第二章:彼らの戦い、彼女の葛藤
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「そういや…なんで戸愚呂は…こいつを殺さなかったんだ?」
幽助は素朴な疑問を口にする。リングの仲間やなまえは、改めて倒れている戸愚呂を見た。“桑原の防御力が予想以上に上がっていたから”と飛影は彼の頑丈さを揶揄するが、蔵馬はそれとは違う見解を示す。“はじめから殺す気などなかったのだ”と。
「オレには彼が、ずっとこうなることを待ってたような気がしてならない。本当に強い者が自分を倒してくれることを…悪役を演じ続けてでも…」
――悪役を演じて……。
なまえは蔵馬の言葉を反芻する。最後に見た彼の瞳の柔らかさは、やはり彼の本質だったのだろうか。彼女の思考を代弁するように「今となっては分からんことだがな……。」とコエンマが呟いた。
彼らの間でその言葉がしばらく漂っていたが、前触れもなく地面が揺れ始めたため感傷に浸る時間はなくなった。ドームがどんどんと崩れていく。何かに気づいた蔵馬がリングの反対方向を見ると、彼はハッとして声を荒げた。
「左京!!」
先ほどの揺れの原因だろう、何かの装置を手に笑みを浮かべる左京がいる。
「多分蔵馬君の言った方が正解だろうな。奴との付き合いは数年程度だが、今思えば確かにそんなところがあった」
崩れ行く闘技場の中で、落ちてくる瓦礫をものともせずその場から動かない。賭けは自分の負けだと潔く認め、「敗因は戸愚呂の本質を見抜けなかったことだ。」と状況に似合わず冷静に分析していた。
賭け。なまえは忘れかけていた。決勝戦の前に左京が提案し、コエンマが受け入れたあの賭け。オーナーが互いに自分の命を懸けていた。彼の穏やかでありながら暗くもある笑み、手の中の装置、そしてこの揺れ。なまえは状況を理解した。
「みんなよく聞いて、多分左京はこの会場を――」
「ドームはまもなく爆発する。私と、私の野心もろともな」
ぼたんたちに向き合うと同時、本人から明かされる。
一瞬の静寂ののち、会場はパニックになった。
「ひゃー!巻き添えはゴメンだぜ!」
「浦飯が開けた穴がある!!そこから逃げろ!!」
戸愚呂の妖気に倒れなかった妖怪が、意外にもまだいたらしい。多くの人の波が出口へと押し寄せる。しかしそんな中“ドームの爆破=雪菜の危機”と判断した桑原が、その人だかりを次々に吹き飛ばしてなまえたちの元へ向かってきていた。戸愚呂に加え幽助からも相当やられていたようだが、驚くほどタフだ。全速力の桑原に彼女はそんなことを考えていると、ふと左京が気になって視線を落とした。
誰もいない闘技場の隅で、彼は顔色一つ変えずに佇んでいる。煙草の煙を燻らせるさまは、どこか現実味を帯びていない。思わず目を奪われたが、そんな彼女の視線を拒むように瓦礫が一気に落ちてきた。なまえが最後に見た左京の表情は、ずっと彼を彩ってきた暗い微笑みだった。
「何何何よもーー、何も爆破することないじゃないの!」
湿りを帯びた彼女の思考は、温子の声で乾く。
「出口どこ!?早く逃げるわよ」
「!…そうね。ぼたんちゃん、螢子ちゃんは?」
「んにゃ、ダメだよぉ……。螢子ちゃんてば、おーーーい!正気に戻ってよーー」
ぼたんが螢子の両肩を掴み呼びかけるも、反応はない。試合の途中から彼女はずっとこの調子だ。おそらく試合が終わったことにも気づいていないだろう。
このままだとまずいとなまえが螢子を抱えようとしたところ、雪菜を呼ぶ桑原の声が聞こえた。もう観客席まで上がってきたらしい。
「私より螢子さんを!半分失神してしまってるんです!!」
こちらへ来いという彼に、雪菜が答える。だがそのとき彼女の真横の壁が大きく抉れ、崩れた。
「――!危な…っ!!」
なまえが気づくも、大きな音を立てて瓦礫が地面に衝突する。
――ドゴォッ
「雪菜さ…!!」
一瞬の出来事に誰もが絶望したが、粉塵が収まったそこには彼女を脇に抱え、今しがた着地したばかりの飛影がいた。桑原の何とも言えない叫び声が響く。
「ボヤボヤするな、行け」
「は…はい。ありがとうございます」
