第二章:彼らの戦い、彼女の葛藤
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ついに迎えた決勝戦。会場は満員で、前日から並んでいた者もいるというのも頷ける。
「すごい熱気ね」
「そうね。……ていうかなまえさん、寝てなくて大丈夫なんですか?」
いつものスーツに身を包み、自分たちに寄り添う彼女を螢子が心配する。だがそれをよそに彼女はぱちりとウインクしてみせた。
「平気よ。前なんかもっとひどい怪我でも動いてたから。それに――」
なまえはちらりと回りを見る。さりげなさを装い彼女たちを見ていた妖怪たちは、さっと目線を逸らした。
「もう私たちにちょっかい出そうなんて奴らはいないから、激しく動く必要もなさそうだし」
一昨日のエキシビジョンのおかげとも言うべきか、なまえの実力を知った妖怪たちはすっかり大人しくなっていた。この分だと、ただ座っているだけでも護衛の役目は果たせそうだ。
『皆さん、大変長らくお待たせしちゃってゴメンナサーイ』
明るい樹里の声が響く。彼女のアナウンスに従い、両チームが出て来た。最初こそ観客席からの歓声は凄まじいものだったが、次第にその声も弱まっていく。両チームとも四人しかいないからだ。大会規定によれば、死人が出ない限りは五人目が必要だ。
――あれ?幻海さんどうして……。
なまえは、最後に彼女を見かけたときのことを思い出す。廊下の奥に消えていく、小さな背中。途端に嫌な予感がして、眉間に皺を寄せた。
「おお?やつは……」
「あいつ戦えるのかよ」
思考に耽っていると、会場がざわめく。戸愚呂チームの五人目は、なんと左京だ。だが彼は煙草の煙をくゆらせ、自分まで回って来る可能性はゼロだと言い切る。勝つ気らしい。ならばこちらの五人目は……。浦飯チームの方に視線を送ると、そこにはコエンマがいた。
「え、コエンマさん?大丈夫かしら……」
彼が戦う姿など想像できない。心配していると、背中の脱出ロケットを幽助たちに披露しているのが見えた。最初から彼らと戦う気はないらしい。彼らしいというか何というか。ちゃっかりしている霊界のプリンスに、部下のぼたんも苦笑いだ。
いよいよ開始といったところで、リングの端と端、鴉と蔵馬の視線が交わる。彼らにしか分からないやり取りが交わされた後、蔵馬がリングへと向かう。すると、桑原が蔵馬のもとに駆け寄った。二人で何か話している。
「…なんか蔵馬のやつキレてねぇか?なあ飛影」
「さあな」
そんな彼らを横目に見つつ、幽助が飛影に問う。彼の直感は当たっていた。だがエキシビジョンを見ていない幽助には、その怒りがどこから来ているのかは分からない。飛影は幽助の質問を軽く流し、蔵馬の後ろ姿を静かに見つめていた。
『さあ、いよいよ第一戦開始です。会場内はほとんど戸愚呂チームの鴉選手の応援一色です!』
実況である小兎のアナウンスが響くとともに、観客席の奥の方から高い声が飛んでくる。
「なに言ってんの、ちゃんと浦飯チームの応援もいるわよー!」
「蔵馬君頑張ってー!」
温子と螢子だ。彼女たちは初戦からそうだったが、妖怪たちのど真ん中にいてもまったく怖気づく気配がない。
「皆さん大丈夫ですか?」
決勝の会場はかなり危険らしいと、人間である彼女らを心配する雪菜だが、温子は酒瓶片手にどかりと座っている。螢子と静流も、いい席で試合を見られることを喜んでいた。身の危険を心配するより、彼らの試合を間近で見ることを優先している。
「残念なのはおばーちゃんね…」
「どーして決勝に出ないのかしらー。ねーぼたんちゃん」
話を振られたぼたんは、ぼーっとしていたのか慌てて答える。
「え?ああ、年にゃ勝てないとか言ってたわー」
そのままそそくさと席を立つ彼女は、誰の目から見ても様子がおかしい。螢子も心配そうな顔で見送っている。気になったなまえも席を立つが、静流が彼女の肩に静かに手を置いた。にこりと微笑む彼女は、何か知っているらしい。そんな彼女になまえも笑みで返すと、軽く頷いた静流はぼたんの消えた通路へと向かっていった。
『始め!!』
試合が始まった。つい先日、自分もあそこに立っていたのだと思うと、なまえの身に緊張が走る。それに、この試合は鴉と蔵馬だ。
“オレはヤツを許さない。…あなたのために、必ず倒します”
なまえの中で蔵馬の声が蘇る。強い意志を持った翡翠色の瞳が思い出され、彼女の胸がきゅう、と締め付けられた。
