2章
name設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
卒業式から数日――
アランは厳かにそびえ立つブラック家の屋敷前に立っていた。
重厚な鉄細工の門が静かに開き、
今日からここが新たな「帰るべき家」なのだと、無言の圧力で彼女を迎え入れる。
石造りの壁、歴史の匂い、深い静寂。
屋敷の空気は荘厳で、微かに新しい家族としての荷重を感じさせた。
胸の奥がすくむような、どこかよそよそしい緊張と不安。
「アラン、待ってました。」
レギュラスが正面玄関まで駆け寄り、笑みを浮かべて声をかけてくる。
彼の言葉は、はっきりとした優しさと、迎え入れる者としての誇りが滲んでいた。
「荷物は全部、お部屋に運んでありますから。」
事務的な整然さの奥に、かすかな緊張と期待――
けれどアランの心に湧き上がるのは、
新しい人生の始まりに対する不安と――
誰にも見せられない、奥深くにしまい込んだシリウスへの消えぬ想いだけだった。
この荘厳な屋敷の影に、ひっそりと息を潜める一抹の孤独と恐れ。
だが、背筋を伸ばし、淡い微笑みを浮かべて門をくぐった。
重たい扉の向こう側で待っているのは、
責務と名誉、そして自らを支える思い出の温もり。
心の奥に小さく火を灯しながら、
アランは静かに大理石の廊下を進んでいった。
ブラック家の屋敷は、結婚式の支度でどこもかしこも賑やかだった。
使用人や屋敷僕が忙しなく行き交い、絨毯の上を軽やかに滑る足音や微かなざわめきが、静かな重厚さの中に新しい祝祭の色を滲ませていた。
そんな景色の片隅で、アランは静かに佇んでいた。
取り巻く準備や喧騒に心が追いつかないまま、ただ黙ってその様子を眺めていた。
そんなとき、レギュラスがふいに柔らかな声で問いかけてくる。
「あなたがどんなドレスを選んだのか、気になります。」
ハッとして、アランは小さく微笑んだ。
ドレスといえば、そういえば――
それは自分で選んだものではなく、母が心を込めて選んでくれたものだった。
嬉しそうに布地を撫で、その色や細工に何度も頷きながら、
「あなたに似合うはずよ」と穏やかに笑っていた母の姿。
その記憶が浮かんで、胸の奥がやさしく締め付けられる。
母の瞳が、決して悲しみに曇ったりすることのないように。
自分の選ぶ道で、母の愛に報いたい――
心の片隅で、そっとそう願っていた。
「ドレスは、母があなたに気に入ってもらえるものを、と一生懸命選んでたわ。」
アランの声は静かに、けれど確かにその思いを含んでいた。
レギュラスはアランの手をそっと取り、微笑を返す。
屋敷の賑わいに交じることなく、二人の間にだけ淡く流れる静けさと、
母から受け継いだ愛の重み。
それらすべてが、アランのこれからの決意を支えるかすかな光となって胸に灯る。
華やかな準備の奥で、ひとつの心だけが静かに揺れていた。
それでも、どうかこの歩みが
誰かの幸せにつながるものであるように――
アランはそっと、小さく祈った。
夜の街に冷えた霧が立ちこめる。
レギュラスは黒いローブの裾を静かに揺らし、任務のあと一人、腕を組んで歩いていた。
卒業してすぐ、未成年という制約が消え、
預かる仕事はますます危うく、重くなっていった。
ほんの少し前、淡い声でアランが訴えた言葉が、ふと脳裏をよぎる。
――どうか、人を殺めたりはしないで。
やさしい声だった。だが、それはどこまでも根本的な問いかけだった。
今夜もまた、マグルから魔法使いを救出するという大義のもと、
忌まわしい呪文をいくつか口にした。
杖の先から放たれた光――
マグルがどうなったのか、目をそむけて確かめることはしなかった。
死んでしまったのかもしれない。
マグル世界ではきっと突然死という理不尽な影に片付けられるのだろう。
仕方がなかったのだ。
そう自分を宥める。
名門の重圧、使命、忠誠、誇り――
それらが互いの輪郭を曖昧にし、
レギュラスの良心を静かに濁していく。
街角で待っていたバーテミウスが、肩越しに問いかけた。
「セシール嬢との結婚の準備は進んでるか?」
「ええ。当人同士より、周りのほうが騒がしいくらいです。」
こともなげに微笑みをのせた言葉。
バーテミウスは肩をすくめる。
