序・邪眼師と花の精
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「邪眼で見てるくらいなら部屋にいればよかったのに。」
ビルの上、強い風に身をゆだねて考え事をしていた俺は、背後からの気配に気づけなかった。
「あと飛影、今夜だけど、また桑原君の家に来てくださいね。絶対ですよ。」
いつものように話しかけてくる。
「貴様……どういうつもりだ。」いらだちを隠さず、今にも切りかかってやろうかと背中で問う。
「……、ちょっとしたお仕置きですよ。」
振り返ると肩をすくめている蔵馬。赤い髪を風になびかせ微笑んでいるが、その瞳は金色を帯びている。――なにがちょっとしたお仕置きだ。
「NAMEさん、悲しそうでしたよ。あなたがそそくさと出て行ってしまって。」
「……。」
「ねぇ飛影。」
やつの妖気が大きくなる。
「彼女に心を奪われたのは、あなただけじゃないんですよ。」
目の前の男の髪が銀色へと変わっていく。そこには1000年以上も前、俺の知らない魔界を騒がせた妖狐がいた。
「忘れるな、オレは元盗賊。お前が彼女を持て余すならば……。」
言い終わらぬうちに、射るような視線でやつの喉元に刀をつきつける。
「それはならん。」
再び俺たちを通り過ぎる、昼過ぎの生ぬるい風。浮かれた人間たちの声がそこかしこから聞こえる。俺の苦手なにぎやかな午後だ。
どちらからともなく、俺たちは同時に距離をとった。
いつのまにか南野秀一に戻っていた男が言う。
「冗談だよ。……でも、彼女を悲しませるのはオレだって許さない。雪菜ちゃんだけじゃないですからね。」
冗談?よく言うぜ。ここで逃がしてやるものか。
「貴様、あいつのことを知っていただろう。……俺よりも前に。」
蔵馬はスッと視線をよこすが、口は結び沈黙の意思を表している。最初にこいつが言ったことを俺はしっかりと覚えていた。
“一人で花見ですか?それとも……美しく可憐な花の精を見に?”
「なぜ知りながら黙っていた?」
追撃してやると、一瞬足元に視線を落とし、やれやれと歩いてくる。
「……隠していたわけじゃないですよ。一年中花を咲かせる藤の木。クラスメイトがそんな話をしているのを聞いて……。植物使いとして興味がわいてね、行ってみたんです。」
少し離れた俺の隣で柵にもたれる。
「そしたらそこには、この世のものじゃないほど……美しい藤の精がいた。」
思い出しているのか、自然と口角が上がる。だがそれが俺にとっては目障りで、分かりやすいように棘を交えて問いかけた。
「それで?……遠くから女々しく見ていただけか。妖狐様が聞いて呆れるな。」
ふ、と蔵馬が寂しそうに笑う。
「オレのことは彼女からは見えなかったからね。」
「どういう意味だ?あいつはもともと目が見えない。」
「さあ、そこは自分で考えてください。あなたは彼女から声をかけられたんでしょう?どうしてですか?」
笑顔で言うが、笑っていない。
「まあそんなわけで、オレはNAMEさんの存在を知ったんですよ。」ぐっと組んだ両手を天に、蔵馬が伸びをする。
「でもたぶん、あなたが知り合ったのと同じくらいの時期ですよ。ときどき妖気を感じてたから。」
「俺は感じなかったぜ、貴様の妖気なぞ。」
すかさず反論するが、じゃあよっぽど魅了されてたんでしょう。と、楽しそうに笑われた。言葉で人を翻弄する、こいつのやりにくいところだ。
「しかし飛影、」
ひとしきり笑って満足したあと、蔵馬の目が鋭くなる。
「さっき言ったことは本気だからな。」
「……。」
“悲しませるのは許さない”か。
「フッ、貴様に言われるまでもない。」
笑って見せたものの、多少、やけくそで言っている自覚はあった。植物のことに関しては俺より蔵馬の方が当然上だ。今回のことでも、俺はまるで役立たずだった。いつものこいつなら俺が強がっていると気づいたかもしれない。だが今は他に心を占めるものがあるからか、俺の動揺には気づかなかった。
