2章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
レギュラスは、闇の帝王ヴォルデモートの配下であるデスイーターたちが集う秘密の会合に召喚されていた。
薄暗い屋敷の奥で行われる集会で、彼は重要な情報を告げられた。
「不死鳥の騎士団が動き始めている」
デスイーターの一人が低い声で報告した。
「ダンブルドアの指示により、騎士団は我々の拠点や作戦について情報収集を活発化させている。特に、魔法省内部に潜入工作員を送り込み、闇の陣営に関する機密情報を探ろうとしているようだ。また、ホグワーツの生徒たちの中から新たな騎士団メンバーの候補を密かに選抜しているという報告も入っている」
その情報を受け、レギュラスには具体的な任務が下された。
「レギュラス・ブラック、お前はまだホグワーツに在学中だ。その立場を利用し、ダンブルドアの動向を探れ」
指令を下すデスイーターは続けた。
「校長室に侵入し、ダンブルドアの机や書類、手紙などを調べ上げろ。不死鳥の騎士団への指示書、作戦計画書、メンバーリスト、そして我々に対する対策案などが隠されているはずだ。また、ダンブルドアが密かに行っている会話や会合の記録、魔法省や他の魔法学校との秘密連絡文書も重要だ。これらの情報を入手し、我々に報告せよ」
そのとき、ベラトリックス・レストレンジが挑発的な笑みを浮かべながら口を開いた。
「レギュラス、お前には荷が重いかしらね」
彼女は美しく口角を上げ、見下ろすような視線でレギュラスを見つめていた。
レギュラスは特に反論することなく、静かにその任務を受け入れた。
心の中では、この命令の重大さを十分に理解していた。
ダンブルドアを探れだなんて──これがどれほど危険で困難な任務かは容易に想像できた。
ましてや校長室に忍び込むとなれば、並大抵の魔法では通用しないだろう。綿密な策を練らなければならない。
闇の帝王の信頼を裏切ることは絶対に許されない。
父オリオンの名誉を汚すわけにもいかない。
そして最終的には、アラン・セシールを妻に迎えたいという自分の願いを反故にされてしまわないためにも。
この任務の失敗は、あらゆる意味で許されないものだった。
レギュラスは静かに決意を固め、暗い部屋の中で一人、重い責任を背負い込んだ。
ホグワーツの静まり返った夜、レギュラスは寮に戻ると、そこでアランが談話室で待っているのを見つけた。
監督生の身分により、彼が深夜に寮の外を歩いても誰に咎められることはなく、デスイーターの会合に参加することも自然なこととして受け入れられていた。
「レギュラス……またあの恐ろしい集会に出たのですか?」
アランは彼の姿を見ると即座に立ち上がり、不安で揺れる瞳を向けて問いかけた。
「アラン、心配しなくて大丈夫ですから。危ないことは何もありません」
レギュラスは柔らかい口調で答え、彼女が不安に駆られる必要はないのだと伝えた。
「うまくやれます。あなたがそんな風に思うことはありません」
そう言い、彼は自然とアランの手を取りしっかりと握った。
しかしアランはその手をするりと抜き去った。
「レギュラス、ダンブルドアはきっとあなたの動きに気づき始めています」
美しい顔に懸命な意志と説得の色を宿しながら告げる。
「もしも恐ろしいことを考えてるのなら、どうかダンブルドアに助けを求めてください。あの偉大な方なら、必ず解決の糸口をお示しくださるはずです」
アランの訴えは、彼を心から案じる純粋な気持ちの現れだった。
しかし、純血の誇りを胸に持ち続けるレギュラス・ブラックが、その申し出を受け入れることはありえなかった。
彼は幼い頃から育まれた家の誇りを背負い、過酷な歴史の上に築かれた純血の価値観を決して揺るがすことはしない。
魔女狩りや魔法使い差別の歴史をなかったことのようにし、混血やマグルを受け入れ理想を掲げるダンブルドアに助けを求めることなど、はなから選択肢にはなかった。
アランの言葉は理解している。
だが同時に、それを受け入れるには自分のプライドがあまりにも大きく、それを捨てることは許されなかった。
「アラン、ダンブルドアに助けを求めなければならない状況など、あり得ません。どうかご心配なく、僕は大丈夫ですから」
レギュラスは静かな口調で、しかし何一つ反論の余地を許さぬよう強い意思を込めて告げた。
アランは言葉を返すことができず俯く。
彼女にとってもう、これ以上何かを言い合うことは意味がなかったのだ。
ただ、そこにいてくれる――たったそれだけで構わなかった。
自分を心配して傍にいるアラン・セシールの存在が、レギュラスの胸を満たし、溢れんばかりの安堵に変わる。
静かな夜の談話室で二人の心は言葉以上の繋がりをもって重なっていた。
翌日、レギュラスはバーテミウスと二人、夜闇に紛れて校長室に忍び込む計画を立て、遂に実行した。
彼らは夕食の大広間でダンブルドアが姿を現さなかったことを確認し、この日を決行日に選んだのだった。
「失敗しないでくださいよ」
レギュラスは鋭い視線でバーテミウスに念を押す。
「そちらこそ、あまり時間をかけずに収穫してくださいよ」
バーテミウスは鼻で抜けるように軽く笑いながら返した。
やがてふたりは、灯りの消えた暗い廊下へと進み、静寂に包まれた氷のように冷たい空気を肌で感じた。
足音さえ吸い込まれるような重く沈黙した廊下の先に、待ち受けているのはホグワーツの校長室だった。
入り口の扉は堅牢な魔法の障壁と複雑な錠が備えられており、侵入は容易ではなかった。
だが、レギュラスはポケットから特別な魔法器具を取り出し、闇の魔術に長けたバーテミウスと共に手際よく呪文を唱えながら、徐々に障壁を解いていった。
室内に足を踏み入れると、そこはまさにダンブルドアの趣味が色濃く反映された空間だった。
壁には数々の魔法の絵画が並び、その中には伝説の魔法使いたちの肖像画も混じる。
柔らかな光を放つ魔法のランプが天井から吊り下げられ、机の上には様々な魔法書や魔法薬の瓶が無造作に並べられていた。
窓の外は見えないが、小さな妖精たちが戯れる音が微かに聞こえ、魔力が穏やかに流れているのが感じられた。
目的は、ダンブルドアが不死鳥の騎士団のメンバーに秘密裏に命じている指示や作戦の手がかりを得ること。
レギュラスとバーテミウスは机の引き出しや書棚、箱すべてを隈なく調べ上げた。
魔法の護符や記録が隠されていないか、慎重に探る。
そしてついに、ひとつの封のされた手紙を見つけた。
名前や封蝋から察するに、騎士団メンバーのひとりからダンブルドアへ送られたものだろう。
紙を開くとそこには、マグルを違法に魔法薬の治験に用いようとしていた闇の魔法使いの正体を突き止めた旨の記述があった。
「誰のことなんでしょう……」
レギュラスは顔を曇らせて呟くと、バーテミウスを見る。
バーテミウスはくしゃっとした表情から一転、すらりとした指でその名前を挙げた。
「アザルキン・ドレイク。かなり曲者ですよ。何度か耳にしたことあるでしょう」
「あなたの交友関係にはいつも感心させられます」
レギュラスは苦笑いしながら言う。
「僕は社交的なんですよ」
バーテミウスは軽やかに言い放った。
まさかこの緊迫した侵入任務をこなしているとは思えない軽妙な空気が、二人の間にさりげなく漂っていた。
こうして二人は、ダンブルドアが少しずつ闇の魔法使いを追い詰めていることを確かめたのだ。
ダンブルドアの部屋で手にした手がかりは、闇の帝王への重要な報告書となった。
そこには、ダンブルドアがアザルキン・ドレイクを摘発しようとしている動きが詳細に記されていた。
もしダンブルドアが声をあげれば、遠くないうちにこの魔法使いは捕らえられ、裁判にかけられるだろう。
しかし、事態はそれだけでは済まされなかった。
アザルキン・ドレイクがもしデスイーターと繋がりを持っているならば、真実薬や魔法拷問により彼の口が割らされる可能性が高い。
その前に、デスイーター側が先手を打って彼を「消す」決断を下すかもしれなかった。
具体的にどういう決断が下されるのかは誰にもわからなかったが、レギュラスはあくまで見つけた証拠としてこの情報を持ち帰り、上層部に渡すことに決めていた。
手紙には、マグルを違法に魔法薬の新薬治験に利用していた事実が記されていた。
非人道的な行為として批判を浴びるのは当然であろう。
だが、レギュラスの心の中では違った考えがあった。
魔法使いの命が危険な対象となるのは最も避けるべきことだ。ゆえに、命を犠牲にするのはまず動物で、その次になるのが他の生物であるのはやむを得なかった。
あの暗い中世の時代のように、魔法使いが人々に恐れられ、魔女狩りの名のもとに火炙りにされる時代は終わった。
しかし、今や魔力を持つ者の方が優位に立つ時代が来ている。
純血の魔法使いこそがヒエラルキーの頂点に君臨する未来が、彼の思想の根幹にある。
決して、マグルを無闇に迫害しようという無骨な思想ではない。
ただ、マグルと純血魔法使いが完全に融合し共生する未来には希望を持てなかったのだ。
もしそうした世界が訪れたなら、いずれまた中世のように逆戻りし、魔力を持たない者たちが嫉妬と恐怖から持つ者を異端と責め、過酷な罰を下すだろう。
そんな世界に、自分や大切な者たちの命を預けることなど絶対にできなかった。
だからこそ、レギュラスは純血主義を絶対に曲げられなかったのだ。
「ダンブルドアに嗅ぎつけられた以上は、この男にも命はないでしょうね」
バーテミウスが薄く笑いながら囁く。
「僕たちには関係ありません」
レギュラスは冷静に答え、感情を一切表に出さなかった。
二人は静かに、侵入の痕跡を巧妙に消し去りながら、慎重にダンブルドアの部屋を後にした。
レギュラスはバーテミウスと共に、静まり返ったスリザリン談話室へと戻った。
夜がずいぶんと更けていたため、他の生徒の姿はどこにも見当たらなかった。
レギュラスは杖を取り上げて暖炉へと向かい、軽く振ると静かに炎が灯る。
暖炉の横にはいくつかの手紙が並べられていた。
恐らくは家族や友人からのものだろうが、レギュラスは特に気にも留めなかった。
そんな中、バーテミウスが何気なく一通の便箋を手に取り、レギュラスの方を向いて見せた。
「アラン・セシール宛てのものがありますけど、どうします?」