妹を救う兄の図。しっかりと“お兄ちゃん”してるじゃないかと、微笑ましくもあり頼もしい。そんななまえの無遠慮な視線に気づいた飛影が、怪訝そうに眉を寄せた。彼の中では、彼女はまだ雪菜との関係性には気づいていないことになっている。これ以上怪しまれないように――ぼたんの命を守るためにも――なまえはさりげなく飛影の背後に視線を向けた。
「こっちだ早く!!」
幽助に肩を貸すコエンマと、彼らを気遣いながら歩いてくる蔵馬。変わらない顔ぶれを間近で見ることができ、なまえは思わず顔を綻ばせる。彼女の様子に蔵馬も笑みを返した。二人は和やかに再会したが、こちらの二人はそうもいかないらしい。
「幽助!螢子ちゃんがあさって見たまま動かないのよーーっ」
「何―――!!」
ぼたんが幽助に助けを求める。しかし人選を間違えたと彼女はすぐに後悔した。
「おい螢子しっかりしやがれ!!めんどくせーエな、テメー。急げコラァ!」
幽助はお構いなしに彼女を往復ビンタする。なまえは落ちてくる瓦礫を蹴り飛ばしながらその光景にぎょっとするが、不幸中の幸いと言うべきか、螢子の意識が徐々に戻ってきたらしい。しばらく容赦ない張り手に翻弄されていたが、いきなり覚醒したと思ったらお返しと言わんばかりに幽助を張り倒した。たったの一発だったが、彼には相当効いたらしい。
「今度は幽助か……」
つい先ほどまで死闘を繰り広げていたはずが、今は地面に伸びている。優勝者の無残な姿に、桑原は顔を引きつらせた。
一行は、観客席から急ぎ下りる。気絶した幽助を背中におぶるのは、彼をこんな状態にした張本人である螢子だ。彼女も体力はある方らしい。なまえは桑原、飛影、蔵馬と共に、崩れる闘技場から他の者を守りながら走っていた。
「なまえさん大丈夫?さっきからずっと動いてますが」
彼女が双錘で粉砕した瓦礫を腕で遠くへやりながら、蔵馬が尋ねる。
「何言ってるの、たぶんこの中で一番元気なのは私よ。それに、あなたも飛影も妖力があまり残ってないんでしょ。無理しない方がいいわ」
「フン、貴様に心配される筋合いはない。蔵馬と違って、オレはあえて妖力を温存してるだけだ」
不名誉ともいえる発言が聞こえ、彼らの少し前を走っていた飛影が振り返る。なまえはスピードを上げ彼の横に並んだ。
「あら?飛影ったら、強がりはよくないわよ。なんなら幽助君みたいにおぶってあげようか」
「なっ…いらん世話だ!」
「大丈夫だよ飛影。必要ならオレの背に」
「蔵馬貴様まで……。面白がってるだろう!」
「あれ、バレちゃいました?」
「オメーらこんな時に何やってんだよ…」
無駄口を叩いてはいるものの、その手元に狂いはない。的確に瓦礫を排除していく彼らに、桑原は感嘆しながらも呆れ気味だ。外へ脱出した後もしばらく、なまえはこの時間を満喫していた。またこのメンバーで軽口を言い合える日が来ようとは。一緒に過ごした時間こそ短いが、彼女がそう思うにはじゅうぶんだった。長いようで短かった大会に想いを馳せていると、いつの間にかだいぶ遠くまで来ていたらしい。
――ドォン
闘技場が大きな爆発に包まれた。振り返った先、森の奥から黒い煙が立ち上っている。
「終わったな……」
「ああ…終わった」
桑原と幽助がしみじみと呟くが、起きてたなら降りろと螢子が背中の“お荷物”を投げ捨てる。死んだらどうするんだというクレームが飛んできたが、彼女は初めから聞く耳など持っていないようだ。そのままエスカレートしそうな両者の睨み合いを、コエンマと蔵馬がなだめる。
「あーーーー!!」
突然、温子が叫んだ。一同が何事かと注目すると、彼女は人差し指をピッと立てながら興奮したまま続けた。
「優勝したらそれぞれ一つずつ望むものがもらえるんでしょ!?これじゃ何も叶えられないじゃないの!」
誰もがすっかり忘れていた大会のルールを思い出したらしい。桑原もそういえばそうだと狼狽えている。これでは招かれ損だと、温子は納得のいっていない様子だ。しかし彼女は、背後から聞こえた息子の声に口を噤んだ。
「……いーよ別にそんなもん。どーせ一番の望みは奴らにゃ叶えられねーしよ」
なまえは彼の目線を追うように、黒煙がにじみゆく茜色の空を見上げる。
――幻海さん。私、ちゃんとこの人たちに向き合うわ。…自分自身にも。
大きく息を吸い、吐く。目頭から熱が零れ落ちそうだったが、瞬きを数回繰り返してそれをやり過ごした。蔵馬はそんな彼女に気づいていたが、何も言わずただ前を見ていた。
「おーい、ばーさーーん!勝ったぞーーー!!