開始早々、蔵馬は花びらを自身のまわりに舞わせる。あの爆発を警戒し、近寄らせないためだ。しかし鴉はお構いなしに進む。見た目に反して鋭い花びらが彼を傷つけた、その時。
――ボンッボンッ
唐突にあの爆発音が響いた。燃え尽きる花びらたち。だが鴉はそれらには触れていない。蔵馬も同じことを思ったらしく、計算外の驚きに目を見張っていた。
「くく……お前は私の力を勘違いしているのではないか?」
動揺する蔵馬を嘲笑うかのように、鴉が自身の力を明かし始める。相手に触れることで妖力を送り込み、内部破壊をする――。そう考えていた蔵馬だったが、それは外れていたようだ。鴉はなまえとの試合の時も必ず体に触れていたが、それは決勝までに自分の本当の手の内を明かさないためだった。
「私の妖気の本体が見えていないということは、それだけ妖力の差を表している。…もう一度聞く。そのままでいいのか?」
言い終わるが早いか、鴉が急接近する。蔵馬はそれをかわすものの、左腕を爆破されてしまう。
――蔵馬君……。
なまえは知らぬうちに拳を握りしめていた。彼のあの表情。あれは何かを待っている顔だ。だが彼女にはそれが何なのかは分からない。賢い彼のこと、きっと何か考えがあるはずだ。しかし今の事態は蔵馬にとっても予想外なのだろう。焦りの色が見える。それに、鴉の言っていた“そのままでいいのか”とはどういう意味なのか。
「おしゃべりも飽きた。そろそろ死ぬか?」
「……」
「……最後に、私が支配している精神的物体を見せよう」
そう言う鴉の手には、次第に何かが形作られていく。あえて見やすくしているおかげで、霊感のないなまえにも見えてきた。それは無機質で、硬質な――。蔵馬が彼女よりも少し早くそれを認識したとき、事態は起こった。
「な……」
「爆弾だ」
――ボンッ!!
ひときわ大きな爆発。今までのものとは比べ物にならないほどだ。
「――っ!」
叫び出しそうなのを、なまえは口を押さえてなんとか堪えた。煙が辺りを包んでいるため、蔵馬の姿は見えない。だが今の攻撃はもろに食らってしまったはず。彼女は焦った。しかし、白煙の中に影が見える。
よかった、無事だ。そう思ったのもつかの間、徐々に晴れていく煙の中にいた人物に目を疑った。
その男は蔵馬ではない。しかし、状況から見ると蔵馬でしかありえなかった。なまえは煙の中から現れた、真っ白な男を見る。服装や髪色が変わっただけではなく、動物の耳と尻尾も生えているではないか。
「よっしゃ間一髪!」
リング外で拳を突き上げ喜んでいる桑原を見るに、やはりあれは蔵馬なのだろうと彼女は視線を戻す。血を流しながらもにやりと笑うその切れ長の瞳は、彼も妖怪なのだということをなまえに思い出させた。
――あれが、妖怪としての蔵馬君…なのね。
会場の空気が変わった。これまでは鴉の勝利を疑わなかった観客席がどよめいている。それほどまでに彼らの実力は拮抗しているのだろう。
――ドンッ
唐突に、白銀の妖怪の足元から何か飛び出してきた。
「魔界のオジギソウは気が荒い」
どうやらこちらの彼の武器も植物のようだ。だがそれは人間界のオジギソウとは比べ物にならないほど大きく、葉の中心には口のようなものも見える。触れると葉を閉じるだけでなく、そこから対象物を取り込むのだろう。
完全に攻守逆転し、先ほどまでの余裕をなくした鴉がリング上を逃げ回る。振り向きざまに葉の一部を爆破して方向転換するも、その先で別の葉が待ち構えていた。
「!!」
「はんぱな攻撃は逆効果だ」
「ぐあっ」
蔵馬の言う通りみるみるうちに葉に囲まれ、鴉の姿が見えなくなる。なまえは蔵馬の勝利を確信した。幽助たちも嬉しそうだ。
『鴉選手、戦闘不能とみなし、蔵馬選手の勝利です!!』
樹里のアナウンスが響いた瞬間。
――ドカンッ
彼女の背後で大きな爆発が起きた。リングを降りようとしていた蔵馬が振り向く。彼のオジギソウは、粉々に飛散していた。
“戦闘不能”という発言を鴉にチクリと咎められ、樹里が半泣きで試合再開を宣言する。先ほどの衝撃で鴉のマスクは外れ、その不気味な笑みが見えるようになっていた。彼はそのまま口を大きく開け、何かの準備をしている。何をする気なのか。戸愚呂が左京を背にかばうのを見て、なまえも中腰になり構える。鴉が蔵馬めがけて飛び掛かった。
――ドンッ!!
