1章
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重たい雪雲が低く垂れ込め、ブラック家の屋敷は冬の静けさに包まれていた。
今年も、クリスマスがやってきた。
レギュラスに「一緒に過ごそう」と言われたとき、アランの両親は珍しく嬉しそうに頷き、愛娘を送り出してくれた。
大理石のホールには暖かな灯りが満ち、天井には魔法の雪が静かに舞っている。
屋敷の奥では、かつてたくさんの声が響き合ったはずだった。
「メリークリスマス、レギュラス。」
アランは笑みをつくってそう声をかける。
「メリークリスマス、アラン。」
レギュラスは穏やかに微笑み返した。
二人きりの静かな時間。
テーブルには美しく飾られたごちそうと、色彩あざやかなクリスマスリース。
しかし――
ふとした静寂の隙間、アランの胸を冷たい痛みが締めつける。
この屋敷で——かつて、初めてシリウスと会い、
笑い、遊び合い、何も知らなかった子供の自分が鮮やかに蘇ってくる。
眩しいほどに煌めいていた思い出の一場面。
あの頃は、家族の温もりさえ疑わずに受け入れていた。
けれど今は。
シリウスはいない。
もう二度と、この家に帰ることはない。
そう思うと、あまりにも多くを喪った静かな悲しみが胸に滲む。
――この食卓に、あの声は戻ってこない。
涙をこぼしそうになるのを、アランは静かに堪えた。
レギュラスの前でだけは、儚くもかすかな強さを見せようと、
彼が差し出してくれたグラスに、小さく感謝して乾杯する。
心の奥、静かな聖夜の祈りと一緒に、
だれにも言えない哀しみを慎ましく抱きしめながら――
それでも微笑みをたたえ、アランはこの冬を、そっと過ごしていた。
クリスマスの夜、重たいカーテン越しに遠くの街灯りがかすかに揺れていた。
ブラック家の客間へ導かれ、アランはレギュラスと同じ広いベッドを前に静かに立ち尽くしていた。
この家の秩序と伝統のなかで、「ふたりで過ごしてよい」という無言の許可が与えられた意味を、アランはもう充分知っている。
――もう子どもではないのだと、心でそっとつぶやく。
それぞれの両親が、ここでふたりがどんな夜を分かち合おうと目を閉じている現実。
もはや祝福のような静謐で満ちた空間のなか、レギュラスの肩もどこか張りつめていた。
「…… アラン、緊張してます?」
ベッドサイドに腰掛けたレギュラスが、小さな声でそう問いかける。
手の甲がわずかに震えているのが、薄明かりに浮かび上がる。
「ええ、少し……」
息を呑み、かすれがちな声で返す。
本当は、彼もきっと緊張している。
それでも、必死に優しさだけは崩さず、アランの気持ちにそっと寄り添おうとする姿勢。
毛布の端にそっと座ると、ふたりの距離がゆっくりと縮まる。
レギュラスの指先がアランの手をそっと包みこむ。
その温度に、胸の奥の切なさが少しだけ和らいだ。
意識はどうしても遠い過去へ、
叶わぬ痛みに引きずられそうになる。
「どうか、今夜はシリウスを思い出して独りになるのだけは嫌」
そう、アランは願う。
レギュラスはそっと髪に手を添え、静かに微笑んだ。
「大丈夫です、アラン。……ゆっくり、一緒にいましょう。」
どこまでもやさしく、どこまでも誠実だった。
この夜だけは、与えられた愛を、与え返すこと。
静かな雪が窓辺で溶けていくように、
ふたりの距離はそっと近づいていく。
灯りの下で重なる影は、
一瞬一瞬、痛みと安堵を織りまぜながら、
美しくも脆い親密さと、ほんの少しの希望をまとって、
冬の夜の静けさへそっと溶けていった。
夜の静けさに包まれた寝室で、ようやくアランのすべてに触れたその瞬間、
レギュラスの胸の奥には、いくつもの感情が流れ込んできた。
これまで長い時間、どうしても届かなかった場所――
ずっと焦がれ続けて、夢を見るように手を伸ばしてきた“ アランの核”に、今、確かに自分だけの形でたどり着いたのだと、痛いほどに実感する。
手に入れるまでの幾度もの逡巡、
嫉妬や不安、兄への憤り、隠しきれない対抗心――
そのすべてが、この温もりのなかで静かに融かされていく。
アランを気遣わなければ、優しくしなければと何度も繰り返したはずの理性は、
