第二章:彼らの戦い、彼女の葛藤
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『試合終了―!鴉選手の勝利です!!』
樹里のアナウンスだ。驚いて振り返ると、モニターにも“蔵馬×―鴉〇”と出ている。あの反撃が、10カウントを数えた後だったためだと樹里が解説する。そういうことだ、と少し申し訳なさそうに言う蔵馬には、分かっていた結果らしい。
試合には負けてしまったが、彼が無事でよかった。なまえは再び蔵馬を見る。傷だらけで、痛々しいことには変わりない。だけど生きている。自分の足で立っている。彼女は薬の入った鞄にそっと触れ、今度こそ螢子たちの元へ戻った。
次の試合は鎧を着た大男――武威と、飛影だ。体格差はかなりあるが、これまでの試合でも飛影は自分よりも大きな敵と戦い、勝ってきた。全ての試合で、彼は勝利を収めているのだ。
女性陣のもとに戻ったなまえは、彼女たちの探るような、または面白がるような視線を無視し続けていた。蔵馬を心配するあまり、ずいぶんと大胆に行動してしまった。今は試合もあり何も言われないが、この決勝戦が終われば逃がしてはくれないだろう。特に温子と螢子あたりは。
『先に仕掛けたのは武威選手!』
小兎のアナウンスが響く。彼はその大きな斧で、リングの一部を抉り取った。そのまま飛影に投げつけ視界を奪った隙に、一気に近づく。間合いに入った。
――ゴオッ
武威が斧を振り下ろす。避けられない。しかし飛影は表情一つ変えず、左手をかざした。斧はみるみるうちに溶けてなくなる。
「妖気も通ってない鉄クズがオレに通用すると思ってるのか。いい加減ムカついてきたぜ」
苛立ちを隠しもしない飛影の発言に、なぜか武威は自身を守る鎧の一つ一つを外していく。肘あてや兜が地面に落ちるたびに、轟音をあたりに響かせていた。よほどの重さらしい。
「今のうちに殴っちゃいなさいよ!逆毛少年!!」
「彼は性格上、絶対やらないっす」
いい具合に酒の回った温子が拳を振り上げるのを、ぼたんがまぁまぁと彼女を落ち着かせる。
鎧をすべて取り去った武威は、体を宙に浮かせていた。“武装闘気 ”と蔵馬が口走っていたが、なまえにはちっとも見えない。しかし鎧を外す前よりも威圧感が増したのは分かった。
「お前も本気を出せ。いい思い出にしてやる」
武威が飛影を挑発した。対する彼はその言葉に応え、何重にも巻かれている包帯をゆっくりと外していく。見えたその腕には、黒い龍が巻き付いていた。
「見せてやる、極めた黒龍波をな」
にやりと笑う飛影からも、すさまじい威圧感を感じる。彼も武威と同じように、自分でも抑えられないほどの力を特殊な包帯法で抑えつけていたのだった。そんな力が二つぶつかり合えばこんな会場は吹き飛ぶと、桑原に説明しながら蔵馬は警戒する。
「いくぞ!」
飛影が構える。既に右腕には黒い炎が踊っている。武威も構えた。
「炎殺黒龍波!!」
今大会、二度目となる黒龍波。今回も一直線に敵の元へ向かう。勝負は一瞬かと思われた。
「うおおおーーーっ!!」
しかし、武威は黒炎の龍をその武装闘気で真正面から受け止めた。邪王炎殺拳最大最強奥義である、黒龍波をだ。
止められた黒龍波が会場中を暴れ狂い、妖気の弱い観客は一瞬で焼き尽くされてしまっている。人間であるなまえたちの方に来ていないことは幸いだった。もし少しでも近づかれたら命は無いだろう。そのままついに黒龍は屋根を破壊し、武威もろとも天高く昇る――かと思いきや。
「うおおおぉ!!」