狐にしては珍しく、そうだな、と素直に頷いた。
夜になり、蔵馬に言われた通りNAMEのもとへ行ってみると、いつものメンバーがそろっていた。俺を呼び出した張本人と、魔界へ行っていたはずの幽助までいる。
「なんだ……?」
人の多さにたじろいでいると、「飛影。」あいつの笑顔が目に飛び込んできた。いつものNAMEだ。小さく心臓が跳ねるのを感じる。もうだいぶ顔色もよく、ベッドから起きて腰かけている。両隣には雪菜と静流がいた。
「良かったわ、来てくださって。」
「おっせーよ、飛影!何やってたんだよ!」
「お子様に夜間外出はちと厳しかったか~?」
床に座って何かを飲みながら、幽助と桑原が好き勝手言ってくる。
そもそも時間までは聞いていない。相手するのも面倒なので蔵馬に視線を投げた。
「NAMEさんから、みんなに話したいことがあるそうです。」
「話したいこと?」
NAMEに目を向けると、落ち着かない様子で手を組んでは解くを繰り返している。
「みなさんをわたしのことで巻き込んでしまったので、申し訳なくて……。わたしが初めから自分のことを話していれば、ここまでみなさんにご迷惑をかけることはなかったかもしれませんのに。」
ぎゅっ、と服の裾を握る。無理するなとでも言うように、静流がその手を包む。幾分か緊張がマシになったようだった。
みなが穏やかに今夜の主役の言葉を待つ中、俺は落ち着かなかった。思えばあいつのことを何も知らない。俺が知っているのは名前だけ、そんな関係。
心臓がさっきとは違うリズムで騒ぎ始めた。
NAMEが当時を懐かしむように、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「わたしはあの家の庭に植えられていますが、いつからなのかは覚えていません。気づけばあそこに根を張り、そして気づけば意識を持っていました。」
少しばかり考え、訂正する。
「……いいえ、意識を持ったのは、あの家に一人の人間が産まれてからですわ。その方は霊感が強く、まだわたし自身も自覚していなかった意識に、幼いながら真っ先に気づいたのです。」
「……さっぱり分からん。」
出だしで音を上げた幽助に蔵馬が補足する。
「精霊はいきなり何らかの形を有するわけじゃない。その前に、オーラのようなものとして発現するんだ。おそらくは意識もそのあたりから芽生えてくる。だがその強い霊感の持ち主は、○○さんがオーラとして現れる前の段階で、庭の木に何らかの気配を感じた……。分かりますか?」
「母親が自分に宿った子供を、受精した瞬間から認識するようなものかしら……。」
ショートしそうな幽助の頭は、静流の呟きで落ち着いたようだった。NAMEが頷き、続ける。
「彼が歩けるようになった頃には、わたしもオーラと呼べるほどになっておりました。きっと成長するにつれ大きくなっていく、彼の霊力に感化されたのでしょう。そうしてますます大きくなるわたしの気配に興味を抑えられなくなったのか、ある日、話しかけられたのです。“なぜお前は木に隠れているのか”と。……少年らしい真っすぐな言葉でしたわ。梅雨の優しい雨に打たれながら、そんな彼にお返事ができないことを、ひどく残念に思いました。」
思い出すように目を閉じるNAMEに、俺は何とも言えない気持ちになる。ポケットに突っ込んだ手を、無意味に握りしめた。
「来る日も来る日もお話してくださる彼に、わたしは初めての願望を抱きました。あのお方と言葉を交わしてみたい。一度でいいから、お返事がしたい、と。……いつのまにかわたしの心はその願い一色になり、ある日とうとう、声を手に入れることができたのです。」
「まぁ……。」と嬉しそうに表情をほころばせる雪菜に目を合わせ、「……奇跡でしたわ。」とNAMEは続ける。
