第二章:彼らの戦い、彼女の葛藤
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『始め!!』
樹里のはつらつとした声がリングに響く。同時に、戸愚呂がその姿を変貌させた。対する幽助の表情は変わらない。落ち着いているようだ。
「80%からいくか!!」
その筋肉の隆起に会場中が沸き立つ。だがそれもつかの間、あちこちで断末魔が上がる。戸愚呂のあまりにも攻撃的な妖気に耐えられず、妖怪たちの体がなすすべもなく崩壊しているのだ。雪菜もその禍々しい妖気に顔をしかめていたが、ハッとして仲間たちを振り返った。しかし、意外にも彼女たちは何事もないかのように応援し続けている。
「ぷーさん……」
雪菜が小さく呟いたのを聞き、なまえは彼女の視線を追った。そこにいたのは螢子の頭に乗っている“霊界獣”。幽助から心の栄養を受け取り、この大会中に卵から孵ったのだとコエンマが教えてくれた。雪菜の様子から、人間である自分たちが無事なのはこの不思議な動物のおかげなのだと察した。
戸愚呂の体が80%の状態になった途端、待っていたかのように幽助が攻撃を仕掛ける。相手の動きをしっかりと観察しながら、冷静に。一振りで観客席まで衝撃波を繰り出す戸愚呂の拳を、的確に避けていた。このまま無言で拳の応酬が続くと思いきや、ぴたりと戸愚呂の攻撃の手が止む。幽助が逃げるのをやめ、彼の拳を真正面から受け止めようとした時だ。そこはちょうど、なまえたちがいる場所の延長線上だった。
「――っと…失礼。この角度で攻撃するのはフェアじゃないな…」
「……へっ、フェミニストだとは知らなかったぜ」
静まり返る場内。
『す…すごーーーい!!皆さんご覧になれましたでしょうか!!』
一瞬の間の火花が出るような攻防。今の戦いを、小兎はこのように表現した。
「すごい…」
ごくりとなまえの喉が鳴る。面と向かって対峙するだけでも冷や汗が止まらなかったのに、まだ年端もいかない少年が戸愚呂とやり合っている。しかもまだ実力を出し切らず、相手の出方をうかがいながら。彼女は、何故か高揚感のようなものが背中を駆けあがるのを感じた。
「さぁ見せてもらおうか。幻海から渡された力を」
戸愚呂がにやりと告げる。“幽助が今どれほどの強さなのか”を見たいがために、霊丸を撃たせようとする。しかし簡単には撃たない。回数制限がある技だ。確実に当てられるタイミングを狙いたかった。体術で攻撃を続けながら、その時を待つ。と、いきなり戸愚呂が足元のリングを大破させた。その風圧により、幽助は吹き飛ばされる。あたりにはリングの破片が飛び散った。ちょうど彼の体が隠れるくらいの大きさの瓦礫もある。サングラスの奥で彼が挑発するように笑ったように見えたが、このチャンスを逃すわけにはいかない。落下するまま逆さの状態で人差し指に霊力を集め、一気に放った。
『!!ッ……クリーンヒットォオおーー!!』
小兎の実況にも熱が入る。言葉通り正面から霊丸を食らった戸愚呂は、闘技場の外、木々を倒しながら遥か彼方まで吹き飛ばされる。その威力が以前とは比べ物にならないことは明白だった。
「お、おい審判はどこだ!?カウントは!?戸愚呂は場外までふっとんでるぞ!」
ハッとした桑原が声を上げるも、「幽助の足元をよく見てみろ。」と飛影に呆れられる。そこにはリングなどなく、あるのは瓦礫とひび割れた地面だけ。この戦いに、場外も何もない。どちらかが倒れるまで続くのだ。
着地したその場から動かず、幽助は森の奥をじっと見据える。必ず戻ってくると分かっているからだ。戸愚呂はまだ実力を出し切っていない。ただ、今の霊丸でどれほどのダメージが入っているかを確認したかった。
幽助がピクリと反応する。砂煙の奥からやってきたその人に、わずかに目を見開いた。
「こんなものかね……?お前の力は…」
無傷だった。霊丸の当たったであろう胸を、手で軽く払っている。今の衝撃でサングラスを失った彼は、感情のない目で幽助を見ていた。その真っ暗な瞳に、なまえはぞくりとする。嫌な汗がじわりと滲み出た。