その言葉に、レギュラスの興味は否応なく引き寄せられた。
「もらいましょう」
そう言うと、バーテミウスの手からその手紙を受け取った。
そっと裏返して差出人を確かめる。
差出人はリシェル・セシール――アランの母だった。
母親が娘に宛てた手紙であるならば、普通ならば何の疑いも不安もなく読み進められるはずだった。
だがレギュラスは、それでもアランのことに関して知らないことは一切取りこぼすまいと、全てを知ろうとしていた。
だからこそ、アランより先に手紙に目を通すことに多少の後ろめたさを感じながらも、その思いに躊躇はなかった。
杖を軽くかざし、封を切ることなく魔法を使って内容を読み取る。
その一挙手一投足を、横目で見ていたバーテミウスは笑いながら皮肉をこめて言った。
「検閲ですか?」
揶揄われているような言い方に、レギュラスの眉は一瞬きつくひそめられた。
しかしその指摘は非常に正確で、思わず言い返すことができなかった。
談話室の暖炉の暖かさに包まれる一方で、心の奥には翡翠色の謎を追い求める強い意志が静かに燃えていた。
リシェル・セシールからの手紙を読んでいたレギュラスは、文章の中に繰り返し現れる名に心を凍らせた。
――シリウス・ブラック。
まさか、アランに宛てられた母の手紙の中にまで、あの兄の名を目にすることになるとは思わなかった。
まるで頭を殴られたような衝撃が身体を襲い、彼は一瞬読み進めるのをためらった。
だが、それでも読み続けてよかったのだと思った。
そこには、卒業後、シリウスがアランを連れて行きたいと願っていることが書かれていた。
リシェルはアランの意思を尊重したいと言い、もし彼女がそう望むのなら、セシール家のことを考えずに自身の思いを追うべきだと穏やかに促していた。
手紙を持つレギュラスの手は、思わず震えた。
この知らせは、彼にとっては好ましいものではなかったのだ。
「良くない内容ですね」
隣にいたバーテミウスが冷ややかに言ったが、レギュラスはそれに答えなかった。
家を出て、ホグワーツからも卒業し、もうシリウスのことを考える必要はないのだと思っていた。
だが、彼は水面下で動き続けていた。
そして、自分の知らぬところでアランとシリウスは何か未来を誓い合ったのだろう。
その事実は、レギュラスには明確な裏切りのように感じられ、猛烈な怒りが胸の内で燃え上がった。
アランはまるで何事もなかったかのように日々を過ごしていたが、実際にはシリウスブラックとの未来を現実に思い描き、そのことを自分に悟られないように振る舞っていたのだと考えると、彼の胸は底知れぬ屈辱で締め付けられた。
あまりにも深く踏みにじられたプライド。
闇の陣営に課せられた重い任務も重なり、この怒りは抑えようもなく膨れ上がっていった。
夜の闇が静かに包み込むなか、レギュラスは震える手でそっと手紙を握りしめ、その苦しさを胸に秘めたまま静かに時を刻んでいた。
翌朝の大広間は、いつものように朝食の時間で賑わっていた。
だが、その中でレギュラス・ブラックはどこか不機嫌そうに見えた。
彼の眉間にはわずかな皺が寄り、普段の端正な顔に陰が落ちたようだった。
アランはいつも通り、優しく彼の皿に料理を取り分けていた。
メニューは昨日と変わらぬ質素なものであり、特別に豪華というわけではなかった。
だが、匙を進めるレギュラスの動作には、心ここにあらずといった気配が色濃く滲んでいた。
「食欲がありませんか?」
アランは心配そうに問いかけた。
「いえ、そういうわけでは」
言葉は淡白だった。
彼は何か言いたそうな表情を見せながらも、それ以上の言葉を発しなかった。
アランもまた、その空気を読み取り、無理に踏み込むことはしなかった。
言葉にしない思いがそこにあり、それを無理に引き出すことは逆効果だと直感していた。
静かに流れる朝の時間の中で、二人の間には言葉を超えた微かな気配が漂い合っていた。
互いに想うことはあっても、それを慎重に胸に秘めたまま、少しの沈黙に包まれていた。
ホグワーツでの授業もいよいよ終盤を迎え、卒業後の進路についてのヒアリングが徐々に始まっていた。
六年生ともなれば当然の流れであり、来年は最終学年として、それぞれが向かうべき道を明確にし、試験や資格の取得、そしてインターンシップへと進んでいくことが求められていた。
しかしアランにとって、その進路を記す紙は重く、知らぬ間に手の中で震えていた。
「シリウスと共に生きていく」という思いは夢であり希望だったが、それを進路として書くことは到底できなかった。
「ブラック家の使用人として仕える」という現実的な選択を記したとしても、教授たちの目には向上心の欠如として映る可能性もあり、不安が大きかった。
過去の経験から、今のような高位魔法使いの家庭に仕えるメイドや執事という職に就くのが無難であり現実的だろうと考えを巡らせていた。
家事呪文技能士の資格や魔法調理師の免許なども取得しておいたほうがいいかもしれない――そんな思いも芽生えていた。
そんなとき、隣からレギュラスの冷ややかな声が聞こえた。
「何と書くつもりですか?」
その一言に、アランは一気に恥ずかしさが襲い、進路を書いた紙を胸元に隠したくなる衝動に駆られた。
レギュラスはしばらく黙ってその紙をのぞき込み、やがて口を開く。
「この資格を取って、ずっとブラック家にいてくれる、と思っていいんですよね?」
その問いにアランはぎこちなく頷こうとしたが、レギュラスの瞳の奥には、何か読み取れない深い意味が隠されているようだった。
鋭く見透かされるような視線に、彼女はどう対応すれば良いのか迷った。
言葉にしないまま、互いの間に重い秘密と期待、そして不安が静かに漂った。
アランの進路について記された紙は、ごくありふれた現実的な内容だった。
それを見たレギュラスは、一瞬だけ安堵の吐息を漏らした。
だが、胸の奥には消え去らぬ焦りが確かに芽生えていた。
それは、先に読んだリシェルの手紙の内容が頭から離れなかったからだった。
アランがシリウスと共に歩もうと考えていた事実は、彼にとって決して看過できないものであった。
レギュラスは静かにゆっくりと、アランの手の上に自分の手を重ねた。
そのぬくもりを感じる間、アランは小さく顔を上げて彼の顔を見つめた。
「アラン、セシール家の未来のためにも、これからもずっとそばにいてくださいね」
レギュラスは、苛立ちを滲ませながらも、それを必死に抑え込み、何事もなかったかのように平然と告げた。
まるで「シリウスとの未来など夢にも考えるな」と言い聞かせるように。
けれど、その憎悪とも言える感情は表には出せなかった。
それが今の自分にできるせいいっぱいの行動だったのだ。
アランは静かに頷いた。
その頷きはおそらく、場を取り繕うためのものだったのだろう。
その反応がみて取れるだけに、レギュラスの胸は一層重く沈むばかりだった。
言葉のやり取りの間の空白に、未来への不安と焦燥が静かに、しかし確かに横たわっていた。
レギュラスは静かな決意を胸に、自らの進路を書き上げていた。
そこには「危険物管理局調査官」を志望すると明確に記されていた。
その職務に就くために必要な資格もまた、彼は正確に把握していた。
闇魔法対処ライセンス一級、護身術上級、防御魔法上級、そして魔法史古代呪文修了証。
彼が抱えている二つの顔。
一つは闇の陣営に属し、デスイーターとして陰で任務を遂行する存在。
もう一つはブラック家当主としての社会的な顔だ。
この二面性を使い分ける上で、危険物管理局調査官は理想的な職であった。
神秘部への自由な出入りを許される公的地位は、情報収集に不可欠なものだったからだ。
レギュラスの進路は教授たちの多くからも認められ、誰もが納得の表情を浮かべていた。
「さすがはブラック家の次期当主」と称賛を惜しまない者もいた。
だが彼の心の奥には、単なる進路選択以上の思惑が渦巻いていた。
職に就き次第、彼はシリウス・ブラックが所属する不死鳥の騎士団をあらゆる権限を駆使して公的に糾弾しようと策略を練っていた。
何とかしてシリウスを公の場から引きずり下ろし、彼とアランの未来を永遠に断ち切る現実を突きつける。
レギュラスがこれまで受けてきた屈辱のすべてを晴らすには、その道しか残されていなかった。
彼の胸に灯るのは、冷徹で激しい復讐の炎だった。
その光は周囲の祝福や期待すらも飲み込み、ただ暗く強烈に燃え盛った。
進路表に記された言葉ひとつひとつが、その復讐への第一歩として静かに刻まれていった。
レギュラスもアランも、それぞれが自らの目指す進路に向けて、日々資格取得のための勉学に励んでいた。
毎日のように図書館や専用の研究室で書物を繰り、呪文の練習や理論の習得に没頭する日々であった。
レギュラスが挑戦している資格は、アランの取得を目指すそれとは比べ物にならないほど格段にレベルが高かった。
しかしその難度にもかかわらず、レギュラスは一つひとつ着実に、しかも速いペースで資格を取得していった。
「やっぱり、あなたはさすがね」
アランは感嘆の声を上げた。共に図書館に通い、勉学を共にしてきたにもかかわらず、レギュラスの学び方や理解力はまるで別格であった。
他の生徒やアラン自身とは比べものにならない速さで知識を吸収し、スキルを身につけていくその姿に、ただただ感嘆するしかなかった。
彼女の胸に、ふとシリウスとの記憶がよみがえった。
シリウスもまた、闇払いになるべく難関の資格を取り、そしてインターンシップをこなしてきた。
自らの意志で勝ち得た、誰もが憧れるその職を目指し、努力を惜しまなかった兄。
彼ら兄弟はまるで、努力が必ず成果となる星のもとに生を受けたかのように、全てにおいて最優秀の成績を収めることができる稀有な存在なのだと改めて思わされた。
「あなたも、遅かれ早かれ、すべての試験に受かるでしょう。あなたはそういう人だから」
そう言い放つレギュラスの言葉には、彼女への真摯な理解と尊重がしっかりと込められていた。
「ありがとう。期待を裏切らないように、わたしも頑張るわね」
アランは微笑み、力強く答えた。
二人は言葉を交わした後も静かに勉強に戻り、図書館の静けさに知識を探求する手の動きだけが響いていた。
アランは静かに手紙を広げ、母リシェルからの言葉を繰り返し読んでいた。