凄まじい爆風と熱気。それは会場に風穴を開けるほどの威力で、巻き込まれた観客たちが血を流し倒れている。爆発の方向がこちらだったら無事では済まなかった。なまえは冷や汗をかく。
「蔵馬は!?」
爆風に吹き飛ばされながらも受け身を取った幽助たちが、仲間の安否を心配する。彼女も同じ方向に目を凝らしていると、驚くべき光景に目を見張った。
『あっと、蔵馬選手!妖狐の姿ではありません!』
小兎の声が響く。しかも今の爆発でかなり深手を負ったらしい。植物を武器化しようとしても、もうそれだけの妖力は残っていないようだ。それならばと蔵馬は体術を仕掛けるが、鴉はそれをぎりぎりで避けている。手刀と共に何かを傷口に仕込んだらしいが、それも鴉に見破られた。
――ボンッボンッ
「蔵馬君……!」
再び爆弾が蔵馬を襲う。全身のあらゆる箇所から血を流す彼に、なまえは震えが止まらない。彼なら大丈夫だと信じたい反面、あまりの惨状に飛び出したくもなる。観客は盛り上がり、「殺せ!」と凄まじい声援を送る。鴉は楽しんでいた。
――どさっ
『ダウン!!』
ついに蔵馬が倒れ、カウントを取られる。しかし彼は鴉から目を離さなかった。鋭く光る翡翠色の瞳。そのまま最後の力を振り絞るかのように歯を食いしばり、体を起こす。
――ドンッ
何かが鴉めがけて飛び出した。同時に、力尽きたように蔵馬がその場に倒れる。とても穏やかな表情で。見たこともないその植物は、鴉の心臓へと真っ直ぐに突き刺さった。
「吸…血、植物?ば…かな、よべる…はずが…」
口から血を流して鴉が呟く。そしてそのまま静かになり、動かなくなった。妖狐の姿でしか魔界植物は呼ばないはずが、確かに彼は召喚していた。
“必ず倒す”。なまえに言った通り、蔵馬は鴉を倒した。しかし、彼は倒れたきりぴくりとも動かない。言い知れぬ不安と焦燥感が、彼女を頭のてっぺんから覆いつくそうとする。心臓の鼓動が、まるで耳の中から聞こえてくるほどうるさかった。
――蔵馬、くん……?