その湧き上がる歓喜と愛しさの奔流の前で、なす術もなく消えていった。
壊れてしまいそうなほど、柔らかくて温かい感触。
満たされていく幸福。
震える声も、絡めた指先も、互いの身体が伝え合う熱に溶けていく。
やっと辿り着いた場所だった。
自分だけのためにひらかれた扉。
その奥にたどり着いたのは、手に入れた喜びと、
どうしようもなく誠実な愛しさと、
途方もなく、切実な孤独だった。
ほんとうは、傷つけたくなかった。
優しさを失いたくなかった。
でも、気付けばすべてが欲しくてたまらなくなっていた。
アランの呼吸に、汗ばむ額に、かすかな涙に――
それらすべてを、今はただ自分のものにしたいと強く願ってしまう。
何度も諦めかけた幸福が、
いま自分の腕の中にある。
それでも、抱きしめるたび、どこかで「本当にこれで良かったのか」と、
名もなき痛みが胸の片隅を尖らせていた。
——この夜を超えたあとの、アランの微笑みは、
果たしてどんな色に変わっていくのだろう。
それが怖くて、
でも、どうしようもなく欲しかった。
愛しさも、快感も、
幸せも、苦しみも、
すべてが渦を巻きながら、静かなベッドの上で溶けていく。
この夜だけは――
叶わぬほど美しいものとして、
ひとつ残らず抱きしめずにはいられなかった。
ベッドの静かな灯りの下、レギュラスは何度も、何度もアランの名を呼んだ。
その声は、たまらないほどの愛しさと、こらえきれない幸福の色を帯びて、優しく夜に溶けていく。
触れるたび、指先が絡むたび、気持ちがあふれて止まらず、気づけばただ、「アラン」と繰り返すことしかできなかった。
その鼓動を受け止めるようにアランもまた、うわごとみたいに小さな声をこぼしていた。
何を口走っているのか、ほとんど意味は辿れない——けれど、その囁きが、彼女の恍惚と安堵の証として胸に沁み込んでいく。
遠く幼い子どものような表情と、今だけのひとりの女性としての表情が、何もかも融け合う瞬間。
——今夜、愛というものの核心に、初めて指先が触れた。
自分のすべてが誰かで満たされていく至福と、
世界にふたりしかいないかのような赦しと、
ぬくもりの中で初めて「ひとつ」になる無垢な驚き。
「好きだ…… アラン」
震える声でそう告げたとき、
すべての不安も痛みも、静けさに浸食されて消えていく。
真夜中のやわらかな光が、ふたりの影を優しくなぞる。
そんな世界で誰よりも深く、誰よりも静かに、
レギュラスの心は、しあわせだけに包まれていた。
ベッドサイドの灯りが、寝室の静寂を淡く彩っていた。
レギュラスの吐息とアランの震える呼吸が、誰にも届かない夜の奥で優しく溶けていく。
重なりあうたび、彼は惜しみなく何度もアランの名を呼んだ。
その声はまっすぐで、まるで祈りのように彼女の耳を震わせる。
そのたび、胸の奥がかすかに疼いた。
どうしても、遠い過去の夜を思い出してしまう。
シリウスもまた、こんなふうに――何度も、やさしく、名を呼んでくれた。
深く沁みついたその記憶と、今この瞬間に降り注ぐ愛が、織りあわせてほどけていく。
愛しいのか、分からなかった。
これは愛なのか、それとも罪なのか。
いま自分が誰のために生き、誰のために泣き、誰のために腕をひらいているのか――
たった今だけは答えが見つからない。
けれど、どうしても傷つけたくはなかった。
レギュラスの純粋な、ひたむきな愛情に報いなければならないという、切実な思いがあった。
返せるものが、やさしさでも、痛みでも――
それでも「与え返したい」と願う気持ちこそが、「私の愛」なのだと、静かに受け入れる。
幸せにしたい。
彼のぬくもりも、願いも、まっすぐに受け取りたい。
そう心の奥で誓いながら、アランは両腕でレギュラスを強く包み込む。
今夜の静けさのなか、
深く深く、ひとつに繋がったその奥に、
どこまでも彼を受け入れよう――この人だけのものになろうと、
静かな覚悟で心を満たした。
涙はこぼれそうだった。
愛しさと、どうにもならない切なさとが一滴ずつ胸に降りていく。
それでも、夜が明けるまでに。
せめて今だけは、レギュラスと自分のあいだに在る愛のかたちを、