「お前も100%で戦うに値しない」
戸愚呂が呟く。“分かっていた”と諦めたように。だが幽助は、失望されたにもかかわらず口角を上げた。
「やっぱりこのままじゃムリか」
リストバンドに手をかける。何かが見えているのか、観客席がどよめいた。
「!呪霊錠…修の行か」
かつて幻海の仲間だった戸愚呂には、それが何なのか分かっていた。霊力を向上させるための重いギプスのようなもので、それをつけたまま普通に生活ができるようになる頃には、つける前よりも飛躍的に霊力が上がっているというものだ。つまり、今まで幽助はハンデをつけて戸愚呂と戦っていたことになる。
「開 !!」
幽助が何か叫ぶと、彼を取り巻く空気が変わった。抑えられていた霊力が解放される。呪霊錠をかけたまま勝つつもりだった彼に対し、なめられたものだと戸愚呂は口の端を歪めた。幽助の攻撃は凄まじく、戸愚呂に反撃の隙すら与えない。彼の一方的な拳の弾幕で地面に大穴が開き、いまや二人の姿も見えないほどの深さだ。完全に幽助のペースかと思いきや、いきなり攻撃を止めて後ろに飛びのいた。まるでそこからやってくる“恐怖”から逃れるように。
「100%……!」
穴からゆっくりと顔を出した戸愚呂は、笑みをたたえていた。そして初めて“敵”に会えたと、大きな咆哮とともにさらに自身の体を強化し始める。一言で言えば異形だった。その変化の凄まじさは戸愚呂本人もつらいらしく、大きく肩で息をしながら耐えている。
「なによ、あれ…」
「あかんわ。ありゃ人間じゃ勝てん」
その恐ろしい姿になまえが唇を震わせていると、静流が縁起でもないことを言った。それをたしなめるぼたんの横で、幽助は絶対勝つと酒瓶を割りながら温子が叫ぶ。母は息子を信じていた。
今のうちに攻撃しろと桑原が叫ぶが、幽助は固まったまま動かない。敵でありながらその変貌に魅入っているのだ。
今までに誰も見たことのない100%の戸愚呂が、彼の目の前にいる。その姿は元人間であるということを忘れさせるほどで、指を弾いただけで鋭利な空圧を生み出していた。見えない空気の弾丸に防戦するしかない幽助は、苛立ったように叫びながら霊丸を撃つ。呪霊錠を外した状態での渾身の一撃は大きい。しかし。
「喝!!!」
戸愚呂は、気合だけでそれを無効化した。誰もが息を飲んだ。
「元人間のオレから見て、今のおまえに足りないものがある。…危機感だ」
静かに口を開いたと思ったら、次の瞬間には幽助の腹に強力なパンチを入れていた。あまりの威力に体だけでは受けきれず、観客席まで吹き飛ばされる。
「おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」
血を吐き、咳込む幽助に、戸愚呂は淡々と続ける。今のお前は100%の自分と戦う“資格”を持ったにすぎず、殺そうと思えば簡単なのだと。しかしそれでは意味がない。今持てる最大限の力を使い戦う義務があるのだと説いた。その口調はまるで、駄々をこねる子供に言い聞かせているようだ。その主張を桑原が“闘争本能だ”と表現したが、彼は否定した。曰く、まぎれもない“意思”なのだと。
「言い忘れたが100%のオレはひどくハラが減る。この会場のエサを喰いつくすのに20分とかかるまい。ぼんやりしてていいのかね?お友達も応援に来てるんだろ?」
戸愚呂が不気味な笑みを浮かべると、妖怪たちが煙のようになり彼に吸い込まれていく。あちこちで悲鳴を上げ逃げ惑う彼らだったが、地響きと共に会場全体が大きな壁に囲まれた。逃げ道が無くなる。左京の仕業だ。彼は、一方的に命を摘み取られるこの状況を素晴らしいショーだと称し、戸愚呂の糧になれと言っている。ゴミ同然の命なら、安いものだろうと。
――なんて恐ろしい……。
なまえは、遠くで静かに佇む左京を見つめる。元の世界でも命を軽んじる者はいたが、そんな人間たちと比較しても彼は常軌を逸していた。表情こそ見えずとも、あの暗い瞳で笑みをたたえているであろうことは安易に想像できた。