武威がさらに気を高め、黒龍波を投げ返した。術師である、飛影の元へ。
黒龍は真っ直ぐ彼の元へ向かい、そして、飛影を喰った。
「ははは、やったぞ!炎殺拳敗れたり!!」
武威がリングに降り立ち、声高に叫んでいる。観客たちの盛り上がりも最高潮だ。
「ひ、飛影がやられた…」
桑原と幽助も呆然とし、悠然と空を泳ぐ黒龍を見つめている。今まで負けなしだった、あの飛影が――。
「何をはしゃいでいるんだ?見せたいものはこれからだぞ…」
口元を手で押さえていたなまえは、その声にハッとした。黒い炎の向こうに人影が見える。
「飛影!!」
幽助が嬉しそうに呼ぶのを見て、やっとその影が彼なのだと気づいた。自身の技に喰われたと思われた飛影は、無傷でリングへと戻って来る。そのあっけらかんとした様子に、観客たちも戸惑いを隠せない。だが対する武威は、これがどういうことなのかを理解していた。
「見えるか。これが黒龍波を極めた者の妖気だ」
なまえにはもちろん見えない。しかし武威の畏怖にも似た表情を見て、背筋がぞくりとするのを感じた。飛影は黒龍の莫大なエネルギーを吸収したのだ。あの強大な力をさらに上回っていないと、そんな芸当は出来ない。
武威は飛影に飛び掛かり、無我夢中で彼の顔面を数発殴る。しかし、黒龍によって妖力の上がった飛影にはまったく効いていない。それどころか笑みさえ浮かべる彼に、武威は雄たけびを上げながら再び殴りかかる。今や完全に恐怖を感じていた。
――ドゴォ
しかし飛影が、そんな彼を真上に吹き飛ばす。そして自身もさらに高く飛び上がり、今度は武威を地面に殴り落した。
もうどこがリングか分からない状態の地面で、武威が力なく倒れている。彼は降り立った飛影を見て、一言「殺れ。」と呟いた。戸愚呂との再戦のために強くなったはずが飛影にも敗れ、もはや生きる意味がないと武威は静かに語る。しかし彼はとどめを刺さず、10カウント内にリングへと戻る。
「オレは指図されるのが嫌いでな」
そう笑う飛影の呟きは、武威に届いたのだろうか。
『試合終了―!飛影選手の勝利でーす!』
樹里のアナウンスと共に、第二試合は終わった。
仲間の元へと戻った飛影は、いくつか彼らとやり取りした後に意識を失った。極度に酷使した妖力と肉体の回復のために、数時間完全に“冬眠”するそうだ。そのあどけない表情に、なまえも知らぬうちに口角が上がる。
「飛影って、ああしてみると普通の男の子みたいね」
「ほんと、可愛い寝顔さね」
なまえの呟きに、ぼたんが反応した。しかしすぐに姿勢を正し、そんなことより、と彼女が続ける。
「聞いたかい?今のアナウンス。滅茶苦茶になった会場を直すのに、少し時間がかかるみたいだね」
「そうね。まぁリングがあれじゃあ、試合中断も仕方ないわ」
「……薬、渡しに行かなくていいのかい?」
「え?」
「またまたぁ、とぼけちゃって」
にょほほ、と笑うぼたんにのしかかるように、螢子も身を乗り出す。
「そうよ、なまえさん!蔵馬くんの手当てに行くんでしょ?」
きらきらとした顔を向けられ、先ほどの自身の行為を思い出す。やはり大胆に動きすぎた。これでは自分の想いをまわりに言いふらしてるのと変わらない。内心では少し焦ったが、こういう時は変にはぐらかさない方がいい。
「そうね。前に渡した止血剤もよく効いたみたいだし、ちょっと行ってくるわ」
依然として彼女たちは意味ありげな笑みを向けてくるが、こちらが堂々としていればそのうち飽きるだろうとなまえは爽やかに手を振る。この空いた時間に薬を渡したいのは本当だ。例えその相手が蔵馬でなくても……。
――本当に?