「そりゃそうだ。ブラック家とセシール家の婚姻だ。魔法界を揺るがす名家の二人、騒がぬほうがおかしいね。」
影を踏みしめながら歩く帰路、
レギュラスは指先をじっと見つめた。
呪文の軌跡は何も残さないのに、
心のどこかに薄く消えない痛みがこびりつく。
準備の喧騒のなかで、アランの言葉だけが澄んで胸に残った。
それでも運命は、
誰かを守るために――時に見ないふりをする強さまでも、
彼に要求していた。
闇の下、結婚への道は凛として美しかった。
しかしその光の底には、
小さな祈りと痛みが静かに重なっていた。
重い扉を押して屋敷へと足を踏み入れた瞬間、
長い夜の沁みるような疲れが、ほのかに薄らいでいく。
奥まったホールに、静かに灯るランプ。
白大理石の階段を見上げると、アランがゆっくりと姿を現す。
その一瞬、レギュラスの胸の中に
今日一日心を翳らせていた任務への思いがふっと溶けていった。
迷いも、後悔も、苦い記憶も、
アランの美しさがすべてをやさしく包んでゆく。
細く整った指先がスカートの裾を持ち上げ、
あたたかな光の下で微笑む彼女――
目の前にいるだけで、どんな喧騒や闇も静かに遠のいていく。
「戻りました」
レギュラスの低い声が、やわらかに玄関の空気に溶けた。
「おかえりなさい、レギュラス。」
アランの声は、家そのものの安らぎを響かせていた。
こんなにも美しい人が、自分の妻であり、
この家へと帰れば必ず待ってくれている。
その確かな事実が、レギュラスの心に静かで深い満足をもたらす。
扉の向こうは世界の嵐でも、
この場所、この人がいる限り、
自分は何度でも新しい自分に生まれ直せる気がした。
微笑みを交わし合うその短い瞬間に、
言葉にし尽くせぬ感謝と安らぎが、
二人の間にそっと満ちていく。
家路に還るとはきっと、
この愛しさと静けさのためにある言葉だった。
屋敷の静かな灯りのもと、レギュラスが入口でローブを脱ぐ。
アランはゆっくりと近寄り、何も言わずにそのローブを両手で受け取った。
ごく自然な、夫婦の営み――世の多くの家では、
「仕事はどうだった?」
そんな会話がきっと、普通に交わされるのだろう。
けれどアランは、けしてその問いを口にしなかった。
問いかけてしまえば、想像したくない真実まで聞こえてきそうで、
そっと心の奥を閉ざした。
今日、レギュラスの杖がもしマグルを傷つけるために振るわれていたら。
昔、シリウスと愛や夢を語り合ったマグルの街や、そこで出会った人々を、
彼が冷たく壊してしまう場面を――想像するのが、ただただ怖かった。
だから、ただ黙って、
優しくレギュラスのローブをかけ直す。
その手の温もりのなかに、何も知らない安らぎを織り込みながら。
ほんの少し、指が震える。
けれど、アランの笑顔は穏やかで、
静かに夜の静寂の中に溶けていった。
沈黙の優しさが、
語られなかったいくつもの真実を包み隠し、
アランは静かに、すれ違うあたたかさと痛みを胸の奥にしまい込む。
すべてを抱いて、
微かなため息と共に、あたらしい日常へ歩き出す――
それがいま、彼女にできる一番の愛だった。
薄陽が差し込むブラック家の応接間。
重厚なテーブルの上には美しい便箋と名簿が広げられ、
静かなひとときのなか、レギュラスとアラン、そしてヴァルブルガが並んで腰かけていた。
結婚式に招待する魔法使いたちの名を一つ一つ検討する。
アランの指先が紙の上をそっとなぞるたび、金色の刻印が柔らかく光る。
「アラン、他に招待したい方はいないんですか?」
レギュラスがふと問いかけるその声は、控えめな優しさを帯びていた。
アランはゆるやかに首を横に振る。
「親族だけで十分だわ。」
胸の奥では、むしろ誰にも見られたくない――
飾られた白いドレスも、微笑みすら仮面のように貼り付けた貌も。
背負うべき名や運命に、ひそかに怯える自分の影も。
そのすべてを、できるなら誰の記憶にも残したくなかった。
レギュラスは少し間を置いて、
「同じルームメイトだった子達は呼ばなくていいですか?」と続ける。
ホグワーツのあの日々、アランの傍らにいた女の子たちの顔だけは強く印象に残っているのだろう。
けれどアランは、やんわり首を横に振った。
ヴァルブルガが、尖った静けさを纏った声で重ねる。
「その者達のお名前は?」
小さく息を吸い、アランはルームメイトたちの名前をいくつか挙げた。
