もなく卒業してくれればそれでいい。
余計な波風を立てず、立派に家の名を守り抜いてくれればそれで。
その朝、屋敷は珍しく賑やかだった。
今日は、かねてより依頼を受けていた魔法雑誌の取材日。
レギュラスは黒のローブを纏い、
鏡越しにネクタイの結び目を直す。
隣では、アランが贈ったばかりの淡い青灰色のドレスを身にまとっていた。
柔らかい生地が光を受けて波打つたび、
レギュラスは息を呑んだ。
「本当に綺麗です。きっと、いい写真を撮ってもらえるでしょうね。」
「……恥ずかしいわ。」
アランはわずかに目を伏せた。
控えめな笑みが、そのまま絵画のように美しい。
この姿を世に出せることを、レギュラスは誇らしくさえ思った。
やがて玄関に足音が響く。
迎え入れられたのは、二人の女性記者。
柔らかな口調で挨拶を交わす彼女たちを見て、
アランの表情が少しずつ和らいでいく。
――女性でよかった。
レギュラスは心の中で安堵した。
男の記者であれば、アランが過剰に緊張してしまっただろう。
取材は順調に進んだ。
想定していた質問がいくつも飛ぶ。
屋敷のこと、家族のこと、そして夫婦の出会いのこと。
そのほとんどに答えたのはレギュラスだった。
アランに考え込む時間を与え、
その繊細な表情を記者たちの好奇の目に晒すことを避けたかった。
彼女はただそこに“いる”だけで美しいのだから、
余計な言葉など必要なかった。
途中で屋敷しもべが紅茶を運んできた。
記者たち二人が贈ってくれたものだそうだ。
白磁のカップから立ちのぼる湯気に、
柑橘の香りがほのかに混じっている。
「香り高いですね。ダージリンですか?」
「違うわ、アールグレイよ。」
アランは困ったように微笑んで、
まるで子どもをたしなめる母のように柔らかく言った。
レギュラスは一瞬、吹き出しそうになる。
「すみません。紅茶の銘柄には疎くて。」
彼は笑いながら頭を掻いた。
ヴァルブルガ――母が好んでいたのが確かダージリンだった。
その味に似ている気がしたから、何気なく口にしただけだったのだ。
まさかの違い。
完璧に装った姿のまま、小さな間違いを犯した自分が少し可笑しかった。
記者たちは笑いながらメモを取る。
「仲の良いご夫妻ですね。」
「ええ、彼は……少し不器用ですけれど。」
アランの言葉に、レギュラスは思わず目を細めた。
その一瞬のやり取りが、
記事のどんな華やかな言葉よりも真実を映していた。
取材が終わり、扉が閉じると屋敷に静けさが戻った。
レギュラスはソファに腰を下ろし、
まだ温かい紅茶を手に取りながら、
アランを見上げる。
「……悪くなかったですね。」
「ええ。あなた、途中で笑いをこらえてたでしょう。」
「ばれましたか。」
二人の間に流れる穏やかな空気。
陽光が窓辺から差し込み、
アランの髪を金糸のように照らしている。
完璧な取材でもなく、完璧な答えでもない。
けれど――この小さな幸福こそが、
レギュラス・ブラックにとって最も“正しい姿”のように思えた。
カップの中の琥珀色が揺れる。
その香りに包まれながら、
彼はふと呟いた。
「……アールグレイ、覚えておきますよ。」
アランは小さく笑った。
その笑みは、
遠い過去の闇を少しだけ溶かしていくように見えた。
屋敷を出てすぐ、
ジェームズとリーマスは魔法で距離を取りながら、
静かに耳飾り型の盗聴具を通して二人の気配を追っていた。
冬の空気が白く霞み、遠くの樹々の間から漏れる陽光が
ブラック家の屋根の黒い瓦を淡く照らしている。
玄関の扉が閉まる音。
その直後、やわらかなアランの声が響いた。
「神秘部に向かうのでは?」
「今日はもう家にいます。」
短い会話。
しかしその一言で、二人の計画がすべて崩れ去った。
ジェームズとリーマスは目を見合わせ、
同時に深く肩を落とした。
「……はぁ。」
ため息が、冬の空に溶けて消える。
続いて、ぽん、と小さな音が響く。
何かの栓が抜かれた――酒瓶だ。