「エサは黙って見てろ。これはオレと浦飯の戦いだ」
どうせやられるならと向かってきた妖怪たちを一瞬で絶命させ、オレたちの邪魔をするなとでも言いたげに戸愚呂が言い放つ。その言葉に覚醒したように、硬直していた幽助が飛び掛かった。
「一緒にすんじゃねーー!!」
――ゴッ
拳が戸愚呂の額に入る。衝撃で足元の地面が陥没した。怒りで攻撃力が上がっているのだ。しかしそれでも戸愚呂には敵わず、いいようにサンドバッグにされる。あまりにも一方的な攻撃に、螢子が脱力して座り込んでしまった。ぼたんの呼びかけにも反応せず、一点を見つめてぼーっとしている。あまりの惨状に思考が追い付いていないのだ。
「……やれやれ」
突然、懐かしい声が小さく聞こえた気がした。今では絶対に聞くことの出来ない声。なまえは辺りを見渡すも、当然ながら声の主はいない。気のせいかと思い螢子に向き直ると、横でぼたんが驚いたような顔で固まっていた。もしかすると彼女にも聞こえたのかもしれない。自分だけではないのかもしれないと、淡い期待を抱いて尋ねた。
「ぼたんちゃん?…どうかした?」
「え?あぁ、いや……」
歯切れの悪い返事が返ってくる。もう少し核心に触れてみようとなまえがさらに口を開く。すると。
――ドンッ
それと同時に、彼女たちのすぐ横に大穴が開いた。心臓を直接殴られたような衝撃。そばには何人か妖怪が倒れ、パラパラとコンクリートの破片が落ちてきている。皆が一斉にそちらを振り向く中、なまえだけは戸愚呂を見ていた。拳をこちらに振り上げたその姿。100%になる前は彼女たちに攻撃が当たらないように配慮していたのに、幽助の力を引き出すためにはやはりどんなことでもする気らしい。
「てめェーーーー!!」
幽助が怒りとともに、再び戸愚呂に立ち向かう。しかしまたも腕の一振りで、簡単に吹き飛ばされてしまった。何かを思案している様子の戸愚呂が「まだ足りんな。」と呟く。
「怒りだけでは不足のようだ」
その一言は、なまえに言いようのない不安感をもたらした。戸愚呂を凝視したまま動けない。その無表情の裏で何を考えているのか、この焦りは何なのか。出来るならそれを突き止めたかった。
「静流!ぼたん!」
思考の波にさらわれそうになっていると、先ほどと同じあの声がまた聞こえた。
意識を戻してくるりと辺りを見渡すと、その声の主がいた。まさかと思った。しかしその鋭い目は、確かに彼女 を思わせる。
「6人分の結界くらいはつくれるな?」
はっきりとそう告げ、霊界獣であるぷーは幽助たちの元へパタパタと飛んでいく。その様子に絶句していたなまえと、気を取り直したぼたんはほぼ同時に声の主の名を叫んでいた。
「幻海さん!?」
「幻海師範!?」
瓦礫に背中を預けて力なく座る幽助と、それに一歩ずつ迫る戸愚呂。そんな緊迫した場面に、小さな青い霊界獣は容易く入り込んだ。
「盛り上がってるとこジャマするよ」
聞こえた声に驚く幽助。そんなはずはないと振り返ると、今までに何度も見てきた鋭い目とぶつかった。
「戸愚呂…幽助の本当の底力を見たいんだろ。てっとり早い方法を教えてやるよ。…幽助の仲間を殺すことだな」
幻海から発せられたまさかの言葉に、幽助はさらに目を見開く。戸愚呂は黙っていた。
「ば、ばーさんいきなり何言い出すんだよ!?」
突拍子もない話だ。なぜ彼女がそんなことを言うのか、なまえにも理解ができない。しかし幻海は淡々と、落ち着いた様子で話し続ける。今の幽助は誰か一人ぐらい目の前で死ななければ目が覚めない。このままではどのみち戸愚呂に喰われて全員死ぬのだから、誰か一人が犠牲になることで幽助の実力が引き出されるのならそれでいいだろうと……。
「ふざけんじゃねェ!!見損なったぜくそばばぁ!!」
だがそんな説明で納得がいくはずもなく、幻海に食ってかかる。他を助けるためとはいえ誰か一人を見殺しにできるほど、彼は冷徹ではない。また、割り切れるほど大人でもない。