そこには、シリウスが訪ねてきたこと、そして彼女を連れて行きたいと母に告げたことが綴られていた。
その事実を知った瞬間、胸の奥から温かい喜びが湧き上がった。
ただ待つことしかできないもどかしさや、思うように会えない時間の寂しさに押し潰されそうになることも確かにあった。
けれど、母の手紙を通じてシリウスの想いを知ることで、今までの孤独や苦しみの全てが報われたような気がした。
「シリウス……会いたいわ……」
アランは小さく呟いた。
母は手紙の中で、自分の思うように生きていいと書いてくれていた。
それは、ブラック家から逃げ出すことを許すという意味だった。
つまり、セシール家がブラック家からの庇護を失い、没落していくことを受け入れるということでもある。
父と母のことを思うと、何も感じずにはいられなかった。
そこだけが、アランの深い気がかりだった。
ブラック家に背を向けた娘のせいで、父と母が苦労を強いられる未来が待っているかもしれない。
そう考えると、シリウスと共に生きていく未来を手放しに喜ぶことができない自分がいた。
レギュラスは本当はとても優しい人だから――。
もしかしたら、彼なら許してくれるだろうか。
オリオンやヴァルブルガが自分を非難しようとも、せめて父と母のことだけは多めに見てくれるのではないか。
父の職を奪わず、母にも不自由をかけることなく、遠くから見守ってくれるのではないか。
だが、そんな都合のいいことばかりを考えようとする自分の浅はかさが嫌になった。
レギュラスが向けてくれる愛情さえも振り切って去ろうとしているのに、その父と母だけは何とか目をかけてほしいと願うなど、滑稽にも程があるだろう。
それならば、自分が両親を守れるだけの強さを持てばいいのか。
そう考えてみたが、ブラック家の攻撃を受けてしまえば、自分が積み上げてきたちっぽけな地位や魔力などひとたまりもないだろう。
どのみち、魔法界きっての純血一族であるブラック家の人間に敵うわけがないのだ。
アランは、どうすればいいのかわからなかった。
母が自由に生きろと言ってくれているように、シリウスと生きる自由を選ぶことが本当に正解なのか。
それとも、レギュラスに仕え続ける安泰を選ぶべきなのか。
手紙を胸に抱きながら、彼女の心は深い迷いの中で揺れ続けていた。
長い学期が終わり、待ちに待った休暇が訪れた。
レギュラスはアランと共にブラック家の邸宅へと戻った。
父オリオンがアランの存在を認めてくれた以上、レギュラスの胸は少しだけ軽くなっていた。
母ヴァルブルガはおそらく多くの思うところを抱えているだろうけれど、一家の主人である父が認めたという事実が大きかっだのだろう。
父の望むがまま、レギュラスはデスイーターとしての任務を忠実に果たしている。
どこにも失望させることはなかった。
屋敷に戻るやいなや、レギュラスはアランを自室に呼んだ。
日々の勉強と資格取得に追われ、互いにゆっくり過ごす時間がほとんどなかった。
休暇中も決して怠らないつもりでいたが、少しだけでも心と身体を休ませていいのだと思えるようになったのだ。
「アラン」
ただ名前を呼ぶだけの声だったのに、レギュラスの体が熱を帯び、震えていた。
その余裕のなさが露わになり、わずかに気恥ずかしさを感じる。
アランは一瞬困惑したように翡翠の瞳を揺らしたが、口に出す言葉よりも先に、身体が自然と動いてしまったことを許してほしいと思った。
レギュラスは優しく触れた唇でアランの唇を包み込んだ。
何度も何度も角度を変え、深く味わうように口づけた。
接吻の瞬間、熱がじわじわと広がり、長く溜め込んでいた想いがほぐれていくような心地がした。
そのままベッドへと押し倒し、優しくまたがる。
口づけは途切れることなく、むしろやめられなかった。
吸い付くように離れられず、甘く絡み合う唇の隙間から、アランは小さく「レギュラス」と呼んだ。
彼女の声が耳の奥まで響きわたり、頭の中にまで震えるような熱が走る。
首筋に顔を埋めると、彼女の慣れ親しんだ香りが漂い、その香りに身体が震えるほど惹かれていた。
急ぎながらも深く繋がる行為を、アランは抵抗することなく受け入れていた。
その姿が、何度も重ねてきた二人だけの特別な瞬間であることを物語るようで、レギュラスの胸は愛おしさで満ち溢れた。
何度も打ち寄せる熱い吐息が首筋にかかり、その感触に彼は震えを覚える。
「ずっとこうしたかったんです」
レギュラスはアランの耳元で囁いた。
もっと早く、こんな時間を持ちたかったのだ。
リシェルからの手紙をアランより先に読み、心の奥底に燻り続ける苛立ちを抱えていた。
それを覆い隠すために、目の前の課題に没頭する毎日だった。
でも今、こうしてお互いの全てを曝け出し、深く結びつく行為によってしか溶かし合えない何かがあるのだと、彼は理解した。
この瞬間、これまで抱えていた思いは嘘のように静まり、波風を立てずに穏やかに鎮まっていた。
レギュラスの行為は、終わりを知らなかった。
何度も何度も、深く突き上げられるたびに、その疼きは身体の奥底、内臓までも押し潰されそうな衝撃となって襲いかかる。
けれど、その痛みの波間に、爆発的な快楽が押し寄せてくる。
痛みであり、快楽であり、交錯する感覚の中で、二人はまるで荒波に呑まれるように身を任せていた。
重なる吐息、水のような精の音、そして擦れるシーツの囁きが、薄暗い部屋の静寂を震わせて満たしていく。
「ずっとこうしたかったんです」
切なげに揺れる灰色の瞳でレギュラスは呟く。
その瞳を見た瞬間、アランの胸は締めつけられ、言葉ではどうしたらいいかわからず、その戸惑いが痛いほどに広がった。
彼の望むのは、そんな混乱した表情では決してなかった。それでも、そこにある彼の真摯な思いが痛く伝わった。
ふと過去の記憶が、遠く朧げに甦る。
シリウスが屋敷を去ったあの日。あの遠い昔の輝いた日。
もしあの日、アランがレギュラスの温かさにそのまま縋っていなければ、
果たしてレギュラスはこれほどまでに深く彼女を想うことがあっただろうか。
どこからが過ちで、どこからやり直せるのか見えなかった。
アランは唯一、過去の日を思い出す。
シリウスの喪失に耐えきれず、唯一の慰めをレギュラスに求めてしまった自分の弱さを、痛々しくも曝け出してしまった瞬間を。
彼女の胸に、弱さと罪悪感が重くのしかかる。
寂しさを紛らわせるだけの逃げ口として、レギュラスを選んだのだ。
そのために、彼はそれを「愛」だと錯覚して見ないふりをしている。
何度も行為の合間にレギュラスは彼女の手を握りしめ、心の底から「好きだ」と告げる。
そのたびアランの心はさらに重く締めつけられ、言葉を紡げずただ静かに受け入れることしかできなかった。
果てはどこにあるのか。
この交わりの終着点は、一体どこに見出せばよいのか。
アランにはまだ、その答えが見えていなかった。
激しい情事のあと、レギュラスはアランよりも早く眠りに落ち、深い眠りの海から目を覚ました。
ぐったりとした疲労と汗、そして体液をすべて出し切ったせいか、強い喉の渇きを感じていた。
ゆっくりと服を整え、静かに部屋を離れる。
階段を一歩ずつ降りかけたその瞬間、廊下で父オリオンとばったり鉢合わせた。
衣服には乱れもなく、普段通りのレギュラスだったが、つい先ほどまでアランと激しく交わっていたことを察されているようで、気まずさが胸を締めつけた。
軽く頭を下げて通り過ぎようとしたのだが、オリオンはいきなり声をかけ、レギュラスを呼び止めた。
振り返ったレギュラスは、父の言葉を待った。
「ヴァルブルガを刺激するなよ」
オリオンの言葉は軽く、しかし帯びた重みがあった。
「心がけます」
レギュラスは静かに答えた。
父の言わんとする意味はすぐに理解できた。
そして、オリオンがここまで言うのは、おそらくつい先ほどまでの行為をなんとなく察しているからだろう。
「ほどほどにな」
忠告のその一言に込められた願いは、激しく夢中になりすぎる自分を抑えろという意味だったのかもしれない。
それは、母ヴァルブルガがアランに向ける厳しい目線を思い浮かべさせた。
母は決して、今の関係を良しとは思っていない──そんなことはレギュラスにもよくわかっていた。
だから、自分は卒業後、まずカサンドラとの結婚に全力で向かい、その間に間違いなく第一子をもうけて母を安心させるつもりでいる。
母が望む、誇り高い家の未来を築いてみせるのだ。
今は父が許可を出し、黙認していると解釈し、そのすべてに甘えたい気持ちもある。
けれど、母をあまりにも蔑ろにしてよいはずもなく、父の忠告は真摯に受け止めるべきだとも感じていた。
冷たい壁の間で紡がれた父とのやり取りの余韻が、彼の胸に静かに広がった。
大広間の食事の席には、家族全員分の料理が丁寧に並べられていた。
香ばしく焼かれたローストチキン、ハーブとバターで蒸し焼きにされた野菜の盛り合わせ、芳醇なスープ、そしてほのかな甘みを漂わせるパンが籠に満たされている。
さらに新鮮な果物とクリームのデザートも準備され、食卓は華やかに彩られていた。
アランは、一切の手抜きなくてきぱきとその料理を用意し、一つひとつ家族の前に置いていった。
その凛とした仕事ぶりに、レギュラスは無意識のうちに視線を向けていた。
つい先ほどまで、とても激しく濃密な交わりを繰り返した痕跡など、彼女にはまったく感じられなかった。
細い首筋に深く顔を埋めた記憶、震える指先を握り締めた感触、料理の説明で紡がれる唇に何度も触れた余韻。
思い返すたびに身体が熱くなるような心地が、レギュラスの内面で広がっていた。
彼の目の前にはヴァルブルガが静かに座っていた。
だが、彼がアランを見つめていることは母に気づかれてしまい、思いがけずヴァルブルガと視線が合った。
その瞬間、言いようのない気まずさがレギュラスを襲った。
ほんの少し前にオリオンから「ほどほどに」と忠告を受けたばかりだというのに。
ヴァルブルガが口を開いた。
「進路はもう提出したのかしら?」
「はい、危険物管理局調査官を志望として出しました」
レギュラスは真摯な調子で応えた。
「また何とも複雑な独立部署じゃないか」
オリオンが呟く。
「はい、神秘部への立ち入りも許可されている役職ですので、魔法界の実権掌握には最も適していると思いまして」
