第一章:落ちた世界は
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山奥に隠れるように佇む広い屋敷。その長い廊下を、なまえは歩いていた。
先日ぼたんから聞いた、霊界のトップの息子“コエンマ様”からの依頼。それは、垂金という男の護衛に扮し、屋敷に潜入することだった。
垂金を信用させ内部の人間になりすまし、巡回という名目で屋敷内を自由に歩き回る。今回の保護対象の元へと向かうためだ。彼女は、数日前のやり取りを思い出していた。
「おや、引き受けてくれるのかい?ありがとうねぇー!」
「だって、“こっちにいる間の身の安全は保障する”って……。そんなの、ほぼ取引みたいなものじゃない。あなたたちのナワバリにいる以上、私は従うまでだわ。」
「おや、バレてた?」
焦りながらもどうにか笑顔をキープするぼたんに、なまえは答える代わりに肩をすくめる。
「あんたにやってほしいことはね、屋敷のどこかに幽閉されてる妖怪の女の子を探して、まずは現状を確認すること。しばらく後に幽助……そこのベッドで寝てる奴だけど、そいつを派遣するから、一緒に協力してその子を助け出してほしいのさ。」
「ええ、了解したわ。…いつから?」
「えっと、できれば早めにって…。」
二つ返事で了承したなまえに、さすがプロだとぼたんは閉口する。再び寝入った桑原の、のんきな寝息が部屋に響いた。
自身の装備を一つずつ確認していた彼女だが、ふと明日の天気でも聞くように口を開く。
「あ、そうだぼたんちゃん。その垂金って人、男?女?」
「男だけど……。それがどうかしたのかい?」
桑原と幽助の怪我の様子を再度確認し、そろそろ帰ろうかと身支度をしていた蔵馬も、その質問の意図を掴めずに顔を上げる。すると、なまえの仮面のような笑顔が少しだけ剥がれ、その隙間から好戦的な眼光が見えた気がした。
「そう、男なの。……やりやすくていいわね。」
「……ほんと、男って馬鹿でやりやすい。」
小さく笑いながら、いつもの角を曲がる。垂金とそこへ向かうときはこのあたりから凍り付くような寒気を感じるが、今はそうではない。あちらも、なまえが一人で来ていることに気づいているのだろう。
廊下の奥のさらに奥、頑丈な鉄格子の中で大事に大事に捕らわれている彼女が見える。
「こんにちは、雪菜ちゃん。」
なまえが声をかける前から表情を明るくさせていた少女、雪菜は、訪問者にできるだけ近づいた。しかしあまり近づきすぎると結界が彼女を拒むので、一歩手前で止まる。
「なまえさん……!」
「調子はどう?って言っても、檻の中じゃね……。いつになるか分からないけど、そのうち可愛い男の子が助けに来てくれるから、もう少し我慢してね。」
なまえはコエンマからの指示を忠実に守り、現状把握に徹していた。見張りの有無や、垂金が雪菜の涙――氷泪石を回収しに来るタイミング、内部の人間関係などだ。自国にいればこのような任務は一人で救出までこなしていたが、この世界のことがまだ分からない内は指示以上のことをするのは危険だ。
「あの、来てくださるのは嬉しいんですが、あんまり頻繁にいらっしゃったら、あの人が怒るんじゃ……。」
「あの人……ああ、垂金?大丈夫よ、あいつは私には敵わないから。」
ふふ、と綺麗に笑ったかと思うと、次の瞬間にはすっと冷めた目をしていた。なまえは、昨夜の寝室での追いかけっこを思い出す。
護衛などと言っているが、垂金は彼女を完全に“そういう”目でしか見ていなかった。しかし、それはこちらにとっても都合が良い。秘密の多い組織に入り込むには、トップに気に入られるのが手っ取り早いのだ。護衛として申し分のない強さに加え美しい彼女を、垂金はすぐに気に入った。着任して数日も経たぬうちに、寝室へと招き入れるほどに。
だが、なまえも黙っていいようにされる女ではない。あくびの出るような追いかけっこの末ついに捕まったふりをし、睡眠薬入りの口紅を引いた唇で長いキスをした。彼女は体術もさることながら、毒や薬の知識にも長けている。加えて自身の作る毒薬の耐性はついているので、自分に塗布や散布したところで彼女には効かない。
目が覚めていつの間にか眠っていたことに、垂金はさぞ悔しがっていただろう。同じ部屋で朝を迎えていないので、これは完全に彼女の想像だが。
「それなら、いいんですが……。あまり無茶はなさらないでくださいね。」
こちらを心配そうに見つめる雪菜にやるせない気持ちになる。捕らわれの身でありながら、それでも檻の外にいるなまえを思いやる姿が。
この妖怪の少女は、何もしていない。何もしていないのに、氷泪石という宝石の涙を流すというだけで、ここに監禁されている。その宝石は莫大な金を生む。涙を流させるために、拷問を受けながら飼われているに等しい。
――どこの世界の人間も、金に目がくらむとろくでもないのね。
「……また来るわね。」
「はい、ありがとうございます。……お気をつけて。」
雪菜に背を向けたなまえは、その怒りを胸に収めるようにそっと目を閉じた。
数日後。なにやら屋敷内が騒がしい。いつも以上に汗をかいた垂金が、武器の手入れをしていたなまえを慌てて呼びに来た。