「これがお前の首突っ込んだ世界なんだよ幽助。力のないもんは何をされても仕方がないのさ」
カッとなった幽助を殴り、幻海は厳しい目で告げた。彼女の言葉に、過去に身に覚えのあるなまえは目を伏せる。そんな場面はいくつもあった。それこそ、幽助がいま直面している問題と似たようなことも。そして例外なく、決断を下してきた。だがそれは、幼いころからそのように刷り込まれていたからだ。いわば洗脳だ。幽助には到底耐えられない。彼の師である幻海を信じているが、胸が嫌にざわつく。
「話はまとまったようだな。オレもそれは考えていた…最後の手段としてな」
彼らを指弾で吹き飛ばす戸愚呂に、なまえが眉を寄せる。先ほど感じた不安と焦りの正体が分かった。
「お前が自分自身の力すらコントロールできないほど未熟なら、それしかあるまいな」
そうして彼は野菜の品定めでもするかのように、端で見ているチームの面々を眺め始めた。話がどんどんと進んでしまうことになまえは身を乗り出しそうになるが、結界の外に出てはいけないと雪菜に止められる。
桑原、飛影、コエンマ、蔵馬。
一人ひとりじっくりと顔を確認し、ついに選ぶ。
「お前がいいな」
戸愚呂が指を指した人物は、桑原。
「浦飯の力を引き出すため。つまりはオレのために、死んでもらう」
驚きで固まる桑原に、戸愚呂は一歩ずつ近づく。阻止するために飛び掛かってくる幽助を、まるでハエでも払うかのように何度も吹き飛ばしながら。
なぜこんなことになったのか。なまえは混乱する頭で考えるが、戸愚呂の圧倒的な威圧感が邪魔をする。ただただ焦りと絶望が募るばかりで、脳内では何も組み立てられていない。蔵馬と飛影が臨戦態勢を取るのが見えた。戸愚呂を迎え撃つのだろう。だが彼らの妖力もさほど残ってはいないはずだ。考えたくもないが、全員殺されてしまうかもしれない。何とか戸愚呂を引き留めることは出来ないのか、何とか……。
「待て!……オレ一人でいい」
息苦しい緊張感が漂う中、真っ直ぐな声が響き渡った。一斉に注目を浴びたその人は、桑原だった。
樹里のはつらつとした声がリングに響く。同時に、戸愚呂がその姿を変貌させた。対する幽助の表情は変わらない。落ち着いているようだ。
「80%からいくか!!」
その筋肉の隆起に会場中が沸き立つ。だがそれもつかの間、あちこちで断末魔が上がる。戸愚呂のあまりにも攻撃的な妖気に耐えられず、妖怪たちの体がなすすべもなく崩壊しているのだ。雪菜もその禍々しい妖気に顔をしかめていたが、ハッとして仲間たちを振り返った。しかし、意外にも彼女たちは何事もないかのように応援し続けている。
「ぷーさん……」
雪菜が小さく呟いたのを聞き、なまえは彼女の視線を追った。そこにいたのは螢子の頭に乗っている“霊界獣”。幽助から心の栄養を受け取り、この大会中に卵から孵ったのだとコエンマが教えてくれた。雪菜の様子から、人間である自分たちが無事なのはこの不思議な動物のおかげなのだと察した。
戸愚呂の体が80%の状態になった途端、待っていたかのように幽助が攻撃を仕掛ける。相手の動きをしっかりと観察しながら、冷静に。一振りで観客席まで衝撃波を繰り出す戸愚呂の拳を、的確に避けていた。このまま無言で拳の応酬が続くと思いきや、ぴたりと戸愚呂の攻撃の手が止む。幽助が逃げるのをやめ、彼の拳を真正面から受け止めようとした時だ。そこはちょうど、なまえたちがいる場所の延長線上だった。
「――っと…失礼。この角度で攻撃するのはフェアじゃないな…」
「……へっ、フェミニストだとは知らなかったぜ」
静まり返る場内。
『す…すごーーーい!!皆さんご覧になれましたでしょうか!!』
一瞬の間の火花が出るような攻防。今の戦いを、小兎はこのように表現した。
「すごい…」
ごくりとなまえの喉が鳴る。面と向かって対峙するだけでも冷や汗が止まらなかったのに、まだ年端もいかない少年が戸愚呂とやり合っている。しかもまだ実力を出し切らず、相手の出方をうかがいながら。彼女は、何故か高揚感のようなものが背中を駆けあがるのを感じた。