悔いなく信じていたかった。
この人を、これ以上ないほど、自分の深い場所で受け入れて生きていく。
そう強く願いながら、アランは静かにレギュラスを抱きしめ続けた。
クリスマスの朝、ブラック家のダイニングホールは静謐な祝いの空気に満ちていた。
窓の外では雪が音もなく舞い、厚い絨毯には銀の光が淡く反射している。
レギュラスは昨日の夜の余韻を微塵も残さず、完璧に身なりを整えて席につき、
その隣でアランもまた、静かに胸を正して着飾っていた。
けれど、心は波立っていた。
昨夜のことを誰かに悟られてしまうのではないか。
オリオンやヴァルブルガが、あの静かな夜の“決定的な一線”に何かを察し――
言葉や視線ににじませてくるのではないかと、
アランはひそかに息を詰めていた。
けれど朝の席に漂うのは、節度と気品だけだった。
食器が静かに触れ合う音、温かな紅茶の香り。
やがて、ヴァルブルガがアランの前にひとつ、小さな箱を置いた。
「クリスマスの贈り物よ」
その声は低く、けれど静かな誇りを含んでいた。
ヴァルブルガはそっと箱の蓋を開ける。
そこに収められていたのは、古く美しい指輪。
淡い翡翠色の宝石が、繊細な銀細工に抱かれて微かに輝く。
「これは、私の母が――
私がブラック家に嫁ぐ日、覚悟と誇りを込めて私に託してくれたものよ。」
寡黙なオリオンが視線を落とす。
ヴァルブルガの指先が、いささかも揺らがず箱を差し出す様に、
家の歴史の重みと、受け継がれた意志がにじんでいる。
アランは、両手でそっと箱を受け取った。
冷たい銀の感触に、胸の奥で何かが静かに震える。
この家に嫁ぎ、名を繋ぐ者として求められる覚悟と誇り――
それらが、たしかな重さとなって指先に伝わってくる。
「……これは、私の覚悟と誇りよ」
ヴァルブルガのその言葉は、
アランへだけでなく、この家の未来そのものへ向けた静かな宣誓だった。
「しかと心に刻みます、ヴァルブルガ様」
アランは、凛とした声でそう返した。
柔らかな光の中で、指輪の緑がほのかにきらめく。
その輝きに、自分がこの家の歴史の一部になっていく現実を受け止めながら――
アランは胸の奥の不安や寂しさ、そして新しい覚悟を、
そっと、誰にも見えぬ場所にそっと抱きしめていた。
静かな朝の食卓に、
はじめて家族となる者たちの想いが、淡く、深く響き合っていた。
冬の陽射しが窓辺に広がる昼下がり、アランとレギュラスは、静かな書斎で二人きりの時を過ごしていた。
カップの湯気がゆるやかに立ち上るなか、ふと、レギュラスが控えめに視線を落としながら呟く。
「……僕だけが、昨夜のことを意識しているみたいで、なんだか……恥ずかしいですね。」
ちらりとこちらを窺うその言い方に、アランは思わず頬を染める――けれど、すぐに柔らかく微笑んだ。
「そんなことないわ。わたしだって……」
けれどレギュラスは、からかいを含んだ声で続ける。
「でも、さっきの朝食のときも―― アランは全然、動じてないように見えましたよ。」
アランはそっと肩をすくめて答えた。
「それは……オリオン様や、ヴァルブルガ様もいらしたから。“何もなかった”顔をするしかなかったの。」
窓越しに差す淡い光に包まれて、二人の視線が重なった瞬間、
ぷっ、とお互いの口元から小さな笑いが同時にこぼれる。
堅苦しい食卓で、それぞれが心を張りつめ、
“悟られまい”と完璧に平然を装っていた滑稽な自分たちの姿が、
今となって思い出すほどに、おかしくて、愛おしくて仕方がなかった。
笑い合うその音は、春のような優しい明るさで部屋いっぱいにふくらんでいく。
両親の前で必死に取り繕うしかなかった不器用さも、
そうして分かち合える今の親密さも、
すべてかけがえのない“ふたりだけの秘密”になって、
温かな午後の静けさの中、そっと息をしていた。
朝食の席は、ステンドグラス越しの淡い光に満ちていた。けれど、その場に漂う空気は冷たく、緊張の影が静かに広がっていた。
オリオンが重々しい声で、新たな“誇り”とともにレギュラスの未来を語る。
「レギュラスも、いよいよ我が家の誇りとして、しかるべき集いに迎え入れられる――デスイーターに。」
その一言で、アランの心は音もなく崩れ落ちた。