幽助が目いっぱい声を張り上げる。きっとこの空の向こうにいるであろう師に向けて。なまえも、彼女の厳しくも優しい目を思い出す。
異次元からの訪問者という素性の知れない人物を、霊界からの指示とはいえ家に置いてくれた。ともに生活し、寝て、食べて、時には部屋の掃除がなってないなどと怒号が飛んできたが、今思えばそれも心地よかった。普通の女性の生活はこんな風なのだろうかと夢想さえした。ただの“拠点”としか思っていなかった場所が、いつの間にかなまえにとっての“居場所”になっていたのだ。
明日にはこの島を去り、またあの家に戻るのだろう。――もしそれが許されるのであれば。だがそこにはもう誰もいない。一人で暮らすにはあまりにも広すぎる。しかしかといって、元の世界に帰るという選択肢は、ない。それは、蔵馬たちに“装置が壊れて帰れない”と嘘をついているからではなく、彼女の明確な意思だ。ようやく働き始めた自分の頭で考えた結果、なまえはのこのこと自分の世界に、父のもとに帰ることをやめたのだ。
考えていたらまた涙が出そうになった自分に気づき、随分と涙腺が弱くなったとそっと苦笑いする。人として捨ててきたいろいろなものを、この世界で一つずつ拾い集めているような気分だ。風に攫われる髪を押さえていると、空いている方の手を蔵馬に引かれた。
「さ、行きましょう」
「……」
急なことにぱちぱちと瞬きをし、どこへ行くのかという簡単な問いすら口から出ない。目の前の青年を見つめ返していると、彼が美しすぎるという事実に改めて気づかされた。まさに人ならざる者の妖しさ。くすくすと笑う彼の目が「やっぱり聞いてなかった。」となまえをいたずらに責めたが、そんな何気ない仕草さえ彼女を翻弄する。顔を赤くしそうな熱をどこかにやりたくて、俯いて小さく文句を言った。
「……反則よ」
「え?」
「なんでもないわ。それよりどこ行くの?」
「ああ、オレたちの部屋です。優勝祝いだって温子さんが」
温子の名が出てなまえは未来を察した。今夜は酒盛りとなるのだろう。これまでも何かと理由をつけては飲んでいたが、まだ飲み足りないらしい。本国へ通信をしなければならないのに――と思いかけ、習慣とは恐ろしいとぞっとした。今後あちらへ連絡を取ることはない。彼女は反逆ののろしを上げたのだから。なまえは頭をふるふると振り、気合を入れ直した。
蔵馬に手を引かれるままに彼女も足を踏み出す。前を歩く幽助たちの背中を見ながら、ふと手を繋いでいることに気づいた。今さら振りほどくわけにもいかず、どうしたものかと思いあぐねる。彼と触れ合うのが嫌なわけではない。だが少女のような恋心を自覚した相手だと、今まで培ってきた全てが無に帰すようで意味もなく焦ってくる。この状況を彼はどう思っているだろうかとなまえが俯いていた視線を上げると、ちょうどこちらを見下ろした蔵馬と目が合った。
「びっ、くりした……」
「そんなに?何か考え事でも?」
こちらを見透かしたような質問の仕方に、なまえは面白くない。
「別に、なんでもないわよ」
つい可愛くない返事をしてしまい、少し反省した。だが蔵馬はまたもくすくすと笑う。年下であるはずの彼にいいように転がされている気がするが、これが世間でいう“惚れた弱み”なのだろうと享受した。
「そういえば、さっきも同じこと言ってましたね。“なんでもない”って。あれ何だったんです?」