「さぁ見せてもらおうか。幻海から渡された力を」
戸愚呂がにやりと告げる。“幽助が今どれほどの強さなのか”を見たいがために、霊丸を撃たせようとする。しかし簡単には撃たない。回数制限がある技だ。確実に当てられるタイミングを狙いたかった。体術で攻撃を続けながら、その時を待つ。と、いきなり戸愚呂が足元のリングを大破させた。その風圧により、幽助は吹き飛ばされる。あたりにはリングの破片が飛び散った。ちょうど彼の体が隠れるくらいの大きさの瓦礫もある。サングラスの奥で彼が挑発するように笑ったように見えたが、このチャンスを逃すわけにはいかない。落下するまま逆さの状態で人差し指に霊力を集め、一気に放った。
『!!ッ……クリーンヒットォオおーー!!』
小兎の実況にも熱が入る。言葉通り正面から霊丸を食らった戸愚呂は、闘技場の外、木々を倒しながら遥か彼方まで吹き飛ばされる。その威力が以前とは比べ物にならないことは明白だった。
「お、おい審判はどこだ!?カウントは!?戸愚呂は場外までふっとんでるぞ!」
ハッとした桑原が声を上げるも、「幽助の足元をよく見てみろ。」と飛影に呆れられる。そこにはリングなどなく、あるのは瓦礫とひび割れた地面だけ。この戦いに、場外も何もない。どちらかが倒れるまで続くのだ。
着地したその場から動かず、幽助は森の奥をじっと見据える。必ず戻ってくると分かっているからだ。戸愚呂はまだ実力を出し切っていない。ただ、今の霊丸でどれほどのダメージが入っているかを確認したかった。
幽助がピクリと反応する。砂煙の奥からやってきたその人に、わずかに目を見開いた。
「こんなものかね……?お前の力は…」
無傷だった。霊丸の当たったであろう胸を、手で軽く払っている。今の衝撃でサングラスを失った彼は、感情のない目で幽助を見ていた。その真っ暗な瞳に、なまえはぞくりとする。嫌な汗がじわりと滲み出た。
「お前も100%で戦うに値しない」
戸愚呂が呟く。“分かっていた”と諦めたように。だが幽助は、失望されたにもかかわらず口角を上げた。
「やっぱりこのままじゃムリか」
リストバンドに手をかける。何かが見えているのか、観客席がどよめいた。
「!呪霊錠…修の行か」
かつて幻海の仲間だった戸愚呂には、それが何なのか分かっていた。霊力を向上させるための重いギプスのようなもので、それをつけたまま普通に生活ができるようになる頃には、つける前よりも飛躍的に霊力が上がっているというものだ。つまり、今まで幽助はハンデをつけて戸愚呂と戦っていたことになる。
「
幽助が何か叫ぶと、彼を取り巻く空気が変わった。抑えられていた霊力が解放される。呪霊錠をかけたまま勝つつもりだった彼に対し、なめられたものだと戸愚呂は口の端を歪めた。幽助の攻撃は凄まじく、戸愚呂に反撃の隙すら与えない。彼の一方的な拳の弾幕で地面に大穴が開き、いまや二人の姿も見えないほどの深さだ。完全に幽助のペースかと思いきや、いきなり攻撃を止めて後ろに飛びのいた。まるでそこからやってくる“恐怖”から逃れるように。
「100%……!」
穴からゆっくりと顔を出した戸愚呂は、笑みをたたえていた。そして初めて“敵”に会えたと、大きな咆哮とともにさらに自身の体を強化し始める。一言で言えば異形だった。その変化の凄まじさは戸愚呂本人もつらいらしく、大きく肩で息をしながら耐えている。
「なによ、あれ…」
「あかんわ。ありゃ人間じゃ勝てん」
その恐ろしい姿になまえが唇を震わせていると、静流が縁起でもないことを言った。それをたしなめるぼたんの横で、幽助は絶対勝つと酒瓶を割りながら温子が叫ぶ。母は息子を信じていた。
今のうちに攻撃しろと桑原が叫ぶが、幽助は固まったまま動かない。敵でありながらその変貌に魅入っているのだ。
