1章
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
朝の光がまだ淡く、マグルの街は静かに目覚め始めていた。
その片隅、ひっそりとした通りの影に、レギュラスは立ち尽くしていた。
クリーチャーが導いた先――まさか、アランとシリウスがこんな場所にいるとは思いもしなかった。
魔法界の管轄外、誰の目も届かないこの街でなければ、ふたりを見つけ出すことは決してできなかっただろう。
クリーチャーの忠誠と執念だけが、唯一の手がかりだった。
遠くで、アランが怯えたようにシリウスの袖をぎゅっと握っている。
その小さな手の震えが、レギュラスの胸に鋭く突き刺さる。
彼女は、今にも消えてしまいそうなほど儚く、頼るようにシリウスの隣に寄り添っていた。
――本当に、手の届かないところに連れていかれてしまうのではないか。
そんな恐れが、レギュラスの心を締め付けて離さない。
魔法界ではどんなに守ろうと努めても、ここでは何もできない。
アランの世界が、自分の知らない場所で、誰かとだけ分かち合われている。
その現実が、どうしようもなく切なく、苦しかった。
アランの瞳には、確かな怯えが浮かんでいる。
それでも彼女は、シリウスの袖を離そうとしない。
その姿は、レギュラスにとって痛ましくもあり、どうしようもなく愛おしかった。
遠ざかる背中に手を伸ばしたい。
けれど、その距離は、今や魔法でも埋められないほど遠く感じられた。
朝の光が、三人の影を静かに伸ばしていく。
その長い影の中で、レギュラスの胸には、言葉にならない切なさと孤独が、静かに降り積もっていった。
ブラック邸に戻る道中、空気は張りつめていた。
誰も口を開かず、ただ靴音だけが石畳に淡く響く。
マグルの街での出来事が、まるで遠い夢のように感じられるほど、屋敷の空気は重く、冷たかった。
玄関の扉が開くと、屋敷の中には静寂が広がっていた。
重厚なカーテン、磨き上げられた床、壁にかけられた先祖の肖像画――
どれもが、アランにとっては見慣れたはずの風景だったはずなのに、今はどこか別の世界のように感じられた。
レギュラスは、何も言わずにアランの荷を受け取り、当然のように彼女を自室へと案内した。
その仕草に、怒りや苛立ちは見えなかった。
けれど、どこか無言の距離が漂っていた。
アランはその背中を見つめながら、胸の奥で小さく息を飲んだ。
一方、シリウスはというと、屋敷に入るなり舌打ちをし、乱暴にローブを脱ぎ捨てると、自分の部屋へと籠ってしまった。
その背中には、言葉にしきれない苛立ちと、居場所のなさが滲んでいた。
アランは、レギュラスに促されるまま、母ヴァルブルガのもとへと向かった。
重い扉を開けると、ヴァルブルガはすでに彼女の到着を察していたかのように、椅子に優雅に腰掛けていた。
「アラン・セシール。よくお戻りなさい。」
その声は、厳しさと誇りを帯びながらも、どこか柔らかかった。
ヴァルブルガは、アランを幼い頃から目をかけていた。
「ブラック家の王妃にふさわしい少女」と、何度も口にしていた。
その美しさ、品位、そして血筋――
すべてが、彼女の理想にぴたりと重なっていたのだ。
アランは、深く頭を下げた。
その所作は完璧で、ヴァルブルガの目にも満足げな光が宿る。
「あなたのような子が、我が家に来てくれるのは誇りですわ。
レギュラスも、きっとあなたを大切にしてくれるでしょう。」
その言葉に、アランは微笑みながらも、胸の奥に小さな痛みを感じていた。
屋敷の中で、誰もが自分に期待を寄せている。
けれど、その期待の重さが、今は少しだけ、息苦しく思えた。
それでも、アランは丁寧に微笑んだ。
ヴァルブルガの前では、少女ではなく、セシール家の娘として、
そしてブラック家の未来の花嫁として、完璧でなければならない。
部屋の奥、肖像画の祖先たちが静かに見下ろす中、
アランは、静かに頭を下げたまま、胸の奥で自分の鼓動の速さを感じていた。
それは、誰にも見せられない、彼女だけの小さな揺らぎだった。