鳩尾が強く痛み、脈打つ血が逆流するような吐き気にさえ襲われる。
ブラック家の誇る純血の“誇り”、魔法使いだけが優遇され、マグルが見下される“理想”――
その言葉が、ゆっくりと、でも確実にアランの心の奥を鈍い刃でなぞった。
レギュラスの横顔は、静かな決意に満ちていた。
その理想がどれだけ強いものか、痛いほど伝わってくる。
だが、それは――かつてシリウスの隣で笑い合い、マグルの世界のささやかな幸福や美しさに心を開いた自分のすべてを、黒い闇で塗りつぶすものだった。
思い出してしまう。
シリウスの目の奥の自由、明るい声、陽の下で憧れた“違いを越える”夢。
それらまでもが、今、音もなく自分の前から消えていく。
息を吸うことさえ苦しい。
言葉にすれば、何かが壊れて戻らなくなるのがわかっていた。
アランはただ、手の甲に爪を立て、静かに頷くだけだった。
この家の誇りと掟、その未来を肯定するしか許されていない自分。
胸の奥にゆっくりと、どうしようもない寒さだけが積もっていった。
クリスマスの飾りつけが虚しく瞬く朝、心のどこかで――
もう永遠に、あの夢の世界へ戻れないのだと、静かに悟らされていた。
冬の朝の光が差し込むブラック家の広間で、レギュラスはひときわ誇らしげな表情を浮かべていた。
それは、かつてのシリウスとはまるで異なる、冷静でありながら確かな決意を映し出す瞳。
家の誇りを背負う者としての自覚が、その顔に静かな凛々しさと重みを与えていた。
アランはその横顔を見つめながら、胸の奥が締め付けられるのを感じていた。
言葉を探して口を開くと、震えるけれど確かな声で、静かに口にした。
「ブラック家の誇りですね…」
その言葉は形ばかりの慰めではなくて、真実を受け止める強さの表れでもあった。
しかし、その言葉が放たれた瞬間、アランは自分の胸が痛み、涙をこらえるのに精一杯だった。
本当は、もう崩れてしまいそうな心を必死に鎮めていたのだ。
レギュラスは微笑み、優しくアランの手に触れて言った。
「アランがこれから先、ずっと隣にいてくれるからこそ、僕は頑張れるんですよ。」
その優しい言葉は、まるで祈りのように響いた。
けれどその響きの奥には、これから先、アランが背負うであろう運命の影もひっそり潜んでいた。
彼の言葉は温かさを含みつつも、
どこか柔らかな光と同時に深い闇を孕んでいて、
アランの未来を重く縛る鎖にもなりうるものだった。
目に涙をにじませながらも、アランはその言葉を胸にしまい込み、
静かに頷いた。
その瞳の奥には、言いようのない切なさと覚悟が翳っていた。
重くも美しい朝の静けさのなかで、
ふたりの時間は終わらずに、ただじっと呼吸を重ねていくのだった。
冬休みの静けさを越え、新たな季節の第一日の朝、ホグワーツの石造りの城は凛とした空気に包まれていた。
アランは胸の奥に秘めた思いを抱えながら、重い足取りで学び舎の廊下を歩いていた。
シリウスが最終学年を迎え、卒業を間近に控えた今、二人の間の時間は確実に減り、これから会えなくなる日が来るという覚悟が、静かに心を締めつけていた。
あの夜、シリウスが闇払いになる夢を語った言葉が胸に蘇る。
その未来は自分のものではなく、遠く重い壁のようにふたりを隔てるものだった。
だからこそ、アランは本当の別れに備え、少しずつ距離を取ることを選んだ。
その心の空隙を埋めるように、レギュラスとの関係に静かな努力を注ぎ始めていた。
狂おしいほどの激しさと快楽に満ちていたシリウスとの日々とは異なり、レギュラスとのふれあいは、淡くじんわりと心に染み込む応えたいという愛情に変わっていく。
彼との行為は、果たすべき責務の中に、柔らかな絆を結び、厳しい運命のなかでも自分を保たせる温かさをもたらしていた。
レギュラスの瞳に映る確かな想いに、アランは静かに応え、手を取り合うたびに慎ましい幸福と誠実な愛が広がってゆくのを感じていた。
切なくも美しいこの日々の変化は、やがて彼女自身の心に、新しい強さを芽生えさせていくのだった。
雪解けの光が窓から差し込み、過ぎゆく季節の静かな予感を抱えながら、アランの胸は静かに鼓動を刻む。