今までに誰も見たことのない100%の戸愚呂が、彼の目の前にいる。その姿は元人間であるということを忘れさせるほどで、指を弾いただけで鋭利な空圧を生み出していた。見えない空気の弾丸に防戦するしかない幽助は、苛立ったように叫びながら霊丸を撃つ。呪霊錠を外した状態での渾身の一撃は大きい。しかし。
「喝!!!」
戸愚呂は、気合だけでそれを無効化した。誰もが息を飲んだ。
「元人間のオレから見て、今のおまえに足りないものがある。…危機感だ」
静かに口を開いたと思ったら、次の瞬間には幽助の腹に強力なパンチを入れていた。あまりの威力に体だけでは受けきれず、観客席まで吹き飛ばされる。
「おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」
血を吐き、咳込む幽助に、戸愚呂は淡々と続ける。今のお前は100%の自分と戦う“資格”を持ったにすぎず、殺そうと思えば簡単なのだと。しかしそれでは意味がない。今持てる最大限の力を使い戦う義務があるのだと説いた。その口調はまるで、駄々をこねる子供に言い聞かせているようだ。その主張を桑原が“闘争本能だ”と表現したが、彼は否定した。曰く、まぎれもない“意思”なのだと。
「言い忘れたが100%のオレはひどくハラが減る。この会場のエサを喰いつくすのに20分とかかるまい。ぼんやりしてていいのかね?お友達も応援に来てるんだろ?」
戸愚呂が不気味な笑みを浮かべると、妖怪たちが煙のようになり彼に吸い込まれていく。あちこちで悲鳴を上げ逃げ惑う彼らだったが、地響きと共に会場全体が大きな壁に囲まれた。逃げ道が無くなる。左京の仕業だ。彼は、一方的に命を摘み取られるこの状況を素晴らしいショーだと称し、戸愚呂の糧になれと言っている。ゴミ同然の命なら、安いものだろうと。
――なんて恐ろしい……。
なまえは、遠くで静かに佇む左京を見つめる。元の世界でも命を軽んじる者はいたが、そんな人間たちと比較しても彼は常軌を逸していた。表情こそ見えずとも、あの暗い瞳で笑みをたたえているであろうことは安易に想像できた。
「エサは黙って見てろ。これはオレと浦飯の戦いだ」
どうせやられるならと向かってきた妖怪たちを一瞬で絶命させ、オレたちの邪魔をするなとでも言いたげに戸愚呂が言い放つ。その言葉に覚醒したように、硬直していた幽助が飛び掛かった。
「一緒にすんじゃねーー!!」
――ゴッ
拳が戸愚呂の額に入る。衝撃で足元の地面が陥没した。怒りで攻撃力が上がっているのだ。しかしそれでも戸愚呂には敵わず、いいようにサンドバッグにされる。あまりにも一方的な攻撃に、螢子が脱力して座り込んでしまった。ぼたんの呼びかけにも反応せず、一点を見つめてぼーっとしている。あまりの惨状に思考が追い付いていないのだ。
「……やれやれ」
突然、懐かしい声が小さく聞こえた気がした。今では絶対に聞くことの出来ない声。なまえは辺りを見渡すも、当然ながら声の主はいない。気のせいかと思い螢子に向き直ると、横でぼたんが驚いたような顔で固まっていた。もしかすると彼女にも聞こえたのかもしれない。自分だけではないのかもしれないと、淡い期待を抱いて尋ねた。
「ぼたんちゃん?…どうかした?」
「え?あぁ、いや……」
歯切れの悪い返事が返ってくる。もう少し核心に触れてみようとなまえがさらに口を開く。すると。
――ドンッ
それと同時に、彼女たちのすぐ横に大穴が開いた。心臓を直接殴られたような衝撃。そばには何人か妖怪が倒れ、パラパラとコンクリートの破片が落ちてきている。皆が一斉にそちらを振り向く中、なまえだけは戸愚呂を見ていた。拳をこちらに振り上げたその姿。100%になる前は彼女たちに攻撃が当たらないように配慮していたのに、幽助の力を引き出すためにはやはりどんなことでもする気らしい。
「てめェーーーー!!」
幽助が怒りとともに、再び戸愚呂に立ち向かう。しかしまたも腕の一振りで、簡単に吹き飛ばされてしまった。何かを思案している様子の戸愚呂が「まだ足りんな。」と呟く。
「怒りだけでは不足のようだ」