ヴァルブルガとの挨拶を終え、アランが自室へ戻ると、レギュラスが静かに扉をノックして現れた。
彼の表情は穏やかだったが、その瞳の奥には、どこか言い知れぬ不安が揺れていた。
「……母の前で、緊張していませんでしたか?」
レギュラスは、アランの様子を気遣うように、やわらかく問いかけた。
その声には、彼なりの優しさが込められている。
ヴァルブルガの前で完璧に振る舞っていたアランの姿が、どこか無理をしているように見えて、レギュラスの胸には小さな棘のようなものが残っていた。
アランは、椅子に腰かけたまま、そっと微笑んだ。
その笑みは、どこか大人びていて、けれど少しだけ疲れているようにも見えた。
「大丈夫よ。……レギュラスのお母様は、私のことを好いてくださっているのが伝わってきたわ。」
レギュラスは小さくうなずきながら、言葉を継ぐ。
「ええ。……母は、あなたのことが本当に好きなんです。
小さな頃から、ずっと『ブラック家の王妃にふさわしい』って言っていました。」
アランはその言葉に、少しだけ目を伏せた。
そして、静かに、けれどはっきりと答えた。
「……ええ。だからこそ、期待に添えるようにしたいと思ってる。」
その言葉は、レギュラスの胸に深く沁みた。
アランは、誰よりも周囲の期待を理解していて、
その重さを背負う覚悟を持っている――そのことが、痛いほど伝わってきた。
だからこそ、レギュラスは喉元まで込み上げてきた言葉を、ぐっと飲み込んだ。
「それなら……もう、兄上を見ないでほしい。」
そう言いたかった。
けれど、それを口にすれば、アランにまたひとつ、重荷を背負わせてしまう気がした。
彼女が自分の意思で選んでくれる日を、信じて待ちたい。
そう思う自分と、今すぐにでも彼女の心を縛りたくなる自分が、胸の中でせめぎ合っていた。
レギュラスは、ただ静かにアランを見つめた。
彼女の翡翠の瞳が、どこを見ているのかを知りたくて。
けれど、その瞳は、今はただ穏やかに、何も語らず揺れていた。
部屋の窓から差し込む夕暮れの光が、ふたりの影を長く伸ばしていた。
その影の中に、言葉にならない想いが、そっと沈んでいくようだった。
ホグワーツに戻ってからの日々は、再び賑やかなリズムを取り戻していった。
スリザリンのクィディッチ練習も本格的に始まり、空を滑るように駆ける時間が増えるたび、レギュラスの周囲にはますます多くの注目が集まっていった。
グラウンドには、練習を終えたレギュラスに駆け寄る女生徒たちの輪が自然とでき、それは日増しに大きくなっていった。
ひとたび箒を降りれば、笑顔と称賛の言葉が飛び交い、制服の隅にそっと忍ばせられたラブレターが毎日いくつも手元に届く。
最初は礼儀として微笑みを返していたが、やがてその一つひとつが重く感じられるようになっていく。
気づけば、それに応え続けることに、レギュラスは静かに疲弊していた。
けれど、何よりも彼の心を削っていたのは、アランとの距離だった。
目で追えば、遠くに必ず彼女はいる。
けれど、その姿はどこか儚く、雲の向こうに霞む月のように、手を伸ばそうとするたび遠ざかっていく。
アランは、決して騒がしい輪の中に自ら入っていくような性格ではない。
誰かが入り込む隙もないほどに取り囲まれたレギュラスのもとへ、彼女が無理に近寄ってくることはないとわかっていた。
だからこそ、悲しかった。
アランは何もしていない――
ただ静かに日常を過ごしているだけなのに、
自分の周囲に集まる喧騒が、彼女を遠ざけていることに、レギュラスは深く胸を痛めていた。
見つめるだけで声をかけられない日もある。
廊下で行き交うとき、頷くだけの挨拶が互いのすべてになることさえあった。
あの夏の日、たしかに近くにいたはずのアランが、
今はどこか、決して届かない場所にいるような気がしてならなかった。
練習が終わった夕暮れのグラウンド。
一人、箒を片付けながら空を仰ぐ。
風の匂いに、ふとアランの香りを重ねて、目を閉じた。
――どうか、この距離に風が吹くことを願って。
彼女が、もう一度、自分の隣に戻ってきてくれるようにと。