がくがくと震えだす脚もそのままに、いてもたってもいられなくなったなまえはその場を飛び出した。戸惑う螢子たちの声を置き去りにしながら、一番前の席、リングとの境の壁までたどり着く。
「蔵馬君!!」
一心不乱に叫ぶ頭の片隅で、こんなにも大声を出したのはいつぶりだろうかと自分で驚く。周りの目も憚らず壁を乗り越えようとしたその時。
――ピク
蔵馬の指先が微かに動いた。続けて、ゆっくりと開かれる瞼。少しずつだが力を取り戻し、彼はその両脚でリングに立った。
「蔵馬の勝利だー!!」
幽助と桑原が飛び上がって喜んでいる。なまえは、何とか立ち上がって仲間の元へと歩いてくる蔵馬と目が合った。壁を乗り越えようと中途半端に足をかけた、なんとも間抜けな状態で。彼の目元がくすりと和らいだので、ぎこちなく笑みを浮かべて足を下ろした。
蔵馬が幽助の肩を借り、リングから下りてくる。もう心配ないと彼女たちのもとに戻ろうと思ったら、耳を疑う声が聞こえた。
「すごい熱気ね」
「そうね。……ていうかなまえさん、寝てなくて大丈夫なんですか?」
いつものスーツに身を包み、自分たちに寄り添う彼女を螢子が心配する。だがそれをよそに彼女はぱちりとウインクしてみせた。
「平気よ。前なんかもっとひどい怪我でも動いてたから。それに――」
なまえはちらりと回りを見る。さりげなさを装い彼女たちを見ていた妖怪たちは、さっと目線を逸らした。
「もう私たちにちょっかい出そうなんて奴らはいないから、激しく動く必要もなさそうだし」
一昨日のエキシビジョンのおかげとも言うべきか、なまえの実力を知った妖怪たちはすっかり大人しくなっていた。この分だと、ただ座っているだけでも護衛の役目は果たせそうだ。
『皆さん、大変長らくお待たせしちゃってゴメンナサーイ』
明るい樹里の声が響く。彼女のアナウンスに従い、両チームが出て来た。最初こそ観客席からの歓声は凄まじいものだったが、次第にその声も弱まっていく。両チームとも四人しかいないからだ。大会規定によれば、死人が出ない限りは五人目が必要だ。
――あれ?幻海さんどうして……。
なまえは、最後に彼女を見かけたときのことを思い出す。廊下の奥に消えていく、小さな背中。途端に嫌な予感がして、眉間に皺を寄せた。
「おお?やつは……」
「あいつ戦えるのかよ」
思考に耽っていると、会場がざわめく。戸愚呂チームの五人目は、なんと左京だ。だが彼は煙草の煙をくゆらせ、自分まで回って来る可能性はゼロだと言い切る。勝つ気らしい。ならばこちらの五人目は……。浦飯チームの方に視線を送ると、そこにはコエンマがいた。
「え、コエンマさん?大丈夫かしら……」
彼が戦う姿など想像できない。心配していると、背中の脱出ロケットを幽助たちに披露しているのが見えた。最初から彼らと戦う気はないらしい。彼らしいというか何というか。ちゃっかりしている霊界のプリンスに、部下のぼたんも苦笑いだ。
いよいよ開始といったところで、リングの端と端、鴉と蔵馬の視線が交わる。彼らにしか分からないやり取りが交わされた後、蔵馬がリングへと向かう。すると、桑原が蔵馬のもとに駆け寄った。二人で何か話している。
「…なんか蔵馬のやつキレてねぇか?なあ飛影」
「さあな」
そんな彼らを横目に見つつ、幽助が飛影に問う。彼の直感は当たっていた。だがエキシビジョンを見ていない幽助には、その怒りがどこから来ているのかは分からない。飛影は幽助の質問を軽く流し、蔵馬の後ろ姿を静かに見つめていた。
『さあ、いよいよ第一戦開始です。会場内はほとんど戸愚呂チームの鴉選手の応援一色です!』
実況である小兎のアナウンスが響くとともに、観客席の奥の方から高い声が飛んでくる。
「なに言ってんの、ちゃんと浦飯チームの応援もいるわよー!」
「蔵馬君頑張ってー!」
温子と螢子だ。彼女たちは初戦からそうだったが、妖怪たちのど真ん中にいてもまったく怖気づく気配がない。
「皆さん大丈夫ですか?」
決勝の会場はかなり危険らしいと、人間である彼女らを心配する雪菜だが、温子は酒瓶片手にどかりと座っている。螢子と静流も、いい席で試合を見られることを喜んでいた。身の危険を心配するより、彼らの試合を間近で見ることを優先している。
「残念なのはおばーちゃんね…」
「どーして決勝に出ないのかしらー。ねーぼたんちゃん」
話を振られたぼたんは、ぼーっとしていたのか慌てて答える。
「え?ああ、年にゃ勝てないとか言ってたわー」
そのままそそくさと席を立つ彼女は、誰の目から見ても様子がおかしい。螢子も心配そうな顔で見送っている。気になったなまえも席を立つが、静流が彼女の肩に静かに手を置いた。にこりと微笑む彼女は、何か知っているらしい。そんな彼女になまえも笑みで返すと、軽く頷いた静流はぼたんの消えた通路へと向かっていった。