ジェームズの眉がぴくりと動く。
「ちょっと、まだお昼だわ。」
「紅茶。これで割ると美味しいですよ。」
くぐもった笑い声が混じる。
アランの困ったような声が追いかける。
「そうやって割りものでしか飲まないから、まともに分からなくなるんだわ。」
「じゃあ、少しだけ付き合ってください。」
ふたりの間に流れる空気は穏やかで、どこまでも家庭的だった。
酒の栓が抜ける音、グラスが卓に触れる小さな音、
そして微かに笑い声が重なり合う。
ジェームズは無言のまま、
耳飾りを通して聞こえてくる温かなやりとりに
複雑な感情を抱いていた。
――これが、あの“冷血な男”と恐れられたレギュラス・ブラックの姿か。
「……これ盗聴してる意味、あるのかな?」
リーマスの声が低く漏れる。
彼はもう、耳に当てていた装置を外していた。
ジェームズもまた、
指先で小さな魔具を弄びながら苦い顔をする。
「最悪だな。あの男、今日は神秘部で監査委員会がある予定だった。
絶対に出席すると踏んでたんだが……」
「向こうのほうが上手だったってことだな。」
リーマスが呟く。
雪解けの地面を踏む足音が、静寂の中に微かに響く。
ジェームズは、レギュラスがアランの手を取り、
笑いながらワインを注いでいる光景を想像してしまう。
それが胸の奥をざらつかせた。
――あんな男に、あの人が笑いかけている。
風が冷たく頬を打つ。
ジェームズは拳を握りしめた。
「……次の手を考えよう。」
「焦るなよ、ジェームズ。敵はブラック家だ。どこに罠があるかわからない。」
「わかってる。」
そう言いながらも、ジェームズの声には怒りとも焦りともつかぬ熱が混じっていた。
空の色がゆっくりと淡く変わり、
屋敷の煙突から薄い煙が立ち上る。
その煙の向こうで、
きっと二人は寄り添ってワインを分け合っているのだろう。
「……本当に、あの男は闇の中心にいるのか?」
ジェームズの問いに、リーマスは答えなかった。
ただ、視線を遠くへやり、
吹き抜ける風の音にかき消されるように、静かに息を吐いた。
魔法界を揺るがす闇の調査のはずが――
この日の午後だけは、まるで他人の幸せを盗み見た罪悪感だけが残った。
黄昏色の光がステンドグラスを透かして差し込む、
ホグワーツの古い回廊。
三人の足音が石畳を叩くたび、
その反響が静かな城の奥へと溶けていく。
「ほら、見せてあげるよ。」
ハリーが懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
それは何の変哲もない紙のように見えたが、
その表情にはどこか誇らしさが宿っている。
「これは、父さんとシリウスからもらったんだ。」
そう言って、彼は杖を構えた。
「我、いたずらを企む者なり――《我ら、いたずら仕掛け人(Mischief Managed)》。」
羊皮紙の上に、無数の線が浮かび上がった。
古い地図のように見えるが、それはまさしく“生きている地図”だった。
ホグワーツ全体をくまなく描き出し、
その廊下や部屋の中には人の名前が小さく動いている。
「……すごい。」
アルタイルは息を呑んだ。
「ね、すごいだろ? 父さんたちの最高傑作さ。」とハリー。
アルタイルは、目を輝かせたまま地図を見つめた。
「どうやって開くんですか?」
「簡単さ。こう唱えるんだ――《我、いたずらを企む者なり》。ほら、やってみて。」
アルタイルはゆっくりと杖を掲げた。
杖の先が、わずかに震える。
その動きに戸惑いながらも、
彼は教えられたとおりに呪文を唱えた。
「我、いたずらを企む者なり――」
瞬間。
――ぱん、と空気が弾ける音がした。
杖の先端が光を放ったのだ。
まるで炎と光が絡み合うように、
金と銀が混ざり合った閃光が一筋走り、
アルタイルの手の中で杖が脈打った。
「どうしちゃったんだい、君の杖……光ってるけど!」とロン。
「わかりません……どうしてなんでしょう……」
アルタイルは狼狽しながらも杖を見つめた。