「え?今さらそれ聞くの?」
「どうにも気になって」
にこにこと人好きのする笑顔で彼女に問いかける。それは“無理に言わなくていいよ”と言っているように見せかけて、彼の場合は“さあ、早く教えて”と言っている。なまえはいっそのこと何でもないように言ってみせた。
「あなたがあまりにも綺麗に笑うから、反則だって思ったの。それだけよ」
彼女を握る手にピクリと力が加わる。その微妙な力加減に、男の子に綺麗だなんて失礼だったかなどと僅かにずれたことを考える。そのままちらりと蔵馬を見ると、彼は驚いた様子でいつもより少し目を見開いていた。その頬が心なしか色づいたように見えるのは、きっと夕焼けのせいだけではないだろう。彼もこんな表情をするのかと思った途端、なまえもつられて染まりそうになる。だが今になってやっと調子が戻ってきた彼女は、心の機微を悟られないように口を開いた。
「あら、照れちゃった?ストレートに言い過ぎたわね」
「――!まったく……、からかいましたね?」
「ふふ、ごめんなさい。つい」
軽くため息をつく蔵馬に笑顔で返す。決してからかいなどではなく本心だったが、それは知られなくていい。むしろ、知られたくないとなまえは気を引き締めた。自分の体に染みついている過去の何もかもが、彼には相応しくないと思うからだ。昔の恋人の死も、父の歪んだ愛情も、その手にこびりついた数多の血も。
ホテルの外観が見えてきたところで、幽助や桑原、ぼたんたちが振り返る。それと同時に、なまえはそっと蔵馬の手から自分を逃がした。
幽助は素朴な疑問を口にする。リングの仲間やなまえは、改めて倒れている戸愚呂を見た。“桑原の防御力が予想以上に上がっていたから”と飛影は彼の頑丈さを揶揄するが、蔵馬はそれとは違う見解を示す。“はじめから殺す気などなかったのだ”と。
「オレには彼が、ずっとこうなることを待ってたような気がしてならない。本当に強い者が自分を倒してくれることを…悪役を演じ続けてでも…」
――悪役を演じて……。
なまえは蔵馬の言葉を反芻する。最後に見た彼の瞳の柔らかさは、やはり彼の本質だったのだろうか。彼女の思考を代弁するように「今となっては分からんことだがな……。」とコエンマが呟いた。
彼らの間でその言葉がしばらく漂っていたが、前触れもなく地面が揺れ始めたため感傷に浸る時間はなくなった。ドームがどんどんと崩れていく。何かに気づいた蔵馬がリングの反対方向を見ると、彼はハッとして声を荒げた。
「左京!!」
先ほどの揺れの原因だろう、何かの装置を手に笑みを浮かべる左京がいる。
「多分蔵馬君の言った方が正解だろうな。奴との付き合いは数年程度だが、今思えば確かにそんなところがあった」
崩れ行く闘技場の中で、落ちてくる瓦礫をものともせずその場から動かない。賭けは自分の負けだと潔く認め、「敗因は戸愚呂の本質を見抜けなかったことだ。」と状況に似合わず冷静に分析していた。
賭け。なまえは忘れかけていた。決勝戦の前に左京が提案し、コエンマが受け入れたあの賭け。オーナーが互いに自分の命を懸けていた。彼の穏やかでありながら暗くもある笑み、手の中の装置、そしてこの揺れ。なまえは状況を理解した。
「みんなよく聞いて、多分左京はこの会場を――」
「ドームはまもなく爆発する。私と、私の野心もろともな」