レギュラスは自信と決意を込めて説明した。
ヴァルブルガの顔には満足そうな表情が浮かび、レギュラスはほっと安堵の息を吐いた。
先ほどの失態も、それとなく伏せてくれたように感じられた。
「資格は揃っているのか?」
オリオンは厳しく問い詰める。
「ええ、残すは魔法史の修了証だけですべて揃います」
レギュラスはたしかに告げた。
「さすがはこのブラック家の子だわ」
ヴァルブルガが誇らしげに頷いた。
母の好意的な言葉に背中を押され、レギュラスの胸には安心感が積もっていった。
アランをこれからも手元に置き続けるためには、母の望みを叶えられるよう、従順に理想の息子を演じ続けなければならない。
こうして、華やかな食卓の影で、互いの思惑が静かに交錯していた。
レギュラスは、父オリオンの承認を盾に、アラン・セシールに対する情を隠すことなく露わにしていた。
その赤裸々な様子は、本人にとってはまだ抑制しているつもりかもしれないが、母ヴァルブルガの目からは明白で、あまりにもはっきりと見えてしまっていた。
アランという少女はもともと、オリオンがずっと目をかけていたロイク・セシールの娘として、ブラック家に仕えることを許された存在だった。
しかしヴァルブルガは最初から、屋敷にアランを入れることに断固反対していた。
女としての感において、彼女はアランの存在が危険でしかないと強く感じていたのだ。
その危険の根源は、アランの母リシェル・セシールにあった。
リシェルの華やかな美しさはアランに強く受け継がれていたが、かつてリシェルは王宮に仕え、国王の寵愛を一身に受けていた。
王妃を差し置き、彼女に惚れ込んだ国王は執務を放棄し、一時期政治は混乱し、王宮は荒廃を招いた。
その責めを一身に負い、リシェルは処刑の運命にあったが、ロイク・セシールがオリオンに懇願したことで命を救われたのだった。
そんな女の娘であるアランは、ヴァルブルガの目には、必ずやブラック家の秩序を乱す存在に映っていた。
だからこそ、レギュラスがアランに好意を持ち始めたと察知した瞬間から、ヴァルブルガの不安は日に日に増していった。
ロズィエ家との婚約を急がせたのも、その理由によるものだった。
それなのに、オリオンはレギュラスに対して、デスイーターとして闇の帝王ヴォルデモートの信頼を得ることができるなら自由にせよと、選択の自由を等価交換で与えてしまった。
レギュラスはそれを承認と完全に受け取り、母の思惑のことなど顧みようとはしなかった。
ヴァルブルガは、その複雑な状況に頭を抱える。
一方で、レギュラスが進路をしっかりと見据え、魔法界全体を掌握できる部署への就職を目指している確かさだけが、彼女の唯一の救いとなっていた。
そして、卒業後はすぐにロズィエ家のカサンドラを屋敷に迎え入れるつもりだと知ってはいる。
レギュラスには、アランとの間に子を持つよりも先に、カサンドラとの間に男児を設ける責務があるのだ。
それが、このブラック家の厳格な秩序を保つためにどうしても必要なことだった。
だが、その未来が確約されるまでは、不安の影はヴァルブルガの心から消えることはなかった。
重く、静かに、しかししつこく彼女に付き纏っていた。
レギュラスは夕食を終えると、父オリオンと共に屋敷を後にした。
行き先は聞かずとも分かる。闇の陣営の集会なのだろう。
休暇のたびに家に戻ると、決まってこうして夜遅くに出かけていくレギュラスの後ろ姿が、アランの胸に影を落とす。
そうして翌日には、魔法新聞社がこぞって記事を出す。
不可解なマグルの死、混血魔法使いの死傷事件、マグル生まれの魔法使いが巻き込まれた事故。
そのすべてに、レギュラスが関わっているのではと考えるだけで、アランの胸は苦しく締め付けられる。
かつてレギュラスの後を追い、闇の集会の一端を垣間見てしまった日もあった。
その場には、凍り付くような恐ろしさが満ちていた。
自分たちの理想に背く者を、平然と命を奪うことで切り捨てる集団――。
その一員としてそこにいるレギュラスを見ると、信じようとする気持ちさえ削られていくようだった。
自室で資格参考書を広げて勉強するアランの窓を、静かに叩く音が響いた。
「あぁ……この叩き方は」
窓の向こうにいるのが誰だかすぐに分かった。
心が瞬時に高鳴った。
「アラン!会いにきた」
シリウスの朗らかな声が部屋に飛び込んでくる。
「ええ、すぐ分かったわ」
笑顔を返しながら、アランはシリウスを部屋に招き入れた。
シリウスは気負うことなくソファに座り、光を宿した瞳でアランを見つめる。
その瞳が自分を見守っていてくれるだけで、今まで押しつぶされそうだった思いがふわりと軽くなる。
彼の指には、マグルの世界で「お揃いだね」と言って手に入れた指輪が輝いていた。
胸がぎゅっと締まった。
今、アランの指にはその指輪はなかった。
レギュラスに渡して以降、未だ返してもらえていないのだ。
代わりにレギュラスから贈られた指輪はあるが、オリオンやヴァルブルガの前ではつけることもできなかった。
今この瞬間、身につけていなくてよかったとほっと安堵する。
シリウスは離れている間も、あの指輪を外さず付けていてくれるのだろう。
「離れていても繋がっている」という思いがこもっている気がした。
嬉しいのに、嬉しさが痛みに変わってしまうほど――今、自分の手にその指輪がないことが心に触った。
「家事呪文技能士の資格か、アランらしいな」
テーブルに広げていた資格参考書を見て、シリウスは微笑む。
「ええ、進路を出す時期になったもの」
「約束通り、卒業したら一緒に暮らそうな」
シリウスが語る未来の言葉に、胸が高鳴る。
今にも泣きそうになるほど、心の奥底が嬉しさで震えていた。
けれどその一方で、自分の中にまだ揺れる何かがある。
シリウスの手を取って生きていくには、犠牲にしなくてはならないものがあまりにも多い。
進路も、家族の期待も、ブラック家の庇護もすべて捨てなければならない。
そう思うと、どうしても心が決心まで辿り着けないのだ。
それでも、シリウスの温もりを前に、しばし全ての不安から解放されるような、静かな幸福が部屋いっぱいに満ちていった。
シリウスは、アランの胸の内にまだ揺れている思いがあることに薄々気づいていた。
両親――真面目で誇り高いセシール家の二人。
ブラック家の長年の庇護を受けて要職に就き、魔法界の秩序の一角を担ってきた大きな一族。
そしてレギュラスのこと。
そのすべてを手放してまで、自分と二人きりの未来に進む決断が、簡単になされるはずがない。シリウスはそのことをきちんと理解していた。
それでも、――いや、だからこそ。
自分が守ってやりたい、と彼は強く思った。
せめてアランの両親のことくらいは、絶対に守りきりたかった。
不死鳥の騎士団員として真っ当な実績を積み、公的な役職を手にしていくことで、アランの両親くらいは自分の手で守れるはずだ。
そんな明るい未来を、シリウスは確かなものとして信じようとしていた。
「アラン」
そっと彼女の手を取り、自然にそのまま自分の腕の中に引き寄せる。
身体がふわりと納まる、温かな抱擁。
心に絡みつく不安や迷いが、その温もりで少しずつ溶けてゆくようだった。
耳元で、懐かしく、力強い言葉が響く。
「アラン、不安になんてならなくていい。俺が全部、全部守ってやる」
アランは、シリウスの腕の中で小さく何度も頷いた。
その優しさと決意に包まれ、とても愛おしいと心が叫んだ。
これから先、きっと数多くのものを手放さなければならない――家も、名も、慣れ親しんだ場所も。
けれど、それらに代わるものを、二人で築き上げていけたらいい。
手放す痛みを、その都度寄り添い、支え合って凌駕していけるものに変えていきたい――シリウスはそう願わずにいられなかった。
夜の静謐さのなか、二人の未来への誓いが、柔らかく熱い抱擁に溶け込んでいった。
優しく抱きしめ合った体を離し、シリウスはアランを少しだけ覗き込んだ。
翡翠の美しい瞳が、柔らかく彼を見上げてくる。
その光を曇らせることのない人生を、この手で守ってやりたい。シリウスの胸にそんな思いが熱く灯った。
「アラン、本当に——大好きだ」
心の底から絞り出すように、切実に伝えた。
アランはふんわりと微笑んだ。シリウスがいちばん好きだと思う笑顔。
幼い頃からずっと変わらず、その瞬間瞬間に恋を覚えた想いが、今も変わらず胸に込み上げてきた。
アラン・セシールという少女は、シリウスの人生において永遠の初恋だった。
かつては手を伸ばすことさえ叶わなかった相手。けれど今は、こうして互いを抱きしめ合うことさえできる。
それ以上の関係になりたいと願い、その願いが現実になったいま、その全てが本当に尊いものに感じられた。
「私も、あなたが大好きです、シリウス」
アランはまっすぐな眼差しで応える。真剣な愛の言葉にシリウスの胸は溢れそうになった。
たまらなくなって、たびたびアランをぎゅっとまた抱きしめた。
どれほどそうしていたのかわからない。
しばらくして、シリウスはそっと顔をアランの首元にずらす。アランらしい柔らかでほんのり甘い香りが、ふわりと鼻腔を満たす。
気持ちが落ち着くのに、今夜だけはその香りが妙に生々しく、いつまでも残った。
自分でも驚くほど、久しぶりに生理的な熱が下半身に集まっていくのを感じた。
突如として恥ずかしくなり、不自然に抱きしめる腕を緩めて、シリウスは少し距離をとった。
反応してしまった自分を隠すように、何か別の話題を見つけようとする。
ソファに座り込むと、アランも同じように隣に腰掛け、そっと寄り添ってくる。
二人の間に熱がこもる。触れ合っている部分のぬくもりが、どうにも収まらなかった。
前回そういった関係になってから、少し期間が空いてしまったから、こんなときどんな風に誘えばいいのか、シリウスは分からなくなってしまっていた。
ジェームズが勢い余って多くの助言をしてくれたものの、それをろくに聞いていなかった自分を、今さらながら残念に思う。
「アラン、その……なんだ……もし……大丈夫なら……」
不自然なほど歯切れ悪く切り出す。
「なぁに? シリウス」
アランが不思議そうに振り向いた。
自分でも情けなくなるほど、言葉がうまくつながらない。そのたどたどしさに顔が熱くなる。