その光は熱を帯びていながら、痛みではなく、
懐かしい温もりを宿していた。
「何かに反応してるのかもしれないわ。」とハーマイオニーが眉を寄せた。
「たとえば……この地図を作った人たちの魔力に。」
アルタイルは黙った。
杖を見つめる視線が、ゆっくりと震えた。
光はまるで生き物のように揺らぎながら、
一瞬だけ、紋のような模様を浮かび上がらせる。
見覚えのない、それでいて――どこか懐かしい文様。
ハリーが近づき、地図の上に杖をかざした。
同じように杖先が淡く光る。
二つの光が呼応するように共鳴し、
わずかに空気が震えた。
「……この光、見覚えがある気がする。」
ハリーの声が低く響いた。
「父さんが昔話してくれたよ。
シリウスの杖には、特別な魔法樹脂が使われてるって。杖と持ち主が強く結ばれるほど、
共鳴反応を起こすことがあるんだ。」
アルタイルの瞳が揺れる。
自分の杖と、シリウス・ブラックの杖――
その素材も、構造も、同じだという事実。
「つまり……あなたの杖は、シリウス・ブラックと同じ反応を示したってこと?」とハーマイオニー。
「そ、そんなこと……あるんでしょうか。」
誰もすぐには答えられなかった。
けれどハリーは、地図を見つめながら静かに呟いた。
「もしかしたら……この地図は、君を待ってたのかもしれない。」
その言葉に、アルタイルははっと顔を上げた。
廊下に差し込む光が、二人の杖の先を照らす。
金と銀が交じり合い、
まるで時を越えた血の記憶がそこに宿るかのようだった。
地図の端で、かすかに浮かび上がる名前があった。
――Sirius Black。
その名の隣に、一瞬だけ、薄く、もう一つの名が滲んだ。
――Altair Black。
アルタイルは息を詰めた。
手の中の杖が、まるで何かを肯定するように、
やさしく、ひとつ脈打った。
グリフィンドールの談話室。
夜も更け、火の残り香が暖炉の奥でかすかに揺れていた。
赤いカーテンが外気を遮り、空間には古い羊皮紙と焙煎豆の匂いが混じっている。
ハリーは机の上に広げたノートの上で、ペンを止めた。
頭の片隅から、どうしてもあの光景が離れない。
――アルタイルの杖が光を放った瞬間。
あれはただの偶然ではない。
彼の杖は、まるで“呼応”しているように見えた。
まるで、同じ血を流す者同士が再会を果たしたかのように。
ハリーはゆっくり息を吐いた。
「……こんな偶然って、あるのか?」
隣でお菓子を頬張っていたロンが、口いっぱいに詰め込みながら言った。
「何が?」
「アルタイルの杖だよ。あれ、シリウスの杖と同じ性質を持ってるんだ。」
ロンが不思議そうに首をかしげる。
「同じ性質? って、素材とか?」
「素材も構造も、魔力の共鳴の仕方まで同じなんだ。杖って、そんなに簡単に同じものは出来ないはずだろ?」
ハリーの声はどこか落ち着かず、指先で机を軽く叩いていた。
あの光――ただの反応ではない。
まるで杖が“懐かしさ”を覚えたかのように、柔らかく震えていたのだ。
ハリーはその時のアルタイルの顔を思い出す。
杖を見つめて驚くその表情。
そこには、どこか“記憶”のような影が宿っていた気がした。
ふと、胸の奥に小さな疑念が芽生える。
まさか――そんなこと、ありえるのだろうか。
「ねえ、もしもなんだけど……」
ハリーは声を潜めた。
「アルタイルが、シリウスの子だったりしたら……」
「……ンなわけあるかよ!」
ロンが叫ぶ。
談話室にいた下級生たちが一斉に振り返る。
「静かにしてくれ!」とハリーは慌てて口に指を当てた。
「いやだってさ、あの人、独身じゃないか? しかも今までそんな話一度も出たことねぇぞ。」
「そうだけど……」
ハリーは視線を落とした。
「でも、あんなに似てるんだ。顔も、目の色も、笑い方まで。
杖の反応だって……まるで父と息子みたいだった。」
ロンは肩をすくめた。
「ブラック家の連中なんて、みんなだいたいあの顔してんだろ?