その一言は、なまえに言いようのない不安感をもたらした。戸愚呂を凝視したまま動けない。その無表情の裏で何を考えているのか、この焦りは何なのか。出来るならそれを突き止めたかった。
「静流!ぼたん!」
思考の波にさらわれそうになっていると、先ほどと同じあの声がまた聞こえた。
意識を戻してくるりと辺りを見渡すと、その声の主がいた。まさかと思った。しかしその鋭い目は、確かに
「6人分の結界くらいはつくれるな?」
はっきりとそう告げ、霊界獣であるぷーは幽助たちの元へパタパタと飛んでいく。その様子に絶句していたなまえと、気を取り直したぼたんはほぼ同時に声の主の名を叫んでいた。
「幻海さん!?」
「幻海師範!?」
瓦礫に背中を預けて力なく座る幽助と、それに一歩ずつ迫る戸愚呂。そんな緊迫した場面に、小さな青い霊界獣は容易く入り込んだ。
「盛り上がってるとこジャマするよ」
聞こえた声に驚く幽助。そんなはずはないと振り返ると、今までに何度も見てきた鋭い目とぶつかった。
「戸愚呂…幽助の本当の底力を見たいんだろ。てっとり早い方法を教えてやるよ。…幽助の仲間を殺すことだな」
幻海から発せられたまさかの言葉に、幽助はさらに目を見開く。戸愚呂は黙っていた。
「ば、ばーさんいきなり何言い出すんだよ!?」
突拍子もない話だ。なぜ彼女がそんなことを言うのか、なまえにも理解ができない。しかし幻海は淡々と、落ち着いた様子で話し続ける。今の幽助は誰か一人ぐらい目の前で死ななければ目が覚めない。このままではどのみち戸愚呂に喰われて全員死ぬのだから、誰か一人が犠牲になることで幽助の実力が引き出されるのならそれでいいだろうと……。
「ふざけんじゃねェ!!見損なったぜくそばばぁ!!」
だがそんな説明で納得がいくはずもなく、幻海に食ってかかる。他を助けるためとはいえ誰か一人を見殺しにできるほど、彼は冷徹ではない。また、割り切れるほど大人でもない。
「これがお前の首突っ込んだ世界なんだよ幽助。力のないもんは何をされても仕方がないのさ」
カッとなった幽助を殴り、幻海は厳しい目で告げた。彼女の言葉に、過去に身に覚えのあるなまえは目を伏せる。そんな場面はいくつもあった。それこそ、幽助がいま直面している問題と似たようなことも。そして例外なく、決断を下してきた。だがそれは、幼いころからそのように刷り込まれていたからだ。いわば洗脳だ。幽助には到底耐えられない。彼の師である幻海を信じているが、胸が嫌にざわつく。
「話はまとまったようだな。オレもそれは考えていた…最後の手段としてな」
彼らを指弾で吹き飛ばす戸愚呂に、なまえが眉を寄せる。先ほど感じた不安と焦りの正体が分かった。
「お前が自分自身の力すらコントロールできないほど未熟なら、それしかあるまいな」
そうして彼は野菜の品定めでもするかのように、端で見ているチームの面々を眺め始めた。話がどんどんと進んでしまうことになまえは身を乗り出しそうになるが、結界の外に出てはいけないと雪菜に止められる。
桑原、飛影、コエンマ、蔵馬。
一人ひとりじっくりと顔を確認し、ついに選ぶ。
「お前がいいな」
戸愚呂が指を指した人物は、桑原。
「浦飯の力を引き出すため。つまりはオレのために、死んでもらう」
驚きで固まる桑原に、戸愚呂は一歩ずつ近づく。阻止するために飛び掛かってくる幽助を、まるでハエでも払うかのように何度も吹き飛ばしながら。
なぜこんなことになったのか。なまえは混乱する頭で考えるが、戸愚呂の圧倒的な威圧感が邪魔をする。ただただ焦りと絶望が募るばかりで、脳内では何も組み立てられていない。蔵馬と飛影が臨戦態勢を取るのが見えた。戸愚呂を迎え撃つのだろう。だが彼らの妖力もさほど残ってはいないはずだ。考えたくもないが、全員殺されてしまうかもしれない。何とか戸愚呂を引き留めることは出来ないのか、何とか……。
「待て!……オレ一人でいい」
息苦しい緊張感が漂う中、真っ直ぐな声が響き渡った。一斉に注目を浴びたその人は、桑原だった。