『始め!!』
試合が始まった。つい先日、自分もあそこに立っていたのだと思うと、なまえの身に緊張が走る。それに、この試合は鴉と蔵馬だ。
“オレはヤツを許さない。…あなたのために、必ず倒します”
なまえの中で蔵馬の声が蘇る。強い意志を持った翡翠色の瞳が思い出され、彼女の胸がきゅう、と締め付けられた。
開始早々、蔵馬は花びらを自身のまわりに舞わせる。あの爆発を警戒し、近寄らせないためだ。しかし鴉はお構いなしに進む。見た目に反して鋭い花びらが彼を傷つけた、その時。
――ボンッボンッ
唐突にあの爆発音が響いた。燃え尽きる花びらたち。だが鴉はそれらには触れていない。蔵馬も同じことを思ったらしく、計算外の驚きに目を見張っていた。
「くく……お前は私の力を勘違いしているのではないか?」
動揺する蔵馬を嘲笑うかのように、鴉が自身の力を明かし始める。相手に触れることで妖力を送り込み、内部破壊をする――。そう考えていた蔵馬だったが、それは外れていたようだ。鴉はなまえとの試合の時も必ず体に触れていたが、それは決勝までに自分の本当の手の内を明かさないためだった。
「私の妖気の本体が見えていないということは、それだけ妖力の差を表している。…もう一度聞く。そのままでいいのか?」
言い終わるが早いか、鴉が急接近する。蔵馬はそれをかわすものの、左腕を爆破されてしまう。
――蔵馬君……。
なまえは知らぬうちに拳を握りしめていた。彼のあの表情。あれは何かを待っている顔だ。だが彼女にはそれが何なのかは分からない。賢い彼のこと、きっと何か考えがあるはずだ。しかし今の事態は蔵馬にとっても予想外なのだろう。焦りの色が見える。それに、鴉の言っていた“そのままでいいのか”とはどういう意味なのか。
「おしゃべりも飽きた。そろそろ死ぬか?」
「……」
「……最後に、私が支配している精神的物体を見せよう」
そう言う鴉の手には、次第に何かが形作られていく。あえて見やすくしているおかげで、霊感のないなまえにも見えてきた。それは無機質で、硬質な――。蔵馬が彼女よりも少し早くそれを認識したとき、事態は起こった。
「な……」
「爆弾だ」
――ボンッ!!
ひときわ大きな爆発。今までのものとは比べ物にならないほどだ。
「――っ!」
叫び出しそうなのを、なまえは口を押さえてなんとか堪えた。煙が辺りを包んでいるため、蔵馬の姿は見えない。だが今の攻撃はもろに食らってしまったはず。彼女は焦った。しかし、白煙の中に影が見える。
よかった、無事だ。そう思ったのもつかの間、徐々に晴れていく煙の中にいた人物に目を疑った。
その男は蔵馬ではない。しかし、状況から見ると蔵馬でしかありえなかった。なまえは煙の中から現れた、真っ白な男を見る。服装や髪色が変わっただけではなく、動物の耳と尻尾も生えているではないか。
「よっしゃ間一髪!」
リング外で拳を突き上げ喜んでいる桑原を見るに、やはりあれは蔵馬なのだろうと彼女は視線を戻す。血を流しながらもにやりと笑うその切れ長の瞳は、彼も妖怪なのだということをなまえに思い出させた。
――あれが、妖怪としての蔵馬君…なのね。
会場の空気が変わった。これまでは鴉の勝利を疑わなかった観客席がどよめいている。それほどまでに彼らの実力は拮抗しているのだろう。
――ドンッ
唐突に、白銀の妖怪の足元から何か飛び出してきた。
「魔界のオジギソウは気が荒い」
どうやらこちらの彼の武器も植物のようだ。だがそれは人間界のオジギソウとは比べ物にならないほど大きく、葉の中心には口のようなものも見える。触れると葉を閉じるだけでなく、そこから対象物を取り込むのだろう。
完全に攻守逆転し、先ほどまでの余裕をなくした鴉がリング上を逃げ回る。振り向きざまに葉の一部を爆破して方向転換するも、その先で別の葉が待ち構えていた。
「!!」
「はんぱな攻撃は逆効果だ」
「ぐあっ」
蔵馬の言う通りみるみるうちに葉に囲まれ、鴉の姿が見えなくなる。なまえは蔵馬の勝利を確信した。幽助たちも嬉しそうだ。
『鴉選手、戦闘不能とみなし、蔵馬選手の勝利です!!』
樹里のアナウンスが響いた瞬間。
――ドカンッ
彼女の背後で大きな爆発が起きた。リングを降りようとしていた蔵馬が振り向く。彼のオジギソウは、粉々に飛散していた。
“戦闘不能”という発言を鴉にチクリと咎められ、樹里が半泣きで試合再開を宣言する。先ほどの衝撃で鴉のマスクは外れ、その不気味な笑みが見えるようになっていた。彼はそのまま口を大きく開け、何かの準備をしている。何をする気なのか。戸愚呂が左京を背にかばうのを見て、なまえも中腰になり構える。鴉が蔵馬めがけて飛び掛かった。
――ドンッ!!