ヴァルブルガは、わずかに眉をしかめる。
ブラック家の敷居には相応しくない家名――
そう思ったのだろうが、口に出すことはなかった。
けれど、アランは静かに微笑み、
ゆっくりと言葉を継いだ。
「いいんです、ヴァルブルガ様。」
家名も立場も、今日という日の寂しさもすべて、
丁寧に自分のなかで消化するように。
柔らかな日の光が、封筒の縁に滲むインクをきらめかせていた。
アランはそっと目を伏せ、
最後の招待客の名を書き終えると、
心の奥にある静かな決意と寂しさを、そのまま封じ込めた。
夜、寝室の窓辺には冷たい月の光が落ちていた。
レギュラスはベッドの上、静かな呼吸でアランの肩越しに語りかける。
「……母の態度のせいで、言えなかったのでは?」
濃いシーツの襞に沈む声音には、微かな不安と申し訳なさが滲んでいた。
結婚式の招待客の件――
ヴァルブルガの鋭い目や、家名へのこだわりに、アランが遠慮したのではとレギュラスは考えたらしい。
アランは、小さく心の中でため息をつく。
ときどき、レギュラスの気遣いはどこかずれている、と感じる。
そういう食い違いが、お互いの根幹に流れる価値観の違いなのだろう。
だれにも何も見られたくない。
幸福も偽りも、弱さも強さも、自分だけのものにしたい。
本当は、そんな自分を分かってほしいとも思わなかった。
「いいえ、大丈夫よ。ありがとう。」
アランは優しく微笑んで、そっと答える。
ベッドサイドのランプが、彼女の瞳に柔らかく揺れる光を映した。
「もし、あなたが他にも呼びたい方がいれば、その時は母の許可ではなく……僕が出しますから。」
レギュラスは、どこまでも誠実な声で言う。
それを受けて、アランはやはり曖昧に微笑むしかなかった。
やっぱり、何も伝わっていない。
でも、それでいい――
自分の静かな孤独も、ささやかな真実も、
レギュラスには永遠に伝わらないままでいい。
重なるぬくもりのなかで、
すれ違いと優しさとが静かに混じりあい、
アランの胸の奥には、柔らかな寂しさと淡い救いがそっとにじんでいた。
月明かりの寝室で、ありきたりな会話のやりとりが、
どこまでも静かに、けれど切なく二人を包み込んでいた。
アランは厳かにそびえ立つブラック家の屋敷前に立っていた。
重厚な鉄細工の門が静かに開き、
今日からここが新たな「帰るべき家」なのだと、無言の圧力で彼女を迎え入れる。
石造りの壁、歴史の匂い、深い静寂。
屋敷の空気は荘厳で、微かに新しい家族としての荷重を感じさせた。
胸の奥がすくむような、どこかよそよそしい緊張と不安。
「アラン、待ってました。」
レギュラスが正面玄関まで駆け寄り、笑みを浮かべて声をかけてくる。
彼の言葉は、はっきりとした優しさと、迎え入れる者としての誇りが滲んでいた。
「荷物は全部、お部屋に運んでありますから。」
事務的な整然さの奥に、かすかな緊張と期待――
けれどアランの心に湧き上がるのは、
新しい人生の始まりに対する不安と――
誰にも見せられない、奥深くにしまい込んだシリウスへの消えぬ想いだけだった。
この荘厳な屋敷の影に、ひっそりと息を潜める一抹の孤独と恐れ。
だが、背筋を伸ばし、淡い微笑みを浮かべて門をくぐった。
重たい扉の向こう側で待っているのは、
責務と名誉、そして自らを支える思い出の温もり。
心の奥に小さく火を灯しながら、
アランは静かに大理石の廊下を進んでいった。
ブラック家の屋敷は、結婚式の支度でどこもかしこも賑やかだった。
使用人や屋敷僕が忙しなく行き交い、絨毯の上を軽やかに滑る足音や微かなざわめきが、静かな重厚さの中に新しい祝祭の色を滲ませていた。
そんな景色の片隅で、アランは静かに佇んでいた。
取り巻く準備や喧騒に心が追いつかないまま、ただ黙ってその様子を眺めていた。
そんなとき、レギュラスがふいに柔らかな声で問いかけてくる。
「あなたがどんなドレスを選んだのか、気になります。」
ハッとして、アランは小さく微笑んだ。
ドレスといえば、そういえば――
それは自分で選んだものではなく、母が心を込めて選んでくれたものだった。
嬉しそうに布地を撫で、その色や細工に何度も頷きながら、
「あなたに似合うはずよ」と穏やかに笑っていた母の姿。
その記憶が浮かんで、胸の奥がやさしく締め付けられる。