ぼたんたちに向き合うと同時、本人から明かされる。
一瞬の静寂ののち、会場はパニックになった。
「ひゃー!巻き添えはゴメンだぜ!」
「浦飯が開けた穴がある!!そこから逃げろ!!」
戸愚呂の妖気に倒れなかった妖怪が、意外にもまだいたらしい。多くの人の波が出口へと押し寄せる。しかしそんな中“ドームの爆破=雪菜の危機”と判断した桑原が、その人だかりを次々に吹き飛ばしてなまえたちの元へ向かってきていた。戸愚呂に加え幽助からも相当やられていたようだが、驚くほどタフだ。全速力の桑原に彼女はそんなことを考えていると、ふと左京が気になって視線を落とした。
誰もいない闘技場の隅で、彼は顔色一つ変えずに佇んでいる。煙草の煙を燻らせるさまは、どこか現実味を帯びていない。思わず目を奪われたが、そんな彼女の視線を拒むように瓦礫が一気に落ちてきた。なまえが最後に見た左京の表情は、ずっと彼を彩ってきた暗い微笑みだった。
「何何何よもーー、何も爆破することないじゃないの!」
湿りを帯びた彼女の思考は、温子の声で乾く。
「出口どこ!?早く逃げるわよ」
「!…そうね。ぼたんちゃん、螢子ちゃんは?」
「んにゃ、ダメだよぉ……。螢子ちゃんてば、おーーーい!正気に戻ってよーー」
ぼたんが螢子の両肩を掴み呼びかけるも、反応はない。試合の途中から彼女はずっとこの調子だ。おそらく試合が終わったことにも気づいていないだろう。
このままだとまずいとなまえが螢子を抱えようとしたところ、雪菜を呼ぶ桑原の声が聞こえた。もう観客席まで上がってきたらしい。
「私より螢子さんを!半分失神してしまってるんです!!」
こちらへ来いという彼に、雪菜が答える。だがそのとき彼女の真横の壁が大きく抉れ、崩れた。
「――!危な…っ!!」
なまえが気づくも、大きな音を立てて瓦礫が地面に衝突する。
――ドゴォッ
「雪菜さ…!!」
一瞬の出来事に誰もが絶望したが、粉塵が収まったそこには彼女を脇に抱え、今しがた着地したばかりの飛影がいた。桑原の何とも言えない叫び声が響く。
「ボヤボヤするな、行け」
「は…はい。ありがとうございます」
妹を救う兄の図。しっかりと“お兄ちゃん”してるじゃないかと、微笑ましくもあり頼もしい。そんななまえの無遠慮な視線に気づいた飛影が、怪訝そうに眉を寄せた。彼の中では、彼女はまだ雪菜との関係性には気づいていないことになっている。これ以上怪しまれないように――ぼたんの命を守るためにも――なまえはさりげなく飛影の背後に視線を向けた。
「こっちだ早く!!」
幽助に肩を貸すコエンマと、彼らを気遣いながら歩いてくる蔵馬。変わらない顔ぶれを間近で見ることができ、なまえは思わず顔を綻ばせる。彼女の様子に蔵馬も笑みを返した。二人は和やかに再会したが、こちらの二人はそうもいかないらしい。
「幽助!螢子ちゃんがあさって見たまま動かないのよーーっ」
「何―――!!」
ぼたんが幽助に助けを求める。しかし人選を間違えたと彼女はすぐに後悔した。
「おい螢子しっかりしやがれ!!めんどくせーエな、テメー。急げコラァ!」
幽助はお構いなしに彼女を往復ビンタする。なまえは落ちてくる瓦礫を蹴り飛ばしながらその光景にぎょっとするが、不幸中の幸いと言うべきか、螢子の意識が徐々に戻ってきたらしい。しばらく容赦ない張り手に翻弄されていたが、いきなり覚醒したと思ったらお返しと言わんばかりに幽助を張り倒した。たったの一発だったが、彼には相当効いたらしい。