レギュラスは、胸の奥で静かにその願いを結び続けていた。
夜のスリザリン談話室は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
暖炉の火だけが、ゆらゆらと壁に光と影を揺らし、重厚なソファや机の輪郭を浮かび上がらせている。
ここに集う生徒たちも、すでに自室へと散り、静けさの中に小さな息遣いだけが残されていた。
そんな夜更け、レギュラスは廊下から談話室へと戻ってくるアランの姿を見つけ、そっと声をかけた。
「アラン――少し、話しませんか?」
立ち止まったアランは、驚いたように目を見開き、すぐに穏やかな微笑みを返した。
「ええ、いいわ。」
ふたりきりで過ごす時間は、本当に久しぶりだった。
談話室の奥、暖炉のそばにある窓辺の長椅子に並んで腰かける。
窓の向こうには湖の水面がわずかに揺れ、そこに映る月の光が神秘的にきらめいていた。
レギュラスはアランを振り向く。
すぐそばで見る彼女は、やはりあまりにも美しく、その気品に満ちた佇まいには、何度見ても息をのんでしまう。
淡く光る翡翠色の瞳、纏う空気の柔らかさ、そしてほんの少し疲れたような笑顔さえ、儚くて、部屋の灯よりもあたたかに感じられた。
――やっぱり、アランは美しい。
心の奥でそうつぶやきながら、レギュラスは静かに言葉を探した。
話したかったのはほんの些細なこと。けれど、それでもこの時間が欲しかった。
ただ、彼女の隣にいて、彼女の声を聞いていたかった。
「学校が始まってから……なかなか、ふたりで話す機会がなかったから」
レギュラスの声は穏やかで、けれどどこか切実でもあった。
アランはそっと目を伏せながら、「わたしも、そう思ってた」と、小さく返す。
その声もまた、灯る火の音に溶けるようにやわらかく、静かだった。
言葉がなくても、伝わるものがある夜だった。
互いの間に流れる沈黙は、居心地がよくて、どこか懐かしく、胸に沁みた。
夜の談話室に、火の揺らぎと心の揺らぎが静かに重なっている。
そしてその片隅で、ふたりはそっと寄り添うようにして時間を共有していた。
なにも変わっていないようで、それでも少しずつ変わっていく何かを、ふたりは静かに感じていた。
その朝、レギュラスはほんの少しだけ早起きしていた。
まだ朝靄の残るホグワーツの大広間、その静けさが彼には心地よく思えた。
アランとゆっくり朝食をとるために、周囲の喧騒が始まる前の時間を選んだのだ。
スリザリンのテーブルには、まだ数人しか座っていなかった。
ごく自然な流れで、アランと隣同士に腰を下ろす。
それだけで、心の奥が静かにあたたかくなっていく。
料理が並ぶ銀のトレイの前で、レギュラスはひと皿、またひと皿とアランのために取り分けていった。
スクランブルエッグに、香ばしいトースト。新鮮なベリー、ほんの少しの焼きトマト。
あれもこれもと思うままによそっていたら、気づけば皿の上には目一杯の朝食が積み重なっていた。
アランはその皿を見て、くすりと笑う。
「ありがとう、レギュラス。でも……多すぎない?」
その声は優しく、どこか困ったようにも聞こえた。
レギュラスは少し照れたように微笑んで、肩をすくめる。
「気づいたら、これだけになっていました。……食べきれない分は、僕が引き受けます。」
互いに顔を見合わせ、小さな笑いがこぼれる。
たいしたことではない。
けれどこうした何気ないやりとりが、レギュラスにはたまらなく愛おしいと思えた。
――まるで、夫婦生活を先取りしているかのよう。
そんな幸福な錯覚が、レギュラスの胸にそっと灯る。
料理をよそい、差し出し、笑い合いながら朝を迎えるだけの時間。
けれど、それは何にも代えがたい、特別なひとときだった。
そして不思議なことに、その朝に限って――
いつもならそろそろ現れるはずの女生徒たちの輪が、なぜかレギュラスの周囲に現れることはなかった。
寄るべきタイミングを自然と逸したかのように、
アランとの間に流れる空気に、他の誰もが入り込む余地を失っていた。
そんな朝だった。
言葉少なで、静かで、そして何より幸せな朝だった。