目が鋭くて、顎がシャープで、笑うとちょっと怖ぇやつ。」
それも一理ある。
だが、ハリーの胸のざわつきは消えなかった。
――もし、あれがただの血筋の似通いではなく、
本当に“親子”だったら。
ハリーは黙って炎を見つめた。
火がぱちぱちと音を立て、オレンジの光が瞳に揺れる。
彼の脳裏には、あの日の光景が蘇っていた。
シリウスが、アラン・ブラックの記事を食い入るように見つめていた夜。
指先で紙をなぞり、何も言わずに煙草に火をつけた姿。
あのとき、確かに胸の奥で何かが燃えていた。
「……シリウスが、彼女を見てた時の目を覚えてるんだ。」
「彼女?」とロン。
「アラン・ブラック。アルタイルの母親だよ。」
火がはぜる音だけが響く。
ハリーの声は、微かに震えていた。
「もし、二人の間に……一度でも、そういう関係があったとしたら。
アルタイルは……」
言葉が喉で止まった。
“本当の父親がシリウスなら、二人を繋ぎ合わせたい”という思いと、
“彼が真実を知ったら壊れてしまうのではないか”という恐れが、
胸の奥でせめぎ合う。
「おいハリー。」
ロンが静かに言った。
「考えすぎるな。お前がそのことを気にしても、どうにもならねぇよ。」
「……そうだな。」
そう言いながらも、ハリーの視線は炎の奥に釘付けになっていた。
炎の揺らぎの向こうに、
銀灰色の瞳が浮かんでいる気がした。
シリウスの瞳――
そしてアルタイルの瞳。
その二つが、奇妙に重なって見えた。
まるで血が、記憶を辿って再び巡り始めたかのように。
夜の帳がゆっくりと降りていく。
任務を終えたシリウスは、灰色にくすんだ外套を肩にかけ、ロンドンの裏通りを歩いていた。
遠くで馬車の音が響き、魔法省の塔の上で明滅する光が、冷たい霧の中にぼんやりと滲んでいる。
通りの新聞売りが声を上げた。
「“ブラック家の新たな後継者、アルタイル・ブラック氏”――!」
その言葉に、思わず足が止まった。
視線を向けると、店先の魔法雑誌の表紙に、見覚えのある女性の姿があった。
アラン。
彼女は深い青のドレスに包まれ、微笑をたたえていた。
その隣には、腕を軽く取るようにして立つレギュラス・ブラック――弟の姿。
整った顔に浮かぶ自信と誇りの表情が、シリウスの胸に鋭く突き刺さる。
記事を買い、最寄りの酒場に入り、薄暗い席に腰を下ろす。
ランプの灯がページを照らすと、アランの瞳の色が琥珀に輝いた。
――こんなにも遠いのに、まだ、触れられそうなほどに鮮明だった。
「……綺麗だ。」
誰にも聞こえない声で呟く。
何度も読み返した記事の中で、彼女は完璧な妻として描かれていた。
“純血の名家に新たな繁栄をもたらす聡明な夫人”
その一文が、彼の胸を締めつける。
――あの笑顔は、自分の知らない誰かの前で、作られたものだ。
ページをそっと破り、アランの写真だけを切り抜く。
雑誌の余白に指を走らせて折りたたむ。
何をしているんだ、俺は。
そう呟きながらも、その指先が震えて止まらない。
彼女の笑顔を見るたび、あの日の記憶が甦る。
夕暮れの湖畔、風の中で笑っていた横顔。
誰にも見せたことのない弱さを、彼女だけには見せられたあの時間。
――あれが、確かに“愛”だった。
シリウスは深く息を吐き、雑誌を懐にしまった。
本部に戻ると、空気は緊張に満ちていた。
任務報告を終える際、彼はふと口にした。
「戦闘の途中で、杖が……少し、反応を起こした。」
報告書をめくっていた騎士団の一人が顔を上げる。
「反応、ですか?」
「……ああ。共鳴みたいな。音も光もほとんどなかったが、確かに感じたんだ。
誰かの呪文に触れたような、懐かしい……いや、説明が難しい感覚だった。」
「それは“兄弟杖”による共鳴かもしれませんね。」
シリウスは眉をひそめた。
「兄弟杖?」
「ええ。杖が作られるとき、同じ核を共有する個体が稀に存在します。
同じ魔法生物の素材から削り出された杖同士は、互いに呼び合うような性質を持つんです。」
シリウスは思わず笑いを漏らす。
「冗談じゃねえ。そんなもの、俺の弟の杖ですら違うんだぞ。」
「ええ。だからこそ珍しい。
どこかであなたの“兄弟杖”が、あなたの呪文に触れた可能性があります。」
沈黙が落ちる。
シリウスは腕を組み、目を閉じた。
――兄弟杖。
もしそれが本当なら、誰が使っている?
任務中のあの一瞬、杖が温かく脈打った。
まるで“呼んでいる”ようだった。
胸の奥に、不思議なざわめきが広がる。
同じ木から削り出された杖。
同じ魔力の系譜。
それが、もし――“血”を分けた者に渡っているとしたら?
ふと、懐の中の雑誌の紙片を思い出す。
青いドレスのアラン。
その隣で微笑む少年――アルタイル・ブラック。
灰色の瞳。
形の良い唇。
そして、杖を構えるその仕草。
――まるで、昔の自分を見ているようだった。
「……兄弟杖、ね。」
シリウスは低く呟いた。
その言葉の中に、
かすかな希望と、深い恐れが混ざっていた。
手の中の杖が、再び脈を打った気がした。