足早にリングへの階段を降りながら、彼女は自問自答する。果たしてこの想いは本物なのだろうか。
蔵馬はなまえのことを女性として扱う。ごく自然に。それが彼女にとっては煩わしかった。しかしそれは最初だけで、徐々に彼の優しさを許容し始めた。蔵馬はなまえをただの女としてではなく、一人の人間として扱っている。戦いに身を置く者として、彼女の意志を尊重している。それに気づいた日から、彼女の中での彼への認識が変わった。蔵馬は今まで周りにいた男たちとはタイプが違う。外見だけで判断しないうえ、同じ目線に立ってくれる。それこそ、彼女を“お父様”の呪縛から解き放とうとして図らずも命を落とした、彼のように。
先ほどは引き返した壁を、なまえはさっと飛び越えた。瓦礫にもたれて座る蔵馬と目が合う。彼は優しく目を細める。彼女も微笑み近づこうとするが、その傷だらけの姿が磔にされた男と重なった。
途端に背筋がひやりとし、彼女は自分の足を動かせなくなった。昔の彼と特別容姿が似ているわけではない。だが息苦しいほどに動揺する。しかし蔵馬が立ち上がろうとしているのを視界に入れ、すぐになまえは頭を切り替え駆け寄った。
「大丈夫?ほら、無理しないで。座ってて」
「…すみません」
近くには眠る飛影と、それをにやにやと見つめる幽助と桑原がいる。なまえが客席から降りてきたのに気づき、彼らが声をかけた。
「よぉ、久しぶり!怪我したって聞いてたけど大丈夫か?」
「ええ平気。蔵馬君の薬がすごく効くの。雪菜ちゃんにも治療してもらったし、これなら傷跡も残らずに済みそうよ」
「雪菜さんの治療は最高だぜ。オレが保証する!」
「オメーは怪我しかしてねーからな」
「…んだと浦飯ィ!」
こんな場面でも賑やかな彼らに、彼女は苦笑を漏らす。
「なまえ」
コエンマが声をかけてきた。その面持ちは心なしか緊張しているように見える。
「すまなかった。鴉 を止めるどころか、ワシはお前に何もしてやれんかった」
「コエンマさん……」
彼なりにエキシビジョンのことを気にしているらしい。しかし“霊界の保護”というカードがなければ、なまえはあの日鴉に殺されていただろう。コエンマは間接的にしっかりと彼女を守っていた。
「あの試合に出るって決めたのは私です。それに、私の仇は蔵馬君がしっかり取ってくれたから。…その代償は大きいけど」
なまえは蔵馬を見る。
「ごめんね。…ありがとう」
「いえ、オレが決めたことですから」
あえてなまえの言葉を借り、蔵馬は穏やかに微笑んで見せる。妖怪だからなのか、あの出血量にしては顔色はさほど悪くないように見えた。だが放っておくわけにはいかない。彼女はさっそく手当てをするべく、鞄から薬や包帯を取り出した。
コエンマが試合再開の目処を確認しに行ったので、近くには眠っている飛影だけとなった。幽助と桑原はとっくにいない。彼らはそれぞれの試合に集中するために会場を出ていた。最後の精神統一といったところだろう。
「ねぇ蔵馬君」
彼は上だけを脱ぎ、自分で薬を塗っている。なまえは塗り終わったところから包帯を巻きながら、気になっていたことを口にした。
「あの耳と尻尾って、狼?」
「あれ、なまえさん知りませんでしたっけ」
「何を?」
「オレの正体」
なまえがふるふると首を横に振る。
「狐なんですよ」
瞬間、彼女がぴたりと動きを止めた。先ほど見た蔵馬の姿、そして今までの言動を思い浮かべ、数秒考えた後に「なるほど。」と相槌を打つ。
「それで、あんなキザなセリフを言えるのね」
「キザって…そうですか?」
「“あなたのために必ず倒します”…なんて。なかなか言えないわよ、あんなセリフ」
「いや、そんなつもりは……」
少し困ったように笑う蔵馬の目が、はっと何かに気づいたようだと思ったらすっと細くなった。一気に変わった雰囲気になまえは構えるも、見事にそのガードをすり抜け彼女の心に侵入する。
「あれ?それってつまり、オレの言葉をしっかり覚えててくれたってことになりますよね」