そこには、もう決して交わることのない二つの未来と、それでも愛を選び続ける強い意志だけが、静かに息づいていた。
今年も、クリスマスがやってきた。
レギュラスに「一緒に過ごそう」と言われたとき、アランの両親は珍しく嬉しそうに頷き、愛娘を送り出してくれた。
大理石のホールには暖かな灯りが満ち、天井には魔法の雪が静かに舞っている。
屋敷の奥では、かつてたくさんの声が響き合ったはずだった。
「メリークリスマス、レギュラス。」
アランは笑みをつくってそう声をかける。
「メリークリスマス、アラン。」
レギュラスは穏やかに微笑み返した。
二人きりの静かな時間。
テーブルには美しく飾られたごちそうと、色彩あざやかなクリスマスリース。
しかし――
ふとした静寂の隙間、アランの胸を冷たい痛みが締めつける。
この屋敷で——かつて、初めてシリウスと会い、
笑い、遊び合い、何も知らなかった子供の自分が鮮やかに蘇ってくる。
眩しいほどに煌めいていた思い出の一場面。
あの頃は、家族の温もりさえ疑わずに受け入れていた。
けれど今は。
シリウスはいない。
もう二度と、この家に帰ることはない。
そう思うと、あまりにも多くを喪った静かな悲しみが胸に滲む。
――この食卓に、あの声は戻ってこない。
涙をこぼしそうになるのを、アランは静かに堪えた。
レギュラスの前でだけは、儚くもかすかな強さを見せようと、
彼が差し出してくれたグラスに、小さく感謝して乾杯する。
心の奥、静かな聖夜の祈りと一緒に、
だれにも言えない哀しみを慎ましく抱きしめながら――
それでも微笑みをたたえ、アランはこの冬を、そっと過ごしていた。
クリスマスの夜、重たいカーテン越しに遠くの街灯りがかすかに揺れていた。
ブラック家の客間へ導かれ、アランはレギュラスと同じ広いベッドを前に静かに立ち尽くしていた。
この家の秩序と伝統のなかで、「ふたりで過ごしてよい」という無言の許可が与えられた意味を、アランはもう充分知っている。
――もう子どもではないのだと、心でそっとつぶやく。
それぞれの両親が、ここでふたりがどんな夜を分かち合おうと目を閉じている現実。
もはや祝福のような静謐で満ちた空間のなか、レギュラスの肩もどこか張りつめていた。
「…… アラン、緊張してます?」
ベッドサイドに腰掛けたレギュラスが、小さな声でそう問いかける。
手の甲がわずかに震えているのが、薄明かりに浮かび上がる。
「ええ、少し……」
息を呑み、かすれがちな声で返す。
本当は、彼もきっと緊張している。
それでも、必死に優しさだけは崩さず、アランの気持ちにそっと寄り添おうとする姿勢。
毛布の端にそっと座ると、ふたりの距離がゆっくりと縮まる。
レギュラスの指先がアランの手をそっと包みこむ。
その温度に、胸の奥の切なさが少しだけ和らいだ。
意識はどうしても遠い過去へ、
叶わぬ痛みに引きずられそうになる。
「どうか、今夜はシリウスを思い出して独りになるのだけは嫌」
そう、アランは願う。
レギュラスはそっと髪に手を添え、静かに微笑んだ。
「大丈夫です、アラン。……ゆっくり、一緒にいましょう。」
どこまでもやさしく、どこまでも誠実だった。
この夜だけは、与えられた愛を、与え返すこと。
静かな雪が窓辺で溶けていくように、
ふたりの距離はそっと近づいていく。
灯りの下で重なる影は、
一瞬一瞬、痛みと安堵を織りまぜながら、
美しくも脆い親密さと、ほんの少しの希望をまとって、
冬の夜の静けさへそっと溶けていった。
夜の静けさに包まれた寝室で、ようやくアランのすべてに触れたその瞬間、
レギュラスの胸の奥には、いくつもの感情が流れ込んできた。
これまで長い時間、どうしても届かなかった場所――
ずっと焦がれ続けて、夢を見るように手を伸ばしてきた“ アランの核”に、今、確かに自分だけの形でたどり着いたのだと、痛いほどに実感する。
手に入れるまでの幾度もの逡巡、
嫉妬や不安、兄への憤り、隠しきれない対抗心――
そのすべてが、この温もりのなかで静かに融かされていく。
アランを気遣わなければ、優しくしなければと何度も繰り返したはずの理性は、
その湧き上がる歓喜と愛しさの奔流の前で、なす術もなく消えていった。