レギュラスは、この時間がずっと続けばいいと、心の奥でそっと願った。
その片隅、ひっそりとした通りの影に、レギュラスは立ち尽くしていた。
クリーチャーが導いた先――まさか、アランとシリウスがこんな場所にいるとは思いもしなかった。
魔法界の管轄外、誰の目も届かないこの街でなければ、ふたりを見つけ出すことは決してできなかっただろう。
クリーチャーの忠誠と執念だけが、唯一の手がかりだった。
遠くで、アランが怯えたようにシリウスの袖をぎゅっと握っている。
その小さな手の震えが、レギュラスの胸に鋭く突き刺さる。
彼女は、今にも消えてしまいそうなほど儚く、頼るようにシリウスの隣に寄り添っていた。
――本当に、手の届かないところに連れていかれてしまうのではないか。
そんな恐れが、レギュラスの心を締め付けて離さない。
魔法界ではどんなに守ろうと努めても、ここでは何もできない。
アランの世界が、自分の知らない場所で、誰かとだけ分かち合われている。
その現実が、どうしようもなく切なく、苦しかった。
アランの瞳には、確かな怯えが浮かんでいる。
それでも彼女は、シリウスの袖を離そうとしない。
その姿は、レギュラスにとって痛ましくもあり、どうしようもなく愛おしかった。
遠ざかる背中に手を伸ばしたい。
けれど、その距離は、今や魔法でも埋められないほど遠く感じられた。
朝の光が、三人の影を静かに伸ばしていく。
その長い影の中で、レギュラスの胸には、言葉にならない切なさと孤独が、静かに降り積もっていった。
ブラック邸に戻る道中、空気は張りつめていた。
誰も口を開かず、ただ靴音だけが石畳に淡く響く。
マグルの街での出来事が、まるで遠い夢のように感じられるほど、屋敷の空気は重く、冷たかった。
玄関の扉が開くと、屋敷の中には静寂が広がっていた。
重厚なカーテン、磨き上げられた床、壁にかけられた先祖の肖像画――
どれもが、アランにとっては見慣れたはずの風景だったはずなのに、今はどこか別の世界のように感じられた。
レギュラスは、何も言わずにアランの荷を受け取り、当然のように彼女を自室へと案内した。
その仕草に、怒りや苛立ちは見えなかった。
けれど、どこか無言の距離が漂っていた。
アランはその背中を見つめながら、胸の奥で小さく息を飲んだ。
一方、シリウスはというと、屋敷に入るなり舌打ちをし、乱暴にローブを脱ぎ捨てると、自分の部屋へと籠ってしまった。
その背中には、言葉にしきれない苛立ちと、居場所のなさが滲んでいた。
アランは、レギュラスに促されるまま、母ヴァルブルガのもとへと向かった。
重い扉を開けると、ヴァルブルガはすでに彼女の到着を察していたかのように、椅子に優雅に腰掛けていた。
「アラン・セシール。よくお戻りなさい。」
その声は、厳しさと誇りを帯びながらも、どこか柔らかかった。
ヴァルブルガは、アランを幼い頃から目をかけていた。
「ブラック家の王妃にふさわしい少女」と、何度も口にしていた。
その美しさ、品位、そして血筋――
すべてが、彼女の理想にぴたりと重なっていたのだ。
アランは、深く頭を下げた。
その所作は完璧で、ヴァルブルガの目にも満足げな光が宿る。
「あなたのような子が、我が家に来てくれるのは誇りですわ。
レギュラスも、きっとあなたを大切にしてくれるでしょう。」
その言葉に、アランは微笑みながらも、胸の奥に小さな痛みを感じていた。
屋敷の中で、誰もが自分に期待を寄せている。
けれど、その期待の重さが、今は少しだけ、息苦しく思えた。
それでも、アランは丁寧に微笑んだ。
ヴァルブルガの前では、少女ではなく、セシール家の娘として、
そしてブラック家の未来の花嫁として、完璧でなければならない。
部屋の奥、肖像画の祖先たちが静かに見下ろす中、
アランは、静かに頭を下げたまま、胸の奥で自分の鼓動の速さを感じていた。
それは、誰にも見せられない、彼女だけの小さな揺らぎだった。
ヴァルブルガとの挨拶を終え、アランが自室へ戻ると、レギュラスが静かに扉をノックして現れた。