「…だったら何よ」
「いえ、特には。ただ…」
蔵馬がさりげなく彼女の手を取り、わざとらしく微笑んだ。
「嬉しくて」
ここが武術会の会場だということを忘れさせるような雰囲気に、なまえは頬に熱を感じ狼狽する。
「――っ!ほらやっぱり、そういうところよ!」
「…というと?」
「すごく狐の妖怪っぽいわ。昔の話でよくあるじゃない、美女に誑かされたと思ったらその正体が狐だった――なんて!」
「いやだなぁ、オレにそんな趣味はありませんよ」
至極おかしそうに笑う蔵馬。
「それで言うと、あなたとオレは似た者同士ですね」
「ふふ、そうかもね。でもどっちかというと私の方が人を騙して――」
言いかけた彼女は、蔵馬の手が唐突に頬に触れたために口を閉じるしかなかった。呼吸さえも奪われそうな、翡翠色の美しい瞳。
「あなたほど魅力的な女性にかかれば、一国の機密情報も筒抜けなんでしょうね。…さぞ優秀なスパイなんだろう」
なまえは二つの意味でどきりとした。そのせいで少なからず動揺したが、巧みに隠した。その理由の一つは捨てたはずの女として、そしてもう一つはスパイとしてだ。
彼女の前でにこりと笑うその整った顔は、なまえがいつも見てきたものと同じである。しかしその奥に、実際には考えすぎなのだろうが微かに棘が混じっているように感じる。なぜかは分かっていた。後ろめたいことがあるからだ。彼女は彼らに嘘をつき続けている。「まぁね。」と口角をあげたがそれが精いっぱいで、居心地が悪くなり半ば強引に話題を変えた。彼女の歴戦の話術からしても、かなり雑な部類に入る方だ。
「そういえば、さっき“オレの正体”って言ったけど、あなたのお母様は人間なのよね?てことはお父様が妖怪なの?」
彼女からしたら至極当然の疑問だが、蔵馬はその質問がなんとなく嬉しかった。自分とのかかわりに対して、積極性を感じたのだ。彼は初めこそなまえを警戒していたが、今では信頼している。それどころか、もっと自分のことを知ってほしいとさえ思っていた。
もとは魔界の盗賊だったこと。霊界のハンターに深手を負わされ、まだ母親の胎内にいたこの体に憑依したこと。その母親は父親が亡くなった後も、女手一つでここまで育ててくれたこと……。蔵馬は、自分のことを話した。
「ある日、母さんがオレを庇って両腕を怪我したんだ。痛むだろうに、真っ先にオレの身を心配してくれて……。その日からだよ。この人を守っていきたいって思うようになったのは」
「……素敵ね」
目を細めて話す蔵馬に、なまえも心が穏やかになる。
「なまえさんの…あ、いや」
途中まで言いかけて止まる。彼女の職業柄、気を遣ったのだろう。裏の仕事をする人間は家族と縁を切っていることが多い。彼の心中を察し、くすりと笑った。
「大丈夫、何でも聞いて。…といっても、母親のことは覚えてなくて。でも、父親は健在よ。うちの組織のボスなの」
「なるほど、トップの娘か。どうりで優秀なわけだ」
「…おだてても何も出ないわよ」
なまえは、父親である彼にその身を自由にされていることは、口が裂けても言えなかった。特に蔵馬には。理由など考えなくても分かる。
「なまえさん、顔色が……」
蔵馬の声でハッとした。彼は眉を寄せ、心配そうな顔をしていた。脳内から“お父様”を追い出し、何度か深く息を吸う。いくらか気分は晴れた。だがもう耐えられない。彼女は幻海のあの言葉を思い出す。
――自分で考える……。
なまえは蔵馬を見た。蔵馬も彼女を見返した。彼女は初めて、父親の期待通りに動くことを率先して諦めた。
「蔵馬君」
ぎこちなく腕に触れた。傷のある包帯の部分を避けたので、その精悍な肌に直接触れる。温かかった。
「この大会が終わったら、話したいことがあるの」
なまえのありのままの眼差しに、蔵馬はどきりとする。彼女はもう、以前のような笑顔の仮面をつけてはいない。だいぶ心の中を覗かせてくれるようになった。