壊れてしまいそうなほど、柔らかくて温かい感触。
満たされていく幸福。
震える声も、絡めた指先も、互いの身体が伝え合う熱に溶けていく。
やっと辿り着いた場所だった。
自分だけのためにひらかれた扉。
その奥にたどり着いたのは、手に入れた喜びと、
どうしようもなく誠実な愛しさと、
途方もなく、切実な孤独だった。
ほんとうは、傷つけたくなかった。
優しさを失いたくなかった。
でも、気付けばすべてが欲しくてたまらなくなっていた。
アランの呼吸に、汗ばむ額に、かすかな涙に――
それらすべてを、今はただ自分のものにしたいと強く願ってしまう。
何度も諦めかけた幸福が、
いま自分の腕の中にある。
それでも、抱きしめるたび、どこかで「本当にこれで良かったのか」と、
名もなき痛みが胸の片隅を尖らせていた。
——この夜を超えたあとの、アランの微笑みは、
果たしてどんな色に変わっていくのだろう。
それが怖くて、
でも、どうしようもなく欲しかった。
愛しさも、快感も、
幸せも、苦しみも、
すべてが渦を巻きながら、静かなベッドの上で溶けていく。
この夜だけは――
叶わぬほど美しいものとして、
ひとつ残らず抱きしめずにはいられなかった。
ベッドの静かな灯りの下、レギュラスは何度も、何度もアランの名を呼んだ。
その声は、たまらないほどの愛しさと、こらえきれない幸福の色を帯びて、優しく夜に溶けていく。
触れるたび、指先が絡むたび、気持ちがあふれて止まらず、気づけばただ、「アラン」と繰り返すことしかできなかった。
その鼓動を受け止めるようにアランもまた、うわごとみたいに小さな声をこぼしていた。
何を口走っているのか、ほとんど意味は辿れない——けれど、その囁きが、彼女の恍惚と安堵の証として胸に沁み込んでいく。
遠く幼い子どものような表情と、今だけのひとりの女性としての表情が、何もかも融け合う瞬間。
——今夜、愛というものの核心に、初めて指先が触れた。
自分のすべてが誰かで満たされていく至福と、
世界にふたりしかいないかのような赦しと、
ぬくもりの中で初めて「ひとつ」になる無垢な驚き。
「好きだ…… アラン」
震える声でそう告げたとき、
すべての不安も痛みも、静けさに浸食されて消えていく。
真夜中のやわらかな光が、ふたりの影を優しくなぞる。
そんな世界で誰よりも深く、誰よりも静かに、
レギュラスの心は、しあわせだけに包まれていた。
ベッドサイドの灯りが、寝室の静寂を淡く彩っていた。
レギュラスの吐息とアランの震える呼吸が、誰にも届かない夜の奥で優しく溶けていく。
重なりあうたび、彼は惜しみなく何度もアランの名を呼んだ。
その声はまっすぐで、まるで祈りのように彼女の耳を震わせる。
そのたび、胸の奥がかすかに疼いた。
どうしても、遠い過去の夜を思い出してしまう。
シリウスもまた、こんなふうに――何度も、やさしく、名を呼んでくれた。
深く沁みついたその記憶と、今この瞬間に降り注ぐ愛が、織りあわせてほどけていく。
愛しいのか、分からなかった。
これは愛なのか、それとも罪なのか。
いま自分が誰のために生き、誰のために泣き、誰のために腕をひらいているのか――
たった今だけは答えが見つからない。
けれど、どうしても傷つけたくはなかった。
レギュラスの純粋な、ひたむきな愛情に報いなければならないという、切実な思いがあった。
返せるものが、やさしさでも、痛みでも――
それでも「与え返したい」と願う気持ちこそが、「私の愛」なのだと、静かに受け入れる。
幸せにしたい。
彼のぬくもりも、願いも、まっすぐに受け取りたい。
そう心の奥で誓いながら、アランは両腕でレギュラスを強く包み込む。
今夜の静けさのなか、
深く深く、ひとつに繋がったその奥に、
どこまでも彼を受け入れよう――この人だけのものになろうと、
静かな覚悟で心を満たした。
涙はこぼれそうだった。
愛しさと、どうにもならない切なさとが一滴ずつ胸に降りていく。
それでも、夜が明けるまでに。
せめて今だけは、レギュラスと自分のあいだに在る愛のかたちを、
悔いなく信じていたかった。
この人を、これ以上ないほど、自分の深い場所で受け入れて生きていく。