まっすぐ勇気を出して伝えられたならどれだけいいだろう、そんな想いに胸を焦がしながら、シリウスはどうにも踏み込みきれない自分の熱の行方を持て余していた。
薄暗い屋敷の奥で行われる集会で、彼は重要な情報を告げられた。
「不死鳥の騎士団が動き始めている」
デスイーターの一人が低い声で報告した。
「ダンブルドアの指示により、騎士団は我々の拠点や作戦について情報収集を活発化させている。特に、魔法省内部に潜入工作員を送り込み、闇の陣営に関する機密情報を探ろうとしているようだ。また、ホグワーツの生徒たちの中から新たな騎士団メンバーの候補を密かに選抜しているという報告も入っている」
その情報を受け、レギュラスには具体的な任務が下された。
「レギュラス・ブラック、お前はまだホグワーツに在学中だ。その立場を利用し、ダンブルドアの動向を探れ」
指令を下すデスイーターは続けた。
「校長室に侵入し、ダンブルドアの机や書類、手紙などを調べ上げろ。不死鳥の騎士団への指示書、作戦計画書、メンバーリスト、そして我々に対する対策案などが隠されているはずだ。また、ダンブルドアが密かに行っている会話や会合の記録、魔法省や他の魔法学校との秘密連絡文書も重要だ。これらの情報を入手し、我々に報告せよ」
そのとき、ベラトリックス・レストレンジが挑発的な笑みを浮かべながら口を開いた。
「レギュラス、お前には荷が重いかしらね」
彼女は美しく口角を上げ、見下ろすような視線でレギュラスを見つめていた。
レギュラスは特に反論することなく、静かにその任務を受け入れた。
心の中では、この命令の重大さを十分に理解していた。
ダンブルドアを探れだなんて──これがどれほど危険で困難な任務かは容易に想像できた。
ましてや校長室に忍び込むとなれば、並大抵の魔法では通用しないだろう。綿密な策を練らなければならない。
闇の帝王の信頼を裏切ることは絶対に許されない。
父オリオンの名誉を汚すわけにもいかない。
そして最終的には、アラン・セシールを妻に迎えたいという自分の願いを反故にされてしまわないためにも。
この任務の失敗は、あらゆる意味で許されないものだった。
レギュラスは静かに決意を固め、暗い部屋の中で一人、重い責任を背負い込んだ。
ホグワーツの静まり返った夜、レギュラスは寮に戻ると、そこでアランが談話室で待っているのを見つけた。
監督生の身分により、彼が深夜に寮の外を歩いても誰に咎められることはなく、デスイーターの会合に参加することも自然なこととして受け入れられていた。
「レギュラス……またあの恐ろしい集会に出たのですか?」
アランは彼の姿を見ると即座に立ち上がり、不安で揺れる瞳を向けて問いかけた。
「アラン、心配しなくて大丈夫ですから。危ないことは何もありません」
レギュラスは柔らかい口調で答え、彼女が不安に駆られる必要はないのだと伝えた。
「うまくやれます。あなたがそんな風に思うことはありません」
そう言い、彼は自然とアランの手を取りしっかりと握った。
しかしアランはその手をするりと抜き去った。
「レギュラス、ダンブルドアはきっとあなたの動きに気づき始めています」
美しい顔に懸命な意志と説得の色を宿しながら告げる。
「もしも恐ろしいことを考えてるのなら、どうかダンブルドアに助けを求めてください。あの偉大な方なら、必ず解決の糸口をお示しくださるはずです」
アランの訴えは、彼を心から案じる純粋な気持ちの現れだった。
しかし、純血の誇りを胸に持ち続けるレギュラス・ブラックが、その申し出を受け入れることはありえなかった。
彼は幼い頃から育まれた家の誇りを背負い、過酷な歴史の上に築かれた純血の価値観を決して揺るがすことはしない。
魔女狩りや魔法使い差別の歴史をなかったことのようにし、混血やマグルを受け入れ理想を掲げるダンブルドアに助けを求めることなど、はなから選択肢にはなかった。
アランの言葉は理解している。
だが同時に、それを受け入れるには自分のプライドがあまりにも大きく、それを捨てることは許されなかった。
「アラン、ダンブルドアに助けを求めなければならない状況など、あり得ません。どうかご心配なく、僕は大丈夫ですから」
レギュラスは静かな口調で、しかし何一つ反論の余地を許さぬよう強い意思を込めて告げた。
アランは言葉を返すことができず俯く。
彼女にとってもう、これ以上何かを言い合うことは意味がなかったのだ。
ただ、そこにいてくれる――たったそれだけで構わなかった。
自分を心配して傍にいるアラン・セシールの存在が、レギュラスの胸を満たし、溢れんばかりの安堵に変わる。
静かな夜の談話室で二人の心は言葉以上の繋がりをもって重なっていた。
翌日、レギュラスはバーテミウスと二人、夜闇に紛れて校長室に忍び込む計画を立て、遂に実行した。
彼らは夕食の大広間でダンブルドアが姿を現さなかったことを確認し、この日を決行日に選んだのだった。
「失敗しないでくださいよ」
レギュラスは鋭い視線でバーテミウスに念を押す。
「そちらこそ、あまり時間をかけずに収穫してくださいよ」
バーテミウスは鼻で抜けるように軽く笑いながら返した。
やがてふたりは、灯りの消えた暗い廊下へと進み、静寂に包まれた氷のように冷たい空気を肌で感じた。
足音さえ吸い込まれるような重く沈黙した廊下の先に、待ち受けているのはホグワーツの校長室だった。
入り口の扉は堅牢な魔法の障壁と複雑な錠が備えられており、侵入は容易ではなかった。
だが、レギュラスはポケットから特別な魔法器具を取り出し、闇の魔術に長けたバーテミウスと共に手際よく呪文を唱えながら、徐々に障壁を解いていった。
室内に足を踏み入れると、そこはまさにダンブルドアの趣味が色濃く反映された空間だった。
壁には数々の魔法の絵画が並び、その中には伝説の魔法使いたちの肖像画も混じる。
柔らかな光を放つ魔法のランプが天井から吊り下げられ、机の上には様々な魔法書や魔法薬の瓶が無造作に並べられていた。
窓の外は見えないが、小さな妖精たちが戯れる音が微かに聞こえ、魔力が穏やかに流れているのが感じられた。
目的は、ダンブルドアが不死鳥の騎士団のメンバーに秘密裏に命じている指示や作戦の手がかりを得ること。
レギュラスとバーテミウスは机の引き出しや書棚、箱すべてを隈なく調べ上げた。
魔法の護符や記録が隠されていないか、慎重に探る。
そしてついに、ひとつの封のされた手紙を見つけた。
名前や封蝋から察するに、騎士団メンバーのひとりからダンブルドアへ送られたものだろう。
紙を開くとそこには、マグルを違法に魔法薬の治験に用いようとしていた闇の魔法使いの正体を突き止めた旨の記述があった。
「誰のことなんでしょう……」
レギュラスは顔を曇らせて呟くと、バーテミウスを見る。
バーテミウスはくしゃっとした表情から一転、すらりとした指でその名前を挙げた。
「アザルキン・ドレイク。かなり曲者ですよ。何度か耳にしたことあるでしょう」
「あなたの交友関係にはいつも感心させられます」
レギュラスは苦笑いしながら言う。
「僕は社交的なんですよ」
バーテミウスは軽やかに言い放った。
まさかこの緊迫した侵入任務をこなしているとは思えない軽妙な空気が、二人の間にさりげなく漂っていた。
こうして二人は、ダンブルドアが少しずつ闇の魔法使いを追い詰めていることを確かめたのだ。
ダンブルドアの部屋で手にした手がかりは、闇の帝王への重要な報告書となった。
そこには、ダンブルドアがアザルキン・ドレイクを摘発しようとしている動きが詳細に記されていた。
もしダンブルドアが声をあげれば、遠くないうちにこの魔法使いは捕らえられ、裁判にかけられるだろう。
しかし、事態はそれだけでは済まされなかった。
アザルキン・ドレイクがもしデスイーターと繋がりを持っているならば、真実薬や魔法拷問により彼の口が割らされる可能性が高い。
その前に、デスイーター側が先手を打って彼を「消す」決断を下すかもしれなかった。
具体的にどういう決断が下されるのかは誰にもわからなかったが、レギュラスはあくまで見つけた証拠としてこの情報を持ち帰り、上層部に渡すことに決めていた。
手紙には、マグルを違法に魔法薬の新薬治験に利用していた事実が記されていた。
非人道的な行為として批判を浴びるのは当然であろう。
だが、レギュラスの心の中では違った考えがあった。
魔法使いの命が危険な対象となるのは最も避けるべきことだ。ゆえに、命を犠牲にするのはまず動物で、その次になるのが他の生物であるのはやむを得なかった。
あの暗い中世の時代のように、魔法使いが人々に恐れられ、魔女狩りの名のもとに火炙りにされる時代は終わった。
しかし、今や魔力を持つ者の方が優位に立つ時代が来ている。
純血の魔法使いこそがヒエラルキーの頂点に君臨する未来が、彼の思想の根幹にある。
決して、マグルを無闇に迫害しようという無骨な思想ではない。
ただ、マグルと純血魔法使いが完全に融合し共生する未来には希望を持てなかったのだ。
もしそうした世界が訪れたなら、いずれまた中世のように逆戻りし、魔力を持たない者たちが嫉妬と恐怖から持つ者を異端と責め、過酷な罰を下すだろう。
そんな世界に、自分や大切な者たちの命を預けることなど絶対にできなかった。
だからこそ、レギュラスは純血主義を絶対に曲げられなかったのだ。
「ダンブルドアに嗅ぎつけられた以上は、この男にも命はないでしょうね」
バーテミウスが薄く笑いながら囁く。
「僕たちには関係ありません」
レギュラスは冷静に答え、感情を一切表に出さなかった。
二人は静かに、侵入の痕跡を巧妙に消し去りながら、慎重にダンブルドアの部屋を後にした。
レギュラスはバーテミウスと共に、静まり返ったスリザリン談話室へと戻った。
夜がずいぶんと更けていたため、他の生徒の姿はどこにも見当たらなかった。
レギュラスは杖を取り上げて暖炉へと向かい、軽く振ると静かに炎が灯る。
暖炉の横にはいくつかの手紙が並べられていた。
恐らくは家族や友人からのものだろうが、レギュラスは特に気にも留めなかった。
そんな中、バーテミウスが何気なく一通の便箋を手に取り、レギュラスの方を向いて見せた。
「アラン・セシール宛てのものがありますけど、どうします?」
その言葉に、レギュラスの興味は否応なく引き寄せられた。
「もらいましょう」