彼の表情は穏やかだったが、その瞳の奥には、どこか言い知れぬ不安が揺れていた。
「……母の前で、緊張していませんでしたか?」
レギュラスは、アランの様子を気遣うように、やわらかく問いかけた。
その声には、彼なりの優しさが込められている。
ヴァルブルガの前で完璧に振る舞っていたアランの姿が、どこか無理をしているように見えて、レギュラスの胸には小さな棘のようなものが残っていた。
アランは、椅子に腰かけたまま、そっと微笑んだ。
その笑みは、どこか大人びていて、けれど少しだけ疲れているようにも見えた。
「大丈夫よ。……レギュラスのお母様は、私のことを好いてくださっているのが伝わってきたわ。」
レギュラスは小さくうなずきながら、言葉を継ぐ。
「ええ。……母は、あなたのことが本当に好きなんです。
小さな頃から、ずっと『ブラック家の王妃にふさわしい』って言っていました。」
アランはその言葉に、少しだけ目を伏せた。
そして、静かに、けれどはっきりと答えた。
「……ええ。だからこそ、期待に添えるようにしたいと思ってる。」
その言葉は、レギュラスの胸に深く沁みた。
アランは、誰よりも周囲の期待を理解していて、
その重さを背負う覚悟を持っている――そのことが、痛いほど伝わってきた。
だからこそ、レギュラスは喉元まで込み上げてきた言葉を、ぐっと飲み込んだ。
「それなら……もう、兄上を見ないでほしい。」
そう言いたかった。
けれど、それを口にすれば、アランにまたひとつ、重荷を背負わせてしまう気がした。
彼女が自分の意思で選んでくれる日を、信じて待ちたい。
そう思う自分と、今すぐにでも彼女の心を縛りたくなる自分が、胸の中でせめぎ合っていた。
レギュラスは、ただ静かにアランを見つめた。
彼女の翡翠の瞳が、どこを見ているのかを知りたくて。
けれど、その瞳は、今はただ穏やかに、何も語らず揺れていた。
部屋の窓から差し込む夕暮れの光が、ふたりの影を長く伸ばしていた。
その影の中に、言葉にならない想いが、そっと沈んでいくようだった。
ホグワーツに戻ってからの日々は、再び賑やかなリズムを取り戻していった。
スリザリンのクィディッチ練習も本格的に始まり、空を滑るように駆ける時間が増えるたび、レギュラスの周囲にはますます多くの注目が集まっていった。
グラウンドには、練習を終えたレギュラスに駆け寄る女生徒たちの輪が自然とでき、それは日増しに大きくなっていった。
ひとたび箒を降りれば、笑顔と称賛の言葉が飛び交い、制服の隅にそっと忍ばせられたラブレターが毎日いくつも手元に届く。
最初は礼儀として微笑みを返していたが、やがてその一つひとつが重く感じられるようになっていく。
気づけば、それに応え続けることに、レギュラスは静かに疲弊していた。
けれど、何よりも彼の心を削っていたのは、アランとの距離だった。
目で追えば、遠くに必ず彼女はいる。
けれど、その姿はどこか儚く、雲の向こうに霞む月のように、手を伸ばそうとするたび遠ざかっていく。
アランは、決して騒がしい輪の中に自ら入っていくような性格ではない。
誰かが入り込む隙もないほどに取り囲まれたレギュラスのもとへ、彼女が無理に近寄ってくることはないとわかっていた。
だからこそ、悲しかった。
アランは何もしていない――
ただ静かに日常を過ごしているだけなのに、
自分の周囲に集まる喧騒が、彼女を遠ざけていることに、レギュラスは深く胸を痛めていた。
見つめるだけで声をかけられない日もある。
廊下で行き交うとき、頷くだけの挨拶が互いのすべてになることさえあった。
あの夏の日、たしかに近くにいたはずのアランが、
今はどこか、決して届かない場所にいるような気がしてならなかった。
練習が終わった夕暮れのグラウンド。
一人、箒を片付けながら空を仰ぐ。
風の匂いに、ふとアランの香りを重ねて、目を閉じた。
――どうか、この距離に風が吹くことを願って。
彼女が、もう一度、自分の隣に戻ってきてくれるようにと。
レギュラスは、胸の奥で静かにその願いを結び続けていた。