凄まじい爆風と熱気。それは会場に風穴を開けるほどの威力で、巻き込まれた観客たちが血を流し倒れている。爆発の方向がこちらだったら無事では済まなかった。なまえは冷や汗をかく。
「蔵馬は!?」
爆風に吹き飛ばされながらも受け身を取った幽助たちが、仲間の安否を心配する。彼女も同じ方向に目を凝らしていると、驚くべき光景に目を見張った。
『あっと、蔵馬選手!妖狐の姿ではありません!』
小兎の声が響く。しかも今の爆発でかなり深手を負ったらしい。植物を武器化しようとしても、もうそれだけの妖力は残っていないようだ。それならばと蔵馬は体術を仕掛けるが、鴉はそれをぎりぎりで避けている。手刀と共に何かを傷口に仕込んだらしいが、それも鴉に見破られた。
――ボンッボンッ
「蔵馬君……!」
再び爆弾が蔵馬を襲う。全身のあらゆる箇所から血を流す彼に、なまえは震えが止まらない。彼なら大丈夫だと信じたい反面、あまりの惨状に飛び出したくもなる。観客は盛り上がり、「殺せ!」と凄まじい声援を送る。鴉は楽しんでいた。
――どさっ
『ダウン!!』
ついに蔵馬が倒れ、カウントを取られる。しかし彼は鴉から目を離さなかった。鋭く光る翡翠色の瞳。そのまま最後の力を振り絞るかのように歯を食いしばり、体を起こす。
――ドンッ
何かが鴉めがけて飛び出した。同時に、力尽きたように蔵馬がその場に倒れる。とても穏やかな表情で。見たこともないその植物は、鴉の心臓へと真っ直ぐに突き刺さった。
「吸…血、植物?ば…かな、よべる…はずが…」
口から血を流して鴉が呟く。そしてそのまま静かになり、動かなくなった。妖狐の姿でしか魔界植物は呼ばないはずが、確かに彼は召喚していた。
“必ず倒す”。なまえに言った通り、蔵馬は鴉を倒した。しかし、彼は倒れたきりぴくりとも動かない。言い知れぬ不安と焦燥感が、彼女を頭のてっぺんから覆いつくそうとする。心臓の鼓動が、まるで耳の中から聞こえてくるほどうるさかった。
――蔵馬、くん……?
がくがくと震えだす脚もそのままに、いてもたってもいられなくなったなまえはその場を飛び出した。戸惑う螢子たちの声を置き去りにしながら、一番前の席、リングとの境の壁までたどり着く。
「蔵馬君!!」
一心不乱に叫ぶ頭の片隅で、こんなにも大声を出したのはいつぶりだろうかと自分で驚く。周りの目も憚らず壁を乗り越えようとしたその時。
――ピク
蔵馬の指先が微かに動いた。続けて、ゆっくりと開かれる瞼。少しずつだが力を取り戻し、彼はその両脚でリングに立った。
「蔵馬の勝利だー!!」
幽助と桑原が飛び上がって喜んでいる。なまえは、何とか立ち上がって仲間の元へと歩いてくる蔵馬と目が合った。壁を乗り越えようと中途半端に足をかけた、なんとも間抜けな状態で。彼の目元がくすりと和らいだので、ぎこちなく笑みを浮かべて足を下ろした。
蔵馬が幽助の肩を借り、リングから下りてくる。もう心配ないと彼女たちのもとに戻ろうと思ったら、耳を疑う声が聞こえた。