そう言うと、バーテミウスの手からその手紙を受け取った。
そっと裏返して差出人を確かめる。
差出人はリシェル・セシール――アランの母だった。
母親が娘に宛てた手紙であるならば、普通ならば何の疑いも不安もなく読み進められるはずだった。
だがレギュラスは、それでもアランのことに関して知らないことは一切取りこぼすまいと、全てを知ろうとしていた。
だからこそ、アランより先に手紙に目を通すことに多少の後ろめたさを感じながらも、その思いに躊躇はなかった。
杖を軽くかざし、封を切ることなく魔法を使って内容を読み取る。
その一挙手一投足を、横目で見ていたバーテミウスは笑いながら皮肉をこめて言った。
「検閲ですか?」
揶揄われているような言い方に、レギュラスの眉は一瞬きつくひそめられた。
しかしその指摘は非常に正確で、思わず言い返すことができなかった。
談話室の暖炉の暖かさに包まれる一方で、心の奥には翡翠色の謎を追い求める強い意志が静かに燃えていた。
リシェル・セシールからの手紙を読んでいたレギュラスは、文章の中に繰り返し現れる名に心を凍らせた。
――シリウス・ブラック。
まさか、アランに宛てられた母の手紙の中にまで、あの兄の名を目にすることになるとは思わなかった。
まるで頭を殴られたような衝撃が身体を襲い、彼は一瞬読み進めるのをためらった。
だが、それでも読み続けてよかったのだと思った。
そこには、卒業後、シリウスがアランを連れて行きたいと願っていることが書かれていた。
リシェルはアランの意思を尊重したいと言い、もし彼女がそう望むのなら、セシール家のことを考えずに自身の思いを追うべきだと穏やかに促していた。
手紙を持つレギュラスの手は、思わず震えた。
この知らせは、彼にとっては好ましいものではなかったのだ。
「良くない内容ですね」
隣にいたバーテミウスが冷ややかに言ったが、レギュラスはそれに答えなかった。
家を出て、ホグワーツからも卒業し、もうシリウスのことを考える必要はないのだと思っていた。
だが、彼は水面下で動き続けていた。
そして、自分の知らぬところでアランとシリウスは何か未来を誓い合ったのだろう。
その事実は、レギュラスには明確な裏切りのように感じられ、猛烈な怒りが胸の内で燃え上がった。
アランはまるで何事もなかったかのように日々を過ごしていたが、実際にはシリウスブラックとの未来を現実に思い描き、そのことを自分に悟られないように振る舞っていたのだと考えると、彼の胸は底知れぬ屈辱で締め付けられた。
あまりにも深く踏みにじられたプライド。
闇の陣営に課せられた重い任務も重なり、この怒りは抑えようもなく膨れ上がっていった。
夜の闇が静かに包み込むなか、レギュラスは震える手でそっと手紙を握りしめ、その苦しさを胸に秘めたまま静かに時を刻んでいた。
翌朝の大広間は、いつものように朝食の時間で賑わっていた。
だが、その中でレギュラス・ブラックはどこか不機嫌そうに見えた。
彼の眉間にはわずかな皺が寄り、普段の端正な顔に陰が落ちたようだった。
アランはいつも通り、優しく彼の皿に料理を取り分けていた。
メニューは昨日と変わらぬ質素なものであり、特別に豪華というわけではなかった。
だが、匙を進めるレギュラスの動作には、心ここにあらずといった気配が色濃く滲んでいた。
「食欲がありませんか?」
アランは心配そうに問いかけた。
「いえ、そういうわけでは」
言葉は淡白だった。
彼は何か言いたそうな表情を見せながらも、それ以上の言葉を発しなかった。
アランもまた、その空気を読み取り、無理に踏み込むことはしなかった。
言葉にしない思いがそこにあり、それを無理に引き出すことは逆効果だと直感していた。
静かに流れる朝の時間の中で、二人の間には言葉を超えた微かな気配が漂い合っていた。
互いに想うことはあっても、それを慎重に胸に秘めたまま、少しの沈黙に包まれていた。
ホグワーツでの授業もいよいよ終盤を迎え、卒業後の進路についてのヒアリングが徐々に始まっていた。
六年生ともなれば当然の流れであり、来年は最終学年として、それぞれが向かうべき道を明確にし、試験や資格の取得、そしてインターンシップへと進んでいくことが求められていた。
しかしアランにとって、その進路を記す紙は重く、知らぬ間に手の中で震えていた。
「シリウスと共に生きていく」という思いは夢であり希望だったが、それを進路として書くことは到底できなかった。
「ブラック家の使用人として仕える」という現実的な選択を記したとしても、教授たちの目には向上心の欠如として映る可能性もあり、不安が大きかった。
過去の経験から、今のような高位魔法使いの家庭に仕えるメイドや執事という職に就くのが無難であり現実的だろうと考えを巡らせていた。
家事呪文技能士の資格や魔法調理師の免許なども取得しておいたほうがいいかもしれない――そんな思いも芽生えていた。
そんなとき、隣からレギュラスの冷ややかな声が聞こえた。
「何と書くつもりですか?」
その一言に、アランは一気に恥ずかしさが襲い、進路を書いた紙を胸元に隠したくなる衝動に駆られた。
レギュラスはしばらく黙ってその紙をのぞき込み、やがて口を開く。
「この資格を取って、ずっとブラック家にいてくれる、と思っていいんですよね?」
その問いにアランはぎこちなく頷こうとしたが、レギュラスの瞳の奥には、何か読み取れない深い意味が隠されているようだった。
鋭く見透かされるような視線に、彼女はどう対応すれば良いのか迷った。
言葉にしないまま、互いの間に重い秘密と期待、そして不安が静かに漂った。
アランの進路について記された紙は、ごくありふれた現実的な内容だった。
それを見たレギュラスは、一瞬だけ安堵の吐息を漏らした。
だが、胸の奥には消え去らぬ焦りが確かに芽生えていた。
それは、先に読んだリシェルの手紙の内容が頭から離れなかったからだった。
アランがシリウスと共に歩もうと考えていた事実は、彼にとって決して看過できないものであった。
レギュラスは静かにゆっくりと、アランの手の上に自分の手を重ねた。
そのぬくもりを感じる間、アランは小さく顔を上げて彼の顔を見つめた。
「アラン、セシール家の未来のためにも、これからもずっとそばにいてくださいね」
レギュラスは、苛立ちを滲ませながらも、それを必死に抑え込み、何事もなかったかのように平然と告げた。
まるで「シリウスとの未来など夢にも考えるな」と言い聞かせるように。
けれど、その憎悪とも言える感情は表には出せなかった。
それが今の自分にできるせいいっぱいの行動だったのだ。
アランは静かに頷いた。
その頷きはおそらく、場を取り繕うためのものだったのだろう。
その反応がみて取れるだけに、レギュラスの胸は一層重く沈むばかりだった。
言葉のやり取りの間の空白に、未来への不安と焦燥が静かに、しかし確かに横たわっていた。
レギュラスは静かな決意を胸に、自らの進路を書き上げていた。
そこには「危険物管理局調査官」を志望すると明確に記されていた。
その職務に就くために必要な資格もまた、彼は正確に把握していた。
闇魔法対処ライセンス一級、護身術上級、防御魔法上級、そして魔法史古代呪文修了証。
彼が抱えている二つの顔。
一つは闇の陣営に属し、デスイーターとして陰で任務を遂行する存在。
もう一つはブラック家当主としての社会的な顔だ。
この二面性を使い分ける上で、危険物管理局調査官は理想的な職であった。
神秘部への自由な出入りを許される公的地位は、情報収集に不可欠なものだったからだ。
レギュラスの進路は教授たちの多くからも認められ、誰もが納得の表情を浮かべていた。
「さすがはブラック家の次期当主」と称賛を惜しまない者もいた。
だが彼の心の奥には、単なる進路選択以上の思惑が渦巻いていた。
職に就き次第、彼はシリウス・ブラックが所属する不死鳥の騎士団をあらゆる権限を駆使して公的に糾弾しようと策略を練っていた。
何とかしてシリウスを公の場から引きずり下ろし、彼とアランの未来を永遠に断ち切る現実を突きつける。
レギュラスがこれまで受けてきた屈辱のすべてを晴らすには、その道しか残されていなかった。
彼の胸に灯るのは、冷徹で激しい復讐の炎だった。
その光は周囲の祝福や期待すらも飲み込み、ただ暗く強烈に燃え盛った。
進路表に記された言葉ひとつひとつが、その復讐への第一歩として静かに刻まれていった。
レギュラスもアランも、それぞれが自らの目指す進路に向けて、日々資格取得のための勉学に励んでいた。
毎日のように図書館や専用の研究室で書物を繰り、呪文の練習や理論の習得に没頭する日々であった。
レギュラスが挑戦している資格は、アランの取得を目指すそれとは比べ物にならないほど格段にレベルが高かった。
しかしその難度にもかかわらず、レギュラスは一つひとつ着実に、しかも速いペースで資格を取得していった。
「やっぱり、あなたはさすがね」
アランは感嘆の声を上げた。共に図書館に通い、勉学を共にしてきたにもかかわらず、レギュラスの学び方や理解力はまるで別格であった。
他の生徒やアラン自身とは比べものにならない速さで知識を吸収し、スキルを身につけていくその姿に、ただただ感嘆するしかなかった。
彼女の胸に、ふとシリウスとの記憶がよみがえった。
シリウスもまた、闇払いになるべく難関の資格を取り、そしてインターンシップをこなしてきた。
自らの意志で勝ち得た、誰もが憧れるその職を目指し、努力を惜しまなかった兄。
彼ら兄弟はまるで、努力が必ず成果となる星のもとに生を受けたかのように、全てにおいて最優秀の成績を収めることができる稀有な存在なのだと改めて思わされた。
「あなたも、遅かれ早かれ、すべての試験に受かるでしょう。あなたはそういう人だから」
そう言い放つレギュラスの言葉には、彼女への真摯な理解と尊重がしっかりと込められていた。
「ありがとう。期待を裏切らないように、わたしも頑張るわね」
アランは微笑み、力強く答えた。
二人は言葉を交わした後も静かに勉強に戻り、図書館の静けさに知識を探求する手の動きだけが響いていた。
アランは静かに手紙を広げ、母リシェルからの言葉を繰り返し読んでいた。
そこには、シリウスが訪ねてきたこと、そして彼女を連れて行きたいと母に告げたことが綴られていた。