彼は、つい先ほど観客席から下りてきた彼女を思い出す。蔵馬と目が合い微笑んだのもつかの間、何かに怯えた様子でぴたりと足を止めた。その後何事もなかったように駆け寄ってきたが、彼の目は誤魔化せなかった。蔵馬は、いつかの日の飛影との会話を思い浮かべる。
“……彼女は、オレの手なんて必要としていないさ。”
“それはどうか分からんぞ。”
今のなまえの様子が、飛影にそう言わしめた所以なのか。すると彼は、いち早く彼女の心の中を覗いたというのか。それが蔵馬には不愉快で、心をもやりとしたものが覆うのを感じた。
ずっと黙っているのを見て、なまえは腕に触れていた手をゆっくりと離す。それにハッとした蔵馬が、余計な考え事を止めた。去ろうとする手をそっと握りしめると彼女の顔が上がり、二人は見つめ合う形となる。
「…ぜひ、聞かせてください」
――あなたの事なら、オレは何でも知りたいんだ。だってオレは……。
蔵馬は、続けて滑り出しそうな言葉を押し込み、それを悟られないように穏やかに微笑んだ。彼女の瞳が安心したように揺れ、頬は緩む。それを見て抱きしめたい衝動に駆られたが、ここは人目が多すぎる。背中に力を入れ、蔵馬はぐっと堪えた。
樹里のアナウンスだ。驚いて振り返ると、モニターにも“蔵馬×―鴉〇”と出ている。あの反撃が、10カウントを数えた後だったためだと樹里が解説する。そういうことだ、と少し申し訳なさそうに言う蔵馬には、分かっていた結果らしい。
試合には負けてしまったが、彼が無事でよかった。なまえは再び蔵馬を見る。傷だらけで、痛々しいことには変わりない。だけど生きている。自分の足で立っている。彼女は薬の入った鞄にそっと触れ、今度こそ螢子たちの元へ戻った。
次の試合は鎧を着た大男――武威と、飛影だ。体格差はかなりあるが、これまでの試合でも飛影は自分よりも大きな敵と戦い、勝ってきた。全ての試合で、彼は勝利を収めているのだ。
女性陣のもとに戻ったなまえは、彼女たちの探るような、または面白がるような視線を無視し続けていた。蔵馬を心配するあまり、ずいぶんと大胆に行動してしまった。今は試合もあり何も言われないが、この決勝戦が終われば逃がしてはくれないだろう。特に温子と螢子あたりは。
『先に仕掛けたのは武威選手!』
小兎のアナウンスが響く。彼はその大きな斧で、リングの一部を抉り取った。そのまま飛影に投げつけ視界を奪った隙に、一気に近づく。間合いに入った。
――ゴオッ
武威が斧を振り下ろす。避けられない。しかし飛影は表情一つ変えず、左手をかざした。斧はみるみるうちに溶けてなくなる。
「妖気も通ってない鉄クズがオレに通用すると思ってるのか。いい加減ムカついてきたぜ」
苛立ちを隠しもしない飛影の発言に、なぜか武威は自身を守る鎧の一つ一つを外していく。肘あてや兜が地面に落ちるたびに、轟音をあたりに響かせていた。よほどの重さらしい。
「今のうちに殴っちゃいなさいよ!逆毛少年!!」
「彼は性格上、絶対やらないっす」
いい具合に酒の回った温子が拳を振り上げるのを、ぼたんがまぁまぁと彼女を落ち着かせる。
鎧をすべて取り去った武威は、体を宙に浮かせていた。“
「お前も本気を出せ。いい思い出にしてやる」
武威が飛影を挑発した。対する彼はその言葉に応え、何重にも巻かれている包帯をゆっくりと外していく。見えたその腕には、黒い龍が巻き付いていた。
「見せてやる、極めた黒龍波をな」
にやりと笑う飛影からも、すさまじい威圧感を感じる。彼も武威と同じように、自分でも抑えられないほどの力を特殊な包帯法で抑えつけていたのだった。そんな力が二つぶつかり合えばこんな会場は吹き飛ぶと、桑原に説明しながら蔵馬は警戒する。
「いくぞ!」
飛影が構える。既に右腕には黒い炎が踊っている。武威も構えた。
「炎殺黒龍波!!」
今大会、二度目となる黒龍波。今回も一直線に敵の元へ向かう。勝負は一瞬かと思われた。
「うおおおーーーっ!!」
しかし、武威は黒炎の龍をその武装闘気で真正面から受け止めた。邪王炎殺拳最大最強奥義である、黒龍波をだ。