「今度は幽助か……」
つい先ほどまで死闘を繰り広げていたはずが、今は地面に伸びている。優勝者の無残な姿に、桑原は顔を引きつらせた。
一行は、観客席から急ぎ下りる。気絶した幽助を背中におぶるのは、彼をこんな状態にした張本人である螢子だ。彼女も体力はある方らしい。なまえは桑原、飛影、蔵馬と共に、崩れる闘技場から他の者を守りながら走っていた。
「なまえさん大丈夫?さっきからずっと動いてますが」
彼女が双錘で粉砕した瓦礫を腕で遠くへやりながら、蔵馬が尋ねる。
「何言ってるの、たぶんこの中で一番元気なのは私よ。それに、あなたも飛影も妖力があまり残ってないんでしょ。無理しない方がいいわ」
「フン、貴様に心配される筋合いはない。蔵馬と違って、オレはあえて妖力を温存してるだけだ」
不名誉ともいえる発言が聞こえ、彼らの少し前を走っていた飛影が振り返る。なまえはスピードを上げ彼の横に並んだ。
「あら?飛影ったら、強がりはよくないわよ。なんなら幽助君みたいにおぶってあげようか」
「なっ…いらん世話だ!」
「大丈夫だよ飛影。必要ならオレの背に」
「蔵馬貴様まで……。面白がってるだろう!」
「あれ、バレちゃいました?」
「オメーらこんな時に何やってんだよ…」
無駄口を叩いてはいるものの、その手元に狂いはない。的確に瓦礫を排除していく彼らに、桑原は感嘆しながらも呆れ気味だ。外へ脱出した後もしばらく、なまえはこの時間を満喫していた。またこのメンバーで軽口を言い合える日が来ようとは。一緒に過ごした時間こそ短いが、彼女がそう思うにはじゅうぶんだった。長いようで短かった大会に想いを馳せていると、いつの間にかだいぶ遠くまで来ていたらしい。
――ドォン
闘技場が大きな爆発に包まれた。振り返った先、森の奥から黒い煙が立ち上っている。
「終わったな……」
「ああ…終わった」
桑原と幽助がしみじみと呟くが、起きてたなら降りろと螢子が背中の“お荷物”を投げ捨てる。死んだらどうするんだというクレームが飛んできたが、彼女は初めから聞く耳など持っていないようだ。そのままエスカレートしそうな両者の睨み合いを、コエンマと蔵馬がなだめる。
「あーーーー!!」
突然、温子が叫んだ。一同が何事かと注目すると、彼女は人差し指をピッと立てながら興奮したまま続けた。
「優勝したらそれぞれ一つずつ望むものがもらえるんでしょ!?これじゃ何も叶えられないじゃないの!」
誰もがすっかり忘れていた大会のルールを思い出したらしい。桑原もそういえばそうだと狼狽えている。これでは招かれ損だと、温子は納得のいっていない様子だ。しかし彼女は、背後から聞こえた息子の声に口を噤んだ。
「……いーよ別にそんなもん。どーせ一番の望みは奴らにゃ叶えられねーしよ」
なまえは彼の目線を追うように、黒煙がにじみゆく茜色の空を見上げる。
――幻海さん。私、ちゃんとこの人たちに向き合うわ。…自分自身にも。
大きく息を吸い、吐く。目頭から熱が零れ落ちそうだったが、瞬きを数回繰り返してそれをやり過ごした。蔵馬はそんな彼女に気づいていたが、何も言わずただ前を見ていた。
「おーい、ばーさーーん!勝ったぞーーー!!