その事実を知った瞬間、胸の奥から温かい喜びが湧き上がった。
ただ待つことしかできないもどかしさや、思うように会えない時間の寂しさに押し潰されそうになることも確かにあった。
けれど、母の手紙を通じてシリウスの想いを知ることで、今までの孤独や苦しみの全てが報われたような気がした。
「シリウス……会いたいわ……」
アランは小さく呟いた。
母は手紙の中で、自分の思うように生きていいと書いてくれていた。
それは、ブラック家から逃げ出すことを許すという意味だった。
つまり、セシール家がブラック家からの庇護を失い、没落していくことを受け入れるということでもある。
父と母のことを思うと、何も感じずにはいられなかった。
そこだけが、アランの深い気がかりだった。
ブラック家に背を向けた娘のせいで、父と母が苦労を強いられる未来が待っているかもしれない。
そう考えると、シリウスと共に生きていく未来を手放しに喜ぶことができない自分がいた。
レギュラスは本当はとても優しい人だから――。
もしかしたら、彼なら許してくれるだろうか。
オリオンやヴァルブルガが自分を非難しようとも、せめて父と母のことだけは多めに見てくれるのではないか。
父の職を奪わず、母にも不自由をかけることなく、遠くから見守ってくれるのではないか。
だが、そんな都合のいいことばかりを考えようとする自分の浅はかさが嫌になった。
レギュラスが向けてくれる愛情さえも振り切って去ろうとしているのに、その父と母だけは何とか目をかけてほしいと願うなど、滑稽にも程があるだろう。
それならば、自分が両親を守れるだけの強さを持てばいいのか。
そう考えてみたが、ブラック家の攻撃を受けてしまえば、自分が積み上げてきたちっぽけな地位や魔力などひとたまりもないだろう。
どのみち、魔法界きっての純血一族であるブラック家の人間に敵うわけがないのだ。
アランは、どうすればいいのかわからなかった。
母が自由に生きろと言ってくれているように、シリウスと生きる自由を選ぶことが本当に正解なのか。
それとも、レギュラスに仕え続ける安泰を選ぶべきなのか。
手紙を胸に抱きながら、彼女の心は深い迷いの中で揺れ続けていた。
長い学期が終わり、待ちに待った休暇が訪れた。
レギュラスはアランと共にブラック家の邸宅へと戻った。
父オリオンがアランの存在を認めてくれた以上、レギュラスの胸は少しだけ軽くなっていた。
母ヴァルブルガはおそらく多くの思うところを抱えているだろうけれど、一家の主人である父が認めたという事実が大きかっだのだろう。
父の望むがまま、レギュラスはデスイーターとしての任務を忠実に果たしている。
どこにも失望させることはなかった。
屋敷に戻るやいなや、レギュラスはアランを自室に呼んだ。
日々の勉強と資格取得に追われ、互いにゆっくり過ごす時間がほとんどなかった。
休暇中も決して怠らないつもりでいたが、少しだけでも心と身体を休ませていいのだと思えるようになったのだ。
「アラン」
ただ名前を呼ぶだけの声だったのに、レギュラスの体が熱を帯び、震えていた。
その余裕のなさが露わになり、わずかに気恥ずかしさを感じる。
アランは一瞬困惑したように翡翠の瞳を揺らしたが、口に出す言葉よりも先に、身体が自然と動いてしまったことを許してほしいと思った。
レギュラスは優しく触れた唇でアランの唇を包み込んだ。
何度も何度も角度を変え、深く味わうように口づけた。
接吻の瞬間、熱がじわじわと広がり、長く溜め込んでいた想いがほぐれていくような心地がした。
そのままベッドへと押し倒し、優しくまたがる。
口づけは途切れることなく、むしろやめられなかった。
吸い付くように離れられず、甘く絡み合う唇の隙間から、アランは小さく「レギュラス」と呼んだ。
彼女の声が耳の奥まで響きわたり、頭の中にまで震えるような熱が走る。
首筋に顔を埋めると、彼女の慣れ親しんだ香りが漂い、その香りに身体が震えるほど惹かれていた。
急ぎながらも深く繋がる行為を、アランは抵抗することなく受け入れていた。
その姿が、何度も重ねてきた二人だけの特別な瞬間であることを物語るようで、レギュラスの胸は愛おしさで満ち溢れた。
何度も打ち寄せる熱い吐息が首筋にかかり、その感触に彼は震えを覚える。
「ずっとこうしたかったんです」
レギュラスはアランの耳元で囁いた。
もっと早く、こんな時間を持ちたかったのだ。
リシェルからの手紙をアランより先に読み、心の奥底に燻り続ける苛立ちを抱えていた。
それを覆い隠すために、目の前の課題に没頭する毎日だった。
でも今、こうしてお互いの全てを曝け出し、深く結びつく行為によってしか溶かし合えない何かがあるのだと、彼は理解した。
この瞬間、これまで抱えていた思いは嘘のように静まり、波風を立てずに穏やかに鎮まっていた。
レギュラスの行為は、終わりを知らなかった。
何度も何度も、深く突き上げられるたびに、その疼きは身体の奥底、内臓までも押し潰されそうな衝撃となって襲いかかる。
けれど、その痛みの波間に、爆発的な快楽が押し寄せてくる。
痛みであり、快楽であり、交錯する感覚の中で、二人はまるで荒波に呑まれるように身を任せていた。
重なる吐息、水のような精の音、そして擦れるシーツの囁きが、薄暗い部屋の静寂を震わせて満たしていく。
「ずっとこうしたかったんです」
切なげに揺れる灰色の瞳でレギュラスは呟く。
その瞳を見た瞬間、アランの胸は締めつけられ、言葉ではどうしたらいいかわからず、その戸惑いが痛いほどに広がった。
彼の望むのは、そんな混乱した表情では決してなかった。それでも、そこにある彼の真摯な思いが痛く伝わった。
ふと過去の記憶が、遠く朧げに甦る。
シリウスが屋敷を去ったあの日。あの遠い昔の輝いた日。
もしあの日、アランがレギュラスの温かさにそのまま縋っていなければ、
果たしてレギュラスはこれほどまでに深く彼女を想うことがあっただろうか。
どこからが過ちで、どこからやり直せるのか見えなかった。
アランは唯一、過去の日を思い出す。
シリウスの喪失に耐えきれず、唯一の慰めをレギュラスに求めてしまった自分の弱さを、痛々しくも曝け出してしまった瞬間を。
彼女の胸に、弱さと罪悪感が重くのしかかる。
寂しさを紛らわせるだけの逃げ口として、レギュラスを選んだのだ。
そのために、彼はそれを「愛」だと錯覚して見ないふりをしている。
何度も行為の合間にレギュラスは彼女の手を握りしめ、心の底から「好きだ」と告げる。
そのたびアランの心はさらに重く締めつけられ、言葉を紡げずただ静かに受け入れることしかできなかった。
果てはどこにあるのか。
この交わりの終着点は、一体どこに見出せばよいのか。
アランにはまだ、その答えが見えていなかった。
激しい情事のあと、レギュラスはアランよりも早く眠りに落ち、深い眠りの海から目を覚ました。
ぐったりとした疲労と汗、そして体液をすべて出し切ったせいか、強い喉の渇きを感じていた。
ゆっくりと服を整え、静かに部屋を離れる。
階段を一歩ずつ降りかけたその瞬間、廊下で父オリオンとばったり鉢合わせた。
衣服には乱れもなく、普段通りのレギュラスだったが、つい先ほどまでアランと激しく交わっていたことを察されているようで、気まずさが胸を締めつけた。
軽く頭を下げて通り過ぎようとしたのだが、オリオンはいきなり声をかけ、レギュラスを呼び止めた。
振り返ったレギュラスは、父の言葉を待った。
「ヴァルブルガを刺激するなよ」
オリオンの言葉は軽く、しかし帯びた重みがあった。
「心がけます」
レギュラスは静かに答えた。
父の言わんとする意味はすぐに理解できた。
そして、オリオンがここまで言うのは、おそらくつい先ほどまでの行為をなんとなく察しているからだろう。
「ほどほどにな」
忠告のその一言に込められた願いは、激しく夢中になりすぎる自分を抑えろという意味だったのかもしれない。
それは、母ヴァルブルガがアランに向ける厳しい目線を思い浮かべさせた。
母は決して、今の関係を良しとは思っていない──そんなことはレギュラスにもよくわかっていた。
だから、自分は卒業後、まずカサンドラとの結婚に全力で向かい、その間に間違いなく第一子をもうけて母を安心させるつもりでいる。
母が望む、誇り高い家の未来を築いてみせるのだ。
今は父が許可を出し、黙認していると解釈し、そのすべてに甘えたい気持ちもある。
けれど、母をあまりにも蔑ろにしてよいはずもなく、父の忠告は真摯に受け止めるべきだとも感じていた。
冷たい壁の間で紡がれた父とのやり取りの余韻が、彼の胸に静かに広がった。
大広間の食事の席には、家族全員分の料理が丁寧に並べられていた。
香ばしく焼かれたローストチキン、ハーブとバターで蒸し焼きにされた野菜の盛り合わせ、芳醇なスープ、そしてほのかな甘みを漂わせるパンが籠に満たされている。
さらに新鮮な果物とクリームのデザートも準備され、食卓は華やかに彩られていた。
アランは、一切の手抜きなくてきぱきとその料理を用意し、一つひとつ家族の前に置いていった。
その凛とした仕事ぶりに、レギュラスは無意識のうちに視線を向けていた。
つい先ほどまで、とても激しく濃密な交わりを繰り返した痕跡など、彼女にはまったく感じられなかった。
細い首筋に深く顔を埋めた記憶、震える指先を握り締めた感触、料理の説明で紡がれる唇に何度も触れた余韻。
思い返すたびに身体が熱くなるような心地が、レギュラスの内面で広がっていた。
彼の目の前にはヴァルブルガが静かに座っていた。
だが、彼がアランを見つめていることは母に気づかれてしまい、思いがけずヴァルブルガと視線が合った。
その瞬間、言いようのない気まずさがレギュラスを襲った。
ほんの少し前にオリオンから「ほどほどに」と忠告を受けたばかりだというのに。
ヴァルブルガが口を開いた。
「進路はもう提出したのかしら?」
「はい、危険物管理局調査官を志望として出しました」
レギュラスは真摯な調子で応えた。
「また何とも複雑な独立部署じゃないか」
オリオンが呟く。
「はい、神秘部への立ち入りも許可されている役職ですので、魔法界の実権掌握には最も適していると思いまして」
レギュラスは自信と決意を込めて説明した。
ヴァルブルガの顔には満足そうな表情が浮かび、レギュラスはほっと安堵の息を吐いた。