止められた黒龍波が会場中を暴れ狂い、妖気の弱い観客は一瞬で焼き尽くされてしまっている。人間であるなまえたちの方に来ていないことは幸いだった。もし少しでも近づかれたら命は無いだろう。そのままついに黒龍は屋根を破壊し、武威もろとも天高く昇る――かと思いきや。
「うおおおぉ!!」
武威がさらに気を高め、黒龍波を投げ返した。術師である、飛影の元へ。
黒龍は真っ直ぐ彼の元へ向かい、そして、飛影を喰った。
「ははは、やったぞ!炎殺拳敗れたり!!」
武威がリングに降り立ち、声高に叫んでいる。観客たちの盛り上がりも最高潮だ。
「ひ、飛影がやられた…」
桑原と幽助も呆然とし、悠然と空を泳ぐ黒龍を見つめている。今まで負けなしだった、あの飛影が――。
「何をはしゃいでいるんだ?見せたいものはこれからだぞ…」
口元を手で押さえていたなまえは、その声にハッとした。黒い炎の向こうに人影が見える。
「飛影!!」
幽助が嬉しそうに呼ぶのを見て、やっとその影が彼なのだと気づいた。自身の技に喰われたと思われた飛影は、無傷でリングへと戻って来る。そのあっけらかんとした様子に、観客たちも戸惑いを隠せない。だが対する武威は、これがどういうことなのかを理解していた。
「見えるか。これが黒龍波を極めた者の妖気だ」
なまえにはもちろん見えない。しかし武威の畏怖にも似た表情を見て、背筋がぞくりとするのを感じた。飛影は黒龍の莫大なエネルギーを吸収したのだ。あの強大な力をさらに上回っていないと、そんな芸当は出来ない。
武威は飛影に飛び掛かり、無我夢中で彼の顔面を数発殴る。しかし、黒龍によって妖力の上がった飛影にはまったく効いていない。それどころか笑みさえ浮かべる彼に、武威は雄たけびを上げながら再び殴りかかる。今や完全に恐怖を感じていた。
――ドゴォ
しかし飛影が、そんな彼を真上に吹き飛ばす。そして自身もさらに高く飛び上がり、今度は武威を地面に殴り落した。
もうどこがリングか分からない状態の地面で、武威が力なく倒れている。彼は降り立った飛影を見て、一言「殺れ。」と呟いた。戸愚呂との再戦のために強くなったはずが飛影にも敗れ、もはや生きる意味がないと武威は静かに語る。しかし彼はとどめを刺さず、10カウント内にリングへと戻る。
「オレは指図されるのが嫌いでな」
そう笑う飛影の呟きは、武威に届いたのだろうか。
『試合終了―!飛影選手の勝利でーす!』
樹里のアナウンスと共に、第二試合は終わった。
仲間の元へと戻った飛影は、いくつか彼らとやり取りした後に意識を失った。極度に酷使した妖力と肉体の回復のために、数時間完全に“冬眠”するそうだ。そのあどけない表情に、なまえも知らぬうちに口角が上がる。
「飛影って、ああしてみると普通の男の子みたいね」
「ほんと、可愛い寝顔さね」
なまえの呟きに、ぼたんが反応した。しかしすぐに姿勢を正し、そんなことより、と彼女が続ける。
「聞いたかい?今のアナウンス。滅茶苦茶になった会場を直すのに、少し時間がかかるみたいだね」
「そうね。まぁリングがあれじゃあ、試合中断も仕方ないわ」
「……薬、渡しに行かなくていいのかい?」
「え?」
「またまたぁ、とぼけちゃって」
にょほほ、と笑うぼたんにのしかかるように、螢子も身を乗り出す。
「そうよ、なまえさん!蔵馬くんの手当てに行くんでしょ?」
きらきらとした顔を向けられ、先ほどの自身の行為を思い出す。やはり大胆に動きすぎた。これでは自分の想いをまわりに言いふらしてるのと変わらない。内心では少し焦ったが、こういう時は変にはぐらかさない方がいい。
「そうね。前に渡した止血剤もよく効いたみたいだし、ちょっと行ってくるわ」
依然として彼女たちは意味ありげな笑みを向けてくるが、こちらが堂々としていればそのうち飽きるだろうとなまえは爽やかに手を振る。この空いた時間に薬を渡したいのは本当だ。例えその相手が蔵馬でなくても……。
――本当に?