「侵入者じゃ!なまえ!お前はワシの側におれ!」
「かしこまりました。」
「クソッ、三鬼衆があんな小僧二人に……!」
てっきり例の少年が来たと思っていたが、二人、というのに一瞬ひっかかる。だがすぐに理由が分かった。垂金に連れられた先の部屋のモニターには、見覚えのある少年たちがピースサインを送ってきていた。
――正面切って来るなんて……。何のために私が先に潜入してたのよ。
頭では文句を言うが、血気盛んな少年らしさに口元は微かに緩む。
「垂金様、私がお相手してきましょうか?」
「いや、駄目だ!お前はワシの側を離れるな!」
「……。」
彼らと接触し、雪菜の居場所を伝えなければならないのに。垂金がすっかり精神不安定になり、護衛のなまえを離したがらない。
いざとなればこの場で全員眠らせようと考えたが、途端に背筋を悪寒が走った。どうやらこの中で一人、その考えが通じない者がいるようだ。
垂金のすぐ側に控えるサングラスの男。モニターを見るその姿は静かなものだが、内側に狂暴な何かを隠しているような、そんな気にさせられる。圧倒的な力の差を感じ、いつの間にか冷や汗が流れていた。そんな彼女を、肩に乗っている小さな男が舌なめずりをして見る。ぞくりと身震いをして急いで視線を外した。
ついに三鬼衆の最後の一人がやられたらしく、垂金が半狂乱になる。荒い息で最後の賭けの対象に、サングラスの男とその肩にいる男――戸愚呂兄弟を選んだ。そして部下に、雪菜を連れてくるように指示をする。
明らかにチャンスだった。未知の力を秘めている戸愚呂兄弟は闘技場で幽助たちと対峙し、垂金は自分の財産を守ることで頭がいっぱいである。そして今、垂金の部下に連れられて雪菜がやって来た。
下で戦いが始まる。幽助たちが劣勢のようだが、彼女にとっては任務遂行が第一だ。今回の任務は、幽助たちと協力して雪菜を助け出すこと。そして、その保護対象は目の前にいる。
なまえは動いた。背中に装備していた双錘を取り出し、雪菜を拘束している部下二人を一瞬で倒す。そして銃を取り出そうと動いた部下・坂下を蹴り飛ばした。
だが、さすがに物音で垂金に気づかれた。部下が倒れているこの状況に、彼は怒りのままに彼女めがけて銃を構える。
「き、貴様……!この裏切り者がぁ!!」
「やめて……!!」
涙ながらに雪菜が飛び出した。それと同時に発砲音が数回。なまえは目を疑った。世界がスローモーションのようだ。
咄嗟に身を翻して雪菜を抱きしめ、彼女は背中で銃弾を受ける。吐き気に耐えたつもりだが、湿った咳が出て視界に赤いしぶきが散った。雪菜を抱きしめたまま、なまえは膝から崩れ落ちる。
「なまえさん……!いやあぁぁ!!」
「ハァ、ハァ……。ふははは!よく見ろ!またお前のせいで人が死んだぞ!ははは、愚かじゃ!!」
雪菜の動揺に、下で戦っている桑原が反応する。それに加え、彼の脳裏に何か情景が浮かんできた。
これまでに雪菜が受けてきた数々の拷問。そして、彼女を逃がそうとした男が裏切り者として粛清される様子。そして、雪菜を抱きしめたまま倒れこむなまえ――。
「ほんとに、人間かよ……。人間のやることかよ!!」
桑原は悲しみと怒りで霊力を上げて再度戸愚呂に挑むが、それでもやはり歯が立たない。スピードを見切られているのだ。今のままだと勝ち目はない。だが考えがあるらしく、幽助に耳打ちをした。彼は納得のいかない様子だったが、桑原の必死の形相に承諾する。
「うおぉぉぉ!!」
再び走り出す桑原。それを潔いと認め、戸愚呂が剣を振りかぶった、次の瞬間。
――ドッ
桑原の霊剣が、戸愚呂を貫いた。幽助の霊丸を背中で受け、その加速力を利用したのだ。
「やる、ねェ……。」
彼らの作戦に賞賛を送り、戸愚呂は倒れる。するとそれを見ていた垂金は、青い顔で今後の自分を考えた。追い打ちをかけるように、モニターの男が「金は今月中に用意するように。」と静かに告げ、ぷつりと通信を切る。
何をどう考えても、彼の脳裏から“破産”の二文字は消えなかった。
この場にいる部下はなまえに倒されてしまった。だが屋敷内に誰かしらはいるだろう。氷泪石さえあれば金はどうとでもなる。微かな希望を見出し踵を返すも、目の前には全身黒装束の小柄な少年が立ちはだかっていた。その鋭い目つきに、彼は震えあがる。
「どこへ行く。残ったのは……貴様だけだ。」
彼は雪菜に抱えられている女を一瞥し、垂金に告げた。その口ぶりから、屋敷内の人間は全てこの少年にやられたのだろう。
「た、助け……。」
最後まで言う間も与えられず、垂金は少年に殴り飛ばされて意識を失った。本当は殺したいぐらい憎い相手だが、雪菜をこんな奴の命で汚したくないという彼なりのけじめのつけ方だ。
いきなり現れた少年に雪菜は礼を言うと、ハッとする。自分のために戦い、ボロボロになった幽助たちが心配だからだ。だがなまえを置いていきたくはない。逡巡していると、彼らの仲間だと言った少年が口を開いた。
「……この女はオレが見ている。行け。」
「はい、ありがとうございます。」
彼が本当は誰なのかを知ることもなく、雪菜は闘技場へと降りていく。少年はそれを静かに見送り、床に倒れる女へと視線を移した。