母の瞳が、決して悲しみに曇ったりすることのないように。
自分の選ぶ道で、母の愛に報いたい――
心の片隅で、そっとそう願っていた。
「ドレスは、母があなたに気に入ってもらえるものを、と一生懸命選んでたわ。」
アランの声は静かに、けれど確かにその思いを含んでいた。
レギュラスはアランの手をそっと取り、微笑を返す。
屋敷の賑わいに交じることなく、二人の間にだけ淡く流れる静けさと、
母から受け継いだ愛の重み。
それらすべてが、アランのこれからの決意を支えるかすかな光となって胸に灯る。
華やかな準備の奥で、ひとつの心だけが静かに揺れていた。
それでも、どうかこの歩みが
誰かの幸せにつながるものであるように――
アランはそっと、小さく祈った。
夜の街に冷えた霧が立ちこめる。
レギュラスは黒いローブの裾を静かに揺らし、任務のあと一人、腕を組んで歩いていた。
卒業してすぐ、未成年という制約が消え、
預かる仕事はますます危うく、重くなっていった。
ほんの少し前、淡い声でアランが訴えた言葉が、ふと脳裏をよぎる。
――どうか、人を殺めたりはしないで。
やさしい声だった。だが、それはどこまでも根本的な問いかけだった。
今夜もまた、マグルから魔法使いを救出するという大義のもと、
忌まわしい呪文をいくつか口にした。
杖の先から放たれた光――
マグルがどうなったのか、目をそむけて確かめることはしなかった。
死んでしまったのかもしれない。
マグル世界ではきっと突然死という理不尽な影に片付けられるのだろう。
仕方がなかったのだ。
そう自分を宥める。
名門の重圧、使命、忠誠、誇り――
それらが互いの輪郭を曖昧にし、
レギュラスの良心を静かに濁していく。
街角で待っていたバーテミウスが、肩越しに問いかけた。
「セシール嬢との結婚の準備は進んでるか?」
「ええ。当人同士より、周りのほうが騒がしいくらいです。」
こともなげに微笑みをのせた言葉。
バーテミウスは肩をすくめる。
「そりゃそうだ。ブラック家とセシール家の婚姻だ。魔法界を揺るがす名家の二人、騒がぬほうがおかしいね。」
影を踏みしめながら歩く帰路、
レギュラスは指先をじっと見つめた。
呪文の軌跡は何も残さないのに、
心のどこかに薄く消えない痛みがこびりつく。
準備の喧騒のなかで、アランの言葉だけが澄んで胸に残った。
それでも運命は、
誰かを守るために――時に見ないふりをする強さまでも、
彼に要求していた。
闇の下、結婚への道は凛として美しかった。
しかしその光の底には、
小さな祈りと痛みが静かに重なっていた。
重い扉を押して屋敷へと足を踏み入れた瞬間、
長い夜の沁みるような疲れが、ほのかに薄らいでいく。
奥まったホールに、静かに灯るランプ。
白大理石の階段を見上げると、アランがゆっくりと姿を現す。
その一瞬、レギュラスの胸の中に
今日一日心を翳らせていた任務への思いがふっと溶けていった。
迷いも、後悔も、苦い記憶も、
アランの美しさがすべてをやさしく包んでゆく。
細く整った指先がスカートの裾を持ち上げ、
あたたかな光の下で微笑む彼女――
目の前にいるだけで、どんな喧騒や闇も静かに遠のいていく。
「戻りました」
レギュラスの低い声が、やわらかに玄関の空気に溶けた。
「おかえりなさい、レギュラス。」
アランの声は、家そのものの安らぎを響かせていた。
こんなにも美しい人が、自分の妻であり、
この家へと帰れば必ず待ってくれている。
その確かな事実が、レギュラスの心に静かで深い満足をもたらす。
扉の向こうは世界の嵐でも、
この場所、この人がいる限り、
自分は何度でも新しい自分に生まれ直せる気がした。
微笑みを交わし合うその短い瞬間に、
言葉にし尽くせぬ感謝と安らぎが、
二人の間にそっと満ちていく。
家路に還るとはきっと、
この愛しさと静けさのためにある言葉だった。
屋敷の静かな灯りのもと、レギュラスが入口でローブを脱ぐ。
アランはゆっくりと近寄り、何も言わずにそのローブを両手で受け取った。
ごく自然な、夫婦の営み――世の多くの家では、
「仕事はどうだった?」
そんな会話がきっと、普通に交わされるのだろう。
けれどアランは、けしてその問いを口にしなかった。
問いかけてしまえば、想像したくない真実まで聞こえてきそうで、