足早にリングへの階段を降りながら、彼女は自問自答する。果たしてこの想いは本物なのだろうか。
蔵馬はなまえのことを女性として扱う。ごく自然に。それが彼女にとっては煩わしかった。しかしそれは最初だけで、徐々に彼の優しさを許容し始めた。蔵馬はなまえをただの女としてではなく、一人の人間として扱っている。戦いに身を置く者として、彼女の意志を尊重している。それに気づいた日から、彼女の中での彼への認識が変わった。蔵馬は今まで周りにいた男たちとはタイプが違う。外見だけで判断しないうえ、同じ目線に立ってくれる。それこそ、彼女を“お父様”の呪縛から解き放とうとして図らずも命を落とした、彼のように。
先ほどは引き返した壁を、なまえはさっと飛び越えた。瓦礫にもたれて座る蔵馬と目が合う。彼は優しく目を細める。彼女も微笑み近づこうとするが、その傷だらけの姿が磔にされた男と重なった。
途端に背筋がひやりとし、彼女は自分の足を動かせなくなった。昔の彼と特別容姿が似ているわけではない。だが息苦しいほどに動揺する。しかし蔵馬が立ち上がろうとしているのを視界に入れ、すぐになまえは頭を切り替え駆け寄った。
「大丈夫?ほら、無理しないで。座ってて」
「…すみません」
近くには眠る飛影と、それをにやにやと見つめる幽助と桑原がいる。なまえが客席から降りてきたのに気づき、彼らが声をかけた。
「よぉ、久しぶり!怪我したって聞いてたけど大丈夫か?」
「ええ平気。蔵馬君の薬がすごく効くの。雪菜ちゃんにも治療してもらったし、これなら傷跡も残らずに済みそうよ」
「雪菜さんの治療は最高だぜ。オレが保証する!」
「オメーは怪我しかしてねーからな」
「…んだと浦飯ィ!」
こんな場面でも賑やかな彼らに、彼女は苦笑を漏らす。
「なまえ」
コエンマが声をかけてきた。その面持ちは心なしか緊張しているように見える。
「すまなかった。
「コエンマさん……」
彼なりにエキシビジョンのことを気にしているらしい。しかし“霊界の保護”というカードがなければ、なまえはあの日鴉に殺されていただろう。コエンマは間接的にしっかりと彼女を守っていた。
「あの試合に出るって決めたのは私です。それに、私の仇は蔵馬君がしっかり取ってくれたから。…その代償は大きいけど」
なまえは蔵馬を見る。
「ごめんね。…ありがとう」
「いえ、オレが決めたことですから」
あえてなまえの言葉を借り、蔵馬は穏やかに微笑んで見せる。妖怪だからなのか、あの出血量にしては顔色はさほど悪くないように見えた。だが放っておくわけにはいかない。彼女はさっそく手当てをするべく、鞄から薬や包帯を取り出した。
コエンマが試合再開の目処を確認しに行ったので、近くには眠っている飛影だけとなった。幽助と桑原はとっくにいない。彼らはそれぞれの試合に集中するために会場を出ていた。最後の精神統一といったところだろう。
「ねぇ蔵馬君」
彼は上だけを脱ぎ、自分で薬を塗っている。なまえは塗り終わったところから包帯を巻きながら、気になっていたことを口にした。
「あの耳と尻尾って、狼?」
「あれ、なまえさん知りませんでしたっけ」
「何を?」
「オレの正体」
なまえがふるふると首を横に振る。
「狐なんですよ」
瞬間、彼女がぴたりと動きを止めた。先ほど見た蔵馬の姿、そして今までの言動を思い浮かべ、数秒考えた後に「なるほど。」と相槌を打つ。
「それで、あんなキザなセリフを言えるのね」
「キザって…そうですか?」
「“あなたのために必ず倒します”…なんて。なかなか言えないわよ、あんなセリフ」
「いや、そんなつもりは……」
少し困ったように笑う蔵馬の目が、はっと何かに気づいたようだと思ったらすっと細くなった。一気に変わった雰囲気になまえは構えるも、見事にそのガードをすり抜け彼女の心に侵入する。
「あれ?それってつまり、オレの言葉をしっかり覚えててくれたってことになりますよね」
「…だったら何よ」
「いえ、特には。ただ…」
蔵馬がさりげなく彼女の手を取り、わざとらしく微笑んだ。
「嬉しくて」
ここが武術会の会場だということを忘れさせるような雰囲気に、なまえは頬に熱を感じ狼狽する。
「――っ!ほらやっぱり、そういうところよ!」
「…というと?」
「すごく狐の妖怪っぽいわ。昔の話でよくあるじゃない、美女に誑かされたと思ったらその正体が狐だった――なんて!」
「いやだなぁ、オレにそんな趣味はありませんよ」
至極おかしそうに笑う蔵馬。
「それで言うと、あなたとオレは似た者同士ですね」