先ほどの失態も、それとなく伏せてくれたように感じられた。
「資格は揃っているのか?」
オリオンは厳しく問い詰める。
「ええ、残すは魔法史の修了証だけですべて揃います」
レギュラスはたしかに告げた。
「さすがはこのブラック家の子だわ」
ヴァルブルガが誇らしげに頷いた。
母の好意的な言葉に背中を押され、レギュラスの胸には安心感が積もっていった。
アランをこれからも手元に置き続けるためには、母の望みを叶えられるよう、従順に理想の息子を演じ続けなければならない。
こうして、華やかな食卓の影で、互いの思惑が静かに交錯していた。
レギュラスは、父オリオンの承認を盾に、アラン・セシールに対する情を隠すことなく露わにしていた。
その赤裸々な様子は、本人にとってはまだ抑制しているつもりかもしれないが、母ヴァルブルガの目からは明白で、あまりにもはっきりと見えてしまっていた。
アランという少女はもともと、オリオンがずっと目をかけていたロイク・セシールの娘として、ブラック家に仕えることを許された存在だった。
しかしヴァルブルガは最初から、屋敷にアランを入れることに断固反対していた。
女としての感において、彼女はアランの存在が危険でしかないと強く感じていたのだ。
その危険の根源は、アランの母リシェル・セシールにあった。
リシェルの華やかな美しさはアランに強く受け継がれていたが、かつてリシェルは王宮に仕え、国王の寵愛を一身に受けていた。
王妃を差し置き、彼女に惚れ込んだ国王は執務を放棄し、一時期政治は混乱し、王宮は荒廃を招いた。
その責めを一身に負い、リシェルは処刑の運命にあったが、ロイク・セシールがオリオンに懇願したことで命を救われたのだった。
そんな女の娘であるアランは、ヴァルブルガの目には、必ずやブラック家の秩序を乱す存在に映っていた。
だからこそ、レギュラスがアランに好意を持ち始めたと察知した瞬間から、ヴァルブルガの不安は日に日に増していった。
ロズィエ家との婚約を急がせたのも、その理由によるものだった。
それなのに、オリオンはレギュラスに対して、デスイーターとして闇の帝王ヴォルデモートの信頼を得ることができるなら自由にせよと、選択の自由を等価交換で与えてしまった。
レギュラスはそれを承認と完全に受け取り、母の思惑のことなど顧みようとはしなかった。
ヴァルブルガは、その複雑な状況に頭を抱える。
一方で、レギュラスが進路をしっかりと見据え、魔法界全体を掌握できる部署への就職を目指している確かさだけが、彼女の唯一の救いとなっていた。
そして、卒業後はすぐにロズィエ家のカサンドラを屋敷に迎え入れるつもりだと知ってはいる。
レギュラスには、アランとの間に子を持つよりも先に、カサンドラとの間に男児を設ける責務があるのだ。
それが、このブラック家の厳格な秩序を保つためにどうしても必要なことだった。
だが、その未来が確約されるまでは、不安の影はヴァルブルガの心から消えることはなかった。
重く、静かに、しかししつこく彼女に付き纏っていた。
レギュラスは夕食を終えると、父オリオンと共に屋敷を後にした。
行き先は聞かずとも分かる。闇の陣営の集会なのだろう。
休暇のたびに家に戻ると、決まってこうして夜遅くに出かけていくレギュラスの後ろ姿が、アランの胸に影を落とす。
そうして翌日には、魔法新聞社がこぞって記事を出す。
不可解なマグルの死、混血魔法使いの死傷事件、マグル生まれの魔法使いが巻き込まれた事故。
そのすべてに、レギュラスが関わっているのではと考えるだけで、アランの胸は苦しく締め付けられる。
かつてレギュラスの後を追い、闇の集会の一端を垣間見てしまった日もあった。
その場には、凍り付くような恐ろしさが満ちていた。
自分たちの理想に背く者を、平然と命を奪うことで切り捨てる集団――。
その一員としてそこにいるレギュラスを見ると、信じようとする気持ちさえ削られていくようだった。
自室で資格参考書を広げて勉強するアランの窓を、静かに叩く音が響いた。
「あぁ……この叩き方は」
窓の向こうにいるのが誰だかすぐに分かった。
心が瞬時に高鳴った。
「アラン!会いにきた」
シリウスの朗らかな声が部屋に飛び込んでくる。
「ええ、すぐ分かったわ」
笑顔を返しながら、アランはシリウスを部屋に招き入れた。
シリウスは気負うことなくソファに座り、光を宿した瞳でアランを見つめる。
その瞳が自分を見守っていてくれるだけで、今まで押しつぶされそうだった思いがふわりと軽くなる。
彼の指には、マグルの世界で「お揃いだね」と言って手に入れた指輪が輝いていた。
胸がぎゅっと締まった。
今、アランの指にはその指輪はなかった。
レギュラスに渡して以降、未だ返してもらえていないのだ。
代わりにレギュラスから贈られた指輪はあるが、オリオンやヴァルブルガの前ではつけることもできなかった。
今この瞬間、身につけていなくてよかったとほっと安堵する。
シリウスは離れている間も、あの指輪を外さず付けていてくれるのだろう。
「離れていても繋がっている」という思いがこもっている気がした。
嬉しいのに、嬉しさが痛みに変わってしまうほど――今、自分の手にその指輪がないことが心に触った。
「家事呪文技能士の資格か、アランらしいな」
テーブルに広げていた資格参考書を見て、シリウスは微笑む。
「ええ、進路を出す時期になったもの」
「約束通り、卒業したら一緒に暮らそうな」
シリウスが語る未来の言葉に、胸が高鳴る。
今にも泣きそうになるほど、心の奥底が嬉しさで震えていた。
けれどその一方で、自分の中にまだ揺れる何かがある。
シリウスの手を取って生きていくには、犠牲にしなくてはならないものがあまりにも多い。
進路も、家族の期待も、ブラック家の庇護もすべて捨てなければならない。
そう思うと、どうしても心が決心まで辿り着けないのだ。
それでも、シリウスの温もりを前に、しばし全ての不安から解放されるような、静かな幸福が部屋いっぱいに満ちていった。
シリウスは、アランの胸の内にまだ揺れている思いがあることに薄々気づいていた。
両親――真面目で誇り高いセシール家の二人。
ブラック家の長年の庇護を受けて要職に就き、魔法界の秩序の一角を担ってきた大きな一族。
そしてレギュラスのこと。
そのすべてを手放してまで、自分と二人きりの未来に進む決断が、簡単になされるはずがない。シリウスはそのことをきちんと理解していた。
それでも、――いや、だからこそ。
自分が守ってやりたい、と彼は強く思った。
せめてアランの両親のことくらいは、絶対に守りきりたかった。
不死鳥の騎士団員として真っ当な実績を積み、公的な役職を手にしていくことで、アランの両親くらいは自分の手で守れるはずだ。
そんな明るい未来を、シリウスは確かなものとして信じようとしていた。
「アラン」
そっと彼女の手を取り、自然にそのまま自分の腕の中に引き寄せる。
身体がふわりと納まる、温かな抱擁。
心に絡みつく不安や迷いが、その温もりで少しずつ溶けてゆくようだった。
耳元で、懐かしく、力強い言葉が響く。
「アラン、不安になんてならなくていい。俺が全部、全部守ってやる」
アランは、シリウスの腕の中で小さく何度も頷いた。
その優しさと決意に包まれ、とても愛おしいと心が叫んだ。
これから先、きっと数多くのものを手放さなければならない――家も、名も、慣れ親しんだ場所も。
けれど、それらに代わるものを、二人で築き上げていけたらいい。
手放す痛みを、その都度寄り添い、支え合って凌駕していけるものに変えていきたい――シリウスはそう願わずにいられなかった。
夜の静謐さのなか、二人の未来への誓いが、柔らかく熱い抱擁に溶け込んでいった。
優しく抱きしめ合った体を離し、シリウスはアランを少しだけ覗き込んだ。
翡翠の美しい瞳が、柔らかく彼を見上げてくる。
その光を曇らせることのない人生を、この手で守ってやりたい。シリウスの胸にそんな思いが熱く灯った。
「アラン、本当に——大好きだ」
心の底から絞り出すように、切実に伝えた。
アランはふんわりと微笑んだ。シリウスがいちばん好きだと思う笑顔。
幼い頃からずっと変わらず、その瞬間瞬間に恋を覚えた想いが、今も変わらず胸に込み上げてきた。
アラン・セシールという少女は、シリウスの人生において永遠の初恋だった。
かつては手を伸ばすことさえ叶わなかった相手。けれど今は、こうして互いを抱きしめ合うことさえできる。
それ以上の関係になりたいと願い、その願いが現実になったいま、その全てが本当に尊いものに感じられた。
「私も、あなたが大好きです、シリウス」
アランはまっすぐな眼差しで応える。真剣な愛の言葉にシリウスの胸は溢れそうになった。
たまらなくなって、たびたびアランをぎゅっとまた抱きしめた。
どれほどそうしていたのかわからない。
しばらくして、シリウスはそっと顔をアランの首元にずらす。アランらしい柔らかでほんのり甘い香りが、ふわりと鼻腔を満たす。
気持ちが落ち着くのに、今夜だけはその香りが妙に生々しく、いつまでも残った。
自分でも驚くほど、久しぶりに生理的な熱が下半身に集まっていくのを感じた。
突如として恥ずかしくなり、不自然に抱きしめる腕を緩めて、シリウスは少し距離をとった。
反応してしまった自分を隠すように、何か別の話題を見つけようとする。
ソファに座り込むと、アランも同じように隣に腰掛け、そっと寄り添ってくる。
二人の間に熱がこもる。触れ合っている部分のぬくもりが、どうにも収まらなかった。
前回そういった関係になってから、少し期間が空いてしまったから、こんなときどんな風に誘えばいいのか、シリウスは分からなくなってしまっていた。
ジェームズが勢い余って多くの助言をしてくれたものの、それをろくに聞いていなかった自分を、今さらながら残念に思う。
「アラン、その……なんだ……もし……大丈夫なら……」
不自然なほど歯切れ悪く切り出す。
「なぁに? シリウス」
アランが不思議そうに振り向いた。
自分でも情けなくなるほど、言葉がうまくつながらない。そのたどたどしさに顔が熱くなる。
まっすぐ勇気を出して伝えられたならどれだけいいだろう、そんな想いに胸を焦がしながら、シリウスはどうにも踏み込みきれない自分の熱の行方を持て余していた。