夜のスリザリン談話室は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
暖炉の火だけが、ゆらゆらと壁に光と影を揺らし、重厚なソファや机の輪郭を浮かび上がらせている。
ここに集う生徒たちも、すでに自室へと散り、静けさの中に小さな息遣いだけが残されていた。
そんな夜更け、レギュラスは廊下から談話室へと戻ってくるアランの姿を見つけ、そっと声をかけた。
「アラン――少し、話しませんか?」
立ち止まったアランは、驚いたように目を見開き、すぐに穏やかな微笑みを返した。
「ええ、いいわ。」
ふたりきりで過ごす時間は、本当に久しぶりだった。
談話室の奥、暖炉のそばにある窓辺の長椅子に並んで腰かける。
窓の向こうには湖の水面がわずかに揺れ、そこに映る月の光が神秘的にきらめいていた。
レギュラスはアランを振り向く。
すぐそばで見る彼女は、やはりあまりにも美しく、その気品に満ちた佇まいには、何度見ても息をのんでしまう。
淡く光る翡翠色の瞳、纏う空気の柔らかさ、そしてほんの少し疲れたような笑顔さえ、儚くて、部屋の灯よりもあたたかに感じられた。
――やっぱり、アランは美しい。
心の奥でそうつぶやきながら、レギュラスは静かに言葉を探した。
話したかったのはほんの些細なこと。けれど、それでもこの時間が欲しかった。
ただ、彼女の隣にいて、彼女の声を聞いていたかった。
「学校が始まってから……なかなか、ふたりで話す機会がなかったから」
レギュラスの声は穏やかで、けれどどこか切実でもあった。
アランはそっと目を伏せながら、「わたしも、そう思ってた」と、小さく返す。
その声もまた、灯る火の音に溶けるようにやわらかく、静かだった。
言葉がなくても、伝わるものがある夜だった。
互いの間に流れる沈黙は、居心地がよくて、どこか懐かしく、胸に沁みた。
夜の談話室に、火の揺らぎと心の揺らぎが静かに重なっている。
そしてその片隅で、ふたりはそっと寄り添うようにして時間を共有していた。
なにも変わっていないようで、それでも少しずつ変わっていく何かを、ふたりは静かに感じていた。
その朝、レギュラスはほんの少しだけ早起きしていた。
まだ朝靄の残るホグワーツの大広間、その静けさが彼には心地よく思えた。
アランとゆっくり朝食をとるために、周囲の喧騒が始まる前の時間を選んだのだ。
スリザリンのテーブルには、まだ数人しか座っていなかった。
ごく自然な流れで、アランと隣同士に腰を下ろす。
それだけで、心の奥が静かにあたたかくなっていく。
料理が並ぶ銀のトレイの前で、レギュラスはひと皿、またひと皿とアランのために取り分けていった。
スクランブルエッグに、香ばしいトースト。新鮮なベリー、ほんの少しの焼きトマト。
あれもこれもと思うままによそっていたら、気づけば皿の上には目一杯の朝食が積み重なっていた。
アランはその皿を見て、くすりと笑う。
「ありがとう、レギュラス。でも……多すぎない?」
その声は優しく、どこか困ったようにも聞こえた。
レギュラスは少し照れたように微笑んで、肩をすくめる。
「気づいたら、これだけになっていました。……食べきれない分は、僕が引き受けます。」
互いに顔を見合わせ、小さな笑いがこぼれる。
たいしたことではない。
けれどこうした何気ないやりとりが、レギュラスにはたまらなく愛おしいと思えた。
――まるで、夫婦生活を先取りしているかのよう。
そんな幸福な錯覚が、レギュラスの胸にそっと灯る。
料理をよそい、差し出し、笑い合いながら朝を迎えるだけの時間。
けれど、それは何にも代えがたい、特別なひとときだった。
そして不思議なことに、その朝に限って――
いつもならそろそろ現れるはずの女生徒たちの輪が、なぜかレギュラスの周囲に現れることはなかった。
寄るべきタイミングを自然と逸したかのように、
アランとの間に流れる空気に、他の誰もが入り込む余地を失っていた。
そんな朝だった。
言葉少なで、静かで、そして何より幸せな朝だった。
レギュラスは、この時間がずっと続けばいいと、心の奥でそっと願った。