「ふふ、そうかもね。でもどっちかというと私の方が人を騙して――」
言いかけた彼女は、蔵馬の手が唐突に頬に触れたために口を閉じるしかなかった。呼吸さえも奪われそうな、翡翠色の美しい瞳。
「あなたほど魅力的な女性にかかれば、一国の機密情報も筒抜けなんでしょうね。…さぞ優秀なスパイなんだろう」
なまえは二つの意味でどきりとした。そのせいで少なからず動揺したが、巧みに隠した。その理由の一つは捨てたはずの女として、そしてもう一つはスパイとしてだ。
彼女の前でにこりと笑うその整った顔は、なまえがいつも見てきたものと同じである。しかしその奥に、実際には考えすぎなのだろうが微かに棘が混じっているように感じる。なぜかは分かっていた。後ろめたいことがあるからだ。彼女は彼らに嘘をつき続けている。「まぁね。」と口角をあげたがそれが精いっぱいで、居心地が悪くなり半ば強引に話題を変えた。彼女の歴戦の話術からしても、かなり雑な部類に入る方だ。
「そういえば、さっき“オレの正体”って言ったけど、あなたのお母様は人間なのよね?てことはお父様が妖怪なの?」
彼女からしたら至極当然の疑問だが、蔵馬はその質問がなんとなく嬉しかった。自分とのかかわりに対して、積極性を感じたのだ。彼は初めこそなまえを警戒していたが、今では信頼している。それどころか、もっと自分のことを知ってほしいとさえ思っていた。
もとは魔界の盗賊だったこと。霊界のハンターに深手を負わされ、まだ母親の胎内にいたこの体に憑依したこと。その母親は父親が亡くなった後も、女手一つでここまで育ててくれたこと……。蔵馬は、自分のことを話した。
「ある日、母さんがオレを庇って両腕を怪我したんだ。痛むだろうに、真っ先にオレの身を心配してくれて……。その日からだよ。この人を守っていきたいって思うようになったのは」
「……素敵ね」
目を細めて話す蔵馬に、なまえも心が穏やかになる。
「なまえさんの…あ、いや」
途中まで言いかけて止まる。彼女の職業柄、気を遣ったのだろう。裏の仕事をする人間は家族と縁を切っていることが多い。彼の心中を察し、くすりと笑った。
「大丈夫、何でも聞いて。…といっても、母親のことは覚えてなくて。でも、父親は健在よ。うちの組織のボスなの」
「なるほど、トップの娘か。どうりで優秀なわけだ」
「…おだてても何も出ないわよ」
なまえは、父親である彼にその身を自由にされていることは、口が裂けても言えなかった。特に蔵馬には。理由など考えなくても分かる。
「なまえさん、顔色が……」
蔵馬の声でハッとした。彼は眉を寄せ、心配そうな顔をしていた。脳内から“お父様”を追い出し、何度か深く息を吸う。いくらか気分は晴れた。だがもう耐えられない。彼女は幻海のあの言葉を思い出す。
――自分で考える……。
なまえは蔵馬を見た。蔵馬も彼女を見返した。彼女は初めて、父親の期待通りに動くことを率先して諦めた。
「蔵馬君」
ぎこちなく腕に触れた。傷のある包帯の部分を避けたので、その精悍な肌に直接触れる。温かかった。
「この大会が終わったら、話したいことがあるの」
なまえのありのままの眼差しに、蔵馬はどきりとする。彼女はもう、以前のような笑顔の仮面をつけてはいない。だいぶ心の中を覗かせてくれるようになった。
彼は、つい先ほど観客席から下りてきた彼女を思い出す。蔵馬と目が合い微笑んだのもつかの間、何かに怯えた様子でぴたりと足を止めた。その後何事もなかったように駆け寄ってきたが、彼の目は誤魔化せなかった。蔵馬は、いつかの日の飛影との会話を思い浮かべる。
“……彼女は、オレの手なんて必要としていないさ。”
“それはどうか分からんぞ。”
今のなまえの様子が、飛影にそう言わしめた所以なのか。すると彼は、いち早く彼女の心の中を覗いたというのか。それが蔵馬には不愉快で、心をもやりとしたものが覆うのを感じた。
ずっと黙っているのを見て、なまえは腕に触れていた手をゆっくりと離す。それにハッとした蔵馬が、余計な考え事を止めた。去ろうとする手をそっと握りしめると彼女の顔が上がり、二人は見つめ合う形となる。
「…ぜひ、聞かせてください」
――あなたの事なら、オレは何でも知りたいんだ。だってオレは……。
蔵馬は、続けて滑り出しそうな言葉を押し込み、それを悟られないように穏やかに微笑んだ。彼女の瞳が安心したように揺れ、頬は緩む。それを見て抱きしめたい衝動に駆られたが、ここは人目が多すぎる。背中に力を入れ、蔵馬はぐっと堪えた。