「もちろんあのお方は驚かれておりましたが、それよりも、大変喜んでくださいました。それからはいろいろな話をしたのを覚えております。わたしの知らない外の世界のことや、ご家族のお話。また、嵐の晩には家人の目を忍んで、わたしの側に付いていてくださったり……。強い雨風の中、慌てて枝で屋根を作ったのを覚えてますわ。……とてもお優しい方でした。わたしにはもったいないほどに。
そんな毎日が続き、それだけで幸せで……じゅうぶんだったはずなのです。」
にこやかに話していたはずが言葉に詰まり、俺をちらりと見る。気のせいかと思うほどの視線は、ふたたびあいつの膝へと落ちた。
「気づけば、それ以上を望んでしまっていた。会話ができるようになり、ずいぶんと欲張りになってしまっていた……。そんなわたしを知ってか知らずか、さらに成長したあのお方がまた言うのです。“お前はどんな姿をしているのか”、“お前に会ってみたい”と。……困りましたわ。お見せしたくても、姿がないんですもの。そのときわたしはひどく落ち込み、すぐにお返事ができませんでした。そして、なぜ落胆したのかを考えるにつれ、自覚したのです。」
胸に手を当てるNAMEは、まさに愛情そのものをその瞳に宿していた。その先を聞きたくない。なぜかそう思った。
「……あのお方をお慕いしていると。」
確かに聞いているはずが、まるで聞こえていないような感覚に陥る。うっすらと耳鳴りがし、心臓は走るのをやめない。視界の隅で蔵馬がこちらを見やるが、頭を固定されているかのようにNAMEの顔から目が離せない。俺は人形になった。
「わたしはどうしても人間の姿を手に入れたかった。他の者には見えなくてもいい。あのお方の瞳の中に、この身を映すことができるのなら……。
わたしはまた必死に願いました。あのお方と生きていけたら、なんて、叶いもしない夢を見ながら。……最初から分かっていたのです。わたしは木の精、あのお方は人間。どんなに望んでも結ばれることはないと。けれど……愚かなことに、わたしはまた望んでしまいました。強く――。」
NAMEの瞳は切なく揺れていた。
「そうして、わたしは人の姿を手に入れることができました。けれど、わたしの目は何をも映すことはなかった。……きっと、無意識に制御していたのでしょうね。あのお方を見てしまわないように、……これ以上、叶わぬ恋に身を焦がさぬように……。」
そう言って悲しげに笑う。まともに働かなくなった俺の頭は、それでも、NAMEを美しいと思った。
誰もが黙っている中、NAMEは話を続ける。
「これが、わたしが人の姿を成している理由ですわ。……修行や誰かからの力の継承など、特別なことは何もしておりません。ただ一人の人間に恋をし、願っただけなのです。ですから……。」
膝に視線を落とし、言葉を選んでいるようだった。
「……だから、すぐに話す気にはなれなかったんだね。」
NAMEを助けるように、静かに蔵馬が続ける。
「本当にそれが、自分の力の源になっているのかが分からなかったから……。いや、そもそも、力として認識していなかったんですね。あなたのその溢れる想いを……。」
「ええ。……だからといって、話さないという選択をするべきではありませんでした。それにわたしは、あの場から離れるべきでしたわ、……あの藤の木から。居場所が特定できなければ、わたしを食らうこともできませんものね。」
穏やかに笑っているが、無理をしているのだろう。
「けれど、できなかったのです。あそこはあの方との思い出の場所だから。あと少し決心が固まるまでと、自分の気持ちを優先してしまった。……その結果が、今です。わたしのわがままで、みなさんを騒ぎに巻き込んでしまいましたわ。……ほんとうに、申し訳ございませんでした。」
深々と頭を下げるNAMEを責める者など、この部屋には俺も含め、誰もいなかった。
話を聞く前と後で、変わったことがある。俺の心だ。……いや、正確には変わったんじゃない、これは俺の決意だ。