そっと心の奥を閉ざした。
今日、レギュラスの杖がもしマグルを傷つけるために振るわれていたら。
昔、シリウスと愛や夢を語り合ったマグルの街や、そこで出会った人々を、
彼が冷たく壊してしまう場面を――想像するのが、ただただ怖かった。
だから、ただ黙って、
優しくレギュラスのローブをかけ直す。
その手の温もりのなかに、何も知らない安らぎを織り込みながら。
ほんの少し、指が震える。
けれど、アランの笑顔は穏やかで、
静かに夜の静寂の中に溶けていった。
沈黙の優しさが、
語られなかったいくつもの真実を包み隠し、
アランは静かに、すれ違うあたたかさと痛みを胸の奥にしまい込む。
すべてを抱いて、
微かなため息と共に、あたらしい日常へ歩き出す――
それがいま、彼女にできる一番の愛だった。
薄陽が差し込むブラック家の応接間。
重厚なテーブルの上には美しい便箋と名簿が広げられ、
静かなひとときのなか、レギュラスとアラン、そしてヴァルブルガが並んで腰かけていた。
結婚式に招待する魔法使いたちの名を一つ一つ検討する。
アランの指先が紙の上をそっとなぞるたび、金色の刻印が柔らかく光る。
「アラン、他に招待したい方はいないんですか?」
レギュラスがふと問いかけるその声は、控えめな優しさを帯びていた。
アランはゆるやかに首を横に振る。
「親族だけで十分だわ。」
胸の奥では、むしろ誰にも見られたくない――
飾られた白いドレスも、微笑みすら仮面のように貼り付けた貌も。
背負うべき名や運命に、ひそかに怯える自分の影も。
そのすべてを、できるなら誰の記憶にも残したくなかった。
レギュラスは少し間を置いて、
「同じルームメイトだった子達は呼ばなくていいですか?」と続ける。
ホグワーツのあの日々、アランの傍らにいた女の子たちの顔だけは強く印象に残っているのだろう。
けれどアランは、やんわり首を横に振った。
ヴァルブルガが、尖った静けさを纏った声で重ねる。
「その者達のお名前は?」
小さく息を吸い、アランはルームメイトたちの名前をいくつか挙げた。
ヴァルブルガは、わずかに眉をしかめる。
ブラック家の敷居には相応しくない家名――
そう思ったのだろうが、口に出すことはなかった。
けれど、アランは静かに微笑み、
ゆっくりと言葉を継いだ。
「いいんです、ヴァルブルガ様。」
家名も立場も、今日という日の寂しさもすべて、
丁寧に自分のなかで消化するように。
柔らかな日の光が、封筒の縁に滲むインクをきらめかせていた。
アランはそっと目を伏せ、
最後の招待客の名を書き終えると、
心の奥にある静かな決意と寂しさを、そのまま封じ込めた。
夜、寝室の窓辺には冷たい月の光が落ちていた。
レギュラスはベッドの上、静かな呼吸でアランの肩越しに語りかける。
「……母の態度のせいで、言えなかったのでは?」
濃いシーツの襞に沈む声音には、微かな不安と申し訳なさが滲んでいた。
結婚式の招待客の件――
ヴァルブルガの鋭い目や、家名へのこだわりに、アランが遠慮したのではとレギュラスは考えたらしい。
アランは、小さく心の中でため息をつく。
ときどき、レギュラスの気遣いはどこかずれている、と感じる。
そういう食い違いが、お互いの根幹に流れる価値観の違いなのだろう。
だれにも何も見られたくない。
幸福も偽りも、弱さも強さも、自分だけのものにしたい。
本当は、そんな自分を分かってほしいとも思わなかった。
「いいえ、大丈夫よ。ありがとう。」
アランは優しく微笑んで、そっと答える。
ベッドサイドのランプが、彼女の瞳に柔らかく揺れる光を映した。
「もし、あなたが他にも呼びたい方がいれば、その時は母の許可ではなく……僕が出しますから。」
レギュラスは、どこまでも誠実な声で言う。
それを受けて、アランはやはり曖昧に微笑むしかなかった。
やっぱり、何も伝わっていない。
でも、それでいい――
自分の静かな孤独も、ささやかな真実も、
レギュラスには永遠に伝わらないままでいい。
重なるぬくもりのなかで、
すれ違いと優しさとが静かに混じりあい、
アランの胸の奥には、柔らかな寂しさと淡い救いがそっとにじんでいた。
月明かりの寝室で、ありきたりな会話のやりとりが、
どこまでも静かに、けれど切なく二人を包み込んでいた。