そう強く願いながら、アランは静かにレギュラスを抱きしめ続けた。
クリスマスの朝、ブラック家のダイニングホールは静謐な祝いの空気に満ちていた。
窓の外では雪が音もなく舞い、厚い絨毯には銀の光が淡く反射している。
レギュラスは昨日の夜の余韻を微塵も残さず、完璧に身なりを整えて席につき、
その隣でアランもまた、静かに胸を正して着飾っていた。
けれど、心は波立っていた。
昨夜のことを誰かに悟られてしまうのではないか。
オリオンやヴァルブルガが、あの静かな夜の“決定的な一線”に何かを察し――
言葉や視線ににじませてくるのではないかと、
アランはひそかに息を詰めていた。
けれど朝の席に漂うのは、節度と気品だけだった。
食器が静かに触れ合う音、温かな紅茶の香り。
やがて、ヴァルブルガがアランの前にひとつ、小さな箱を置いた。
「クリスマスの贈り物よ」
その声は低く、けれど静かな誇りを含んでいた。
ヴァルブルガはそっと箱の蓋を開ける。
そこに収められていたのは、古く美しい指輪。
淡い翡翠色の宝石が、繊細な銀細工に抱かれて微かに輝く。
「これは、私の母が――
私がブラック家に嫁ぐ日、覚悟と誇りを込めて私に託してくれたものよ。」
寡黙なオリオンが視線を落とす。
ヴァルブルガの指先が、いささかも揺らがず箱を差し出す様に、
家の歴史の重みと、受け継がれた意志がにじんでいる。
アランは、両手でそっと箱を受け取った。
冷たい銀の感触に、胸の奥で何かが静かに震える。
この家に嫁ぎ、名を繋ぐ者として求められる覚悟と誇り――
それらが、たしかな重さとなって指先に伝わってくる。
「……これは、私の覚悟と誇りよ」
ヴァルブルガのその言葉は、
アランへだけでなく、この家の未来そのものへ向けた静かな宣誓だった。
「しかと心に刻みます、ヴァルブルガ様」
アランは、凛とした声でそう返した。
柔らかな光の中で、指輪の緑がほのかにきらめく。
その輝きに、自分がこの家の歴史の一部になっていく現実を受け止めながら――
アランは胸の奥の不安や寂しさ、そして新しい覚悟を、
そっと、誰にも見えぬ場所にそっと抱きしめていた。
静かな朝の食卓に、
はじめて家族となる者たちの想いが、淡く、深く響き合っていた。
冬の陽射しが窓辺に広がる昼下がり、アランとレギュラスは、静かな書斎で二人きりの時を過ごしていた。
カップの湯気がゆるやかに立ち上るなか、ふと、レギュラスが控えめに視線を落としながら呟く。
「……僕だけが、昨夜のことを意識しているみたいで、なんだか……恥ずかしいですね。」
ちらりとこちらを窺うその言い方に、アランは思わず頬を染める――けれど、すぐに柔らかく微笑んだ。
「そんなことないわ。わたしだって……」
けれどレギュラスは、からかいを含んだ声で続ける。
「でも、さっきの朝食のときも―― アランは全然、動じてないように見えましたよ。」
アランはそっと肩をすくめて答えた。
「それは……オリオン様や、ヴァルブルガ様もいらしたから。“何もなかった”顔をするしかなかったの。」
窓越しに差す淡い光に包まれて、二人の視線が重なった瞬間、
ぷっ、とお互いの口元から小さな笑いが同時にこぼれる。
堅苦しい食卓で、それぞれが心を張りつめ、
“悟られまい”と完璧に平然を装っていた滑稽な自分たちの姿が、
今となって思い出すほどに、おかしくて、愛おしくて仕方がなかった。
笑い合うその音は、春のような優しい明るさで部屋いっぱいにふくらんでいく。
両親の前で必死に取り繕うしかなかった不器用さも、
そうして分かち合える今の親密さも、
すべてかけがえのない“ふたりだけの秘密”になって、
温かな午後の静けさの中、そっと息をしていた。
朝食の席は、ステンドグラス越しの淡い光に満ちていた。けれど、その場に漂う空気は冷たく、緊張の影が静かに広がっていた。
オリオンが重々しい声で、新たな“誇り”とともにレギュラスの未来を語る。
「レギュラスも、いよいよ我が家の誇りとして、しかるべき集いに迎え入れられる――デスイーターに。」
その一言で、アランの心は音もなく崩れ落ちた。
鳩尾が強く痛み、脈打つ血が逆流するような吐き気にさえ襲われる。