幽助が目いっぱい声を張り上げる。きっとこの空の向こうにいるであろう師に向けて。なまえも、彼女の厳しくも優しい目を思い出す。
異次元からの訪問者という素性の知れない人物を、霊界からの指示とはいえ家に置いてくれた。ともに生活し、寝て、食べて、時には部屋の掃除がなってないなどと怒号が飛んできたが、今思えばそれも心地よかった。普通の女性の生活はこんな風なのだろうかと夢想さえした。ただの“拠点”としか思っていなかった場所が、いつの間にかなまえにとっての“居場所”になっていたのだ。
明日にはこの島を去り、またあの家に戻るのだろう。――もしそれが許されるのであれば。だがそこにはもう誰もいない。一人で暮らすにはあまりにも広すぎる。しかしかといって、元の世界に帰るという選択肢は、ない。それは、蔵馬たちに“装置が壊れて帰れない”と嘘をついているからではなく、彼女の明確な意思だ。ようやく働き始めた自分の頭で考えた結果、なまえはのこのこと自分の世界に、父のもとに帰ることをやめたのだ。
考えていたらまた涙が出そうになった自分に気づき、随分と涙腺が弱くなったとそっと苦笑いする。人として捨ててきたいろいろなものを、この世界で一つずつ拾い集めているような気分だ。風に攫われる髪を押さえていると、空いている方の手を蔵馬に引かれた。
「さ、行きましょう」
「……」
急なことにぱちぱちと瞬きをし、どこへ行くのかという簡単な問いすら口から出ない。目の前の青年を見つめ返していると、彼が美しすぎるという事実に改めて気づかされた。まさに人ならざる者の妖しさ。くすくすと笑う彼の目が「やっぱり聞いてなかった。」となまえをいたずらに責めたが、そんな何気ない仕草さえ彼女を翻弄する。顔を赤くしそうな熱をどこかにやりたくて、俯いて小さく文句を言った。
「……反則よ」
「え?」
「なんでもないわ。それよりどこ行くの?」
「ああ、オレたちの部屋です。優勝祝いだって温子さんが」
温子の名が出てなまえは未来を察した。今夜は酒盛りとなるのだろう。これまでも何かと理由をつけては飲んでいたが、まだ飲み足りないらしい。本国へ通信をしなければならないのに――と思いかけ、習慣とは恐ろしいとぞっとした。今後あちらへ連絡を取ることはない。彼女は反逆ののろしを上げたのだから。なまえは頭をふるふると振り、気合を入れ直した。
蔵馬に手を引かれるままに彼女も足を踏み出す。前を歩く幽助たちの背中を見ながら、ふと手を繋いでいることに気づいた。今さら振りほどくわけにもいかず、どうしたものかと思いあぐねる。彼と触れ合うのが嫌なわけではない。だが少女のような恋心を自覚した相手だと、今まで培ってきた全てが無に帰すようで意味もなく焦ってくる。この状況を彼はどう思っているだろうかとなまえが俯いていた視線を上げると、ちょうどこちらを見下ろした蔵馬と目が合った。
「びっ、くりした……」
「そんなに?何か考え事でも?」
こちらを見透かしたような質問の仕方に、なまえは面白くない。
「別に、なんでもないわよ」
つい可愛くない返事をしてしまい、少し反省した。だが蔵馬はまたもくすくすと笑う。年下であるはずの彼にいいように転がされている気がするが、これが世間でいう“惚れた弱み”なのだろうと享受した。
「そういえば、さっきも同じこと言ってましたね。“なんでもない”って。あれ何だったんです?」
「え?今さらそれ聞くの?」
「どうにも気になって」
にこにこと人好きのする笑顔で彼女に問いかける。それは“無理に言わなくていいよ”と言っているように見せかけて、彼の場合は“さあ、早く教えて”と言っている。なまえはいっそのこと何でもないように言ってみせた。
「あなたがあまりにも綺麗に笑うから、反則だって思ったの。それだけよ」
彼女を握る手にピクリと力が加わる。その微妙な力加減に、男の子に綺麗だなんて失礼だったかなどと僅かにずれたことを考える。そのままちらりと蔵馬を見ると、彼は驚いた様子でいつもより少し目を見開いていた。その頬が心なしか色づいたように見えるのは、きっと夕焼けのせいだけではないだろう。彼もこんな表情をするのかと思った途端、なまえもつられて染まりそうになる。だが今になってやっと調子が戻ってきた彼女は、心の機微を悟られないように口を開いた。
「あら、照れちゃった?ストレートに言い過ぎたわね」
「――!まったく……、からかいましたね?」
「ふふ、ごめんなさい。つい」
軽くため息をつく蔵馬に笑顔で返す。決してからかいなどではなく本心だったが、それは知られなくていい。むしろ、知られたくないとなまえは気を引き締めた。自分の体に染みついている過去の何もかもが、彼には相応しくないと思うからだ。昔の恋人の死も、父の歪んだ愛情も、その手にこびりついた数多の血も。
ホテルの外観が見えてきたところで、幽助や桑原、ぼたんたちが振り返る。それと同時に、なまえはそっと蔵馬の手から自分を逃がした。
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