ブラック家の誇る純血の“誇り”、魔法使いだけが優遇され、マグルが見下される“理想”――
その言葉が、ゆっくりと、でも確実にアランの心の奥を鈍い刃でなぞった。
レギュラスの横顔は、静かな決意に満ちていた。
その理想がどれだけ強いものか、痛いほど伝わってくる。
だが、それは――かつてシリウスの隣で笑い合い、マグルの世界のささやかな幸福や美しさに心を開いた自分のすべてを、黒い闇で塗りつぶすものだった。
思い出してしまう。
シリウスの目の奥の自由、明るい声、陽の下で憧れた“違いを越える”夢。
それらまでもが、今、音もなく自分の前から消えていく。
息を吸うことさえ苦しい。
言葉にすれば、何かが壊れて戻らなくなるのがわかっていた。
アランはただ、手の甲に爪を立て、静かに頷くだけだった。
この家の誇りと掟、その未来を肯定するしか許されていない自分。
胸の奥にゆっくりと、どうしようもない寒さだけが積もっていった。
クリスマスの飾りつけが虚しく瞬く朝、心のどこかで――
もう永遠に、あの夢の世界へ戻れないのだと、静かに悟らされていた。
冬の朝の光が差し込むブラック家の広間で、レギュラスはひときわ誇らしげな表情を浮かべていた。
それは、かつてのシリウスとはまるで異なる、冷静でありながら確かな決意を映し出す瞳。
家の誇りを背負う者としての自覚が、その顔に静かな凛々しさと重みを与えていた。
アランはその横顔を見つめながら、胸の奥が締め付けられるのを感じていた。
言葉を探して口を開くと、震えるけれど確かな声で、静かに口にした。
「ブラック家の誇りですね…」
その言葉は形ばかりの慰めではなくて、真実を受け止める強さの表れでもあった。
しかし、その言葉が放たれた瞬間、アランは自分の胸が痛み、涙をこらえるのに精一杯だった。
本当は、もう崩れてしまいそうな心を必死に鎮めていたのだ。
レギュラスは微笑み、優しくアランの手に触れて言った。
「アランがこれから先、ずっと隣にいてくれるからこそ、僕は頑張れるんですよ。」
その優しい言葉は、まるで祈りのように響いた。
けれどその響きの奥には、これから先、アランが背負うであろう運命の影もひっそり潜んでいた。
彼の言葉は温かさを含みつつも、
どこか柔らかな光と同時に深い闇を孕んでいて、
アランの未来を重く縛る鎖にもなりうるものだった。
目に涙をにじませながらも、アランはその言葉を胸にしまい込み、
静かに頷いた。
その瞳の奥には、言いようのない切なさと覚悟が翳っていた。
重くも美しい朝の静けさのなかで、
ふたりの時間は終わらずに、ただじっと呼吸を重ねていくのだった。
冬休みの静けさを越え、新たな季節の第一日の朝、ホグワーツの石造りの城は凛とした空気に包まれていた。
アランは胸の奥に秘めた思いを抱えながら、重い足取りで学び舎の廊下を歩いていた。
シリウスが最終学年を迎え、卒業を間近に控えた今、二人の間の時間は確実に減り、これから会えなくなる日が来るという覚悟が、静かに心を締めつけていた。
あの夜、シリウスが闇払いになる夢を語った言葉が胸に蘇る。
その未来は自分のものではなく、遠く重い壁のようにふたりを隔てるものだった。
だからこそ、アランは本当の別れに備え、少しずつ距離を取ることを選んだ。
その心の空隙を埋めるように、レギュラスとの関係に静かな努力を注ぎ始めていた。
狂おしいほどの激しさと快楽に満ちていたシリウスとの日々とは異なり、レギュラスとのふれあいは、淡くじんわりと心に染み込む応えたいという愛情に変わっていく。
彼との行為は、果たすべき責務の中に、柔らかな絆を結び、厳しい運命のなかでも自分を保たせる温かさをもたらしていた。
レギュラスの瞳に映る確かな想いに、アランは静かに応え、手を取り合うたびに慎ましい幸福と誠実な愛が広がってゆくのを感じていた。
切なくも美しいこの日々の変化は、やがて彼女自身の心に、新しい強さを芽生えさせていくのだった。
雪解けの光が窓から差し込み、過ぎゆく季節の静かな予感を抱えながら、アランの胸は静かに鼓動を刻む。
そこには、もう決して交わることのない二つの未来と、それでも愛を選び続ける強い意志だけが、静かに息づいていた。
